SF/FT雑記




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ガンダムフェイスとは目が2つあって角が2本あるものという確定


 初代からエアリアルまで、と言いたいところだが、正確には初代でなくZがその確定に重要である。Zがそうならなかった可能性というのが当時は非常に高く、そして、Zがならなければ「2代目の主役機がならなかった」ため確定しなかった可能性が高いからである。そして、それだけが原因というわけではないが、その確定に決定的な役割を果たしているのが、近藤和久である可能性は高い。

 以下は漫画『Z』の最初のBクラブ版単行本をはじめとして、当時のデザイナーらの証言にも幾らか出てくる経緯だが、Zガンダム当時、デザイン時には関係するありとあらゆるデザイナーやモデラーらが呼ばれ、枚数が少ない者でも数十枚のデザイン画を描いて提供していたという。前に触れたように、デザインの完成直前まで角のないデザインで行く話で当然のように進んでいた。変形時にV字の角がどうにも邪魔になるからである。そこに、縦一直線に畳んでおいて頭が飛び出した直後にシャキーンと左右にV字に開くギミック(あの後期OPの構図)にしたらどうかと提案したのは呼ばれていた一人、近藤和久だった。

 つまり、この案が出なければガンダムシリーズの2番目の主役機には角がないままだった。当時のMSVや作例には、ツインアイもアンテナも無いのにガンダムという名がついているものは現在よりも遥かに多い。以後、主役をつとめるガンダムフェイスの多くも角のないシンプルな丸刈りになっていた可能性は高く、少なくとも、以後は角が必須要件にはなっていなかったことはほぼ確実である。Zのこのアイディアの有無が、ガンダムコンテンツ(特に商品)の根幹に影響を及ぼしている。
 言うまでもなく、後のユニコーンの角割れなどもこのアイディアなくしてはあり得ず(なお『MS戦記』の初代ガンダムのバックパックで左右に追加バーニアが展開するアレンジが、ユニコーンのデストロイモード時のバックパックに模倣された、という説もあるが、偶然のような気もする)しかし、近藤氏は自分がかつてガンダムの根幹部分にまで関与していた(正規デザインに呼ばれてそのままアレンジ版がバリエ機体として映像化された例としてはズゴックEやジムIIなどがある)事実を主張するような気配はまるでないまま、ダムエーの片隅に自分と一部ファンしか得しないメカ物を描き続けているジャリ漫画家にしか見えない立ち位置を続けている。



無闇に富野節ではない富野語録の例


 (引きこもりの対策の質問について)
 (今の社会では)絶えず「前向きでなく向上心のない者は社会人ではない」と思われる傾向つまり価値の単一化という現象があります。しかし小生は「向上しない奴、外向的でない人間はだらしがない」という簡単な価値観はひどく偏った考え方だと思っています。



 いやあんた他のありとあらゆるページで向上(こんな質問をしに来る前にあなたの年齢ならとっくに人生の目標を持って努力しているはずですとか)とか外向(アニメだのネットだのじゃなく外に出て他人と交流して吸収しなさいとか)について叱責してるじゃないか。だからこそ、この質問者も引きこもりの対策について助言を頼りにして来たんじゃないのか。
 が、筆者は富野語録を読むのは単に電波を浴びたいためであって、理論整然としたものを読んだりそこから啓示を受け取りたいとかいう目的ではないので読む立場としてはそこに引っかかる点はない。





Forgotten Realms Heroes and Companions(Skyrim Mod)


 (日本語)Skyrim Modデータベース


 日本語データベースの紹介では、

>Forgotten Realms の英雄たちをフォロワーとして追加します。
>ドラゴンランスの登場人物たちが多いですが、一部シリックなどの神様や、ドリッズトもいます。

 となっているが、DL世界のキャラはアップデートで何人か追加されているだけで、4分の3近くはFR世界のキャラである。なお、DLのキャラは最初のシリーズの「戦記」からのチョイスで、これは日本でのガンダムのごとく普及しているDLにおいて、日本ではガンダムの話題になると何かとファーストガンダムの話題に偏重しているのと同様の事情である。

 またFRのキャラは小説版の独自キャラにかなり偏重している。上の紹介では「シリックなどの神様」というが、各能力やミッドナイト等が入っていることからも、「シアリック、ケレンヴォー、ミストラ」という「神」として入っているのではなく、これらは「シリック、ケレンヴァー、ミッドナイト」という前身の「人間の冒険者」として入っているのである。要は、これらの人間時代を描いた小説版(Avatar Trilogy/『シャドウデイル・サーガ』など)由来ということだが、AD&DではHall of Heroesなどにかれらの人間データが普通に「人間の英雄」として載っているなど、人間時代を扱われるのは、日本環境以上に特に珍しいものではない。

 Skyrimでの再現度は話のタネとして扱うのがお約束である。ドリッズトの太すぎる二の腕とかさ。レイストリンはひょっとするといるかもしれないつばさ文庫版とか日本の淑女同人とかが脳内画像の人にはオエー!(鳥のAA略)とかなるところかもしれないが本国原作絵の再現度としてはそれほど低くない。





逆呪文


 またしてもメレブの話だが、このメレブの呪文は、劇中しばしば呪文の綴りの一部をひっくり返して唱えることで効果を逆転させ、解除している。シリーズ3作目終盤で全ての呪文を覚えたムラサキでも、メレブの呪文を解除できない描写があり(呪文でなく特技のいてつくはどうや、T-DQのデロハーのような全ディスペルの呪文はこの時のムラサキには無いようである)珍しい正呪文を知っている者でなくては逆呪文で解除することもできないらしい。
 呪文の言葉をそのままひっくりかえすと効果が逆転するという、それ自体は普通にありふれた発想で、例は数多い。例えばラヴクラフトにも、死者を動かす呪文と滅ぼす呪文が言葉が逆転しているものが出てくる。
 しかし、呪文の言葉をひっくりかえすと効果逆転するものがPnP-RPGのゲームのルールと密接に規定されているものに、AD&DやCD&Dの逆呪文がある。例えばCD&Dでは、幾つかの呪文については「言葉をさかさま(backward)から唱える」ことで効果も逆転するよう呪文を発動、または記憶(後述)することができる。(なお、新和和訳ではこのbackwardの訳が「反対に唱える」となっており、呪句自体の綴りを本当にひっくり返すという意味が非常にわかりにくく、理解されていない例が多かった。)古いD&Dでは呪文準備だけでなく修得も厳しい制限があることが多いが(版によっては、Int値によって修得可能呪文数すら限られていることがある)正呪文を修得すると、逆呪文も同時に修得(ひいては発動可能)となる仕掛けになっている。AD&D1stやCD&Dでは、ライトとダークネス、キュアとコーズ(インフリクト)はそれぞれ逆呪文である。
 無論、ヨシヒコシリーズのそれの元ネタがD&Dシリーズの逆呪文であったり、又は後述のそのさらに元ネタが共通している可能性は(ヨシヒコの作風上)ほとんど考えられず、前記のようにありふれた発想の一致であると思われる。(ヨシヒコでは綴りの全部をひっくりかえすのではなく、アナグラムのようなものになっている。)

 D&Dシリーズに限っては、逆呪文の直接の原型は何かというと、(前記ラヴクラフトも影響を与えてはいるが)例によってガイギャックスが愛読したジャック・ヴァンスと考えられる。例えば、切れ者キューゲルの『天界の眼』シリーズの最終話『イウカウヌの館』では、「強力呪句を逆に唱えたために呪文の性質が逆転した」なるまったくそのままの描写が出てくる。しかも、キューゲルは魔術の心得こそあり記憶もできるものの、専門ではない(T&Tの盗賊同様「生まれつきの素質が欠けている」)のでしばしば発動を失敗し、発動時になって誤って逆転する場合もある。作中でキューゲルは、座布団を動かす呪文で座っていた自分の方が玄関に向かって発射されたり、人間を地面に埋める呪文を逆転したため地面から人間が大量に発射されてきたりする。
 ヴァンスのこれらDying Earthシリーズの(通称ヴァンシアンシステムの)呪文は、知っての通り呪文を使用するには「頭の中に詰め込んで」毎回記憶するものだが、この描写ではどちらかというと、逆転した状態で詰め込んでいる等ではなく、その詰め込んだ呪文を発動(詠唱)時点で逆転するように見えるが、はっきりしているわけではない。

 ここからどのように実装されていったかだが、最初のOD&Dでは、逆呪文の逆転効果は記載されているが、発動に関するルールは後年ほど詳細ではなく、敵の「anti-cleric」が唱えた際に効果が逆転するもの、となっている。つまり、悪の聖職者がダークネスやコーズ系を用いる、といった原型はできているが、必ずしもAD&D1stのように一術者が発動/記憶の仕方を使い分けられるといった、いかにもヴァンスを意識したシステムは基本ルール時点では確定していない。BD&Dの第二バージョン(Holmes版)でも同様で、evil clericが使用した場合に逆転するという説明になっている。
 AD&D1stや2ndでは、逆呪文のルールは細かく定義され、呪文数そのもの豊富さのためもあるが逆呪文として発動可能なものは極めて多い。逆呪文(や、複数の発動の仕方が可能な呪文)は魔法使系でも聖職者系でも、「記憶する時点で、発動する形で覚えなくてはならない」となっている。逆呪文を発動するには、最初から逆呪文として準備しなければならない。これは上記ヴァンスの描写とは、逆呪文のアイディアはともかくも発動描写は必ずしも合ってはいない。
 CD&Dも版が進むとAD&D同様に逆呪文が定義されたが、こちらの方は、はるかに後の第四(赤箱シリーズ)、第五(サイクロペディア)に至るまで、クレリックの方は準備時点でなく、発動するその時点で決められることになっている。


 一方、3.Xe以降では、これらの単一の呪文の逆呪文や他効果だったものはほとんど全く別の独立した呪文になっている。3.Xe以降はキュアとコーズ(インフリクト)、レイズデッドとスレイリビング、ストーントゥフレッシュとフレッシュトゥストーン、さらにはディスペルイービル/グッド/ケイオス/ローも全て独立した別々の呪文になっている。
 なぜ逆呪文の類ではなくなったかといえば、単にシステムの整理、AD&Dやその流れのD&D主流ではクレリックであろうともどのみち別々に準備しなくてはならないので別の呪文にした方が煩雑さが少ない、といった理由もあると思われる。同時に、分離した方がキャラ表現の細分上都合がよいからといった理由も考えられる。例えば、1stでは、生命の神に仕える聖職者系がキュア呪文のボーナス回数を追加されると、コーズ呪文も追加される結果になる。これを、かつて1stやCD&Dでは、キュア側しか使えない特殊ルールだとか、「悪(混沌)のクレリックでないと逆呪文は推奨されない」などと縛っていたわけであるが、どうせならばコーズとキュアを別々の呪文にして、生命の神ならキュア、死の神ならコーズを与えるようにした方が(神やクレリックの属性にかかわらず)手っ取り早い。CD&Dではキュアとコーズが互いに逆呪文になっていたため「生命の神のクレリックにも関わらず、コーズの方も自由に発動でき、ルール的にはわざわざ可能にしておきながら戒律でうんぬんかんぬん」とかなっていたのだが、3.Xeの「善のクレリックはキュアは自由に任意発動できるが、インフリクトの発動には事前準備が必要」の方が遥かにすっきりしている。
 4、5版でも(そもそも5版ではその場の任意発動なのでルール上の意味はさらになくなっているのだが)カウンター効果の呪文そのものは残っていても、ルール的な逆呪文(同一呪文の逆転)のシステムはまったく消滅している。


 他のFT/RPGの例で言うと、単なる「効果が逆のカウンター呪文」であれば、およそほとんどのPnP-RPG/TRPG、ひいては他のFTの魔法ギミック、ハリーポッターにすら出てくる。しかし一方で、単なるカウンター効果の呪文が存在するだけではなく、D&D系の逆呪文のように同一呪文を使用時に逆転できるというシステムは、そもそも呪文の習得・準備・使用に他のRPGに比して非常に制限が多く熟考を強要される、後述するヴァンシアン記憶システムのD&D系でこそ意味があるもので、当然、他のPnP-RPG/TRPGでは一般的ではない。
 そのD&D系であっても近代的システムの3.Xe以降は時代の遺物といったところだが、これも遺物化していると思われるキャントリップ同様にヨシヒコシリーズに(偶然に類似物が)顔を出すところ、「RPG世界全般の発想」としては普遍的なものといえる。





魔法学校以前


 魔法使いが「学校」で正規の魔法とあわせてその正しい使い方を学ぶ、という定番のアイディアの元が、『ゲド戦記』のアースシー世界のローク島の魔法学院であることは有名である。PnP-RPGでは、コースト市のスラムグリオン魔法学校、ティカンドのシーゲート島の神秘科学アカデミー、ウェイレスの森の<上位魔法の塔>、アランシアのヨーレの大魔法学校など、その系統ということである。
 (なお、日本のFT/RPG談義では、『魔術師ギルド』ひいては『冒険者ギルド』の類の発祥と、混乱して、または意図的に混同させて語る者がかなりおびただしいが、以下はゲド以降というのはあくまで魔法”学校”に関する。)

 実はゲドの学院修行時代を描いたゲド戦記1巻は1968年なので、よく考えると(FT創作史から考えれば)相当に「最近」である。つまりそれ以前、コナンの1930年代から以後の模倣乱発時代、LotRの1930-50年台、さらにエルリックの1960年代前半までは無かったということだ。
 一体それらの前の作品の魔法使らは、どのように魔法の教育を受けるのが一般的だったのか。無論、なんたらの血のおかげで生まれつき使える、だとか投げ出されている場合が以前はさらに多かったわけだが、東西オカルトの時点ですでに魔術の習得が学問や教育によるものという類型がある以上、全てがそうだったわけでもない。ゲド以降ほど一般的・一貫した説明などなかった、とこれまた投げ出すのが手っ取り早いのだが、以下、無論のこと網羅的ではなく思いつくままだが、いくつか典型的な例を挙げる。

 ひとつはディズニーのファンタジア、じゃなかった、ゲーテ作詞デュカス作曲の『魔法使いの弟子』のように、一子相伝である。というか上記RPG風FT小説以外の説話、フェアリーテールなどでも基本的にそれかもしれない。すぐれた魔法使いが弟子をとるが、弟子は複数であっても小規模な集団程度といったものである。
 一子相伝以上に「なんたらの血のおかげで生まれつき使える」と完全に分離できるわけではないが、先祖代々、家に書物が伝わっていて、結果的に一族が魔術師となっているという例もよくある。E.R.エディスンの『ウロボロス』のゴライス王家、エルリックのようなメルニボネの貴人らや、ランクマーシリーズのクォーモールの王族などがそうである。
 史上の信仰等、前述の東西のオカルトや呪術周りの組織やその昇進の仕組み、学閥に似た描写になっている例もある。しかし、魔法”学校”といえるほどではなく、いわゆる典型的ヒロイックFTやRPGと直接の繋がりはそれほど強くないように見える。ドルイド(ウィッカ)は上記一子相伝に近いのだが、まずは吟遊詩人として伝承を学んでから、秘儀を学ぶというのもある(逆になっていることもある)。ただドルイドを描いた作品で、少なくともRPG風FTに強い影響を与えた作品というのは残念ながら少ない。
 他には、あまり説明になっていない例として、ごく普通に通常の学問と不可分なものとなっている場合もある。例えばゲーテでは、ファウスト博士は大学のあらゆる学問(医学や法学といった本当に普通の学問である)を極め魔術(多分に占星や化学の延長)にも手を伸ばしたとされるが、弟子のヴァーグナーも、当たり前のように錬金術や魔術を習得しており、そこには何の説明もされていない。

 これら以上にRPG風FTに目立つ類型のひとつに「邪教団」がある。コナンや近い時期、その影響作のようなエキゾチックな怪奇のヒロイックFTには、頭をそり上げた上に上半身筋肉むき出しで頭や上半身にペイント等を施したティクヴィコリーナ先生のような悪の呪文使いがしばしば出てくるが、かれらは同時に邪神(セトやアーリマンやイグなど)の高僧だったり、教団員がそのまま魔術師団だったりする。これらの作品では、邪神の力による魔法と、ほかの(例えば学問としての)魔術は区別がないことも多い。この邪僧・邪教団は、ことにヒロイックFTの悪役・悪役集団として都合がよいために頻出するようになったと思われるが、邪教団が学問としての魔術の伝承や訓練を担っていたり、つまるところ、事実上の後の魔法学校と同様のものとして機能していたというのはありそうなことである。これらは、前述のオカルトの組織描写とも関連するように見えるが、こちらは遥かに古代神などの信仰などであるためもあって、どうも直接の繋がりは薄く、別途構築された創作類型のようにも思える。
 これらの教団は後のRPGでそのまま僧侶系魔法の担い手である暗黒司祭のたぐいの集団として出てくるほかに、悪役の魔術団の造形一般として影響を受けていることがある。例えばD&Dのレルム世界のレッドウィザードは、邪教団ではなく魔術学院だが、まんまコリーナ先生の軍団である。「魔術の教育機関・集団」がすんなりとRPGで一般化した背景には、ゲド等以外に、あるいはこれらのヒロイックFTでの悪役魔術団の存在があるのかもしれない。







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