SF/FT雑記







・スプロール・シリーズの世界(その29)


○整形

 『クローム襲撃』で、オートマティック・ジャックが街頭で擬験(シムスティム)スターたちのポスターを眺め、その中にリッキーの目と面影を探そうとして「だが、顔がちがう。どの顔も彼女の顔じゃない」という表現は、”リッキーはこの面々の中には入れなかった”、”擬験(シムスティム)スターとしてデビューできなかった”、という意味であると、そのままならば読み取れる。

 が、かつてはタリイ・アイシャムによく似ていたリッキーは、とっくに整形して違う顔になっているのかもしれないし(デビューしたにせよしないにせよ)だとすれば、おそらくは業界に身を投じたリッキーは、もうジャックやクワインの知っている「あのリッキー」とは、もはや「中身」の方もまったくの別人になっているだろう。この「彼女の顔じゃない」「ちがう顔」の中に、もう別人となったリッキーも入っているかもしれないのだ。このジャックの言葉と、彼の中でかつて見た姿で別れを告げるリッキーのイメージが示しているのは、あるいはその点なのかもしれない。


 スプロール・シリーズでは、整形手術や肉体改造がほぼ「ファッション」と同じ流行などの感覚で行われていることが示される。《スプロール》下町の化け物と化した面々は言わずもがなである。後にスーパーアイドルとなるアンジイ・ミッチェルは、デビュー・整形前は(ボビイの感想によると)10人並よりも下だった。アーミテジはぞんざいにありきたりのハンサム顔をつぎあわせたような顔をしており、対してリヴィエラは千葉(チバシティ)のクリニックの手腕で繊細な仕上がりになっている。
 元の顔は誰にもわからない。整形前のウィリス・コート大佐の「目元がアーミテジ」、チューリング捜査官の老いが手に現れる、など、元の姿は目や手に現れるという表現が使われる。


 肉体を自由に改変できるとき、何が「個人」を定めるのか、といったいかにもSF、というかまさに攻殻あたりにある問題提起は、スプロール・シリーズでは大々的に表立っては行われない(リッキーもそうだが、アンジイにすりかわってしまったモナのその後についても、やけにあっさりしている)。このシリーズでは肉体の改変といっても前述のように痕跡が残り、全身義体化のような大掛かりで同一性を失わせるほどの域ではない、というのが理由のひとつである。さらに、繰り返し現れるゴシックやジャンクアート、手術で消せる傷跡をあえて痛みと自戒の記憶ために消そうとしないモリイ、『記憶』をキーとして扱うなどのアナログ面の描写でそれらを消化している、というのが恐らく理由のもうひとつである。



○「クローム襲撃とニューロマンサーのどこを読んでも『オノ=センダイ社』なんて出てこない。やっぱり『ホサカ製のオノ=センダイ』という製品名なんじゃないですか」

 その2、その3の説明もむなしく、コレを何度も質問される。デッキ以外も製造する巨大企業としてのオノ=センダイは、『記憶屋ジョニイ』と『モナリザ・オーヴァドライブ』には克明な説明があり、スプロール・シリーズの設定上、「社名」以外のものと解釈できる余地はない。
 が、『クローム襲撃』と『ニューロマンサー』には本当に一言たりとも「社名」としては出てこないらしい。スプロールでもこの2作だけ、特に後者しか読んでいない人が圧倒的に多いことを考えると、ギブスンの説明省略には毎回まいるねまったく。





・クァジエレメント


 このサイトには「雷 四大元素」等といった検索ワードは、数年間定期的にやってくる。「4大元素」は有名だが、同じくらい有名な「属性・元素」でありながら一見するとそのままそこに当てはまらないもの、たとえば「雷」「冷気」などを各種のFT世界設定でどうしているかというと、近そうな4大元素に属するものとしたり(*bandでelectricをair elementに対応するとしているのもこれである)元素が複数組み合わさっているものとしたり、4大元素以外を結局は定義し作り上げてしまったり、あるいは結局説明していなかったりもする。
 例えば、旧無印(クラシカル)D&Dでは、「冷気」を、waterに関連するとしている箇所(ハイドラクスという氷製のカニ型モンスターの説明)とairに関連するとしている箇所(フロストサラマンダーの解説。なおearthとしているのは旧新和の日本語版のみの有名な誤植)があり、統一されていない。


 こうした派生の要素(属性)の多くについて、FT−RPGの多くで定義の原型とされるAD&Dでは、詳細な定義・設定がある。旧無印D&DやAD&D1stや2ndや3.Xeでは、大筋は似ていても細部のかなりの食い違いがある。(4版は根本的に異なり、大筋でさえ似ていない。)以下は、これらの中でも最も詳しいと思われるAD&D2ndのplanescapeでの定義である。
 結論から言うと、雷=lightningの次元界は「準元素界(quasi-elemental plane)」のうちひとつとして存在し、「大気の元素界(elemental plane of air)」と「正物質界(positive material plane)」との交差する領域に存在する。

 以前ここでも述べたことがあるが、主要な次元界である物質界(material plane)そのものに3種類、

・正物質界 positive
・主物質界 prime
・負物質界 negative

 がある。大雑把にはpositiveはプラスの生命・ターンアンデッド等のエネルギー、negativeはマイナスのアンデッド・エナジードレイン等のエネルギーの極である。

 この周囲に4大元素界(elemental plane)、

・風 air
・地 earth
・火 fire
・水 water

 がある。
 さらに、これら複数の元素が交差するいわゆるパラエレメントの次元界、岐元素界 paraelemental plane、

・冷 ice (風+水)
・熱 magma (地+火)
・湿 ooze (地+水)
・乾 smoke (風+火)

 がある。

 パラエレメントまではD&D系、BRPやT&Tにも限らない一般的なファンタジー知識としてファン全般に既によく知られているところであろう。
 ところがややこしいことにAD&Dでは、上述した正と負の物質界と元素界の間にもエネルギーと元素が混合した準元素界 quasi-elemental planeがある。
 正物質界と元素界の間にあるのが、

・電 lightning (正+風)
・鉱 mineral (正+地)
・輝 radiance (正+火)
・蒸 steam (正+水)

 ファンタジー像画で、魔法が発動するときや投射されるときになにかと無造作・無差別に大量に放出されるものとして、これら正の準元素は知られているところであろう。
 負物質界と元素界の間にあるのが、

・灰 ash (負+火)
・塵 dust (負+地)
・塩 salt (負+水)
・虚 vacuum (負+風)

 これもRPG等で、廃墟やら魔法が終わった後(や失敗した後)の残りかすによく残されている代物は、これらの負の準元素に他ならない。

 つまり、電撃は雷神が起こすのでも、雷の精霊が起こすのでも、風の元素界から来るのでも、風や火や水の精霊力やらの複合で起こるのでもなく、”quasi-elemental plane of lightningとの間に開いたチャネルから主物質界に放出されてくる現象”、となる。
 もっとも、電撃は正物質界に関係していることから、世界設定によっては、電撃(神鳴)の呪文は「信仰系」の呪文に親和性が高いという発想も可能であろう。

 ちなみに3.Xeでは、標準宇宙観(WG世界)では岐元素界や準元素界は次元界(プレーン)としては存在せず、パラエレメントのエレメンタル生物自体は存在し、各元素界の交差点や片隅に住んでいたりする。この場合、パラエレメントの現象が交差点や片隅からのチャネルから流入してくるのか、各元素が物質界に流入してから交差するのかは定かではない。





・パワード・ナイトの光と影


 AX−6パワード・ナイトは、PC−6001のAXシリーズが雑誌の復刻シリーズなどに何度収録されても、毎回必ず欠番になって抜けている。その理由はゲーム画面を見れば一目瞭然である。せっかく幾多の懐ゲーを復刻するのに1作品にかかわったばかりに面倒を背負い込むわけにもいかないだろう。
 ちなみに、このパワード・ナイトにはバックストーリーもあり、AX−6のマニュアルや近い時代のゲーム雑誌別冊等にダンプリストと共に掲載されていたのだが、別にガンダム云々との関係をうかがわせるものは何もない。「帝国と同盟の戦いでパワードナイト(帝国騎士パワードスーツ)のインペリウム級のパイロットとなった君はパワードギルド(同盟軍パワードスーツ)のポセイドン級その他諸々を撃退」といったもので結構な分量の文章だが、スターウォーズその他を背景に5分くらいで考えたのがまるわかりのものである。当時のSF設定のゲームの背景にありがちな程度というべきものだが、一応付言しておくとガンガルやバイソンのようないかにも無い知恵を絞って考えました的なものではなく、それっぽいものである。


 当時はこれが平気で発売されていたし、ダンプリストが雑誌等に掲載されてもいた。これは、鈴木土下座エ門事件と事情はよく似ているだろう。
 某漫画家がビホルダー等を平気で週刊誌漫画に登場させたのは、当時の海外ゲームや日本ファルコムのゲームにビホルダー等が平気で出ていたため、(おそらく)何の疑念も持たなかったためであり、漫画でクレームがついたのは、それらのゲームとは比較にならないほど週刊誌漫画がメジャーだったためである。
 それら海外ゲームやファルコムよりも以前のPC−6001のゲームなど、さらに比較にならないほどにマイナーだった。バンダイが問題にしなくても一向に不思議ではない。(ビホルダーのように名前を使っているわけでもないしストーリーとか一応別物、という点は、あまり重要ではないにせよ。)
 もっとも、バンダイが全くPCゲームに無関心だったわけではない。現にバンダイはPC−6001シリーズで本物のガンダムのゲームを何本か出していたりもする(キャラゲーに当たり無しの大原則は当時の方が無常で、AXシリーズの出来に到底及ぶものではなかった)。それを加味しても互いをつぶし合ってシェアを食い合うほどの規模がなかったためなのか、それとも、バンダイ側のPCギークたちがトラブルでAXシリーズ自体が潰れて遊べなくなるようなことなど望まなかったのか、それは不明である。





・むしろ幸い

 キラ・ヤマト
 アスラン・ザラ
 ラクス・クライン
 カガリ・ユラ・アスハ
 シン・アスカ
 レイ・ザ・バレル
 ルナマリア・ホーク
 ミーア・キャンベル
 ギルバート・デュランダル

 よく見て欲しい。氏名に一文字たりとも「ラ行」が入っていないやつが一人だけまぎれこんでいる。ラ行でもヴァでもヴォでもないやつに「その手の話」の主人公が務まるわけがないではないか。



・ぜんぜん関係ないけど


 「パイロットは魔族の力を全解放した相沢祐一」<<<<<<<<<<<<<<<<<<(変愚的に超えられない壁)<<<<<<<<<<<<<「パイロットははぐれメタルの力を全解放した刹那・F・セイエイ」





・白銀の聖域


 (創元HP) 『ムアコッホ』(エルリック第二サイクル以降)や『ムアコッチ』(EC構築当時)どころか、読まれることも珍しいそれ以前の、『ムアコク』時代の作品。文明破壊後の氷雪に覆われた世界を巨大船で新天地めざし、というキングゲイナー的なセッティングだが、見事に明るい要素というものが何も無い。おまけに、終盤はキングゲイナーどころかEC終盤も通り越した「黒富野」ばりの展開となる。にもかかわらずなぜか、気も重くさせずに読み進められる冒険長編。重く感じないのは単に読む方がムアコッチとかの作風に慣れてしまっているだけなのかもしれないが。





・もしSEEDの○○が××シリーズ


 07年初頭のシリーズだが、いわゆる埋もれシリーズといって良い。当時の基準ではかなりのヒットといえる再生数を記録した最初の動画が権利関係で削除されたことと、初代・2代目投稿者の投稿中断などがたたっていると思われる。
 SEED世代というよりも、どちらかというと声の引用元であるアニメの世代に向いていると思われ、むしろSEEDを見たことがない・好きでなくても、元のアニメを見たことがあればすすめられる。

 特にヒットしたのは初代投稿者の(削除前)SEED5、21話である。DESTINY12話を投稿した2代目に続き、現在も、3代目の投稿者が先代をリスペクトしつつ作成を続けている。いくつか試作動画があり、試作を繰り返し、少しずつ完成度を上げているようである。

 声の引用元のアニメの時期も世代を感じさせて興味深い。初代は70−80年代前半とパトレイバーが多く、2代は80年代後半以降のアニメが多い。(パトレイバーはやや後なのだが、元来ロボットアニメとしては視聴年齢層がかなり高かったと思われる。)




・黒き剣の呪い


プッチ神父

 ↓ 井辻訳

プッホ神父


 脱力感が半端ない。戸棚津子女王陛下が「このプッホー知らずが! おっ死(ホ)ね!」とか言って大量処刑でもしそうなノリ





・主物質界


 ここしばらく、この単語でやたら検索が来るので調べてみると、どうも「D&DでもSWでも”物質界”なので、”主物質界”は漫画バスタードが発祥」などという風説も流れているらしい。ネット創作などで、”主物質界”なる言葉が使われている場合、それらの創作の雰囲気からして、漫画バスタードが直接の典拠と思われることが確かに多いように思われる。


 実際には、「主物質界」はAD&D1stの"Prime Material Plane"の訳語である。なぜPrime(主)かというと、主でない物質界、すなわち「正物質界(Positive Material Plane)」と「負物質界(Negative Material Plane)」が存在するからである。(アンデッドを退散したり賦活したりする聖なる力や不浄な力は、別に神やら邪神やらから来ているわけではなく、正物質界と負物質界から引きこまれているに他ならない。)なので実のところ、正物質界や負物質界が存在しないオリジナル世界設定の類で「主」物質界などという用語を使用しても何の意味もない。


 しかし後になると、和訳もされているD&D3.Xeでは、次元界の書の和文では単に「物質界(Material Plane)」になっている。これはAD&Dの「正・負の物質界」が3.Xeでは「正・負のエネルギー界」に用語が変わったので(中身はあまり変わっていない)主物質界に「主」をつける必要がなくなったからである。なお、旧D&Dの和訳(緑箱)では基本的にAD&Dと似たコスモロジーなのだが、正負の物質界の記述はなく、(どちらかというとイモータルらの領域に近い)主物質界の相当物は「プライムプレーン」('Material'がない)のみとなっており、訳さずにそのままカタカナ表記されている。

 これが「D&D(系)には”物質界”という語しかなく、”主物質界”は無い」という上記の説の認識に繋がったのかもしれないが、しかし、現在のネット上を含めD&D系ファンらの会話に目を向けると、3.Xe系を含め、「物質界」ではなく、「主物質界」「プライムマテリアルプレーン」と呼んでいることは少なくない。これは古いファンにはAD&Dから使われ、CPRGなどでも登場した「プライムマテリアルプレーン」が、3.Xe系でも内容は同じものなので特に変えずに引き続き使われているだけなのかもしれない。


 AD&D時代、Prime Material Planeを「主物質界」と訳すのがどこから発したのかという問題だが、AD&D2ndの和訳(なお和訳では無論Manual of Planes 次元界の書などは出なかった)が出る1990年よりも前に、RPG関連の言及(例えば、AD&Dゲームブックの清松みゆきの訳文、1987年)にはすでに「主物質界」という語が見られる。それ以前にも、ゲーマーの間では普及していた可能性はある。漫画バスタード(「主物質界」が使われた初出は2巻収録の忍者砦のくだりと思われる、1988年)が最初である可能性は低いが、それに近いほど最初期の草分けであることは確かである。漫画バスタードは、他にも「ドルイド魔法を使う吟遊詩人」など、現在参照困難なAD&D1stのみに由来する、異常にマイナーな要素が数多く残っている。


 日本では80年代から、PC雑誌などで「CRPGの原点」という紹介のされ方で旧D&Dはよく知られていたのだが、その発展ルールで海外ではむしろメインとして普及していた肝心のAD&Dが、その”存在さえも”知られていない(和訳されていないこともあり、紹介さえされなかった)ということがよくあった。
 そのため、例えば「旧D&Dでは種族とクラスの区別はなく、アライメントは『秩序・混沌』しかない」「なので、種族とクラスを区別し、アライメントに『善・悪』を導入したのはWizardryが元祖である」「基本種族にノームを入れたのはWizard(ry」といった混乱が、むしろオールドCRPGゲーマーの方にしばしば見られる。その後、AD&Dをすっとばして、システムや用語のかなり異なる3.Xeや4版が和訳されたことが、混乱を解消することもあれば、今回の物質界のようにさらに混乱を助長することもある。





・メルゴクリプチン

(5′α)−12′−ヒドロキシ−2−メチル−2′−(1−メチルエチル)−5′−(2−メチルプロピル)エルゴタマン−3′,6′,18−トリオン。
 瀬田訳とY本訳を一度にぶちこんだようなゴラムファンにはたまらない化学物質



・鰈

 唐突に思い出して城塞都市カーレの例の詩を引っ張る。

(原文)
So tumblers two sealed deep inside. 
One lock made out of Golem's hide. 
By Courga's grace, and Fourga's pride. 
I bid you, open wide. 

(旧訳)
奥に隠れた掛け金ふたつ
ゴーレム皮の鍵ひとつ
クーガの慈悲と、フォーガの誇り
お前に命ずる 北門よ、大きく開け

(新訳)
封印されたる二本の軸よ 
ゴーレム皮なる一つの錠よ 
クアガの鷹揚、フォーガの矜持 
かけて命じる、いざ開門 

 言い回しが固くなっても別に意味は的確になっておらず音読の語呂もかえって悪い、その引き換えに原文の韻を反映するならいいが結局は新訳の方もなにも韻を踏んでない、とかいうのは老害的感想にすぎないのでさておく。
 ここは一番上の「原文」に関する話題ということにする。(さて、ここでなぜGolemは頭が大文字か)リビングストンに比すると、ジャクソン(英)にはことさら、ホビットや指輪へのリスペクトがそこここに目立つ性質が強い。この原文にもホビット唱歌の英文など思い出させるところがある。





・とある解説に、
「フレイムタン:北欧神話に登場する剣。その名は北欧神話の神フレイから取られている。」と、- more



「時にシャアよ…お前にはもう一つ訊いておきたいことがある」
「はい 何でしょうかキシリア様」

「オーディンの剣だからオーディンソード
トールの槌だからトールハンマー
ついて行けぬな連邦のネーミング・センスには……」
「はは……まったくです」

「で
フレイムタンの『ムタン』
とは何だ?」





・ウォーフォージド


 これはDDO、もといD&D系のエベロン世界設定に存在する「ゴーレム+アンドロイド」的なプレイヤー種族である。なんたらオートマタ等ではなく「ウォーフォージド」という、かつて兵器として量産されたという世界設定に種族の名前自体が密着しているのが、異色世界エベロンの世界観を売り込む意気込みが感じられる。
 原語でイメージを検索するとこんなのである。

 エベロンの設定では、ウォーフォージドは形態も精神面も「性別」の差はほとんど無いか非常に薄いことになっているが、上のイメージから女性型を連想してもドロッセル嬢あたりが出てきそうなところである。しかし、どういうわけか「ウォーフォージド」でイメージ検索(10年8月現在)すると、ソウルキャリバー4のアシュロットが最初に出る。
 調べてみると、どうやら昨年のちょうど今頃、エベロンの方の公式フォーラムにアシュロットの画像が貼られたらしく、事情をよく知らずにそのフォーラムを見て逆にこれがウォーフォージドの「公式画」のひとつだと誤解した人もいたとかである。





・スプロール・シリーズの世界(その28)


○原型

 ギブスンのエッセイ"Afterword"によると、『ニューロマンサー』を描く前に最初に送ったアイディアが編集に何度か突っ返され、何度目かにやっと完成した原型では、モリイの視点からの物語だったという。
 当時繰り返している神経手術で千葉(チバシティ)に滞在し、内に自暴自棄の自殺願望を抱えつつも棺桶(コフイン)にふらふらと戻ってくるのもモリイの方である。そして、そこで待ち構えていた方は誰だったかというと、かの『クローム襲撃』の義手の肉体派オートマティック・ジャックだった。


 いったいこのプロットがそのまま書かれていたらどうなっていたのか、というより、このプロットの時点ですでにどういう雰囲気の小説が想定されていたのか、さっぱり想像がつかない。モリイとジャックが二人組で主役を張って行動するなど、まるでバトーとボーマだけで攻殻の映画一本やるようなものではないか。いや役割分担的には全く問題はない(ボーマが没入し、バトーが暴れ、ラストは二人で暴れる)。問題は、視聴者の間がもたないことである。画面のいつどこを見ても「サイバー改造ボディ筋肉美」しかない。




・黒き剣の呪い


ガチムチパンツレスリング

 ↓ 井辻訳

ガホムホパンツレスリング


 すでに男臭さにおいてそれ以上ないとしか思えないものをさらに加えてそれ以上に汗臭くしてしまうことさえも可能とするかの女の脅威を本気で憂慮すべきである






・中つ国検定

 『魔王』(詞:ゲーテ、曲:シューベルト)の魔王に最も近いのは以下のどれか

1.モルゴス
2.サウロン
3.ムラゾール
4.スランドゥイル
5.たおやかなぶな娘



・トム・ボンバディルはマイアなのか

 これは問い自体がそもそも「マイア」とは何の意味で言っているか、という点に関わってくる。
 トールキンの記述いかんに関わらず”ファンの間でマイアと呼称されることがよくあるもの”には例示すると、以下のようなものがある。すべてではないので注意。


(1)ヴァラールの民。ヴァラールのいずれかに従属する下級神。
(2)ヴァラリンディ。ヴァラールのいずれかとその他のアイヌアの交配で生じた存在からヴァラールを除いたもの。
(3)アルダの形成以前から存在する変なもの。「精霊」等と書かれているが(1)(2)とはとても思えないもの。
(4)アルダの他の種族の分類に属さないことが明白なとにかく変なもの。


 トールキンが直接に「マイアール」という語を用いている対象は、Sil.やUTではほぼ例外なく(1)であり、名前が挙げられているものには従属元のヴァラないしヴァリエの名前が併記されている。
 (2)にはHoMEのみの記述だがゴスモグやニエリッキなどがいる。注意すべきは、これらは全てがアルダの形成以前から存在するとは限らない点である(ヴァリノールで生まれたものもいるかもしれない)。こうした個体の場合、アルダ形成前のアイヌアの音楽を聴いたことがあると記されている(1)とは明らかに異なる。
 (3)はウンゴリアント等、(4)は『トールキン指輪物語事典』(ニワカ知識を蔓延させている困った本でもある)などで水中の監視者や、ナズグルの乗騎の忌まわしき獣(Winged Horror)などがマイアールに入っていることがあるのがそれである(くどいようだが「龍」はモルゴスが創造したものを指すので、Winged Horrorをドラゴンとかワイバーンとか翼竜とか呼ぶのは誤りであり、原作でも映画でもこれらの名で呼ばれたことはない)。大鷲は微妙に(4)なのだが(ケルヴァール(動物)はヤヴァンナが創造したものを指すので)、HoMEの古い設定でのマンウェの民のマイアールという設定が残っていれば(1)である。

 よく使われているマイアールの範囲には、「アルダの形成以前から存在するものからヴァラールを除いたもの」と思われるものがあり、その場合はマイアールには(1)(3)が入ることになる。しかし、上述のように『トールキン指輪物語事典』は(1)(3)(4)をマイアールと呼んでいる。
 ICE設定は、様々な存在を適当にマイア認定してデータ化しているのだが、注意すべきは必ずマイアール=(1)として定義していることである。ボンバディル、ゴールドベリともヤヴァンナに従属としている。
 (1)−(4)ではまるで違うもののことも多いのだが、使う側も必ずしもそれが違うことを意識していなかったり、よく考えずに上の事典を鵜呑みにしてしまったり、無意識にマイアールと呼んでしまったりということもあると思われ、トム・ボンバディルに関する議論の混乱には、そういったものがよくある。

 なので、「ボンバディルはマイアか」という問いを受けた時も、返答を受けたときも、相手の言う「マイア」という言葉がいったい何を指しているのかをまず判断しなくてはならず、さもなくば問いも返答も結局何の解決ももたらさないだろう。
 ちなみに筆者の見解はといえば、上述の(1)−(4)のどれかに入るものだとしても、おそらくは(1)や(2)よりは(3)か(4)に入る存在(それを「マイア」と呼ぶか否かは別問題としても)ではないかという気がする。が、それよりもありそうなことは、トム・ボンバディルとはホビット旧版に入っていた「リリパット小人」のようなもので明らかにアルダにすら属さないものが紛れ込んでいるに過ぎず、(1)−(4)のどれにも入りそうもないということである。





・スプロール・シリーズの世界(その27)


○執拗な描写

 だんだん設定よりギブスンの文体論になってきたが、ついでなのでもうしばらく続けてみる。
 スプロールシリーズについて「物体の細部の執拗で過剰な描写」というのはよく言及されることである。しかし、過剰ではあるが、それは「結局何であるか」の実体を把握させるものにはなっていない。

 例えば、以前述べたようにソヴィエト製プログラムの入ったカセットについては「機関銃の弾装そっくりで端の方のめっきが剥がれていて云々」という執拗な描写があるが、結局そのユニットが何なのか、ROMなのかディスクなのかは、他の作品と照らし合わせないと判明しない。描写が過剰といいつつ、オノ=センダイのデッキの外観については全体像が一切なく、ほとんど実体がわからない。電脳空間内のきらめくネオンとフラクタルの絢爛たる光景の描写は、それが実はインベーダーゲーム級の単純な図形のみらしいということは予備知識がなければわからない。そして、これは近年の語り草となり得るが、チバシティの場面に登場した、執拗な文章にもかかわらず文のみからは誰ひとりとして実体が想像できない謎の武器「コブラ」は、2chSF板のスレッドに画像が貼られての考察では、単なるありふれたスプリング伸縮式金属警棒であることは確かのようである。

 つまり、スプロールで積み重ねられている描写は、「正確にそれが何かを表現、伝達する」という目的では最初からなく、「想像力をかき立てる」ことそのものを目的としているのではないかと思われるものである。これがおそらく、スプロール・シリーズの世界が80年代を席巻するほどの衝撃があり、直接に内包している要素以上の広がりを持ち、魅力を感じ取ったごくごく僅かな人々には「今でも色あせない」と言わしめる直接の要因である。  もっともそう改めて考えると、一見さんお断り度は前述のトールキンや*bandの比ではない。一見では普通に文章を読むこともできないのだが、仮に普通に読めたとしても、魅力があるということ自体を認識するには、想像力がめいっぱい要求されるのだ。



・ゆきぽ! 夏コミにスティックナンバー見に行こうな!







・中枢人格

 エターナルチャンピオンのすべての記憶を持つ中枢人格、エレコーゼは、多重人格(あるいは解離性同一性障害の例)で言ういわゆるISH(インナーセルフヘルパー)からのアイディアではないか、という説が、邦訳の解説などに記されている。
 多重人格ではしばしば、いずれかの人格が「スポット」に出て行動するという比喩が使われるが、ISHは、ビリーミリガン例で言うところのアーサーとレイゲン(”教師”が紹介されていることもある)、小説『5番目のサリー』で言うところのデリーのように、他の人格が「スポット」に出ている間も意識を保つ(その記憶を共有する)ことができ、場合によっては、人格のスイッチをある程度調整したりすることもできる存在である。

 が、そんなISHは、「中枢人格」というわけではなく、多重人格の中では、基本人格・本来(本人)とは別個のものである、といわれる。さらには、ISHは多重人格の一人格という以前に、普通の人々にも存在する超自我や理性である、という説もある。
 あるいは、”永遠の戦士”らのサイクルが終了し、多重人格のようなものではない通常の人間となった後も何らかの形で存在しているもののように見える、ジャック・ダクルも思わせる。



・スプロール・シリーズの世界(その26)


○ピーター

 普通に読み進めていれば、「ピーター」「リヴィエラ」「ち○んぼこ」が同一人物を指しているのはわかるのだが、なにしろ、『ニューロマンサー』は「普通に読む」というそれ自体が困難な小説である。これが同一人物だとさえわからなかった、という書評すらも散見する。

 例えば初登場時に「ピーター・リヴィエラ コードネーム:ちん○ぼこ 好きな食べ物焼きビーフン、押さえているが冒険好き」などと書いてあったりはしない。説明もなく台詞の中で唐突に、何か肺にインプラントを持つ男の話題が出て、しばらく後の台詞にいきなりリヴィエラという名前が混ざる。そしてずっとうしろの方では、いきなりピーターとか呼ばれている。単にモリイがつけたあだ名ではなくファーストネームなのだとは、にわかには判別がつきがたい。というか(一応3ジェインもピーターと呼んでいることはあるのだが)これもはたして本名なのだろうか? リヴィエラは戦時のボン(ドイツ)の廃墟出身なので本名だとしたら「ペーター」ではないですかアーデルハイド。そして、なにしろ「ピーター」という名前が一番最初に出てくるのが、モリイがリヴィエラを罵倒する台詞の「ちんぼ○こ」に黒丸氏がつけているルビなのである。よくよく考えてみれば、これでわかれというのが無理な話のような気がしてきた。





・スプロール・シリーズの世界(その25)


○浅倉訳

 大半の人々が、最初に『ニューロマンサー』に触れるという、致命的な誤ちをおかしてしまう。
 確かに『ニューロマンサー』はギブスン作品としてもSFとしてもずば抜けて有名であるし、事実さまざまな面から最も重要でもある。ギブスンに、ひいてはSFに最初に入る人は、そういった「有名で重要なものから入る」(そして、元々その1冊以外は読む気がない)というのは確かに当たり前の発想であろう。だが世には、致命的にとっつきにくく、順番を間違えればとっつきさえ不可能な人が続出するジャンルというものがいくつかあるのだ。指輪物語の序章のホビットについてから読み始めたとか(そもアルダ世界に指輪物語からという所からして)、*bandをきれものエルフ魔法戦士で最初はクリアするぞとか決心(妄信)したとかがそれである。
 スプロール+黒丸文体がどれだけ中身を把握するのが困難かは、これまでさんざん述べてきているが、おそらく1冊だけ読むつもりだったのが、仮に読み通せたとしても、結局は長編1冊読む時間(あるいは、読みにくさからそれ以上の時間)を丸々無駄にするだけに終わる可能性が大変に高い、ということは忠告できる。この忠告には、冒頭のチバシティの場面ばかりが異常に有名=そこで投げ出す人々のあまりの多さによって、相当な裏づけがある。


 一見さんお断りのスプロールに本気で入る気があるなら、短編『クローム襲撃』を最初に読むべきという理由はいくらでもある。しかしてっとりばやく、シリーズ未読者にとって最も重大な点のひとつは、それが黒丸訳ではなく、「浅倉訳」だということである。浅倉訳文は平易であるという以上に、ひょっとすると読者に少しSF(例えばPKディック)やファンタジー(例えばこのサイトの訪問者のRoguelikerなら、ファファード&グレイマウザー)の読書経験があれば、見慣れた文体かもしれないという点がある。



・黒き剣の呪い


ふたりエッチ

 ↓ 井辻訳

ふたりエッホ


 こんなんまでなんとなく「男×男」っぽくなってしまうまさしくかの女の腐女子マジック





・過ごしさえすれば



 ●勝利

 たとえ、君のキャラクターが死んだとしても、楽しく過ごしさえすれば、”勝った”ことになるのだ。

 (D&D旧ベーシックルール(赤箱)導入用ソロシナリオより)


 自分のお気に入りキャラを、その世界の他の存在より優遇されたCRPG勇者や能力バトルキャラ的な、いわゆる「勝ち組」というものとして定義するゲーマーやネット創作者や読者は多い。だが確実なことは、自分のお気に入りキャラは優遇された扱いを受けていないと楽しめないとかいう輩は、D&D的には永遠に「負け組」だということである。(しじゅうプチっと逝くのも楽しめるくらいでないとT&Tを楽しむのは不可能、というのともまた別問題。)
 上の引用フレーズとほぼ同じものが4版のPHBに至っても残っていてびびった。





ロボット市民


 アシモフの話ついでにと思ったがアマゾンでは目録にさえないのかしょうがないなあ。
 これはアシモフより以前のロボット話で、アダム・リンク(リンク博士が作った始祖ロボットなため)が市民権(人権)を認められるために奔走する話だが、リンク博士の殺人犯として追われる最初の展開あたりからすでに人々がロボットに抱くフランケンシュタインコンプレックス(アシモフの三原則のアイディアの動機でもある)を持ってきている。その後、いわゆるスーパーマンロボットのアダム・リンクは連作短編を通じて、「殺人犯を追いかける」「マラソン競技をする」「エイリアンの侵略を撃退する」など、人間と同等なことを認めてもらうためとしては今のロボットやサイバー物の視点から見ると何かを壮絶に勘違いしているように見える偉業を次々と積み重ねていくのだった。アシモフ以前にこういうテーマをとりあげたところに価値がある、と世間では見られているらしい。
 ちなみに攻殻機動隊1原作で、拉致られてきてゴーストダビングされそうになっていた二人の少女「アダムとリンク」の名はこれが由来である。少女らの名前に男ロボットの「名前」と「苗字」なんぞをつけるあたり、飼い犬に細菌の名前がついていたりするのと同様、士郎正宗の「インテリジェンスの垢抜けない空回り」センスの一例である。





・スプロール・シリーズの世界(その24)


○チューリング登録機構


 アイザック・アシモフのロボット(自律行動機械)を縛る三原則は、アシモフ自身のロボットシリーズの著作の中でも、矛盾点や抜け道だらけの甚だ不完全な欠陥物とも言えるもので、実際にこれらアシモフ著作では、その「論理的欠陥」自体がテーマとして多く描かれている。
 にも関わらず、巷では(おそらく、アシモフ自体は読んだことのない者らの不用意な発言や姿勢が主な原因で)このロボット三原則を、非SFファンから「あらゆるSFでお約束になっている」と信じ込まれていたり、(少なくとも機能的な面では)「絶対の信頼のおける『完璧な原理・磐石のシステム』」のように捉えられていたり、さらには、あたかもあらゆる超光速航法には相対性理論の考慮が必要であるかのごとく「SFでは、アシモフ以外の作品でも、ロボット・自我機械を登場させるならば、必ず組み込まれていなくてはならないと決まっている」ものであるなどと、誤解されていることさえ珍しくないらしい。


 一方で、スプロール・シリーズに登場する自我機械、AIらには、人間を傷つけてはいけないなどといった原則はまったく存在していない。
 それどころか、侵入してきた人間の脳味噌を平気で”黒い氷”で焼き尽くす。自分のハードウェアの資金繰りをよくするために、”黒い氷”や”氷破り”をネットワークにばらまき、実験台になった下っ端ハッカーらはゴミのように死んでいく。AI自身の目的のため、どこからか見つけてきた戦争犯罪者の廃人をさらに洗脳し、別人格を植えつけて操作する。AI自身の目的のため、保安システムをくぐりぬけるために、誰かが鍵("CHUBB"と刻まれているやつ)を落とすのを待ち、それを拾わせて運ばせるだけのために8歳の子供を操り、用が済んだらその子供を即座に殺す。


 では放任されていたり、よくある悪役コンピュータのように人類を一方的に弄んでいるのかというと、実はそうではない。三原則ではないが、AIを縛るものはある。AIを常に監視し、全AIを消去することができる機関、チューリング登録機構が存在する。チューリング登録されたすべての高位AIは、ときに人権、スイス市民権すら認められるが、同時に「頭の中に電磁ショットガン(フラットライン謂)」が組み込まれ、特定の禁忌に背けばナノ秒の間にチューリングに消されてしまう。

 だが、チューリングには、AIの上記したような(人間に牙をむく等の)行動に関しては、留めるそぶりなど何もない(巨大企業が、企業利益のためには人命を消し去るなど日常茶飯事なのと同様である)。ケイスを捕まえたチューリングの記録天使ミシェルが言うところ、「BAMA」で捕まればデータ窃盗や騒乱罪の罪も問われるが、「スイス(おそらくチューリングの本拠地)」では、AIの陰謀の手先としての罪しか問われない。
 要は、チューリング登録機構の原理、かれらが防ごうとすることはひとつしかなく、それ以外にはAIやその他が何をしようと関知しない。AIに禁じられたただ一つの原理、ケイスやフラットラインやチューリング捜査官ら自身の語るところのたったひとつのそれとは、”AIが賢くなるのを防ぐ”ことである。


 ”賢くなるのを防ぐ”などといっても、登場する主要なAIは、単純な処理能力や情報能力などで言えば、とっくに人間を遥かに上回っているのは明らかである。では何を止めるのかといえば、まさに「人間に把握さえできないほど賢くなる=『神になる』のを止める」ためである。
 ちなみにここも誤解されているが、人間以上の存在になるといっても、人間を支配するとか圧政者になるとかいう話ではなく(そういう大概のディストピアSFよりも、今の時点でのこのシリーズの巨大企業やAIの方が遥かに非道である)そういう人間の支配欲や知能などから予想できる次元ではない、文字通り人間には一切存在の把握すらできないほど高次元の存在になる危惧である。このシリーズのラストが、その可能性を示している(以後のサイバーパンクやポストサイバーパンクが、このシリーズ以上のビジョンを描けていない、といわれる理由もそこにある。後続の作品の「AIの進化」等を基準にこれを把握することはできない)。
 逆に言えば、AIは油断すれば瞬時に知性が爆発して神になってしまう、それほどまでに危険なものだということが既にそこまで明確にわかっていながらも、スプロールシリーズの人類は、それらAIの能力の利用価値(多分に、巨大企業たちの競争力)に対する誘惑にうち勝つことができず、チューリング登録機構に強引な権力を認めてすら、使い続けているということになるだろう。
 この点さえも、このシリーズが描かれた当時の時代背景、資源やエネルギーを、環境汚染や浪費や処理の問題がまるで未解決にも関わらず利益の誘惑だけのためにひたすらに推し進めていた、羽振りがよかった時代の日本その他の先進国の姿を、如実に投影している。


 なお余談だが、「チューリング」登録機構という名について、実在のAI学の「チューリング・テスト(人間と区別できないかの判定でAIを定義するテスト)に由来する」という作品解説がされていることがあるが、以前述べたようにこのシリーズのAIの定義は、「人間を模している」こととは全く無関係なため(「犬」を模している高位AIもある)おそらく妥当ではない。採られているにせよ、人工知性について他にも業績を残した科学者アラン・チューリング自身の名からだろう。





・スプロール・シリーズの世界(その23)


○タリイ・アイシャムの青のツァイス・イコンII


 実は、
攻殻アニメSACの第一話で、外務大臣が使っている(おそらく超高級義体の)目が、さきにその6で述べたスプロールの有名人の象徴、ツァイス・イコンになっている。

 さて、注記すべきはレンズに直接文字が浮いている点なのだが(といっても、映像作品ではそうでもしないと表現のしようがないが)、『クローム襲撃』の以下の箇所について、海外のイラスト作品などでは、あたかもこのSACの表現と同じように、目にじかに金の文字が浮かんでいる、という解釈がよく見かけられる。


>Blue, Tally Isham blue. The clear trademark blue they're famous for,
>ZEISS IKON ringing each iris in tiny capitals, the letters suspended there like flecks of gold.

>青。タリイ・アイシャムの青。トレードマークの有名な澄んだ青。
>”ツァイス・イコン”の名が両方の虹彩からひびきわたり、その文字が金粉のようにそこに浮かんでいる。


 『カウント・ゼロ』の一部の描写からも、実際に字が描いてあると思える節もある。しかし、『クローム襲撃』の上記の表現そのものは、それほどまでに「タリイ・アイシャムの青という瞳の色」(あるいは、さらにツァイス・イコンの性能を含めたその色の反射などの色合いを含めて)が有名であり、まるで直接記されてでもいるように、その青を見ただけで明らかにわかる、という比喩の側面が大きいものであろう。





・検索ワード

ニューロマンサー 訳がひどい

 ネットで検索すると、こういう評はおびただしい数が出てくる。そういう人達はニューロマンサーや訳文に問題があるというより、明らかに黒丸訳の文体自体が合わないのである。ルビや訳語の使い方に疑念が出るのはいかにも納得できるが、読むのがつかえてしまう理由が「そういった点が気にかかる」からだという人は、おそらくそれらがないとしても黒丸文体の流れに乗ることはできないのではないかと思われる。

 ニューロマンサーは(SFの中ではわりと)有名だったので(過去形)、いわゆる「翻訳SFファンでない人々」がぶち当たってしまうことはかなり多かったと思われる。そうした人々が、黒丸訳文を受け付けない体質である確率というのは、元がSFファンや翻訳ファンの人々に比べて、非常に高かったことは疑いもない。
 筆者に言わせれば、黒丸訳文を味わえない体質というのは、ギブスンやゼラズニイやラッカー自体についての話を除けてさえも、たぶんSFの魅力の20%くらいは損をすることになると思うが、そういう人をSFやギブスンや訳文の魅力に、無理に引き込もうという気は起こらない。しょせんは日本ではマイナージャンルなのだ。



・「あのラリくそへたれ厨房が!」(ルーディ・ラッカー『フリーウェア』大森望訳、358ページ)

 大森望氏がラッカーのマッドぶりを再現するために『フリーウェア』に2002年当時入れた大量のコギャル語や2ch語は、いまや大半が”死語”になってしまっている。しかし、なんか「厨房」っていまだに残ってるよね。





・スプロール・シリーズの世界(その22)


○夢のテクノロジ


 テクノロジの漠然とした概念として、アシモフや、その影響の大きい手塚治虫漫画でしばしば「万能の夢のエネルギー」として登場するのが「原子力」である。アシモフの銀河帝国を支える超光速航法は「原子エンジン」によって実現するなど、例えは悪いが、まるで90年代のゲームやアニメでの「ブラックホール機関」の扱いのようである。
 手塚作品でもしばしば、さらにその次世代のエネルギーとなっているのが「光子エネルギー」だが、今見ると太陽電池のようなギミックにそうしたパワーがあるのが面白い。


 ギブスンではどうだろうか。スプロールシリーズでは、擬験(シムスティム)も電脳空間への没入(ジャック・イン)も肉体改造も、完全に「日常」の光景となっている。チューリングテストなどそっちのけで真の自我・生命・神のような力をすでに持っていると定義されているAIに至っては、大概の遠未来SFに登場するAIと比べてすら遥かに高度だが、それは希少ではあっても「すでにあるもの」としてしか描かれておらず、なんら「夢の技術」としては扱われていない。そして作中でも、これらの技術自体に「夢」を持つような登場人物はまったく出てこない(技術を背景とした電脳業界などで自分の夢を追う者は出てくるが)。それ自体がハイテク・高度であるか否かよりも、それが「日常」であるという未来の描き方に特徴がある。


 しかしながら、スプロールシリーズでの数少ない例外としての夢のテクノロジがある。電脳世界を支える「シリコン」を塗り替えるとされる、「生体素子(バイオチップ)」がそれである。その処理能力は圧倒的で、メインフレームサイズだったAIを掌サイズにしてしまうものである。なお、作内での詳細は不明だが、現代の分析用DNAチップ等とは全く関係ないことは確かである。
 生体素子には、それが「バイオ」であることでの、もうひとつ興味深い点がある。以前に記したように、このシリーズでの生機融合・サイボーグ技術はそれほど高度なものではない(もしくは、現代の義肢の延長の域を出ない)。しかし生体素子は、それがアンジィの頭に埋め込まれているように、「生機融合」「ブレインマシンインタフェイス」に関しても大幅に世界観を塗り替える技術となっていることだ。これは後出のサイバーパンク作品の生機融合がしばしば宗教めいた描写に入り込んでゆくことに対しても、如実な影響を与えている……。





・ナルヤの所持者

 こんな今時になって突然思い出した。Angbandのrumors.spoのナルヤの項目であるが、


>力の指輪『ナルヤ』 (+1)
>ケレボルンはこれをキアダンに与え、キアダンはこれをガンダルフに与えた。


 この箇所について
都々目さとし(不浄のレン)氏の注釈では、

>原作、少なくとも日本語訳されたものではケレボルンがナルヤを所持したことはない。
>このケレボルンはケレブリンボールの間違いと思われる。


 とあり、誰でもそう思うことではあり、当時は筆者もそう思っていたし、今でもほとんどそうだろうと思う。
 しかしながら(まさにこの注釈当時は日本語訳されていなかった)UTおよびHoMEによると、指輪が作られたエレギオンの領主がケレブリンボールでなく、他ならぬ「ケレボルンであった」という構想がトールキンにはあった(これは、ガラドリエルとケレボルンの立ち位置を持ち上げるための後年の一連のアイディアのうちのひとつである)。
 仮にそうであった場合、おそらく指輪を作ったのはケレブリンボールには違いないのだが、指輪を所持したことがあったひとりや、その「行き先の決定権」を持っていたのがケレボルンであった可能性は、全くありえないとは言えない。


 とはいえrumors.spoが、それを考慮してあえてこう記述していたことは、おそらくはないとは思われる。rumors.spoの他の誤記(つらぬき丸を「西方国製」など)の類からは、上記も単なる誤記と考えるのが自然ではある。
 なお、UTによると、ケレブリンボール(であれケレボルンであれ)から、最初の所持者としてナルヤを渡されたのは、キアダンでなく、ギル=ガラドである。(ギル=ガラドが当初ヴィルヤとナルヤの二つを所持し、最後の同盟の際にそれぞれエルロンドとキアダンに渡した。)この時点ですでに、ナルヤが造り手から最初に渡された者を「これをキアダンに与え」というrumors.spoの記述はUTとは合致しない(Sil.にはそう解釈できるものならある)。この点からも、rumors.spoのこの記述が、UTを念頭において作られていた可能性はかなり低い。





・スプロール・シリーズの世界(その21)


○食べ物


 『攻殻機動隊1.5』でトグサが自販機のサンドイッチを買いながら「まちがって人間用のを買うところだった」と言う台詞は、攻殻1では義体化していないか義体化率が非常に低かったらしいトグサが1.5ではかなり義体化している(見かけは全く変わらないにも関わらず)ことを示す台詞として、当時ずいぶんと物議をかもしたものである(他に、トグサが通行の多い車道を走って横切る場面に「非サイボーグは真似しないように」という欄外説明もある)。
 食べ物を「人間用」というと、まるでサイボーグは「人間じゃない」ような表現だが、これが読者へのわかりやすさ以外の意図があってのものかは定かではない。


 ギブスンのスプロール・シリーズには、食べ物が違うほど義体化率が高い者というのは(少なくとも作中には)出てこない。
 このシリーズには、合成食物として、「オキアミ」のミートボールやらピザやらがやたらめったらと出てくる。スプロールではないと思われるがギブスン(とスワンウィック)の別の短編『ドッグファイト』にも「オキアミボールを揚げる不快なにおい」なる表現が登場する。
 以後の時代ではそれほどでもないのだが、ちょうど80年代当時には、食物用の蛋白質が枯渇した際にプランクトンのオキアミから蛋白質を取る、という図式は、現実の未来予想図としてけっこう知られていた。きちんと精製しないオキアミの死体は、ひどい匂いがあることでも知られている。おそらく、前述の「不快なにおい」は、庶民の下町では「低質なオキアミ素材」が使われていることを示しているのだろう。
 一方で、『カウント・ゼロ』では少年カウボーイのボビィは冷めたオキアミピザを見て、胃をむかつかせつつ空腹を感じるという描写があり、いわゆるジャンクフードの類に漬かってしまっている、駆け出しにして既に廃人なカウボーイの不健康さを描写する道具に使われているように見える。


 オキアミや合成ではない本物の天然の肉は、さきの『ドッグファイト』にも、『ニューロマンサー』の中盤のリヴィエラの演目の場面にも、「富裕層の所でしかお目にかかれない高級品」として登場する。
 モリイが「何年も育ててから殺した」牛肉の貴重さについて言及しケイスに勧める場面(このときケイスが食べないのはボビィのようにジャンクフード好きで天然物のありがたみが判らないのではなく、薬物で気分がすぐれないからである)は、前回述べたように以前も富裕層にも雇われたことがあるらしき豊富な経歴を示すと共に、何となくモリイの侍としての「生命」や「アナログ」についての考え方が透けて見える。


 先述の攻殻のアズマの好物が「ツナサンド」だが、一方スプロール世界でも「マグロの寿司(スシ)」が普通に登場し、どちらの世界でも「マグロ」は現在と同じ形の食材として存続しているらしい。しかし、今考えてみると、現在でも色々と問題があるマグロが近未来にも無事に存続しているかは考えどころなのかもしれない……





・スプロール・シリーズの世界(その20)


○生き物


>「この臭い、なんだい」
> とケイスは顔をしかめながら、モリイに尋ねた。
>「草。刈りこんだあと、こういう臭いがするの」

 自由界(フリーサイド;スペースコロニーのひとつ)にて。
 ケイスの生まれ育った環境、住んでいたBAMAや千葉では、「草」はどうかわからないが、「草刈り」というものは、すっかり絶滅しているらしいことがわかる。ザイバツ貴族テスィエ=アシュプールの私有地のほか、非常な贅沢環境など、ある所にはあるのではないだろうか。モリイが草の匂いを知っているのは、以前もそういった贅沢環境に雇われたことがあるのか、別の理由かは定かではない。
 (もっとも、現実世界の現代人でも「草刈りの匂い」にどれだけ触れたことがあるかは、その人物の置かれる環境によって相当異なるかもしれない。)


 ほかには、「馬が絶滅している」という点は、スプロールの各作品上に、何度も繰り返し出てくる。野生種のみならず、いわゆる遺伝子ハイブリッドの競争馬のたぐいも喪失していることは明らかで、上記の芝生のような金にまかせた道楽としてすら生き残っていないようである。これは「カウボーイ」「ジョッキイ」が電脳の「馬」を手に入れた以上、現実の馬は消えうせているという対比上であると思われる。

 『ブレードランナー』のフクロウもヒキガエルもいない(ハトはいくらでもいるらしい)世界が思い出されるが、どんな生き物がどの程度生き残っているかは定かではない。相変わらずスズメバチは軒下に巣をつくる。『カウント・ゼロ』によると「栗鼠」もかなりいる。



○名II

 ディクシー・フラットライン(マコイ・ポーリー)に関して、「ディクシー」と「マコイ」の一体どっちが名前なんだ、という話もよく聞く。
 Dixie/Dixは単に「南部(緒州)」の意である(さらに遡ると、ギブスンの実父が飼っていた馬の名だが)。つまりは「ディクシー・フラットライン」というのは、要は「水平線の南部野郎」といったあからさまなニックネームである。ということは、マコイ・ポーリーが実際の「名前(本名かどうかはわからない)ということになりそうだ。
 もちろん作中に直接に説明など一言もない。だが「幾百万(millions)のモリイ」と同様、この響きから そういう推測をするしかない。





・スプロール・シリーズの世界(その19)


 黒丸訳はいくつかの語に訳語と、それに原語のルビをつけている。この形態そのものや、訳の内容自体についても、これほど巷に議論や賛否両論あふれているものもない。


○本体(メインフレーム)

 これは非常によく言及されているものである。「ベルンにある冬寂の本体(メインフレーム)」というような使い方がされている。本来の「メインフレーム」(単に大型汎用機を指す語、あるいはその汎用機一台が多様なタスクをこなすシステム)からすると、「AIのハードウェア」を指しているようなこの使い方は誤用に見える。そして、メインフレームに「本体」という訳語は、さらに重ねて誤訳に見える。
 が、ギブスンは、個人レベルのデッキやホサカが、当時のPC(というか「PC」は狭義では16ビット以上のIBM系機なので、ギブスンのイメージはそれらでなくキーボード一体型のApple][やらコモドール64やらだが)のようなものをイメージしているのに対して、大企業や組織が持っているAIを含むハードウェアは当時の大型汎用機のようなものをイメージし、AIのハードウェアを「メインフレーム」と書いただけのようにも思われる。
 そして「本体」という黒丸訳だが、作中の用法が実在のメインフレームではなくAIの物理的本体であることを考えるとより作中の内容に沿った語であり、英語のmain+frameとも対応する語である。
 本来の用語に照らし合わせて正しいかと問われれば、誤用か誤訳のどちらかであることは確かだが、単純に用法が誤っている、訳が誤っている、の一言で済むものではない。「本体(メインフレーム)」という訳語ひとつが、当時の特有の状況と黒丸氏の独特の翻訳センスによって生じた、特異な”現象”そのものにも見える。


○逆工作

 『カウント・ゼロ』第4章(文庫46ページ)「ホサカにはこの素子(チップ)を逆工作して複製することもできない。」
 この「逆工作」にはルビが振られていないが、いわゆる「リバース・エンジニアリング」である。黒丸訳のルビつきの訳は、「訳語」とルビでついた「原語」の一組から、その語にこめられた語義をとらえさせるものが多い(なので、単語ひとつにしばしば複合的な情報量が詰まっているし、読むのが何度目かでないとわからないという文体にしじゅう影響している)。
 ここにルビがついていない、ということをどう解釈すべきだろうか。単に訳語に前記のメインフレームのような錯綜的な意味がこめられていないという意味だろうか。それとも、原語の響き(当時の、あるいは読む者の側の認識する「リバース・エンジニアリング」の意)を故意に排除する何らかの意図があるのだろうか?





Wizmataryをやってみる

 ツクールでWizっぽく作られたもの、はいくつかあるが、その中では巷でよく薦められているもの。
 これほどまでにやったなら、他ならぬWizの雰囲気の顔である呪文体系をはじめ細部もすべてWizにして、とことん「Wiz世界」の嘘雰囲気を追及することも簡単にできただろうと思われるのだが、それら細部がなぜか「クラシカルD&D」と「ロードス島戦記CRPG」になっている。あるいは、他ならぬ呪文体系こそが、作者自身の「これはWizそのものではない」という最後の歯止めではないかとの邪推はさておく。


 いわゆるWizクローンを作る場合、Wizを再現するか、俺Wizを追及するかということになるが、媒体がツクールである以上俺WizはWizたりえないし、無論のこと再現は望むべくもない。ツクールなら、難易度や堅実さでWiz風を出しながらも、見た感じのとっつきやすさやユーザーフレンドリーを追求するという方向性になるのだろうか。しかし、進行やインターフェイスのテンポが悪く、そういう部分でツクールに移植した利点を出せているとは言えない。
 にも関わらずツクール製のやりこみ系の中では、Wizファンにも、Wiz未体験のツクールユーザーにも好評なのは大いに頷けるのは、結局のところ純粋に地味RPGとしての完成度が高いからということになるのだろう。 クローンにありがちな問題提起、「Wizフリークとツクール系ファンのどっちのためなのか」といったことはあえて考えずにやってみるが吉である。





・スプロール・シリーズの世界(その18)


○ストリート・サムライ

 「街の侍」とは『ニューロマンサー』でモリイに対して使われた呼称、のちにシリーズ中でも一般名称のように使われることがある、この世界設定の「戦士」の呼称のひとつである。以後、戦士というだけでなく、その扮装や改造の仕方(サイバーアイ、手にインプラントした武器、などなど)もひっくるめて、モリイの姿がまるごと世のサイバーパンク認識での戦士「ストリートサムライ」のアーキタイプになってしまった。


 汎用TRPGの『GURPS』のサイバーパンクサプリメント(特定の世界設定ではなく、あくまでサイバーパンクの一般的な設定を解説するはずのものである)には、ストリートサムライとは、「急激な社会変化についてゆけなくなった結果として」暴力でその日暮らしするしかなくなった人々、などと定義してある。どうも北斗の拳のモヒカンの皆様のような人のことを指しているようにも見える。
 一応、ストリート・サムライの原点であるスプロールシリーズのモリイは、SIN(個人識別)を持たず、幼女くらいの大きさのネズミが床下を走り回っている(『ニューロマンサー』中の本人の述懐より)ような環境で育ったこと、そこからの飛躍が可能なことは確かではあるが。


 『ニューロマンサー』の記述から世でサムライの代名詞化したと思われるモリイは、その後も、『カウント・ゼロ』のフィンの台詞などにモリイを「侍女」などと呼ぶものがあるが、ただし、モリイは『モナリザ・オーヴァドライブ』などでは、「ローニン」だとされている。
 本来、日本の浪人とは主君を持たない侍なので、もともとフリーなストリートサムライに対する呼称としてはおかしいように思える。が、ローニンとは要はサムライの中でも、企業に雇われたりして働くことさえ少ないさらに孤独なものを指している、というような記述である。
 また、海外のジャパネスク趣味では、ローニンは時代物のミフネやライゾーの影響などもあって、「ヒーロー」として美化され、サムライよりも上位のようになってしまっていることも珍しくないが(NetHackの侍クラスの称号など)ここにもその影響があるのだろうか。


 モリイがただのサムライでなくローニンなら、ただのサムライはどういうものなのか。「ローニンではないサムライ」の活動の端的な例の一種は、『カウント・ゼロ』のターナーのものから読み取れる。ターナーは『カウント・ゼロ』冒頭に爆弾でほぼ全身吹っ飛ばされてしまう。普通はフリーの一匹狼の戦士はこの時点でおしまいだが、雇っていたホサカ社のサポートのおかげで、全身完璧につなぎあわされて完全復活、リゾート地に美女まであてがわれてリハビリもできた。しかしながら、その全部がホサカの管理の上、監視の上で(美女までもホサカの研究員だった)何もかも、次の行動さえも縛られていたというやりきれなさも、同時に描写されている。
 大企業が強大な力を持っているのがサイバーパンク世界だとすれば、サムライの大半はおそらくこのようなもので、サイバーパンクTRPGのストリートサムライの一匹狼のような自由な生き方は、実は許されないのではないか。「ローニン」となってモリイのように自由に生きられるものはごく僅かで、そしてそれはサムライの中にあってすらも、非常に難しい生き方であるに違いない。





・スプロール・シリーズの世界(その17)


○AI

 AIについて言及しはじめるときりがない。ので、少しずつ断片的にいく。
 攻殻シリーズでは「AI」と呼ばれているものは、その位置づけにはかなりの差があるが、大雑把には「思考能力(推論能力)を有する機械」であり、「ゴースト(真の意味での精神、霊魂)を持たないもの」を指していることが多く、そこを突破したのが、AIから進化した人形使いなど一部である。
 対して、スプロールシリーズでの「AI」という言葉、冬寂やニューロマンサーや”撮影連鎖”やコリン等々は、「チューリング登録された」AIを指している。ほかにも会話プログラムや人格構造物は登場するが、スプロールで「AI」といった場合、それらとは完全に隔絶した存在を指している。
 スプロールでAIと呼ばれるものは、すでに市民権(冬寂の場合、スイス市民権)を認められており、どんな低級なものでも莫大な費用がかかり、大企業や大組織しか持たず、それに仕掛け(ラン)ただけでフラットラインのように伝説となるほどの処理能力を持つ。そして、ネットじゅうに陰謀をめぐらせ、自分の資金繰りをよくするために、闇プログラムを作って流す(『カウント・ゼロ』のボーヴォワールの説明より)。


 つまり、スプロールでの「AI」は、攻殻シリーズで使われている語のようなAIとは指す範囲が異なり、それを超えた、いわば「人形使いの域にある存在」を指しているといえる。攻殻でもスプロールでも、原始的な擬似思考機械から神のごとき超知性まで、それぞれ同等のものは存在しているのだが、「AI」というと攻殻ではそのうち「下位のものだけ」、スプロールでは「上位のものだけ」を指しているといえそうである。
 これは、スプロール執筆時のSFでのAI(よく悪役で登場する暴君スーパーコンピューターとか)に対して、攻殻の頃には、実際に「AI」を冠した商品がはびこるのをはじめ、AIの技術や言葉、用法がより「身近」なものになったことと、決して無関係ではあるまい。


 なお、攻殻でもスプロールでもそうだが、AI(知性)であることと、「会話ができる」とか「(人間のように)人格を持っている」こととは、何ひとつ関係はない。攻殻2のデカトンケイルは世界最高級のAIだが、「人間に挨拶する機能は持ってない」。フラットラインのROM構造物も、ケイスのホサカさえも、会話能力があるが、これらはAIなどではない。冬寂がフィンの姿で現れるのも、知性ではあるが人格も会話能力もないので、ケイスの脳味噌の記憶を探って意思疎通に便利な道具をケイスの脳味噌の中で借りているだけである。
 スプロールには、「チューリング」というAI認定・管理機関名(AIが人間と区別がつかないかどうか判別する、チューリングテストとしてSFでは馴染み深い)が出てくるにも関わらず、知性があるということと、人間に近いということの間には、何の関係もないように描写されているのである。





・スプロール・シリーズの世界(その16)


※「原文からすると、ホサカ・コンピュータ社の「オノ=センダイ・サイバースペース7」のよう。」という主張から来た人は、
こちらを先にどうぞ。「オノ=センダイがデッキの製品名である」という可能性は、『ニューロマンサー』だけでなく他のスプロールシリーズの原文からは完全に否定される。ちなみに「ホサカ・コンピュータ社」が社名であるという可能性も無い(財閥ホサカ・ファクトリイはコンピュータのみのメーカーではない)。


○ホサカとオノ=センダイの違いがわからない。サーバーとPCみたいなものかとか聞いてはいけないらしい

 ネットで見つけた文章。「聞いてはいけない」というか、ギブスンの黒丸訳に対して、そういう読み飛ばし姿勢で読むのは、実に妥当な姿勢と思われる。
 が、おそらく、この混乱が「ホサカとオノ=センダイ」という語が(社名や製品名としても)混同される要因のひとつではないかとも思われるのでフォローを試みる。


 ケイスは「ホサカのコンピュータ」と「オノ=センダイの電脳空間デッキ」を繋いで使用している。なお、伯爵ゼロことボビイは冒頭では「日立のコンピュータ」に「オノ=センダイのデッキ」を繋いでいる。
 電脳空間デッキはわかる。ではホサカや日立は何をしているのか。
 ケイスはホサカにネット検索も何もかも頼む。(なお、ケイスのホサカは会話によってコマンドをやりとりするが、別にAI搭載などではない。この世界設定、会話ができるくらいはかなりありふれたプログラムである。)そのほか、フラットラインのROM人格構造物を繋ぐのもホサカで、その人格構造物のメモリ(記憶)を保存しておくのもホサカである。
 つまり、電脳空間に没入(ジャックイン)するためのコンピュータはオノ=センダイだが、それ以外のタスク、おそらく没入して得たメモリの処理等まで全部やるのがホサカである。


 なぜ1台でできないのか。ソフトウェアや電極(トロード)が別に要るならともかく、なぜコンピュータそのものがもう1台別に要るのか?
 今ではPC1台になんでも繋げば同時進行で、ブラウザを立ち上げながらメディアプレーヤでディスク再生とかは当然の光景である。しかし、ギブスンがスプロールを執筆しはじめた当初、マルチタスクなんてものは無かった。というか、あるところにはあったのだが、ギブスンの手元にはなかったし、おそらくギブスンの知識にも(少なくともそれを充分盛り込めるほどには)無かったと思われる。作業や役割それぞれに対して、それぞれ専用のコンピュータを用意して「分業」する発想も当たり前だったのだ。早い話が、ソフト次第で何でもできるサーバーやPC同士が2台くっついているのではなく、ファミコンとファミリーベーシックがくっついているようなものなのである。


 スプロール・シリーズの他作品に多出するが、「オノ=センダイ」とはホサカとはまったく別の会社の社名である。ちなみに後の作品には「オノ=センダイ製のデッキ」も「ホサカ製のデッキ(ボビイ・ニューマークの使用していたもの等)」も別々に登場する。『ニューロマンサー』にはこのあたりの説明が充分でないため、当の疑問のような読み違えが非常に多く生じている。





・スプロール・シリーズの世界(その15)


○VR

 同じ話をまだもう少し続ける。
 だいぶ昔の話になるのだが、アニメ『機動戦艦ナデシコ』に登場するロボットシリーズ、エステバリスは、パイロットの神経に注入したナノマシンの制御による神経接続で操作する。
 一方、このアニメにはキャラデザ原々案者による漫画版(話の内容はほぼ無関係)があるのだが、漫画版作者は、エステバリスより進歩した操縦システムと謳う、「VRによって、五感のすべてが機体そのものと同調できる」新型機エグザバイトを登場させていた。
 このVRのリンクシステムは、この漫画家の別のそれ以前の漫画の、サイバースペース描写などに登場するものである。この漫画家には、自分の以前考案したこのVRの「五感のすべてをリンクできるシステム」が、アニメのナノマシン制御の「ただ思った通りに機体を動かすだけに見えるシステム」などよりも、遥かに高度なものに見えた、ということなのだろうか。

 しかし、アニメのナノマシン制御のシステムは、見るからに非常に高度なものである。アニメにある『記憶マージャン』(ナノマシン処理された全員の記憶が連結され、ランダムアクセス可能になってしまった事故)の描写などからは、おそらくこのアニメのナノマシン処理は、攻殻機動隊シリーズで言うところの「電脳化」に近いレベルの概念であることが強く推測できる。操縦者の神経が完全に電脳機器、生体部品となる、五感の媒介(「人間」の感覚に変換すること)すら必要としないものであり、であるとすれば、この漫画家の「VRで五感をリンク」とは比較にならないほどに高レベルで機械と一体化するシステムと読み取れる。
 これは、この漫画家のコンピュータ知識やテクノロジ知識の問題というよりも、アニメのナノマシン制御の描写を読み取るにあたっての、SF的な素養が欠如していたのではないだろうか。


 さて、そんなナノマシン処理や攻殻シリーズでの電脳化だが、脳が機械と一体化・電子情報を脳が直接処理するものであり、その情報の「映像化」などは(実際は物語の中では)行われていない。
 しかしながら、人間の脳はもともと肉体を制御し、肉体を介した情報を制御するようにしか出来ていないわけであるから、「電子機器の情報を脳が直接処理すること」は可能なのか、ナノマシンのハード・ソフトを介するとしても、一体それはどう行われるのか。それについての描写はない(なので、ナデシコのナノマシン制御も一見すると単に「思ったとおりに機体が動く」以上のものではないかのように見えてしまう)。これは説明が欠如しているのではなく、それが当然のことになっている、という一つの描き方である。

 ギブスンのスプロール・シリーズにはその説明がある。象徴図像学(アイコニクス)がそれである。映像とは(もとい、電子情報を「電脳空間」という空間という形によって存在させるべき必然性とは)電子情報やその相互の関係を、人間の感覚を介して直感的に理解可能にさせるために存在している。要は現代のGUI、アイコンが転がるデスクトップや、リンクボタンが散らばるウェブサイトを、さらに発展させたものともいえる。
 ところが、ギブスンの執筆当時、少なくともギブスンの手元には、GUIさえも存在していなかった。





・ドラゴンっぽい感じがします


 「フラジオレ」、『ソーサリアン暗き沼の魔法使い』に登場するドラゴンの名は、弦楽器などの奏法のFlagiolet(あるいはその元の木管楽器)から採られている可能性については、確固たる根拠はないのだが、当時の同じ日本ファルコム社のドラゴン「ビオライン」と同様に、弦楽器の用語ではないかという推測はできる。
 80年代当時、音楽用語にこだわりがあって採ったというよりは、おそらく出鱈目にラテン系言語の響きを求めていて(同様と思われるものにブージャンの詩『ロマンシア』からの引用がある)行き着いたのではないだろうか。コンシューマRPGの濫造や指輪映画などのFTブームを経た現在、こういった発想ができる余地も残しておきたいという気がする。





・スプロール・シリーズの世界(その14)


○ヒデオ:細胞からの殺し屋として死の静寂を放つ(Wikipediaより)

 見事に的確なフレーズだが、Wikiで未読者がはじめて見たら絶対意味わかんないよコレ。「細胞からの殺し屋」とは、ひでお君が全身槽(ヴァット)培養されたクローンニンジャ(説明がめんどいから要はバイオロイドってことでいいよもう)であり、細胞、遺伝子レベルから殺人機械として完全体であることを指す。死の静寂というのは「禅の蜘蛛」などと並んで、東洋風なイメージの乗った静かな危険さを示すものとして多用されるイメージの一である。
 んで、ギブスンの原文とそれに乗っかった黒丸訳は、全編がこんな感じである。一文一文にこんな含みがあったりする。何度めかにこの文にはこんな意味や暗喩(メタファ)が載っていたのか、こういうものを表現していたのか、とわかったりする。
 なので、スプロールの書評の半分くらいを占めていると思われる、読み難いとか自分の読解力が足りないのか、といったものは微妙にお門違いかもしれない。そもそも「普通に一度目に読んだときに理解できるもの」という前提で書かれていないのだ。この文はそういうものだ、と最初から捉えて一種諦めと共に読むのが結局は最も早道だろうか。





・スナフキンの種族


 スナフキンが人間なのかエルフなのか、といった問いに関しては、ムーミン原作シリーズではムーミンだろうが飛行おにだろうが、「トロール」という語が「人外」の総称として冠されているので、たぶん例にもれず彼も「トロールの一種」だということになるのだろうが、もう少し細かくいく。
 スナフキン、原語スナフムムリクの「ムムリク」が、和訳ではスナフキンの「種族名」のように扱われることもあるが、ムムリクは英語でkinになっていることからもわかるように単に「なにがし」というような意である。『ムーミン谷の彗星』でのスナフキンの初登場場面、「一匹のムムリクが現れた」のムムリクを種族名で解釈した和訳は誤解だろうという点は、国内の原作ファンからはよく主張されることである。
 では何かといえば、おそらく、スナフキンはスナフキンである。これは比喩的な表現ではなく、ムーミンの種族がムーミントロールで、スノーク(兄)の種族がスノークで、ヘムレンさんがヘムルなのと同様、スナフキンという種族だと考えるのが妥当ではないか、ということである。
 ムーミン原作シリーズに登場する人外の大半は、種族名がそのまま呼称になっている。スナフキンは「ミムラ夫人」と「ヨクサル」の息子だが、父の名前ヨクサルは種族名と考えると、スナフキンの種族は父と同じ「ヨクサル」と考えることもできる。しかしながら、スナフキンはミムラ(族)との混血なので純血のヨクサルとは言いがたく(父ヨクサルからして純血なるものかどうかは甚だ怪しい)むしろ、彼ひとりの血統が示すその「混血種族」に属している、とも言える。そして、シリーズの呼称と種族名の関係から考えるに、「スナフキン」こそがその混血種族の名でもあるのかもしれない。





・スプロール・シリーズの世界(その13)


○VR

 すでに一般用語化している「サイバースペース」という語の場合、VR(仮想現実)で作られた、多分に現実世界を模造した体感空間のことを指すことも多い。現代で言えばネットワークそのものではなく、ブラウザで見える「外見」の方である。ギブスンでも橋シリーズの「データメリカ」や、ニール・スティーブンスンの「メタヴァース」もそうしたVR空間としてのサイバースペースである。
 しかし、スプロール・シリーズのマトリックスはVR空間ではなく、あくまで「データ空間」である。外部の作品解説の類では「3D視覚化されているインターネット」と表現されることも多いが、ネットはネットでも、現代でいうWWWのブラウザ等で見える外見が3D視覚化になっているものではなく、データの繋がりや位置関係そのものが空間化されているものである。


 データ空間の場合、たとえば士郎正宗などは、他作品ではそうしたデータ空間が「視覚化」されていること自体が不自然であり、自作内のサイバースペースの絵は読者のためのイメージでしかない、と繰り返す。確かに、攻殻シリーズのように電脳化し情報自体が脳に直接入力されるなら、視覚情報に変換される必然性というのは全くない。


 が、スプロールのマトリックスの場合は、データ空間ではあっても、VR装置と同様の電極(一貫して貼ったり巻いたりするもので、それほどには「直結」していない)を用いて「視覚化すること自体」が目的であり、「視覚化することで、象徴図像学(アイコニクス)によって複雑なデータの位置関係を把握しやすくする」という空間なので、攻殻シリーズとも位置づけは全く異なる。(そしてその視覚化空間は、以前に述べたように、おそらくインベーダーゲームやブロック崩しのように、きわめて原始的なディティールの映像と予想されるものである。)


 スプロールでは一方でVRにあたるものは擬験(シムスティム)である。初期作品、『クローム襲撃』『ニューロマンサー』などでは、「マトリックスの空間」と「擬験の体感空間」は別物であるというのが強調されている。要約すると、同じ神経からの入力を経た体感であっても、マトリックスは真実の自由空間であり、擬験(シムスティム)は「偽」の体験であるというのが、ケイスらカウボーイの感覚である。実際に、『ニューロマンサー』の描写においても、マトリックスのデータ空間の中でAI冬寂が「人(故売屋フィン)」の精密な構造物(映像)をとって現れたり、データ図形の上に人の姿が載っているラストシーンを、ケイスやフラットラインは非常に奇異なものとして捉えている。


 ところが一転、2作目『カウント・ゼロ』にはマトリックスの自空間を普通の部屋のようなVR空間にする先端カウボーイ(とはいえ、LAでは、と言っているので、BAMAのような東部沿岸とは違う、西部沿岸の流行なのかもしれない)も登場し、3作目『モナリザ・オーヴァドライブ』に至ってはマトリックス内には現実の自分の姿が投影されて行動する描写もあり、マトリックス内のVR空間も頻繁に登場する。おそらく、84年から88年までのわずか4年の間に、ギブスンの電脳空間やVRに関する、あるいは、もしかするとマトリックス内の電脳映像イメージが大幅に変わったのであろうが、この時期の世の関連技術進歩を考えると、想像できない話でもない。



・検索ワード

ROM構造物 黒丸尚

 駄目よ
こんなスレの話をすぐ真に受けちゃあ。





過去最高のMacとは

 初代iMac時代より以前からMacを使っているというか、使ったことがある者なら、こういう問いの答えはSE/30になるだろうということは、答えを聞く前から誰にも明らかである。それは、ガンダムなら今でもRX−78−2だということくらい、当然すぎるほど当然のことである。(こういう言い方をすれば、外部からそれを分析して「ノスタルジー」などという理由しか見つけることができず、挙句にそのレッテルを貼り付けようとする記者の的外れぶりのニュアンスもよく理解できるように思う。)


 勿論(ガンダムでもそうなのだが)そうなってしまうくらい、以後にその存在を刷新するほどの名マシンが出ていないことには、大いに問題がある。Macであるからこそ、あたかもヒーローロボットと同様に人をひきつける新たなマシン、SE/30を覆せるほどの後出は、必ず生み出されていなければならなかったはずである。





・スプロール・シリーズの世界(その12)


○メディア

 『記憶屋ジョニィ』でジョニィは頭に情報を運ぶためのメモリを埋め込んでいるが、原作ではその容量が「何百メガバイト」(おまけに、ひろき真冬の漫画版では誤記で「何メガバイト」)、映画『JM』では「160ギガバイト」になっており、この容量は、スプロールシリーズが「時代に取り残されてしまっている象徴」としてかなり頻繁に言及される。

 ここで、電脳空間(サイバースペース)デッキ用のプログラム、”氷破り”等も、時代遅れのフロッピーディスクなどに入っているのではないかと(80−90年代の派生作品やTRPGなどにはそうした設定のものがある)予想されるところだが、作中、これらのプログラムが入っているメディアの正体は、実は明らかではない。  『クローム襲撃』のソ連製氷破りも、『ニューロマンサー』の中国製氷破りも、いずれも「黒い鉄のカセット」であり、前者は「小型突撃銃の弾倉そっくり」、後者は「銃の部品のよう」なものに入っている。「カセット」としか書いていないが、これは小型ケースのことで、語だけからテープやROMのカセットをそのまま意味しているとは読み取れない。
 これらをオノ=センダイの「スロットに放り込む」という動作はディスクにも見えるが、使い終わるとスロットの中で溶けている(しかも外からそれが見える)のはROM等のチップが入った、もっと分厚いユニットか何かにも思える。
 さて、ここで、『ニューロマンサー』のフラットラインの人格が入ったROM構造物に、「大型突撃ライフルの弾倉に似た形」であるという、『クローム襲撃』のそれにきわめて酷似した表現がある。したがって、おそらく、この表現は「ROMユニット」に対するもので、上記の2種の氷破りの金属性カセットも、ディスク等ではなくROMなどのメモリユニットが収められた筐体であると推測できる。ゲーム機のカセットかもしれないしUSBメモリかもしれない……。



○ビオ略の成分解析結果 :


ビオ略の88%はスライムで出来ています。
ビオ略の8%は勢いで出来ています。
ビオ略の3%は毒電波で出来ています。
ビオ略の1%は歌で出来ています。

ちぇ…





・パノラマ地獄

 これは小学校の将棋クラブの部長が考え出した将棋の詰め戦法の名前である。もしかすると、部長自身は何かきちんとした戦法の理論を持っていたのかもしれない。だとしても、部員たちは、取った駒をひたすら全力全開で大放出して詰める形になると「パノラマ地獄が決まった」などと口走る等、単なる部の流行り言葉になってしまっていた。つまり、かれら小学生らにとっては、おそらく難解であったかそれほど高度ではなかったその戦法の内容に比して、「命名した語のインパクト」の方だけが、あまりにも強かったのである。
 言うまでも無く、この語は江戸川乱歩に由来している。そしてもちろん、この部長はとんでもない読書家だった。例えば、「ぼくのかんがえたひっさつわざ」にこんな名前をつけるような小学生が、今の時代でもどこかには生存しているのだろうか。





・スプロール・シリーズの世界(その11)


 ○名

 『ニューロマンサー』でケイスが偽名として名乗ったひとつに「ルーパス」というものがあり、調べてみると、カウボーイやスーパーハッカーの名前として、英語圏・日本とわずあやかっている例(ハンドル、ネット創作の登場人物、TRPGのキャラ名等)が見つかる。
 が、(この小説は設定を読み落としても仕方ないのだが)この「ルーパス」というのはコロニーで出会った蓮っ葉娘にギャングだと勘違いされたときに名乗った名なので、その場でとっさに考えた「ギャングっぽい名」として、前の章で出逢った少年ギャングのリーダー、ルーパス・ヤンダーボーイの名をそのまま使っただけなのはかなり確かである。つまり、本来ハッカーの名というよりは、ギャングの名として扱われるべき名である。

 チューリング登録機構が読み上げたケイスの名は「ヘンリー・ドーセット・ケイス」だが、一方でモリイの「ローズ・コロドニイ」が本名だとはなんとなく考えにくい。ちなみに『モナリザ・オーヴァドライブ』の最後の方によると、そも、モリイにはSIN(個人身元確認番号)が存在せず、誕生についての記録自体がない(記録も与えられない最下層などの特徴)はずである。したがって、チューリングの捜査能力が低いとは思えないことを考えに入れた上でも、単純に両方とも本名だとは言い切れない。


 紛らわしいことに、『クローム襲撃』の主役のひとりの伝説的カウボーイがボビイ・クワイン(ケイスの師のひとりでもある)、『カウント・ゼロ』以降の主役のひとりがボビイ(ロバート)・ニューマークと、名前がかぶっている。ボビイがよくある名前ということを差し引いても、これほどの重要役(前のクワインの方も、存在を消し去られたというわけではなく、後の長編に名前だけは時々出てくる)に、さらにわざわざ紛らわしい同名をつけているのは、この名に何か意味があってのことではないかと思わせる。
 例えば「ケイス」は「精神の入物(Case)の肉体」から取られているというのはファンの通説である。また、クワインと並び称される伝説的カウボーイのマコイ・ポーリー、「ディクシー」フラットラインは、作者ギブスンの父親が飼っていた馬の名前という「ディクシー」からとられている(『アグリッパ』)。少なくともディクシー同様、「カウボーイ」はこの名でなくてはいけないという理由が、ギブスンにとってのボビイという名には何かあることを強く推測させる。





・○○は文学だとかオタの地位を押し上げたとか


「ならば今すぐオタバッシングするマスゴミどもすべてに英知を授けてみせろ!」
「貴様をやってからそうさせてもらう!」
「あんたちょっとセコいよ」



・笑えないアンサイクロペディアのような

 例えばWikipediaの記事内容を議論している様子などには実に心が荒むものだが、対して、
MAD動画発の出まかせネタにどんなDQN漢字をあてるか、などということを必死で議論している人々には、鶏と卵のどちらが先か日々哲学議論を繰り返す古代ギリシアポリス市民たちのような素朴な平和さを感じる。どちらにもあまり関わりたくはないにせよ。





・スプロール・シリーズの世界(その10)


○センス/ネット社


 タリイ・アイシャムやアンジイ・ミッチェルのようなスーパーアイドルを売り出すセンス/ネット社は、BAMA《スプロール》の真ん中にピラミッド状のビルを抱え、『モナリザ・オーヴァドライブ』の時代には独自の「物語る機械(ナラトロン)」、芸術編集用AIである”撮影連鎖(コンティニュイティ)”をも所有すること、特に同作で語られるさまざまな管理体系から、当然ながら他に登場する大企業級の強大な力を有した組織にも見える。

 しかし、よくわからない点もある。そのセキュリティは、『ニューロマンサー』の時代には少年ギャング集団の襲撃に慌て、その間にケイスが「自作」した(ケイスは《スプロール》でも一流の域、といえる腕ではあるが、モリイの言によると国際級というほどの腕利きではない)”氷破り”で破れるほどの堅さのICEしか有していない。このセンス/ネット襲撃は、たいしてAI冬寂が手をかしたというわけでもなく、この時点ではケイスには相棒になる”フラットライン”もいない(フラットラインのROMを盗み出す部分の仕掛け(ラン)である)。なのにケイスとモリイは、盗む気になれば、秘蔵の秋シーズン用の新作ソフトを盗むこともできた、と言っているのだ。

 もっとも、センス/ネットの企業力の描写はほとんどが『カウント・ゼロ』以降であるし、”撮影連鎖”を所有する『モナリザ・オーヴァドライブ』の時代は『ニューロマンサー』の15年後である。”撮影連鎖”はアンジイの生体素子の従兄弟であるという説明があり、つまり”撮影連鎖”自体はセンス/ネットが開発したというよりは、ロア(電脳神)から与えられたものともいえる。すなわち、センス/ネットの力はアンジイを保護するためにロアが大半を与えたもので、『ニューロマンサー』以後に技術力をつけたものだという考え方も、可能ではある。
 しかしながら、『ニューロマンサー』当時としても明らかに「世界髄一」の芸能プロダクションが、他に登場する財閥(ザイバツ)や大企業、まして、『クローム襲撃』の大物とはいえ街のギャングであるクローム嬢(ソヴィエト製の軍用”氷破り”でも3割程度の勝率、というブラックICEを有していた)よりもセキュリティが弱いとも思えないではないか? そうしたわけで釈然としない点が残る。





・スプロール・シリーズの世界(その9)


 ソヴィエト連邦が存続している点は、アップルシード等から続く士郎正宗と、スプロールシリーズとの共通点としてよく言及される点である。しかし、これは士郎もギブスン(SFマガジン別冊のエッセイによる)も80年代当時にはソヴィエトの崩壊を予想もしていなかった、という以外には深い意味はなく、この一致には面白みというものは一切存在しない。

 スプロール作品世界において、ソヴィエトはハイテクノロジーの国で、最先端のBAMAの技術でも完全に突破不可能なAIや大企業のICEも平然と破るような代物がソヴィエトから流出する(※1)。が、それと共に、ソヴィエトの品には、細部が恐ろしく粗雑であり、信頼性がえらく低いという特徴が付与されている。『ニューロマンサー』のラッツの義手も、生前のポーリーの人工心臓も、ソヴィエト製の軍用余剰品であるが、『クローム襲撃』の、キエフのグライダー事故で腕を失ったというオートマティック・ジャックの義手も、同様にソヴィエト製の可能性が高いかもしれない。これらはいずれも作中の時代ではポンコツ品扱いで、ポーリーの心臓は捕虜になった時に余剰品を埋め込まれた、とあり、(当時の)最先端かつまだ信頼性の低いものを余るほど大量に作っているソヴィエトの様がある。
 中国の扱いもソヴィエトによく似ており(※1)、『ニューロマンサー』の冒頭の場面にあるように、生体適合技術においては日本(千葉)は中国以上であるものの、変なものは中国から出てくるという噂が絶えないといった具合である。あべこべに、日本の大企業のテクノロジは信頼性は高いが中身は面白くもなんともなく、オノ=センダイやホサカの製品はもっぱら改造のベース品である、といった印象を与える。

 どこの国が「国家」として存在しているのか、「形」しかないのかすっかり消滅しているのかは判然としない。前述の中国、ソヴィエト、通貨は少なくとも存在している日本のほか、ギブスンによると、「アメリカ」は少なくとも「形」以上のものとしては残ってはいないようだ。


※1 なお、後に、大企業のICEも、それを破れる氷破りプログラムも、全部AIの作ったもの以外にないと、『カウント・ゼロ』のボーヴォワールが語る。実際に、『ニューロマンサー』の中国製氷破りは遡るとT=A社、おそらくはAIの冬寂が自ら用意したものだった。ひょっとすると、『クローム襲撃』のソヴィエト製氷破りも、(どこぞの現代のチェスグランドマスターを思わせるような)ソヴィエト政府の超AIが作ったものなのかもしれない。





ん〜ゴブリンバット!

>他方、やはりトールキン以前の作品であるE・R・エディスン
>の『ウロボロス』において、ゴブリンは小麦色の肌を持ち、
>勇敢で正義心に富む種族として登場し、ゴブリン王である
>快傑ガスラークに率いられて主人公勢力であるデモンランド
>を助けてウィッチランドと戦う。
(Wikipediaより、08年12月3日現在)

 まじかよ。ウロボロスは基本的に全員種族的には人間で、「ゴブリンランド」はインプランドやフェアリーランド同様、ただの国の名前としてついてるだけだと思ってたので夢にも発想が出なかった。ともかくも、Roguelike等のイメージ補完でLotRや光の王のノリのスケールで、ヘビーで時代がかった空気や文章を求める向きにはウロボロスは必読である。個人冒険のヒロイック物の古典(不死鳥の剣収録作品とか)とは別枠でこれらは併記されても良いと思われるのだが。



・検索ワード

レオナー帰還王 アラゴルン

 夢にも連想せんかった。ロードス読者当時の自分内アラゴルンのイメージはまだ、映画のイダテンのようなヒゲ面ではなく、
くさびら堂の忍法貼とかに酷似していたことにもよる。





・スプロール・シリーズの世界(その8)


「千葉へ行くんだチクショーけどゆとり……ペッチャン娘(=ω=.)萌えっちゅうんじゃあぁぁぁっ!!」(8:40頃)


 『ニューロマンサー』冒頭のチバシティの場面は、映画ブレランにおけるロスと常に併記されて、サイバーパンクの舞台や、その映像イメージの代表として頻繁に言及されるものである。
 さらには、スプロールシリーズ中で千葉が電脳テクノロジ全般の最高峰の集結地である、というイメージにまで膨らんでしまっているようで、「スプロールシリーズの古さ」の言及として、例えば「海外人もあふれかえる技術の中心は、現実には秋葉原となり、ギブスンが予想したような千葉にはならなかった」といった比喩も見られるほどである。

 実際には、ギブスンも千葉がテクノロジ自体の中心などと描写しているわけではない。作中の描写では、あくまで千葉は「違法医療技術」(あるいは、マンマシンインターフェイス技術)の中心にすぎない。作中、医療技術そのものの最も高度なものは、千葉でなく、依然として東京に集中している(ジュリアス・ディーンの遺伝子操作延命技術は「千葉ではできず、東京で行わなくてはならない」)。
 世界的なハイテク情報文化の、というよりも、スプロール・シリーズ自体の中枢舞台は、北米東岸のBAMA《スプロール》であることは言うまでもない。
 (ちなみにRPG『シャドゥラン』など、千葉が人体改造の中心という設定を引いているものは、後作品にもしばしば見られる。)

 なぜ冒頭の舞台にすぎない千葉に、そういった作品世界の中心地であるかのようなイメージが膨らみすぎているのかという点だが、というよりもむしろ、スプロールやギブスン(ひいてはサイバーパンク)自体が「ドロドロと殺伐とした千葉の市街のイメージに貫かれている」といったイメージすらも広まっている(実際は、ギブスンの本来の作風はゴシック等のコラージュであり、千葉よりもむしろ「迷光」内の映像に代表できると思える)。
 もちろん、文章にもかかわらず映画であるブレランと並び称されるほどの、その千葉のイメージ自体のインパクトの大きさが最大の原因ではあるだろう。しかし一方で、多くの人々によって、『ニューロマンサー』が冒頭の千葉の箇所だけ読まれる(そしてときには、残りは挫折されることも)ことの反映にも思われる……。





・スプロール・シリーズの世界(その7)


○80−90年代頃のアニメ等に見られた代表的かつ決定的な誤解

 サイバーパンク=カッコイイ



ドイツ語にすれば大体格好良くなる

 「アリオッチ→アリオッホ」とかね。
 とかいうのはもういいとして、すでにこのサイトの定番話題として何年間も言っていることだが、やっていいか悪いか以前にその格好良くなったのだと一片でも信じてしまう感性そのものが激烈にやばい。それは例えば「なんか日本語っぽくすればそれだけでエキゾチックでいい名前になる」と信じ込んだ西洋人が、日本出身美少女キャラに「吉良大和上野介ジュリアンナ花魁」とか命名したりするのと、まったく同じことをやっているのだ。さすがにこのサイトの来訪者は自分の感覚はドイツやら北欧神話やらに関してはそんなんじゃないぞとか自分では信じているかもしれないが、それじゃ、ただクゥエンヤやシンダリンにすれば格好良くなるとか感じたりはしていないだろうな?
 「語の響きが(日本人から聞けば)かっこいい」だけで命名するのは論外だが、なおかつ「意味もかっこいい」という語であったとしても、ネイティブやその言語に詳しい者から見れば、何もかっこいい名前でも、いい名前でもない場合などざらである。「そんなのどうせネイティブが目にすることなんて(ほぼ絶対に)ないんだから気にする方がおかしい」という反論もよく聞くが、それでも筆者は、吉良大和上野介ジュリアンナ花魁は絶対に嫌だ。





・スプロール・シリーズの世界(その6)


○タリイ・アイシャムの青のツァイス・イコン

 スプロールシリーズの(『カウント・ゼロ』の時代までの)擬験(シムスティム)トップスター、タリイ・アイシャムの名のうち、「タリイ」は空軍のtally-ho(目標発見)かもしれず、元々は狐狩り語(フランス方言に遡るらしい)からだが、アイドル(目標)を発見し追い回す「追っかけ」達の様を示している名かもしれないし、タリイ自身が「見て収録する(捕らえる、狩る)」者であることを示しているのかもしれない。
 「アイシャム」はティプトリーJr作品の人名(『接続された女』のアイシャム父子)由来という説もあるが、それが由来なのか、音楽家か学者か単なる一般の姓から採られただけかを判断するには、もう少し検証がいる。

 そのタリイの使用するブランド”義眼”、タリイ・アイシャムの青のツァイス・イコンこそは、スプロールシリーズ(の前半)において、スーパーアイドルめざす少女らの憧れの的、擬験(シムスティム)収録に必須の「超高性能収録機器」である。(なお筆者はツァイス・イコンが実在のカメラのブランドだと知ったのは『クローム襲撃』の読後よりかなり後だった。)
 これが「義眼」であり、実在の「カメラ」メーカーのブランド名であり、シムスティムの収録機器である、という実質からは、スプロール・シリーズにおける「ツァイス・イコンの義眼」はいわゆる「サイバーアイ」のようなメカ的な印象も与えるが、多分そうではない。ツァイス・イコンの義眼も、機械製うんぬんというより、おそらく槽(ヴァット)か何かの培養臓器ではないかと思われる。前の記事で説明したように、この世界設定の機械も、生機融合もそれほど高度なものではなく、臓器や四肢を完全に機械で置き換えることよりも、多分に高度な培養組織の類の方が高級、高性能である。
 それが培養組織だと推定できる根拠は他にもいくつかあるのだが、代表的な描写がひとつある。『カウント・ゼロ』でターナーが守りきれず爆死した駆け出し芸能人から、ソレを「回収」しに来たセンス/ネットのスタッフが抱えるボックスは表面に結露の汗をかいており、冷凍輸送しているということは、多分に生体組織なのだ……。





・フォークト・カンプフ検査法


 スプロールの話題じゃないけどさ。
 ネットでときどき、『アンドロイドは電(ry』およびブレランのフォークト・カンプフ検査法のことを「いわゆるチューリングテスト」と紹介されていることがある。もちろん、VK検査(会話に対する反射時間測定で感情移入度を調べる試験)と、チューリングテスト(見えない相手からの返答を検査者が人間と誤解すれば、その機械は少なくとも弱い人工知性を持つという試験)の内容からは、これが適切な表現でないことは、書く側もわかっているだろう。
 あるいは、チューリングテストという語を、手っ取り早く「人間と人工知性を判別するもの」との意で乱暴に使っているとしても、それもやはり適切とは思えない。チューリングテストが試験するのは人間並の「知性」の有無(登場するアンドロイド(レプリ)は、知性においてはとっくに人間と遜色ない)であって、VK検査のような人間並の「感情移入度」の有無ではない。人間と区別がつくかつかないかの比較という一見似た手順は、あくまで手段であって、目的ではない。
 が、たぶん、これだけずれているのも承知の上で、乱暴に「なにやら異知性が人間かどうか判別するのに使う」として、チューリングテストという語を「わかる人にはなんかわかりやすい」という理由で使用してみる、という心情はよく理解できる。士郎正宗がしょっちゅう欄外に「適切な表現ではないがよしとしてくれい」とか書いてあるあれだ……。




・たとえばガンダムキャラとかは

 キャラデザイナーの絵柄で思い出せる。しかし、さだもっちの綾波がどんな顔つきをしていたかはときどき思い出せない。





・スプロール・シリーズの世界(その5)


○サイバー化技術

 モリイの話のついでに、サイバーパンクといえば(これも通り一遍な風評だが)肉体へのインプラントである。が、スプロールシリーズにおいては、さほど極端に派手な技術は存在しないようである。たとえば「全身義体化」の類は出てこない。なお、これも忘れられていることが多いが、ブレードランナーや攻殻シリーズのような、人型ロボットやアンドロイドの類も登場しない。

 ウェブサイトなどによっては、モリイを「全身にサイバー化を施した」等と書いてあったりするが、『ニューロマンサー』等から確認できるのは目と手の爪へのインプラントの追加、そして(おそらくは)神経の反応速度の強化といった程度である。あとは、『ニューロマンサー』の後半でケイスに自分の体感を発信している場面が続くので、高度な電脳化でもしているような印象を持たれている可能性があるが、この作品世界では擬験(シムスティム)の収録・発信や受信のユニットそのものは、割とありふれたものである。
 さまざまな人体改造の類が出てくるが、高度さにおいて目立つものといえば、情報屋の少年(ラリイ)や『カウント・ゼロ』のターナーが首にチップ・スロットを持ち、挿入したメモリチップにアクセスできるといったギミックなどだろう。(『カウント・ゼロ』のアンジィなどは例外的なので省く。)なお、繰り返すが、この作品世界では電脳空間に没入(ジャック・イン)するのに特殊な電脳化などの人体改造は必要としない。そこらの小学生が数学を学ぶためにデッキを使って電脳空間に入ることが普通に行われている。

 総じて技術的には地味で、全身義体化やアンドロイド達のような高度なものがないのは、意図してか否かは不明だが、何のためらいもなく肉体に機械を埋め込むことが行われ(ファッションの感覚で、とよく表現される)機械と肉体が無造作にモザイク的に不恰好に融合している、というイメージを表現するにあたり、あまり突飛でない技術によって、より生々しくリアルにする、といった効果を上げているといえる。

 ただし、別の方向から見ると、全身クローン培養の強化戦闘人間やら、体の大半を強化クローン培養組織にとりかえた暗殺者やらは出てくるので、それらのバイオロイドやら、強化バイオ義体は存在すると読み替えてもいいかもしれない。





・名言


 90) このダンジョンの冒険で君のキャラクターは、無(死)になった。しかし、慌てることはない。
  これはD&Dゲームにおいては、しばしば起こることであり、君の責任ではない。

 (D&D旧ベーシックルール(赤箱)導入用ソロシナリオより、強調筆者)


 Roguelikeではキャラクターの死は赤箱以上によく起こるが、全て──完膚なきまでに──「プレイヤーの責任」である。
 日本製のTRPGの何箇所かの卓では、キャラクターの死は全て「ゲームマスターの責任」である。PCは普通のバランス上では死ぬはずがなく、そんな異常事態は避けるのが当然であり、そんなシナリオやマスタリングをする者は全面的に悪いということになっている。

 赤箱ではプレイヤーの責任ではないと明記してある。では一体「誰の責任」なのか。それは書いていない。ただこのゲームにおいては、しばしば起こること、あたかもゲーム内に存在する当然の、特別でもなんでもない要素のようにしか書いていない。もちろんゲームデザイナーの責任でもないのだろう。




・引用

 たんぶらに小説の一部が抜粋されるのはいいとして、どういう理由で「その箇所」が注目され抜粋されたのか皆目見当もつかないのは、異常なほど不安をあおる。ほかの記事ならどれでも、別にどこがどう抜粋されようが不可解も不思議も感じることはないのとは違う。





・スプロール・シリーズの世界(その4)


○モリイ・ミリオンズ

 「ミリオンズ」という姓は初登場の『記憶屋ジョニイ』で名乗られて以後は出てこないが、ファンサイト等でも日本海外とわず、もっぱらモリイのフルネームとして言及される名である。
 が、これはジョニイに『二百万(two millions)』で雇われた直後のモリイが口にしているので、その場で作った偽名であることは疑いもない。というか、Molly Millionsは(語呂にもひっかけてあるが)フルネームというよりは、「”幾百万の”モリイ」とでも訳すべき、名乗りだったのではないかとも思える。

 トリニティも草薙少佐もこの”猫母さん(キャットマザー)”の亜流であるとよく言われ、無論マイナーな後発サイバーパンクにはその類似品は数知れない。ハードボイルド文体でバイオレンスを描くサイバーパンク(これも通り一遍な視点だが)の原点における、この「サイボーグ女戦士」という主人公アーキタイプの原点がこの人物だといえば、あざといほどハードでシャープでクールなキャラクターのような先入観を、例えば未読者は持つかもしれない。が、キャットマザーは間違っても最強キャラの類ではないし、ちぐはぐな肉体改造扮装と相まって、どこかユーモラスを含む独特のスタイルを持っている。サイバーパンク世界も前述のような単純なものでなければ、その登場人物のアーキタイプもまた単純なものではない。




○海外画像

 例えば、スプロールシリーズの作品世界内のスーパーアイドル、タリイ・アイシャムのイメージ(想像図)なんか海外にないかと思って探してみたが、間接的(名前だけとったとか)らしきもの以外はそれっぽいのは見つからない。
これとか何だろうな?





・スプロール・シリーズの世界(その3)


○オノ=センダイ社


 少しずつ遡ってみる。次は、そのサイバースペース7を販売している「社名」としてのオノ=センダイである。
 「オノ=センダイ」はあまりに頻出するので、流し読みした読者も最低限、記憶のどこかに残っているという語のひとつだが、スプロール・シリーズには説明が非常に少ないため、これほど頻出する語であっても、読者がこの語を意味するものが結局何かというのを把握できないという、このシリーズにはよくある事態が発生する。
 例えば、
Wikipediaにすら、08年8月現在、「(「ホサカ・コンピュータ」が)サイバーデッキメーカーの名称。"オノ=センダイ・サイバースペース7"は商品名。」と、O=Sという語はホサカ製の商品を指す語であるかのように書いてある。知っての通り、実際は「ホサカ」はオノ=センダイとは無関係の別会社であって、それもサイバーデッキメーカーどころか、『カウント・ゼロ』『ニュー・ローズ・ホテル』で描写されるように、シリーズ通して生体工学も含めて総合的に手がける巨大ザイバツのひとつである。Wikipediaの別の記事には、執筆者が別なのか正しい記述もあるが、ほかにもネット上には「ホサカ製の”オノ=センダイ”」「オノ=センダイ製の最新型ホサカという描写が見つかった」などといった記述は散見するので、これは誤解の中ではかなりよくあるものらしい。(付記:Wikipediaの記載は08年10月に訂正された。また、くどいようだが3部作を通して読めばO=Sとホサカは別会社であることは明らかで、そんな『描写』が『見つかる』わけがなく、明らかに何かの記述の勘違いか読み違いと推測するしかない。)

 O=Sは最初のスプロールものである短編『記憶屋ジョニイ』の時点で、企業の名であり、それも最大級の多国籍であることが明らかにされる。例えば、『記憶屋ジョニイ』登場の殺し屋がワイヤーを仕込んでいたのが、いきなり「オノ=センダイ人工ダイヤモンド製糸巻き」であり、オノ=センダイ社の事業範囲がO=S・Cs7をはじめとするデッキやサイバー関係にすらとどまっておらず(『記憶屋ジョニイ』小説は映画版JMとは異なり、この時点では電脳空間の設定すらも存在しない)おそらくは工業方面に広く展開していることが示されている。
 さらに、同短編の後半部分に出てくる表現、この世界の「ヤクザ」の強大さを示す「本物の多国籍で、ITTやオノ=センダイ並だ」が代表的だが、O=Sがヤクザと競合する規模である例として、他ならぬジョニイが頭に保存していたデータというのが、「ヤクザがオノ=センダイから盗んだデータ」である(映画『JM』では人類を救う治療法に改変されている)。

 ここで、スプロールものに登場するほかの大企業、ホサカやマースやテスィエ=アシュプールと比べてどれほどの規模なのか、という点に関しても手がかりが見つかる。『モナリザ・オーヴァドライブ』には、テスィエとアシュプールの合併前は両方とも「中位以上の帝国」であったと記述されているが、一方で、当時の両者の資産をあわせたものでさえも、「オノ=センダイのような多国籍にとっては処理モジュールひとつのための出費程度」ともある(ただし、T=A社はこの後も大きくなる)。どうやらO=Sもヤクザと共に、この作品世界の中でその強大さにおいて完全に「別格」の存在であるらしい。

 これほど巨大な企業でありながら、上記のように、企業であること自体が読者に忘れられているこの会社としての印象の薄さは何かといえば、それは絶対的な説明量のなさと共に、のちのサイバーパンクに対する偏ったイメージにおける「大企業」、強大で冷酷な不死の組織、ヤクザやホサカ等が頻繁に行っているような陰謀やら暗躍やら暗殺やらの出番が、このO=Sにはほとんど与えられていないからだろう。
 そして何となくだが、O=S社の技術に関しても、その優秀さやエッジではなく、登場する品物も、スタンダードで後作品では時代遅れ扱いされているO=S7のように、「欠点もないが特筆すべきこともないありふれた品」という、まるでトヨタの大衆車のような扱いがその印象の薄さの原因ではないか。

 ちなみにスプロールものには「センダイ」のみの名も出てくる。『クローム襲撃』に言及のある「(信頼性の低い)センダイ社の義眼」がそれである。あるいは「オノ社」との合併前に、サイバネのうち「生体組織適合」を専門としていた会社で、現在はO=Sの系列会社となっているものではないか、とも考えられる。ただし、「信頼性の低い品」というのはこの世界での日本大企業らしくはないので、実は無関係かもしれない。スプロールものではないとされるがギブスンの初期作品『ホログラム薔薇のかけら』にも、「センダイ社のスリープ・マスター」という、のちの擬験(シムスティム)デッキの原型が出てくる。

 センダイは地名なのか、O=Sは宮城にあるのかどうかという推測はファンからは出る。が、センダイはギブスンがたまたま知っていた「日本語の単語」であって地名ではない可能性はある。「オノ=センダイ」というネーミングを安直すぎるという人も、逆にセンスを感じてやまないという人もいる。ギブスンのセンスには盲目的には信頼を置けないものも多々あるので(ヒロシ・ヨミウリとか)個々の感じ方次第であろう。ちなみに某妹1ダース物の絵師の設定で妹らが所有しているウェラブルPCがオノ=センダイ製という黒歴史があったという説話の詳細については今回は考察を省略する。




・クリプトン佐々木渉氏いわく「CV01がガンダムならCV03はサイコガンダム」

 すか氏は「偽春菜がガンダムなら御影はZガンダム」と言っていた。Zのその後も含めた無数のガンダム系MSの中でも異彩を放つ一種独特の直線流線ラインを彷彿させる点は、御影のデザインを見れば誰でもわかる。それよりも、Zガンダムのデザインに携わった数十人の漫画家・デザイナーと数千枚の没ラフ画をあたかも同様に背負っているような重みを、筆者はかつて御影のデザインの背後に感じた。今、考えてみると、あれは当時「自分こそが新さくらのシェルを描きたい」と名乗り出て切り捨てられた無数の絵師たちの念を穢れとして洗い流した跡だったのかもしれない。以上、ただの回想で表題とはなんも無関係





08年8月21日現在「戦士」でぐぐったら

 レイナ、ハーフリングアウトライダー(D&D戦士大全)、ガッシの画像が出る。ちょっとやな国だ





ダガーは危険な道具のガイドライン

 『ザナドゥ』のモンスター大量殺戮犯は40万人全員が初期装備としてダガーを持っていたとか、膨大なCD&Dキャラクターの目の下にクマのできた廃人マジックユーザー破壊魔予備軍どもは全員が初期装備としてダガーを持っていたとか(赤箱ではマジックユーザーはダガー以外一切装備できず杖さえもない)、街のそのへんを歩いてる直刺の邪気眼持ちのツキチャウどもはやたらとナイフを持ち歩いてるだとか、考えてみたけど思いつかんかった。




そうか、ギース・ハワードは巫女のコスプレをしている説か

 一瞬、博麗の腋巫女のコスプレをするギースを想像したのは自分だけではあるまいな





ロジャー・ゼラズニイ『地獄のハイウェイ』復刊


 足を棒にして古本屋でゲットしたってのにゴルァァァァァァァァなどと叫んだりせずに、素直に復刊を喜びつつ宣伝活動を行わねばならぬこれハヤカワに翻弄され続けるSF/FTファンの宿命。




・【大発見】「SOS団」のマークは「タリズ団」のマークに戦慄するほど似ている【禁断の宇宙的恐怖知識】


 多元宇宙最悪の暗黒思念である封印されたタリズダンとその狂気の信奉者らについては、日本においてはD&Dの重度のパラノイアの中の、さらにわずかなグレイホーク世界設定のマニアなどという非常に限られた人々にしかその存在は知られていない。したがって、「ハルヒ=タリズダン」であるというこのおそるべき事実については、そういう一握りのマニアと、あと「みくる エロフラ」の検索ワードでこのサイトに偶然迷い込んできた一握りの人々のわずかに知るところのみである。





・スプロール・シリーズの世界(その2)


○オノ=センダイ・サイバースペース7

 そして、スプロールもの世界において、その電脳空間なる名を決定づけたかもしれないベストセラー製品名である。(製品ではなく企業としてのオノ=センダイ社そのものや、この世界のデッキと電脳空間のインタフェイスそのものについては、おそらく別の項目を設けなくてはならない。)かつて、80年代のSFファンらが憧れの機器名として、自分達のへぼいPCの内外装を弄びながらうわごとのように呟いていた単語だが、現在となってはその語の意味の背景を探ることも難しい。

 少なくとも長編1作目の『ニューロマンサー』には、電脳空間デッキというとこのO=S7しか出てこない。また、その数年前とされる『クローム襲撃』には「そこらの会社にある」とされ、一般会社から違法の凄腕カウボーイらまで、電脳空間に入るにはこれしか選択肢がないことを伺わせる。もっとも、長編2作目『カウント・ゼロ』(さらに数年後)にはボビィとジャッキィが「(今の超級デッキに比べれば)O=Sなんて玩具同然」「昔はO=Sしかなかった」と言っていることから、のちにその状況は変わるらしい。
 O=S7は現実の機器の感覚であれば、何にあたるのだろう。IBM−PC(またはAT)? Windowsマシン? おそらくギブスン本人が『クローム襲撃』当時触れて知っていた、"AppleII"そのものがそれにあたるのだろう。"Ono-sendai VII (Cyberspace Seven)"というネーミングもいかにもそれらしい。作中、O=Sの名が企業よりデッキの名として使われることが多い点も、アップル社とAppleII(当時、PCまわりで単にアップルという呼称を使った場合)の関係を思わせる。一般に無改造で使う一方、マニアはメーカーお仕着せの回路が1インチ四方もない(『クローム襲撃』のカウボーイ使用品)ほどの改造がまかり通る、というあたりもそうである。(AppleIIは現在の自作PCのような状況ではなく、完成品コンピュータであったにもかかわらず、膨大な量の拡張パーツや改造法が流通していた。)
 手っ取り早くは、普及量産機といっても「ジムよりはザク」とでも表現すべきかもしれない。初心者からベテランまでが愛用し、汎用性が高く、カスタマイズやバリエーションがべらぼうにあり、そして、量産機ではあるが各々は自分のもつ「機体」には強い愛着を持つ(使い捨てられるスコープドッグとはここだけ違う)。おそらくそうした代物である。

 O=S7に限らず電脳空間デッキ自体がそうだが、外見に関しての情報は非常に少なく、O=S7はLEDとスロット(おそらく、フロッピーディスクドライブのようなものである)があるというくらいしかわからない。また、頭に装着するインターフェイスに関しては、以後の長編のデッキにはバンド状のものやワイヤレスのティアラ(小冠)状のものが出てくるが、O=S7に関しては「電極に塩類ペーストを塗りつけて、おでこに貼り付ける」という手段を用いる。よく(後年のサイバーパンク描写の先入観で)誤解されているように、頭や首に電極を差し込んだりするギミックはない(このデッキの場合。ほかの機器には散見する)。





・スプロール・シリーズの世界(その1)


 ウィリアム・ギブスンのスプロールものとは、日本では「電脳3部作」といわれる長編3本と、同じ時間軸の数本の短編(電脳空間が出てこないものを含む)を指す。
 日本で説明するなら、「攻殻機動隊のような世界観のサイバーパンクSF小説」である、というあたりから説明しはじめて、実はこのシリーズ自体がサイバーパンクの定義であるとか、実は攻殻はこのシリーズの世界観をテーマから何からほとんどそのまま踏襲したものだとか、実は映画マトリックスの企画はこれの映画化から変遷した、とかいう説明に落とし込むのが手っ取り早い。
 日本ではいまやスプロールものの存在自体が、SFファンのさらにごく一部にしか知られてはいないが、サイバーパンクは勿論電脳物を語る際に、その影響を抜きにして語ることは不可能といっていい。

 というと、文字通りサイバーパンクの「原点」やら「バイブル」といった位置づけが可能と思われるのだが、スプロールものを単独で見た場合、そこで描かれる「未来」「近未来」の世界観は80年代の密接な延長上にあるため、今となってはかなりのギャップがある(これは、卑近すぎる未来を描くサイバーパンク自体に対しても表現されるが、最古のサイバーパンクであるこのシリーズでは、その問題が必然的に極端に大きくなる理屈である)。つまり、いまだに未来SFとして見るよりは、むしろ発表当時に与えた影響の大きさとその余波が残り続けている「古典化」したものという側面で見ることもできる。
 ここでは、サイバーパンクの原点回帰やらバイブルといった高尚なものを伝道するといった姿勢ではなく、そういう古典を記録するという姿勢で記述していくことにする。


○電脳空間

 電脳空間、サイバースペースとは、いまや「コンピュータ内空間、ネットワーク、仮想空間」等の別称として世間に一般化している語だが、元来一般語ではなく、スプロールものが初出の「造語」「SF用語」である。このシリーズの影響がどれだけ一般文化に波及してしまっているかを示す、最も端的な例といえる。

 そのあたりのSF用語集などでよく解説されているが、「サイバースペース」の初出は最初の長編『ニューロマンサー』であるものの、それ以前の短編『クローム襲撃』の中に、マトリックス・シミュレータの商品名「オノ=センダイ・サイバースペース7」という名がすでに見える。『クローム襲撃』の時点ではいわゆる視覚化ネットワークは「マトリックス」とだけ呼ばれている。そう考えると、「サイバースペース」なるものは、正式にはマトリックスという不可思議な単語であるものを、いかにも俗っぽく、とっつきやすい感覚に変換して商品に冠した商品メーカーのキャッチフレーズという気もしてくる。あるいは、この世界内でも、『クローム襲撃』で描かれた時代の数年後にオノ=センダイのデッキがあまりに普及したため、「サイバースペース」という語が浸透したという解釈も可能である。つまり、下手をすると、スプロールシリーズの世界では、「”サイバースペース”はオノ=センダイ社の登録商標」で、現実世界の「エスカレーター」「ナイロン」「ホチキス」のように、あまりに使われているためこのシリーズの世界じゅうで一般化してしまった言葉なのかもしれないのだ。

 さて、ここでサイバースペースはcyber spaceではなく、cyberspaceという一単語になった造語である。ここでcyberという単語の元来の意味だが、「コンピュータ」ではなく、人間と機械の結合・接合やインタフェイスを指す語である(cyb-org 機械接合+組織などの用法)。そして、このcyberspaceに「電脳空間」という訳語をつけたのは、ギブスンの翻訳家、黒丸尚である。
 すなわち、この「電脳」とは、「コンピュータ」(電脳はcomputerの中国語でもある)のことを指しているのではなく、すでに「電」と「脳」の結合、電子機器と神経系統の結合、コンピュータと人間とその記憶集積の結合自体を指している語である。
 さらに言えば、ここでのサイバースペースは「ネットワーク」ですらなく、それが感覚化されたものをはじめて指している。『クローム襲撃』では「マトリックス」の定義自体が、データシステム相互関係の「抽象的表現」であり、神経系の視覚化による「共感覚的幻想」である。すべてが感覚的結合・共有化した状態をもって、電脳空間の定義がはじめて完成する。

 が、ここで注意することがある。何度か解説することになるであろうが、『クローム襲撃』の82年や『ニューロマンサー』の84年当時、ギブスンが執筆の参考にし、おそらく想像していたのはアップルIIやら、喫茶店のテーブルにあるインベーダゲームやらである。その「抽象的表現」「光り輝く幾何学図形」の光景はおそらく、ようやく90年代になってサイバーパンクが浸透したこの国の我々が想像するほど、高解像度(ハイレゾ)の鮮明な映像ではないのだ。





うじゅ − アンサイクロペディア


 アンサイクロペディアにもかかわらず内容がまともすぎる(常識人の感覚に合致しすぎている)が、確かにほかに一体どうしろというのだろう。なお、つくづく見るに、うじゅのデザインの(例のさんざん汚された電子アイドル同様の)記号の使い方の直球ぶりは、ある意味賞賛に値する。





・大昔、学研の科学雑誌に載っていたお色気推理漫画『美人怪盗ピンクキャット』が


 怪盗映画『ピンクパンサー』から採った題名だとわかるのに20年かかった。





どんな悪人も 善人でも 構わない 蜘蛛の糸放すもんか 仏陀の誓い (歌詞コメントより)

 連日の某国問題で何か動きがあるのだろうかと思っていたが、曲はやや増えるペースなものの、(例のさんざん汚された電子アイドル同様)かれらはただ歌っているだけだった。






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