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スプロール・シリーズの世界(その40)


 現在(2017年前半)、日本の実在の某巨大団体について、日々「名古屋」と「神戸」の分裂の話題をニュースで目にするところである。曰く、小さな団体の幹部が、合理的には神戸側に好意を示さなくてはならないのだが、名古屋のある幹部に対して恩があるのでなかなか移れない云々。


 スプロール・シリーズの"Yaku"は、世界規模の(マフィア等をかつての日本の多国籍企業のように買収併合済の)巨大組織であり、他の多国籍企業と渡り合うほどのパワーを有する数少ない存在である。その手口は、非情な他の企業に比しても強奪やら恐喝やらさらに荒っぽいが、違法組織やら犯罪組織やらという区分けが成立するかどうかは疑わしい。この時代、法律の枠組み(特に国家間をまたぐもの)がどうなっているかわからない国も多い(政府が存在するか否か等)からである。法律は大企業の取り決め以外の何でもない可能性もある。
 "Yaku"が企業と渡り合う手口は、古来の無頼と、近現代的な企業戦の手管が巧妙に入り混じったものである。『記憶屋ジョニイ』のジョニイの頭のデータがそうだが、情報を強奪するのはともかくとして、それにより「情報的有益性を削ぐぞ」「利益にダメージを与えてやるぞ」と多国籍を脅すのだ。

 特に『モナリザ・オーヴァドライヴ』から垣間見えるのは「企業的な合理性」と、根幹に流れる「義理(Giri ギィァリィ)」を両立させている組織という位置づけと、それに対する畏怖めいた言及である。
 スプロール・シリーズではしばしば、"Yaku"だけでなく、他の大企業にも、合理性(無慈悲・乾燥)と古来の精神性を両立させる、その空気が垣間見えることがある。特殊な例だと断られてはいるが、テスィエ=アシュプールの持つ近代ゴシック趣味などがそうである。

 一方、冒頭の話に戻り、現実の日本での相当する組織らを見てみると、近代化に伴って、企業的パワーを持つ組織にますます近づきつつあるのは確かである。しかし、「合理性」と古来の「義理」を、何の矛盾もなく両立させているかというと、冒頭に挙げた例のように、そこにはまだ及ばない。それはまだ情報時代が追い付いていないのか、それとも(スプロールが描く近未来が結局は現実の近未来と「ずれた」他の例のように)そもそもそこに追いつくことは今後もないのか。その是非についてはさておく。



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 日本のD厨は一体何をやっとるのかね






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