SF/FT雑記




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Fighting Fantasy Legends


 Steam


 少し前にSteamや携帯OSで日本語版が配信されたので、旧ゲームブックプレイヤーの話題になっているかと思ったが、Steamのレビュー等以外ではほとんど見かけない。
 これはFF(当サイトでもFFとだけ言うとFinal Fantasyのことの方が多いのだが、ここではFighting Fantasyである。以下この記事において同じ)ゲームブックを題材にしたCRPGである。かつての(訳されなかったものを含む)FFやグレイルクエストのゲームブックアプリとは異なり、「FFを題材にとったRPG」であって、後述するようにゲームブックそのものを思わせる流れもあるが、基本的に別物である。

 盗賊都市、火吹山、バルサスの要塞などの地域を含んだアランシアを舞台にしたオープンワールドだが、ある程度の流れがある(導入は盗賊都市がらみである)。ゲームシステムは見かけは技量ポイカトや運勢ポイカトなどそれらしいが内部システムはかなり異なる。ダイスやカードが表示されるなど、レトロなアナログゲームを思い出させるようになっている(アイテム、モンスター、イベント等がカードの形で表示されるが、特にカードゲーム的なギミックがあるわけではない)。

 各施設(火吹山などのゲームブック1冊ごとの地理)の再現は、ゲームブック原作としてもオープンワールドとしても一風変わっている。まず、古いタイプのゲームブックらしく一度入ると一方通行になり(ドルアーガやネバーランドのリンゴのように迷路を逆走はできない)施設クリアか力尽きるか、脱出路や後述のポータル等で脱出するまでは出られない。
 「死亡」ではなく「力尽きる」とシレンのようなことを書いたが、ライフが0になっても死亡ではなく施設の入り口に戻される(ライフ1のままで、負傷などのペナルティーが残る)。プレイヤーアヴァターのカード絵のマッチョ蛮人をマムルやももんじゃが担いで火吹山の入り口に放り出すところを想像するとFFのような容赦ない世界には合致せず、過酷なレトロゲームやゲームブックらしくないと思うかもしれないが、考えてみれば原作も「個々の本の最初」からやり直しにすぎないので、それほど離れていないともいえる。なお、一度死んだら終わりのPermaDeathに設定することもできる。
 施設の中身はFF原作踏襲で固定になっている部分もあるが、「ランダム」でイベントやモンスターが配置される箇所が多い。施設に繰り返し入ることができるのでそのたびに変わる。繰り返し金貨やアイテムが入手できることもあるし、ポータルが出てきて施設から途中で脱出できる場合などもある。そのため上述の力尽きシステムとあわせてか、レビューには「ローグライク」と表現しているものがある(無論、PDLやベルリン解釈上のRLらしいゲームではない)。
 ライフや負傷の回復には金貨が要る上、イベントの通過やイベントアイテムの入手に何かと金貨が要るので、金の切れ目が運の切れ目である。

 オープンワールドやRLを思わせる部分があるといっても、全体の流れは旧来のゲームブックのイベントアイテムが重視されるつくりである。テキスト量の多さ、過酷なイベントや選択肢、根気の要るイベントアイテム探索などは原作FF踏襲である。
 訳については例えば公式説明の、

×レプレカウンのオシーマスなどの有名キャラクター
レプラコーンのオシェイマスなどのそれほど有名ではない(がFFゲームブックをページが擦り切れるまでローテートしたかつてのゲームブックファンには知らぬ者とていない)キャラクター

 が目立つが、にも関わらずゲーム内ではなぜかきちんと「オシェイマス」になっている。しかし、それ以前に機械翻訳や誤変換にあふれており(探検を振り回す男たちなど)辛うじて意味がとれるかとれないかという域である。上記レビューではかつての創元や創土の訳語に忠実でない旨が指摘されているが、おそらくそこまですら手が回っていないものである。いかにも低予算であろうから、対応してくれただけでもありがたいと思うしかない。

 やや過酷な難易度(というか上記レビュー類ではバランス調整不足という説もある)から初心者やゲームブック未経験者には薦めがたいが、FFゲームブックそのものを体験するようなものではなく、かつてFFに触れたゲーマーが手軽に懐古するのに向いているという程度と思われる。これを「アランシア(タイタン世界)に触れてみたい」という新規ゲーマーや、「レトロRPGの雰囲気を味わいたい」というFF未経験洋ゲーマーにまで広げられるかどうかはもう少し検証が要る。

 レビューによるとゲームブックファンからは一応は好評らしく、ザラダン・マーやファング地下(ファングは立ち寄ることができるが、宿屋しか利用できない)をDLCとして追加希望の声がある。ファング地下のデストラップダンジョンなら日本独自のDLCとしてかのリビングストン御大自らより直々にえんがちょ罵倒を賜った空中幼彩のカード絵も必須なところであるが訳がこれだけ手一杯なら日本独自要素というのも望むべくもない。






バルダーズゲートの世界はJRPGとどう違うのですか(国籍ステレオタイプネタ)


JRPG:民家の裏の隠し扉を開けると宝箱があって漁り放題
BG :民家の裏の隠し扉を開けると宝箱があってその隣にデミリッチもいる

JRPG:民家に上がり込んでも住人は何も言わず特に何も起こらない
BG :民家に上がり込むと住人が「何勝手に上がり込んでるの!やめて私に乱暴する気でしょうエロ同人みたいにエロ同人みたいに!」とかさんざん人聞きの悪いことを言うが特に何も起こらない

JRPG:民家に上がり込んで宝箱を漁っても衛兵に捕まったりはしないので片っ端から漁る癖がやめられない
BG :民家に上がり込んだり宝箱を漁ろうとしたときに衛兵の目の前でカギを開けようとすると捕まる。つまり扉や箱を開けるタイミングが衛兵の目の前でなかったりカギを開けなかったり(カギが最初から開いていたり)すれば漁っても捕まらない。なのでなんとかその状況を作ろうと延々と吟味や検証やリロードを続けて宝箱からはした金をせしめるために無駄な時間を延々費やす癖がやめられない

JRPG:民家に上がり込んで宝箱を漁っても仲間は何も言わない
BG :民家に上がり込んで宝箱を漁ったり衛兵に睨まれるような所業をわざと定期的に行っておかないと「何をえせ聖人づらしてやがるんだこの偽善者が! おめーのようなやつとはもうやっていけねーよ!」とかいきなり叫び出して強制的に離脱していくような面々が仲間の半分くらい占めている


 繰り返すが国籍ステレオタイプネタを本気にしないように




総辞職ビーム


>Pazuzuの説明文をGoogle翻訳にかけたら、
>”Prime Material Plane ”が
>「内閣総理物質界」と訳されてて笑った。


 ぶるぶる! 今のこの手の書類を戸田なっちとかY本大先生とかが手掛けてた日にゃあ






契丹文字


 画像検索 - 契丹文字


 刻まれた原典などをかなり遠目から一見すると漢字そのものに見える。漢字にきわめて酷似しており、共通文字等もあるが別物である。それどころか、ごく一部しか解読可能な箇所がわかっていない未解読文字のひとつである。ハングルのように原字を組み合わせて1文字で「語」の意味をある程度表現する。

 なぜここで取り上げたかというと、当サイト読者はなんだか別のところで見た覚えがあるような気がするだろう。
 そう、海外FT世界設定の東洋趣味に頻出する「勘違い漢字」である。本気で正しい漢字を書いているつもりの場合も、出まかせで作っている場合もあるのだが、どのみち、なぜか似たような空気の字で、微妙に中国の略字や繁字が入っているのか日本語なのに妙に画数が多すぎたり足りていなかったり、見慣れない部首が組み合わさっているあれである。




標準と変わり者


 昔の翻訳物などのPnPルールブックには、頻繁に「冒険になど出る時点でエルフの中では何らかの『変わり者』に違いないので、必ず『標準的なエルフ』を演じなければならないということはない」といった説明が添えられていた。
 が、それは多分に、4人中5人がLotR三部作全文を一字一句諳んじているような海外ゲーマーの卓に紛れ込んでしまった初心者が、「自分は(周りのこいつらほど)『標準的なエルフ』に詳しくないけどどうしよう」とか怯えているのを、ウォーゲーマーのガイギャックスとかがなだめるために書いてあるだけである。これらの説明は、標準的なエルフを演じる必要がないのだから標準的なエルフのことなんて最初っから調べる必要も考えてみる必要もないだとか大人になるまでは人間と同じなんだから実年齢も16歳で耳だけ水平に飛び出してる以外は外も中身も16歳の人間と完全同一とか思っとけばいいとかいう意味じゃないぜ。






Gジェネ


 Gジェネの思い出というとノイン、ソシエ、ジョブ・ジョンあたりで淡々と稼ぎ面を回していたくらいしか思い出せない(ここで「Gジェネ」「ノイン」「ソシエ」「ジョブ・ジョン」といった単語の意味はこのサイトの読者ならば特に説明の必要はないと思われるが、これらの意味が不明な読者には説明したとしても以後の文章はたいして意味をなさないと思われる)。終盤あたりでは、強力なパイロットやユニットを入手したり無双したりといったこともしていたのだろうがそれらは全く記憶には残っていない。
 序盤から低コストで使えるキャラらのうち、ノインは育成に向いた技能が多く、ソシエはやけに火力が高いため、序盤に使っていた記憶があるのだが、序盤を過ぎても新たに誰かを育成しなおす動機がなくそのまま使い続けてしまっている。このゲームは、いかに有利なキャラやユニットを入手して攻略するかよりも、好きなキャラやユニットを作業的に育てて活躍させて遊ぶというゲームなので(シリーズの時期にもよるが)難易度はだだ低く、べつに強キャラやユニットであっても遊び方や遊び勝手が変わるようなことはない。
 もっとも、Gジェネをそういうキャラゲームとして見た場合、キャラを思い入れでなく「惰性」という理由だけで使い続けるという上記のような態度で臨むこと自体に何か矛盾があるのだが(スカした強キャラどもを育成なんぞするよりも、ノインやソシエの方がよっぽど思い入れがあるという側面はあるが、それはあくまで消極的な理由である)、一方で、Gジェネ自体にキャラゲーの他に惰性ゲームという側面もあり、その考察は次回以降に述べる。

 参考:BD-BOX1ジャケットはソシエが見たら「やった! ここヒロインポジションだわ」とか思うところ残念それはオリジン1巻カバーのフラウ=ボウと同じ位置でありすなわちフラウ程度のポジション

 ここで残りのジョブ・ジョンだが、シリーズの幾つか、例えばGジェネワールドやOWあたりでは、1stキャラのうち、もっと原作で活躍していたパイロット(例えばリュウ・ホセイ)が入っていないのに、なぜかジョブ・ジョンが使えることは定番の突っ込みどころとなっていた(なお、この後のジェネシスではリュウも使うことができる)。これは(これもシリーズの時期にもよるが)キャラをパイロットの他に「戦艦のクルー」の枠に配置することができるので、1st, 種, X, 00などの戦艦クルーが目立っていた幾つかの作品では、各作品ごとに一通りクルー要員(1stなら舵手にミライ、通信にフラウ等)を揃える目的の方を優先していると考えられる。ジョブ・ジョンは能力からして1stの「整備要員」枠で入っているようである。そこはオムル・ハング(オリジンではチーフメカニックである)でもいいのではないかと1stのマニアであれば誰しも思うところであろうが、実の所ジョブとオムルでは、名前は出るが覚えられるほどの出番がないモブと脇の中間という点でどっこいであり(ヘビーガノタでもオムルの活躍としてWBのハッチをコズン・グラハムごとバズーカでぶっとばした場面しか思い出せない者も少なくはないと思われる)どうせなのでパイロットとしても一応稼働可能なジョブの方を入れたのではないだろうか。なお、オムルとジョブの二人はこれらモブ脇の中では公式webのキャラ紹介にも載っている優遇キャラではあるが、オムルは制服の色が違い(実際に場面によって違うことがあるが、正規兵なのでブライト同様の灰色が正しいという)、ジョブ・ジョンは少年兵Eの画像が使われている(ジョブと美少年兵Eが同一人物であるか否かはヘビーガノタの間でも結論は出ていない)あたり、適当なのか狙っているのかよくわからない。なお、オリジンでは、オムルとジョブはそれぞれ整備、パイロットとしてかなり活躍し、役柄は明確である。ことぶきつかさの『カイメモ』ではジョブ・ジョンは非正規兵より活躍できなかったことを周囲から後ろ指を指され、後年サナリイに参加するまで失意の半生を送ったなどとされているが、オリジンではパイロットとしての周囲の評価は高く描写は合致しない。
 原作でも一応パイロット要員でもあるとは書いたのだが、Gジェネではジョブ・ジョンは(これも原作通り)パイロットとしての強力な技能は皆無である。しかし、注目に値するのは、「小型ユニット」を操作する際にボーナスが得られる技能を有していることである。ここで、Gジェネではコアブースターなどの支援ユニットが小型サイズであり、おそらくは1st原作のガンペリーの操縦などから、本来、これらのユニットの操縦を意識していると考えられる。
 が、このゲームではUC0109年のヘビーガン以降も当然小型サイズである。つまり、ジョブ・ジョンをフォーミュラ計画機体などに乗せて開発(育成)に従事させることができるという、1stならぬF90-F91以降のジョブ・ジョンの「原作通り」の使い方をすることができる。
 無論、ジョブ・ジョンをわざわざ使うメリットは一切ない。F90-F91乗りとして戦闘や育成(開発効率等)に向いた技能の持ち主は他にいくらでもいるし、そもそも小型ユニットのボーナス持ちからして他にいくらでもいる(例えば上述のソシエもそうである)。小型ユニットボーナスからしてわざわざそれが理由でキャラを選ぶような強力なものではない。が、キャラゲーとして、ジョブ・ジョンを使うなら支援ユニットなりF90なりを使う、動機そのものは用意されているのである。ジョブ・ジョンを最初から知らない人には(攻略等の目的には)まったく知る必要のない情報なのだが、知っていて使おうとする人にはそれに対するそれなりの利益は用意されているのである。
 Gジェネと惰性ゲーム(ハクスラ型RLなど)の関係について書こうと思って始めた話だが、ジョブとオムルの脱線だけでえらく長くなったので次回以降に続く。






デギン・ソド・ザビは公爵の家柄をどこから買ってきたのかという説


 ジオン「公国」だのデギン「公王」だのといった語は十中八九、つるっぱげ監督の電波センスによる語呂によるもので、90年代前半あたりまではその意味を深く考える者すら滅多にいなかった。が、ロナ家だけでなく、ビスト家も地球の旧家の家柄を購入した、という設定が知れ渡ると、ザビ家についても上記のような事情を詮索するガノタが多くなってくる。

 「公」と訳される西洋称号については、西洋関係の書物やサイト(日本のFT/RPG関連の書物やサイトは到底お勧めしかねる)を参照して貰った方がよいが、大別してローマ帝国のドゥクス(軍司令:デューク、デュク、ドゥケ、派生的にヘルツォーク、後述のドゥーチェ等)と、プリンケプス(筆頭者:プリンス、プランス、プリンツ、派生的にフュルスト等)に由来するものがある一方で、このほか北欧のコヌング(首長:クニング、キング、ケーニヒ、クニャージ等)に由来する称号(意味としては「王」)の一部が、西欧側の一方的事情からプリンケプスと同格とされたり「公」と和訳されているきわめて厄介な事情がある。
 ごく一般的に言って、ドゥクス称号が「諸侯」(王などの配下の「公爵」)、プリンケプス称号が独立した「小君主」(公国の君主)といった傾向が見られることもあるが、ただし、そうとは限らない例もあり、例えば現代のルクセンブルク大公国の君主はグランデュクである。ちなみにミスタラ世界のカラメイコス大公もグランドデュークであったのをジアティス帝国からの独立時にキングを名乗っているが、これはおそらく元からプリンケプス称号やコヌング称号なら変える必要がなかったと思われるものである(当初ジアティスの諸侯なのでグランドデュークの方に設定されたとも考えられるが、東欧系がモチーフなのにヴェリーキイ・クニャージでなかったのは、設定ミスの可能性もある)。
 このため、一見すると小君主のプリンケプス称号の方が公爵のドゥクス称号よりも上位として使われることが多いようにも見えるが(しばしば英・仏でそうだと説明される)国や語によって、これらの各語の上下関係などは異なっており、複雑を極めている。例えばドイツ圏では通常、ヘルツォーク(ドゥクス相当)よりもフュルスト(プリンケプスの意訳相当)が下の領主で、プリンツ(プリンケプスからの音訳相当)が王侯一族の個人の地位(後述する「王子」に近い)で用いられる。これらがそれぞれ「公」「候」「公子」などと訳されていたりするのだが、訳者によって違ったり、上下関係を表現するために「大公」(本来、グロスヘルツォーク/グランドプリンスなどに用いる訳語)など上位を指す訳語をあてている場合も多い。また、公国の君主については、諸侯の公爵と区別するため、グランドやアークの有無に関わらず、ドゥクス称号、プリンケプス称号ともに「大公」と和訳されていることも多い。さらに、特にプリンケプスやコヌングの称号については、正式な称号ではなく、諸侯や君主の一般語(総称)のように使われる場合もある。これらについて各国・語に統一的な和訳語を与えることはまず不可能であり、実質、和文では何の情報にもなっておらず、原語参照が必須のことも多い。


 さてジオン公国は現在は「プリンシパリティ」と表記されている。もっともこれが統一的に表記される設定・ガノタの共通認識として広まったのはやはり90年代後半であり、それ以前は「デュークダム」等と書かれている書物も多かった。(そのため、ムッソリーニの呼び名の、上記デューク同様にドゥクス称号に由来する「ドゥーチェ」との関連を考察するガノタもかつてはいた。つまり、デギンは王族・貴族を名乗っているというより、あくまで軍事・政治家(引退しているが)としての呼び名なのが、公王と和訳されているだけではないか、という説であった。)現在、公王がデュークからプリンスの方に統一されているのは、諸侯の意味合いが強いデュークに対してプリンスの方が「君主」に相応との考察によるものと考えらえる(単に英仏で上位という理由も考えられる)。
 前述のようにプリンケプス称号には王未満の「君主」という意味があるが、重要な側面として、カトリック以外の君主、もとい、多分に西ローマ皇帝側ではない君主の意について、西欧側から呼ばれる場合がある。上記した北欧・東欧のクニング、クニャージ(本来は王に相当)らに対して、西欧側がプリンス(公)のレッテルを貼りつけた場合などである。特にこの場合、モスクワ大公国(大公=ヴェリーキイ・クニャージ)がロシア帝国の前身であるように、公国が王国以上より下位・小規模とは限らない。

 ここから仮説として考えられるものに、ジオン公国がザンスカール帝国のような「王(女王)」「皇帝」の名や国号を称さなかったのは、より上位の教皇や皇帝に授かった王、王に授かった公爵、または神授された皇帝ではなく、あたかも旧時代の遠国のクニングらのように、独立して存在する位であるからこそ、公国(プリンシパリティ)を選んでいる可能性が考えられる。つまり、「公爵の家柄をどこかから買った」等ではなく、地球から最も遠いサイドにおいて独立して国を興し自ら位を名乗ったからこそ、あえてキングやデュークでなくプリンスを名乗ったのではないか、と考えられる節がある。
 ザビ家は公王制を敷くよりも前からザビ家であるし、少なくともこの家名は公王制以後に買ったものではない。なので、ザビの名についてはドゥクスやプリンケプスが付随していて名乗るために買ったものという可能性は薄い。
 もっとも、後付けで地球のプリンケプス称号をもつ家柄を買っただとかいう設定や、つじつま合わせが今後出るかもしれないし、ガノタ・貴族ともにもっと詳しいファンの間ではそちらの設定としてもっともらしいものが既に考察されているのかもしれない。

 ついでに「公王」という語は伝統的・一般的な用語・訳語には無く、本来、公国の君主の称号は単に「公」である。もとは公王もつるっぱげの適当な語呂による造語と思われるのだが、あえて言えば、諸侯としての公爵や王子としてのプリンスと区別しやすいよう、君主称号としてわかりやすいようにしていると思われる。当サイトではこれと同じ理由で、架空の独立君主については、原語のプリンス等を公王だとか公国王だとかに訳して呼んでいることがあるが、正しい(例えば現実の歴史の話題に用いて誤解を招かないような)語ではない。


 なお、「プリンス」という語は、上述したように王未満の君主・領主という用法の方がむしろ一般的だが、日本ではどういうわけか「プリンス」があたかも「王子」だけに一対一で対応する語であるかのように、頭から信じられていることが多い。『星の王子さま』(Le Petit Prince, 作中の描写からは小さな星の君主という意味なので明らかに王子の意ではない)はさして支障はないが、デモゴルゴンを『悪魔の皇子』は完全に誤訳である。独語のプリンツの使われ方が関係しているというわけでもないだろうが、実際のところ、欧州の封建制の実感がわかない日本では、「王子」も「小君主」も、「とても貴人だが王様よりはちょっと偉くないひと」などと把握してしまえば、たいして支障がないためもあると思われる。また、プリンスとは対照的に「プリンセス」がその背景上(女公爵・女君主の少なさから)「王女・姫」の用法が多いことに対応している可能性もあるだろう。
 例えば、LotRレゴラスが「王の息子」と呼ばれ「王子(プリンス)」という呼び名が作中では使われないことに繰り返し疑問が持ちあがることがある(解説サイト等では、独断でプリンスや王子が使用されていることがある)。これは第三紀の中つ国では、プリンス・イムラヒル(イムラヒル大公)のように、プリンスはもっぱら君主(領主)を指して使われていると推測されるためで(一方で上古のべレリアンドについては、公子(プリンス)はどちらか確定できない用法も多い)、レゴラスは(第四紀はともかく、少なくとも第三紀の時点では)明らかに君主の意のプリンスには該当しないためである。が、LotRサイトの掲示板の類には、何度も上記の結論が出た後も、「なぜレゴラスがプリンス(王子)でないのか納得いかない」という疑問・不満が頻繁に書き込まれ、延々ループしていることが多い。これもレゴラスの人気のなせるわざである。






スプロール・シリーズの世界(その40)


 現在(2017年前半)、日本の実在の某巨大団体について、日々「名古屋」と「神戸」の分裂の話題をニュースで目にするところである。曰く、小さな団体の幹部が、合理的には神戸側に好意を示さなくてはならないのだが、名古屋のある幹部に対して恩があるのでなかなか移れない云々。


 スプロール・シリーズの"Yaku"は、世界規模の(マフィア等をかつての日本の多国籍企業のように買収併合済の)巨大組織であり、他の多国籍企業と渡り合うほどのパワーを有する数少ない存在である。その手口は、非情な他の企業に比しても強奪やら恐喝やらさらに荒っぽいが、違法組織やら犯罪組織やらという区分けが成立するかどうかは疑わしい。この時代、法律の枠組み(特に国家間をまたぐもの)がどうなっているかわからない国も多い(政府が存在するか否か等)からである。法律は大企業の取り決め以外の何でもない可能性もある。
 "Yaku"が企業と渡り合う手口は、古来の無頼と、近現代的な企業戦の手管が巧妙に入り混じったものである。『記憶屋ジョニイ』のジョニイの頭のデータがそうだが、情報を強奪するのはともかくとして、それにより「情報的有益性を削ぐぞ」「利益にダメージを与えてやるぞ」と多国籍を脅すのだ。

 特に『モナリザ・オーヴァドライヴ』から垣間見えるのは「企業的な合理性」と、根幹に流れる「義理(Giri ギィァリィ)」を両立させている組織という位置づけと、それに対する畏怖めいた言及である。
 スプロール・シリーズではしばしば、"Yaku"だけでなく、他の大企業にも、合理性(無慈悲・乾燥)と古来の精神性を両立させる、その空気が垣間見えることがある。特殊な例だと断られてはいるが、テスィエ=アシュプールの持つ近代ゴシック趣味などがそうである。

 一方、冒頭の話に戻り、現実の日本での相当する組織らを見てみると、近代化に伴って、企業的パワーを持つ組織にますます近づきつつあるのは確かである。しかし、「合理性」と古来の「義理」を、何の矛盾もなく両立させているかというと、冒頭に挙げた例のように、そこにはまだ及ばない。それはまだ情報時代が追い付いていないのか、それとも(スプロールが描く近未来が結局は現実の近未来と「ずれた」他の例のように)そもそもそこに追いつくことは今後もないのか。その是非についてはさておく。



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