SF/FT雑記




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ダニカとラサード


 「ダニカが優等生すぎてすごく鼻につく。てかこいつほんとに素モンクなのか」


 いやその「素モンク」という言葉からして、マルチクラスや上級クラスのあるD&D3.Xeの基準で根本的に勘違いしているのがわかるけど、あとがきのサルバトーレの嘆きを読めばわかると思うけどこれ実質AD&D1stモンクですがな。
 何度でも説明するが、版が変わるとまったくの別物になっているクラスやバランスはいくらでもあるので、古い記述(さらには、明らかに旧版ルールの数値データ)を間違っても3〜5版やましてやCD&Dなどの知識で他人に吹聴しないよう充分に注意する必要がある。特に留意すべきこと、ある意味「旧版の要素」として最も有名な点として、バード、レンジャー等も1stと2nd以降では強さもそれ以外の特性そのものも根本的に異なる。
 そして、ドリッズトシリーズも含め、サルバトーレは実際に書かれた時期に関わらず、1st準拠で構想されていることを念頭に置くべき場合が多い。


 モンクというクラスはすでにOD&D白箱の2冊目の追加ルール(Blackmoor, 1975)に見られ、AD&D1st(PHB1st, 1978)でも「基本ルール」のクラスになっており、別に東洋専門とか色物ではない。遥かに後出のCD&D(黒箱, 1985)のミスティックはほぼAD&D1stのモンクが名前のみ変わっただけであるが、数値的には1stよりもさらに若干成長が早く強い。特にローパワーなCD&Dでは、ミスティックの戦闘能力はかなり高かったことを覚えている旧プレイヤーも多いだろう。


 ところが、(上記サルバトーレのあとがきで嘆かれているが)AD&D2nd(PHB2nd, 1989)では、モンクは基本クラスから外されてしまった。アサシンやハーフオークが外されたのは、これら悪限定クラスや特殊な生い立ちの種族が(少なくとも初心者の)プレイヤーには扱いにくいためだが、一方でモンクが外されたのは東洋風であり、ファンタジー一般のイメージに相応ではないためではないか、と考えられている。その後、2ndでも各種の追加ルールでプリースト系のサブクラス(キット)として様々なバリエーションで表現されるが、基本的には素手戦闘にも長けたプリースト系(呪文等は同様のことが多い)であり、結局1stに近い形にはなっていない。

 さらに時代が下り、D&D3.0eでは、1stからの復帰組や他の多くの特殊クラスがそうであるかの如く、かなり弱体化されている。基本的な傾向や特殊能力等は1stやCD&Dと同様なのだが、基本数値や他クラスとの相対位置において、主に直接戦闘面(例えばレベルごとの素手打撃能力や、無装備の防御能力)が非常に弱くなっている。これは直接戦闘系クラスと差別化するように、という配慮と思われるが、では何をするクラスなのかが結局よくわからなくなっている。AD&Dの頃はカオスだったので、仮にそんなクラスが混ざっていても問題はなかったろうが、システマチックな3.0eでは余計に浮いている。


 なお、AD&D2ndにおけるモンクとしては、PCゲーム『バルダーズゲート2(BG2)』(及びBG1のリメイクのBGEE)のものがある。リメイクのBGEE/BG2EEではラサードというモンクのNPCも追加されている。
 このBG2は、TRPGの方でAD&D2ndからD&D3.0eへの過渡期になっている時期に作られたため、3.0eに近い形のルールがかなり導入されている。モンクの他、バーバリアンやソーサラーがそうである(2ndの同名のキット(サブクラス)とは全く異なり、3.0eに近いのでそちらから取ったと判断できる。ただし一方で、ローグのキットになっているアサシンなど、1stや3.Xeではなく依然として2ndに近いものも存在する)。しかし、このBG2でのモンクのデータは3.0eではなく、若干AD&D1stに先祖がえりしたデータのようで、さらに技能なども強力なので、3.0eのデータよりも戦闘能力は高い。

 ではBG2のモンク(BGEEのラサード)が強いのかというと、どうもそうとは言い切れない。AD&D2ndでは、HFO(純戦士)が凄まじく強いという話を余所でもしているが、2ndの中でも後期のかなりハイパワーなルールを導入しているBG2/BGEEでは前衛全般がかなり強い。序盤の話をすれば、前衛では高能力の純ファイターが序盤から武器技能をかなり高くできるHFOが強いが、モンクは(たとえAD&D1stでも)大器晩成職であり、特にBGEE序盤のラサードはかなりヘッポコな印象を受ける。それこそ強力なHFOと共闘でもさせないと前衛としてはかなり心もとない。
 BGEEには携帯端末版もあり、そこではEE版の新規NPCの何人かが別途ダウンロードコンテンツになっているのだが、ラサードは他のNPC(ハーフオーク黒騎士、残念魔王ドラウ、魔法暴発少女といったいずれも濃い面々)のような別途でなく、最初から本体に込になっているというのが、あたかも「有料で落とさせるまでのこともない薄い奴」という、その微妙な立ち位置を示しているようにも感じられる。


 話を戻し、ダニカは執筆された時期としてはAD&D2nd時代なのだが、だからといってその能力からは2nd追加ルールのモンクの各種とは考えられない。あえて考えるならば、1st準拠のモンクと考える他にないだろうが、1stの基本ルールのパワーバランスでは周りがもっと弱かったので、相対的に2ndにおけるラサードよりもさらに輪をかけてかなり強く見えただろうということである。






現地妻


 ニコ大百科


 世間でよく挙げられるのは、アドルの同類としてRoguelikeの域をこえて槍玉に挙がる風来のシレンや、アドルの裏返しとよくいわれる(後述するように、適切ではない)のランス(アリスソフト)である。
 この大百科の該当記事は、007や寅さんのようなシリーズ物のゲストヒロインに発して、「アドルで広まり、サブカルで自己パロ的に使われるようになった」かのような筋道で説明しているが、実の所そうそう簡単な話ではない。


 このサイトの読者であれば、英雄色を好むの格言だとか、ゼウスやサムソンや湖のランスロットからしてヤり逃げのろくでなしだろとか思うところかもしれず、ハリウッド映画等に見られるような英雄物語の「類型」の多数のうちのあくまでひとつでしかないともいえる。が、この図式は、RPGの原型となったFTのヒーロー像では、ことにピックアップされ、連綿と踏襲されてきたものである。
 RPG風FTにおける例は、英雄物の本家本元といえる『コナン』シリーズにすでに見られる。これは短編の毎回違うヒロインが出てきて、何人かは「一生ついていく」みたいなことまで言ってラストで同道するが、次の短編では当然のようにいなくなっている。これは、REハワードが決して年代順に書いていないためと、模作・スピンオフ作家らもそんなハワードの時間軸をおおざっぱにしか埋めていないためもある。
 ヒロイックFTやRPGのこうした体質は、上記神話伝承又は一般的ゲストヒロインの物の伝統という以上に、初期の欧米のヒロイックFTにコナンのフォロー(クローン、パスティーシュ、アンチテーゼ等)が数多く作られることを通じて定着している。
 アンチヒーローの元祖『エルリック』でも、わりとエピソードごとに女性が出てきてねんごろになるが、多くは非常に無残な最期をとげて後腐れなく(後腐れあったりもするが)退場する。虚弱体質で、特に絶倫とする必然性が見たらない(不能者の記号が数多く盛られ、魔剣が伴侶がわりであるという訳者の考察は妥当である)エルリックですら、わざわざそんな描写があるのである。(なお興味深いことに、ムアコックでもエルリック以外のコルムやホークムーンの身持ちはかなり固く、にも関わらず類型としてはエルリックが後代には踏襲されたことから、エルリックの一つ抜けた影響力の大きさを思わせる。)
 ここまで来ると、イースやシレンのようなRPGの感覚にだいぶ近くなってくる。同様の定番英雄、『アンバー』のコーウィンや『ファファード&グレイマウザー』でもコナンやエルリック同様、わりと次々と女性が出ては退場する。


 ゲームでは、すでに90年代のPCゲーム、例えば『ハーレムブレイド』等が、「世間的には勇者・英雄だが、実体は旅先で率先して女をヤり捨て続ける人間性ゲームオーバーなド外道・人間の屑」を描写している。(なお、この『ハーレムブレイド』の勇者アベルは、名前・外観をはじめアドルが原型とのことである。)
 『ランス』がアドルをはじめ多くの勇者の(女関係の)パロディとして作られた、というのは有名な話だが、もうランス(1作目は89年)から何年も経たないうちに、そのランスよりよっぽど女周りが外道な人でなしで溢れかえっていた、というのは、アリスソフト側も説明しているところである。


 結局のところ、女ヤり捨てとかいうのは「英雄らが密かに持つ、公にするのを憚られる暗黒面・裏の顔」等ではなく、コナンやエルリックやコーウィンから「英雄なら堂々と当然ヤって当たり前くらいの所業」であるから、それを大仰に取り上げてクローズアップしたところで、たいして意義のあることではなく、そんなランスが埋もれてしまうのも当然の帰結であった。




ポケットプレーンモンスター



 ピカチュウ アチャモ ポッチャマ バニプッチ ミノムッチ

  ↓ 井辻訳

 ピカホュウ アホャモ チ゜ッホャマ バニプッホ ミノムッホ



 特にミノムッホが暖かさを通り越して暑苦しい






ロシア語版ホビット1(この番号は紹介サイトがつけた分類)


 ロシア語版2と同様、ビルボがやはり額が後退したおっさんであるがロシア語1の特徴はモミアゲがものすごいということである。そのため1とは別の意味でむさ苦しい。一部の絵なぞは安彦良和御大の歴史マンガに出てくる脇役のおっさんキャラそのまんま。


 ここからあまり期待しない向きも出そうだが、ドワーフの表現などはかなりしっかりしている。ビヨルンに呼び出されて次々と登場するところなどは((その1)(その2)映画以前にして、ドワーフの各人がそれらしく描き分けられている。ウォツカと熊の国だけにお国柄なのだろうか。2枚目は左からビフール・ボフール・ボンブールであるが(なお画中のキリル文字は、英語から音写するとそうなるが、長音記号がないので、露語でどこにアクセントを入れて読むかは不明)映画版との解釈の共通点に注目。


 これなんかもまんま安彦歴史漫画の一コマである。こうなると「ホビットもドワーフも全員脇役顔なのにフロドだけシーブック顔」の安彦トールキンも読みたくなる。




CD&Dの普及率


 日本では、かつて和訳されていたのと同じ赤箱D&D=CD&Dが、「最初のTRPG」はともかく「海外で最もメジャーなD&D=TRPG」「CRPG(wiz等)の原型」等と誤解されているが、実際はCD&D(及び、ミスタラ世界設定)は海外ではAD&Dに比べればマイナーでしかなく、CRPGの発祥より遥かに後出であり、関連性が皆無であることはこれまでに述べている。


 しかし、Dragonsfootなどの海外掲示板によると、旧TSR担当者と名乗る人物の話では、ベーシックD&Dのボックスセット(英語版)は、生産終了までに累計100万セットほどの実売数であったという。
 この100万という数値は、日本のTRPGの普及率から考えるととてつもない値に見えるらしい。これも同様に不確定情報だが、旧新和担当者によると、日本での赤箱の販売数は総計で20万ほどであったという(※1)。
 この値を根拠に、100万も売れたCD&Dは海外においても、「AD&Dの派生のマイナーなどではなく、メインとして普及していたとしか考えられない」と主張する日本人もいる。


 しかし、AD&D1stの普及数は別の所でも述べたが、ガイギャックスの『ロール・プレイング・ゲームの達人』(80年代前半時点)等によると700万(米国のみ)〜1000万(英語圏推定)ほどである。これは1stの途中の値で、しかも、ドラゴンランスやフォーゴトンレルムの書籍の大ヒットでさらに爆発を招くよりも前であり、累計販売数はもっと売れただろうし、2ndを入れるとさらに大幅に膨れるだろう。
 ガイギャックスは同書で、1グループ(卓)の一部の者のみでもルールを購入すればプレイできるので、実際に売れた数よりも「実際のプレイヤー数」は多く、2倍ほどではないかと推測しているが、2人しか揃わなくても延々やってたのはあんた(モルディー)とクーンツ(ロビラー卿)だよ、ってなことで、どう考えてもその値は2倍よりは遥かに大きい(一般にD&D系ではプレイヤー4人、DM1人の5人のグループが想定されているが、もっと規模が大きくなることも多い)。


 また、CD&Dは日本で「CD&Dの発祥年(AD&Dと分岐した年)」と説明されている1977年の第二バージョン(これは、第一バージョンをOD&D白箱としてカウントされているためである)の時点では、実はルール的にはまだAD&D(要はDragon誌等で拡張されていたOD&D)に近いものであり、高レベルではAD&Dに移行するための、低レベルルールしか存在しない「AD&Dの入門編」という内容であった。(そのため、これも日本でしばしば流布されている「CD&Dは77年に出た=赤〜黒箱の形になったものが77年に完成した」という前提も誤りである。)
 さらに、AD&Dとは完全に別物となったCD&Dの第三、第四バージョン(1981-84年、メンツァー版、赤箱)以後も、依然としてCD&Dは「AD&Dの入門版」としての役目も持っていた点は留意する必要がある。つまり、AD&Dが遥かに普及した海外では、CD&Dで赤箱で上げられえる3レベルまで上げたら、あとはAD&Dに移行するプレイヤーも少なくなかったのである。
 すなわち、CD&Dボックスの売り上げ100万がそのまま、全員CD&Dの(青箱以降の)プレイヤーとして残った人数ではない。


 とはいえ、CD&DがAD&Dの10分の1ほどというのは、だいたい違和感のない妥当な値のように見える。要するにCD&Dは日本の5倍、AD&DがそのCD&Dのさらに10倍(日本のCD&Dの50倍)というスケールだったわけである。


 CD&Dが単なるAD&Dの入門という位置づけだけでなく、青箱〜黒箱まで上げられるようになったのはCD&D自体でも続けたいというそれなりのニーズがあったためであるし、ミスタラ世界設定や多数のシナリオモジュール、さらには本国でもミスタラの『ストロングホールド』などのCRPGも独自に作られる(ただしカプコンD&Dは、基本的に日本産で話は全く違うので、ここでは触れない)など、CD&DはAD&Dよりも遥かに少ないとはいえ、海外でのD&Dシリーズは万事、2万かそこらのWizardyやUltimaなど吹けば飛ぶほどの巨大な規模・普及率である。
 無論、最終的にはミスタラ世界設定もAD&D2nd用となり、AD&Dの後継にあたる3.0eの時代には「プレイヤー数が減ったから」という理由(WotCの説明より)でCD&Dの後継ルールは消滅することになる。



※1 日本では、一見するとTRPGの知名度がかつてとは比較にならないほど高くなっているように見える2010年代の現在ですら、TRPGのルールブックは万単位ならかなりの成功と言われるらしい。とある日本製TRPGのファンは、「10万部売れた」(批判する側に言わせれば、10万に達するのはかなり情報操作的な屁理屈込だという)というのを、最も支持されているTRPGという決定的な根拠として主張している、とのことである。
 ここから考えても、1980年代の日本でCD&D(新和版は85-91年まで)が20万というのは、確かに相当なものらしい。
 おそらく、8bitPC用RPGや、初期DQの大ブームの当時、それらの「原型」(これは全くの誤解であるが)としてPC雑誌等で宣伝されていたCD&Dが受けていた注目は、今のTRPGから考えても、かなりのものであったと思われる。
 もっとも、それでも「他の国でのTRPGの普及のスケール」から考えれば微々たるものでしかないのは、記事本文で述べている。





非魔法戦士ドリッズト


 ドリッズトは、ほぼどこのどんな紹介を読んでも「魔法戦士」と書いてある。例えば旧富士見版でも扉のキャラ紹介ページには「剣と魔法の達人」などと書いてあった。アスキー公式の宣伝ページでも「魔法剣士ドリッズト」と書かれている。日本の多くのきわめて情報精度の低い解説サイトでも大概そうなっているが、この手のサイトについては「チート」などという言葉同様、自分でドリッズトのデータを充分に理解して評価しているとは到底考えられない以上、上記の公式の言葉を鵜呑みにしている可能性が高い。なお、日本の解説サイトには、公式等の魔法の物品(2本の魔法の剣やグウェンワイヴァー)を用いるという説明を、「魔法剣を使う魔剣士」等からの連想から明らかに誤読している場合も散見される。


 実際のドリッズトのデータ上の「魔法」の能力は著しく低い。同じレベル(経験値)のキャラで考えた際、真の魔法戦士(各種マルチクラスや、ダスクブレード、2ndワーロック)は無論のこと、他の標準的な「魔法も使える戦士系」(へクスブレードは勿論、パラディンすらも)と比べても非常に乏しい。
 具体的には、『アイスウィンド・サーガ』当時のドリッズトはAD&D1stで10レベルレンジャーである。*band用語集などで述べているが、AD&D1st/2ndのレンジャーは戦士系のサブクラスでしかなく、魔法能力はまさに雰囲気づけのおまけでしかない(ただし、日本では特にソードワールドなどのTRPG普及より以前は、レンジャーそのものが「魔法戦士」を指す語と誤解されていたことがしばしばあった)。1stのレンジャーはドルイドとマジックユーザーの呪文能力を持つが、8レベル(3e以降や一部バリアントのような4レベルではない)から覚え始めるので、10レベルでは文字通り数えるほどしか呪文が無い。もっと具体的に言うと、「1レベルのドルイド呪文を1日2回、1レベルのマジックユーザー呪文を1日1回」である。そのうちのひとつが、ドリッズトが特によく使用する(濫用する)、最も初級のドルイド呪文であるFaerie Fireである。
 ドリッズトはAD&D2ndのデータでは大幅に強化され、16レベルのレンジャーである。が、2ndのレンジャーは自然系の一部の呪文しか覚えられない。具体的には、2ndレンジャーが使えるのはAnimal及びPlantの呪文に限られ、前記Faerie FireはWeatherの呪文なので使用できない(これは基本ルールの話で、例えばCRPG『バルダーズゲート』ではレンジャーとドルイドの呪文が一本化されているが、これはCRPG化による簡略化なので注意を要する)。この自然系は3.Xe以降の分類とは異なり、説明がややこしいのでさらなる詳細は略すが、活用できる場面はきわめて限られている。1st時代の小説でドリッズトが使っていた呪文のうち、2ndのレンジャークラスに使えないものは、「ダークエルフ(ドラウ)の生来の疑似呪文能力」という設定に変更されている場合もある。
 D&D3.0eのデータ(FRCS)ではドリッズトはさらに強化され、脅威度18だが、戦士・バーバリアンとのマルチクラスであり、大半は戦士のレベルで、レンジャーのレベルは5レベルにすぎない。3e以降のレンジャーは4レベルから呪文を習得し、判断力ボーナスはあるが、正直レンジャーとしての魔法能力は2nd当時よりさらに低い。魔法能力の多くはドラウ生来の疑呪である。
 種族の疑呪を使っているにすぎないのを、「高度な魔法を会得している達人」であるかのように書かれているのは、正確な表現とは言えない。


 にも関わらず、小説内のドリッズトは実際に、魔法をとても活用しているように見える。作中では上記Faerie Fireをはじめ、わずかな低レベルの呪文や疑呪も効果的に使用され、さらに効果以上に華々しく(ルールと矛盾があるという意味ではなく、フレバーが豊富に)描写されている。これは別作品の同様のレンジャー主人公、偽一も同様である。(ただし偽一の場合は以前述べたように、版上げの際のルールが確定していなかったらしく明らかにレンジャーが使用できない呪文を使用している。)
 つまり、ルール的にはさほど高い能力ではなくとも、それらしい気分になることは充分にできるわけだ。いわゆるD厨が陥りやすいパワーを追い求めるゲームばかりが正解ではない、という例である。


 ただし、それはドリッズトの能力を、「ゲーム内データでも、チート級の魔法の達人」などと鵜呑みにして言いふらしても良いか、という話とは全くの別問題である。



検索ワード


>nwn アニメ顔 hak セイバー


 以前も紹介したが多分ここ。この人は、仮に今でもNeverWinterNightsで活動していたら紐神様とか騎士型レーシングミク2015とかのhakだとか作り続けていたのかもしれない。(なお、他の洋ゲーでmodと呼ぶものだが、nwnではhakと呼ぶ。)
 かつては、こういったコンテンツを含めて、nwnのコンテンツを和洋もの問わず集約していた海外サイト、nwvaultがあり、調べようと思えばそこを手掛かりにすることができた。が、ここが消滅したのがかなり痛い。いまどき自力でnwnのマイナーなコンテンツを探すのはかなり難しいだろう。


 nwnは、洋物ゲーム・TRPG準拠といった不利な要素がばかりが集まったシリーズとしては、個人製作のmodが数多く和訳されるなど、日本での個人製作・支援活動も慎ましいながらもかなり充実していた。しかし、現在では数々の集約サイトの消失に加えて、上記nwvaultの消滅が相当な痛手になっている。
 海外では、D&D3.0e準拠のnwnは(特に3.5eのnwn2が若干期待外れだったこともあって、nwn1も根強い)現役のツールとして使われ続けている。(AD&D1st準拠のFRUAや、2nd準拠のBGのmod製作がいまだに根強いことからも、D&D系自体の普及率もその理由と思われる。)上記nwvaultの消失後も代替のサイトが登場し、復旧も盛んである。
 海外ではこのように底力があるが、日本では上記したような不利な要素に、さらにnwvault消失のようなちょっとした向かい風が少しでも吹いても、いとも簡単に消滅してしまうのだ。TESなどの個人製作コミュニティはこのような轍を踏まないことを祈るしかない。





スォードとかワォーハンマーとかはもはや失伝対象に入っているのではないか


 なるほど、細々とでも長年の伝統を後代に伝えてゆくほかあるまい。
 まず、「スォード」から始める。最初の音節について、最初から母音オの「ソ」と発音してはならない。「ソード」となってしまっては誤りである。最初の音節は母音ウとして、「ス」と発すること。
 また、「ス」と発して口がすぼまった状態から、そのまま「ウ」を発音してはならない。「ス ウォー ド」となってしまっても誤りである。「ス」の母音ウから「オ」と口を開き直して「ス オー ド」となってしまってもいけない。
 「ス」を発したら、そのままの状態から口を自然に縦にゆっくり開きつつ「ォー」と発音する。「スォー ド」と発音できただろうか。
 発音できたら、以下も同様に試みてごらん(赤箱説明文風)。


○ワォーハンマー
 「ワ」と「オ」を独立に発音して「ワオー」となってしまってはいけない。自然に「ワォー」とつながなくてはならないのは上記スォードと同様である。

○ワァーウルフ
 「ワー」となっても、又「ワアー」となってしまってもいけない。なお、ネット上には、これを上記ワォーハンマーと混同し「ワォーウルフ」として発音を指南しているものがあるが誤伝であるため注意せよ。

○インビィジビィリティ

○ファィヤーボール

○フアィター

○ヒットタィス

○コンジュァェレメンタル

○メドューサ

○ホブュブリン


 これらを習得してしまえば、以後、他のファンタジーの難読人名、例えば『シェゾ・ウィグィィ』などが発音しにくくて悩むようなことは決してなくなるであろう。



敬虔な修行僧のごとき姿


 少し前までどちらか片方を見るたびにもやもやと落ち着かなかったのだが、ある日突然繋がった。
 バルダーズゲートのミンスクと、∀ガンダムのコレン・ナンダーである。中身はぜんぜん違う……ような……思ったより違わないような……





銃と魔法(1993)


 ここで『銃と魔法』という作品内容自体については触れない。この作品については当時から、銃器の存在する文明とエルフ等の亜人などの存在するファンタジーを融合させた世界設定について「それまでに無かった斬新なアイディア」のような筆致が見られた。今に至っても、ファンタジーと銃器の組み合わせのはしりのような文脈では、この作品が挙げられることがある。(特徴はそれ以外の点にあるが、それも今回は省く。)


 しかし、思い出せば、『シャドゥラン』(1989)を例にするまでもなく、そんなものは既にありふれていた。ウルティマ1なぞを例示してもたいして意味はないが、このうちあまり具体的な中身は思い出したくもないものに、角川系の漫画雑誌の、現在では「最低系・暗黒時代ファンタジー漫画」とか蔑称されているものに、「ファンタジー世界なのに銃が出てくる」ものは、かなりの量があふれかえっていた。
 例えば、ファンタジーRPGのコミカライズを無名漫画家が手掛けているものなどで、原作に銃器などカケラも出てこないにも関わらず、漫画の方は当然だろうというような顔をして、敵も味方も延々とサブマシンガンを連射し続けて闘う場面ばかりだったりするのである。
 無論、オリジナル世界でも、剣も銃器も当然のように出てくるようなFT作品は、暗黒時代にはそれ以上に多かった。例えば、2000年代冒頭の日本製TRPG『アルシャード』1版のルールブックには、すでに古典的ファンタジーが飽きられた今となってはファンタジーには近現代文明も当然あるべき要素になっている、とでもいうような姿勢で書かれているが(これはアルシャードについてよく言われていることだが、FFが6や7以降に導入した世界設定のFT全般への影響力を過大に錯覚していたという説もある)むしろ古典的ファンタジーが本当に知られる前の頃にこそ(本当に知られることがあったのかははなはだ怪しいが)それらは溢れかえっていたものであった。


 理由はいくらでも考えられる。当時の、いわゆる「ドラクエのような(ビジュアルは)コミカルなファンタジー世界と差別化する」という意図を有していたのかもしれず、および/または、ドラクエと差別化する手段が「ドラクエのような世界には存在しないものと思われている銃器を出す」他に思いつかなかったのかもしれない。
 これと似たような理由だが、ファンタジー世界を描こうにも、FT/RPGの類型も典型のノウハウもなく、描きようがなかったのかもしれない。(これとは別に、そんな時代にも関わらず必死で、銃とかの出ない純粋なFTをなんとかして描こうとしてこの時代に乱発されていた、いわゆる『肩パッドファンタジー』の、テープメディアのピコピコゲームのごときたまらない魅力については、別の機会に譲る)
 もっと端的に言えば、「剣や魔法を用いた戦闘」を想像もできず、調べようもないような作者が、既に知っていたり調べることができた「銃を用いた戦闘」を描写するしかなかったのではないか、と推測できる。
 これらの事情は個々の作者の責というよりも、そうするしかない(それ以外は難しい)時代だったのである。このような暗黒時代は何か現在のFTの役に立っているのだろうか。それはこれら暗黒銃撃ファンタジーを描いていた本人達にでも聞いてみないとわからない。





”悪名高き”バーグル


 大きな善とは、日々どんな小さな善でも行うことから始まるといろんな所に書いてある。
 では偉大な悪とは何か。無論のこと、どんな小さな悪でも機会を逃さず、厭うことなしに実行することより成る。
 それはゲーム史上に残る偉大な巨悪の数々がその行動でもって証明している。老婆から財布をすりとるワードナ。街にわざわざ出かけていって、子供やホームレス少女や古物商からじきじきに銀製品をくすねるダルク=ファクト(※1)。農村に出かけていって豚を盗んだり作物を枯らすアンサロム。


※1 これは『イース』の最近の描写や派生創作では、部下とか、ひいてはイース2以降に登場する魔法使ダレスが命じられて行ったことになっているが、少なくとも1作目の最初のPC版のテキストを見る限りでは、どうやってもダルク=ファクト本人の仕業としか読み取れない。


 そして、CD&Dの赤箱の初代悪役にしてミスタラ世界設定の代表的ヴィランである”悪名高き”バーグルも、すでにブラックイーグル男爵の腹心の地位を得ているにも関わらず、敵国(カラメイコス)の野に潜んでゴブリン一人を手下にけちな窃盗で食いつなぐことも全く厭わない。
 かれらの所業を「スケールが小さい」などといって軽視するその程度の覚悟、悪の道が一日にしてショートカットで成るとでもいうような安易で軟弱な精神では、所詮大量消費される残念魔王がせいぜいであり、ワードナらのように語り継がれる巨悪に至るにはほど遠い。小さな悪の心を知らずしてどうして巨悪を知れようか。とかその場の口から出まかせを書き連ねているうちにだんだん眠くなってきたので本題に移る。


>バーグルは山賊のたぐいで、金は盗む、人殺しはするで、
>君の町を恐怖のどん底にたたき込んでいたのである。
(新和版ベーシックルール、プレイヤーズマニュアルより)


 赤箱の入門用ソロアド冒頭でこの表現を読んだとき、バーグルがいわゆる「シーフ」か、「カオラックとかエビルクとかのフアィター」のようなものだと思った人はかなり多いのではないか。
 しかし、ソロアドが進んで本人が登場すると、いきなりマジックユーザーなので意表をつかれる。ひょっとして原語では上記の「山賊」とはやや違う言葉なのではないかと思い、英語版をあたってみる。


> Bargle is a sort of bandit, who has been stealing money,
> killing people, and terrorizing your town.
(Frank Menzer, 4th edition players manual, 1983)


 原語のバーグルの説明の「山賊のたぐい」は原語では"a sort of bandit"である。このbanditという単語は同じベーシックルールのダンジョンマスターズルールブックの方のモンスター欄にも載っている。「徒党を組んだNPCシーフ」、いわゆる敵としての山賊である。つまり原文でもこの箇所はシーフのたぐいを連想させるものにしかなっていない。だめじゃん……。


 バーグルは最初の赤箱のダンジョンマスターズルールブックのシナリオ作成指針によると「5−7レベル」と書いてあるが、赤箱冒頭のソロアドではマジックミサイルが1本しか出ていない。CD&Dでは(AD&Dや3e以降とは異なり)1レベルで1本、+5レベルごとに2本増えるので、6レベルで3本になる。3本になっていないということは、少なくともこのソロアド時には5−7レベル中では「5レベル」であることがわかる。演出であることを承知の上で言えば、マジックミサイルやチャームやインビジビリティを切り札としていること、(聖職者アレーナのメイスを事前に食らっていたとはいえ)出目によっては主人公フアィターの一撃で即死することがあるなどから考えると、ソロアドの時点では5よりもレベルは低いのかもしれない。
 しかし、後のミスタラ設定の書籍では7レベルどころか、「15レベル」だとか、もっと後には「28レベル」にまで拡大している(ちなみに、ミスタラ世界設定では魔法国グラントリやアルファティアには30レベル以上のMUが相当数おり、28レベルはMUの少ない平均的な国では非常な脅威ではあるが世界有数というレベルではない)。


 となると、プレイヤーはソロアドやミスタメア城の冒険で「レベルが低いうちに討っておきたい」衝動にかられるであろう。そういうプレイヤーに対してバーグルを出さずに済ますというのも興ざめだが、仮に討たれた場合、エルリックサーガのセレブ=カーナのごとくいつのまにか生き延びただとか、クローン(8レベルMU呪文)や兄弟がいることにしてもいいがいささか興ざめではある。
 推奨としては、そんな無理を行わなくとも、バーグルを無事にプレイヤーキャラに倒させた後に、まったく別の魔法使(バーグルの弟子でも、ジャンプ漫画インフレ的に次はもっと大物でもいい)がかわりにブラックイーグル男爵に仕えたことにしてもよく、その卓では以後、ミスタラ設定のバーグルと書いてある所をその新人に置き換えればいいだけの話である。新人は美魔女がいいね。もちろん下心じゃなくてモンデイン→ミナクスとかワードナ(ゲートキーパー)→ソーンのオマージュだよ。なので、結局バーグルを討っても討たなくても、プレイヤーにもDMにもたいして問題はない。





セバスチャンの謎


 映画版Hob.第1作で、ラダガストが介抱しているハリネズミに、いきなり中つ国らしからぬ現代欧州人のような「セバスチャン」という名前がついていることに驚愕した(*bandファンなら、どこの執事かとか思っただとか)という話は多い。
 ネーミングの動機のことだけをいえば、メイキングによると単に関係者の飼ってる犬の名から取ったという話らしく、たいした深い意味はないらしい。のだが、第1作公開以来、ハリネズミなので、弁慶のような死に方をした聖セバスティアヌスに由来するのではという推測が既に各所で述べられたり、そんな現代西洋人の名前がついているのが不自然・不可解であるとか、そこを無理やりエルフ語にこじつける(アタランテやインカヌスのように)試みが多数なされているようであるが、どうやら熱烈なファンらの情熱をもってしてすらお手上げとなっているようである。まして筆者には、エルフ語との対照や、作中でのこの語の位置づけについてはたいして意味のある説は述べられそうにない。


 ただし、現代欧州人のような名前が一体中つ国に許容されるのか、という問題に関してだけは、結論としては、このセバスチャンという名は「何かこの地域の平凡な名前」であることを示すにすぎないメタ構文、と考えることができる。banazir(西方共通語)→samwise(英語風語感)の変換、及び、トロルの「バート、ビル、トム」という名それ自体が、「ホビットやトロルが、現代英米人がその名を聞いて感じるのと同じくらい平凡すぎる名前を持っていた」ということを表す「記号」にすぎない趣があるのと同様である。


 ではなぜ、こちらはホビットや北方人(ノースメン)によくある古英語や北方起源風ではないセバスチャンという(ギリシア語起源で主に西・南欧の)名前なのかというと、これも適当にこじつけるならば、この場所が闇の森 Mirkwoodであり、Mirkwoodとはトールキンの書簡(Annotated Hobbit注釈に引用)によるとドイツ南方の異民族と接する森を指すゲルマンの古語から取られた語であることに関係づけられるかもしれない。ここに住む者にとって最も平凡な名とは、エリアドールでのような英語風より、ドイツや欧州奥地の人名なわけである。
 なので、この名には「平凡な名である」という意味そのものも含まれているとすれば、上記の主張のように、セバスチャンをエルフ語の名前に変換(聖セバスティアヌスから相当する有名人に変換する等で、矢が多数刺さって死んだケレゴルムに置き換える等)することは必ずしも賛成しかねる。



フェアノールの血統(意味深)


 中つ国wiki - フェアノール注釈


>『The History of Middle-Earth』によると、
>フェアノールの次男マグロールと四男カランシアは結婚していたとされるため、


 マグロールとカランシアとが同性+近親 .*・゜゚・*:.。..。.:*・゜ア 〜 ン ゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*みたいなことを一部女性ファンが、たぶん勘違いはしないだろうけどひょっとしてなんか連想したりはしないだろうか。杞憂だねきっと





ファンタジー世界とかドラゴンなんて現代兵器があれば楽勝だろ


 この手の議論は大概ドラゴンや魔法の強さがまちまちなので収拾がつかなくなるが、よく「ドラゴンや魔法の設定が一番詳しいのはD&D」というのも話題に出るがそっから先の考察になったのをついぞ見たためしがない(例に出してはみたけど面倒、という気持ちはよくわかる)。
 D&Dというより、旧版(今でもむしろ4版より盛況という話もある)の3.Xe準拠の汎用ルール・d20システムには、まんま現代〜未来兵器のルールがある。兵器とFTの力関係として、なんだかd20では大概の神格を相手にするよりはモビルスーツを素手で倒す方がまだ簡単だと以前どこかで書いたような覚えがある。当時なぜそう思ったか全然覚えていないので最初から検証してみる。


 d20 mechaには数十メートルの巨大人型兵器が当然のような顔をして"mecha"として載っている。なおd20 robotというものあるがこっちのrobotはアンドロイドや自律ロボ(アトムとかキカイダー)を指す。もっとも大型や巨大robotもデータ化できるのでプルートウやブラックオックスやラピュタの庭師も可能ではある。
 自律robotは置いといて、d20 mechaでは、メカの性能は文明レベル(特に武装)とサイズに大きく影響される。文明進化レベル6ではすでに様々な遠未来兵器・装備が出てくるので、モビルスーツの目安の宇宙世紀のテックレベル、さらにこの手のスレッドは「現代兵器のなんとか砲」云々の話だから武装は文明進化レベル5で考えてみる(これでも厳密にはかなり未来だが)。サイズはモビルスーツの10−20m級で、武装もそのサイズの超大型火砲とする。
 ドラゴンは「どんな強いのでも楽勝」とか言われるくらいなので、あからさまに若く小型のとかは避けてd20のSRD3.5のレッドドラゴンのグレートワイアーム(エイジカテゴリー12)を引いてみる。全員がこれより強いとかのドラゴン種族や、レッドドラゴンでもさらに強大化したものはいくらでもいるが、本を引っ張り出すのも強大化を計算するのもめんどっちィーからとりあえずこれを引く。ついでにヘラクレスとソーを、3.5eへのアップデートがめんどいから3.0eのDeities and Demigods (DDG)から引く。


       hp     ダメージ(期待値)
メカ     200 ※1 マシンガン(17.5)、ロケットランチャー(35)
ドラゴン   660 ※2 ブレスウェポン(132)、肉体攻撃(53とかいっぱい)、術者レベル19呪文
ヘラクレス  800 ※3 太くて逞しい鬼棍棒(51.5x4)、現実変容(無限ウィッシュ)等
ソー    1260 ※4 むじょるにあ(107x4)とかあといっぱい


※1 進化レベル5では硬度10の強化構造と+5ACが可能
※2 DR20/Magic(非魔法攻撃の全ダメージを20軽減)
※3 DR40/+4(+4魔法武器未満の全ダメージを40軽減)
※4 DR71/+5(+5魔法武器未満の全ダメージを71軽減)


 ダメだこりゃあ。
 パワーゲーマーのD&D系古強者霊媒師らは何か抜け道を知ってるのかもしれないが(もっともドラゴンや神格の知能の裏をかければの話だが)少なくとも正面からでは、モビルスーツではドラゴン相手にひとたまりもない。ドラゴンにはDRから考えてMSサイズのマシンガンやらでは文字通りかすり傷ひとつつかず(D&D系準拠のd20ではヒットポイント減少は傷ではなく疲労等のあらゆる消耗を含むが、それすら一切与えられない)ロケットランチャーを44発ぶちこむ必要があるが、相手の攻撃力と精度から考えて1個中隊でかかっても絶望的である。(なお、先に発見できる・先制で集中攻撃できるその他有利な条件で戦える可能性は相手が「D&D系準拠の魔法の」19レベル術者だという時点で特に考察する必要なく完全に捨てて構わず、むしろ戦闘に入るまでもなく壊滅させられる可能性を心配した方がいいのだが単にめんどいので省く。)メカの硬度10は常人(ノーマルマン)が扱う個人レベルの現代兵器からはクリティカルでもない限り損傷しないが、ドラゴンやヘラクレス(村正の10-50(期待値30)がRPG史上最強の物理打撃? お前は何を言ってるんだ)に殴られたりすれば単なるちり紙である。ブレスウェポンや術者レベル19の呪文や現実変容やムジョルニアに至ってはまるっきり防ぐ手段がない。ビームライフルとかあればとか思ったが、重力制御時代の進化レベル7とかから探しても、プラズマライフルが期待値42とかだし、よく考えたらこのへんのエネルギー攻撃はドラゴンには一切無効だった。
 こういう流れになると「核」ならどうだとかいう話が持ち出されるのが常であるが(もはや「楽勝」とかいう主張はどこかに置き去りにされているがそれはともかく)投げやりに言えばティルトウェイト(Apple][版)相当の戦術核の期待値55ではDRこそ抜けるがやはり数十発即時連続(時間を置いたら勝ち目はない)で叩き込まないと話にならない。なおソーに対してはDR自体が抜けず、スーパーマンの設定のパンツが破れない理由のところによく書いてあるように核がたとえ直撃しても傷どころか疲労の原因にすらならない。


 繰り返すが、この程度はd20のドラゴンの中では天井からはほど遠い。それに対して未来のモビルスーツ級メカでこうである。現代の兵器なぞ言うに及ばない。
 現代火器を持った「人間」? 未来じゃなく「現代」? それもMSじゃなく「人間スケール」の火器? いやこん中じゃあ銃持った人間なんて戦闘力5のゴミだよアンタ……


 そもそもメカや銃火器が弱すぎるルールなんじゃないかと思うかもしれないが、海外ではd20とは2000年代の一時、現代物や未来物も含めて他のTRPGをほとんど淘汰(刷新)していた業界標準ルール(独占商売として業界全体で問題視されていた)という事実を述べるに留める。
 むしろ「ファンタジー側の人間」(数レベルで数十hpを得て十数ダメージを出せるようになり、魔法の武器や支援があればDRを抜ける)が強すぎるのではないかという疑問が出るであろうが、「人間」の殆どは3.Xeやまして4版のプレイヤーキャラを大幅に下回るノーマルマン(hpは一般人で2か3、軍隊で訓練を受けた兵士で3か4かそこら)である(ちなみに高レベルのキャラのhpの増大とはD&D系のhpの定義上「致命傷を避けられるあらゆる能力の増大」であり、ビームが運よく(これもhpに含まれる能力として例示されている)近くに着弾して髪がチリチリになって助かっているが次に来たら恐らく助からない、という状態も指す)。冒険者といえども大半は数レベル上がる前に戸板の下から出てきたキャリオンクロウラーの触手攻撃でお陀仏だったりするのでそこから抜け出るなど本来リヴァイ兵長級に希少である。3.Xeでは誇張されて各国家に数人くらいはいるガンダムファイター状態になっているが、これがさらにJRPGでは、時間さえかければ何の危険もリスクも負うことなく(リセットすればいい等)誰でも強くなるようお膳立てされ誰でもお手軽・君も明日からリヴァイ君という見るからにばかげた状態が、レベル上げが「簡単」なことなのだと世界観を錯覚させているにすぎない。
 ともあれ、hp3の人間はMSサイズメカの攻撃を受ければ宇宙のイシュタムの旧ザクに殴られた連邦兵のごとく血煙以外何も残らないわけで、別にメカが弱すぎるルールというわけでもない。兵器の10台や20台のダメージとは、現代文明にたやすく尋常ならざる破壊をもたらすものであり、それに耐えたり凌ぐ破壊をもたらす「モンスター」とはそれほどまでに人類に対して圧倒的なのだ。
 ついでに、MSサイズのメカがこの程度の強さならやっぱりガンダムファイターはガンダムに乗るより生身の方が強いのか、という話になるだろうが、メカによっては(他の兵器と異なり)搭乗者とメカの能力を「加算」するようになっている場合がある。10m未満級のメカでもキリコが乗れば結構な脅威度のモンスターと渡り合うかもしれない。キリコ級でない限りどうしようもないってどうなのよという気もするのはさておく。


 現代兵器なら楽勝だと提案する側は、多分そう思うに至った作品しか念頭にないと思われる。が、少なくとも「世界で最もドラゴンが詳細に設定されたデータ」においては、ドラゴンとはこのようなものとして位置づけられている、ということは言っておく。兵器を有利にする目的で「架空のドラゴンの側に対して考証の緻密性を明らかにより欠いた設定」の方をあえて選択するようなことを行えば、我田引水・御都合主義の誹りは免れないだろう。


 ちなみにBRPホークムーンのソリアンダムロボがBRP CoCのダゴンとだいたい同等の能力のデータになっていることが有名だが、d20 CoCのダゴン半神(D&D3.5eのデーモンの方じゃなく)を見ても、d20 mechaの10m未満級のメカとよく似た肉体能力を持っていることから、このd20データはかなり参考になりそうだ。






3大魔法使の夜


 「『グレイホーク』世界のモルデンカイネンは、ワールドの壁を飛び越えて『フォーゴトンレルム』世界のエルミンスターや『ドラゴンランス』世界のダラマールと会ったことがある」という設定は、(主にレルムや4版などの別世界設定のプレイヤーからは)「んなバカな話があるか」のように大嘘と思われている場合がある(例えば、この動画のコメントなどを参照)。というか、有名D系サークルの誰かが流したお笑いネタだとか、あたかも「ペイロア神の信徒は高司祭RSoP以外も全員モヒカン刈り」等と同様ファンの間でなりゆきで定着した単なるネタなのだと、本気でとられている場合もある。
 なにせ、筆者の周囲の先輩CD&Dプレイヤーらにさえ、「3人で草原にピクニックに行って弁当を食っているダラマールの向こうでモルデンカイネンが闘っている場面がある」などと話しても、誰ひとり信じようとしなかった。


 これらのエピソードは、Dragon誌の不定期連載、The Wizards Threeである(Greywiki)
 これはフォーゴトン・レルム(FR)の原作者である、エド・グリーンウッド作の記事で、地球の(本当の)エドの家に3人が押し掛けてきているという設定になっている。そもそも、レルム設定のベースとなったかつてのDragon誌の「忘れ去られた領域」の連載自体が、地球のエドの家にエルミンスターが世界の壁を飛び越えて押し掛けてきて語った話、ということになっているので、そこからのさらなる延長と考えれば、それほど突拍子もない話というわけではない。
 主に後半の挿画からもわかるように、3人のいずれかの代理として(あるいは、加えて)モルデンカイネンの女弟子などが出席することもあった。


 D&D系の強大な術者としてグレイホーク(WG)・FRそれぞれの世界設定で有名なモルデンカイネンとエルミンスターはともかく、なぜドラゴンランス(DL)世界からはダラマールなのか。無論、ダラマールの能力が低いわけではないが(事実、時代によってはDL世界で最高位の魔術師であることもある)、DL世界にはもっと強力かつ有名な術者なら他にもいる。しかし、レイストリンやフィスタンダンティラスが、WG・FRの2人とまともに交流できるとは思えないし、パリンはまだこの頃にはおらず、他の時代の魔術師の首座ら等はいささかマイナーキャラである。そう思うと、それなりにファンに知られ、なおかつDL世界の問題児キャラの中では最もまっとうな人間性を持つダラマールが最も適任ということになるだろう。


 これに関連した話として、『ドラゴンランス伝説』には、レイストリンがダラマールに「時間遡行」について説明しようとし、まったく理解できないダラマールが、悩んだ末に「この世界(異次元界含め)の向こうにある別世界に行くようなことでしょうか」等と答え、逆にそんな答えはレイストリンすらも予想していなかった、という場面がある。無論、これはのちにダラマールがその「別世界」を訪れることと対応する。






ドラゴンのベース


 ダンジョンズ&ドラゴンズのドラゴン

>しかし、こういうのクッソ高いんだよなあ。
>Amazonで見たら中古で1万以上とかするし。


 何度も述べていることだが、「D&D系を知らずにFTやRPGを語る」とは、「江戸時代とか江戸幕府とか徳川家とかをどれも名前すら知らないまま、17−19世紀の日本史を語ろうとしている」ようなものである。
 それがどんな珍妙な様相になっているかは、例えば「D&D系を(名前しか)知らないので、Wizardryやソードワールド以後のTRPGのような中身を基準にFTやRPGの世界が回ってきたかのように無理矢理説明しようとしている連中」の言語を絶する奇行の数々として、このサイトではこれまで存分に述べてきている。


 参照困難な古文書ならばともかくも、労力や時間を費やせば手に入る知識に対して、それを一時躊躇ったばかりに上記wiz信者と同じ袋小路に入りこんでしまった後では、一生かかっても軌道修正は不可能になるかもしれない。


 HJの回し者かよとか思うかもしれないが残念それは逆である。無料のがいくらでもある。英語なら公式のSRDとか5eベーシックルールとか、古いD&DやAD&Dの各種クローン(OSRICとか)の無料のとか、あと日本語なら、有志が訳したPathFinderとか5eとかあるから良さげなのをさがしてごらんぬ。


 あと非常に余計なことだが「ノウンワールドのドラゴン」について、ノウンワールドとはCD&Dの「ミスタラ世界設定」のうち、通常知られる地上世界を指す(地下世界をホロウワールドという)。
 日本では頻繁に、かつて唯一和訳されていたCD&Dのミスタラ世界設定の記事が、単に「D&D」とだけ冠して、あたかも「海外で最も普及しているD&Dの世界」であるかのように当然だろうという顔をして紹介されていることがあるが、CD&DもミスタラもAD&Dから見れば単なる亜流かつマイナーで、FTの常識という面では何の参考にもならんよ。




魔界帝国説


 日本でD&Dというと、必ず映画版『ダンジョン&ドラゴン』(3作作られているが、1作目が特に本当に酷い)のことを口走る者がいる。


 が、これは例えて言えば、海外人にファイナルファンタジーやスーパーマリオについて聞いたら、CG映画や魔界帝国の女神のことだろとか決めつけられたようなものである。
 おそらく、熱心なゲーマーには開口一番でそれらを口にされたというだけの理由で、「FFやマリオを侮辱された」と怒り出す日本人すらいると思われる。が、とりあえず、ほとんどの場合はただ単に、FFやマリオという言葉が何を指すのかについて、「そんな変なものしか出てこないほど知識が偏ってるのか」と呆れられるだろう。
 日本人がD&Dについて映画版のことを口走るのは、おおむねそんな印象を与えると考えていい。






進化

 ニャース → ペルシアン ┬→ ルシアン王女の犬
              └→ ベルシエル王妃の猫


 いきなり届いた電波を記録しておく




旧・日本ファルコムの濃ゆい裸像


 日本ファルコム(当時)がかつて開発していた『女子大生プライベート』の話は以前述べたが、これに関連する話として、レトロゲーマーの間には「ファルコムは子供心になんかエロいのばかり作っていたような気がする」「エロゲーメーカーだった」というような、それを通り越したような風説が流れていることがある。
 日本ファルコムが明確にアダルトゲームと分類できるものとして出したのは女子大生プライベート1本だけで、エロゲーばかり出していたなどという事実はない(対して光栄やエニックスには複数本あったし、実際当時はその方向性でも有名であった。無論、いずれも現在の感覚ではエロチシズムとか呼べるレベルの代物ではない)。


 上記の風説の根拠を探してみると、AVG『アステカ』などのCGの中にリアル系のお色気画像が多々あるのだが、それがゲーム雑誌によく紹介されていたあたりから、当時のPC青少年らにエロスなメーカーという印象を与えることがあった可能性が高い。(なお、アステカの他のCGもそうだが、海外俳優の有名肖像の構図がしばしば見受けられる。例えば左から2番目なんかは、つるっぱげ監督の話で述べたゴールデンドリームカレンダーまんまである。『ザナドゥ』の店内の画像などもよく指摘されているが、当時は海外のイメージ元をまんま模写というのはよくあることであった。)
 そういえばパッケージ画も、『ぱのらま島』のように濃ゆい絵柄で半裸のお姉さんが描かれているというものがあった。


 が、それは初代『ドラゴンスレイヤー』パッケージのガチムチ半裸戦士の無礼なケツと同様の位置づけでしかなく、単に作風・世界観自体が「濃ゆい」ものだったというだけで、エロ自体を狙っていたとかそれで客を引こうとしていたとかいう動機のものではなかったのではないかと推測される。






一つの指輪とインヴイジビイィリテイ(新和版旧ルールブック原文ママ)の指輪


 NetHackでは、9体登場するナズグルを倒すと「呪われた透明の指輪」を落とす。これは、LotR原作においてナズグルがサウロンから授かった力の指輪(《九つの指輪》)である、というのが定説である。(ただし、LotR原作ではナズグルは九つの指輪を持ち歩いているわけではない。)


 NetHackのRing of Invisibilityやその他多くの透明効果に関して言われていることなのだが、さらに、ほかのFTファンや、TRPGのゲーマーの間からも、

 「インビジビリティ = 《一つの指輪》の透明になる原理と同じ」

 という主張が行われていることが、しばしば、またLotRやHob.映画で指輪を着用した者の目に映る光景が映像化されて以後は、かなり頻繁にある。
 《一つの指輪》は、wraithworld(D&D系でいえば、主物質界とエーテル中継界との境界、イセリアルボーダー)に入る効果を持つので、NH、その他のRPGの透明化の呪文や指輪も、この原理ではないか、という主張である。


 が、結論から言うと、(NetHackのベースでもある)AD&D1stでは、「透明化の指輪」が透明になる原理は「幻術」=光学迷彩のように体表を風景に擬態させるだけであり、力の指輪のような疑似幽体化効果とは全く関係ない。


 1977年のAD&D1stの時点から、AD&D2nd、D&D3.Xe、さらにD&D5版でも、すべての呪文には、呪文の分類(幻術、変換術、心術、死霊術等)であり、呪文がそれぞれどういった原理で発動しているかのおおまかな目安である「スクール」の分類が存在している。スペシャリストウィザードやほかの呪文のルールに深く関係するため、汎用的なD&D系ルールといえどもこういった分類がなされていたのである。
 Invisibilityは、これら1st〜3.Xe、5版においても「イリュージョン/ファンタズム」のスクールに属する呪文である。D&D4版のPHBでも、「インビジビリティ」能力解説には、「スクール」ほど明確に分類されているわけではないが、パワーのキーワードの効果種別に[幻]が付されている。つまり、この透明効果は幻術(カメレオンのような周囲に溶け込む映像、光学迷彩)を作る魔法効果であって、エーテル中継界やイセリアルボーダーに潜る呪文やアイテムとは、全くの別物である。
 1st〜3.XeではRing of Invisibilityの物品の効果はInvisibilityの呪文とまったく同様であると明記されており、3.Xeではこの指輪を作るにはInvisibilityの呪文を必要とするので、NetHack等を含めてこれらの指輪も同様となる。
 なお、D&D系には、Invisibilty系呪文自体が効果(攻撃などを行っても解けない、気づかれない、効果範囲等)に差がある非常に多数の呪文及びそれに対応するアイテムが存在し、透明化の指輪といえども一種類ではない。


 これらは*bandで言えば、『スメアゴル』(ゴラム)が「透明モンスター」であるのは一つの指輪を持っている等ではなく、おそらく保護色のように風景にまぎれこんでいると思われるように、「透明」は擬態も含むのと同様である。
 また、AD&DのDetect Invisibleの呪文は上記のInvisibility系呪文によるものだけでなく、「影に隠れている盗賊」「シークレットドア」等も見破ることができる。ハイエルフの持つ特殊能力もそうだが、視透明とは、鋭い視力によってこれらの映像的擬態を看破する能力である。


 以上、Invisibility自体は力の指輪や幽体化とは無関係という話だが、また一方、D&D系にはInvisibility自体とはまったく別個に、本当にエーテル中継界やイセリアルボーダーに潜る呪文、アイテム(防具)や、逆にInvisibilityよりも弱いカメレオンパワーの指輪は他に存在する。





新訳黒き剣の幻想奇譚


 Great Elephants

  ↓ 山本訳

 ナンタルチア

  ↓ 井辻訳

 ナンタルホア

  ↓ 大瀧訳

 ヌントゥラレ=ウホッアッー

 だいぶ原語のエキゾチックさが回復しますね。ちと感触がヌルったけど



チートキャラとTRPG


 近年、おそらくネットゲーム(特にネットRPG)が一般化した世相から派生していると思われるが、強キャラを表現する言葉として「チート」という言葉が、やたらめったらと濫用される機会が多い。それはFT、D&D系に関する形容においても例外ではない。
 「(C)D&Dのエルフは剣と魔法を使える公式チートキャラだった」などという言語道断の知ったかをはじめとして、ドリッズトなどが言うに事欠いて「チート」などと表現されている場合などもある。


 ドリッズトより強いキャラなどいくらでもいる。例えば『バルダーズゲート』で唐突に病に伏せってプレイヤーキャラがお姫様抱っこで運ばなくてはならない羽目に陥るエルタン大公は20レベルファイターであり、健康であればドリッズト(この時点で16レベルレンジャー)をはるかに上回るキャラが、文字通りそのへんにのびているのがFR世界なのである。同様のレギュレーション(レベル等の条件)でキャラメイクすれば、ドリッズトよりも遥かに強いキャラなどいくらでも作れる。というよりも、D&D系でパワーゲーマーと呼ばれる者なら誰でもそんなものは作れる。
 D&D系の数多くの超強力有名キャラ(モルデンカイネン、ロビラー卿、レイストリン、ペイロアのモヒカン親父等)のうち、卑怯千万デザイナー依怙贔屓やりたい放題な盛り方がされているのは、せいぜいエルミンスターくらいのものである。しかも、そのエルミンスターにしても、別にルールの域をはみ出しているわけではない。異常なテンプレートを持っていようが神格ランクを持っていようが、事前の準備を1手順でも怠るか1セグメント(註:1/10ラウンド)でも気を抜けば、遥かに格下にも必ず叩き殺される危険性と背中合わせであり、「チート」などとはほど遠い。


 D&D系における「強力」を安直安易に「チート」という語で表現するのは、しばしば実際にD&D系に触れたことがない(あるにしてもニワカだとか、赤箱がD&Dの全てのような認識で止まっているとか)な者が、D&D系に関する断片的な情報のみを耳にした際、それを他のFTやRPGやTRPG(ソードワールドとか)に関する物差しで測り、決めつけるために起こる。D&D系をはじめ海外TRPGでは当たり前の、ルールによって普通に実現できる「パワーゲーム」が、ルールの想像もつかない者にとっては「ズル」「チート」にしか見えなかったりする。例として「CD&Dエルフは剣と魔法の両方の能力を使えた」とだけ聞きかじっても、他のどんなルールと複雑に絡み合っているかは知らないし、D&D系を知らない者がその情報量を想像すらできるわけがない。なので、D&D系では別に大したことはないが他のRPGでは考えられない能力だけから、「チート級」だとか「トールキンエルフに匹敵」だとか、聞きかじった情報だけから飛躍するわけである。


 D&D系の知名度は一時よりは上がっても、実際に触れて理解することは何ら易しくはならないので、こうした誤情報の質は加速度的に悪化する一方である(これはトールキンとかHoMEとかに対する俗説にも言えることではある)。





ミナデインと永久魔化アイテム


 DQのモンスターバトルロードの映像には、なぜか「MPを持っていないキャラ」(もょもとやライアン)がミナデインに参加する場面がいくつかある。これは、「いなずまのけん」などの発動アイテムの魔力を使っている、と説明されていることがあるが、一体そんなことが可能なのか。

 MPとは何なのかについては用語集あたりで触れると思うが、ともかくこれらのアイテムが、もょもとやライアンの持つ力を一切消費せず、MPに相当するエネルギーをアイテムが全部供給していることは間違いない。ならば、そもそも無制限に使える永久魔化アイテムは、どこからエネルギーを引き出しているのか。それは何も書いていないことが大半で、例えばTRPG由来と思われる独自設定で「マナを消費する」等と書かれていることもあるが、RPGのマナの元ネタであるラリー・ニーヴンの著作ではマナの惑星上の絶対量が一定であり次第に枯渇していくのに対して、結局何を消費しているエネルギーなのかは何も考察しておらず、何の説明にもなっていないといったものが大半である。が、RPGの設定によっては、説明されていることもよくある。

 例えば、AD&D2ndのコンティニュアルライト(永久的な明かりを作る呪文)は、発光のエネルギーの消費として、近くにある物質の質量を(おそらく放出した光子の分をE=mc^2に従って)欠損させていくことが記載されている。
 これはあまりにも嘘科学であり胡散臭い例だが、もっと一般的な魔化されたアイテムはどうかというと、AD&D1st・2ndではEnchant an ItemとPermanencyの呪文でアイテムを永久的に魔法化する際は、使い手のCon(耐久力)値が1ポイント減少する。つまり、安能超訳版・封神演義の宝貝(パオペイ)や力の指輪のように、作成者(使用者ではなく)の生命力の一部がそのまま注ぎ込まれ、魔力として使用されているわけである。元始天尊の如意玉が通天教主の術に巻き込まれて消滅したり、力の指輪が破壊されると、天尊やサウロンの本人の霊力がごっそりと消滅するように、魔化アイテムには作成した本人の力がじかに入り、また常に繋がっているものである。(ちなみに、ジャンプに載っていた漫画の封神演義では、作成者ではなく単に使用者の能力を常に消費していくだけである。T&Tで言えば第1魔化アイテムに相当する。)

 所詮は作り手の力であるのならば、いくら永久魔化アイテムといっても、注ぎ込まれた魔力は尽きたりしないのか。一般にFTやRPGでは、永久魔化アイテムは数百年でも保ち、当然作り手が死んでも存続していることが大半なので、あるいは尽きないというものなのかもしれない。生物の寿命は有限だが、魂の総量は減ったりするわけではなく(<九層地獄>のデヴィルに売り渡されて消費されれば別だが)分割されてアイテムに封じ込まれた魂は、独立して存在し続け、霊力を発揮し続ける、と考えるべきであろう。かえって、朽ちないアイテムに自分の魂を全部封じ込めてしまった方が、寿命を延ばせると考える者もいるだろう。伝承のコシチェイや古典FTのその類似例、リッチの経箱の例のみならず、あえて卑近な例をとれば、サークレットに入った『カーラ』や、杖に入った『エルドース』がそうであるし、鏡に入ったラフノールの行者たちもそうである。
 しかし一方で、永久魔化アイテムの魔力は厳密には永遠でない、とする示唆もある。AD&D2ndのPermanency呪文の説明には選択ルールとして、「1000年以上経つと(効果が)減少したり消滅するようにしてもいい」などと書いてあったりもする。T&Tでは永続魔法が「101年と1日しかもたない」という説(つまりこれも選択ルール)がある。この場合、真の意味で魔力が永続する物品は、すでに不滅の神格等がその魂の一部を封じた「アーティファクト」や「レリック」だけということになるだろう。この場合、カーラやエルドースは500年は保ったが1000年後はどうなっているかわからないということになるが、一方で、元が不死である元始天尊やサウロンは多分、何万年でも何億年でも保つ。

 いなずまのけんの話に戻るが、魔法を発動するアイテムについてはT&T7版に面白い記述がある。T&Tでは、(使い捨てのアイテムの他)魔法を発動する際に使い手のクレム(魔力)を消費するものと、消費しない(使い放題の)もの(完全魔法アイテム)があるが、後者は「地球」からクレムを引き出しているという。つまり、いなずまのけんはMPのないもょもとのかわりに、アレフガルドやローレシアのある、あの大穴の下の世界の「地球そのもの」からMPを引き出しているということになる。別に精霊ルビス自体から引き出していても、というかルビスが魔化したアーティファクトだということでもいいのだが。





修行僧のうでわ


 『ファイナルファンタジー』1には、「銅の腕輪」等の、「腕輪」なのに装備箇所がガントレットと異なり「全身防具」という、わけのわからない(とよくいわれる)防具がある。モンクや魔道師等の鎧が使えないキャラが装備できるため有効である。

 これは、AD&D1stの特殊マジックアイテムである、Bracers of Defenceに由来する。Bracers of Defenceは腕輪なのだが、装備することで全身防具同様にACの基本値が2〜8になる(どの値になるかはBracer個々によって異なる)。なお、AD&D1st−2ndでは全身防具によるACは、ACが「下がる」のではなく、無装備の10からチェインメイルが5、プレートメイルが3のように「基本値そのものが変動」する。このBracesは腕輪にもかかわらず、基本値が変動するので「全身防具扱い」なのである。他の防具と同時に装備しても効果が累積しないのだが(基本値が低い方になるだけ)防具が装備できない、またはできるだけ装備したくないMonk, ThiefやMagic-Userの救済策となっている。洋ゲーで、よく呪い師のお姉さんや修行僧のデザインとかが、露出度が高いにもかかわらず「二の腕」に二重環などからなる腕輪を身に着けているRPGのお約束の由来は、それ以前のファンタジーや服飾にあるというよりも、どちらかというと直接にこれである。
 なお、和訳されていたCD&D赤箱〜黒箱にはこれらの物品はまったく存在しない。また、D&D3.0e以降では、これに相当するブレイサー・オブ・アーマーは腕に装着してACが良化するというガントレット類と同様(反発ボーナスでなく鎧ボーナスだが)の品となっているので、FF1の腕輪とは一見、何も関係ないように見え、注目されることがなかったのだろう。


 FF1はこのように、単にモンスターやユニークアイテム名の個々というだけでなく、システム、アイテム等のいわば「デザインの傾向」そのもののきわめて細部にわたって、AD&D1stを深く参照して作られている。名前だけ採ったというような表面上の単なるパクリ(丸写し)ではなく、デザイン傾向や思想自体を咀嚼した上で作っていると思わせるものが多く含まれる。AD&D1stを知っていれば、FF1の数々の要素を見て「赤箱等の(C)D&Dがベース」とか「Wizardryがベース」等と勘違いできるような余地はまったくない。


 このうでわ関連は、AD&Dを知っている古参の日本のゲーマーであれば誰でも知っているはずだが、なぜかAD&DゲーマーらがFF1のうでわについてこういう説明をしているのは、他所でほとんど聞いたためしがない。理由は定かではないが、AD&Dゲーマーにとって海外CRPGやFFがAD&Dベースであることはあまりにも見ての通り、当然(ドワーフやエルフがLotRベースなのと同じくらい)なので、それ以外、Wizardryだの何だのをベースと信じ込んでいる者がいること自体を夢にも想像していない可能性も考えられることである。元来、これらのネット普及以前の古参ゲーマーの多くは情報拡散に積極的でないことも考えられる。



エスペラント語版ホビット


 なんかタロットカードみてーだ…





CD&Dと改変


 赤箱D&Dガイド 〜 ウェポンマスタリー


 CD&D(赤箱〜黒箱シリーズ)は日本の多くのレトロTRPGプレイヤーにとって 非常になじみがあり、実プレイ経験が多く、数多くの逸話が詰まった、思い入れのあるシステムである。
 それらの逸話の流布や、そうした経験側に基づいたシステムやゲーム考察は非常に興味深いのだが、当然ながら主にプレイされていたのがネット普及よりもはるかに前であったこともあって、それが現在のネット上で話題になる機会はどうしても少ない。なので、今の時代、そうした情報をまとめたり考察したりするサイトは非常に興味深い。


 さて、ここで挙げた該当記事は、そんなサイトの話題のひとつ、ウェポンマスタリーについてである。
 ウェポンマスタリーとは簡単に言えば、黒箱(最上位ルール)に書いてある武器技能のルールだが、手っ取り早く言えば導入すると武器がえらく強くなる。例えば、それまでノーマルソードの期待値が4.5点だったものが熟練すると15点になったり、回避や受け流しや敵の恐慌等の特殊効果が生じたりする。


 これについては、該当ページでは、各所のグループ(のサイト)での運用例を紹介し、「強すぎるので使わない」とか「いくつかの魔法効果と併用しない等の制限を加える」というルール改変を採用しているグループが多いことを報告している。
 また、該当ページではその状況について、ルールを記述通りに使おうとせず独断で無闇に制限することについての懐疑の念を述べ(※1)、加えて、海外では、記述通りに忠実に使用しているプレイヤーが多いことについて挙げている。


 が、ここで考えなければならないのは、海外などでCD&Dのルールが記述通りに改変せず使われているという事実には、もう一つの側面がある。海外では「CD&Dは、AD&D(=最も一般的なTRPG)に比べると、かなりマイナーなルールである」ということである。(末期にはミスタラはAD&D2ndの世界設定のひとつに改変されて延命されていたほどであった。)
 海外では、D&DシリーズならばAD&Dをプレイするのがごく当然であるし、もっと言えば、緑箱と黒箱の中間くらいの適度な武器のパワーが欲しければ、AD&Dをプレイして、膨大な選択ルールのうち適当なものを選んできて導入する。つまり、他に選択肢はいくらでもあるのだから、その中でわざわざ好き好んでCD&Dのウェポンマスタリーなどをプレイしている少数の海外プレイヤーらなどは、その時点でこの武器能力を望んでいるのだから、記述通りに忠実に運用するのはごく自然の流れと考えられる。


 これを別の側面から、もっと推し進めて考えると、日本のCD&Dのプレイヤーがウェポンマスタリー等の箱のルールをわざわざ採用しながらも、色々と手を加え改変してまで用いるのは、結局のところ、日本のCD&Dプレイヤーにとって、D&Dのゲーム世界がしばしば「箱の中のルールをなんとか運用すること」にとどまらざるを得ないからではないか、ということである。適正なルールが欲しければ外(膨大なサプリメントとかDragon誌とか)から何でも探してきて取捨選択するのが当然となっているAD&Dや海外プレイヤーと異なり、多くの日本のCD&Dプレイヤーにとっては、D&Dとは「赤・青・緑・黒」の箱(及びガゼッタ等のわずかな和訳された関連書)に入っている範疇でしかなく、その外を知る機会はない(冒頭で挙げたが、ネットのない時代であればなおさらそうである)。なので、あくまで箱の範疇のルールを採用し、バランスに不満があれば箱のルールを改変して用いるという発想に、しばしばならざるを得ないのである。
 日本でも、原語の金箱や芋樽の怒りやガゼッタやサイクロぺディアのルールを導入しているというプレイヤーもいる。また、CD&Dでも箱より後の第五バージョンの時代には、Dragon誌の別の武器技能ルール、AD&Dや3.Xeに近いもの、ダイスのタイプ自体が大きくなるといった、まったく別のものもある。が、日本ではこういったルールの存在なら知っている、というくらいの話ならば稀に聞くが、いつもこれでプレイしている、とまでの話はほとんど聞けない。やはりかなり多くのプレイヤーは、あくまで箱の範疇を操作、改変することでプレイしていたのだろう。
 閉鎖的であり、ウェポンマスタリー以外の選択肢が無かったことが、逆にウェポンマスタリーを歪曲させる結果となったのではないか、ということである。また以前、CD&Dのルールに明記されている内容が、AD&Dの方が念頭にあればとても考えられないような形で看過されている例について述べたように、これはウェポンマスタリー以外のルールに関しても頻繁に起こっていた話なのではないかという気もするのだが、あくまで想像の域は出ない。



※1 なお、現にCD&Dには、かなり熟練するまではルールを無闇に改変・追加することは勧められない(ベーシックルール・ダンジョンマスターズルールブック)といった、以後のTRPG(T&Tや、ものによってはd20等)とは、完全に真逆の立場が書かれている。
 これは、「娯楽やロールプレイこそが最優先されるべきで、そのためであれば規則など曲げていいもの」という立場ではなく、まず一度ゲームルールで縛り、あくまでその範囲内でゲームすることを重視するもので、D&D系が「ウォーゲーム」の流れを直接に汲むことを如実に示していると言えなくもない。(ただし、ルールを守れとか言っている割には、矛盾点や文言が難解な点や明らかに出来の悪いルールが非常に多いのは確かなことである。)





アーマードアーケイナ


 D&D赤箱等=CD&Dのエルフが、後出の日本製RPG等の常識をぶっちぎり、鎧を着たまま魔法を使うことができるのは何故なのか。
 というよりも、そもそもCD&Dのマジックユーザーが鎧を着られないのは何故なのか。AD&D2ndでも、マジックユーザーが鎧を着られないのはもちろん、(エルフ以外の)マルチクラスやデュアルクラスや複合クラス(バード等)のキャラは、鎧を着ているとマジックユーザー系(MU系、ウィザード系、秘術系)呪文を発動できない。
 ここで、秘術系の呪文が鎧を着ると発動できないのは、ソマティック・コンポネント(身振りによる呪文発動媒介)を阻害するから、とD&Dゲーマーの間でも信じられ、流布されていることがほとんどだが、そう書かれているのは、実はD&D系でもかなり整理された3.Xe以降である。AD&D2ndまでの時点でも、身振りが発動を阻害するとか、金属が発動を阻害するだとかは、例示されると共に反証が挙げられていたりして、暗にこれらの理由(だけ)であることは否定されている(※1)。結局、「マジックユーザーが鎧を着られない理由」は、AD&Dでも明言されていない。


 しかし、「エルフが鎧を着て呪文を唱えられる理由」の方は、AD&Dには明記されている。「魔法能力が(エルフの)生来のものである」ためである。すなわち、エルフが高度に「魔法寄り」な種族であるという点はRPGの発祥時点からのもので、別に日本人やwizardryが創始したわけではない。
 ただし、AD&Dの場合は、エルフが鎧を着て呪文を発動するには、その鎧が「エルフ造り」、すなわちエルブンチェインやドラウチェイン、プレート等である場合に限る(なお、エルフ以外がエルフ造りの鎧を着ても呪文を発動できるようにはならない。あくまでエルフの生来能力が必要である)。
 CD&D(俗説のようなD&D系の原型ではなく、OD&DやAD&Dの簡略化ルールである)は、簡単に言えば鎧がエルフ造りでなくてはならないという制限を単に省略したにすぎないと思われる。ひいては、CD&Dは最初から「エルフは全員エルフ造りの鎧を着用している」という前提に立っていると推測するのが妥当と思われる節がある。CD&Dでは、マジックアイテムのランダム生成では鎧はそれぞれ各種族の体型にあったサイズで生成され、どのみち各種族は種族の体つきに合った鎧しか着られないルールであるため(※2)、エルフは、エルフ用に作られた=通常はエルフ造りの鎧を着ているのが当然と考えられる。なお、CD&Dでは鎧のサイズのうち生成されるのは68%が人間用であり、エルフ用が生成される確率は9%にすぎない。


 従来このサイトで述べてきたように、海外ではAD&D1stの情報は(CD&D赤箱等よりも遥かに)RPGにおいて当然の前提である。上記のような情報(エルフは非常に希少なエルフ造りの鎧以外は、結局鎧を着用すると能力を発揮できない)は、CD&Dのエルフの呪文発動についても当然の理解として使用されていたのではないのか。
 しかし、あくまでCD&D内ではこれに何の説明もされず、さらに日本では、AD&Dの方が普及せずにこうした背景の推測材料が一切与えられなかったことから、CD&Dのエルフが「一切の装備制限なしに」あらゆる武器と魔法が使えたとか、さらにその又聞き・子孫引きから「海外のエルフは全てシルマリル準拠のチート種族で、貧弱な魔法系弓使いの現在のエルフ像は輸入した日本人が作ったもの」なる、”2010年代最新にしてFT空前の大嘘ガセネタ”に繋がる原因のひとつとなっているものと考えられる。


※1 これは、おそらくは例外を許容するため、といえば聞こえがいいが、要はAD&Dのカオスというか脈絡のない不整合をごまかすためである。例えば、装備にかかわらずMUに似た擬似呪文能力(こんな整理された用語ができたのは3.Xe以降である)を発動するクリーチャー(モンスター)は多々いるし、2ndではないがAD&D1stのRangerも、ドルイド呪文の他に低レベルのMU系呪文も発動できる。なお、Wizardryの侍が鎧を着たまま魔法戦士として機能するのは、AD&D1stのRangerを無造作にMU呪文だけの方を発動するよう中途半端に変更して実装し、しかも「魔法戦士」としてまともに機能するほどレベルを上げることなどほとんど想定されていなかったための珍妙な事故だが、エルフから話題がずれすぎるので今回は省く。

※2 一方AD&Dでは、他の種族が作った鎧を着用できる可能性があるとするルールがある。ただし、その確率は著しく低く、例えばドワーフ造りの鎧をエルフが着用できる可能性は10%を割る。重鎧(プレートアーマー等)であれば、他種族が着用できる可能性は0%である。





忍びの者列伝 〜 ラファエル王子


 『ザ・キャッスル』は、8ビットPCゲーム全盛期にMSXを含む各機種にアスキーから出ていた、RPGブーム以前のPCゲームとしては最も王道ジャンルのひとつ、「ロードランナー系」のパズルアクションゲームである。
 簡単に言えば、おとぎ話の巨大な城の100の部屋の仕掛けを解いたりモンスターをかわして鍵を取ったりしながらマップをフリー移動で探索していき、マルガリータ姫を救い出す。
 PC版は、元々はコンテストの投稿作品であったようである。タイトル画面等の"The Castle and Princess"という英語タイトルが、海外AVGの強い影響を思わせる。
 なお、元々100部屋のこのゲームからして決して簡単ではないが、さらなる高難易度版の続編『キャッスルエクセレント』がある。そして、FCには、この続編の方しか移植されていなかった。これは、「FCゲーマーの方が高難易度ゲームに慣れている」との判断によるという説もあるが、ぶっちゃけ単なる買いかぶりであり、FC版エクセレントの評判はFCファンの間でも決して芳しくない(この手の読み違いは当時のPCからの移植作には頻繁にある)。


 その『ザ・キャッスル』の主人公がラファエル王子である。この王子のプロフィールだが、ファンタジーゲームのヒーローには実に似つかわしくなく、マニュアルに書かれている設定は「チビでひ弱」「勇気もない」などとさんざんなものになっている。
 おそらく、上述の軟弱王子の設定は(PC版では)モンスターと正面から一切戦えずに(触れただけで「でんどでんどでんどでんど でんでんでん」ときりもみ回転して即死である)仕掛けを駆使して進んでいくゲーム内容に沿うように作られたものなのだろう。すなわち、力に頼れる戦士や英雄でなく、「忍びの者」と設定されたホビットらと同様の背景である。
 ところが、FT漫画家めるへんめーかー画の、パッケージ絵やアスキーのMSXマガジンに何度か寄稿されていたカット(の、ラファエル王子とマルガリータ姫と思われる構図)では、王子は文字通り絵に描いたような美勇者貴公子である。PC版の設定では王子は「12歳」なのだが、めるへんめーかー描く美青年はとてもそうは見えない。おそらく、こちらは単にFT物語の主人公として貴公子に描いたものと思われ、相互にたいして深い意味はないと思われる。なお、遺憾ながらFC版エクセレントにはPC版のビジュアルは採用されておらず、パッケージ等は米国カートゥーン風であり、貴公子型設定でもホビット型設定でももはやあまり関係がない。


 そんなホビットタイプの王子なのだが、ジャンプ力は「ぴょろりろぴょろりろぴょろりろぴょろ」と変な音で風を切りながら空中を真っ水平に飛んでいくのだが、水平方向の飛行能力に限れば、幅跳びの距離、滞空時間ともに某伝説的配管工兄弟にいささかもひけをとらない。
 なにごとも一芸である。一芸に秀でてさえいれば、実態は軟弱王子でもめるへんめーかーが勇者貴公子に美化して描いてくれるのである。





赤き猫の宿命


妖怪ウォッチ

 ↓ 井辻訳

妖怪ウォッホ

 汗臭い。
 余談だが、ジバニャンのデザインが無性に怖い。水木的妖怪のテイストが入った絶妙なデザインである。



AD&DとかのTRPGでそんなにプレイヤーキャラが死にやすくて蘇生失敗もあるんならキャラが死んだらプレイヤーはその間何をやってるんですかとか聞かれた

 暗に、wiz以上に死にやすくて蘇生しにくいなんて嘘っぱちの話に違いない、とか主張したいように聞こえるよな。
 が、持ちキャラが死んだらどうするかの例はいくらでもある。以下はごく一例にすぎないが、どれを選ぶかは鳥取やDMによって違う。


(1)わりと簡単に蘇生させてくれる。ただし、AD&Dのルールでは蘇生を試みてもかえって絶対死したり、蘇生していてもConが減っていたり、(2)以下の例よりもありがたくないことが殆どなので、意外に使われない。
(2)新しいキャラを作る。ただし、その場で作っている時間はないので(逆に時間ならいくらでもあるという説もあるがさておく)DMによっては、あらかじめ何人か予備のキャラを作って(=残機を用意して)来るように言っておくこともある。
(3)その場にいたNPCなどがプレイヤーキャラに昇格し、以後プレイヤーはそれを操作する。(1)の蘇生までのつなぎであることもある。また、適当なNPCがその場にいない場合、DMが適当なシナリオに付属していたプレロールドキャラを使わせたり、DMGのチャートから5分で作ったりしたキャラが唐突に登場し、パーティーに合流することもある。
(4)クローンが出てくる。名前がちょっと違うだけで顔も能力も性格もまったく同じ縁者(ヤマトの加藤三郎と加藤四郎とか)のこともあれば、名前まで同じ(綾波3人目とかFUログナーとか)のこともある。亀を踏んだら1upすることもある。ちなみにグレイホークやフォーゴトンレルムには、リアルに、死んでもすぐに「クローン(マジックユーザー8レベル呪文で作成)」が出てくるNPCがごろごろおり、これらは実はデザイナーらがプレイヤーだった頃のプレイングを反映しているのではないかと睨んでいるが、確証はない。


 つまり、(1)と、(4)のうちのごく例外を除くと、キャラクターというものは基本的に使い捨てるものである。





影武者


 ミネバ・ラオ・ザビには『ZZ』で語られたように影武者が存在する。漫画『ムーンクライシス』の読者の一部は、こちらの漫画に登場するメイファ・ギルボードこそが本物のミネバであり、例えば『UC』のオードリー・バーンは『ムンクラ』中に言及されたクローンであると信じる(一応、その方がUCとムンクラの整合性なら取れる。もっとも取る必要があるかは全くの別問題である)。
 しかし、それを言うならば、そもそもこの時点で、どちらも本物のミネバではなかった、という可能性も高い。
 というか、こういった説を濫用してしまうと、アムロやシャアについても諸々の材料から、「本物」すら存在しなかった、という帰結に至る可能性がある。


 宮本武蔵などの明らかに何十人も存在する者をはじめ、聖徳太子や佐々木小次郎や武蔵坊弁慶や二郎真君やアーサー王やアニメ版一休さんなど、どうやら複数の別人の業績がいっしょくたにされて「一人の人物像」として(歴史家の間ではともかく)お約束として通用している歴史や説話の人物は、枚挙に暇がない。
 原作者自身の著作によるクローンが複数確認されているシャア・アズナブルは言うまでもないが、アムロ・レイやジョニー・ライデンにも影武者、あるいはかれらの名で呼ばれる複数の人物が存在していたという説がある。例えばアムロ専用Z+A1は連邦の目を欺くための影武者に用いられ、だとすれば逆にZ3号機のカラバ兵を本人と認定する根拠もない。ライデンは某SLG以前には登場するごとに姿も性格もまるで異なり、いくつかは明らかに言動が矛盾していた。そもそもアムロやシャアやライデンの足跡や業績として知られているものは、実はこれらの複数人を宇宙世紀の歴史家が繋ぎ合わせたものが我々が目にしている本編であり、それらを全て行った「本物の」アムロやシャアやライデンは宇宙世紀の歴史のどこにも存在していなかった、という可能性も大いにあり得る話である(というかライデン物をはじめ、幾つかの漫画が既にそのメタ解釈で描かれている)。


 MSはどうだろうか? G−04番機(RX-78-4仕様の意の4号機仕様ではなく、機体そのものが8機のRX-78のうち4機目に造られたものの意)は『0080』だけでなくM−MSVやSFCゲームやスピンオフ漫画で(互いの設定確認を怠ったため)乱立していることで有名である(現在はG−04番機はM−MSVのものだけで、他は78-4の別開発部門仕様であると説明されることがあるが、明らかに綻びを取り繕えていない)。
 G−03番機も、サイド7で01番機と共にスーパーナパームで焼却された、スティングレイのGMがけつまづいて破壊した、星一号作戦でルロイ・ギリアムのリックドムに撃墜された、ニンジャソウルを宿しモビルファイター的アトモスフィアのもと0090年代に至るまで歴史の裏に暗躍していた、等の複数の説が知られている。

 ならば、あのG−02番機についても、03番機や04番機のように知れ渡ってはいないだけで、実は機体かパイロットかその両方が別々に複数存在し、後世の歴史か俗説が、誤って、あるいは意図的に、これらを一体に寄せ集めて非現実的きわまりない白い悪魔像を形成し流布してしまった、という可能性も充分に考えられることではある。





スライムライダー考


 DQ5で仲間モンスターとして猛威をふるった(大げさ)スライムナイトは、その正体については諸説があるが、DQMによると「上に乗っている騎士はスライムの一部」となっていたり、DQ5の関連書籍には「スライムの上に騎士のような芽が生えてくる」、スラもりではスライムのアタマの上に装備できるナイト型のアイテムであったり等、下のスライムに対して騎士はスライムの従属物や一部にすぎないといった描写が目立つ。一方で、スライムを武器のように投げつけたり、DQ5のDS版リメイクではスライムナイト(ピエール)の顔グラは騎士の方がアップになっていたりと、騎士メインとおぼしき描写のものもあり、どちらとも断言はできない面もあるが、DQMの説明をはじめ、どちらかというと「下のスライム部分が本体・主要部分」というのが、公式の傾向のようである。

 しかし、ここで話題にするのは、DQクローンのひとつTDQ2の、スライムナイト「アン」である(参照:TDQ作者pixiv)。TDQ2は本家DQ1〜4までと、DQ5の一部情報を参照して作られているが、このTDQ2のものは上述のDQのメインの設定とは異なり、「人間の騎士とスライムが別々に存在」し、「騎士がスライムを乗騎としている」というものである。この型のスライムナイト、もとい、「スライムを乗騎とする人間の騎士」を、後述する理由もあってこの項目では便宜上「スライムライダー」と称する。
 なお、ツクール2000のDQクローンとして有名なDragon Fantasy(DQ3を中心に、DQ1−6、FF1−6の要素がごたまぜになった作品)でも仲間キャラとしてスライムナイトが登場するが、捕まえた「スライム」を「アクセサリ」として装備できるようになっている。スラもりとはちょうど逆であり、こちらもスライムライダー型である。このDFはDQ6以後に造られたクローンにもかかわらず、スライムモギ等、TDQに由来する要素がいくつかみられるため、DFのこれもクローンの名作であるTDQ2のスライムライダー型のスライムナイトをオマージュしている可能性が高い。

 TDQのアンに話を戻すが、騎士アンは人間であるがスライムの村で育った少女であり、人間よりもスライムに親睦性を持つ。ここで、このサイトの読者であれば、これがエピックファンタジーの「ドラゴンライダー」によくある造形であると思い出すだろう。エピックファンタジー(RPG風FTではない)の竜騎士には、「ドラゴンの間で育てられた」「先祖にドラゴンの血がある」「超常的な交感能力を持つ」といった、通常ならばとても人が御せる存在ではない「ドラゴン」を御す理由づけとして、特殊な絆を持つといった設定であるもの(メルニボネ人を含め)が多い。
 TDQにこれが採用されていることは、ややもするとDQ5以降やDQMに代表されるDQのエピックファンタジー的というよりDQ的としか言いようのないモンスター観(例えばDQMで言えば、怪物が力を得るために人間にすり寄り、従属下に入るといった世界観)に対して、TDQやDFのファンタジー観を際立たせるものとして注目に値する。





ロシア語版ホビット


 『ホビットの冒険』当時のビルボや『指輪物語』当時のフロドが50歳であることについて、人間年齢に換算すると(ホビットの成人年齢=33歳から考えると、人間換算年齢は恐らく正確には対応しないにせよ目安としては6割ほどなので)30歳前後である。しかし、ビルボの方については、Hob.の時点では、LotR冒頭のように明確に説明されているわけではない。
 そのため、ビルボの年齢について、LotR未読のこともあるHob.翻訳側がどう解釈しているかといえば、Hob.冒頭からもいわゆる妖精小人の一種でありその説明からも人間と必ずしも同一ではないらしい、と読み取れるにせよ、それ以上の指針もないため、海外の訳によってはまんま「人間の50歳」と解釈しているものがある、とは聞いたことがあるだろう。
 そもそも、日本語版の寺島絵にせよ、50とはいかずとも特に最初の方に登場する絵ではやけに老けており、寺島氏にもおそらく加減がよくわからず、最初のうちは年配イメージが抜けずに描いていたのではないかと思われる節がある。
 ともあれ、「訳によってはハゲたおっさんとして描いている挿絵まである」というのは、しばしばファンの間で話題に出ることがあるが、あまり本気にされることもなくスルーされている。


 が、少なくともそのひとつの明らかな実例がこのロシア語版(の幾つかの訳のうちのひとつ)である。見よ、このペテルブルグの下級官吏の出世からとり残され飲み屋の隅っこでクダをまきつつなけなしの5コペイカを安ウォツカに使ってしまう貧しき人ジェーヴシキン氏のような姿を。しかも、この好人物げな笑顔といい、雰囲気的には実の所ホルム卿演じる老ビルボとも極端に離れていないことには注目すべきである。
 もちろん言うまでもなく、このおっさんが、八面六臂大活躍である。藤子不二雄Fの中年スーパーマン氏のように。



導入


 筆者が最初にホビットもとい「ハーフリング」という存在を絵として目にしたのは、『ザナドゥシナリオ2』である。このゲームでは、1面の「敵」、しかも最初からカモな超雑魚モンスターとして登場するが、剣と盾を持った貧相な手足の人型生物という姿で出てくる。(同じ面にオークも出る。こちらは武装度が高く、黒くゴツくてカコイイ。)
 これだけならまだしも、PC雑誌(ログインか何か)に載っていたモンスター解説記事に、ハーフリング=「半人間」だとかデミヒューマン=「擬似人間」(こちらはCD&D赤箱にも本当にあった訳語だった)とか書かれていたために、このザナドゥ2のハーフリングをできそこないの半生物兵器だとか半人半死人のようなおぞましいバイオクリーチャーなのだと思いっきり勘違いしており、Hob.あたりを読む数年後までずっとそう信じていた。
 グレイルクエストあたりの体験談で述べたが、筆者のFTの出発点は割とこんな不運なものばかりである。導入が何かは問題ではないのだ。





非オマージュその2


 日本のRPG史の説明で必ずといっていいほど用いられている、

 「Wizardry作者はD&Dにドハマリしていたので、そのコピーを作った」

 というのが相当な語弊があること、当時AD&D1stはドハマリなどしていなくとも踏襲するのが当然なほど浸透した存在であったことは、wizページの方で述べた。
 同様に、すでに頻出して子孫引きに大量流布されている表現である、

 「D&D作者は指輪物語の大ファンであったから、指輪物語の再現を目的としたゲームを作った」

 の方は、それ以上にかなり明白に誤りであるというのが、今回の話である。


 オリジナルのD&D作者ゲイリー・ガイギャックスは「ホビットの冒険はすごく面白かったけど、指輪三部作は正直なんだか退屈だったヨ……」と述べている(Dragon誌#95の記事など)。また、ガイギャックスが影響されたのは、トールキンではなく、ヴァンス、ハワード、デ・キャンプ&プラット、ライバー、アンダースン、メリット及びラヴクラフト(ムアコック、ゼラズニイは副次的なものとして列記されている中にあるのみである)と述べられているが、なぜかこれらの列挙のみの方が、日本の詳しい記事にも転載されていることが多い。
 ガイギャックスはガンダルフのローパワー等について言及し、OD&Dの時点ですでに指輪物語の再現にはまったく向いていないこと、にも関わらず、トールキン的要素を数多くのベースとすることは、当時のFTファンを取り入れるためには当然のことであり、商業的成功のためには不可避であった、とも述べている。

 トールキンも(初期CRPGにとってのAD&D同様)、別に(日本の指輪ファンのように)「ドハマリした者だけ」が踏襲するようなものではなく、あまりにも一般に浸透しすぎ、踏襲することが当然となっていたにすぎない。
 (当然、初期のTRPGやCRPG、例えばOD&Dへのアンチテーゼであり中身もおちゃらけきっているが、基本用語説明等がD&D系以上にトールキンにべったり依存のT&Tなどもそうである。これに対する完全なカウンターは、BRPのグローランサ世界設定などを代表とするさらに進化したTRPGまで待たざるを得なくなるが、今回はこの話題は省く。)


 しかし、すでにこのDragon誌等の記事を知っているD&D系ゲーマーは、ガイギャックスとトールキン版権管理側の間には明らかではない複雑な権利問題(多くは自主的なもの)があり、指輪物語のオマージュであるとしても表立ってはそう言えなかったため、こんな言い方になっているのではないか、と考察する。事実、この後のガイギャックスの発言には明らかに、「D&D系=指輪ゲーム」と見られることによる衝突を避ける商業的アピールのために「指輪物語を再現しているものではない」と言っているものがある。
 また、思慮深い研究家らの中には、OD&Dの最初期版にあったトールキンへの言及が後の版で多量に削除されていたりと、OD&Dでのガイギャックスとトールキン側との(水面下での)軋轢から、最初は好意的であったトールキン側への反感が次第に募り、前述のような「影響を受けていない」といた態度に変化したのではないか、という見解があり、これはより興味深い。

 しかしながら、筆者私見としては『ホビットは面白かったが指輪三部作は退屈だった』というあたりのくだりは、上述のガイギャックスの他のFT作品への嗜好から考えると、おそらくは本心であろう。


 多分に、ガイギャックスが熱中したのは、モリアの坑道探索(上記したように、それらは再現要素として取り入れられてはいる)やペレンノールの攻防戦ではなく、後の共著者アーンスンが持ってきたシチリアの城の模型(これはのちに「ブラックムーア城」となる)であった。模型そのものはもとより、それをミニチュアFTゲームの舞台とするという、その「使い方」である。





オークはエルフの闇落ちだから云々


 一部メディアで「オークはエルフを凌辱する役回り」というのは両者の(日本での)ビジュアルからごく当たり前の自然な発想であり、別に設定として否定される理由はなく、別に「モンスターじいさんの星降りの祠でガラドリエルとアゾグをお見合い配合したらオルクス神とグルームシュ神の卵が完成」とか適当にやってもらっても一向に構わない話だが、面白い主張があるのでもう少し続けてみる。

 「オークがエルフを狙って凌辱する設定」を正当化する理由として、

 「トールキンでは、オークはエルフが堕落した設定なので、これらは同族だから」

 というのが、巷で頻繁に主張されているらしい。

 しかし、トールキンの設定上、能力ではなくルーツ上で「同族」かそうでないかということを言うならば、そもそもエルフも人間もホビットも、どれもほとんど同じ肉体・生命を持つ、すべて「同族」である。
 そして、オークとは、人間大の種族の中でもトールキンがあえてここから最も「異質」の肉体・生命を持つものとして、わざわざ爪弾きにしている種族に他ならない。


 アルダの種族には、別にエルフとオークの関係だけ記されているわけではなく、すべての種族についてルーツが明記(不明であるものは不明と記載された上で、複数の推測や説が明記)されている。いかなるクリーチャーに対しても「モンスター」「魔物」なるいいかげんな呼称は、アルダには分類は勿論、概要としてすら存在しない。
 至上神の第一子であるエルフ(クゥエンディ)と、第二子である人間(少なくとも、クゥエンディに体躯では劣らなかった第一紀のエダイン)とは、肉体上は同質のもので、霊魂の質によって第一子の内から輝くような叡智や不死性の差が生じていることは、Sil.に明記されている。肉体の質だけ見ればまったく同一のものであることは、HoMEにも示唆がある。少なくとも第一子と第二子は、いずれも至上神の子の階位であり、アイヌアのように階位が異なるものやケルヴァール(動物)のように異質なものではない。
 そもそも、アイヌア(神族)であっても、イスタリやメリアンなどは、霊魂が違うだけで、エルフや人間と全く同じ肉体をまとっているものである。メリアンとエルフ、エルフと人間が混血可能なのもそのためである。

 また、ホビットや熊人(ビヨルン)一族も含めて、大概の人間大の人型種族は「人間」(第二子)にすべて属するものである。
 この人間大の種族で唯一といっていいほど異なる種族が、肉体的には第一子・第二子のいずれとも異なるカザド(ドワーフ)であり、世界の終末後どこに行くかにすら不明な点があるが、このドワーフですら至上神の祝福を受けている点で子の階位に属し、第二子に近い性質を持つ存在といえる。

 そして、これらから変質・変容された、至上神の祝福もなく卑小化されたに過ぎない異質の存在・別種の偽りの生命として特記されるものが「オーク」である。
 特に、HoMEに記されている後年のものではその傾向が強く、(よくトールキン読者からも、映画以降の巷の俗説への反駁として言及されるが)「エルフを改造したのではなく、エルフを参照して造った偽りの生物」であるというHoMEの説を採る場合、オークには、アルダの他の人型種族と血統上の関連すら一切無い。これらの人間大の種族のうちでは、オークだけが極度に異質でかけ離れた存在である。


 つまり「トールキンではオークとエルフは近い種族だから凌辱対象として自然」は、そのオークの起源事情の一か所の設定だけ見て他を全く知らずに勘違いした、いわば「鷲で指輪を捨てに行けばいい」とかいうのと同じくらい、大幅に的外れな主張だと言わざるを得ない。
 もちろん冒頭で述べたように、ファンタジーの自由かつ奔放な発想の本領としてどんな邪配合だの悪魔合体だののカオスが出てきてくれてもいっこうにかまわない話なのだが、そんな代物を「トールキン設定の権威の後ろ盾がある」と本気で信じている、とあっては、バクレツに間の抜けた話以外の何でもない。


 なお余談だが、日本のこれら又聞きとおぼしき談義では、トールキンのオークはエルフが、なぜか「堕ちた」「闇堕ちした」なる語を用いて書かれているのをきわめて頻繁に見かける。
 「闇落ち」という語のネットスラング的な使われ方の例から考えると、これは(ウツムノでの神話時代の種族の起源ではなく)オーク個体ごとに、エルフから「天使 → 堕天使」のごとく堕落するもの、という誤解を生んでいる可能性がかなり高い。原作未読者にとっては、というか、映画LotRのウルク=ハイ創造場面だけだと個体ごとにそうしているように見え、現に、SF板の指輪スレにすら、それを吹聴していた発言すら少なからず見られた。
 日本のファンタジー全般に頻出する、(C)RPGの数値や現象だけから無理やり(特に、wizフリークあたりが、数値だけから刺激された想像力とやらで自称『見事な解釈』として)考え出した稚拙な設定説明や世界観は、単にLotRやAD&Dの情報や知識の欠如故に、致し方ない現象なのだと以前は推測することができた。しかしながら、これだけLotRの知名度が高くなっても、相変わらずそのうち一部の情報・知識のみが取り出されて、実に粗末・ぞんざいに扱われ、昔以上にすっぽんなムッシュ・ヌケサック・アイーダな設定が日々大量に生み出されているところを見ると、本質的に海外FT世界というものをまともに取り扱うことすらできない土壌でもあるのかと思わせる。





オフィシャルAD&Dコンピュータプロダクトの夢と現実



 これも非常に重要な話なのだが、今までに一度も言及していなかったので触れておく。
 海外ではFT普及時期において、OD&D/AD&Dが社会現象であり(「スピルバーグ」が「D&D」を「E.T.」に登場させていたことは、どれをとっても社会規模のキーワードであり、押井守がアヴァロンにWizardry用語を登場させていたオタの内輪遊びレベルとはわけが違う)、FTに対するシェア、影響力ともにこれらTRPGがCRPGとは比較にならないほど大きい、という点は、日本人にどれだけ説明しても感覚的に理解されないことが多い。
 日本では海外とは正反対に、DQやFFのようなCRPGが社会現象であり、TRPGやFT小説の方は、一部のオタ以外聞いたことさえないもの(LotR映画以前は指輪物語すら含め)という状況で、その歴史を体験してきた身からは、当サイトの数言程度で海外事情を飲み込むのは不可能かもしれない。

 ここで、ゲーマーが感覚的に海外でのAD&Dの影響力を理解できない理由として、

 「CRPGでAD&Dシリーズというのが出ていたが、FCやSFCのものは全部当時のゲームの劣化品で、そんなAD&Dが名作とはとても信じられない」

 というものを挙げる場合がある。

 実際のところ、AD&DのTRPG版がそこまで重要なタイトルなら、なぜCRPG版の方がそれほどの出来ではないのかというのは、素朴な疑問としては実に当然のものである。
 Buldur's Gate系(インフィニットエンジン、いまだに海外ではMODが製作されている)はもちろんのこと、正直、NWN(オーロラエンジン)やPools of Radience等(GoldBox)やEye of the Beholder系などもさほど捨てたものではない、と筆者は思うのだが、これが筆者のAD&Dファンの目からの贔屓目だろうと言われれば、特に反論するほどの理由はない。GoldBoxがインターフェイスの悪いFEもどきとか、EotBが劣化ダンマスとか、また、ヒルズファーやヒーローオブランス/ドラゴンオブフレイム等は正直何を糾弾されていてもたいして異論はない。
 (ちなみに、これらAD&Dプロダクトについて「アーケードやPC版は良いがコンシューマ版ばかり外れ」という説が流れていることがあるが、FCで出たGoldBoxやSFCのEotB等はもともとはPC版の移植である。)


 これらAD&Dプロダクトがなぜいまいちな出来なのか、というよりも前に、この「AD&Dという名前がついている」ということは、果たして傑作の理由たりうるのか、というのが問題である。
 実の所決定的な点として、これらAD&Dプロダクトは、「AD&Dを再現したゲーム」だという理由でAD&Dの名前がついているわけではない。単に版権を取得しているからAD&Dの名前がついているだけの、いわゆるキャラゲーなのである。
 それは何も傑作の理由にはならない。むしろ、こう言うと「キャラゲーに美味いもの無し」という日本のゲーム界の格言を恐々として思い出すゲーマーが多いであろう。


 もう少し詳しく説明する。古来、ハッカー間のdndやDungeon(1974-75年頃)等のCRPGそのものの発生時期から、CRPGはOD&DやAD&D1stをまんまコピーしてきた、という話は、当サイトでは数限りなく例示してきている。
 つまり、海外では「AD&Dを再現したゲーム」というのはアタリマエの存在である。このAD&Dプロダクトシリーズが唯一でもなければ、はじめてでもない。TRPG版同様のゲームシステムをとっていることは、このシリーズの何のアドバンテージでもありはしない。
 "OFFICIAL Advanced Dungeons & Dragons COMPUTER PRODUCT"とパッケージにでかでかと書かれたこれらシリーズのメリットは、むしろ堂々とTSR(当時)オフィシャルの要素を使用できた点にある。別にビホルダーやらマインドフレアやらを堂々と出せるとかいう話ではない(そんなものは前述のハッカーの黎明期CRPGにも当たり前に登場している)。欧米では尋常ではないまでの人気を誇る、AD&D世界設定のDragonlance(DL)やForgottenRealms(FR)を使えるというのがやはり決定的である。

 (ここで、「D&Dの世界設定」というと、CD&D(赤箱等)やカプコンD&Dのミスタラのことだと思っているゲーマーが、日本には非常に多いと思われる。これらや、ToEEやD&D3.Xeオフィシャルのグレイホーク世界設定も人気は決して低くないが、小説部数だけでも億オーダーにも及ぶほど全メディアに爆発的に展開しているDLやFRはとてもその比ではない。この「D&Dというとまず赤箱やらミスタラ云々」を口にするプレイヤーが多い点だけをとっても、日本人のD&D系に関する感覚が大幅に欧米とずれていることの顕著な例といえる。)

 ここで「キャラゲー」というのはあくまで例えであり、おかしな例えになってしまうが、いわば世界設定やゲーム設定などの「AD&D自体」をひとつのキャラとして見た場合のキャラゲーであり、それを(製作側の意図はともあれ)実質上最大の特徴としているという意味だが、じかに登場する、レイストリンやタッスルホッフやドリッズトやあいどるちょうじんエルミンスターのキャラ人気も少なからず寄与はしていただろう。


 しかし、知ってのとおり、いわゆるキャラゲーであることは、ゲームの内容自体の出来に対しては決してプラスには働きはしない。再現しなくてはらないもののための制約から、権利料に製作費が圧迫される、といった非常に下世話な事情まで、不利な要素は枚挙に暇がない。それはキャラゲー事情として、むしろ日本のゲーマーによく理解されているところであろう。
 AD&Dのゲームシステムを無理にでもCRPGで再現しなくてはならないという点も、特に技術力のないゲームメーカーには非常なデメリットに働き得る。当時(80年代後半〜90年代)すでに、AD&D1stや2ndのシステムがやたら古臭く、バランスがカオス(というほどひどい追加ルールはCRPG版には導入されていないが)で、CRPGには決して向いていない要素が多い。そもそも初期のOD&Dコピーのdndから発して90年代に至るまでのCRPGのシステムとは、AD&DからCRPGに向かないものを改変していった歴史でもある(なので、システムの細部がAD&Dに近いwizや初期のCRPGは、不要なものを引きずっているという意味では、CRPGとしての純粋な出来では明確に劣っている)。
 結局、ゲーム内容そのものではなく、ゲーム設定や世界設定を生かせるか(キャラゲーとしての価値)に値を求めざるを得ない。しかし、結局のところ、AD&Dのコスモロジー等の設定、DLやFRの世界設定などに非常に馴染みが薄い日本人ゲーマーには、これらのAD&Dプロダクトの価値が見出せなくてもまったくもってやむを得ない話である。筆者がAD&DのCRPGをわりと好意的に評価しているのは、あまり理解されないキャラゲーとしての面、これらがDLやFRや、AD&Dのコスモロジーの雰囲気をうまく表現したものが多い、という点を過剰に評価しているのは否定できない(前述のように、それを入れても擁護する気にならないタイトルも多い)。

 wizフリーク等の日本のゲーマーには、そもそも「AD&D」という言葉が出た際、AD&DのCRPG版の内容をやたら引き合いに出し、ひいてはAD&Dという言葉自体、PoR、EotB、BGシリーズなどを指しているかのように捉えている発言がしばしば見受けられる。「EotBは劣化ダンマス→EotBに以後のCRPGへの影響力はない→だからAD&Dにwizよりも影響力があるわけがない」等である。
 しかし、AD&DのCRPG版は、BGやNWNあたりは割と成功した方だが、PC用のCRPG自体の普及率や市場規模自体が、非電源含めたAD&D関連のそれの中では微々たるものにすぎない。

 これらのCRPG版のAD&Dを見て、社会現象としてのAD&Dの全体の規模や実体を把握したつもりになっていることは、非常にわかりやすい例を挙げれば、ガンダムやジョジョの出来の悪いキャラゲー数本の出来を見ただけで、ガンダムやジョジョの原作やその市場や影響の全貌を把握したようなつもりになっている、というくらい、的外れな行為と言わざるを得ない。言うまでもなく、そんなことをすればガンダム全体の巨大な市場や文化的派生力、ジョジョの原作の人気やネットでの影響力を全く理解できないまま評価する羽目になる。
 日本のゲーマーの「ファンタジー、RPG世界=まずCRPG」という先入観が、こんなところでも理解を妨げているのである。






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