SF/FT雑記




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Bと呼ぶかCと呼ぶか


 ミスタラ・ワールドの世界構造


 CD&D(のちにAD&D2nd)の世界設定、ミスタラの設定に関する貴重なサイトのひとつ。特に、ホロウワールドやイモータルの怒りについては日本語で読めるものは貴重である。


 ただ困ったことに、CD&D(BD&D)のことを、上記サイトは「OD&D」と記載している(CD&D第五バージョン、サイクロぺディア版のことを、「第5版OD&D」と書く等)。実際は「O(Original)D&D」は、本国では74年の茶箱・白箱を指し、OD&DがAD&D化する際に分岐した完全な派生ルールである、いわゆるCD&Dのことは、日本・海外問わず、指すことはまず無い。
 これは上記サイトが略語の使い方だけ混同しているというよりは、(日本の赤箱版ゲーマーのほとんどがそうなのだが)実際には茶箱・白箱(1974)やAD&D(1977)に比べると「遥かに後発の縮小版」にすぎない赤箱(1984)などのCD&Dのことを、誤って「世界初のD&D」「原型」「オリジナル」「オールド」、あるいはその直接の流れをくむ「本家」だと、根本的に誤って理解している可能性がかなり高いと思われる。
 幸い(というのもなんだが)該当のサイトには、白箱(茶箱)の本当のオリジナルD&Dの話は一切出て来ないので、上記サイトの表記の「OD&D」は、すべて「CD&D」にそのまま読みかえればよい。


 なお、いわゆるCD&Dは、海外ではB(Basic)D&Dと呼ばれていることも多い。これは、OD&Dから派生していわゆる最初のCD&Dが、第二バージョンすなわち「ベーシックボックスセット」であることから、引き続いての通称らしい。なぜこのボックスセットの名が「ベーシック」かというと、当時はこのボックスセットが「AD&Dの入門編」だったためである。このシリーズがAD&Dから独立した後(第三バージョン以後)についてはあまり合致していない。

 しかし、日本では「CD&D」という語が使われる。これは、日本では各バージョンの出版経緯が全く知られていないため、「ベーシック」という語が誤解を呼ぶ可能性が非常に高いことにも原因があるためと思われる。
 すなわち、日本で「ベーシックD&D」というと、古いゲーマーには和訳された第四バージョンの「ベーシックルール(赤箱)」の単体のみを指す語であるとほとんどの場合誤解され、さらに現代のゲーマーには、3.Xe、4版、5版のベーシック(入門者用ボックス、pdfルール等。特に「赤箱」の体裁で出された4版のもの)と混同されがちなためと思われる。

 ただし、この海外でのBD&Dのことを、日本で「クラシック」と呼ぶというのも、B(C)D&Dそのものを過剰に「古典」視=事実に反して「最古・原型」「かつての主力」であったかのような印象を与え、また、BD&Dの実質上の基本形である第三バージョンはAD&Dよりも遥かに新しいという意味でも、「アドバンスド」に対立する語を「クラシック」と呼ぶのは非常におかしいので、BD&Dを指す言葉としては、「CD&D」も、実はあまり妥当な語とも言えないのである。
 海外では「クラシカルD&D」というと、むしろ古いコンテンツの総称、すなわち上記BD&D第二〜第四に限らず、OD&D、AD&DやBD&DのようなTSR時代、ひいては3.Xeより前を総称して指していることも多い。当サイトでも、用語集の古い項目では「クラシカル」というときは海外RogueLikerに倣って上記のいくつかを総称していることが多い。上記のような混乱があるため、そのうちなんらかの語に統一する必要がある気もするが、現状ではCD&Dなどの用語は直していない。






スプロール・シリーズの世界(その39)


〇表現技法の数々

 例えば攻殻1原作には、ゴミ収集中の場面の背景、まったく本筋に関係ないし重要でもない要素として、爺さんがゴミ袋に混ざって一緒に出されているという極めて異様な風景が隅の方に描かれたコマがある。それが日常的によくあることのような節が、ゴミ収集者の台詞の末尾にある。そして、例の欄外のこまごました説明のこれも末尾の方に「老人がカラスにつつかれていないのは薬漬けだから」という一言がある。

 妙な言い方だが、この描写を士郎ちゃんの漫画以外の媒体で行うことはまず不可能である。
 というのは、小説だろうが映像だろうが、この異様な場面を充分に「異様さが伝わるように」描写し、かつその理由である背景を充分に「納得のいくように」説明しようと思えば、尺を裂いて大幅に脱線しなくてはならなくなる。
 本筋に関係ない「なにげない風景」としてこれを描写し、かつその異様さと説得力を充分に持たせるには、例えば漫画で上記のような士郎漫画そのままの描写やら欄外説明やらを行わざるを得ない。「普通の漫画」で一部の場面だけでそれをやったら浮いてしまうし、全編それをやったらもうそれは「普通の漫画」ではなく「士郎漫画」である。

 順番は逆になるのだが、スプロールシリーズは、文章で似たことをやっているのに近いともいえる。独特の世界設定に理由づけされる異様な風景を、あたかもなにげない風景であるかのように、本編と無関係に描写し、その細部は執拗に描写したり、その理由となる背景を深読みさせるような比喩もついでに書き連ねられている(しかも、その説明や比喩の内容が非常にわかりにくい)。
 こんなのが本筋と関係あったり全く無関係だったりで連なっている中から、仮に、初読等でこの中から「本筋」を探して追うことに固執しながら読んだりすれば、苦労というより苦痛が伴うと思われる。

 もっとも、士郎ちゃんにせよスプロールにせよ、他者が模倣しても有効ではないと思われる以上、表現技法資産の蓄積という面ではあまり意味がない。




ロシア語版ホビット1(その2)


 前回も紹介したが他の幾つかの表現について話題にしてみよう。

 『牛うなり』が棍棒(ICE設定では『とばし丸(Driver)』で『ゴルフィンブール』を倒す場面。一枚絵というよりは漫画の一コマ的な動きの一部。


 ゴクリ1ゴクリ2。
 ロシア1のゴクリは他国版の数々と比べると、映画版のゴラムに非常に近い。偶然と捉えることもできるであろうが、トールキン自身が幾つか(他国版の挿画への批判という形で)残しているゴクリの表現に関する発言に忠実である、と考えるのが妥当である。

 うしろで「ずさー」しているビルボも手前の強そうなオーク達の突進する仕草も、古代史を描いた安彦歴史漫画のノリ。






2000年前後の教育事情について今この単語だけ聞いたら


>ゆとり教育でも詰め込み教育でもなく、
>「生きる力をはぐくむ教育」


 テイルズ並にうさんくせえ!(※1)


※1 テイルズシリーズのRPGジャンル名に対する「うさんくさい」は褒め言葉




カプコンD&Dのプレイ時に入力する名を「異世界」として不自然にならないよう一生懸命考えたとか指輪物語やフォーゴトンレルムワールドガイド(FRCS)の名前決定表から採ったという話


 これはまったくの徒労である。なぜなら、ミスタラ世界設定は「地球の歴史とまったく無関係な異世界」ではない。ミスタラ(のうち、主舞台の地上世界ノウンワールド)にはあからさまに「地球の歴史」の「史実の国」を直接モチーフにした国が多数あり、ワールドガイドでの名詞もそれに則ってつけられているからである。
 (なお、指輪物語のエルダールやドゥネダインの名は地球の歴史の実在言語とは別言語なので、ミスタラ本来の命名とは一致せず(ただしデミヒューマンは共通点がある)FRCSのレルム世界はそもそも指輪物語をはじめ既存の小説等の言語を適当に混ぜた非常にいいかげんな言語が用いられているため、ミスタラの設定上で正しい人名になる可能性は非常に低い。)


 例えば、よくプレイヤーキャラの出身地や舞台となるカラメイコス王国は東欧風であり、その元宗主の大国ジアティス帝国(※2)はビザンツ風である(ただし、ジアティスには他にも古今東西いくつもの”帝国”のモチーフが混ざっている)。より正確には、カラメイコス住人や文化のうち、原住のトララダラ系が(東欧やロシアに原住の)東欧風であり、移住貴族等のジアティス系がギリシア系からの移入文化風である。
 カラメイコス西の男爵領の「ブラックイーグル」が英語名だって? 男爵の本名に挿入されている"Black Eagle"は通称であり、一般語に”英訳”されている(StingとかStriderとかと同様)にすぎない。男爵の個人名、ルートヴィヒ・フォン・ヘンドリックスは東欧の西に接する中欧(もどき)風というわけである。ステファン・カラメイコスも、その従兄弟のルートヴィヒも、元はジアティスの貴族出身なので、もとはジアティス風の名だったのが、その土地の語(それぞれ東欧もどき・中欧もどき)風に変えていると考えられる。

 なのでカラメイコスの平民(トララダラ系)なら単に地球の東欧とかそれっぽい人名を付ければいい。
 そもそも東欧とかそれっぽい名前がどんなのかわからない? 適度に調べろし、とか言いたいところだが、ランダムジェネレータを作ってくれている人がいる便利な世の中である。もっとも、名前だけじゃなくてその地方の住民の生い立ちや性情(風土・文化)もそのまま持ってくることができることを考えると、その実在の国について(今まで”人名”さえも知らなかったんだったら)やっぱり自分で一度は調べといた方がはるかに手っ取り早いと思うよ。ともあれ、ミスタラのキャラを決めたかったら、モチーフの地球の国の人名も性質もそのまま取ってくればいい話で、架空世界の設定としてこんなに楽な話はない。


 なぜミスタラは、このようなあからさまな設定(※3)になっているのか。
 これは、ひょっとするとCD&DがAD&Dと比べると入門編=低年齢層向なので、低年齢層プレイヤーが世界史や書物に興味を持つことを狙っている、という節が考えられないでもない。
 緑箱〜黒箱の領地関連やアーティファクト等の解説には、「よく知りたかったら(実在の)歴史や伝承を図書館で調べと毛」というのがたびたび出てくる。また、アーティファクトやそれに関わるイモータルの説明も、ほとんどが地球のそれがそのまま説明されている。もしかするとこのあたりは、白箱OD&D最初期の実在神話伝承書物を流用していた名残なのかもしれないのだが、それ以上は手繰っていない。



※2 ジアティスが宗主国であったのは和訳当時の設定(第4-5バージョンとか)の話で、AD&D2ndのミスタラ世界設定では、カラメイコスはジアティスからは独立し「王国」である。いまだにカラメイコスを「大公国」などと呼んでいるのは日本の自称TRPG古参だけである。いまだに、と言ったが、ミスタラを「D&D最古の世界」「D&Dの『メインの世界』だったが3版で別の世界に取って代わられたのが理由で箱時代からずっと更新されていない」などと信じ込んでいるのも日本の自称TRPG古参だけである。

※3 無論、WG(グレイホーク)やFR(フォーゴトンレルム)世界設定にも、異世界にも関わらず地球の固有名詞がときたま(FRはかなり頻繁に)出現する。しかし、これは(当サイトでは随所で述べているが)これらの世界設定が単に低質な「ニワカ作り」世界だからである。WGはガイギャックスやその友人らの個人卓で身の周りとか好きな作家のアナグラムとかで即興で作られた設定が基本設定のほとんどを占めるため、異世界テイストなどあったものではない。FRはさらに酷く、そのWG自体を又引きしたり、ひいては地球用の資料そのものを流用している(これはFRが、グリーンウッドが「既存のD&D資料を使っていかに安易に個人卓世界を作るか」を例示した記事のサンプルでもあったことにも因する)。これらWGやFRに登場する地球やら他の世界(ヴァンスとかトールキンとか)の用語のチョイスには、センスや整合性は皆無である。
 しかし一方で、ミスタラはこれらWGやFRと異なり、明らかに故意に、現実の地球の歴史モチーフをピックアップして作られている。地球をもじった異世界を描く良質なFT小説ほどの出来にはとても及ぶものではないが、少なくとも設定思想は同種のものである。






メガテン


 『妖精クーフー・リン』ってかなり中国っぽいよね。てか香港のイナカ臭いけど可愛い女優みたいだよね。




クヴァート


 AD&D2ndベースのCRPGのヒット作『バルダーズゲート』には、序盤の小型ヒューマノイドモンスターとして「クヴァート」がしばしば登場する。ちなみにこのBGではオークやゴブリンは(思ったほどは)登場せず、ホブゴブリン、ノール、混血のオグリロンなど、一般的には若干〜かなり頻度の低めのヒューマノイド敵が比較的よく出てくる。このクヴァートは、マスコット雑魚キャラとして定番のゴブリン等が目立たないBGでは、青くて小さなキャラグラと甲高い妖精声に、わりと人気が高い。

 あちこちにクヴァートは出てくるが、イベントとしてひとつ設けられているのは、うっかり集落に踏み込んだPC達が集落全員に襲われ、クヴァート族長が大事なお友達(熊)まで呼び出すが、PC達が集落も熊も皆殺しにすると「自分達は何も悪いことしてないのに」などと言いつつ息絶える、というものである。こんなのは別のRPGによっては「鬱イベント」にでも仕立て上げそうなところだが、どんな雑魚敵であっても生きてきた背景を背負っているのは当たり前のことであって、敵も自分も人生の持てるすべてを掛けて全力で殺さないと殺されるD&D系なら、こんなのはどうということはない。気にすることはないわ私達もいつああなるか、とセイラさんも言っている。

 それはともかく、クヴァートというモンスターは、他のFTやRPGではまず見ることがなく、D&D系ですらそうである。OD&D〜3eの基本ルールブック(モンスターマニュアル)にもd20標準のSRDにも載っていない。実のところは、元々はFiend Folioのモンスターである。その後、メーカー側からはゴブリンやコボルド等と同列の「ヒューマノイド種族」としてしばしばピックアップされ推されてきたようだが、まるでぱっとしないらしく、wikipedia(en)にも「バルダーズゲートに登場した」などと書かれているところが、いかに他に出てないか(書くことがないか)を表している。なお、BGのマスコット的なグラやボイスに比べて、wikipediaにも引用されているFiend Folioの元画像のあまりのかわいくなさは特筆に値する。




白きメタボ鳥の宿命


 チョイ・モチマッヅィ

  ↓ 井辻訳

 ホォイ・モホマッブィ


 おそらく紫の島の禿頭伯爵に瓜二つの南国呪術師。「モホ」のあたりが特に筋肉質






グレイホーク世界では越後の縮緬問屋の頭光右衛門にも気を付けろ


 もうちょっと続けてみる。この動画のシリーズに登場するモルデンカイネンは、訪れている世界(=地球)にあわせた姿に身をやつしている状態では、『モルデンカイネンの魔法大百科』等にも出ているイラスト(初出は『魔法大百科』ではなく、シナリオ『グレイホークの廃墟への遠征』(EttRoG)の表紙である)から顔の部分だけを切り抜いた、いわゆる顔グラで略式に表されている。
 そこから「真の姿」を現す際に、Epic Level Handbook(ELH)などの挿画で有名なあの全身像に切り替わる、という場面がある。以後、続編の動画でも、この挿画のシルエットは作中の姿や動画サムネにも使われる。


 が、実際のところは、前者のEttRoGや『魔法大百科』などの服装の方がモルデンカイネンの「真の姿」であり、ELHの全身像やD&Dミニチュアで表されている有名な方の姿は、「世を忍ぶ仮の姿」「変装」であると思われる。
 モルデンカイネンは、惑星オアース上、オアリク大陸の諸国を旅行するときは、越後の縮緬問屋ならぬ「比較的年配で質素なオアリディアン人の商人」に身をやつしている。無論、ELHなどにこちらが変装の姿を表すと明記されているわけではないのだが、前者のローブ姿の方が、AD&D1stの登場シナリオ(WG5)、AD&D2ndのDMG、The Wizards Threeなどの登場記事、LGG(『グレイホーク・ワールドガイド』)、さらに『魔法大百科』での服装であることから考えると、それに比べていかにも旅装・オアリディアン(西アジア等)めいたELHやD&Dミニチュアの服装の方が、商人への変装ということになる。


 しかし、どっちかというと真の姿よりも、この商人への変装姿の方がかっこいいとか、無限の住人の逸刀流っぽいとか、こっちが正装と思いたいというD厨が多いだろう。上のEttRoGシナリオの挿絵のひとつからして悪役にしか見えないのだが、1st以来のローブ姿に、3.0e等のつるっパゲ頭を組み合わせた方の姿、すなわちCY592年以後(とある死亡確認事件がきっかけで男塾のモットーの体育会ノリで)スキンヘッドにしてからの姿は、どう見たってB級超大作アメコミヒーロー映画『フラッシュ・ゴードン』の悪役、ミン大帝の色違いにしか見えないのである。てかこのミン大帝のフィギュアとかまんまセッションでモルデンカイネン役に使えそうだなコレ。
 (なお、フラッシュ・ゴードンについては古今東西、有名パロディがいくつもあるとか、ディスガイア1のヘタレ勇者キャプテンゴードンの元ネタのひとつとか語り始めるときりがないので今回は省く。)


 余談だが、いくつかの画像からもわかるように、モルデンカイネンは耳がわずかにとんがって表現されていることも多い。これは、おそらくミン大帝もそうなのと同様、「恐ろしげ、神秘的」な印象を強調するために誇張されている(魔法使いや魔女一般の)表現技法にすぎないと思われる。少なくともデータ設定上は種族(他種族の血とか)や背景的な意味はない。





ふと衝動的に「ロリッズト・ロゥアーデン」で検索すると


 クロエ・フォン・アインツベルンが両手に湾刀を持った画像のひとつがバンと出てきたことがある。何か外人とかが非常に重大な勘違い(以前のウォーフォージドでアシュロットが出てきたのと同様)をしている可能性が高いがとりあえずネットは有能だわ…






マンシューンで検索してくる人が多いので念の為ぐぐってみたら「東京マンシューン」というのが一番最初に出てきた



>今日、バイトを終えて家に帰ったら、何故か台所にマンシューンがいた。
>マンシューンは、チャーハンを炒めながら俺に
>「やあ、おかえり」と微笑みかけた。
>俺は、なぜ俺の家の台所にマンシューンがいるのかわからずに当惑したが
>「た、ただいま」
>とぎこちなく微笑みかえした。
>その後、マンシューンが作ったチャーハンを食べた。
>うまかった。

>そんだけ。

(『東京マンシューン』スレッド>>1より、詠み人知らず)




もょもとの事情


 DQ2でなぜ主人公が脳筋なのかというのは、現在のゲーマーからはずいぶんと疑問が出るらしい。ひとりめのプレイヤーキャラが万能型で、最初の仲間が戦士系の方が一般的ではないか、と。DQ1の主人公が万能型であるのだが、実の所、当時すでに多かった8bitPC用のCRPGでも多くがそうである。


 が、おそらく、コンシューマでも少し後のRPGならばそうなっていただろうが(現に、主人公が打撃寄り勇者系で、最初の仲間がガチムチのハッサンであるDQ6がそうである)DQ2で最初が純戦士であるローレである最大の理由は、DQ1、2が、当時まだ日本に普及していないRPGそのものの初心者向けの普及作・啓蒙作という面に非常な重点を置いて作られた、という点にある。
 純戦士(現在の”HFO”という言葉の使われ方とは異なるので注意)というのは、ルールを覚えることが少なく、生存率が高く、TRPG、CRPGとわず、初心者に推奨されやすい。CD&DやT&Tのルールブックにもそう書いてあるし、現にCD&D赤箱の導入用ソロアドや、T&Tのファングや無敵の万太郎もそうである。


 CRPGでは、やはりCRPGというジャンルそのものの普及作である最初期のブラックオニキスでは、シリーズ第一シナリオでは4人全員が戦士で、魔法のシステム自体が2作目(ファイヤークリスタル)という場合すらあった。
 DQ1、2ほどには普及の目的ではないが、DQ4で最初に操作するのが純戦士のライアンなのも、おそらくはルール的に導入に向いているという理由である。


 つまり、サマルは世に出る時期が数年違っていれば、おそらく主人公になっていたのである……。
 しかし、そうはならなかったという現状が、筋肉男が活躍し、器用貧乏な魔法戦士(トリックスターや吟遊詩人)が巧みにその補助に回る、コナン以来のヒロイックファンタジーを思わせる空気を醸し出し、DQ2の味わいをシリーズ内でも一種独特なものとしている。






現地妻II


 玉石混淆のクオリティが逆に見ていて全く飽きないアイギスだがこの主人公・王子のデザインは完全に85年前後の肩パッドファンタジーの量産型勇者テンプレート、お地蔵さんフェイス素GMを思わせるのっぺり感が顔ナシキャラとして実に素晴らしい。
 そしてその下の神器装備だの各称号だののデザインの、まさしく90年前後のデザイナー達の死にもの狂い吐血無我夢中のゴテゴテ盛りを思わせる様相が最高にシビラるじゃなかったシビレる。左利きなのはたぶんゼルダとかドラゴンスレイヤーと同じ理由。




リウイを認める者こそが正しいという説


 面白い説がある。「魔法戦士リウイが嫌いだと発言する人は、TRPGの実プレイをしたことがない人」だというのである。
 どういう理屈かというと、実プレイをしたことがなく、文字情報だけでTRPGの世界設定をとらえている人にとっては、公式の文字情報が自分の中のソードワールド1(フォーセリア世界)の「絶対事実」となる。すなわち、その「絶対事実」で「最強キャラ」が決められてしまっているのが許せなくなる。だからかれらにとって、公式情報でSW最強キャラのリウイは、決して存在が許せないキャラとなる。
 しかし、実プレイヤーにとっては公式と自分の卓が別次元別物なのは当たり前に割り切れることで、公式の設定など自分の中の「絶対事実」とは程遠いので、リウイのことなど元々どうでもいいはずである。なので、わざわざリウイを嫌う者はエアプレイヤーだ、というのである。


 この説が正しいかどうかは置いておいて、「公式の強NPC」についての実体験を述べる。
 FR世界やWG世界の実プレイヤーやヘビープレイヤーたちを手当たり次第に捕まえて聞いても、エルミンスターが大嫌いだとか、俺がエドのかわりにFRのデザイナーになったら真っ先にエルミンスターと七姉妹を全員公開処刑にしてやるとか、FRの4版のデザイナーどもの最も許せない点は神々や英雄を強引に大量抹殺したことではなく絶好の機会なのによりによってこいつらを全員虐殺しなかった点だとか、そんな話はとにかくどうでもいいからとりあえず死んどけとか言う人々は、和洋とわず、まことに数知れない。同じFRでもドリッズトは(小説の人気に比べると)せいぜいそこそこであり、一方で俺世界等で(ディーキンなぞをまきぞえに)殺されている例も少なくない。
 一方、WGでは、ロビラー卿は(非常に悪い奴だが)ことあるごとにリスペクトされている。そして、エルミンスターやカーラやガンダルフやベルガラス以上に世界を俺カスタマイズ操作の、死んでも関わりたくもないえんがちょキャラであるモルデンカイネンに対して、向けられる敬意は、特に中の人がみまかってからというもの、ますますとどまるところを知らない。


 SWとFRとWGの性質(懐)の違いなのか? はてはこれらの世界ごとのプレイヤーの体質(他人と自分にレッテル貼りの必要性)の違いなのか? 単にいけすかない奴はとことんいけすかないというだけの話なのか? その答えも今回はさておく。






ぱらとうんカズマの衝撃のファーストブリット


 ヨグ=ソトース

 ↓ 多重大瀧訳

 ユッグ=スットホウットフ


 だめだなんかうまくいかねー




マイナス10


 D&D3〜5版、特にプレイヤーキャラがハイパワーな3.Xeや最初から異常に強靭な4版の比較論などで、「CD&DやAD&D1st、2ndでは、hpが0になると死亡で、-10まで死なないというルールはD&D3.0eになってから登場した」という説明を、最近妙に頻繁に目にするようになった。
 日本語版ウィキペディアにも、hpが0になっても死なないのは「3版以降」と書かれている。
 中には、死にやすく殺伐としたキャラ使い捨てゲームであった2nd以前に対して、プレイヤーキャラの強力さを売りにできる3.Xe以後の「最大の改良点」であるかのように流布されている場合もある。


 しかし、実際はAD&D1stの登場時からすでに、hp-10で死亡という運用はごく当たり前に行われてきた。
 が、これはPHBではなく、DMGに書いてある(※1)。AD&D2ndでもPHBでなく、DMGのオプションルール(コラム)に書いてある。PHBに載っていなかった以上、あくまで基本ルールではなく、当然運用されるものではないのではないか、という主張は可能である。しかし、これが知られざるルールだとかマイナーな選択ルールかいうと、まったくそんなことはない。RPG解説書等では、CD&Dに比べたAD&Dそのもの特徴(気絶という状態を経ることがCD&Dよりもリアル云々)の例として紹介されていたこともある。筆者の参加したAD&D(1st、2ndとも)の卓ではいずれも選択していたばかりか、数人の先輩ゲーマーは、CD&D(※2)ですらこのルールを当然のごとく採用していた。そもそもが、Gold Boxをはじめとする最初期のAD&D1stのコンピュータ版の数多くも、hp-10になるまでは死なず、手当や安定化のルールまでも採用していた。
 ともあれ、明らかに「コアルールの範疇」に載っていたものを、「hp-10まで死なないというルールは3.0eまで全く存在していなかった」かのような説明が現在、頻繁に行われるのは、にわかには理解しがたい(※3)。もしかすると、D厨の間ですら「DMGはきちんと読まれないという風潮」でもあるのではないかという気までしてきたのだが、考える材料も足りないので今回は保留する(※4)。


 実は、行動可能から気絶、気絶から死までそれぞれクッションがあるというシステム(実はAD&Dのみならず、T&TやBRPでも積極的にそのような運用にできる余地は多い)は、プレイヤーキャラの死亡率を著しく下げる。プレイヤーキャラの数人が倒れて血を流している(あるいは流していなくても)場合、知能のある敵キャラは、そのキャラにわざわざとどめを刺すよりは、まだ立っているキャラを相手にすることが多いためである(少なくともDMはそのように行動させる余地が多い)。もっとも、倒れたら獲物を即座にとってくう文字通りの怪物は珍しくも何ともないので、何ら過信できる話ではなく、幸い(あるいは不幸にも)緊張感を削ぐほどではない。



※1 余談だが、最初期の研究所CRPGのRoguelikeや、Wizardryでは「hpが0になると死亡」となっているのは、AD&D以前のOD&Dから引き継いでいるのか、それともAD&DのあくまでPHBのオプションでないルールの方を採ったのか、単にhp0〜-9の気絶状態を再現する余裕がなかったのかは定かではない。どちらにせよ、hp-10で死亡というルールが、これらのCRPGのいずれかにでも採用されていれば、wiz等は(和訳されていた赤箱等の)CD&Dでは明らかにないとか、AD&Dの存在を認識させる機会に少しは繋がり、現在はびこっている赤箱・wiz起源説などよりはCRPGゲーマーの認識も、もう少しはましになっていたかもしれない。なお、日本に入ってこなかったり日本では流行らなかったCRPGの話をすれば、前述のGold BoxをはじめAD&D1stでも-10死亡を再現しているもの他、hp0でも死亡しないものはいくらでもある。

※2 ちなみにCD&Dの死亡に関する選択ルールとしては、かつてCD&D第五バージョン(ルールサイクロペディア)の和訳であるメディアワークス版のリプレイで提案されていたことがある「hpが0になると対デスレイのセービングスロー(st)判定を行い、失敗すると死亡」というものがあった。しかし、これは一般に死にやすい初期レベルのキャラはst判定の成功率も著しく低いことから、根本的に何の解決にもなっていないと思われる。
 ただし、話によると、ソードワールド1(このリプレイを担当していた関西の某ゲーム集団の作)から移ってきたプレイヤーが、CD&Dの死にやすさの不満として挙げることが特に多いのが、(SWのような)「『生死判定』を振る機会がない」という理由であるとか、この集団のデザイナーのひとりが発言していた「プレイヤー自身にダイスを振る機会があれば、ゲームマスターでなく自分のせいだと感じやすい」から選択したのではないか、といった見解を述べていたゲーマーもおり、そうした見地からのルールとも考えられる。
 もっとも、「プレイヤーキャラの死」とは、初期D&D系では当たり前に転がっている存在であり、「ゲームで当然に起こり得る要素であり、君のせいではない」と明記されているにも関わらず、そういう「ゲームマスターのせい」だとか「プレイヤーのせい」だとかにお互いなすりつけることを常に考えてルールを選択するという考え方自体に何か根本的に違和感を覚えるが、今回は追及は省く。

※3 例えは悪いが、例として3.0eでプレステージクラスがPHBに載っておらずDMGの方に載っていたから(現に、CRPGその他の再現や疑似的d20等では、プレステージ自体が省略されているものも多数存在する)「プレステージはオプションルールだから知らない方が当然のルール」か、などという議論は成立する余地すらない。3.Xeを知る者なら、プレステージを知らずにこのシステムは語れないことは誰しも認識しているはずである。

※4 なお、hp-10以外にも、skill/featのシステムなど、AD&D1stや2nd、CD&Dの時代からとっくに存在し、ひいては多くの卓で当然となっていたシステムについても、「3.0e(3.5e)以前には一切存在せず、3.Xeではじめて登場し導入された、D&Dを革命的に別ゲームに変更したシステム」などと主張されていることが頻繁にある。中には、「昔のD&D」には存在しなかったのだから「日本のCRPG」が起源で、3.XeなどのTRPGに輸入された、などと主張されている例すらある。
 NetHackの技能システムや、ひいては種族と職業の分離が、「D&D(註:CD&Dを指し、これがNHその他のRPGの原型であると根本的に勘違いしているため)が3.Xeに版上げされた影響である」などという主張が、RogueLike界隈にまことしやかに喧伝されまくっていたのは記憶に新しい。
 これは単純に、新和版CD&D赤箱シリーズ(基本ルールには一般技能すらない第四バージョン)だけを、3.Xeや4版と比較するということをやらかす自称古参が、日本にはあまりにも多いという理由もあるが、AD&D1st等の古いルールについては実際のプレイ経験はない者が多く、伝聞で「基本ルールだけ」の情報を聞いて、3.Xe以降と比較しているためだと思われる。AD&Dの全容をCRPG版(FC版『プール・オブ・レイディアンス』や、PCゲーム『バルダーズゲート』シリーズ等)だけから判断している者、酷い場合にはWiz#6がAD&Dそのものだというデマを信じている者も(赤箱シリーズプレイヤーにも)かなり多い。
 もっと別の方向から考えると、AD&D1st以来延々存在しながらも追加ルールとしての形でしか許されていなかった要素の多くが、3.Xeでは標準化・基本ルール化されたということは、少しの追加でもバランスが崩壊したり破綻していたAD&Dに対して、3.Xe系やその流れのPathfinderなどは、よほどシステマチックなバランシング(しかも過去の資産を生かしつつ)に成功している、という意味でもある。






D厨ならなぜ懐古ファンにも嬉しい5版の解説をしないのかという質問が


 非常に良い質問である。実は、昨年(2015)12月に、5版のCRPG, Sword Coast Legends(SCL)が出るので、それに合わせて5版の解説、HJ社のベーシックルール和訳を足掛かりとして、海外書物などもあわせた解説でも設けようかと思っていた。
 しかし実際に出たSCLの現物が、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そこで、(特に日本では不遇の)佳作NWN2の解説をすることにしたのである。GoldBoxとかIWDとかドラゴンランス関連も加筆しているのもそれらの準備の名残。
 5版についてはすでに折に触れて話題にもしているが、何か独立した記事とか解説とかを書く暇があったら、たぶんかわりにNWNについて加筆すると思う。




PoRと限界レベル


 FC版Pool of Radiance(PoR)などのレビューで、日本のレトロゲーマーには「僧侶の限界レベルが6lvなのに僧侶/魔法使のマルチクラスの場合は僧侶5lvまでしか上がらない」ことは「バグ」と主張されていることが頻繁にある。
 が、これはルールに照らせば当然のことにすぎない。Cleric/MUは(FC版PoRで使える種族では)ハーフエルフしかなれず、そしてハーフエルフのClericは、AD&D1stでの限界レベル自体が5lvであるため、考えるまでもなく当たり前の話である。
 水道水のようにAD&D1stが当然の認識になっている海外の感覚では、蛇口をひねると水が出ることのようにゲーマーの誰ひとり何の疑問も持たないが、いかに日本のゲーマー(自称洋ゲー通であっても)の感覚とずれているかの例である。洋ゲーは「不親切」「説明不足」「難易度が高い」などでくくられることが多い話だが、単にこちらが当然の常識・基礎知識を欠いている(知っていても上記をバグ扱いするように、当然の帰結として利用することができない)だけの話なのである。

 なお、PoRでのゲームそのものの限界レベル(種族限界がない人間などの上限)は、Fighterは8lv(125,000xp), Thiefが9lv(110,001xp)まで上げられるにも関わらず、Clericは6lv(27,501xpで到達), Magic-Userも6lv(40,001xpで到達)とxp量から見ると極端に低い。例えば後の『バルダーズゲート』1(拡張なしバニラ)が全クラス一律89,000xpだったことと比較すると、非常に不自然である。
 キャスター系を6lvに抑えてあるのは、呪文レベル3までに抑えるためと容易に想像がつくが、そうする理由は容量等よりも、おそらくゲームバランスのためである。終盤の緊張感(を通り越してほとんどいやがらせ)を維持したり、マジックアイテム偏重でバランスをとるこのゲーム全体の傾向のためと思われる。
 ちなみにPoRの小説版では、聖職者タールが呪文レベル5のRaise Dead等を使用しているので、盗賊レンに近い9-10lvまで上がっている設定となっていることが伺えるが、魔法使シャルに至っては呪文レベル5(Cone of Cold)どころか、12lv以上必要な呪文レベル6(Control Weather)も見られるため、125,000xpまででは辻褄が合わない。また、小説版の邦訳には、某関西の大御所が自分で想像した彼らのデータを載せていたが、AD&D2ndのHeroes Lorebookに載っている実際のデータはこれとは全くかけ離れていた。


 ここで本題だが、以前にDL世界の記事でも述べたように、AD&D1stのデフォルト設定(PoRなどのFR世界のGoldBoxのCRPGを含め)では、デミヒューマンの限界レベルのほとんどが大半のクラスでせいぜい一桁である。しかし、どのデミヒューマンもThiefだけは限界レベルがなく、いくらでも上げられる。
 なぜよりによって「盗賊」なのか、なぜ線を引いたようにどの種族も盗賊だけ可能なのか(例えばエルフなら魔法使、ドワーフなら戦士に適性があるように見えるにも関わらず、エルフやドワーフでもなぜ魔法使や戦士でなく「盗賊」だけが高レベルになるのか)というのがCRPG版のみならず、古いPnP版ゲーマーからも疑問が出ることがあった。

 これに対して、日本で唱えられている一説として、古いD&D系のクラスレベルというものが「階級」「社会地位」に直結している(頻繁に述べているが、Classを「職業」だのそれを重訳して「ジョブ」だのは完全な誤訳である)ことに深く関連しているのではないか、というものがある。
 すなわち、人間の社会では、9lv(ネームレベル)を超えた戦士は領主になり領地や城塞をどんどん巨大化していったり、それと同等の社会的名声を有している。魔法使や聖職者もこれと同等である。しかし、デミヒューマンの伝統の部族・氏族社会では、領地や名声を大規模にするといっても限界がある。そのため、戦士・魔法使・聖職者は限界レベルが低いのではないかというのである。そして、盗賊だけは、そもそもが社会からのはみ出し者であり、少なくとも部族や氏族の伝統には縛られにくい。例えば人間のギルドにもぐりこんで首領になっても少なくとも部族の伝統云々なりを問題にするという者はいそうもない。そのため、デミヒューマンでも盗賊だけは人間と同等にレベル(及び、前の例ならギルド内での地位)を上げられる、というものがある。


 これはAD&D1stに関しては、いかにももっともらしく説明できる一説であると思われる。ただし、盗賊そのものが存在しない当初のOD&Dの時点や、限界レベルがデフォルトと大きく異なり種族によっては盗賊に厳しい限界レベルがある前述のDL世界設定、そもそも1stと大きく異なるAD&D2nd(1stと異なり、ほとんどの種族は盗賊は12-15lvまでと低めで、他の得意な職は15lv台後半である)にそのまま当てはめて考えることはできない。また、はたしてドワーフの城塞主やエルフの魔法使が人間より小規模かどうかも一概には言及しがたい。さらに、「限界レベル以後も成長は遅くなるがレベル自体は上げられる」というオプションルール(特に2ndではDMGに書いてあり、コアルールの範疇である)とは、完全に齟齬をきたす。
 あくまでAD&Dの1stが平均的な設定として想定している世界(Greyhawkとか標準宇宙観という意味とはまた違う)を、まずデータありきから解釈すると、そのような性質の可能性があるのではないか、という想像の足しになる程度である。






ドワーフの女性にヒゲがあるという話はどこから来たか


 トールキンの、例えばLotR追補には、女性のドワーフは他種族には男性と見分けがつかないとあるが、RPGの原型となったこの時点では、故意に目立たないよう変装しているのか、完全に男性とそっくりであるのかは不明であり、ファンの間にも諸説があった。
 (なお、HoME11などの記述からはどうやら後者と採れる節があるが、刊行は遥かに後(80年代後半以降)なので、海外RPG/FTの原型が形成された時期(70年代半ば)とは全く無関係である。当時未発表のトールキンの原稿や、それに由来する映画版設定(2000年代以降)等を、時系列を無視して、あるいは半端に紹介しているサイト等を鵜呑みにして片っ端から「海外RPGの原型で、日本に入るまでは全てこのようになっていた」などと勘違いしないよう注意が必要である。)


 そこで海外での「RPG/RPG風FTの原型」であるD&D系だが、OD&D(1975)の基本ルールにはドワーフの外見についての説明自体が一切ない。AD&D1st(1977-78, PHBにせよDMGにせよMM1にせよ)も説明は非常に乏しく、鬚に関する記述は無い。デミヒューマンの外見など、HobやLotRの普及率から考えてこんな所で説明する必要なんてないだろうからどうでもいいわ(声:いかりやビオランテ)とでも言いたげである。このあたりの時期はガイギャックス本人が執筆していたが、執筆者がたいしてトールキンにこだわりなど無かった、という他資料でも語っている事実をかなり如実に示している。

 なお、この最初期のD&D資料に、デミヒューマンに対するデスクリプションが極めて不足していることも理由のひとつだが、80年代の日本の8bitPC等のARPG(『ハイドライド』や『ザナドゥ』はAD&Dに取材しており、これらを経由してゲーム作者が参照していた)を主とするRPGブームの際には、フェアリーテールの小妖精以外の資料のないエルフを必要以上に小柄にしたり、物理系というドワーフをやけに巨大化したり異常な筋肉達磨にする描写がしばしば見られた。(ここで、「WizardryのPC版の資料には最初から詳しく書いてあったはず」と主張する者もいるが、実際には当時のPC版Wizardryは、当時RPGでは主力であったARPG、ハイドライドやザナドゥに比べれば一部の自称洋ゲー通以外は見向きもしない操作性最悪の地雷であり、当時の8bitPCのRPGファンにとって、少なくとも「共通認識」にはほど遠い。)
 のちの『ドラゴンズクラウン』のエルフやドワーフが、洋RPGにおける(「トールキンにおける」ではない)これらの基本は押さえておきながら、当時の日本での誤解された姿も思い出させる造形になっているのは、懐古というものをよくわかっていると思わせる。


 ともあれ海外でもこのようなAD&Dに直接の容姿の記述が乏しい状況を受けてか、海外での女性ドワーフの絵画などの描写は、AD&D1stの時点から4版のようなものとたいして変わらず(参考:AD&D1stのFRUA用ポートレイト)、特にbeardの描写はない。
 即ち、冒頭に述べたトールキンのファンの解釈のように、鬚が有りとする説はないでもないが、海外RPG全般では、AD&Dを見る限り当初から、特に有が「主流」とはなっていない。


 一方、和訳もされたCD&Dを見てみる。CD&DはAD&Dの実質の縮小版だが、当初はAD&Dへの導入編として作られただけに、RPGやFTへの導入そのものは丁寧に記載されている部分も多い。OD&DとAD&Dの中間のような第二バージョンから大幅に改変され(縮小され)、現在知られるCD&Dの形に近い第三バージョンでは、

>All dwarves have long beards.

 全員がbeards(あごひげ)を持つということは「男女問わず」と読み取れないでもないが、現代の人間の一般常識からは、これだけの記載からはそうは読み取れないのではないかという気がするので、第三バージョンからはとりあえず保留である。
 となると第四バージョンであろう。CD&D第四バージョンが和訳された赤箱で「女性のドワーフは短いひげを持つ」と書かれていたのを覚えている古参は多いと思われ、少なくとも日本での説の出所に挙げられる。原語では、

>Male dwarves have long beards, and females have short beards.

 女性は「短いあごひげ(beard)」を持つとなっている。日本では、単に「短いひげ」だというから頬ひげの類(猫みたいのが頬から横にピンピンと生えてるとか)とかいう説も流れていたことがあるが、どうやらそうではなく、男性ドワーフと同様のbeardである。

 海外では、CD&DはAD&D1stに比べると非常にマイナーなゲームでしかなく、(日本での赤箱プレイヤーの従来の主張に反して)以降のFTやCRPG全般にはほとんど影響を与えていない。しかし、D&D系が赤箱シリーズしか普及しなかった(そして、赤箱=「最初のTRPG」かつ「海外での主流」との誤誘導が故意に行われた)日本では、例外的にCD&Dの影響力が比較的過大となっており、女性ドワーフにはヒゲ云々は、日本ではごく限られた古いゲーマーを通じてピンポイントで流されたと考えられる。




ガンダム(機動宇宙服):「これを着ると機動戦士になる。」(初代ガンダム12話脚本冒頭用語説明より)


 pathfinder-j:機動戦士


 「機動戦士」という訳語だけは何としても避けるべきではなかったのか。「○レベルの機動戦士は〜」とか、「鋼の旋風のように戦場を横切り、知らぬ間に通り過ぎ、彼の軌跡に破壊を残していく。」とかいう哀戦士めいたくだりとかに、ルールを確認するたびに噴き出していてはゲームにならない。

 Mobile Fighterの訳語の候補としては、「機動闘士」というものがある。主役メカ群が「モビルファイター」なのがGガンダムだが、Gガンダムの初期サブタイトル案が「機動武闘伝」ではなく、「機動闘士」であったことは非常によく知られている。放送開始時のマイケル富岡と内山くんの特番の中で内山くんが「機動闘士」と言っている箇所があり、直前までサブタイトルが決まっていなかった(特番をやる自体、ぎりぎりに差し迫った製作事情を示していたという説がある)ことがわかる。






ネクロ(Diablo2)吉良吉影説


 おそらく誰かがもっと深い考察をしているに違いないのだが、「Diablo 吉良」等で検索してもディアボロ(ボス)やランダムダンジョンつながりでディアボロの大冒険の方ばかり出てきて全く調査がはかどらない。そのため、調査を中断しても忘れないように覚書を残しておく。



○死体を爆弾に変えた!(corpse explosion)
○死体愛好
○遠隔自動操縦の手下
○自動操縦はスタンド一人一体に数えない(骨、ゴーレム等複数召喚)
○攻撃してくる者は必ず殺す(iron maiden)
○わりとドクロマークだらけ
○左手の甲にドクロスタンド(Skull盾)装備
○自動操縦スタンドがめちゃくちゃ硬い(召喚した骨やうまく作った鉄ゴーレムは難易度hellでも壁が務まる)
○自動操縦スタンドがダメージを受けても気づかない(↑調子に乗っていると骨が全滅している)
○自分はひたすら安全(平穏)を求める
○台詞やボイスはわりとかっこいいのにやってることは臆病
○たいして資産を使わなくていい地味な生活
○というか資産は割とあって良い物を身に着けていても結局行動は地味
○とりあえずKira's Guardianを探すだけ探す



 なお、D&D系のGreyhawk世界の八者の円の一人、「手フェチ」として知られる大魔術師ビッグバイ(ビグビー)は、最初期の登場シナリオWG5によると手魔法の属する力術ではなく死霊術を得意とするNecromancerである。これは単に当初ビッグバイが悪役NPCだったことに由来するのと、初期は呪文に現れる術者の名前と設定にはたいして深い意味がないためである。以上、上の話とは関係あるようで特に関係ない。




ビホノレダーに[火]エレメンタルクリーチャーテンプレートを付与した「焼き土下座衛門」という電波を受信


>本当に著作権侵害がすまないという気持ちで‥‥
>胸がいっぱいなら‥‥!
>どこであれ土下座ができる‥‥!
>たとえそれが‥‥
>肉焦がし‥‥骨焼く‥‥バートルの溶岩の上でもっ‥‥‥‥‥!
(『竜窟迷宮録ロビラー』詠み人知らず)






グラシア(アスモデウスの娘)



 プライスレスの(筆者註:priceless, おそらく「値のつけられないほどの」)装身具、絹、その他の衣裳をその身に纏ったこの人間に似たクリーチャーは美そのものだ─銅の皮膚、翼、二股に分かれた尾、角を除けば。これらの特徴が彼女の真の性質を物語っている。
 (Fiendish Codex II)


 Dungeon誌#197より


 上の画像について、上記の説明とは確かに矛盾しない点ではあるのだが、これバスト72くらいしかないんじゃないか




「スォードとかワォーハンマーとかは誤植・誤訳というより英語の発音をなんとか仮名表記しようと苦心して考えた結果なのではないですか」


 よく知られた例として、Bireley's Orangeはかつて「バャリース オレンヂ」と表記されていたが、1986年以降、日本での正式な商品名は「バヤリース」となっている。しかし、原語のBireleyが「バ・ヤ・リー」という仮名を日本語発音したものとは全く異なる発音であることは明白である。つまり、バヤリーでなくバャリーというよくネタにされる珍表記は、Bireleyをなんとか仮名表記したものであり(バャリー以前にもバーレー、バールレーなどの紆余曲折を経ているが、バャリーの時点で成功しているかどうかはさておく)スォード等も同様ではないか、というのである。


 (なお、バャリースと同様の文脈で語られることがある「もょもと」「おょにいけ!」は、最初から発音を前提としたものではないという差がある。また、ファィターやワォーハンマー等と特にいっしょくたに扱われることが多い、「ヨガファイヤアー」「バーチャフィアター」「バーチャヘァイター2」「オゥーザード」「アァンタジーゾーン」の5つは別の出典であるが、これらについては訳語ではないため、普通にそのまま仮名表記を発音するだけで特に問題がない、という大きな違いがある。そのためこれらの発音については特に述べない。)


 実は、少なくともスォードに関しては恐らくその通りであろうと推測できる。ただし、苦心したり考えたのは訳者の段階ではない可能性が高い。swordを「スォード」と表記するのは、特定のジャンル用語内、タロットのスートの剣を表す場合などにしばしば残っていることがある。これはRPG以外でも特定のジャンル用語が、しばしば他のジャンルや一般的な外来語表記法とは独立して輸入された際、独自に発音が翻訳され、そのままその分野の用語の慣例として使われ続けているとおぼしきものだが、新和赤箱のスォードは、独自に発音を翻訳したというよりはこれらの別の輸入ジャンルのスォードのどれかを採用したと考えられる。
 また、発音ではないが、珍訳として例示されることが多い「魔法棒」なども、現代でこそ特定ジャンルの訳語としてすら見当たらないものの、かつては近代の訳者がwandの訳語として(おそらく、wandが日本語で「杖」という単語が指すものとは明らかに異なることなどの理由から)苦心して選択していたもののひとつである。
 「メドューサ」なども、"Medusa"の発音を何とか表記しようとしたのか、それとも単に「メドゥーサ」と「メデューサ」のどっちにするか迷っているうちに煮え切らないまま合体してしまったのか(ジョースター卿の「見たくはない」と「見たくない」が合体して「息子がつかまるのを見たくないはない」になったと思われるのと同様)微妙なところであるが、なんとか前者と考えることは可能であり、実際にそう思われる文脈で使われている例も少なくない。ワォーハンマーはともかく、ワァーウルフ(くどいようだが「ワォーウルフ」は誤伝)あたりも、かろうじて考慮した結果かもしれない。


 しかし、「馬のひづめ(1〜6ポイカトのダメージ)」「屋根裏に大量に生息するシーフの幼虫」「危険なダンジョンの入口がぽっかりと口を開けている。そして、その中にはおそるべきドラコンが待ち受けている……冒険の時は来た!!」「君は目をこらし、前方に横たわる島影を霧越しに見ようとした。闇の中でカメモが再び恐ろしい警告の叫びを上げる。これが恐怖の島に違いない……!!」等、熟慮の成果であるとか異文化の橋渡しとなるために細心の注意を払った結果物であるとは到底解釈しがたいものの方が遥かに多い。


 これらの誤植や誤訳もすべてひっくるめて、「この当時いろいろと大変だった、苦労・苦心したのだろう」という、いかにもな事情や空気を漠然と感じ取ることも一応不可能ではないのだが、一見にはこれらの字面が、滑稽・杜撰な印象を与えてしまうことはどうにも避けられない。






『脱力のヒルズファー』(HJのサイトでもDLできるD&D4版用過去資産焼き直し公式シナリオのタイトルのノリで)


 様々な過去のAD&Dのコンピュータプロダクト(CRPG)について、興が乗ってきたので別のページにでも分けて続けた方がいいような気がしてきたが、いつ飽きが来るともわからないので、とりあえず後で考えることにして雑記ページで続ける。今回は『AD&Dヒーロー・オブ・ランス』と並んで洋物レトロRPG界の最大の鬼門のひとつといわれる『AD&Dヒルズファー』(1989)である。


 このゲームについては「やりこんでみると色々味がある」という声も耳にすることもないわけでもない。確かにApple][やPC-8001("88"01ではない)とかの時代のヒット作と言われるものをとっても、これ以上にしょうもないものや意味不明なものも決して少なくはない。しかし、そんな黎明期ならともかく、商品としてのゲームの方法論が相当構築されている、80年代末という時代背景とFCを含む大規模商業プラットフォームに出すものとしては、まぎれもなく突っ込みどころ満載のゲームである。
 当時、筆者の周囲のCD&D卓仲間、他の和洋の様々なPnPRPG/CRPGに通暁し難解な洋ゲーの数々を物ともしないマニアゲーマーらは、色々問題の多いGold Boxの『プール・オブ・レイディアンス』にすら10段階で平均して7-8点をつけていたが、かれらが『ヒルズファー』につけていた平均点はそれらD&D系ゲームへの贔屓目を加味してすら2点だった。


 実を言うと、おおまかな流れそのものは、同時期のGold Box Engine (Pool of Radiance等)や、後出のInfinity Engine (Baldur's Gate等)などのD&D系のCRPGと共通点が少なからずある。すなわち、街に行くと、佃煮にできるほど膨大な数の家が建っている。どれかの家に適当に入るとクエストが受けられたり受けられなかったりする。クエストをクリアすると経験値が入ったり全体のシナリオの流れ(申し訳程度のものであったとしても)が進んだりする。ヒルズファーの街だけでなく、広域マップから他の地方にも行く。ここだけ取って見れば、後出のD&D系ゲームにも見られる流れである。
 問題はそのクエストの進め方にある。やることなすこと手当たり次第に「ミニゲームにしとけばいい」の連発である。マップを移動すればどこぞのオリンピックやバイクゲームのように馬で障害物を避けなければならず、家に潜入すれば鍵をマリちゃん危機一髪の爆弾解除ゲームのように開けさせられたり衛兵をかわす追いかけゲームになったり、衛兵につかまれば闘技場で怪物と格闘したりする。いずれも、ゲームとしてのクオリティ(スピードや操作性等)は当時の基準でも著しく低い。(なお、FC版移植『ヒルズファー』のグラフィックには後のカプコンD&Dやドラクラの神谷盛治がカプコン入社前に関わっていたという話があり、因果は深い。)
 このようなゲームの様相に対して、『ヒルズファー』に日本のゲーマーからもっぱら寄せられた評は、「いったいどこが『RPG』なのかさっぱりわからない」というものである。即ち、80年代後半当時の日本では、RPGとは「DQのように敵を倒してレベルを上げて強くなるゲーム」という通念以外一切ゲーマーに存在していなかった当時、レベルも無関係にミニゲームを延々やらされるゲームにRPG要素など皆無に見え、クエストを探し自由な順番でクリアしていくというPnP由来のRPG要素という概念自体が全く理解できなかったと思われる。
 なお、上述のクエストの自由度の流れを評価するゲーマーも皆無というわけではなく、ことに現在では、『ヒルズファー』の流れを「Oblivion等TESシリーズなどの萌芽があるんじゃないか」等と大騒ぎするレトロゲームレビューもたまに見かける。が、海外のCRPGにおいては、PnPのRPGに準拠したこの手の流れ自体は別にこれ以前の黎明期から何も珍しくはない。ただ、TES4あたりになって、その手のゲームがようやく日本人一般人のプレイに堪えるような代物になった、という、単にそれだけの話である。また、例えばマウス操作で鍵を解除したりチャンバラしたりするギミックはTESにも見られることから、RPGの細部がいきなりミニゲームという思想自体は誤りではなく、単に『ヒルズファー』当時は技術が追い付かなかっただけではないか、という評もあるのだが、それはおそらくただの買いかぶりというものである。上述したように、既にPnPのRPGやシティアドベンチャーを熟知した辺鄙なマニアゲーマーらであっても、10段階で2をつけたくなるような代物である。


 話はそれるが、ヒルズファーとは、フォーゴトン・レルム世界設定の中でも、他のPCゲームでおなじみのソード・コースト地方ではなく、フェイルーンの内陸部にある街である。ゼンティル・キープのすぐ近くにある。
 ヒルズファーの危険極まりない地理条件を説明するには、ここでゼンティル・キープが何なのか触れざるを得ないが、ゼンタリムという公然の秘密結社(主な事業内容:密輸、大規模窃盗等の犯罪全般)の本拠地である。(以下はこのゲームの時代背景を含む旧版の話だが)ゼンタリムは『バルダーズゲート』等のソード・コースト周辺にまではるばる登場するほど広がっているレルム有数の巨悪だが、その中枢がゼンティル・キープである。砦や都を治める領主がいて裏に結社がある、といった盗賊ギルドや教団のようなものではなく、ゼンティル・キープの砦そのものが秘密結社の自社ビルで本社兼社員寮である。ベインに選ばれし者の僧侶で金髪お髭の超ナイスミドル・フズール(4版以降はベインの随神化)と、D&Dシリーズに悪役多しと言えども見かけの悪役っぽさではぶっちぎりの仮面魔術師・マンシューン(分身多数あり)のどちらかが指導している。この二人いつも仲が悪く、株主総会ごとに代表取締役が役員面々ごと変わるのだが、どっちが指導していたところで本社ビルの外から見れば事業方針が想像を絶するほど悪であることには変わりがない。
 そんなすぐそこに見えるゼンタリムの本社ビルに対して、ヒルズファーの街は、赤羽根軍団(アニマスのプロデューサーがガラの悪い芸能人ばかりを集めて結成したタケシ軍団のようなものとは一切関係ない)という精鋭兵団を結成して守りにあたっているが、この赤羽根軍団も悪の兵団であり、結局のところヒルズファーそのものが「中立にして悪」の街である。ヒルズファー町長の魔術師マールシーアが3.0eまで「真なる中立」だったのに3.5eで突如「中立にして悪」になり4版ではリッチ化したり、ゼンタリム以上の悪役集団レッドウィザードが普通に暮らしていたり、上記の闘技場で犯罪者を誅殺したり、やることだけ取り上げればT&Tのカザンにすら匹敵する殺伐さである。『ヒルズファー』はそんな街、マンシューンやフズールやレッドウィザードや赤羽根P軍団がすぐそこで見ているような場所で、平然と乗馬エキサイトバイクとかマリちゃん危機一髪とか延々やってるようなゲームである。


 何でこんなもの作りやがった(声:南千秋(茅原実里))のか。
 他にはGold BoxシリーズのようなRPGとしてまともな(操作性やスピードにはやはり問題はあるにせよ)ものを作っているSSI社が、なぜこんな奇をてらって外したような珍妙なゲームを作ったのか。それは大きく分けると、2つの想定ができる。


 ひとつは、SSIまたは契約して作らせたTSRが、FC(NES)を含む家庭用市場に対して、色気を出そうとしたのではないか、ということである。これは、『ヒーロー・オブ・ランス』の方も同じ理由、この『フォーゴトン・レルム』世界設定よりもさらに人気シリーズである『ドラゴンランス』世界設定のシリーズに、(Gold BoxのRPGだけでなく)非RPGの珍妙なアクションゲームやフライトシミュレータもどき・ストラテジーもどきなどが多量に作られた理由とも考えられるのだが、NESを含むゲーム機の分野、及びそのゲーマーがプレイするのはアクションゲームがメインであり、本格派CRPGは馴染みのないゲーマーが多かったため、より家庭用ゲーム機や場合によってはアーケードゲーマーも取り込めるゲームをメインに掲げて、又はGold BoxのまっとうなCRPGはそれと併せて売り出さざるを得なかったのではないか、という可能性がある。
 はい? 海外の家庭用ゲーム機ではとっくにRPGが支配的、Wizardry, Ultima, Rogueの世界3大CRPGが世界中で大ヒットしてたんじゃないかって? おまえは何を言っているんだ。wizとUlはゲーム機より数桁少ないApple][(PC)内のヒット作に過ぎず(海外サイトでwiz#1を古典とか成功作とか言われている場合この「Apple][内の状況」を指しているに過ぎないので注意)Rogueに至っては発祥から2000年代に至るまで徹頭徹尾、一握りのハッカー間の研究所RPGに過ぎない。wiz#1は海外ホームPCではコモドール64/128には移植されているが、Atariのゲーム機・ホームPCや欧州のZX Spectrumには移植されていない。そのC64/128(やAtariやZX)のゲーマーが喜んでプレイしていたのは日本のマリオやらアーケード移植で、wizのような死ぬほど遅く古臭いゲーム(日本人の大半の知るwizはFC版以後で、Apple][やC64版とは全く異なる)には見向きもしなかった、という証言はいくらでもある。家庭用でもジャンルとしては存在はしていたが、少なくともコンシューマのメインがアクションゲームである点を覆す存在なり、のちのダンマス、Diabloや日本でのDQFFのような、ゲーム業界全体を席巻する存在にはほど遠かったことは確実である。
 SSI(Strategic Simulation Inc.)という社名が直球で示しているようなストラテジー性の非常に強いRPG、まさにGold Boxシリーズを示す一方で、それ一本でアクション主体の家庭用ゲーマーらに売り出すには厳しいため、とっつきやすそうなジャンル、お手軽なアクションやらミニゲーム主体に走ったのではないか、ということである。しかし、そうであったとしても、Gold Boxの方もゲーム内容(システム、シナリオ)は申し分ないが、ビジュアルや操作性には多々問題があったことからもわかるように、それはSSIとしては決して得意分野ではなかった。
 これは、日本のCRPG史最初期において、PCでは好評だったARPGが(技術やハード性質格差の問題から)FC参入にことごとく失敗し、シューティングゲームに無理矢理RPGという名をつけて売り出すという奇行にすら走ったが、結局非ARPGであるDQが出現するまでCRPG普及に何の成果も挙げられなかった事情とも対照できる点が非常に多いが、日本のRPG史の決定的核心を成すARPG黎明期事情に関しては別の機会に譲り、今回は省く。


 もうひとつの想定できる理由、より推測部分が多いながらも筆者としてはこちらが主な理由ではないかと考えているのだが、それは、このHillsfarが、Gold BoxのメインシリーズのCRPGに対する「息抜き用の付属品」にすぎなかったのではないか、ということである。
 Gold Boxシリーズにはフォーゴトン・レルム(フェイルーン内陸)を舞台としたメインストーリーの4本のCRPG(Pool of RadianceからPools of Darknessまで)がある。この4本は、共通のシステムであるのは無論、PC版ではキャラデータを相互に転送可能である(通常、1作目Pool of Radianceをクリアしたキャラを、2作目Curse of Azure Bondsに転送する)が、実はこの4本に加えてHillsfarのキャラデータも共通であり、相互に転送可能である。ちなみに順番(及びキャラのレベルの昇順)としてはPool of Radianceの後にHillsfarとなっており、本来HillsfarからCurse of Azure Bondsに転送する。ゲームシステムの一部、Hillsfarではほぼ無意味に表示されるだけのAD&Dのパラメータ等以外にも、メニューや画面構成などの幾つかの要素が同じSSIのGold BoxとHillsfarでは無駄に共通していることに、すでに気づいているゲーマーもいるかもしれない。(なお、能力値などのパラメータはPoRから移入したり、CoABに移出する場合には大きく価値があるが、Hillsfar内だけでは、大半がほとんど何の意味も持っていない。)4本の本格派CRPGとデータ共有可能となっているこのミニゲーム集は、4本の付属品としてはじめて価値を持っているものではないか、ということである。
 ここで、日本のCRPGで相当と思われる例えを挙げるが、海外D&D系のGoldBoxシリーズやNeverwinterNightsとの共通点を挙げられるものに、日本のCRPG、ファルコムの『ソーサリアン』がある。これはソフト本体の他に、追加のシナリオ集が発売されており、同じキャラクターで色々なシナリオをプレイし、シナリオ間を渡り歩きつつキャラに冒険者キャリアを積ませていくというのが全体の流れになっているゲームである(同一キャラを共通して使用できるゲームはWizardry, Bard's Tale, Phantasie、日本ではブラックオニキスなどそれほど珍しくはなく、ソーサリアンはこれらをさらにシナリオ個々を細分化したものといえる)。しかし、冒険シナリオ集だけでなく、ボスキャラ戦やクイズや双六で小金や経験を稼ぐミニゲーム等も収録されたユーティリティー集も発売されていた。また、フリーソフトではCardwirthなどがこのようなシナリオ追加型のCRPGとして挙げられるが、Cardwirthにも、冒険シナリオの他にミニゲームやユーティリティーシナリオが多数制作、配布されていた。
 データが共有可能なゲームシステムに、本編だけでなくあえて性質の異なる付属品を加えることで、異質なものを許容するシステム全体の懐の深さを与えることがある。それはその付属品単体での完成度が高くなかったとしても(ソーサリアンやCardwirthのそれも、実の所多くは大差はない)その可能性を模索する、という作者らの姿勢自体が、シリーズの作品世界に奥行きをもたらすこともある。他のGold Boxとは全く異なるゲームシステムながらもデータを転送可能なHillsfarは、Pool of Radianceにはじまるシリーズ自体、もといGold Box全体の奥行きを広げる、という目的でシリーズに加えられていた、という可能性がある。(しかし、なぜヒルズファーの街だったのか。PoRのフランの近くに手頃な街が他になかったのかもしれない。フランも危ない街だが、ゼンティル・キープの近くでは恐らくどこでも大差はない。)
 であるとすれば、そもそも単独では何の意味もなさないゲームだったのである。
 それがFC版では、本来Pool of RadianceだけでなくHillsfarの直接の次プレイ想定作でもあったCurse of Azure Bondsが移植されることもなく、それどころかGold Boxのラインナップ自体がろくに知られていない(そればかりか、データに互換性などは無く世界設定も異なる『ヒーロー・オブ・ランス』等が、AD&Dという名がついているだけでこっちが同シリーズなどと混同されていたりする)日本では、上記のような事情が想像だにできるわけがない。当然、お遊びの付属品であるにも関わらず、あたかもこれが「独立したCRPG」「本編」であるかのごとく突きつけられる以外にない。


 海外での評価はどうか。当時のゲーム雑誌では、複数のゲーム性を組合わせている、という側面について、好評を寄せるものもあったらしい。例えば、(レトロゲーマーにはホークウィンドの名でおなじみの)ロー・アダムスはCGW誌で、小ゲームを組み合わせるアイディアは面白いがAD&Dのクラスが無関係になっており元システムを生かしたとは言えない点を指摘している。一方で時代が下り、2000年代のサイトでレトロゲーを評価するConsole Classixでは、NES版(日本同様に、他のGold Boxとはリンクできない、単体で評価するしかない状況であることに注意)について「RPGという名を冠して作られたものとして史上最悪のゲーム」と評している。この評価の差も、作られた当時は、こんな珍妙な複合ゲームまで作られたこと自体が、Gold Box(もといPnPのCRPG化というもの)がそれだけ広範にわたるジャンルだったことの話のタネくらいの価値は持っていたが、後代、そういった製作事情や当時のゲーム事情すら忘れ去られた時点では、単体で(それ自体がRPG本体であるかのように)このゲームにとっては過酷な状況に置かれた結果であることを推測させる。
 D&D系のゲーム全般に多少なりとも言えることなのだが、シリーズの全体像及びシリーズ内の位置づけというものが知られないばかりに、評価どころか本来あって然るべき考察の機会さえ与えられないというのは、しばしば見られる事態である。無論、ゲーム内容自体がこれだけ酷ければ評価の機会があったところでたいして変わらない可能性も高いのだが、それはまた別の問題である。






ロシア語版ホビット3


 洋モノゲームブックだこれ! イギリス以外の欧州、特に東側のものは自由奔放な独自の世界観を作り上げているものが多いが、こちらは典型的RPG風ファンタジー(ただしレトロ洋物というかなりの限定つき)のイメージに近いものである。




なぜ(誤って)「フロストブランド」と呼ぶ者が日本には多いのか


 どうやら『バルダーズゲート』1作目のリメイク(BG1EE)ではない方の当初の旧作で、ドリッズトの剣が「シミター+3、フロストブランド」と表記されていたためだ、という見解が多いらしい。
 なぜBG1の旧作ではこの武器の固有名詞である「アイシングデス」で表記されておらず、性能表記(ベース、強化値、エゴアイテム特性の順の表記)になっているのか(そして性能表記というものの意味が全くわからない日本人ゲーマーが、ただの性能説明を、武器の「固有名詞」だと誤解する結果をみすみす招いたのか)はわからない。なぜわからないのかというと、リメイクのBG1EEの方では、普通に「アイシングデス」に直っているためである。
 BG1旧作の当初では、これは(プレイヤーがドリッズトから盗めるのは)有名なアイシングデスとはあくまで別物、という設定にする予定だったのではないか、と考察する声もある。


 なお、D&D3.0eのデータ(FRCS)ではアイシングデスはフロストブランドでなく、「+3フロスト・シミター」と表記されている。3.0eの「フロストブランド」とは、「+3フロスト・グレートソード」(ガラハドのアイスソードとの関連は不明)が、さらに他に幾つかの特性を有するものを指す。アイシングデスはただのフロストでなく、フロストブランドに似た耐火や消火能力を幾つか持っているが、グレートソードではないし、幾つかの他の特性も欠いている。よって、アイシングデスは厳密な意味では、もはやフロストブランドですらない。






ドルイドのレベルアップ


 PCゲーム『バルダーズゲート』『アイスウィンドデイル』等ではクラスごとのレベルの上がりやすさを比較すると、どのクラスでも成長速度が遅くなるあたりの9-12lvにおいて、ドルイドの成長が異常なほどに早い。12lvに達する300,000xpは通常成長最速とされるローグ系よりも早く、この時点ではウォリアー系はわずか9lvである。
 一方で、13-15lvにおいては、異常なほどに遅くなる。12lvから13lvで倍以上のxpを必要とし、15lvまで倍々で、他クラスが(BG2では)高レベルスキルを習得できる3,000,000xpを要する。さらに、16-21lvあたりではまたしても異常なほどに早くなってから、だんだん遅くなっていく。
 他のクラスは、経験は9lv又は10lvまでは成長がだんだん遅くなり、その後は一定となるだけである。これは冒険者が能力だけで領地や塔を建てられるような一流となるひとつの到達点といえるレベルが、ネームレベルと呼ばれる9-10lvのためである。一方で、ドルイドだけが10lv以降、かえってあからさまにおかしなレベルの上がり方をする。
 このため、10lv台前半が本編のクリアレベルとなる『アイスウィンドデイル1』ではドルイドが重宝される一方で、異常に辛くなる10lv台半ばがまっただ中にぶつかる『バルダーズゲート2』では、ドルイドやそのマルチクラス(ジャヘイラとか)が厄介扱いされることも少なくない。


 このドルイドの経験テーブルは、3.Xe以降のファンにも噂話としていまだに憶測をまじえて語られている「ドルイドファイト」等の、AD&D2nd以前のドルイドの特殊なレベルアップ制度・階級制度に因する。簡単に言えば、この成長速度にはドルイドの設定上の理由があり、PnPの本家ルールではそれに応じた特殊なイベントなども設定されるのだが、PCゲームでは再現できないため、経験テーブルだけが踏襲される異様な状態になっているのである。


 細かい話は置いておいて、ドルイドの成長設定を簡単に説明する。他クラスのネームレベルの話を上記したが、ドルイドが一級の地位となるひとつの到達点は12lvである(ただし、hpテーブル等はクレリック等の他のプリーストに準じている)。厳密には、12lv未満のドルイドは「イニシエイト」に過ぎず、ドルイドと名乗ることは許されないとされる。
 12lv以降のレベルには、さらに重要な称号や職務が課せられ、レベルを得るにも条件が課せられるようになってくる。以前も書いたが、AD&Dのクラス・レベルなりそれが伴う称号なりは、JRPGで言う職業(ジョブ)とは全くの別物であり、社会階級、地位や立場をすべて総合したものである。12lvのドルイドは一地方に9人しか存在することができない。この一地方とは、2ndのPHBでは「大陸を3〜4に分割したもの」とされるが、例えば初代FRCSでは、500マイル四方が「1地方」となっており、地図を見る限りおおむね「ソード・コースト」「北方」等の名のついた地域を1つ指すとみてよい。大陸の北西一部でしかないフェイルーン地方をさらに数十分割した地域で、FRではPHBよりは大分細分されている=FRでは高レベルドルイドは多人数存在する、という示唆である。
 13lvはさらに厳しく一地方に3人、14lvは一地方に1人しか存在できない(AD&D1stではドルイド自体、この14lvが上限である)。15lvは、1つのワールド(全世界)に1人しか存在できない(又は、DMの裁量による。初代FRCSでは、14lvだけでなく、15lvのドルイドも一地方にそれぞれ「1人ずつ」存在していいことになっている)。
 12lvより上にレベルを上げる場合、1レベルごとにすでにいる上のレベルの者を追い落として地位を獲得しなくてはならない。この場合、必ず「ドルイドファイト」に勝利することで上位の者から資格を勝ち取らなければならない。


 ドルイドファイトという呼称は正式なものではない。筆者が卓ゲ板のDスレの14lvで書くより以前にはネットで見たことはなかったが、ゲーマー間ではそれ以前から連綿と使われていたような気がする。
 ドルイドファイトについては、2nd以前のルールを又聞きした前述の3.Xe以降のプレイヤーの間では、「必ず素手で格闘」「死亡しなければ何度でも治療し再挑戦できるが、頭部を破壊された者は失格となる(蘇生不能)」「BGMは必ずコレ」等の非常に怪しげな風説が流れているが、これらはいずれも、必ずしも正しいわけではない。CD&D緑箱やAD&D1stでは、上位のドルイドを「素手の戦闘」で打ち負かす必要があるとなっており、おそらくこれが説の出所と思われるのだが、AD&D2ndでは素手とは限らない。ルールは対戦者同士で決めることができ、物理でも魔法でもよく、また生死を賭けた対決でなくともよい。無論、主に想定されているのはCD&D同様、素手の決闘(競技)と思われるのだが、無論裁量によっては、論戦や料理対決やポエム合戦や、まったくの形式上のものでも構わないわけである。
 つまりドルイドファイトに敗北しても必ず死亡・蘇生不能なわけではないが、(2ndのPHBによると)敗者は該当レベルになれない(挑戦を受けた側なら維持できない)ばかりか、経験値が前レベルの最少値(最大値でないところが辛い)まで逆戻りする。


 なお、13lvのドルイドを「アーク・ドルイド」、14lvをドルイドを「グレート・ドルイド」、15lvの最高位ドルイドを「グランド・ドルイド」という。これらの称号は実在のオカルト関連の用語と共通した部分があるが、おそらく3.Xeでは(たとえデフォルトのGreyhawk世界でも)採用されなかった理由とも関係するので、深く突っ込まない方が無難である。
 これらの名称はPCゲーム内でも、登場するドルイドの称号としても頻繁に登場するが、実際はこのような意味があるわけである。ただし、これらのゲームの和訳ではこれらはほとんど訳されていない、例えば「大ドルイド」「高位ドルイド」等と訳されて元の意味が全くわからなくなってしまっているか、その持つ意味は全く説明されずに流されていることが殆どである。
 経験値の話に戻るが、13-15lvのドルイドになるために12lvまでと比べて非常に莫大な経験値を必要とするのは、世界に数人〜1人という地位を得ることの困難さを経験値の面でもそのまま示しているのである。


 16lv以降はどうなるか。グランド・ドルイドの経験者は、しばらく勤め上げた後に引退・隠居することができ、16lvの「ハイエロファント・ドルイド」となる。
 ハイエロファントはモンクにも通じる特殊能力が多くなり、それまでのイニシエイトやグランドまでのドルイドとはかなり毛色の違ったクラスとなる。経験値もゼロに戻り、他のクラスの低レベル時のように次第に必要経験が増えていく。PCゲームで16lv以降は当初必要経験値が非常に少なく次第に増えていくのはこの反映である。別のクラスに「転職」するといってもいいかもしれないが、レベルは16以降のままであり、強いて言えばAD&Dの転職システムのうちでは、デュアルクラスではなくスプリットクラスの一種といえる。
 ハイエロファントは人数制限もドルイドとしての義務もなく行動も完全に自由である(ただし、BGMは必ずコレ)。通常はこの段階から冒険者に復帰することになる。冒険者ドルイドは、ドルイドファイトとか面倒な13-15lvドルイドを経ずに、最初からハイエロファントに転職したいところだが、(少なくとも2ndのコアルールでは)そのような選択肢はない。


 ふたたびPCゲームに戻るが、要はInfinity EngineのPCゲームでは、AD&D2ndの13-15lvのドルイド昇進や16レベル以降の転職のイベントを全く再現しておらず、また、呪文でなく特殊能力が上がっていく点も(PCゲームの特性故ではあるが)反映していない。にも関わらず、無造作に「必要となる経験」の部分だけは使用しているため、普通にレベルが上がるにも関わらず必要経験が不自然な上がり方をするという、それだけ見るときわめて意味不明な状況になっているのである。なお、D&D3.0e以降(例えば、NeverwinterNightsなどに採用されている)はドルイドのレベルの上がり方は他クラスと全く同じで、ルール上もドルイドにこのような制度は全く記述が無い(PHBは無論のこと、LGGやFRCSといった各ワールドガイドにも無い)。ドルイドファイトや階級が、何らかの形で(設定のみなど)残っているかどうかも不明である。これがPCゲーマー等にドルイドのこれらおかしな数値の事情を推測させることをなおさら困難にしている。一般に海外のPCゲームにはこうした日本のゲーマーには調査手段の皆無な摩訶不思議が満ちており、いまなお産み出されているのが実情である。






狂気の心臓


 リメイク版IWD:EEの私家訳が進んでいることで一部でやたらと盛り上がっているPCゲーム『アイスウィンドデイル』であるが、IWD旧版の英語版(かつてセガで日本語訳されていたものには含まれなかった拡張部分)は、これまでもすでに昔からある私家版訳パッチを当てることで日本語化することができた。旧版はGoGで数百円で入手できるが、改訂版のIWD:EEの方もSteamで2000円そこらなので、これからやる人にはEEでもたいしてコスト的な差はないかもしれない。


 IWD:EEを含む拡張版入りのIWDや、続編(ただし地方は同じだが、時代もルールも違うのであまりつながりはない)IWD2には、コンフィグで設定できる「Heart of Fury(狂気の心臓)」モードがある。
 狂気の心臓とは、FR世界(3.0e以降)で、氷の神オーリル、嵐の神タロス等が住む風雪地獄である(正確には、3.0eではプレインの名はFury's Heartであり、微妙に語が違う)。
 要するに、このIWDの、「FR世界の北方の地獄の名前がついたモード」とは、Diabloシリーズで言うnightmareとかhellとかのモードである。敵が全部まるごとやたら強くなり、難易度が激増するかわりに、経験値などの見返りがグレードアップする。


 なぜD&D系のこのシリーズにこんなモードがあるのかは定かではない。ただ、IWDを含む(『バルダーズゲート(BG)』などの)Infinity Engineには、近い時期のDiabloとの共通点も多い。画面構成の他、直接のアクション性こそないが、かつてのGold Boxなどと異なりリアルタイム性が高いことなどはそうである。加えて、BGよりも戦闘中心ゲームであるIWDでは、ひたすら戦い続けるDiabloにより近いモードを入れたのかもしれない。(ただし、BGは無論IWDもそうだが、Infinity EngineはDiabloと外見こそ共通点があるものの、戦闘の内容自体は緻密な戦術戦略を要するBG/IWDはDiabloのようなハクスラとはゲーム性が全く異なるものである。なお、BGの方を狂気の心臓モードにするようなユーザーmodも海外には存在する。)


 具体的にどうなるか。敵の能力向上がリニアである3.0e準拠のIWD2だとわかりやすいが、序盤のゴブリン(通常モードではhp5)がhp160になって出てきたりする。
 Diabloシリーズならまだわかる。Diabloでは敵はアンデッドやデーモンや、それに準じた堕落した生物が多い。こういう生物であれば、下方次元界との戦況が芳しくないとそれらの次元界の本来の能力に近くなり主物質界で強大化する、だとかなんだとか、その場の口から出まかせだけでも説明が可能である。しかし、こっちは普通のファンタジー世界の地上の生き物である。小デーモンが下方次元界の影響で強大化するならともかく、近所に住んでいるゴブリンが近所の平常生活のままhp160っていったい何だ。
 *bandが当たり前になっているプレイヤーなら、真世界アンバーに近いやたら影が濃い世界に移っただとか、JRPGやネトゲ世界から転生してきた99レベル勇者様を近所のゴブリンが撲殺する世界だとか、何の疑問も持つことすらなく受け入れることができるだろうが、はたしてそうでない一般プレイヤー(ひいては、D&DやFRのプレイヤーを含め)が納得できるのかどうかは定かではない。






ソード・コースト、及びフェイルーンとアレクラストの内陸北部


 小説『アイスウィンド・サーガ』序盤の舞台となった極北のテン・タウンズ、その直南の「世界の背骨(スパイン・オブ・ザ・ワールド)山脈」をさらに西部海岸沿いに南下していくと、順次ラスカン、ネヴァーウィンター、ウォーターディープ、バルダーズ・ゲートといった海岸沿いの都市に、さらに南はアムン(オームー)、やがてカリムシャンに至る。この都市群が並んだ沿岸を、FR(フォーゴトン・レルム)プレイヤーは「ソード・コースト」と通称することがある。
 より正確には、「ソード・コースト」とは、ウォーターディープからバルダーズ・ゲートまでの沿岸を指す。バルダーズ・ゲートより南部の沿岸、まさにPCゲーム『バルダーズゲート』の舞台であり、ゲーム内でもソードコーストという地名で表示されていたエリアは入らず、さらに南のアムンも入らない。また、ウォーターディープより北、ラスカンまで(ネヴァーウィンターを含む)は、「ソード・コーストの北」であり、厳密にはソード・コーストには入らない。世界の背骨より北は単に北方(ノース)とだけ呼ぶこともある。


 しかし何にせよ、D&D系のコンピュータゲームの大半と、小説(前述したサルヴァトーレのものを主に)のうちのかなりの部分が、前述の混同・広義での「ソード・コースト」領域や、その周辺に描写が集中しているのは確かである。
 当然だが、この領域も、FRの世界設定の全体像のうちの非常にわずかな領域にすぎない。PCゲーマーには、「この世界の全体像」と称して、フェイルーンの地図を関連ゲームのボードにやたら貼りまくる者がいるのだが、このフェイルーン地方は惑星トーリルの全図から見ればこれも極めてわずかな面積(この図でも上の方のちょい左のヨーロッパっぽいあたりのさらに一部)にすぎない。『バルダーズゲート』のミンスクとダイナヘールがフェイルーン地図の東端のラシェメンから(そしてエドウィンや、ニーラを追ってきたレッドウィザード達がセイ(サーイ)から)、西端のソード・コーストまでやってきたのは、上のフェイルーン地図から、まるで世界をまるごと横断してきたように説明しているPCゲーム版プレイヤーもいるが、トーリル全図上では別にそんなことはない。
 よく知られているFRは、トーリルの中でもフェイルーンの情報が特に多いというわけだが、それではトーリル全図のフェイルーン以外の部分はスカスカなのかといえば、この長年の蓄積でそんな余裕などどこにもない。マズティカ(南米あたり)やカラ=トゥア(東部)を記述した本が何冊もあり、ザカラ(フェイルーンの南)に至っては、アル=カディムという、フォーゴトン・レルムとはそれ自体が独立した大規模なキャンペーンセッティングがある。


 話を戻し、ソード・コースト以外によく知られた(情報が特に集中した)地方といえば、レルム原作者のグリーンウッドらが言及するフェイルーン内陸のデイルやコアミア周辺がある。コーマンソーの森林(ミス=ドラノールの遺跡がある)周辺には、エルミンスターのいるシャドウデイルを含む数々のデイル(谷)が穿たれている。東には月海(ムーンシー)があり、その岸には悪名高いゼンティル・キープ、別のCRPG、『プール・オブ・レイディアンス』等の舞台になったフランや、ヒルズファーがある。
 コーマンソーの森林の西には、D&D系有数の「ファンタジー大国家」であるコアミアがある。FR有数の英雄(といっても版上げのとばっちりで3版時には死亡しているのだが)であるアゾウン(エイズーン)王と、守護の紫の龍が名高い、騎士と魔法の地方である。  広義ソード・コースト周辺が、かなり荒れ果てた危険な地域で、冒険物的というよりダークファンタジーに足を突っ込んでいるような印象も受けるのとは対照的に、内陸はより王道中世もどきファンタジーらしい語がちりばめられている。


 ここで、日本のソードワールド1の、魔女ラヴェルナの『アレクラストの博物学』連載が、FRの賢者エルミンスターの『忘れ去られた領域』連載のパクリスペクトである可能性が非常に濃厚というのはかなり根強く唱え続けられている説だが、アレクラスト大陸の中原地方は、コアミアのパクリスペクトではないかという説を述べるゲーマーがいる。竜殺しの英雄王や大陸随一の騎士団を擁するオーファンや、よりによってそれに隣り合ってユニコーンの森や魔法騎士団を持つラムリアースは、英雄王と紫龍騎士団(パープルドラゴンナイツ)、大森林群と魔法兵団(ウォーウィザーズ)を有するコアミアそのものではないかという説である。
 ひいては、先の『忘れ去られた領域』とあわせて、アレクラストの堕ちた都市レックスと、FRの魔力を喪失して落下したネザリルの空中都市群だとか、その周辺の魔力を吸い取られた砂漠だとか、フォーセリアのFRからの丸写しの可能性についてさらに指摘の労を費やすゲーマーもいる。


 これに関しては、たいして支持に足る根拠はない。大森林に竜を冠する騎士の国のモチーフ、その騎士を補佐する魔術師(自身騎士でもあり、いわゆる魔法騎士である)など、妖精物語には非常にありふれているし、まして、魔力を喪失して落下する空中都市は(神の雷で失墜する都市とあわせて)ラリー・ニーヴンの「マナ」シリーズでアトランティスがマナの枯渇により失墜したように、それ以上にありふれている。ことさらFR独自であるとか、その直接の引用であると考える理由はない。
 また、FRの設定というのは、AD&Dに古くからあるものではなく、世界設定を売りにする他社RPGに対抗したり、CRPGとタイアップする流れの中で急造されたものであって、初代FRCSが1987年であり、実はかなり新しい(設定そのものは80年代前半からDragon誌に載っていることがあり、グリーンウッド曰く、原型となった構想そのものは60年代に遡るとはいう)。ソードワールド1を設定したグループは、CD&Dの和訳(1985)よりずっと前からのプレイヤーであり、アレクラスト大陸が呪われた島に比べると相当な付け焼刃で設定されたらしき節がそこかしこに見える点を考慮してすらも、それほど昔から設定を行っていたグループが、FRほど新しいものにすっかり頼りきったとは考えにくい。
 むしろ、筆者としてはFRこそが付け焼刃の世界であって、ありふれたモチーフを使用しすぎていることについて筆を費やしたいところである。


 ともあれ、まさかソードワールド1の設定を「独創性にあふれたもの」だとか思っているFT/RPGファンは日本にすら一人とて居はしないだろうが、少なくとも「独自に創作されたものである」だとか思っていたTRPGファンは、本当に「どこにでもありふれたファンタジー設定」とは一体どういったものなのか、CRPGで有名なソード・コースト以外のFRの地方についての設定をためしに知ってみることは、無駄ではないだろう。






「ハーフエルフはいるのになんでハーフドワーフはいないんですか」


 例えばD&D3.0eのMM1によると、デロ(Derro, おびただしい種類の「ダーク・ドワーフ」のうちの一種)は、「人間とドワーフの混血種」である(ただし、3.5eでは、デロは人間とドワーフが掛け合わされたものに「起源」を持つとなっており、さらにPathfinderではまるで別の「謎めいたフェイの子孫」という説明である)。
 そういうモンスターとかじゃないやつはいないのか、といえば、FRのミス=ドラノールとか探すと居る。昔からまことしやかに広まっていた、「ドワーフとエルフのハーフ」を「ドエルフ」と呼ぶ、というのは、誰がどう見てもどこかの有名卓が作って広めたガセネタのような響きだが、非常に残念ながらそれをDwelfと呼ぶのは公式である。


 ダンピールの時にも同じようなことを言ったような気がするが、「なんで居ないのか」などと聞かれたところで、「居る」以外にはどうやっても返しようがない。仮にドエルフなんぞというものをプレイしたいとかいうなら、自分で調べてやってみればいいだけの話である。「いるのかいないのか」という問題は存在せず、「やるかやらないか(つなぎのチャックを下ろしながら)」という問題しか存在しない。




ブラックピット


 『バルダーズゲート』のリメイク、BGEEの新要素としてリリース時にやたらと売りとされていた追加モード(つながりのない別ゲーム)であるが、日本語検索で「ブラックピット」と入れても『パルテナの鏡』のピットくんが黒化したやつの情報以外一切出て来ず、BGEEのそれについては全く情報がない。まさにどん底の知名度である。BGEEのwikiにリンクを貼ろうにも、少し前まで記事未作成で項目は存在していたブラックピットは項目自体が無くなっていた。


 BG本編と直接のつながりはなく、キャラを6人全員作成し、闘技場でひたすら闘い続けるだけ、というと、既にある『アイスウィンドデイル』シリーズ(ストーリーはあるが、プレイヤーがやることはほぼ延々連戦だけ続けるというSRPGのようなゲーム。BGに比べて激しく好みが分かれている)の劣化かとにわかには思うところであろう。BGシリーズは、ユーザーによるModで今も追加要素が作り続けられている長い歴史があり、中には本編にひけをとらない凝ったストーリーそのものを追加しているものもある。そんな中で公式の追加が特にひねりのない連戦ゲームというのは残念要素のような声も聞かれる。


 ある意味では、かつてソロシナリオやゲームブックによくあった、冒険以外の特殊ルールゲームを思わせるものである。わかりやすく言えば、T&Tの通常の冒険シナリオに対する、カザンの闘技場やデストラップその他の特殊ゲームのようなものである。日本のツクールやCardwirthにも、「ギミック戦闘の連戦」をテーマにした作品が多いのを思い出すかもしれない。
 AD&D2ndの古びて不条理なシステムと、地味な連戦の組み合わせは(現に、海外のフリーウェアには過去見られたものだが)前時代ゲームの泥臭さを感じさせる。高難易度のトリック戦にいかに相手との相性を考えて倒すかというパズル解法的戦闘ゲームだが、特にこだわらず、倒した相手は何度も再戦が可能(経験値も賞金も入る)となっているので、弱い敵と戦い続けてレベルを上げたり装備をバージョンアップしてゴリ押ししてもいい(AD&Dでは勝てない敵には1−2レベルかそこらではたいして変わらず、戦術を根本的に組み直さないといけないことがほとんどだが)。マルチプレイヤーモードを利用してメンバーを色々と入れ替えて挑戦したり、人数を減らしてレベルを急速に上げてもいい。
 日本のギャグファンタジーの残念魔王様にしか見えない共興主ベイロス(BGEE本編の追加分でもNPCとして参戦可)はキャラが立っている。
 従来のシナリオ重視のBGシリーズの愛好家に対して、新要素とか追加ゲームとかで大々的に売り出すようなものではないが、BG本編やAD&Dのルールに慣れていないプレイヤーにとっては、ルールに慣れることでBG2やIWDや周回プレイのヒントになるかもしれないし、ストーリー物に疲れた際にキャラメイクやシステムに没頭する気分転換にはなるかもしれない。ユーザーによるストーリー追加modや、NWNなどのさまざまな追加モジュールに比べれば物足りないのは、無論のこと致し方ないとしても、である。






これがみくにゃんですか


 キャットフォーク 〜 Pathfinder和訳


>彼らの耳はとがっているが、エルフのそれとは異なりずっと丸く猫のようだ。


 つまり、形状が違うだけで頭頂についていたりはしない。よって、残念ながら「猫人」ではあっても「ネコミミ獣人」ではない。


 用語集の「獣人」の項目だとか、以前の「悪いチャムチャム」の話でも述べたが、実際のところネコミミはともかく猫人種族(ここではラカスタやタバシーといった「モンスター種族」ではなく、「プレイヤー種族」として使う物を含めて、である)は決して珍しい発想ではない。
 現に、00年代のスタンダードとして作られたD&D3.0eの最も基本ルールであるDMGには、新種族を作成するガイドラインの中に、「敏捷な猫のような種族(キャット・ピープル)を作る場合、エルフを参考にして作れ」という例が挙げられていたりする。
 ただし、その捉え方が日本のそれと同一とは限らないというだけである。


>男性名:カルース、ゲラン、ジセンベ、ドレワン、ニクタン、フェルス、ロウカー。


 「ジセンベ」がむちゃくちゃアタゴオルっぽい。これはおすすめ




ヴァンス以来の黒魔術師テンプレート@T&T


>58 : NPCさん 2011/08/31(水) 20:43:21
>初めて傭兵剣士やった時、黒のモンゴーさんが
>気さくにお茶ドゾーしてくれたのが忘れられない。
>殺伐としたFF世界とは違う、あたたかいTRPGだと思った。


 おそるべきモンゴーの飴と鞭。やはり奴はただものではない。これで思い出したのが、ポケ書の4コマでミュウツーが敬意を払われる立場でありながら自宅に来た客には普通に自分でお茶を出そうとしている点だった。






「モルデンカイネンとかいうグレイホーク世界の人名が別世界のフォーゴトンレルム世界の呪文についてるのはおかしいと思うんですが」


 エェェこれまさか最初から説明すんの? そんな珍妙ことに気付くくらいならあとは自分で調べられるんじゃないのとか丸投げじゃ駄目? まあ駄目かもわからんね。特に日本のTRPG業界の中じゃ。
 それらの人名などは、元々は「特定の世界設定」の設定ではなく、基本ルールブックに書いてある、「AD&D全体の共通の基本設定・基本ルール」だったためである。どんな世界でも(しかも、現在はD&D系世界でなくとも、D&D系など名前すら知らない日本の若者の間ですら)「ファイヤーボール」と言えば中レベルの対多数呪文だし、「スケルトン」と言えば(他の恐ろしい骸骨の姿の死霊ではなく)最少レベルの骨人形、「ゴーレム」と言えば(人造人間でなく)魔法動力ロボットだが、そんなことに(現在に至っても)誰ひとりとして疑問を持たないのと同様、OD&DやAD&Dの基本ルールの記述は当然の存在だったのだ。
 もっと言うと、それらの人名が出てきた当初は、このゲームには「世界設定」などという概念そのものが存在していなかった。当初のOD&DやAD&Dは(ここではあえて「TRPG」とは呼ばないし、現にソードワールド1以後の日本でもっぱら「TRPG」とか呼ばれている代物とは全く別物のゲームである)ゲームシステムに特定の世界設定や歴史が決められた代物でもなければ、「その世界設定に沿うように」「会話によって協力して」「物語を作る」代物などでもなく、単に城塞で戦うゲームだった。(OD&Dの時点から、ウォーゲームが元だけあって、後のAD&DやCD&D緑箱に通じる大規模戦や築城などの、扱いに困る記述も数行ある。しかし、ダンジョン外とか戦闘以外やってもいいだとかの示唆の記述はあるが、具体例があるわけでもない。)最初の"Greyhawk"(1975)という資料集は、世界設定の情報は全く含まれておらず、ルール集であって、Greyhawkは単に城塞の名前である(ガイギャックスは城周辺の地図が必要な場合、シカゴ市と北米の地図で代用していたといわれている)。
 なお、こう言うと、「D&Dには一番最初の赤箱から世界の設定はあってカラメイコス云々」だとか言い始める自称「TRPG」ベテランが湧く可能性があるが、赤箱(CD&D第四バージョン, 1985)はОD&Dから入門用に大幅に削減された第三バージョン(1981)からの派生であり、最初のОD&Dとは全くの別物である。CD&Dにカラメイコス云々のミスタラ世界設定がついたのはそのバージョンもかなり進んでからである。また、一般に日本の「TRPG」肌の間に当然のように流布されている、D&Dシリーズが「指輪物語を再現するためのゲームだった=最初のTRPGは、あのような緻密なエピックファンタジー世界を設定し再現することを第一の目的として作られた」なる説明は、語弊があるというか一言で言ってしまえば実際の筋道の理解を誤らせるデマである。実際はガイギャックスらが目的としていた城塞戦闘に、流行りのLotR(最強無敵エルフなどの「トールキン全般」ではないことにも注意)風のFTガジェットや地下探索を入れたにすぎない。

 ともあれ、それらが当初は「世界設定の重要人物の名」という意図でつけられたのではないという点だが、モルデンカイネンよりもっとわかりやすい例で言うが、「レアリー」はガイギャックス卓のプレイヤーのひとり(ブライアン・ブルーム)が3レベルまでプレイして投げ出したキャラに過ぎなかったし、「ターシャ」に至ってはゲーム内の人物ですらなく、ファンレターを送ってきた少女ファンの名前に過ぎない。ガイギャックスがそんな重要人物でもなんでもない名前を片っ端から呪文につけたのは、単に「誰かの名前がついている呪文」が、ジャック・ヴァンスの著作に出てくる呪文に似ているのでそれっぽい雰囲気が出ると思ったからに過ぎない。
 その後、ガイギャックス自身によるシナリオモジュール、WGの資料なども補足されてゆくのだが、少なくとも、レアリーがモルデンカイネンに次ぐ実力者でサルマンを思わせる大離反者であるとか、ターシャがザギグ神の高弟でのちのイグヴィルヴであるとかいう大幅に盛った設定がついたのは、ガイギャックスがTSR社を離れて遥か後のことである。
 それらは当初は、特定の世界設定に関連する名前でもなければ、重要人物の名前でもなく、単に雰囲気のために基本ルールにばらまかれているフレバーに過ぎなかったともいえる。それが1st後期に発するTSR社のWG世界の細密化と持ち上げ(あたかも「RPGの祖ガイギャックス作の由緒正しい凄い世界設定」)によって、かえって他の世界に入っていることの整合性が問題になるという、いかにも避けられない話になったわけだ。


 以上のようなゲームデザイン経緯上の理由(楽屋落ち)はともかくとして、ゲーム中の設定、世界設定の整合性中では「グレイホーク(WG)の人名がフォーゴトンレルム(FR)の呪文についている」ことについてどう説明をつけるか、という点である。実はこれはD&D側の公的な資料内でも、昔からさまざまな説明やつじつま合わせが成されている。逆に言えば、必ずこうである、という一貫した説明は存在していない。


 D&D3.5eのPlayer's Guide to Faerun(邦訳『フェイルーン・プレイヤーズ・ガイド』には、FRのコスモロジーは影界(プレイン・オブ・シャドゥ)を介して「他の主物質界」と繋がっている、とある。つまり、基本的にはWGやFR, さらに地球などは完全な異世界なのだが、影界にだけはその抜け道がある、というのである。特にWGとのポータルは存在することが明記されており、さらに、これがオットーやオティルークのようなWG世界の人名が呪文に現れる(=かつてWG世界の人物が影界を経由してFR世界に介入した事実がある)理由である、という説を述べる者がFRに存在するという、直接の記述がある。おそらく、これが楽屋落ちや版変わりなどのへんてこな説明を使わなくとも、公式に明記された記述で理由が説明できる一例であろう。

 影界の説明以外(以前)にも、WGの人物がFRその他の世界設定に介入可能という説明は何種類もあった。例えば、AD&D2ndのPlanescapeでは、(3.0eではWG限定のコスモロジーとなっている)大いなる転輪(グレートホイール)は、他のあらゆる主物質界(=世界設定)に接続していた。簡単に言えば、FR世界の主物質界のポータルから奈落界(アビス)に入って、ドラゴンランス(DL)世界のポータル(レイストリンが出入りしていた、竜の首が5つついたアレ)からDL世界の主物質界に出てくることができたのだ。2nd準拠のPCゲーム『バルダーズゲート』や、しばしば3.0eの『ネヴァーウィンターナイツ』について、「FR世界なのにコスモロジーがWG世界のグレートホイールのような説明になっているのがおかしい」という感想が頻繁にあるが、これらの時点では2ndであるか、あるいは(少なくとも構想時点ではおそらく)3.XeのFR独自のコスモロジーの設定が固まっていなかったため、まさしくこの当時はFR世界がグレートホイールに本当に直結していたのである。
 (なお、特にPCゲームではよくあることだが、そのゲームのルールが2ndや3.Xeだからといって、時代もそれらのルールに書かれているものに合致するとは限らない。例えば『アイスウィンドデイル』1は2nd、同2は3.0eのルールで作られたPCゲームだが、時代背景はいずれも『災厄の時』(デイル歴1358年)よりもかなり前(IWD1で1282年、2で1310年)、すなわち世界構造が1stルールだった頃の時代である。つまり、2ndや3.Xe以降の資料に書いてある設定は、そのゲームの時代のFR、ひいてはコスモロジー、魔法や神格の設定等も含む世界そのものの構造について、全く何の役にも立たないことがある。)
 また、2ndまでのSpelljammerでは、各世界にあたる「惑星(オアース、トーリル、クリン、ミスタラ、エイサス、地球等)」は宇宙船に乗って行き来できることになっていた(3.Xe以降のSpelljammerでは必ずしもそうではない。なお2ndの頃はまだ惑星エベロンは無い)。要するにPlanescapeにせよSpelljammerにせよ、相互の世界は3.Xeほどには「完全な異世界」というわけではなかったのだ。
 ちなみにWG, FRとついでにDL世界の間に交流がある根拠としてThe Wizards Threeを挙げる者もいるが、これはただの冗談企画(マウンテンデュー試飲会)である。当サイトでD&D系3大魔術師がときどき会合している、という情報だけ読んだ人々がしばしば流布していることがあるが、「多世界宇宙全体のバランスについて調整するために定期的に設けられている偉大な会議」などではない。


 さらに、WGとFRの間に交流・介入があるという説以外にも、さまざまな説や説明、置き換えの解釈がある。
 例えば、かなり直接的に、WG以外の世界には、WG世界の人物が作った呪文自体が存在していない、と設定している場合もある。FRの場合、WGの人名のついた呪文をすべて削除してしまったとしても、かわりにFR独自の追加呪文自体が大量に存在する(その中には、エルミンスター、ケルベン、シンバル等が作りその名のついた呪文も含まれる)ので、ゲームバランス上大きな問題となることは特にない。例えば、FRのPCゲームには、マジックミサイルの強化呪文である「モルデンカイネンのフォースミサイル」を削除し、かわりに、よく似た「スニーロックのメジャーミサイル」が入っている場合がある(スニーロックはFRのデイル歴1200年代の冒険魔術師であるが、「スニーロックのスノーボール」の方が有名かもしれない)。
 また、例えば、FRやDLの世界の呪文にあるWGの人名に見えるものは、トーリルやクリンにおいて遥か昔に呪文を発明した人物の名前であって、WG世界の人物とは無関係であり、名前が似ているだけの別人である、と説明されている場合がある。さらに、例えばLotRではローハン語や人名の表記は現代人にわかりやすいように古英語や現代人名風に直されたものである、と設定されているのと同様、「本当は」FRやDLでの呪文も別の人名がついているのだが、「ゲーマーにわかりやすいように馴染み深いWGの人名で表示されている」と説明される場合もある。
 さらに直接に、DLなどでは、WGの人名を無造作にDLの人名に置き換えて用いていることがある。「モルデンカイネン」を、全て「フィスタンダンティラス」に置き換える等である。


 WGの人名の部分が固有名でないものに置き換えられたり、単に削除されている場合も多い。例えばCD&Dでは、AD&D1stからそのまま写された呪文のうち、人名がつくような呪文は元から少ないのだが、数少ない「テンサーのフローティングディスク」「モルデンカイネンズソード」の人名が削除されて単なる「フローティングディスク」「スォード」になっている等はよく知られている(というか日本には、そっちしか知らないとか、「最初のD&Dでのこれらの呪文には人名なんて元々入ってなかった」とか主張している自称「TRPG」ベテランが多い)。
 D&D3.5eがベースだが、あらゆる世界設定に汎用されることが前提のSRD(d20の共通ルール)では、3.5eのPHBでは人名であった箇所は"Mage's"と置き換えられている(モルデンカイネンズソード→Mage's Swordなど)。これはSRDを使う世界ごとに、その世界の人名に置き換えてもいいし、単にMageは大魔道師(AD&D1stではMageは16レベル以上のマジックユーザーを指す)の意と捉えてもいいだろう。
 一方で、D&D4版などではWGの世界自体が基本世界ではなくなったにも関わらず人名自体は入っている。5版に至ってすらも、なにげにオットーやモルデンカイネンの名で残っている呪文がある。おそらく、SRDのように省略される場合と、D&D系の伝統的な意味で存続するものと、今後も併存するものと思われる。






猫ドルイド


 リニ&ドローガミ(Pathfinderのドルイドのアイコニックキャラ)


 すごくどうでもいい話なのだが、初見ドローガミの猫尻尾がリニの方から生えてるように見えてブレエドのチャムチャムをすっげえ悪くしたような代物かと思いっきり勘違いした。
 なお、これもどうでもいい話だが、リニは自分が猫尻尾ではなく連れているのが猫、つまり猿は連れていないので、チャムチャムのRPは不可能である。猿にワイルドシェイプする兄とかまでビルドする労力を惜しまないなら別に止めはしないが。




「バルダーズゲート2に出てくる聖剣カーソミアは『フェイルーン最強の剣』と説明に書いてありますがこれは本家の設定ですか?」


 元ルールのFRの設定にはそんなものなど無い。しかし、カーソミアーが「フェイルーンで作られた剣の中ではおそらく最も強力なものの1つ」という記述が、本家ではありえない、という言い方には語弊がある。
 一般的にこの当時、ゲーム要素の存在自体は非公式である(non-canonicalカテゴリに入っている)。PCゲームの要素は、レルムの他のコンテンツと競合しない限り公式(canonical)としてよいという、優先順位の非常に低いものである。
 そのため、他の膨大な設定のうち矛盾するものが本当に無いのかどうかの非常に危うい信憑性を問われることになるのだが、実は、AD&D2ndの範疇では、「2Hソード+6ホーリーアベンジャー」よりも強い武器は理論上は生成されないため、「カーソミアがフェイルーンで最も強力」という説明は全くの嘘とか公式設定に矛盾するというわけではない。


 ホーリーアベンジャー(聖剣)と2Hソード(聖剣は通常は対大型ダメージで大幅に劣る1Hソードである)の組み合わせは、レギュレーションやキャンペーン自体の傾向によるが、とりあえず殆どの主物質界では最強と称しても構わないと思われる。問題はもうひとつの要素、+6である。
 AD&D2ndの範疇では武器のベースの強化ボーナスは+5が最大である。にも関わらず公式設定にも+6の武器防具がしばしば残っているのは、AD&D1stの頃には普通に+6がランダム生成されためである。他に残っている+6の武器といえば、例えばオルクスの死のワンドや、アスモデウスのルビーの錫杖がある(これらはフェイルーンの(現世の)武器ではない)。なので、カーソミア+5はBGシリーズのAD&D2ndになってからルール上生成される(+5までの)どんな武器よりも強力又は同等、カーソミア+6は現世のあらゆる武器より強力だが、ルールの範囲外・違反というわけではない。D&D系は版上げのたびに元々カオスなルールに隙間のようなものが大量にできているというのはこれまでに述べているが、カーソミアのフェイルーン最強なる謳い文句は、そんな隙間を縫ったような代物である。


 一方、当たり前だが、D&D3.Xe以降はエピックルールでは強化ボーナスは天井知らずで、+7だろうが+50だろうが自然生成され得る。現に3.0eの『アイスウィンドデイル2』には+10の聖剣ライト・オブ・セラ・スマットがあり、『ネヴァーウィンターナイツ』1や2のエピック拡張パッケージでは、+8などの剣が店に売っていたりする。それ以上に、3.Xeではどんなに高い強化ボーナスでも自然生成される可能性があるので、「+いくらにしておけば理論上フェイルーン最強と言っても嘘にならない武器」といった抜け道は残念ながら3.Xeの場合は存在し得ない。






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