SF/FT雑記




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カール・エドワード・ワグナー『闇がつむぐあまたの影』


 尼損(1円+送料より)


 なんだこりゃおもしれえなオイ……
 ワグナー(後述)のケイン・シリーズの一作であり、REハワードのコナン等の最初の脳筋ヒロイックFTブームの後の、そのカウンターにあたるダークヒーローの時期(ムアコックの初期四戦士シリーズや、ゼラズニイのディルヴィシュもこれに入ることがある)にあたるものとしばしば分類されている。見かけだけは巨漢の髭達磨で脳筋FT時代の系譜だが、不老不死の呪いを受けて裡にも暗黒を抱えた、前述のムアコックやゼラズニィ時代のアンチヒーローで、本作では復讐戦争の悪玉側勢力に雇われて戦うことになる。
 ケインというと言うまでもなくREハワードやムアコックに同名のヒーローがいたりするが、ここでは聖書の罪人・カインがモチーフであることは作者の言にも作中のエピソードにも語られる(ゼラズニイのアンバーのケインもそうなのかは、兄弟を欺いたり分身を殺したり海の魔物であったりといった示唆が海外Z者には指摘されるが、個人的見解としては確定には弱い)。
 解説や別の書評でも、完全に人間性を欠いた冷酷非情なこの主人公ケインのキャラクター性がシリーズの最大の魅力である、といった評があるのだが、少なくともこの1作を読んだ限りでは、筆者には到底そうは思えない。まずケイン自身はやることは非常に姑息である。超然とした不死身の戦士らしからず、雇われ元の味方貴族に私怨を抱き続け、何度も謀殺することに無駄にこだわり、しかも毎回失敗する。不死なのに歪なこだわりが増幅されている所はあたかもアンバー人的で、ケインというよりジュリアンというか、もはやコーウィン並の読者面カッコマン気取りの残念キャラである。そんなケインが物語を動かしているかというとそうでもなく、主なのはケイン以外の両陣営の群像らで、味方・敵の登場人物ともに情念にひたすら突き動かされてぶつかりあい、両陣営とも一直線に自らを破滅に追い込んでいく。ケインは女魔王(雇い主)が呼び出した別のおぞましい深海棲艦だのセイレーンの極太レーザーだのに恐れおののいたりするが、正直いってこの人間模様の中ではケインは別に要らない、とまでは言わないが、それほどはケインである必要はないような気がする。
 この群像図は、駄目英雄らや駄目神々らが全員どんどん悪い方に突っ走るたぐいの伝承英雄譚の系譜ともいえ、破滅的なところはムアコックの初期エルリックなどの四戦士やそれ以前の作が終盤黒富野化するあたりも思わせるが、エルリックがおぞましいながらも優美なのに対して、こちらの群像は生々しい粗さの印象しかない。ドラゴンランスやFT少女漫画の雰囲気も思わせる。
 カール・エドワード・ワグナーはむしろFTの研究家や編集者として有名だが、このケインシリーズや、REハワード等のFTの模作をはじめとして著作がいくらかあり、創元のこのシリーズは『ケイン・サーガ 1』と書かれていることからも続刊が出る予定だったのかもしれないが、日本のSF/FTの無慈悲な末路の例に洩れず、シリーズなるものはこの1作だけで断絶しており、ケインをはじめワグナーの邦訳はあとはアンソロ短編集や雑誌に散らばっているだけである。表紙及び文中の末弥純イラストが今となっては実に豪華である。装丁などからも、コナンの創元版が再販時に末弥表紙に差し変わったあたりの時期だったらしい。もったいない時代が去来していた。





凄みと欄外


 徐倫が見えない状態でプッチ神父に攻撃を当てたことを「凄みで当てた」という説明から、ジョジョに関するわけのわからない現象(承太郎の後頭部と帽子が一体化している謎現象とか)を「凄み」で説明するのがネットスラングと化している。ほとんどはネタとしてだが、たまに本気で口にされていることもある。

 ここで突然だが、4部のジャンケン小僧と露伴の対決を思い出してみよう。小僧の言葉(露伴がヘブンズドアーで読んだものだが)では「ジャンケンは確率ではなく勝ちたいと願う心の力」であるという。
 あらゆる対決には偶然・確率の部分もあるし、それ以外の部分もあるだろうが、偶然や確率の部分は人間にはどうしようもない。が、偶然がどう出るか以前の問題として、人間がそもそも挑戦しなければ、決して成功することはない。
 結局のところ、何かが成功した場合に、その理由の決定的な部分を「偶然・確率の部分がうまくいったから」と捉えるのではなく、「挑戦しなければ成功することもなかった=成功の要因は人間が『挑戦したこと』」、その人間の勝とうとする意志の強さにある、と捉える考え方である。
 吉良吉影が仗助がそこにいると知らずに名前をバラしてしまったという決定的敗北の原因は、それらの偶然が重なったことを「偶然だから」を決定的な要因と捉えるのではなく、早人が仗助に無言電話で早起きさせてその場に来るようにしたという「賭け(挑戦)を行ったこと」こそが決定的な要因である、というのである。

 ジャンケンや見えない状態で拳を当てるといった偶然の要素が大きすぎる(というよりほとんどの人間は、偶然以外の要素など存在しないと考えるような)条件に対してすら、これで捉えるのはあまりにも極端である。偶然でしか当たらない拳が偶然当たって、当たった理由の決定的な部分が凄みとかいう説明だけでは、意味不明さがネットスラングのネタ化までするのも無理はない。
 が、確率以外の行動の部分だけを徹底して重要だとする捉え方は、結局のところ、5部以降の「運命そのものは人間の力では変えることはできず、したがって、運命(偶然)がどうこうなるかではなく、人間が置かれた状況にどう立ち向かうか、何に向かって行動するかが重要である」というテーマにも直結している。
 (ただし、ジャンケン小僧のときは結局勝負を決めたのは凄みでも偶然でもなく、ただの露伴のイカサマである。現に小僧にそれを直に糾弾された上に、露伴はそれで勝利の流れが自分についたので結果オーライみたいなことを言っているがイカサマはイカサマである。武装ポーカーから橋本陽馬のリモコンまで、荒木漫画にはこういう真剣勝負を唐突な反則で締めるオチもまた繰り返される。)

 もちろん確率は実際に確率の通りの値で、「凄み」の要素など考慮に値しない、という正反対の世界観の漫画もある。士郎ちゃんの攻殻1原作漫画には、少佐がネット内でピンチに陥った時、猿オヤジ荒巻がそばにいるバトーではなく他の部署の知人にまず声をかけたのは、少佐と似た対処手段しか持っていないバトーが対処しても似た結果になる確率が高いためであり、そのココロは、このマンガは「根性や思い入れ」ではなく「持っている鍵(手段)」の数や種類で結果が決まるため、であるという(と例によって欄外に書いてある)。
 ただしこの漫画自体の方針には沿わず、原作の9課はえらくアナログな連中である(ゴーストの囁きとやらを口にする少佐や、フチコマの整備にげんかつぎ要素を入れるバトーなど)。しかも攻殻のアニメ等の別メディアでは、9課はクールに見せておいて上記原作方針と同じというわけではないのでややこしい。

 Roguelikeの話をすると、RL、特にトルネコやシレンの持ち込み不可ダンジョンについて、(レベルやアイテムのような蓄積の持ち込み要素がない以上は)「完全に運だけで決まる運ゲー」とか断言する非Roguelikerは多い。それは、個人的な主張だと認識してそう言っているのですらなく、「ジャンケンが運でなく凄みで決まる」と信じている人間など存在を想像したこともないのと同様、他の要素やそれを知っている人間など想像すらしたことがない、といった前提においてである。
 ここをRoguelikerは「10回に1回しか勝てないとすれば勝利に必要なのは『10回挑戦する』という意思だ」とか「ほぼゼロの確率を1/10に近づけるための対処手段(鍵)をプレイヤーが持つことだ」とか説明していることがあるが、その手の相手が納得している場面というのはついぞ見たことがない。ジョジョの凄みや攻殻の欄外の理屈が一般には非常に理解されにくいのと同じくらい、Rogueliker以外には理解しがたいのかもしれない。





テンダイスソード


 テンダイスソードは検索するとRPG用語辞典のたぐいでも「やりすぎの強力な武器やインフレの代名詞」として、T&T以外(おそらく今はかえって未プレイ者によって)でもRPG一般用語・スラング俗称と化しているらしい結果が出てくる。
 T&Tのテンダイスソードの由来として日本で特に有名と思われるのは、5版ルールブック、現代教養文庫版で和訳もされていた記述(テキストはリズ・ダンフォース)で、正式なマジックアイテムとして登場した(報酬表など)ものではなく、ワンダリングモンスターの所持品に関する説明の、話の流れの中で突然に出てきた語である。


>オークにだって、本当にいい品物をパーティーにたいして使うくらいの頭脳はあります。
>「サイコロ10個剣(テン・ダイス・ソード)」を腰にさしたまま、牙や爪でパーティーを襲うことはないのです。
>そんな品物は(少なくとも、ワンダリング・モンスターからは)絶対に出さないことにするか、
>パーティーが手に入れるまえに、その特別な品物の味を味わわせてやるようにしましょう。


 おそらく大方の予想に反してパーティーに与えるよりもさらに危険なことを言っているのだが、明らかに単なるその場の口から出まかせ、このルールブック内でリズがしじゅう連発しているジョークのうちのひとつにすぎない。しかし一方で、正規データとこういったジョークの境界がないというのもT&Tでは当然の認識である(正規モンスターリストに入っている「人間の屑」「恐怖の図書館司書」など)。
 なお後のみゆきちゃんのHT&Tでは、テンダイスソードはマジックアイテム表の中に普通に入っている。同じみゆきちゃんの『T&Tがよくわかる本』でも、マジックアイテムについての解説に「T&Tにおける魔剣の代名詞」として例示してあるのをはじめとして、テンダイスを超える15d, 20dのインフレの比喩などやけに繰り返し言及されており、このあたりも拡散元の可能性がある。

 どのくらいの強さかというと、ノーマルアイテム(非マジック、ベースアイテム)のデータではブロードソードなどの通常の剣がダイス3−4個(期待値10.5-14)のヒットで、最も大型の(地下では使用制限もある)両手用武器でも7個である。このアイテムは普通の剣の大きさ(ただし大きさや形状にかかわらずダイス10個の剣の総称という説もある。上記5版ルールブックのテキストではダイス数以外の情報が一切ないからである)でダイス10個、期待値35というわけだが、ダイスの数が増えるとバーサーカー戦闘の際にさらに加速度的にヒットがブーストできる、という効果もある。そもそもがダイスを1度に10個という数そのものも(TRPG一般に対して)それなりのインパクトがあるということらしい。

 が、T&Tの既プレイ者にとっては、これがやりすぎの最強武器だのインフレだの思う者は誰一人としていないだろう。
 公式シナリオというかデザイナー本人(ケンStアンドレ)その他が作ったソロアド等に、これを遥かに上回る武器が山のように出てくる。英雄剣と絶望剣はヒットが(固定値で)それぞれ100と200である(なお英雄剣と絶望剣は「ダイスが0個」なので、「小型武器や魔術に関係ある杖のみ使用可能」という理由でダイス2個以下の武器しか使えない魔術師でも、2個より少ないから使用可能、などと解釈している鳥取が存在するらしい。いやなんでも解釈してくれたって構いませんがね。ただでさえこのゲームは生き残ることが難しいのですからbyケン)。匿名掲示板などで未プレイ者がテンダイスを大仰に喧伝した際にカウンターパンチのように出されるのが定番となっているブロンズボドキン(剣なのか他の何の武器なのか名前以外の情報は一切ない)はダイス66個(期待値231)である。しかも珍しいわけでもなく、1ソロアド中にこんなようなの(30個だの36個だの42個だの)がいくつも出てくる。
 ひいては、5版では大型武器のダイスが6−7個どまりだったが、9版(完全版)では、ノーマルアイテム(マジックでなくベース武器)表の中に、思いっこし「日本のアニメやMMOに登場する現実的でない剣」なる説明がされたダイス10個の巨大剣などというものがごく普通に入っていたりする(5版でもモンスター用の大型武器はx倍重くダイス数をx倍するといったものはあることはあったが、普通に人型のプレイヤーキャラが購入できる表に入っていたわけではない)。また、これもケンのソロアドだが、ノーマルアイテムの5倍のダイス数などという代物を購入できることがある。さきのMMO剣ならダイス50個である。
 なお、ダイス10個だとバーサーカー戦闘に強いといっても、5版に比べて9版では(個人修正を足せないなど)バーサーカー戦闘はかなり使い勝手が悪くなっている。武器攻撃と同様の仕組のヒットを生じる「炎のあらす」等の魔術師呪文は7版以降は威力増幅可能で、ダイス10個くらいはかなり簡単に出せるようになっている。そもそも9版では戦士は経験lvと同数のダイスを武器に足せるため、10個以上振ること自体が別にインパクトも何もなくなっているともいえる。

 が、テンダイスが別に最強でもインフレでもなんでもないといっても、あくまで破滅的なソロアドとか、死の女神とその宿敵だの21lv以上の魔術師だのが多数闊歩するトロールワールドの世界自体に関する話である。PnPゲーム(TRPG)としてのT&Tは、低lvキャラ(せいぜい5-7lvまで)を使用することが適切なシステムになっている点はケンをはじめデザイナーらが繰り返している。9版でのノーマルアイテムの最大ダイス武器が10個のMMO剣になっている点からも伺えるように、テンダイスソードくらいを暫定的な頂点・上限に据えるというのはある程度適切な捉え方なのかもしれない。





ペ(中略)ビィィリティDIVINE


 プレババンバ


 ぺ略(旧称フルアーマープランB、というかHGのランナーにまだそう書いてある)はゲームオリジナルの権利関係で製品化が遅れ、逆に今まで出ていなかった分、いまだにユニコーン金型を延々と引っ張り続ける種に使われている、という背景がある。
 このDivineというのがまるでヅメっちの描いた水っぽいZガンダム漫画の語感を思い出させてかなり印象が悪いが、これが究極形態と言いたいらしいがなんかアサキンのフルウエポンセットの時に誰でも一度はやろうとした台座アームやらサードパーティーの3mmジョイント(ブキヤとかね)で入ってた部品全部を無理やり装備させようとした作例(ぐぐれば今でも見つかる)のいくつかの方が重武装かつすっきりしてるよな



SPEEEEEEYIYYYYY(ラッシュ音)


 池袋のヤマダ電機のガンプラコーナーには、何年も前からスピードグレードコレクション(1/200)のZガンダム(なぜかヤマダでは「売り切れ」となっているのでリンクは10年以上前のガンダムインフォ)だけが積んである。スピードグレード自体に興味がわいて他を探し、例えば初代ガンダムなどは初代色プラ(1/250)の後継と見ることもでき、ゴッドガンダムが特に傑作という話を聞いて探してみたが、どれも見つからない。そして最近ヤマダのガンダムコーナーは別店舗に移ったが、行ってみるとまだこのZが積んであった。

 Zを一個買ってみると、どうやらMG2.0がモデルのようである。プロポーションに関するネットの評判は高い。しかし、MG2.0準拠自体がなのか、あるいはサイズが小さいとそう感じるのか、筆者には細すぎてどうも違和感がぬぐえない。ほぼ同スケールでMS形態のガタガタが不評なHCM-Pro(これは手元にあるのはアムロの3号機で、川崎のブックオフで全身バラバラに壊れた状態で400円で売っていたのを修復した)や、マグネットアクション(1割ほど小さく、MG1.0準拠で、現在のZ解釈とは相当かけ離れている)の方が、プロポーションとしてはむしろ違和感がない。

 Z時代のMSは実は初代から数年しか差がないが、その数年でのリアルロボットの発展に伴ってデザインは別物に進化しており、そして初代とわずか数年差で、Zからもすでに1世代以上の年数が蓄積しているとはとても思えないほど研究量が大幅に少ない。そのためZ時代のMSに特にこだわる人々には、「いまだに旧キット以上のプロポーションは出ていない」などと評価されていたりする(あくまで「普通の人」にはリバイブ前のHGUCやRGなどで充分に好評である)。
 そしてZガンダムは、中でも人気もリファインも初代に劣らないほど繰り返されているが、異次元変形の設定画が回答を出すことを非常に難しくしている。Zのこの正解のない模索については、まるで関係のないPGユニコーンのインストで福井とっつぁんが言及しているほどに、ガンダム立体物の代表的な命題であるのも以前触れた通りである。変形を度外視し、MS形態ひとつとったとしてすら、この独特の線の塊に対する正解というのがいまだに霧中にある。
 旧キット1/144のように変形を捨てれば(つまり、MSとWRでそれぞれ異次元の設定画を作ってゲッターロボや破烈の人形のように変形前後で合わないのが当たり前と言ってしまえば)少しは改善するのであろうが、そういう時代に逆行する話はないようである。かえってコストがかけられず非変形の立体物が出ることが多いZZやSガンダムといったロボットとしてはゲテモノの方が、MS形態はまとまっていたりもする。





イブの肋骨


「待て!」クワイアは呼び止めた。
「なんだい?」Tシャツとジーンズ、黒髪の少年が振り返った。
「典拠によって、否、投影される”影”によって、男女どちらでもあったりするもの、──上杉謙信だの沖田総司だの于禁だのアストルフォだの──だが、それらにも、大元となる”実体”があるのだろう。どちらかであるはずだ。コーウィンの息子マーリンよ、かれらの”実体”については、男女どちらなのだ?」
「そんなことが気になるのかい」少年は何か呆れたように言った。「しかも何か違うやつが混ざって──」
「わたしはこれまで、自分の”実体”である『アーサー王』は男だと思っていた」それを遮って、アーテュラス・クワイアは低く言った。「そこから投影されているわたし以外の”影”、つまり道連れのあの女などだが、それは別にしても、大元の実体はあくまで男だとな。だが、このようなことが引き続くと、確信が持てなくなる」
「確信が持てないと何か不都合があるってことなのかい」少年は眉をひそめた。「そんな些細なことでそわそわするんじゃない。本当にいざという時に集中できなくなるじゃないか」
 が、クワイアがそのまま睨み続けるのを見て、諦めたように言った。
「アーサー王じゃなく、さっき挙げられたような連中について言うなら──どちらかでなくちゃならない、という前提に立って話すなら、こうだよ。すべての男女が男と女のどちらかに属すべきだというなら、それらはまぎれもなく男だ。だけど、すべての”実体”がアンバーかカオスのどちらかに属すべきだというなら、それらはまぎれもなくカオスだ。歴史の必然、というよりその場の脈絡の必然で男女どちらでも『ありえる』もの、実体の時点で『そういう』ものが、歴史上には、多元宇宙の織物の脈絡の上にはいくらでも、要所要所の縫い目にいるんだ」
 クワイアは、いったんは咀嚼しようと試みたようではあった。が、
「何なのかの説明にはなっていない」ようやくうめくように言ったのは、結局それだった。「そいつらの正体は結局のところ、一言で言えば何なのだ」
「正体を名で言えば、ヴァン・ローゼ族だよ。他の珍妙な王族と同様、たくさんいる」

(『さくらとめざめたアヴァロンの鍵』より)





バルダーズゲートの伝説2 吸血鬼の影


 角川


 ミンスクらが活躍するアメコミの続きであるが、舞台はコミック中盤から突如レイヴンロフト世界設定に飛ぶ。BG市どころか早くもFR世界設定からも外れてしまう。が、元々ブーがSpelljammer世界設定出身疑惑がある点からして、この面々に求められているのは、「FRの世界設定に足のついたエピックファンタジー描写」といったものではなく、ランクマーやECといったヒロイックファンタジー(もっとも、DMGの定義とは異なる)的なキャラ中心の活躍なのかもしれない。(巻末に付属しているのはFRの設定説明漫画だが。)
 レイヴンロフトの設定を簡単に把握することは困難であろうが、5版のMM1(モンスターマニュアル)を持っている人(といってもD&Dゲーマー以外がこのコミックを買うとはとても思えないが)「ヴァンパイア」の項目のコラムにストラード伯の来歴について載っているので読んでおくとよいかもしれない。というか、なんらかの手段(I6モジュールとか、NWN1版モジュールのSpires of Ravenloftとか)で伯の概要だけでも知っておかないと、この漫画でいきなりセルゲイとか誰だとかわからなくなる説明不足がある。

 なお「バロヴィア領主(伯爵)であるストラード・フォン・ザロヴィッチ」なので「バロヴィア伯のストラード卿」とか呼んだ方がよいのではという気がするが、原語でも和訳でもごく普通に「ストラード伯爵」「ストラード伯」と呼ばれている。また西洋史では「城」と「領地」と「フォン-の後につく縁の地」の名前は同じことも多いが、ここでは全てばらばら(レイヴンロフト城、バロヴィアの地、フォン・ザロヴィッチ」となっている。このあたりの語や用法(特に和訳)は元から厳密なものではないが、城塞戦パラノイアの多い当時のD&Dスタッフらと異質なことに、I6モジュールを作ったローラ・ヒックマンにはそのあたりのこだわりは特になかったのかもしれない。
 コミック内でのストラード伯は、恐れられている割には圧倒的な力ではないが、実はストラード伯は本人のデータそのものはさほど強くはない。初出であるAD&D1stのI6モジュールでは「15ヒットダイスでMU術者レベル9lv相当で呪文を使用できるヴァンパイア」で、2ndではやや強くなり16lvネクロマンサーとはなっているが、3版ではまた戻りウィザード(ネクロマンサー)の10lvである。5版では、このコミックが公式シナリオCurse of Strahdと関連するが、同シナリオでは5版のMM1の「WIZ呪文を使うタイプの吸血鬼」のデータを使用するようになっており、すなわち「脅威度15でウィザード術者レベル9」であり、ちょうど1stの頃に戻っている(というか1stのストラード伯を意識してこの5版のデータが作られた可能性もある)。
 D&D系のこの手の悪役は版が進むほどに強化されるのが常だが(4版→5版ではそうでもないが)ストラードは最大強化された2nd時点でもそれほどでもないし、同じくらい、あるいはストラードほど有名ではない悪役(ヴェクナ、アイウーズ、マンシューン、ソス卿など)と比べても派手なデータではない。5版のPHBやMM1にも名前は載っているほどのストラード伯の存在感はレイヴンロフトセッティングの特徴である、土地と結びついたものが大きいにせよ、D&D系では(特に2-3版)データを盛って悪役(FRでは善玉も)のインパクトを出そうとすることが多い中、独特の方向性ではある。

 2017年のWotCサイトで公開されていた主人公パーティーの面々の5版データによると、ミンスクを含めてパーティーは全員「6lv」である。ミンスクはBG2のToBまで入れるとエピックレベルだったとしても、彫像からの復活劇の際に戻ったのだろう。
 ミンスク(+ブー)、デリナ、クレイドル、シャンディに加えて今回はケレンヴォーの女クレリックであるネリーズが加わるが、おそらくデザイン自体は、いかにも日本製のソシャゲにでもいそうなかなり秀麗な女性騎士キャラではないかと思われる。が、今回のコミックにせよ他のイラストにせよ、常に目にクマの入った(ようなメイクの)形相のためにひどい悪人相となっている。死者の神の司祭ならさもありなんだが、いかにも旧版BGのNPCの面々のポートレートを思い出させるともいえる。背中に負っているのはデータではグレートソードとなっているが、これはおそらく3.Xeでいえばケレンヴォーの好意武器であるバスタードソードで、5版ではバスタードソードがPHBから消滅しているためこうなったのではないだろうか。馬鹿真面目だが筋肉的思考がミンスクと気があうらしき描写が多い。ついでにミンスクとの会話をはじめ、作中ではしじゅう「ケレンヴォーの『牧師』」と呼ばれているが、牧師はClericの誤訳であると思われる(D&Dのルール用語としてそう訳すのは適切ではない)。
 続き物の2巻おいては1巻以上にありがちなことなのだが、「3巻に続く」のぶっちぎれ感が強い。はたして3巻は出るのだろうか。





モヒカンファンタジー(ペイロア高司祭ではない方)


 「ガロウ・ラン」とはこれまで述べてきたつるっぱげ監督のバイストン・ウェル世界の種族のひとつである(ただし、後述するが、このサイトのテーマであるRPG的文脈で単純に「種族」はやや語弊がある)。フェラリオがいわゆる(FTやRPGの定義や話題に立ち入らない俗称での)「妖精」、エルフやスプライトフォークであるのに対して、ガロウ・ランは非常に出番は少ないが「邪妖精」、早い話がゴブリンや北欧トロールのようなものである、と説明できる。
 ガンダムXの主人公とは全く関係がないが、語源は同じ(我が道を走る)であると推測される。リーンの翼後半部アニメなどにこの名が出てくると、「御大はガンダムXになんか恨みでもあるのか」などというネット感想やコメントの類が多数見られることがあるが、ダンバインやリーンの翼前半部小説が1983年、ガロウ・ラン軍団が序盤かなり活躍するオーラバトラー戦記が1986年、GXが1996年なので、まったくもって何の関係もない。一方、バイストンウェルの方がGXのネーミングの発想元(GXの高松監督は、富野直弟子としてしばしば筆頭に挙げて語られる)になったことは大いに考えられる(GXはエルガイムの駄馬マイロードかもしれないとも噂されてはいるが、おそらくはこちらのガロウ・ランの方が信憑性は高い)。

 バイストンウェルのガロウ・ランに話を戻すと、その実態はおおむね上記の名の通り、ヒャッハーと突っ走るこれも早い話が北斗のモヒカン雑兵である。実際、迫水真次郎がバイストンウェルに落とされてはじめて出会った生き物が、ムラブ・リオンというガロウ・ラン一群の頭目であったが、このムラブは思いっきりモヒカン刈りである(旧版文庫の大森英敏挿絵など)。
 しかし、ムラブも初登場時は強敵感を出していたものの、再登場時はインフレについていけず、盛り上がらないトミノ死にをする。他に、ガロウ・ランの徒党の首領にはオーラバトラー戦記序盤の美形魔王タイプなどもいたりするが、外見と統率力はモヒカンの首領KINGこと南斗聖拳のシンでも、頭の中身はモヒカン雑兵とたいして変わらない。
 オーラバトラー戦記で上記魔王に率いられているような例を除くと、巨悪や人類の脅威(洋RPG世界の悪の人型種族のような)のたぐいではなく、モヒカンのように数が大量に出てくるわけでもなく、せいぜいが徒党を組む規模であり、コモン(人間相当種族)らに特殊能力(技能の他、超常能力の場合もある)を役立てたり斥候などとして普通に重用されていることもある。こうした部分は魔性であるが敵とは限らない、黒妖精(欧州の根源的なデルガーなど)も思わせる。

 さて、この種族を、要するにムラブのようなモヒカン野郎ども、という恰好の説明で片づけることができれば綺麗にまとまる話題なのだが、残念ながら今回話題にするのは、そういう一筋縄ではいかないガロウ・ランという”名称”の事情である。
 同じコモン(人間)とは別種族としても、フェラリオの方は(ダンバインでも同様だが)明らかにコモンとは別個の「種族」として描写されている(ちなみにリーンの翼後半部には、サコミズ王のホウジョウ国で見かけだけ品の悪そうな女らがフェラリオ扱いされて大量に捕縛され、中には本物のフェラリオのエレボスも混ざっているが大半はただのコモン、という場面が出てくるが、これは別にホウジョウ兵らが本気で混同しているわけではない)。
 しかし、ガロウ・ランについては、その部分がどうにも曖昧な箇所がある。コモン人に対する形容(リーンの翼新版後半部では、地上にいる軍人らに対してすら出てくる)として、「ガロウ・ラン的な考え」をはじめとして、「ガロウ・ランの血が混ざった」「ガロウ・ランに取りつかれた」といった表現が頻出するのだが、これが完全に比喩とはいえないところがある。例えばオーラバトラー戦記でのドレイク・ルフトは、覇道に突き進み始めたのは、前述のガロウ・ランの美形魔王を打倒した後にその怨霊にとりつかれた、と作中で噂される。
 この「怨霊」という言葉すら、まるで比喩ではない例として、前述のムラブの相棒であるガロウ・ラン女性ミン・シャオは、ムラブよりはほんのちょっと活躍場面が多いのだが(だいたい同じくらいの格の小物なら、男よりも女の方が暴れっぷりが良いのは、つるっぱげ作品では常である)自分らの準備した爆薬の誤爆で爆死する見事なトミノ死にの後に、ドズルがTV版(劇場版やオリジンではない)でビグザムの上で出していたような悪霊を出したりする。旧版の口絵にはそのミン・シャオの「物の怪」の姿が実際に描かれているのだが、完全にドズルと同じタイプのスタンドである。しかもノトーリアスBIGのように本体が死んだ後に襲ってくるのだからドズルよりたちが悪い(なお、スタンドでしか倒せないわけではなく、聖戦士である迫水の剣なら倒すことは可能である)。
 そう考えていくと、「ガロウ・ランの血が混ざった」も、完全に比喩であるか、又は完全に語義の通りであるかどうかは疑わしく思えてくる。仮に、「ガロウ・ラン」という語と、「その怨霊がとりついた者」「血が混ざった者」「頭の中身がモヒカン雑兵な者」の境界が曖昧であるとすれば、ムラブやミンについてすら「ガロウ・ランという種族そのもの」なのかも何やら曖昧であり、ガロウ・ランのあるいは数代前の混血といったものが徒党を組んでいるのかもしれず、あるいはそう噂されるただのコモンとそう遠くない存在である可能性すらもある。
 このガロウ・ランという語の使われ方と曖昧さは、ちょうど現実(地上)の伝承でいうところの、所謂RPG的な用語ではない言い方での「悪霊」「妖怪」「悪い妖精」といったもののイメージ、その語の使われ方、ひいてはその成立の事情に、フェラリオ以上により近いものである。バイストンウェルの、「"RPG"から派生したものでは"ない"中世風ファンタジー」の一筋縄ではゆかなさがここにある。ただし、ガロウ・ラン自体の出番が非常に少ないため(リーンの翼前半やオーラバトラー戦記ではそれでも出る方だが、いずれも後半完全にフェードアウトする)認識されることはほぼない。これが世界設定の「裏方」に徹しているためなのか、単につるっぱげが投げ出しているだけなのかはわからない。





響け愛の鼓動、目覚めよ黄金巨神


 このサイトではFCの話もよく出すが、実は当時筆者の周囲にはMSX1を所有している友人も多かった。以後のシリーズはともかくDQ1についてはむしろMSX1版に慣れ親しんでいた、という前提で以下の話は進む。
 このMSX1というハードウェアは、グラフィックチップの性能が非常に悪かった。特にひどいのは単色の「にじみ」である。Apple][や、筆者の所有していたPC-6001でも故意にグラフィック表現でも利用されることがあったのだが(例えばPC-6001では二色表示モードを滲ませて赤などを表示する表現が多用されていた。6601や専用モニタなど、より高性能のハードウェアを使うと再現できない)記憶ではMSX1のものが特に酷かったような感覚がある。原色で塗りつぶしてもくまなく虹色になっていたり、境界部が変な混色になってぼやけていたり(現に、といってもこれはにじみとは別の問題なのだが、塗りつぶすと境界部がはっきりせずにはみ出したりした)とにかく感覚として画面が非常にばっちい。
 さてDQのモンスター「よろいのきし」系統は、現在のゲーム機では本来の「鎧騎士」そのもののデザインに見えるし、検索などをしてもそうした元デザインの画像に近いものしか探し出せない。現に当時のFC版の画面でも、元デザインからさほど乖離したものを連想させるようなものではない。
 しかし、MSX1のDQ1で画面に表示されていたそれは、解像度に前述した表示の問題が重なって、下半身の鎧の構造がどう見てもおむつカバーを穿いているようにしか見えなかった。そのため仲間内ではよろいのきしは「青銅パンツ」、あくまのきしは「鋼鉄パンツ」などとあだ名されていた(にじみによる質感もまさしく金属パンツだった)。しかし極めつけは最上位の「しにがみのきし」であった。元々はウォーハンマーのデーモンのような赤系の配色なのだが(というか今、FC版のグラフィックを見てこんなんだったのかと驚いた)MSX1版のその画面では色のにじみがあまりにも酷すぎて、全身が黄金色できらびやかな多色を反射して輝いているように見えた。そのため仲間内では、しにがみのきしは「The Pants of Gold」と呼ばれ、まるで帝騎マグナパレスのような憧れと畏怖をもって一種別格のモンスターとして見られていた。
 そもそも今DQ1について調べても、特にエミュレータ等でMSX1版を解析したところで、上記のような表示になること自体が想像のしようがない。当時のプレイヤーの「実態」の多くは、なすすべもなく失伝するしかない。





バイストンウェル覗けます(覗いた先は嗜虐プレイ)(その2)


 『リーンの翼』の旧版は、ノベライズの多いつるっぱげ監督としては(当時は)珍しいオリジナルストーリーということになるが、資料や前史背景設定以外の価値がほとんどないTVアニメのノベライズや、煮え切らなかった部分を補完しようとして結局もっと生煮えで水っぽい続編類に比べて、富野作品の中ではかなり「普通に面白い」という形容ができるのではないかと思われる。といっても、それは既に比較できるほど富野小説を読み慣れている富野研究家だとか筆者らのようなトミノスキー粒子恒常摂取者だとかにしか意味を持たない評価で、「ごく一般の」他人に勧められるようなものではない。
 特に完全版については、前半部は当時の粗削りな味が抜けて薄味になり、後半部はあべこべに現代社会やネット社会の説明に費やされた膨大な分量が到底読むにたえるものではなく、とても一般に推奨できるようなものではない。

 特に旧版がどのような作品だったかについて筆頭に挙げるべきことは何かといえば、これは富野作品一般、特に小説について言われることだが、リーンの翼旧版はそれら中でも図抜けて、無茶苦茶にエロシーンが多い。しかも古代中世の白兵戦場という異常な状況の中なので、凌辱やら嗜虐やら、ノーマル交渉状況であってすら変態的プレイやらが多い。
 富野小説一般のエロシーンについては、件の電波文のためにエロチシズムという意味での価値が皆無であるためもあり、上述した富野小説に目いっぱい好意的な富野研究家の人々の間にあってさえ、肯定的な評価を聞くことはまずない。そんな中でリーンの翼旧版は質・量ともに(悪い意味で)そんな代物が図抜けているだが(それ以後の作品のエロシーンの総評・分析もかねて)『野生時代』誌に共に載っていた通俗小説に倣ったやら対抗したやら、あるいは、編集部から強制されたのではないか、という説をとなえる者が(特にガノタに)多い。
 が、実際のところは、お色気シーンをやるには必然性がなければいけない等と言いながら、無理やりに水浴びやら儀式やらの場面を地上波アニメにどんどん入れたりするような監督であるから、白兵戦場というそういう凄惨や変態な状況と隣り合わせの舞台であれば御禿なら当たり前のようにそういう場面をどんどん入れるだろうし、たいして深い意味はない、というのが筆者の見解である。
 なお完全版ではこれらの凄惨エロシーンはだいぶ削られたり、(あくまで旧版と突き合わせると)生易しいといえるものに差し替えられているが、全体的に未読者に与える印象は大差はないだろう。

 完全版の差し替えの話のついでだが、旧版のうろ覚えの記憶だけと突き合わせるだけでも明らかに変わっている・削られている箇所はかなり多く、中でも、旧版の新書・文庫版で口絵になっていた名シーンが削れていたり変更されている場面がある。
 例えば、2代目メインヒロインのゲリイ・ステンディが生身に艦載用機関砲を食らって爆発四散(富野作品では日常茶飯事)、直後に迫水にリーンの翼が顕現する場面(旧角川文庫版では、文章つきの口絵と文中挿絵の両方が載っている掛け値なしの見せ場である)が、違う文章に差し替えられているが、明らかに旧版の方が精彩がある。
 一般に自分の物した過去の小説等の文章のうち、良い部分を改変するというのは(それが結果的に改善か改悪かとはまったく別問題として)非常に難しい。御禿の完全版は、大昔の作品であることを差し引いてすら、思い切った改稿に対してまったく執着というものがないように見える。
 つるっぱげ監督はかつては、過去作品はほとんど否定することが知られていたが、ある時期以降(例えば∀以降)は、気に入っているなりまた作りたい、などという発言が一見すると増えてきているように見える。現に、リーンの翼のアニメ版のウェブサイトのコメントでも「(アニメ版の内容は小説とは別に)新しく作れと言われたということは過去の小説が評価されていない証拠なので不満」といった発言もある。
 しかし、この差し替えを見る限り、この時点での御禿は、少なくとも一般の創作者に比べれば、自分が過去に作ったものに対する「無用の執着」は非常に希薄ではないかと思える。富野という創作者の「何が違うか」を並べるうち、これはそう驚くべき一つではないかもしれないが、やはり特筆せざるを得ない。





バイストンウェル覗けます(覗いた先は変態プレイ)


 甘存


 リーンの翼といってアニメやゲーム趣味の人々が思い出すのは、ギンガナム御大将に匹敵する濃い親父キャラのサコミズ王がへんてこなセリフを叫びまくったりするアニメ、というか、それが当時のクロスオーバー物のゲームに登場したものを通じて、というところがもっぱらであろう。しかし、このアニメやらも2005年とかでかなり前であるし、この当時大ヒットした作品というわけでもないようなので、いまや物好き以外にはそれすら知っている人も少ないと思われる。
 が、ここで話題にする『リーンの翼』とは、つるっぱげ監督がダンバインの頃(1983-)に『野生時代』に連載していた小説である。太平洋戦争末期に日本兵、迫水真次郎がバイストンウェルに落とされ、当時まだオーラバトラーのない戦国時代の刀槍弓馬による国盗りに身を投じていく話で、大雑把にはこの小説の結末を変えて20年ごしの続編(ただし作風はかなり違い、内容も各々独立している)にしたのが上記アニメといえる。アニメ後は、野生時代版を改稿したものを前半、アニメ版のノベライズを後半にしたハードカバー4冊に及ぶ完全版もある。以下、「完全版」に対して野生時代版を「旧版」、旧版・完全版に共通する戦国物の部分を「前半部」、完全版のアニメ相当の部分を「後半部」とする。

 アニメ監督が野生時代なぞに連載していた(オーラバトラー戦記まで含めると1992年まで続いていた)ことについてだが、知っての通り、80年代には富野小説がかなり書かれたが、本人は小説に手を出した理由として、完全版へのコメントで「アニメだけでは食っていけなくなる時に備えてのことだった」などと言っており、福井とっつぁんの「小説だけでは多分食っていけなくなるのでアニメも作る方に回った」といったコメントと全く同じだが、無論のこと両者ともこれが本心だとは到底考えられない。無論理由のひとつではあるのだろうが、大仰に答えることもできる創作的動機を聞かれたらとりわけ自嘲的・卑俗な一つを思わず答えてしまうというのは御禿の体質(ナカツ護やとっつぁんがよくなぞるのは表面的だが傾倒が感じられる)という気がする。
 ともあれ、御禿本人の動機に加えて、朝日ソノラマの小説ガンダムI-IIIが相当に売れた(I,IIで50万部とか計200万部とか、定かならない説があるが、ソノラマ時代ですら数十万単位はどうやら確かなようである)ことを、おそらくはこの小説雑誌側が焚きつけた利害の一致という事情もあったと推測される。結果として、例の難解きわまりない電波文でしたためられた富野小説が量産されることになった。おそらく、御禿がこんなものに多大な時間を費やしたことは(無論、本来のアニメ制作でも御禿は酷使されたが)日本のアニメ界や文化全般に対しても大いなる浪費、損失であったというのが一般的な評価ではないかと思われる。
 しかし(筆者含め)富野作品が若年時代の血肉と化し、味如何を別問題としてコメを食うようにトミノスキー粒子を常に摂取し続けざるを得ない、というごく一部世代にとっては、井荻歌詞と並んで最も濃厚な電波を摂取可能な小説という媒体につるっぱげ監督が手を染め、数多くの残存濃厚電波源が残されたことはこの上ない僥倖であった。

 またしても脱線するが、F91のセシリーの義父(つまり母ナディアの駆け落ち相手)シオ・フェアチャイルドは、通常ガノタの間では「作家志望くずれのパン屋」(ひいてはパン屋だけ)と説明されているが、前史でもある小説版F91によると、シオはすでに作家としてはデビューして久しく、文芸をやりたいが「不本意なファンタジーものを書かされていた」旨の、わりと詳細な説明がある。
 この「ファンタジー」は、そのままバイストンウェルものと読み取るよりは、つるっぱげ監督がずっと作らされていた「(御禿本人自称)俗悪なロボットアニメ」全般、あるいは、朝日ソノラマや講談社や角川らにある意味焚きつけられもした小説執筆時代初期全般の暗喩、と捉えた方が適切に見えはする。が、この筆致からは、やはり野生時代のバイストンウェル物やら、あるいは子供向け童話の様相を呈していながら何か方向が違う『ファウ・ファウ物語』やらの存在はおのずと感じざるを得ないだろう。
 F91の鉄仮面は御禿が自己を投影しすぎたと述べている点はすでにガノタらには周知であるが、義父の方のシオのうだつの上がらなさにも御禿本人の来歴が少なからず影を落として見える。

 さてリーンの翼の前半部の戦国物、ことに旧版の話だが、青年時代の日本兵サコミズが活躍する、というと、アニメから入った読者は、あのサコミズ王が若き日の姿で江田島平八のように戦国時代を縦横に暴れ壊しまくる姿とかを想像するかもしれないが、別にそんな代物ではなく、他の富野アニメの主人公らと特に変わらない。剣士として突出して優秀ではあり、戦局の要所で活躍し存在感も示すが、結果的には戦場の駒でしかない。そういった意味では、全体の流れとしてはロボットアニメ群と大差はないのかもしれない。血気盛んな日本兵が、バイストンウェルに落ちてからというものその思想や日本の姿を思い返し見直す場面がしばしばあるが、濃い方の富野アニメの一部主人公のように異常に我を発露する場面があるでもなく、どちらかというと、富野作品では薄口の主人公であるとすらもいえる。
 結構な分量になってきたので旧版の描写の各論や、前半部についての旧版と完全版の比較などについては次回以降に続く。





バルダーズ・ゲートの伝説


 角川



 ミンスクとブーはBGシリーズのいわゆるコンパニオンNPCの中でも人気キャラ、と公式に謳われているが、日本で検索すると「うるさかったのでぶっ殺した」といったBGプレイ記録ばかりがひたすらひっかかってくる。FRで公式が贔屓推している公称人気キャラでは、エルミンスターやその他選ばれし者は日本海外ともに大量の罵声ばかりが溢れかえり(有名税もあるだろうが)、ドリッズトやディーキンについては半々である(日本では肯定の方が多いように思われるが、ルールの無知・勘違いによるドリッズトのデータ面での異常な過大評価・信奉なども目立つ)。ミンスクは海外日本をあわせると、この中間あたりといったところな気がする。

 この本はあるいはD&D関連書籍ということでPnP版のプレイヤーが読んでいる可能性もあるだろうが、CRPGのBGプレイヤーも手に取ることは多いと思われるので、以下はどちらかというとBG等のCRPGは知っているがPnP版のFR資料は(少なくとも4版以後のものは)特に読んだことはない、という読者向けに話を進める。

 この本は元は4版のMMO, Neverwinterにミンスクが登場するのと前後したタイアップであったらしい。そのため、PCゲームのBG1,2からは100年以上が経った4版の時代である。コラン(作中の訳語は「コーラン」であり、なぜかゲームや後述のPnPモジュールの和訳と統一されていない)も端役で登場するが、要するに、BG1,2当時のキャラはエルフ種族くらいしか生き残っていない。
 100年後にミンスクが登場する仕掛けは、まさしくこのコミックで描写される。BG市に立っていたミンスクの銅像がなぜこうなるかは、書かれている通りとしか言いようがなく、残念ながら追加で説明できることはない。なお、この銅像について、同じ時代の4版のPnPシナリオ(アドベンチャー)に、バールスポーン(先ほどの訂正として、エルフ以外にバールスポーンは生き残っていたわけである)の体を借りてバール(ベハル)神が復活する『殺戮のバルダーズゲート』(冒頭一部はHJウェブサイトからダウンロードできた)があったが、この時点ではまだミンスクの銅像が立っていた。つまり、このシナリオ(1482DR)よりは、コミックの方が後だとわかる。
 他にも、このコミックのカルト・オブ・ドラゴンの動きなど、PnPのアドベンチャーとリンクする点がそこかしこにある。

 おなじみブーもミンスクと共に復活するが、BGシリーズのアイテム解説にも書いてあるジャイアント・スペース・ハムスターとはspelljammer(宇宙が舞台のAD&D2ndセッティングで、冗談じみた巨大クリーチャーなどが多い)の怪物のひとつである。つまり、ミンスクは、普通の大きさのハムスターのことを、この怪物の小型のものである、と信じ込んでいるわけである(BG1セガ和訳の「このような生物はあきらかにレルムに存在するのだが」は誤訳で、元は「apparently do exist somewhere どこかには存在するかもしれないのだが」)。デビッド・ゲイダーによると、BG当時は(能力的には)普通のハムスターしか想定しておらず、ミンスク以外の作中で認識もそうで、現にクリックすると「チュー」というだけで戦力どころか何の役にも立たない。しかし、こちらのコミックの作中ではうって変わって、少なくとも「日本の連続アニメによく出てくる動物マスコットキャラ」くらいには活躍し、少なからず戦力になる。

 新パーティーのひとりで、本コミックでもキーパーソンとなるエルフのワイルドメイジ、デリナだが、ミンスクは過去の仲間、つまりBGシリーズ(つまり100年前のAD&D2nd時代)のキャラである「ニーラ」と勘違いしている。ここでニーラは、BGの旧版ではなく、BGEEの追加キャラである。日本ではBGファンにはむしろ旧版時代からのプレイヤーが多いと思われるので、誰だかわからないことも多いだろう。それを考えると(コラン同様の)旧版以来の馴染みのキャラをこの位置に置いた方が適切だったのではないか、と思うところではあるのだが、ただし、BGシリーズが「D&Dゲーム」ではなく「CRPG全般」の中で傑作の地位にある欧米では、旧版よりもEEのプレイ人口の方が遥かに多く、正直なところニーラが現実的なチョイスだったことを想像させる。
 しかしながら、デリナはニーラ(や、類似キャラであるNWN2のクァラ)ほどはエキセントリックなキャラ付けがされているわけではなく、この話でも次巻でももっぱらミンスクの抑え役で、だいぶ印象が異なり、この設定が充分生きているのかどうかは不明である。
 コランはこの当時、BG市では貴族院に上っており、指導者(の4人のうち筆頭)のアルダー公とも親しい。5版のソード・コースト冒険者ガイドによると(ネームレベル等にさえなればだれでも成り上がり可能なD&D世界の他の都市とは違って)BG市では貴族の家柄でない者がその一員になることはまず不可能というが、何か事情があるらしい。メインキャラのひとり、ハーフエルフの盗賊クライドルがコランの息子だが(BG1や特に2でも示唆された通り、コランは「人間」の女性にしじゅうちょっかいを出すので、いずれかの時代のそのうち誰かとの間ということになる)それ以外に旧BGシリーズとの間の関連があるわけではない。
 BG市の舞台を覚えていたり、ミンスクやコランの名セリフを覚えていたり、上述の繋がりを頭に入れておくと興味深い点が多いが、このコミック1巻目のストーリーそのものは特に旧BGシリーズのそれと関連はない。特にBG1,2の旧版でミンスクを毎度叩き殺して以後パーティーに入れたことがない、といった少なからぬ日本のゲーマーには、BGシリーズとしての期待には応えないものかもしれない。





ダークエルフ物語外伝 ネヴァーウィンター物語


 角川



 題名も表紙もドリッズトだが、メインではなく、FRファンが期待するようなドリッズトのアクションは極めて少ない。タイトルはネヴァーウィンターの伝説だが、NWN1/2ファンが期待するようなネヴァーウィンター市の描写も全くといっていいほど出てこない。実質の中身は「レジェンド・オブ・プウェント」である。
 原題はThe Legend of Drizzt: Neverwinter Talesでほぼそのままで、昔の邦画のように売りたいために和訳で歪曲した題名にした等では別にないらしい。

 ドリッズトのシリーズはかつて和訳されたもの(殆どは遥かAD&D1st〜せいぜいが2ndへの過渡期時代に遡るものである)以後も、本国ではAD&D2nd〜D&D5版までの様々な時代を扱ったものが数多く刊行されているが、以降の時代のものの大半が和訳されていない。この本も、以後の時代のシリーズの挿話のひとつであることが説明されてはいるが、それ以上はどういった背景の出来事なのかろくに説明がないため、1st時代の小説や2ndのCRPGでドリッズトを知る読者が手に取ったところで、背景の把握は難しいかもしれない。
 この本は1462DRの出来事で、3.0eのNWN1(1372DR)の90年後、4版(1479DR)や5版(1489DR)よりは若干(エルフらの年齢としてはだが)前になる。この本やミンスク物などのアメコミシリーズが元々は4版のMMO, Neverwinter(Nightsがつかないもの)のタイアップ商品でもあったようで、基本は「D&D4版」と考えてよいと思われる。

 和訳されたダークエルフ物語の『ドロウの遺産』からのシリーズが1〜2版移行時の災厄の時(1358DR)当時の話なので、そこからも104年の空白がある。以後ドリッズトがどうしていたかというと、仲間ではブルーノーが生存していたが、共にドワーフの古都ゴーントルグリムを訪れ、それと関連するホテナウ火山、ホテナウの噴火で壊滅したNW市といった、3〜4版移行時の災害の名残の事件に関わっている。かつてゴーントルグリムに眠っていたプライモーディアル、灼熱のメイジェラの覚醒によってホテナウが噴火したのだが、ブルーノーはメイジェラを再封印するエレメンタル操作のレバーの動作と共に力尽きたことがこの本の冒頭でも描かれる。(が、5版のPHBでもしじゅうブルーノーの名が出てくることからも予想できるように、この後のシリーズでも二転三転ある。5版の『ソードコースト冒険者ガイド』にもこのあたりを含むブルーノーの説明はあるが、端折られすぎていて経緯はわからないと思われる。)
 以後はドリッズトは女戦士ダーリア(ミラージュ騎士団No.10Lのスパークにしか見えないが、実際、ブーメランやクローや包丁を使うスパーク同様、こちらも様々な武器に変形するキテレツな得物の使い手である)と行動を共にしている。が、全般、以上のような背景は本の内容上はあまり意味を持たない。
 裏表紙に描かれている女性リッチはヴァリンドラで、サーイのザス・タムの部下としてNW市に介入していることが4版のネヴァーウィンター・キャンペーンセッティングでも言及されており、上記の3〜4版でのソードコースト北での事件にはどれも多少なりとも関わっている(NWNのどれかのモジュールで叩き潰されていたような覚えもあるが、その当時は4版ほどの地位や力はなかったと考えられる)。エルフのリッチだがバエルノーン(善リッチ、仙人)ではない。

 冒頭で述べたようにこの本で活躍するのはプウェントである。プウェントは上記した『ドロウの遺産』シリーズでも活躍したバトルレイジャー(ドワーフの肉弾バーサーカー)だが、この時代まで生き残っていたものの、前述のゴーントルグリムでブルーノーを守って滅びることができず、とある大変な事情を抱えることとなる。元凶のそのまた元凶あたりに前述のヴァリンドラの策略がある。
 プウェントの葛藤がメインとなるが、しかし、結局この本でも納得できるようなオチがつくわけではない。さらに後の小説シリーズ、しかもレルムの時系列で20年ほど後に持ち越される。すなわち、未訳シリーズ読者にはいつもの話の、煮え切らない感を残すこととなる。





ウォーフォージドはネタになりやすい


>友人にウォーフォージドってどんなのって聞いたら
>「ビッグオーみたいなの」と返された
>自分はドロシーのことを指してるのかと思ったけど友人が言ってたのはまんまビッグオーのことだった



芸能人の似顔絵コーン


 プチモビというかボトムズのような構造にパイロットが搭乗でき格納庫や出撃風景などを再現できるこのマイクロウォーズというシリーズは、おそらくは、これまで商品化にことごとく失敗してきたMS以外のサブメカ類のニッチ需要で売れたのをきっかけに続いているという見解がよく聞かれるが、短命なものが多いバンダイ食玩としてはわりと存続している。
 このサイトとしてはユニコーンDMだが、店頭では同弾のサザビーと並んで盛大にだだ余っているのが見られる。シャアのワンオフのサザビーが複数あってもしょうがないので余るのはわかる(茶色に塗って近藤漫画版量産型サザビーBにしたっていいのだが、それなら大量に捨て売られているグレートショックガンダム2のキャラメル色サザビーを買ってきた方が早そうである)。一方、ユニコーンが余るのは、デストロイモードだからで、おおよそハイパーモード類ほど「格納庫風景」に似合わないものは考えられないからである。分身を出してるF91や金色のゴッドガンダムなんぞが、格納庫にハッチを開けて鎮座してる風景なんぞ誰も再現したがるとは思えない。かといって、ユニコーンはF91やゴッドガンダムと違ってノーマルモード(ユニコーンモード)だとさらにどうにも売れそうもないのである。

 それはともかくこのサイトでは単にユニコーン立体物として見るとどうかという検証である。SDものは一般に目が大きく頭部のバランスがリアル体形とは大きく異なっており、特にデストロイモードの方が顕著で、BB戦士や、ガシャポンNext, Dash, Fなどはまったくリアル体形に似ても似つかない頭部形状をしている。しかし、後出の、特に頭身が高めの疑似SDともいうべき立体物(コンバージやアンサンブル等)やゲーム作品では、頭部形状もリアル体形にかなり近いものが目立つ。
 一方、このマイクロウォーズは体形としてはパイロット収納ギミックもあって太く造形する関係から頭身が低く、疑似SDよりも前述のガシャポン戦士などに寄った頭身なのだが、なぜか頭部形状はコンバージやアンサンブル以上にリアル体形のものにきわめて近い。ガンダムヘッドの塗り等も無駄に良く、一方で胴体の色分けがかなり足りないので、余計にアタマだけリアルなのが目立つ。昔あった ポケットフィギュアシリーズも思い出すが、むしろ幼年向けのギャグマンガに実在有名芸能人とかスポーツ選手が2.5頭身で顔面だけリアルな似顔絵で出てきた場面のようだ。





北欧幻想


>「ちょうどオーロラのことを考えていたところなの。
>オーロラって、ほんとうに存在しているのか、
>それとも、見えてるだけなのか、よくわからないなあ...って。
>ものごとって、すべて、とてもあいまいなのよね。
>だからこそわたし、安心していられるの」
(トゥーティッキ『ムーミン谷の冬』)


 トゥーティッキとは昭和アニメ及び講談社版などの和訳では「おしゃまさん」である。(平成アニメでは「トゥーティッキ」呼びのまま。)ムーミンのキャラの中では、未読未見者やアニメ一見者の眼にその名前が触れることはまずなくほぼ知られていないため、「有名作品におけるレアキャラ・マニア向けキャラそのものの代表・代名詞」のように扱われることがしばしばある(こち亀での「おしゃまさん人形はマニアの子供以外はぜんぜんうれしくない」等)。が、ムーミン原作読者にはまず忘れられていることはない、「レア」というよりは「アンコモン」くらいのキャラである。
 原作でも『ムーミン谷の冬』の個体はアニメのおしゃまさんそのものだが、例えば『目に見えないニンニ』に登場するのは、「トゥーティッキ族の別の個体」ではないか、と考察する研究家が多い。
 また平成アニメのトゥーティッキの、子安キンとはまた質の違う大人びたキャラづけ(声:土井美加)に「強い百合キャラ(男役)臭を感じる」という品の無いコメントがされることがある。そりゃヤンソン女史の同性パートナーがモデルだということが知れわたった結果だろう、と言いたいところなのだが、あたかも「ムーミンパパに少年の目を捨てられない中年男性」の、「野獣先輩にホモの夢想的アーキタイプ(ビリー兄貴はちょっと違う)」を託すのと同様、何らかの勝手な理想像を勝手に仮託している、というもので、深く追求するものでもないのかもしれない。

 が、こんな話をするために冒頭の台詞を引用したわけではない。
 実際のところ「存在するもの」と、「見えているだけで存在していないもの」の境界は曖昧である。オーロラは(これも異論があるだろうが、見方によっては)実際にその境界あたりにある。「オーロラ」という語を何を指すのかという議論、例えば発光する大気分子を指すのか、それとも発光した光の方を指すのかにもよるのだが、実際のところどちらに解釈したとしても、存在しているのか見えているだけのものなのかは議論がある。
 そういうつもりで発せられた台詞ではないのだろうが、実情はそういうことである。





言ったそばからまた油断


 ごうんごうんごうんごうんごうんご

「ダームの塔が沈黙しました。いかがいたしましょうか」
「面白い。アドルとやらがどこまでやれるか、見てみるとしようぞ」
「承知いたしました」

 しゅばっ

(『イース2』 旧PC版オープニング)


 『イース』初期シリーズは8bit-PCのARPGブームの金字塔で、後日詳細に分析する機会もあるだろうがJRPGそのもののターニングポイントのひとつであり、コンシューマ含めたJRPGの文脈を読み解く膨大なヒントが詰まっている。
 とりわけ『イース2』冒頭のこの場面は、「なぜ魔王は勇者が弱いうちに抹殺しないのか」というRPGお約束の疑問に対する直接的な答えとなる描写である。突っ込みとしてこの考察は多数行われているが、ここでは魔王自身が自分の口から直接言ってしまっている。まさしく舐めプ中の舐めプ、慢心中の慢心、魔王の中の魔王に相応しい行動とはこのことである(※1)。
 それはそれとして、魔王の方の立場を考えると、割けるリソースには限界があるので、弱い勇者への対策の優先順位が低くても、それほどおかしいことではない。ほれ手持ちの低レベル艦隊の低難度海域の周回にも資源とか燃料とか時間回復スタミナとか要るだろう。

※1 ただしこれは和魔王で、以前に述べたように、自分の手で直々に老婆の財布を盗んだり農家から野菜や豚を盗んだりする洋魔王には、情け容赦というものは全くない。しかし、一体洋魔王の方には行動リソースの限界というものは無いのか、と言いたくなるところであろうが、それこそがかれらの「悪が底なし」とされる所以なのである。



ネーミングについては何度も考察


 「ケルベロスバクゥハウンド」って、「RX-78-2おっちゃんガンダム」とか「特I型駆逐艦第一番艦いもむすめ吹雪」とかみたいに真ん中だけ同一のものの異質な呼称が挟まってるというか、元は真ん中の呼び方だけのものに無理やりそれらしく見せるためにそれらしいけど意味を追加するという用をなしていない用語二つで強引にドベヌチャァッと挟み込んだ感がすごくあるよね。ネーミングの独特の印象を与える手法の一つとしてよく覚えておかなくてはならない。





一緒に逃げてくれ


>こいつら(Vのカテジナとクロノクル)は
>小説版ZZのキャラとゴットンみたいに
>軍から逃亡して一般人として普通の人生を暮らせばよかったんじゃないかな


 こんな濃いやつらが普通の人生を送ろうとしたところでできるものか、というのが尋常の発想であり、つるっぱげ監督作品以外なら、例外なくその通りになりそうである。例えば、福井のとっつぁん描くところのオードリーとリディは一見そんなに濃い性質には見えないが、平凡な人生など望めば絶対に破綻することが誰にも一目瞭然である。
 しかし、カテジナの妙な具合の生真面目さとクロノクルの妙な具合のお人よしさの中には、しばしば指摘されているように、仮に平和な時代と環境であれば(多少は理不尽な世の中であってすらも)サラリーマン夫婦などとして平穏に生涯をまっとうできそうに思わせる、これも妙な具合な説得力がある。

 ただし筆者の見解では条件つきである。カテジナがおかしなこじれを起こしてそのたびクロノクルが後輩に愚痴る(または逆)というのが年に2、3回ある、というのを繰り返せば、そのままの状態が何十年でも恒常的に継続しそうである。しかし、かれらに全く何も起こらないまま歯車の狂いが確実に蓄積してゆくと、数年後とか十数年後に街や会社や業界を丸ごと巻き込んだ大破局にまで発展するのは間違いないように思われる。

 それにしても、「Vはイデオンやザンボット3ほどじゃないので黒富野ではなくぎりぎり白富野」とかいう意見があるのにはさすがに「富野電波の浴びすぎでここ(一休さんのAA略)ハゲてきてんじゃねえのか」という暴言をぶつけたくなった。





ベネディクトやホークムーンはゲーマーとしてもなぜ地獄を潜り抜けた強者と呼ぶにふさわしいか


 例えばRX-0の2号機バンシィは宇宙世紀でも指折りの(になりうる)性能である。が、これまで述べてきたように、立体物は異常にありふれていたり捨て売りされており、レアリティも値段も非常に低い。ガシャポン戦士などの小物でバンシィはやたら遭遇率が高く、往々にして投げ売りされている。Gセルフやマスターガンダムは宇宙世紀の機体は及びもつかないほど高性能で、∀ガンダムはガンダムシリーズだのあらゆるロボットアニメどころか、大抵の遠未来SFすらもぶっちぎるほどに馬鹿強い。しかしこれらの立体物はいずれも異常なほど安く入手できる。人気がないからである。某中古屋で少し前に(誰かがコレクションを放出したのか)ASSAULT KINGDOMの中古が大量に入荷していたが、他が700-800円なのに、Gセルフとマスターガンダムだけ216円だった。ガシャポン戦士系でもGセルフだけ108円とかしょっちゅうである。(部品取り用に大量に買っておこうとか思ったが、結局1個ずつしか買っていない。)
 逆に、定価の時点では、人気があるからこそ異常に安いものも多い。HGUCの初代ガンダムなどがそうである。利益が出やすいので単価を落とすことができ、そのせいでさらに売れるという、買う方も売る方も幸福無限連鎖である。

 今更何を当たり前のことを言ってるのかと思うだろう。日本の立体物、というかキャラクターグッズで「設定上の能力」と、「グッズの価格」は全く相関関係は無いのは当然で、何も疑問を持つようなことはない話である。

 ところが、ウォーハンマーや幾つかのファンタジーウォーゲームに用いるミニチュアはそうではない。ドラゴンやデーモンは骸骨兵やネズミ兵よりもばかでかいしディティールも詳細に渡っている。しかも、しばしば海外メーカーの造形量産技術の問題もあって、設定上の(そしてゲームルール内での)ユニットが強大になればなるほど、加速度的に高価になる。
 金がないとゲーム内の強さ(パワー)を持つことすらできないというのは、トレーディングカードゲームや、悪質なネットゲーム、またPnP(万札を崩すルールブックを揃えないとゲーム内のパワーが得られない)でも当然に見られた光景ではあるのだが、それがさらに「立体物」にまで及んでいるというのが、娯楽にしてからに幸福連鎖どころか、それこそウォーハンマーのオールドワールド(やシグマー時代や4万)や、D&Dのうちダークファンタジー世界設定のように苛烈である。





ゆうに195センチはあるイギリス人は〜


 ジョジョ1部のスピードワゴン、2部のスモーキーなどが突然叫ぶ、主人公らのスペック値は、アイドルの追っかけのようにジョナサンのデータを諳んじているスピードワゴン、もとい、ワムウの技などを瞬時に分析する異常な観察力(解説力)を誇るスピードワゴンはともかくとして、スモーキーは、目にしたばかりのジョセフのスペックについてセンチ単位まで正確すぎるだろうという疑念は頻繁に目にする。
 これは要するに「6フィート半はある」と言っているのだと思われる。実際にはスモーキーはそう言っているのを(5部のリラや7部のドルが円になっているように)日本の漫画ではセンチに直して表記されているのかもしれないし、あるいは当然のように、「195センチ」でもそのままきりのいい数値と認識していて言っているのかもしれない。なお、4部の康一が承太郎に会うなり感じていたのは後者、すなわち日本人にも関わらず康一が、というより洋画好きの荒木が、195cmをきりのいい数値だとすっかり認識して書いてしまっている可能性がある。

 165, 180, 195cmという値は、実のところ英語翻訳物などにはセンチ単位でよく出てくるが、それぞれ5.5, 6, 6.5フィート、つまり「フィート単位のきりのいい数値のうち、人間の身長の範囲の値」がよく出てくるにすぎない。180cm(DLのキャラモンなど)は「大男」、165cm(アンバーのランダムなど)は「小男」の、おそらくは目分量の代表例として出てくる数値であって、実際のその男らの身長がセンチ単位で正確にこの数値だとも限らない。

 同様に、スピードワゴンがジョナサンを「105kg」と口走っている場面があるが、105kgはおよそ231ポンドであり、半端な値に見えるが、例えば「ヘビー級」の基準の場合がある。プロレスのうちヘビー級を重く設定しているもの(全日本やルチャリブレ協会など、競技や団体ごとの規則によって異なり、無論プロレス以外ではもっと軽い)が231ポンドで、大物(動物や食物)の重量や搭載量等の基準にも用いられることがある。
 なお上記と同じ規則によると、同じ195cmのうち2部ジョセフの97kgはライトヘビー級、3部承太郎の82kgはスーパーウェルター級の基準値に一致するが、「一番重い基準値」の105kgほどにはさほど意味はないのかもしれない。

 つまり、そもそもジョナサンの「195cm 105kg」というのも、「大男かつヘビー級である」という表現であって、正確にその数値であるとは限らないともいえる。
 ただしジョナサンに限っては峰不二子のスリーサイズのごとく、覚えやすいように実際にこの値の設定である可能性はきわめて高い。これは日本の読者には覚えやすくもなんともないだろうが、洋モノ好きの荒木本人にとっては覚えやすそうということである。ついでに言うとスピードワゴンの追っかけかつ解説力からは、センチ単位でも誤った値を口にするとは思えない……。





インスタグラマーが冒とく罪で逮捕


 「切妻屋根の冒涜的な角度のため建築家が冒とく罪で逮捕」とかRoguelikerの1000中998人が連想したに違いない(適当)



ザオラル


 蘇生呪文が2つ上位・下位と存在すること、下位の呪文では蘇生時に全快しないこと及び蘇生呪文に失敗確率があることは、すでに色々な箇所に書いているが、いずれもDQの参照元のWizardryのDI、その元をさらに遡るとWizardryのルール典拠のAD&DのRaise Deadに由来する。
 ただし、上位の方に失敗確率が「ない」のは、Wizardryにも、(DQ3までの時代に存在していた版までの)AD&Dにも由来していない。実は蘇生判定(Resurrection/Survival Check)に失敗すると「神の助けなしには蘇れない」=Wishによる蘇生が示唆されているのはAD&D2ndで、1stでは蘇生に失敗するとcompletely and totally dead foreverなどと書いてあったりする。失敗確率のない蘇生呪文が入るのはD&Dでは3.0e以降である(なお、CD&Dは日本で知られる形の原型の第三バージョンでもWizより後出であり、無関係である)。
 DQの失敗率のあるザオラルとないザオリクの関係は、特に欠点のないザオリクが先にDQ2に登場し、DQ3でザオリクの下位呪文として、「それ以前のRPGの下位蘇生呪文のような不便さを持つ」ザオラルを新たに設定したことに由来すると思われる。

 これらの先行のRPGでは、失敗するともう再試行できない(灰などになって上位の手段が必要)ことが、蘇生呪文に失敗確率が設けられている理由(原因)として重要である。WizardryのDIは「灰を生産する呪文」と呼ばれていることも多く、絶対使わない、使うなと他者に提言するプレイヤーも多い。

 ところがDQのザオラルは、失敗はするが、それによるMPと手間以外のペナルティーなしに何度も再試行できるので、逆に失敗確率があること自体にそれほど重要な理由がない。というよりも、何の理由もないのに偶然次第で「単にMPと手間を無駄にさせる」という、明らかにただの嫌がらせ・ストレス源と化している。
 無論、下位の蘇生呪文を嫌な呪文にして、いったん死ぬと非常に面倒なことになるというそれ以前のRPGの性質をあえて再現している、とはいえなくもないのだが、根本的にそのようなルールを選択する必然性もないのに以前のRPGの性質を引き写した、初期CRPGの手探りの模索、悪く言いかえてしまえばWizardry追随者等のゲーム知識の欠如に由来する盲目的な右倣えに生じたありがちな理不尽の伝統化、と切って捨てればそれまでの話である。





NT版フェネクス→ストームキャスト説





 FT/RPGファンにはすでにお手の物のウォーハンマーミニチュア用のシタデルカラーだが、シタデルのチャートの"Gold"の指定に従ってRetributer Armor, Reikland Fleshshade, Auric Armor Goldなどと塗り重ねていくと、何か異様に赤くなる。金色のメリハリをつけるためなのだが、作りの細かいウォーハンマーミニチュアではそれらしくなるものの、よりディティールが甘い日本の小物を同様に塗ると、何か赤銅の錆のようになってしまうのである。

 が、これをRX-0の小物のリペイントに使うと、NT版のフェネクスのようになる。すなわち、UC-MSV版のHGフェネクスのガンプラのメッキの色がアルヴァアロン色だとか女王様聖水色とか言われていたのに対して、一般販売されている(最近ユニコーンモードも一般で出た。RGは限定販売らしい)NT版のHGフェネクスの金メッキは、赤味が相当に強い。なので、シタデルのGoldを重ねると、何かUC-MSV版よりNT版に近くなるのである。
 なお、ウォーハンマーのストームキャストらの鎧に「赤みがかった金」と共に「青」が使われているのはこの組み合わせがいわゆる補色だからで、フェネクスと一致しているのは別に偶然ではないごく当たり前の配色だが、ここで思い出すのが、ウォーハンマーAoSのストームキャストの騎士達の「死者の魂が呼び出されて派遣された」という設定と、NTのリタとフェネクスの共通点である……





バカボンのおまわりさんコーン


 ユニコーンモードの表現の重要な点として、ゴーグルアイの表現がある。ユニコーンモードの本来の設定画では、このモードのGMじみたゴーグルアイは眉間のパーツにより下方に曲がり、中央が「-v-」字状態となっている。つまり、GMシリーズの多くがそうだが、両目が繋がった無表情なゴーグルでありながら、かつあたかも人間のような「左右」のアクセントが存在する造形になっている(例えばGM系と共通点が指摘されるうちでは、VF-1JやRVネオファムが完全にのっぺりした「乗り物の窓」のような目であるのとは大きく違う)。ガンプラのHGUC等でも当然、ユニコーンモードはこの設定通りに造形されている。





 ところが、ユニコーンモードの一部の立体物によっては設定と異なり、この眉間のパーツが下方のフェイスマスクと結合し、ゴーグルが完全に左右に分断されてツインアイのようになっている場合がある。
 特に非常にわかりやすい例として、ドラえもん雪だるまコーンことガシャポンnextでは、眼がえらく大きい上にこの偽ツインアイ状態なので(某中古屋画像)、コレジャナイ感を大幅に増大させている。(nextのバンシィも同様だが、実は同じガシャポンでも、dashの方のバンシィのユニコーンモードは左右両目が繋がっている。あるいは、「恐怖を煽るバンシィの方が両目が分かれていない無表情の違和感」ということにしたかったのかもしれないが、かえってnext1号機の方が設定再現に欠けて違和感を覚える逆効果になっているといえる。)
 これは省略された小型のアイテムやSDだけでなっているとは限らず、例えば主力玩具サイズで、しかも後発で改良されていることが謳いの、トールギスコーンことリメイク版robot魂(フルアーマー付属のユニコーンモード)でもこうなっている(ギスコーンは、もやしコーンことリメイク前robot魂に比べると後発でこなれた解釈を主張しているにも関わらず、ガンプラ各種はもちろん、もやしコーンと比べてさえも、どうも細部に立体化の「配慮」に疑問がある点が多い)。他には、リアル体形でも小型のSTANDart、SDではコンバージ(無印02のユニコーンモードや、流用のバンシィ2種ともに)などが両目が分断されている。

 一方で大型アイテムでは、前述のガンプラHGUC,RG,PGの他、スーパーサイズソフビフィギュア、もやしコーンこと旧robot魂では設定通りである。(メメタァコーンことGFF-MCや、生首コーンのユニコーンモードではどちらでもない。こちらはユニコーンモードのゴーグルのパーツ自体が無く、スリットが空いて内部のツインアイが覗いているだけである)。
 小型アイテムでもリアル体形ではASSAULT KINGDOMDigital Grade、イングラムエコーンこと雑誌付録のガンダム大全、SD体型でもミミンカコーンことBB戦士、ワールドコレクタブルフィギュアなどでは、きちんとゴーグルアイはV字に繋がっている。
 特に小型アイテムについては、設定通りのV字にしているものに当サイトで好評価としているものが多く含まれているが、つまるところ、現にこの要素が、「ユニコーンモードらしさ」に対してかなり大きな影響を与えていると感じられる。そしてSDなので懸念していたMSアンサンブル10でも幸い、両目が繋がったV字状であった。

 ものすごく余談だが、言うまでも無くデストロイモードはツインアイで当然両目が分断されているべきだが、おそらく単に塗装精度の問題で両目が繋がっている場合がある。例えばアサキンEX10のバンシィデストロイモードなどがそうである(複数の報告があり、というかよく見たら筆者はEX10を2セット持っており両方そうだったので、おそらく個体差ではなくほぼ全ての製品仕様と思われる)。ガンダムフェイスがこんなことになっていると赤塚不二夫漫画のおまわりさんのようでかなりかっこ悪いと思われるが、特にアサキンのような小型アイテムの場合、バンシィデストロイモードの全情報量に占める割合が少ない(また、アサキンの場合は元が精密さを要求される模型ではない)ので、ほとんど目立たない。





豆PGコーン




 公式サイト

 いつのまに小物収集が目的化している当サイトでは大物アイテム(例えば同じお台場でヒットしているHG/MGペ略)よりも注目するという事態となっているが、これはお台場の立像の足元、トレーラーショップ売店に設置されているガシャポンの製品である。リアル体形で10cmほどの大きさの立像のデストロイモード固定ポーズを模したPVC/ABS(MABS)製である。定番の赤・緑フレーム(以下通常色ともいう)の他、お約束のクリアカラー2種がある。
 固定ポーズでほぼ同じ大きさ(価格も近い)というと、過去の食玩のSTANDartがあり、比較されるところと思われるが、以下でも主にSTANDart(の1号機デストロイモード)を例に挙げながら説明する。また、このサイトでは従来デストロイモードの方の検討はさほど行っていないため、以下は(例えばデストロイモードばかりHGを40種とかロボ魂を20種とかの)コレクターから見れば的外れな面もあるかもしれない。

 ガシャポンや食玩で塗装完成品というと、一般にバンダイの製品はあまり期待できないが、これは出来そのものは思ったほど悪くはない。通常色の赤・緑フレームは、おおむねPVCが軟質の骨組み、外層が白いABSとなっているのだが、サイコフレームの骨組みとパーツ分けが一致しているわけではなく、一部塗装で色分けされている。通常色の場合、サイコフレーム部分はメタリック塗装であり、HG以上のガンプラやSTANDartのようなクリアではない。なお緑フレームは、外装が薄緑でフレームが黄緑の「最終決戦カラー」ではなく、外装は真っ白でフレームは濃いメタリック緑の、他製品のフルアーマーユニコーンの類と同様の「GFF-MC覚醒カラー」「GFFNフルコーンカラー」である。
 STANDartとはほぼ同じ大きさ(アサキンよりは頭半分ほど大きい)だが、STANDartがサイコフレームがクリアPVCでほぼ全塗装、こちらの通常色は大半が成形色でサイコフレームが塗装、という違いがあるものの、塗装精度などからも、それほど見栄えに劣っているようには見えない。アサキンはもちろんSTANDartでも塗装されていない、側頭のサイコフレーム露出部なども塗装されている。Digital Grade(DG)を思わせる成形と塗装精度なのだが、2回り大きいためか、DGのデストロイモードで最大の難点だった頭部の精度なども問題はなく、おそらく技術的にも向上していると思われる。外装がABSであるため、エッジやモールドなどの造形も緩い所は見当たらない(対象年齢は15歳以上となっており、アンテナは鋭い)。普通に机上に置くような距離で見る分には、HGUCやrobot魂(後期版)といったRX-0の主力製品の色分けにも見劣りしないように思われる。
 形状は立像ほぼそのままで、本来デストロイモードで展開するリアスカートや脛のバーニアがなぜか展開していないのも立像と同じである。STANDArtやDGと異なり、首や腕の回転もなく立像のポーズからは変更できない。立像準拠ということは、すなわちプロポーションは立像のモデルとなったPGのデストロイモードほぼそのままである。PGのプロポーションは、ユニコーンモードだと顔がでかくて(中略)ずんぐりむっくりな感じぃするのが若干ゃ好みが分かれる点と思われるが、デストロイモードではその点は顕著ではないので、RX-0の形状としてはほぼ理想的である。ディティールは例えばPGのアンチェインド時に展開する両脛のいわゆるランダムスレート部分などもモールドが入っており、ある意味ではMGやGFF-MCよりも細かい。同じトレーラーショップで売っている42cmの巨大フィギュアのような上半身を大型化するアレンジ(1stガンダム立像もそうだったが、立像の現物は下から見上げるので、遠近感が過剰に違和感とならないよう上に行くにしたがって大型化で造形されている)も特にされておらず、バランスはPGままで非常に良い。
 総合的には、筆者が持っている1号機デストロイモードのSTANDartの個体があまり美品でない(塗りが外れ気味と思われ、保存状態も悪く褪せている)ためもあるが、PG準拠の造形と、シンプルながら要所を抑えた成形塗装のため、この立像ガシャ側の方に点がつけられる。

 が、ここまでは通常色2種の話で、問題はクリアカラー2種の方である。お台場で筆者の前にガシャ販売機を回していたやけに体格ガチムチの二人組が「うっわまたクリア出ちゃったよ」などと言っていたが、現物を手にするとその発言の理由は明らかとなった。こちらは骨組が赤・緑の半クリアPVC、外装がほぼ全クリアのMABSで、おそらくは、かつてUCのイベントや施設特別販売でよく売っていたクリアサイコフレーム・パールクリア本体のHGUCキットのような高級感を狙っていたと思われる。が、通常色とパーツ分けが同じなので、すなわち上述したように、HGUCとは異なり色分けがサイコフレームと一致していない。例えば頭は全部外装素材の真っクリアで、上腕(アンチェインドモードでない限りサイコフレームは露出しない箇所である)は赤・緑のフレーム素材がそのまま露出している。というか外装のクリアの透明度がやけに高いので、サイコフレームとろくに関係ない構造の骨組の赤・緑素材が透けている。塗装は一切されていないため、違和感がはなはだしい。
 いっそクリア外装を捨ててこの上に全塗装(例えばSTANDartのデストロイモードは、全身赤クリアPVC成形の上に外装のホワイトが塗装されて再現されていた)するくらいしか使い道が思いつかない。

 現状お台場でしか販売されていないが、通常版の赤・緑の方は、中古屋などに流れていたら、この手のスケールの小物を集めているならば一見の価値はある品である。クリア版の方は最初から改造素材にでもすると決めているのでもない限りおすすめできない……





手と目


 「…ところでその車の中にある物は何でぃ?」


 ♪ポウェ〜〜〜〜〜ッ

   (ぷ)
 ド     ン


 「ビキニなんだ!」


 もやもやと落ち着かなかったのだが、ある日突然繋がった。
 「涙目のルカの眼を握らされたジョルノの手」と「ヴェクナの手・目のホーリーシンボル」である。



weblio英和辞典


 リンク


 2019年8月現在、ここに「ガンガンいこうぜ」と入れると"offensive"、「いのちだいじに」と入れると"deffensive"、とちゃんと出る。これはDragonwarrior4(DQ4北米版)での訳語である。
 が、これで良いのだろうか。





秩父のユニコーンV





 Triple Zeta式の3Dモデルがアップデートしている。MGやGFF-MCといった前期型の立体物を思わせる細身だったver1.0に対して、ver2.0は見るからに後期型、作者の言ではPGをモデルにしているとのことで、ユニコーンモードではほぼPGのプロポーションに見える。ただし、みんみん式のユニコーンモード(下画像左)ほどには、顔がでかくて(中略)ずんぐりむっくりな感じぃするPGやDGそっくりというわけではなく、若干ゃアニメ版設定資料寄りに見える。これは故意なのか1.0からのアップデートの結果なのかは定かではない。
 一方、デストロイモードになるとPGよりもむしろHGUCに似ているように見える。PG、アニメ版設定やrobot魂に比べると小顔バランスである。もっとも、変形時のモーフの値でもある程度調整可能かもしれない。







スプロール・シリーズの世界(その41)

 大使館関係者が、外交特権で容易には訴えや差押されないのをいいことに、交通の罰金などを踏み倒していることがある、という話題に対して、仮にそれが日本やアメリカなどの大使館だとしたら「経済国が罰金すら気前よく払えないのかよケツの穴ちっせぇなそれすなわちマイクロアナルホール」とかいう感を覚えるところである。

 が、実際はそれらの事件の大半が「中国とロシア」の大使館の仕業だ、と聞くと、費やす必要のない費用はそれがどんなに非道かつ矮小な所業であっても削減する、という人間性を欠いた管理政府の徹底した唯物性・合理性であるかのような印象をも覚える。のは、おそらくこれらの国に対する、スプロールなどのレトロサイバーパンクの影響である。

 現にネット上では、単にこれらの国柄がルーズだと評されているのみであり、そういえば大学時代のロシア文学教師が同学の同僚(ロシア人外国語教師)について「約束すればちゃんと守ってはくれるけど約束しなければ全然守ろうとしないんだよアイツ」とか言ってたのを聞いたこともある。実際は多分そんなところなのかもしれない。





にせもっこしプリンス


 尼損ではよくわからないので他所ブログ


 これはガンダムTHE ORIGIN連載の初期の頃、2002年に出ていたPVC製アクションフィギュア(早い話が、当時のMS IN ACTIONの同類で、一種の上位版)である。同シリーズにザクと赤ザクもあり、ザクの方がトニーたけざきのガンダム漫画2巻冒頭のジオラマストーリーでジオン関西弁愚連隊の(要は普通のザク隊の)役に起用され、クローバーのダイカストガンダムと戦っていたので、ザクの方が有名かもしれない。
 ガンダムの方にせよザクの方にせよ、当時の店頭では確かに安彦作画らしく重心が低いなとか思った程度であったが、2019年現在になって見ると、かなりすさまじいまでにコレジャナイロボであろう。ザクの方は胴体が異常なまでに太ましく、足が小さく(短い上に先が細い)モビルスーツというより、宮崎パヤオ初期アニメの「準人型」ともいうべき、いびつな四肢をした等身大メカ(ラピュタロボ兵やコナンのロボノイド)のようである。ガンダムの方も、某有名な中割り作画を思わせる間延びした縦長の顔や、その顔面と胴体のバランス、明らかに長すぎる太腿と短すぎる脛など、下手をすると旧キットやクローバー版以上の半端ない違和感を与える。ちなみに連載初期なので間に合わなかったのか、オリジン版をうたっているにも関わらず特徴的な装備、例えば地上に降りてから登場したショルダーキャノンなどは実装されていない。

 これに当時はなぜそれほど違和感を感じなかったのか思い出してみると、2002年の当時は、MIAや初期HCM-Proと共に、あのゴツゴツしたPG(FGも同型)やMG1.5、シンプルなHGUC#021などが乱立しており、しかも多くは解釈が違えどもロボロボしく(今見れば)野暮ったいものが多かったため、おそらくはそのひとつの中にこれが混ざっていても、それほど大きな違和感ではなかったのだろう。
 一方、非常に洗練された立像の形状(RG, MG3.0, スターター2とかに入っているHG G30thなど)が、ある程度は1stガンダムの理想像として定着し、さらには栄養失調ガリおっちゃんとか呼ばれるリバイブHGUC#191なども普及してきた今では話が違ってくる。同時に、一見旧作映像準拠の古い解釈のように見えるロボ魂verANIMEやソフビスーツが、実はこれらを踏まえて考え抜かれた洗練のもとに現代的に造形されていることがよくわかってくる。

 が、その感想と同時に、現在「オリジンガンダムの姿」として定着しているものに対して抱いている、何かもやもやと落ち着かない違和感の正体が、今になってこのオリジンフィギュアの姿を見てわかった気がする。すなわち、MGのGUNDAM THE ORIGIN(これが「機体の名」にもなっているのが何か物悲しい)、GFFメタコンのオリジン版ガンダム、ついでにユニバーサルユニットで幾つか作ったものなど、加ト吉がいわゆるアニメ版オリジンとしてアレンジし直したものを「オリジン版ガンダム」と呼ぶことに、これまでどうにも違和感が拭えなかった。
 おそらく、自分の中にこのオリジンフィギュアが、前述のように乱立していた解釈の中でも、漫画の作画の特徴をある程度捉えた「安彦ガンダム」の記憶として残っていたためである。同じ安彦体形でのびのびとスリムに間延びしたまさしく「もっこしタイツのバレエの王子様の理想像」である可動戦士などと共に、「安彦版ガンダム」を冠するならばこうでなければならなかったのだ。(なお、加ト吉版オリジンザクの方がザクの造形としては批判が激しいが、個人的にはガッシリ体形のこちらは特にそうでもなく、やっぱりパヤオロボじみたオリジンフィギュア版ザクが今見てもやりすぎである。)







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