Koダイヤモンドは砕けない




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 早見表






「AD&Dとか知らないけど○○○についてはWizardry発祥ってことで間違いないと思う」は、

 麻痺耐性なしで鉄獄の20階に踏み込むくらい死亡確実なのでやめた方がよいと思われる。


wizとRogueと偽3大始祖


 日本のRPG解説では、ほとんど必ず「すべての(C)RPGの始祖・世界初のCRPGは『ウィザードリィ』と『ウルティマ』である」と書かれており、それはレトロCRPGやUNIXハッカーらのいわゆる研究所CRPGに比較的明るいと思われるRLサイトであってすら、例外ではない。ここにMnMなどを足して世界三大RPGと紹介されていることもあるが(こちらの方は、後期作品の普及度(ただし3作だけ抜きんでているわけではない)やシリーズの長さから考えれば、始祖云々のような完全な事実無根の出鱈目というわけでもない)、『ローグ』を足して、「この三つがほぼ同時に出た世界のRPGの始祖」という、「3大始祖」と説明している解説も非常に多い。

 wiz#1(1981年)とUl(Ul1の原型のAkalabethの市販は1979年)を世界初のCRPGに据えるというのは、PC(Apple][)以前の1970年代のPLATOやUNIXの研究所CRPGの認識を欠いているということで、それは「ドラクエ1やFF1が初のRPG」とか「トルネコが初のRL」と勘違いするのとまったく同レベルの非常に稚拙な把握である、とはいえ、発想としては疑問にはあたらない。
 きわめて好意的な見方をすれば、あえて故意に、研究所CRPGのような限られたハッカー間のものではなく、あくまで「PC用ゲームとして市販されたメジャーなRPG」となったもののうちではwizとUl1が最初である(※1)、という捉え方による位置づけともいえる。(もっとも、その姿勢も「メジャーになったのはDQ1やトルネコだからこれらを世界初と言っても構わない」とか言っているのと同然であり、情報を伝達するものとして、とても褒められた態度ではない。)


 しかし、メジャーなものとしては始祖、という位置づけだとしても、疑問にあたるのは、なぜそこに『ローグ』が入るのか、ということである。
 Rogueは発祥の1980年以後も、UNIX上やハッカー間、フリーとしてプレイされており、明らかに「市販されたメジャーなRPG」の方ではなく、研究所CRPGの方のカテゴリである。(PCで市販された例もあるが、いわばNetHackが雑誌の添付等で配布されていたのと同程度の規模のマイナーなものである。)


 これはおそらく、不思議のダンジョンの源流としてRogueがwizよりは前に出ていた、という話だけたまたま聞きかじった、研究所CRPGのうちRogueの名前だけがたまたま知られていたからであろう。これは、有名な風説「Rogue1975年発祥説」にも関連するが、「(研究所CRPGを含めて)世界最初のCRPGはローグである」というデマにも起因すると考えられる(※2)。説によっては、研究所CRPGであること自体が知られていない(wizやUlと同様に当時の普及PCで市販されていたと信じられている)節もある。
 冒頭の説だが、2年も離れているwizとUlが、なぜか「ほぼ同時」であるということになっているのは、要するに81年出の後出のwizを無理やり「始祖」に据えるという理屈づけのため、実際は先出のものと「ほぼ同時」と言い張っているに他ならない。それと同様に、Ulのほかに、Rogueもwizより前に出ていたらしいと聞いて、慌てて「wizとほぼ同時に出た始祖」の位置に無理やり取り込んだのであろう。


 しかしながら実際は、Rogueは研究所CRPGとしては最初どころかたいして古い方ですらない。にも関わらず、たかがwizごときの箔付けという名の刺身のツマとしての「偽3大始祖」に祭り上げられてしまったのは、誤爆・巻きぞえもいいところである。
 RogueのCRPG上の意義は、CRPGの中で「最初」「初期」であったことではなく、もっと別のものである。そんな恥さらしな神輿に乗せなくとも、Rogueは元から十分すぎるほどの意義を持っている。(もっとも、汚名同然の日本での勘違い信仰とは本来はまったく別の名作としての意義・価値を持っているというのは、wizやUlについても言えることではある。)



※1 ただし、実際は市販最初期のCRPGとしての重要性や人気においても、wiz#1とUl1の2つだけが飛びぬけていたわけではない。海外ではこの時期のCRPGについて語られる際はTemple of Apshai(79年、wiz,Ul1よりも売上は遥かに大きい)やSword of Fargoal(82年)等の名前があわせて挙げられ、馬鹿一の如く口を開けばwizの話題ばかりに終始する日本とは、論調はまったく異なる。
 なお、日本では3大始祖が、あるいはwiz#1がUlやRogueよりも、「後のFTやRPGに『影響』を与えたものという意味では最初」といった論調も見られるが、日本でwizの影響と主張されているものがほぼ全て直接AD&Dや研究所CRPGの方の影響であることや、この当時のCRPGの影響力自体が海外ではAD&Dに比べれば微々たるものだということはこのサイトで数限りなく例示してきた通りである。wiz#1やUl1であれ、CRPG史の中では単なる過渡的な存在にすぎない。

※2 研究所CRPGの中で当時から日本の雑誌等に言及されていた、また、現在でもCRPGの起源解説等の話題に出てくるのは、Rogue、ZorkかせいぜいがColossal Cave Adventureである。少なくとも筆者はdndやDND(Telengardの原型の方)やorthanc(pedit5)やAvatarの名をこの手の日本語の記事では見たためしは無かった。ZorkやAdventureは、「RPGとAVGが分離されていない時期のゲーム」としてよく言及され、これに対してRogueこそがRPGの形となったものでは最初と言われていたりした(実際は75年にすでにdnd等があり、それどころか、dnd等はRogueどころかZorkを77年とすればそれよりも前である)。一方でまた別の「Rogue75年説」は、AdventureとRogueの製作時期、というよりゲーム自体を混同していたためという説もある(実際は他の75年の研究所CRPGとの混同である可能性が高い)。





wizではエルフやドワーフでも人間と同じ寿命の者しかいないのはなぜなのか


 これはwizファン全般からしばしば疑問にのぼる点である。聞くところによれば「wizの時代には他種族の寿命が縮んでいて、人間と同じ寿命になった者しか残っていない」なる設定を用いる者もwizファンの間ではあるらしいが、そんな多様のファンタジー種族が存在する意義自体(ライフスパン差による文化文明・能力差)をすっかり台無しにするようなシテオクな発想以外に選択肢はなかったのだろうか。


 wizのシステムのベースとなっているAD&Dでは、呪文等による過剰な加齢がしばしば起こるが、これは「肉体的負担」を計上していて、必ずしもリアル時間・年数の経過を指しているのではないことは前に述べた。
 例えば、Limited wish呪文を使用した者は、その非常な肉体的負担により「1年」加齢するが、これはどんな種族でも1年ではなく、「寿命100年あたり1年」という注釈がある。つまり、この呪文1回につき平均寿命が100年である人間は約1歳加齢するが、平均寿命が500年強であるAD&D版エルフなら5歳強、ドワーフなら3歳強加齢する。
 どんな種族でも、種族上の寿命にかかわらず同じだけの肉体的負担がかかれば、等しく「人間の年齢換算で1歳分」、加齢するようになっているのである。


 すなわち、wizの「年齢」のパラメータは、「時間の経過」でなく「肉体の負担」を計上するものである以上は、最初から(エルフ等としての)実年齢ではなく、「人間換算の加齢(肉体負担)」が表示されているものである。15歳と表示されているエルフは実は15000歳で、蘇生等で7歳加齢して22歳と表示されているのは実は7000歳加齢して22000歳とかになっているのかもしれない。上記したようにwiz内の年齢は肉体的負担(ダメージ)であって、実際の時間経過とはほとんど関係ない、そもそもキャラごとにばらばらに加齢する(肉体的ダメージを受ける)のは当然、と考えれば、そこの人間が何歳年をとる間にそこのエルフが何千歳、とかばらばらに年をとっていても何の問題もない。
 逆の言い方をすれば、人間換算の肉体的負担だけがゲーム上は意味を持つため、時間経過・実年齢(具体的年数)を計上しても意味がないので、表示されているのは「人間換算加齢」だけであり、エルフ年齢何万歳は設定として存在しているのかもしれないが表示されることはないのである。




wikipedia - ウィザードリィ(2014年4月26日現在)

 「制作」等

>『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D、迷宮探検と魔物退治を行うテーブルトークRPGの代表作)
>をコンピュータ上で再現するというコンセプトで製作したものが本作のシナリオ#1である。
>そのため、行動の成功判定処理、アイテムやモンスターの名称、データ数値などに、
>『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(AD&D)の影響が色濃く見受けられる。

>世界観やシナリオは、指輪物語の影響下にあるD&DなどのテーブルトークRPGの流れを汲むが、

>『AD&D』に倣い、ドラゴン、マンティコア、スライムなどの神話や想像上の生き物から、


 どっちだよオイ。『D&D』を再現しようとしているコンセプトや世界観なのに、『AD&D』を写してるとか一体どういう話なんだ。
 こういった両方が無造作に混ざっている説明は、wikipediaに限らず日本の膨大なwiz解説サイトに頻繁に見受けられる。いずれも、おそらくD&DとAD&Dの差異や関係を知らないので、こんな併記の仕方がどれほど支離滅裂か理解できていないのであろう。多分に、「wizは『D&D』を再現しようとしたものである」と、「wizのシステムやデータは『AD&D』をコピーしたものである」というのを、それぞれまったく別の典拠(wikipedia曰く、信頼できる出典)で見かけて、意味もわからないまま両方を書き写している、という経緯が想像できる。
 いまだにこんな姿勢では、はじめてwizやRPGやFT史を調べた読者がそれらを正確に理解するのはどんどん困難になっていくばかりであろう。



 4年前ほどのノート

>本文からそのまま転載して指摘しますが、「3Dダンジョン型RPGとしては極初期の作品
>でありながら〜」とありますが、他の文ではまるでウィザードリィが最初の作品である
>かのように話されていたりしていますよね。 WIKIに留まらず、この風潮は日本で
>は妙に広がっています。 ウィザードリィが人気が出た最初の作品うんぬんという話で
>はなく、言葉を濁して最初の作品であるかのように言っている空気を感じます。


 が、この直後、この話者は「アメリカではターン制バトルの人気がない」なる、実にムッシュ・ヌケサック・アイーダな引用をしてしまい、そのgdgdのみにもつれこんで上の話はうやむやになってしまう。
 なお、断るまでもないことだが、この話者の主張のような「アメリカでターン制の人気がないのでwizは最初からアメリカでは不人気」なる事実は全くない。wizは少なくとも、「Apple][では最も成功したゲームソフトのうちのひとつ」であり、#1-3は80年代前半通してCGWのような雑誌のランキングに載り続けていた。(ただし、それすら欧米のAD&DやFT小説の社会現象に比べるべくもないのと、そのヒットも2010年代の現在、日本以外では「とっくに過去の話」であり、現在の商用wiz/wizライク周りの宣伝文句に出る『30年経った現在でも世界中のファンが熱狂的にプレイし続けている』やら何やらの表現は誇大広告の大言壮語である、という、ただそれだけの話である。)

 ここで注目する点として、「wiz当時からアメリカではターン制の人気がなかった」と信じるその発想からして、この話者が他ならぬターン制であるAD&Dや、oubliette等のそれ以前のハッカー間の多数のCRPGについての知識は、まったく皆無であることがわかる。
 すなわち、wiz以前に存在していた背景であるAD&DやハッカーCRPGの存在を全く知らないと思われるこの話者にとってさえ、wizフリークらの間の「言葉を濁して最初の作品であるかのように言っている空気」がこれほどまでに不自然なものとして感じ取れていた、「RPGの元祖」なる主張がそれほどまでに嘘臭く聞こえていた、ということである。すでに元祖ですらないことも知れ渡っている今、「とにかくwizがRPG(FT)で一番重大事件であることはすでに確定してる」などと主張したところで誰が信じるというのか。





Charisma -> Leadership -> Luck


 wizがD&D系と異なる点として「能力値の名前」が挙げられることも多い。wizの

 "Strength, IQ, Piety, Vitality, Agility, Luck"

 のうち、前の5能力値は、D&D系(旧形式)のStr, Int, Wis, Con, Dexに相当するが、最後の"Luck"だけはD&D系の最後のCharismaに相当しないので、これをもって「wizは完全オリジナルのゲームシステムだ」と主張されることがある。実の所wiz(1981)以前のT&T(1975)に能力値LKは存在し、BRP(例えばRuneQuestは1978)にも幸運ロールとかあるが、wizフリークにそんな話をしてもたいして聞き入れないだろう。

 ここで、ゲームルールの記述が最終的なものとはかなり異なっていた、Apple][版wiz#1の初期版の話である。初期マニュアルでサムライがRanger、ビショップがSageとなっていたことは、(シャーマン戦車ばかり話に出るかのごとく)何故かやたらと頻繁に取り上げられるが、能力値の名も異なっていたことはほとんど話題に挙がることがない。初期は、

 "Strength, Intelligence, Wisdom, Vitality, Speed, Leadership"

 となっていた。Luckは最初はAD&DのCharismaに近いと思われるLeadershipだったのである。IntやWisの一致を含めて、最初は遥かにAD&Dのそれに近い能力値だった。
 Charismaを避けてLeadershipとしたのは、本来はAD&DのCharismaは交渉(wizでは友好的モンスター云々にあたる)に影響する能力値なのだが、これをwizではシステム的に再現できなかったので、対外(外交)よりはパーティー内や個人の資質を思わせる微妙に違う用語に変更した点を想像できる。Leadership -> Luckの理由の方は、さらに個人資質的な能力値名を選択した、と想像できる程度である(なお、AD&Dや3e以降のCharismaには、「超自然的勘」などのLuck的要素も含まれる)。



貢献


 近年急速に増えてきた「wizはD&Dのパクリ」という主張に対して、オールドゲーマーがほぼ毎回食い下がるのは、「そんな言い方をするなら、D&Dだって指輪物語のパクリで指輪物語はそれ以前の神話のパクリになるはずだから全部同じ」というものである。
 当然違う。
 これまで*band用語集等でも数限りなく例を挙げてきたように、LotRやAD&D1st(「D&D赤箱〜黒箱」ではないので注意)の時点で創始され、以後完全にFTの常識となって、ほとんど無意識に踏襲される域となっている要素は、膨大な数にのぼる。
 しかし、一方でwizが創始した要素、wizがそれ以前のLotRやAD&D1stに対して何か加えた要素などは、ロクに存在しない。あるとすれば、それは殆どの場合、「wizの作られた背景を知らない日本人オールドゲーマー」が「wizが原典とかwizが創始したと『勘違い』している事項」である。


LotR:世界構成物(物品、怪物、人間大の種族)、パーティー、迷宮探索等、無数
AD&D1st:戦闘、経験、財宝、ゲーム進行、パラメータ、各種族、クラスレベル等、無数
wiz:何もない


 これまで用語集やこのコーナーで述べてきたように、wizフリークが「wizが追加し、以後CRPG(ひいてはFT)の常識となっている要素」と頭から信じ込んでいる事項のうち、その大半はAD&D1stの時点で存在し、残りのほぼ全てはoublietteなどのwiz以前のCRPGの時点ですでに存在する。

 結論として、LotRは神話伝承を、AD&D1stはLotR他のFT作品を背景に、パクリでは片付かない独立した多大な貢献をしているが、wizがAD&D1stを背景にした場合これと「同じ」などと称せられる貢献をしているなどとは到底言えない。
 wizは「過去の名作CRPG」のひとつであることは疑いもない。しかし、「LotRやAD&D1stと同列に述べられる価値や地位」など持っていない。延々とクローンが作られたり未練がましく語られるのは日本だけで、海外においては、単なる過去のゲームとされ、一切省みられていないという現状の扱われ方が何よりの証拠である。





死の呪文


 wizのマカニトの「8レベル未満」が消滅というのはどこから出てきたのか、「無条件で消滅させる」というのはどこから出てきたのか、という疑問はよく聞く。例によってオールドゲーマーからは、「D&D(赤箱シリーズ)にはこんな呪文は存在しない」という意見を聞くこともあった。


 いつぞやの雑記の即死呪文の記事でも書いたが、wizのマカニトはAD&D1stのDeath Spell呪文に由来する。これは8レベル以下の敵を、回避(セービングスロー、運勢値)の判定すらなく、即死させる呪文である。
 ただし、AD&Dでは、8レベル以下なら4グループ36体無条件で全部即死させるわけではない。AD&Dでは効果範囲に何百体とか入っていることもありえる。Death Spellは、弱い敵から優先的に死なせていき、弱い敵の数が多すぎた場合は強い敵は生き残る場合がある、というwizとの若干の違いがある。この判定法は1レベル呪文のSleepのものによく似ているが、AD&DのSleepを元ネタとするwizのカティノはまったく判定が異なっている(回避の余地がないと強すぎるという理由などが考えられる)。
 なお、CD&D(青箱)の同名呪文は、無条件ではなくセービングスロー判定を必要とし、CD&Dには後述するマジックレジスタンス(呪文無効化)についてもルール自体が黒箱に至るまで無いので、あるいはオールドゲーマーからは、CD&Dのそれは上記のSleep共通の判定とあわせてwizのマカニトとはかけ離れて見え、相当する呪文ではないと考えられていた可能性が高い。
 ちなみにこれで死亡した対象は、特に肉体が灰になったり塵になったりするわけではない。ただし、いわゆる絶対死(正確な用語ではなく当サイトの便宜だが、蘇生呪文で蘇生できない重篤な破滅状態)という灰に近い状態になるとはいえる。


 なぜDeath Spellの即死させる対象が「8レベル以下」なのかというと、それはAD&D1stでは「9レベル」が戦士や聖職者における「ネームレベル」といい、「名のある英雄」の基準となる重要な値であるためである。非常に乱暴に表現してしまうと、これは「名無しのモブキャラ」を全員即死させてしまうというきわめて無情な呪文なのである。(なお、AD&DではCD&Dと異なり、魔法使や盗賊のネームレベルは9レベルよりも高い。)wizの方は、バージョンや移植版によっては8レベルが入ったり入らなかったりするのと、元々モンスター名がレベルを詐称しているもの(10レベルファイターのヒットダイスが7でマカニトが効く等)があるため幾つか定かでない説が流れているが、Apple][やFC版の解析上は一応「8レベル未満」で設定されている。


 ちなみにAD&DのDeath Spellには(無論Sleepにも)悪魔等がよく持つマジック・レジスタンス(呪文無効化率)を貫通する、というルールは特にない。
 なので、wizのいくつかの機種・バージョンで、呪文無効化を貫通して低レベルの敵を消滅させる効果は、はたして「正しい」のかどうかわからない。Apple][版をはじめ、それに準じて移植したFC版、GBC版、NP版や外伝のいくつかなどでは貫通することになっているが、そもそもApple][で貫通することになっていたのは、ただのミスだったのか、テストプレイを経由して意図的にAD&Dから変更したのか、それとも他の呪文と判定が異なるのでコーディングの都合上適当にスルーしてしまったのか、他の都合上実装できなかったのか(wizのAD&Dと異なる要素には、Apple][の様々な制約上実装していないものが非常に多い)は不明である。
 逆に、IBM版等に由来するいくつかのバージョンが、呪文無効化を貫通しないことはオリジナルのApple][版と異なる「不具合」であるというのがwizファンの間での通説だが、従来説に反して、あえてAD&Dに合致させ、意図的に貫通しないようにされた可能性も考えられることである。海外では、AD&Dの諸法則はFTファンの不文律のようなものだからである。もっとも、日本の移植版ではどっちになるかが恐らく大半がミスや不具合であるのと同様、元々がミスである可能性も依然として高い。





hp、AC、Agi(Dex)


 ヒットポイントが「身をかわす」能力も含めた戦闘能力の総合的な値なら、なぜ敏捷度(Dex, Agi)がhpに加算されないのかというのは先日の記事から聞かれるし、実の所「ベニ松解釈」(先日述べたように、このhpの定義についてはD&D系当初からの記載であり、別にベニー松山が『ウィザードリィのすべて』で創始したわけではないので、この呼称は誤りである)への反論として、以前から頻繁に囁かれてきたことであった。
 何故かといえば、二重取りになるからである。
 D&D系ではDexが高い場合(AD&Dでは非常に高い場合に限る)にはアーマークラスへのボーナスが加わる。アーマークラスは、強靭さ・耐久性と敏捷性をいっしょくたにした、いわばヒットポイントと同じくらいに抽象的でいいかげん極まりない値だが、とにかくその範囲はhpとだいぶ重なっている。ACとhpを総合して、漠然と「戦闘継続能力」を表すわけで、ACの方が、どうも時間や消耗その他によって低下しにくいもの(そういえばケンstアンドレがT&TでSpdとDexについて「いくら戦闘技術が向上しても足の長さは一生変わりません」などと人を馬鹿にしたことを言っていた)を指しているとでも考えるしかないが無論その内訳はよくわからない。ともあれ、重なっているものの両方に加えたら二重取りになってしまうだろう。

 繰り返すが、このACやhpの考え方は「解釈」でも「説」でも「ベニ松が勝手に一人で考えた推測」とやらでもない。これはD&D系で最初からそういうものとして作られた「定義」であり、この値はそういうものを指すという根本的な基準のひとつである。なので、何か他の概念(hpを「体力」だの、ACを「回避」「防御」だの何だの)に置き換えたり辻褄をあわせることは不可能であり、仮に試みても意味はない。

 しかし、ここで肝心のwizでは、AgiはhpだけでなくACの方にも影響しなかったりする。それはおそらくAD&D1stの非常に複雑なDexのテーブルを実装しきれなかったためで(AC以外にも、Apple][やFCのwizでは運勢値(セービングスロー)・罠解除にまったくAgiが関係していなかったり、罠判別のシステムが固定値にDexテーブルを反映させるAD&Dのものとは根本的に異なっていたり)、要はAD&D1stを再現しようと思ったらApple][のメモリと処理能力で足りるわけが(中略)wizではParryの効果や防具が有利ぎみになることによってACに対するボーナスにかえているのだろう。その結果、wizのAgiはD&D系のDexに比べ全身の敏捷より感覚(罠判別、行動順には影響する)に近い能力を指す値になっているとでも考えるしかない。
 無論、忍者のレベルがACに反映されることも(AD&D1stのMonk同様)敏捷性の反映である。上述のwizフリークの「ベニ松解釈への反論」なるものに「hpが戦闘能力の総合値なら、忍者のレベルがACにだけ反映され忍者のhpが盗賊並に低いのはおかしい」というのがあるが、AD&D1stのMonkのAC低下同様に考えれば、忍者のレベルによってACに反映されるのは敏捷性(ConではなくDexによるボーナスの方)に相当するので、ACの方だけに反映されるのが妥当である。





wizが80年代とかの他のPCゲームに比べたらヌルゲーと言ったら「今wiz#1をマップとか攻略法とか知ってやったらヌルいのは当たり前だろ」と言われた


 当時のPCゲームはwiz含めてマップとか攻略法とか何も無しにプレイしたもんですが伺か? マップとか攻略法とか調べられて当たり前とかいうネットはなかなかのパワーとスピードだこのDIOが生まれた時代は馬車しか走っていなかった。ちなみに当該記事で名を出した落語家・円丈師匠のポプコムの連載では、wizのマップが載ってる「別のPC雑誌」を名指しで号数込みで挙げて、「めんどくさいからみんなもこれ見てやろうよ」とか言ってる記事が平気で載っていた。当時のwiz愛好家らは、wizの難易度や面倒さを別に有り難がったりはしていなかったし、それに対する挑戦がノーヒントだろうがヒントありだろうが固執だの選民意識など無かった。ともかく、それらの難易度や面倒さは、当時のゲームに「当然に存在するもの」にすぎなかったのである。



ジャパネスク


 まだ実感が湧かない、と質問されることが多いので、わかりやすい話をする。
 日本のRPGで「西洋風世界設定にニンジャやサムライや日本刀が出てくるのはwizの影響」か。
 それは間違いない。FF1の正宗にせよXanaduのムラサメにせよそうで、これらは、作者らがwizの影響について言及している。

 では、「西洋風世界FTに和風要素を出したのはwizが世界で一番最初」で、「世界じゅうの西洋風FTやRPGに和風要素が出てくるのは、全部wizの影響」なのか。
 んなこたあるわけない。wizよりはるか以前に、OD&DやDragon誌の怪しげな和風ルール、AD&D1stの基本クラスにすでに入っていたMonk、以前述べたoublietteの時点ですでに入っている忍者・侍、もう少し時代が下れば、AD&Dのオリエンタルアドベンチャー(OA)ルールがあり、NetHackはじめ他の海外RPGには、和風要素がOAルール直接由来であることが明白なものは、枚挙に暇がない。
 RPGの歴史における、wizとAD&Dの影響力の差など歴然としているが、さらに、別にAD&Dなどと比較しなくとも、下手をすると、ニューロマンサーやブレードランナーの影響だったなんてのも当然にある話である。スターウォーズ(ジェダイ=時代劇、Ep4の着想=黒澤映画、シス関連のデザインの和風影響等)に見られるように、欧米のナード層にとって和風要素はなじみ深い定番のネタのひとつである。
 日本だけがwizを手本にするのも、海外でもそうされていると信じ込んでいるのも、単にwizしか知らないためにすぎない。

 ここまではわかったろう。で、上のニンジャとかサムライを、「その他のCRPGのいろんな要素」について置き換えてみればいい。種族でもクラス(「ジョブ」とか呼ぶ人はお帰り下さい)でもアーマークラスでも呪文命名法則でもレアアイテムでも転職でもボスキャラでも死の渦巻き剣でもなんでもいい。99%、「wizからの影響とか、んなこたあるわけない、寝ぼけてんのか」で片付く話である。

 非常に乱暴な、端的な例えを出すが、日本では結局のところ、DQやらFFやらといったCRPGが、いわゆる「RPG風のファンタジー」に対する認識(勇者やら魔王やら)を形成する原型となっている(なお、今では「ネトゲ風世界」というのも例に出される)。CRPGの前段階、ヒロイックファンタジー小説やTRPGは、ごく一部のマニアの間の存在でしかないためである。
 その結果、wizフリークはしばしば、日本でのCRPGが日本のFTの原型であるのと同様、世界(海外)の「CRPGの原点」であるwizが、「世界(海外)のFT」の原型に同様にそのままあてはまると、頭から信じて疑わないことがある。
 しかし、海外ではwizなどよりもはるかに昔から、問題にならないほどの規模でTRPGやFT(古典的ヒロイックファンタジーから、さらに俗で人気のあるものまで)が普及してきた。たとえ「RPG風のFT」であってもその原点にwizを据えるなど、普通に考えてありえない話であり、現に海外では古いwizなど過去の名作として以外、全く省みられることはない。日本でも大抵のCRPGファンが見向きもしないwizを「世界ではFTの原点」と信じて妄信する原理主義は、結局のところ、その「世界では」とやらも含めて徹頭徹尾、幻想でしかない。





パラメータ決定


 「wizのシステムはD&Dの丸写し」という主張も多くなったが、しかし、主張する側も反論する側も、CD&D赤箱(実際は何らwizのベースではない)しか知らなかったり、むしろ大概は、双方とも赤箱シリーズすら断片的にしか知らなかったりする状態らしく、有意義なやりとりになったのをついぞ見たためしがない。
 そうした泥沼のやりとりでも、特に頻繁にみられるひとつに、
「wiz#1で能力値が3-18の範囲なのはD&Dで3d6で決めていたため」
 という主張に対して、
「wizでは現に3d6なんかで決めてないだろ」
 という反論がある。
 結局のところ、アビリティの最初の決め方だけ別だったとしても、その他のゲームバランス(AC, ThAC0, hp, ダメージ、呪文序列等)がことごとくアビリティ3-18の範囲である前提のルールにあわせている以上D&D系準拠からは逃れていないということなのだが、ここで頑迷なwizフリークにそんなことを言っても納得などしないだろう。


 手っ取り早い話だが、「wizの元になったTRPGでも3d6で決めていた」という前提が誤りである。wizの原型であるTRPG(AD&D1st)では、能力値は3-18の範囲ではあるが、これを3d6で決めるようなことは、まず滅多にしない。
 かつての赤箱シリーズ等のCD&Dでは3d6の直振りであったが(多少の調整ルールがある)CD&Dは最初のTRPG(OD&D)直系のAD&Dから見ればマイナーな派生ルールにすぎず、wiz#1とは何の関係もなく、合致しない点が多々あるのは当然のことである。

 AD&D1stのDMG(78年)では、別に3d6で決めたっていいとは書かれているが、他の方法で決定することが強く推奨されている。AD&Dには、パラメータの決定法そのものに莫大な種類が存在する。のちの3eや4版に見られるような、4d6して良い目のダイス3つを取ったり、3d6を十数回振って良いものを6つ取ったりするようなものもあるが、その中には、「オール8」の能力値に、上方ロールによるボーナスを割り振って足すものもある。すなわち、「3-18の範囲」ではあるが、単に3d6するよりも良い値かつ恣意的に決めることができるようになっている。2ndや3e以降では、特にポイントバイが一般的で、特に公式コンベンションなどでは偶然性を省くためダイスロールによる決定自体が禁止されており、固定ポイントバイとされていることがあるのはD&D系ゲーマーには周知の通りである。
 すなわち、ボーナス値での決定自体も普通にD&D系にもあるし、3d6直振りで決めていないからといって騒ぐようなことでも、破綻するようなことでも別にない。


 ポイントバイで欲しい能力値を高くしたり、4d6の良いものを3つを取ったりした場合、当然ながら3-18の範囲内でも3d6よりもかなり高い値となる。AD&D1st、2ndでは、多くの能力値に15〜16以上でボーナスがつき(テーブルの詳細は能力値により大幅に異なる)13以上でボーナスがつくCD&Dと比べて、PCが高い能力値を持つことが想定されている(※1)。
 wiz#1の内部動作でも、StrやVitなど多くの能力値が15をオーバーするとボーナス値があるのは、AD&D1stが原型であるためである。CD&Dでは13以上であったため「元のTRPGでは13以上でボーナスのはず」「wizは異なる」等と主張するwizフリークの声があるが、CRPGの成立にほとんど何の影響も与えていないCD&Dを、wiz等の初期CRPGとの比較に持ってきたところで意味はない。


※1 これは、AD&Dではゲーム自体が高戦術性戦闘を要求されるなどCD&Dよりも過酷であるため、平均よりも高い能力のキャラを使う前提、という事情もある。過酷さと能力値とボーナス要求を全部いっぺんに高くしても吐血マラソン化して意味がないだろと思うかもしれないが、それはAD&D1stも結局OD&D白箱(74年)以来、いきあたりばったりの付け焼刃で作られた粗雑なゲームにすぎないという業(そして、影響を与えたCRPG全部にも背負わせている)である。





不均一な加齢


 Wizardryでは宿屋に泊まった者だけが何週間か歳をとったり、転職したものだけが数年歳をとったりして、キャラ相互の間で均一に加齢しない、あからさまな怪現象が生じる。
 *band用語集の宿屋などの項目に書いているが、この理由はApple][版wizのシステム的なものである。ディスク(セーブデータ)内のキャラが全員均一に歳をとるようなシステムは、ソフト・ハード上の制約上とることができず(実現したものにのちのソーサリアン等がある)キャラごとに別々に年齢を管理することしかできないといった事情である。現にセーブデータひとつでなくキャラごとにデータが管理されていたのは、原型であるoublietteのそれのように、マルチプレイヤー、キャラごとに別のプレイヤーが担当する(最初期PC版wizではキャラごとにパスワードをかけることが可能であった)ことも想定されていた事情もあったりもする。


 こういった不均一加齢の怪現象について、wizファンの間には「訓練場の中には、時間の流れが加速する瞑想場があり、転職の際にはその瞑想場に籠った者だけ年を取る」といった、駄法螺そのものの設定を作って流布している書物等があり、wizフリークのいくばくかは、これを本気で信じている。
 上述したように、もともとがシステム上のものなので、別に深く考えず放っておいてもよいのだが、例によってAD&D1stにヒントを求めてみる。
 実はAD&Dには、あるキャラクターが効果を受けると「加齢する」という結果になるルールは非常に多い。例えば、Haste(加速)呪文だけで1年加齢する。RessurectionやRestorationといった強力な治癒呪文では使い手や対象が2年とか3年とか加齢する。WishやLimited Wishのような強力な祈願呪文では使い手が3年とか5年とか加齢する(※1)。アンデッドによっては、エナジードレインどころか、触った途端に「10〜40(10d4)年加齢する」とかいたりする。これらは、実際に”時間的に”年齢を重ねるというよりは(重ねると書いてあることもあるが)Hasteの説明に「急速な加速により1歳分加齢する」とあるように、むしろ体にかかる加齢相当の負担を指しているという側面が大きい。
 こういうとんでもない加齢は、ロンゲビティポーションとかElixir of Youthとか他のwish(アイテムやアーティファクトによるもの等 ※2)で治せるが、これらの手段のいくつかやDMの選択によっては、上述したような「後天的な不自然な加齢」だけが治せて、本来の(実際にそのキャラが生きていた年数による)年齢より前には治せないことがある。(無論、本来の年齢そのものを遡行させるような手段もあるが、今回は関係ないので省く。)
 要は、これらの加齢は、肉体年齢の不自然な老け込み、肉体にかかる負担(ダメージ)の一種であって、「時間経過」「実年齢」とはほとんど何の関係もないわけである。wizに表示される年齢を含めて、そうした不自然な加齢を計上しているものと考えると、そういう「ダメージ」を食らっている度合がキャラごとに違うのは、ごく当たり前のことでしかないのだ。


※1 AD&DではないCD&D(赤箱シリーズ)では、これらと同一の行為や呪文がそれぞれ存在するが、それらで歳をとるというルールは一切存在しない。ルールを単純化するという他に、過酷すぎる事態を抑えてとっつきやすくするという事情があると思われる。何の話かというと、CD&Dを見たところでwizのヒントは見つからない。

※2 余談だが、CD&Dの黒箱には「ベルダンディーの砂時計」という、加齢も減齢も灰まで帰すも時間停止も巻き戻しも自由自在な、非常にえんがちょなアーティファクトが存在していた。しかしうちの鳥取では上述のアンデッド等によって困ったことになるたびに、しじゅうアースお助けセンターに電話して利用していた。





シャーマン戦車


 「AC−10はシャーマン戦車」とは、オリジナルのApple][版及び国産PC用の日本語版の#1のマニュアルに記載されている表現である。
 アーマークラスの話題になったとき、wizファンの誰かがこれを言いだす可能性は確実、100%である。wizファンは間違いなく、必ずこれを口に出そうとするだろう。

 このマニュアルのシャーマン戦車のくだりは、漫画(有名なマクリーン氏のもの)でふんどし一丁のAC10キャラのとなりにAC−10の戦車が並んでいるというもので、実にふざけきったお笑いテイストのものである。
 にもかかわらず、「カシナートが料理用ミキサー剣」というのを躍起になって全否定・ 封殺しようとする「硬派和製wizフリーク」であっても、カシナート以上の笑い話としか思えないこのシャーマン戦車に関しては、当然のように平気で自分から口にするのである。

 その理由は何なのか、ひとつめに考えられることとしては、FC版以降のwizフリークの大半はPC版マニュアルなど読んだことが無く、お笑いということを知らずに(何かのシリアスな文脈で説明されていたものと)律儀に信じている可能性がある。もうひとつの、そしておそらく最大の理由として考えられるのは、第1の理由とも関係するのだが、wizフリークには「ACについて語れることがそれ以外に何も無いから」である。
 ACがどんな内部計算になっているのか、AD&D1stのシステム上AC1ポイントに(THAC0, BAB, ヒットダイス(モンスターのレベル)に対して)どんな価値があるのか、知っているのはwizファンでもごく一握りにすぎない。マニュアルには、ACの説明としては上記のおちゃらけたシャーマン戦車云々以外には一切なにも載っていない。(AD&D1stが普及している海外では、そんなACの内部ルールなど知れ渡っており説明するまでもないので、当然の話である。なので、マニュアルには駄洒落くらいしか書くことがないのだ。「priestクラス」の教会での地位はなんと司祭階級(priest)です! も同様である。)
 すなわち、ACについて何も語れるようなことを知らないにも関わらず、「ACはRPGの原点であるwizが創始した概念」(無論、誤りである)だとか、「wizファンはACについてずっと昔から知っている」などと他のRPGファンに対してアピールするには、こんなシャーマン戦車の与太話を毎回毎回出す以外に、できることが何もないというわけだ。


 ちなみにこのマニュアルの「AC−10はシャーマン戦車」は、AD&D1stの原型がウォーゲームであることから、数値確率的にソレを相当物とする根拠がいずれかの戦車戦ウォーゲームの中に存在していたことはほぼ間違いないと推測できるが、それが何のゲームなのかまでは筆者も知らんねえ。
 ともあれ、wizの元のAD&D1stではAC−10とはどういう意味を持つのかというと、フルプレート+5(AC−14)とシールド+5(AC−6)を装備した状態、すなわち、「通常に考えれば」世界最高の魔法の防具を身に着けた状態、を指すのがAC−10(無装備のAC10から20下がった状態)である。命中判定を1d20で判定し、AC1ごとに5%命中率が低下するこのシステムにおいて、ACが20低下したということは、命中率が100%低下したというひとつの区切り(THAC0、ヒットダイスに応じて攻撃側の命中率も上昇し、自動的成功・失敗もあるので、命中しなくなるという意味ではない)を示す。
 もっとも、Dexが高ければもっとACは下がるし、鎧と盾以外にも各種のボーナスを与える品物はあるので、これより下がらないとも限らない。AD&Dではフルプレートはすでに兜や小手も含んだ防具を指し(ここでAD&D1stのフルプレートとは、いわゆるプレートメイルよりもさらに重装の鎧で、日本のTRPGゲーマーにはスーツアーマーの一種、とでも言った方が通りがいい)これ以上の魔法の小手や兜等では重複しないことが多いのだが、あくまで通常で、例外が多々ある。
 例えば、KoD(PC版系wiz#2、FC版系wiz#3)に登場するコッヅアーマーのACは−14であり、フルプレート+5に相当する品であることがわかる。コッヅシールドもAC−6であり、AD&Dではシールド+5である。しかし、wizではアーマーとシールド以外にも兜や小手を別途装備することができ、結果、他のコッヅ装備も揃えるとACを−10よりかなり下げることができるのである(−10より下の値に意味があるかは、シナリオや機種によって異なる)。そういった意味では、AC−10は通常到達可能な最良値ではあるが、これ以下がないわけではない、という意味では一貫している。





OD&D -> oubliette -> Wizardry


 wiz#1がFTやRPGの重要起源どころか、CRPGの元祖やら始祖やらですらなく、汎用機や教育機にdnd, Dungeon, Telengard等、現在のCRPGの原型をすでに形成している多数のOD&DベースRPGがあったことは以前述べた。
 予想通り、それらはwizの域には到達していないものに違いない、完成度が低かったのではないか、CRPGの原型としての要素を欠いていたに違いない、やはりwizが飛躍的、決定的、真の意味での原点だったのではないか等とかなり聞かれた。ここで、もう少し具体的な所に踏み込んでみることにする。

 oublietteは、wikipedia(en)では「Wizardryは多数のそれ以前のPDP-10やPLATOのゲームの影響を受けているが、特に最も大きく影響されたのがoubliette」として挙げられ、wizの直接の原型・派生元であることは、海外ではオールドゲーム史上、わりと有名である。(無論のこと、日本語版wikipedia(13年12月現在)にはそんな記載などは一切ない。wizが原典だの古典だの、ロバートとアンドリューがD&Dを基に作った原型がどうの、といった記述しかない。)
 oublietteは、1977年11月にPLATO(教育用コンピュータ)用として作られたもので、コモドール64やIBM-PC(DOS)に移植されたもの、さらには2010年にiOSやAndroid用にリニューアルされたもの(ただし、2010年版はプレイ感ではPLATO版等と比べるとかなり内容的にもアレンジが多い)も存在する。


 oublietteのPLATO版のスクリーンショットの数々を見ればわかるように、3D迷路での迷宮探索、OD&Dベースのキャラのパラメータ、戦闘、呪文、グラフィカルな敵の表示、パーティーを組んでの探索など、wizの基本的なフォーマットは網羅されている。これらのフィーチャーはoublietteがいちから創始したものではなく、別のところで述べたように、OD&Dから戦闘・探索・アイテム収集を抽出したゲーム性はdndやTelengard、パーティーシステムはDungeonといったそれ以前のPLATO用等のゲームの時点ですでに確立しているものである。
 (このPLATO版の画面を見て「wizはもっと画面の完成度が高い」と口走ったwizフリークもいたが、wizが、最初からFC版やリルサガや五つの試練のような画面や操作性だったとでも思ったのだろうか?)
 もっとも、パーティーについては、開発当初のoublietteは基本的に「複数のプレイヤーでキャラを持ち寄ってパーティーを組む」マルチプレイヤーでプレイするゲームだった。(後のバージョンやiOS等の他機種版では、1人のプレイヤーが複数のキャラクターを作成してwiz同様にプレイすることはできる。)
 逆に言えば、初期のPC版wizardryが「セーブデータ一つ」でなく「キャラクター一人」ごとにデータが管理され、キャラごとに別のディスクに移したり、さらにはキャラごとにパスワードを設定することができた(特定のプレイヤーだけがそのキャラを使うことができる)のは、プレイヤー自体がマルチであるというプレイ環境の名残り、と読み取ることもできる。
 ちなみに、プレイヤーであれキャラクターであれ、「酒場に登録」してあるキャラを集めてパーティーを組むという構造もoublietteの時点で既にある。


 右上部のこのスクリーンショットを見ると、D&D系とまったく同様の能力値パラメータやアイテム名が確認できる。(wizもApple][やPC版では「ソード+1」等の名前になっているのだが、後述するドキュメント類からも確認できるoublietteアイテムリストはAD&Dのテーブルにそれ以上に近い。)
 さらには、このスクリーンショットの左下にdumapicという呪文名が見える。トゥルーワードに関しては後述する。
 77年11月の時点ではAD&D1stのPHBは出ていない(MMしかない)のでOD&Dベースである。oublietteの作者は、AD&Dの方は見たことがないと言っており、OD&Dから意図的に変更した幾つかの点(例えばアンチパラディンであるRaver職。wizのRaver Lordの元である)等はオリジナルであると主張する。とはいえ、AD&D1stとは、要はOD&Dが(Dragon誌の記事などで)大幅にルールを拡大して収拾がつかなくなったために作られたものであり、末期のOD&DはすでにAD&Dの要素を多々含むものとなっている。最後期のOD&Dをベースにしたこのoublietteも、かなりAD&D1stを思わせるものになっている。


 oublietteの各種データは、ドキュメント類のページにあるファイルから確認することができる。ここのSurvival GuideやAdditional Players Guideにはrace, class, 呪文のデータ、下方からはアイテムやモンスターのデータがざっと確認できるだろう。
 呪文の名は、OD&Dの呪文名準拠の英語にはなっておらず、オリジナルの呪文名があてられている。呪文説明にはOD&Dにおける意味が添えられており、大変にわかりやすい(めんどくさくなって呪文説明がlevitationとか一言しか書いていないものもある。これも、D&D系と同じものは説明自体必要ないだろうとかいう海外RPGの体質である)。内容はやはりOD&Dのスペルリストそのものになっている。
 呪文に使われている言葉は、マジックミサイル=geiborなど「エルフ語」的なものもあるが、大半は意味不明なものである。しかし、fie=火炎、komina=治癒などの意味に従って、同種同系の呪文が似た響きを持つように命名されている。
 オリジナルの呪文名について、「語幹に末尾や接頭でバリエーションを作り同系呪文をわかりやすくする(特にDQ、さらにはFFにも踏襲された)」アイディアは、日本では「呪文のネーミングはwiz最大のオリジナル要素のひとつ」と当然のように語られているが、少なくともwiz以前に存在していたことがわかる。


 ドキュメント類のAdditional Players Guide等を見てもわかるように、さまざまなraceとclassを選択できるが、classには(wizが創始したとまず疑う者がいない)SamuraiとNinjaが既にある。それどころか、Valkyrieすらも存在する。(これはもっと以前の黎明期ゲームにさかのぼるかは不明だが、NetHack等の源流も思わせる。)
 しかも、wiz#1ではSamuraiに差し替えられているRangerが別に存在する。魔法使とドルイドの呪文を8レベル以上で習得するという点はAD&D1stとも一致し、D&D系のRangerそのものである(なお、wiz#6以降のレンジャー(いわゆる弓使い)がD&D系のものとはほとんど関係がない点には留意する必要がある)。一方、Samuraiの方はクロークのみ、シールドとヘルムなしという非常に軽装なクラスであり、魔術師系呪文などもなく、wizのそれとは全く異なることがわかる。おそらく、wizは一旦はRangerだけ残したものの、どうしても日本要素・Samuraiを入れたくなり、両者をくっつけたという経緯が想像できる。
 また、wizのBishopの原型(初期マニュアル名)であるSageもoublietteにすでに存在する。以前も述べたが、D&D系のSageはNPCクラスであり、呪文習得テーブルや就業条件などの細かいルールは存在しない。しかしながら、このoublietteのSageで、1レベルで魔法使呪文、4レベルで僧侶呪文というのちのwizのBishopのルールがすでに登場している。またIntとWisが各14という就業条件もwizのBishopを思わせる。
 ちなみにDOS版やiOS等版では、raceやclassがかなり少ないが、これはPLATO版には後から追加されたのか、それとも移植版で削られたのかは定かではない。

 なお、oblietteではアライメントのシステムも採用されているが、OD&D同様のethics (lawful-chaotic)軸のみである。wizのworldview (good-evil)軸はAD&D1stの簡略化、と言いたいところだが、仮に同様に黎明期CRPGに原因を求めるならば、これはworldviewのみを採用していたAvatarというまた別の同時期CRPGの影響である可能性も高い。
 oublietteのアライメントには、class就業制限の他、逆属性ではパーティーを組めない(D&D系では推奨はされていないが、必ずしもルール的制約はない)という要素もすでに見られる。


 同様のドキュメントから確認できるraceに関しては、あまりwizに関連するものはない。ただしRoguelikeサイトとしては興味深い。例えばホビットが、D&D系同様に高Conであり、低Vitのwizとは全く異なる。ノームは存在しない(これはAD&Dでは追加されるが、OD&Dの時点ではまだ種族ではなかったためであろう)。そして、UNIX-Rogueでおなじみの"Ur-Vile"種族があり、Angbandの[V]に先んじてハイエルフ"Eldar-elf"がある。
 これもwizとは直接関連しない点だが、モンスターテーブルやアイテムテーブルのドキュメントは、D&D系、特にAD&D1stの予備知識がないとぴんとこない話かもしれないが、NetHackやかつてのXanaduなどを覚えていれば、うすうす感じるかもしれない。これらはD&D系のアイテムやモンスターリストに由来する部分、特にD&D系独自のアイテムやモンスターが非常に多くなっている。


 ドキュメントの一番下には(攻略情報として)「全10階」のマップデータが掲載されているが、非常に(TRPG以上に)「wiz的」なつくりであることがわかるはずである。wizの、地図がイニシャルや名前になっているマップ同様、文字が埋め込まれたマップも存在する。これはwiz以後のRPGにもよくある仕掛けである。


 さて、ここまで述べても、wizがそれ以前のoublietteに酷似していることはwizフリークには認めがたいかもしれない。
 しかし実は、このoublietteのPLATO版を含むそれぞれのバージョンは、某掲示板の「wizライクゲーム」のスレッドに、何度か誤って(ライクどころかwizより先だとは夢にも知らずに)貼られていたことがある。これは、このoublietteのことをwizフリークが「wizをコピーしたwizライクゲーム」であると信じてしまったことを意味する。すなわち、それほどまでにwizと似ていること、oublietteがwizのフィーチャーをすでに網羅しているという点を、wizフリーク自身が証明してしまっているのである。


 はたしてwizがoublietteを模倣したのか参照したのか、それ以前のdndなどのゲームがハッカー文化内の相互オマージュで互いに模倣を容認されていたものを、wizが商品化に持って行った際になんらかの事情があったのか(ちょうど、ハッカー文化内で互いに模倣しつつ発展していたRoguelikeを、トルネコが丸写しし、商業化してさもオリジナルであるかのようにヒットしたように;一方、以前述べたTelengardは、アヴァロンヒル社がハッカーからきちんと買い取って販売していた)実のところ、wizにもそういった経緯の一部や確執が存在していたことを示すドキュメントや資料もいまだに確認できるのだが、それらの問題については、今回は言及しない。
 ここで確かに言えるのは、Wizardryの持っているCRPGの型は、突然変異的に現れたものでも、革命児でもないということである。ゲームルールとしての面では、AD&D1stからのwizの飛躍は非常に少ない、ということは、これまでにも仔細に渡って述べてきた。しかも、上述したように「AD&D1stに無く、wizの方には在る点」の多くが、oublietteの時点で存在し、それらはwizの創作ではない。加えて、CRPGのゲームシステムとしての面でも、それ以前のゲーム群からのwizの飛躍は、さらに微々たるものでしかない。
 wizはCRPGの始祖や原点ではなく、過渡的な存在のひとつでしかない。ここで原点でない、というのは、順番や時系列を云々する問題ではない。海外では(日本で現に行われていたり、日本で海外CRPGもそうなのだと信じ込まれているように)CRPGがどれもwizを丸写ししてきたのではなく、これまでも述べてきたように、wiz以前・以外の膨大な参照元が存在し、wiz以外(AD&D1stなり、PLATO/PDP用CRPGなり)を原点として多数創られてきた、ということである。
 問題は、「wizが最初ではなかった」、もとい、今まで日本人がwizを据え付けていた「元祖」の場所に、今後は単にoublietteの首をすげかえれば済む、という話ではない。欧米のCRPGは、一本の「元祖」を模倣していたのではなく、OD&D(AD&D)を直接模倣したり(dnd, dungeon, telengard)、その様々な模倣作を改良したり組み合わせたりして(oubliette, avatar, Rogue)発展してきたものであり、CRPGの一本の「元祖」なるものは存在しなかった、という点にある。





ぶれすぎた原点


 ノームという種族の話からとっかかるが、今回は別にノームが本題ではない。
 何度か述べてきた事情であるが、ノームはAD&D1stからプレイヤー種族として存在し、海外RPGでは古くから定着しているが、CD&D(赤箱シリーズ)ではモンスターデータにしか存在しない。日本ではAD&D1stが未訳でCD&Dだけが訳され、CD&Dが「最初のRPG」「wizの直接の原型」等と信じられているため、ノームをプレイヤー種族としたのはwizが最初(※1)等と流布されていることがある(というより種族とクラスが統合されているCD&Dが最初のTRPGなどと誤解されているため、クラスと分離した「種族」というもの自体、wizが創始した、などと信じ込まれていることが少なくない)。


 ファンタジイ辞典 〜 ノーム

>ちなみに『D&D』や『ウィザードリィ』などのTRPGでは、ノームはドワーフと
>同じような小人の種族として描かれる。特に『ウィザードリィ』では主人公の仲間と
>して用いることができ、ドワーフとの差異化が明確になされている。無骨なたくまし
>いドワーフとは異なり、信仰心の篤い知恵を持った種族として描かれ、職業として
>「僧侶」に向いているという設定になっている。これはその後のファンタジィに大き
>な影響を与えたといえる。


 「ノームのドワーフと差別化した特徴を設定したのはwizが最初である」、「ノームを仲間(プレイヤー種族)として用いたのはwizが最初である」、かつ「以後のFTは全てwizの直接の影響下にある」なる事項を疑いもしていない立場で書かれている。

 これを踏まえて、大概はスルーされているであろうフレーズに着目してみる。


 Wikipedia(j) 〜 Everquest 〜 種族、ノーム

>身体能力は若干平均より劣るが、知性は際立って高い。
>一方で科学に傾倒しているため信仰心が低く、
>旧来のファンタジーのノーム観と大きく異なる。


 つまり、「旧来のファンタジーのノーム観」が、「信仰>知性」「僧侶向き」であった、というのを、あたかも大前提であるかのように決めつけているわけである。

 「旧来のノーム観」とは何なのか。EverQuestのベースとなっている海外ゲームでのそれとは何のことか。AD&D1stの時点から、プレイヤー種族Gnomesは、「知性>>賢明」「魔術師(幻術師)向き」「科学・工学傾倒」であり、それを丸写しした多くの海外ゲームにおいても例外なくそうである。例えばの話だが、(滅多にこの種族が使われることなどないので、いまだに知らなかったプレイヤーが多い可能性もあるが)このサイトのメインのRoguelike、*bandでも、Moriaの時点から25年以上の間、ノーム種族は「Int > Wis」である。
 ノームが「賢明(信仰)>知性」「僧侶向き」になっているRPG自体、筆者はwizそのものか、それを故意に忠実に踏襲したものくらいしか知らない。そして、AD&Dの方をそのまま踏襲したゲームに比べれば、そんなものはごくわずかである。
 (そもそもEverQuestの能力値は、「信仰心(Piety等)」ではなく「賢明(Wisdom)」であるが、AD&Dの「賢明」のかわりに「信仰心」を選択しているRPG自体、wiz以外には滅多に見るものではない。)
 つまり、日本語wikipediaは、Everquestのノームは「AD&Dと共に普及した常識」上はごく普通のイメージでしかないにも関わらず、それを「wizがFTの常識」、wizだけを根拠に、wizと異なるのは「FTの常識と大きく異なるもの」などと決めつけて紹介しているのである。


 ここで今回の本題であるが、つまるところ、wizが「始祖」「元祖」「原点」「すべての基準点」であると信じこむ、というだけでなく、それを信じてしまうあまり「他のゲームも昔からどれも、wizに倣って同じようなノームを登場させているに違いない」、さらに言えば、「wizが原点なのだから、世界中のRPGは(※2)どれもwizを手本にして作られ、その要素を真似ることで、『旧来のFT観』が形成されている(※3)に違いない」なる現実と全くかけ離れたFT像が信じ込まれている側面が確実に存在する。
 さらには、AD&D1stを踏襲している多数のゲームを、半端に似ているあまり「これもwizを真似たゲームだ」と信じ込んでしまう事情(日本でのFF1等がこれにあたる)もこの先入観をさらに強固なものとしている。


 日本独自の、RPG世界どころか、FTの世界がwiz中心に回ってきたとでもいうような妄信、とはこういうことである。これは、日本ではどうやら予想外に根が深い。このEverQuestのような充実した丁寧な記事からでさえも、それがにじみ出しているのである。



※1 ただし、これは種族ホビットも実質たいした差はないかもしれない。こちらは起源(トールキン)がないがしろにされている、ということは特にないが、それでもLotR映画以前には、日本の(FTファンではなく)「ゲーマー」の大半は、ホビットなどというものは「wizに登場する種族」といった認識しか持っていなかったのが実際のところである(wizフリークに至っては、LotR映画公開後もそれをしきりに主張する姿が見られた)。

※2 忘れてはならないことだが、日本のいわゆるwizフリークは、JRPGを嫌うからといって海外ゲームに馴染んでいるでもなく、むしろ、「洋ゲー」には拒否感を示すような勢力が多い。外伝2好きで#6は食わず嫌い、などは典型的な例である。

※3 日本ではDQやFFやネットゲームで描かれる世界から、「RPG風FT世界」の原型が作られていることが当たり前にある。日本では、FT小説もTRPGも普及率が著しく低く、ごく一部のマニアしか見向きもしないのに比べて、CRPGの方がまだ「FT」としては知られているためである。なので、「海外でもwizの影響で・wizをベースにしてその後のファンタジイが作られているに違いない」なるものの存在を信じ込むことができるのだろう。
 しかし、海外では、大ヒットしているRPG風FT小説もTRPGもいくらでもあり、それらはCRPGのヒットとはスケールが大幅に異なる。たとえ「RPG風世界」であっても、「CRPG」だけの影響やベースでその原型が作られる、などまず普通に考えてありえない話である。もっと具体的に言えば、海外では小説ではLotRやハワードやムアコックを出すまでもなくD&D小説、TRPGとしてのAD&D1stに比べれば、wizなど微々たる存在でしかなく、ファンタジイの原型がwizから形成されるなど問題外である。





クリティカル


 wiz用語でもあるクリティカルヒットという言葉は「致命的打撃」、いわゆる「会心の一撃」としてTRPG一般では、例えば以下のようなシステムで表現される。

(1)成功判定の出目が充分に良かった時に、自動的成功とするもの
(2)さらに、(1)のうち命中判定の出目が充分に良かったときに、なんらかの特殊効果(ダメージの追加、防御力無視等)を伴うもの
(3)加えて、(1)の命中判定の出目が充分に良かったときに、アイテムや特殊技能の効果で(2)のような、あるいはさらに著しい効果を起こすもの(参照:ヴォーパルヒットルールの列記

 「wizのクリティカルはD&Dの赤箱シリーズにもあった」といわれることもあるが、実際には赤箱シリーズ=CD&D第四バージョン(84年)には、非常に厳密には(1)(2)は存在していない。(自動的「失敗」ならばある。)赤箱より後のCD&D第五バージョン(サイクロペディア。メディアワークス版等)や、無論、基本ではなくオプショナルルールやAD&D1stの選択ルールには文字通り山のようにある。
 一方、(3)の効果をもたらすアイテムならば、CD&Dの基本ルールにも幾つか載っているので、あるいは又聞きで、これがCD&Dにおけるクリティカル、として伝わったのかもしれない。
 AD&D2ndや3eでは基本ルールに存在し、「クリティカル」として定着しているのは、(2)のルールである。


 しかし、どちらにせよ、wiz#1の忍者やアイテムの首切の内部判定は、実は(1)−(3)のどれとも大きくかけ離れ、おそらく無関係のものである。
 忍者とアイテムのどちらも、通常の攻撃が1回でも命中した際に、別途、互いのレベルや運勢値に依存した複数回の判定を行うもので、しかも敵と味方でまったく判定が異なっている。つまり、命中判定における「自動的命中」「劇的成功」「効果的成功」等とは何も関係ない時点で、TRPGのクリティカルや、上述したヴォーパルヒット類とはまるで別物である。
 (なお、wizのTRPG版(『ウィザードリィRPG』等)ではこれとは異なり、D&D系の(1)−(2)と似て、命中判定の目で判定していることがある。そのため、CRPGのwizも同様であると流布されていたり、D&D系同様のクリティカルルールだったという風説が流れていることがしばしばある。)

 結局のところ、wizの首切はD&D系等のクリティカルルールではなく、「AD&D1stのアサシンの暗殺ルール」が元になっている、という説がある。アサシン(や、CD&Dのサグ)の暗殺は、完全に不意を打った際に暗殺テーブルに記載された一定確率(概ね基本50%で、レベル差ごとに5%程度だが、表はかなり不規則性がある)で対象が即死するというものである。実際のところ、私見では似ている判定とは思えないが、命中判定を除く消去法で現状の候補ではある。

 ともあれ、wizの首切=アサシンの暗殺判定と仮定した場合、忍者やアイテムの首切は「暗殺技術」を指しているもので、よく主張されているような武器(または忍者の手刀)の「鋭利さ」を指しているものではない。
 具体的には例えば、ハースニールの首切は、この剣の鋭利な切れ味を指しているのではなく、ひとりでに飛ぶことのできるこのマジックソードが、手から離れて敵の急所に回り込むオールレンジ攻撃のような場面を表現している、と読み取るべきである。


 もっとも、wiz#5以降では明らかに変わってくる。「達人の刀」や「村正カタナ」にある首切や、#6以降のキリジュツは、多分に暗殺を指したものではない。
 つまり、#5以降の首切やキリジュツ、多分に外伝のものも、D&D系や他のTRPGと似たようなクリティカルヒットを指している可能性があるのだが、当初の#1-3では明らかにそうではなかったのである。この違いも、#1-3での原型が何だったのかの考察を難しくしている。





シビア

 Wizardryシリーズが「ロストするようなシビアなゲーム性・高い難易度のために人気を博した」などという文脈は、特に、昨今のコンシューマ向けの(古参から十把ひとからげと叩かれる)新作群が出るたびの定番の大言壮語的な宣伝文句の一部として頻繁に出る。さらに、「ベースとなっているD&Dもそうだったため」などと言われていることもよくある。

 が、当然、実際にはTRPGではD&Dだけがそうだったわけではないし(というよりむしろ、AD&D等はともかく、ここでD&Dと呼ばれているCD&D(赤箱シリーズ)などは、当時の洋物TRPG群に比べれば、蘇生がファイナルファンタジー並に容易である)wiz発表当時は、wiz以外のCRPGも皆そうだった。


 というよりも、wizなど、そのへんは非常にヌルいゲームと言っていい。シナリオは皆無で、アタマを使うような要素はまったくない。「プレイヤースキル」などというものは存在せず、システムに慣れるか慣れないかくらいの違いしかなく、さらに、はっきり言うと慣れるのがwizよりも数段難しいゲームなどザラである。実の所、8bitPC版の当時、wizの”難易度”に関する言及はせいぜいが#3(LoL)の#1,#2に比較しての低報酬マゾゲー的な調整(PC版では顕著である)や、#4に対するもので、後者にしても今言われているような常識はずれの高難易度というほどの評は聞いたためしがなかった。
 wizに対する当時の苦言の大半は、「当時としても劣悪きわまりない『操作性』」に対するものだった。ゲーマーとして知られる(のちにサバッシュ等のシナリオを手掛ける)落語家・三遊亭円丈などは、PC88版wizのひっきりなしに回転し続ける低速フロッピーディスクに対して、メインルーチンがフロッピーの中に入ってるんじゃないか等と評した。
 上述の三遊亭円丈は同時に、wiz#1を「富士急ハイランドのようなゲーム」と評している。RPG一般の、ある程度は進行が固定(どこそこでレベルを上げなくてはならない等)しているものに対して、善でも悪でも、どこで何に乗り何と戦うことも可能な、自由度の高さを指している言葉である。
 つまるところwizは、操作性を除けば、シビアどころかむしろ「お気楽なプレイングができるゲーム」だったのである。


 その後、wizが「シビアなゲーム」として定着した理由は多々あるが、その最も大きな要因は、よりによって「FCで出たこと」および「移植に成功したこと」である。周りにそれ以上にシビアなゲームがなく、というよりもあったとしても移植に成功していたためしがなく、wizの操作性の問題がFCでは解消されていたことが大きい。FC版wizがそれほどまでに傑作と言われ続けてきたことは、ACが機能していない等のバグが山ほど発覚した今となっては(しばしば、そんな代物を延々信仰し続けてきたwizフリークの盲目性という言い方で)いまだに話題にのぼるが、結局のところ、実際に当時ウッドヘッド本人をはじめとして多くのゲーム作家がFC版wiz(あわせて、MSX2のROM版wiz)を傑作と評したその最大の理由は、別にゲームバランスだのアレンジだの硬派世界だの云々ではなく、単に「フロッピーディスクドライブが回らない快適さ」であったこともよく知られている。「操作性の良いwiz」というものがそれほどまでに求められ、また、実現するというのが、それほど凄いことだったのである。
 wizの(日本のwizフリークが信じる)位置づけには、様々な条件が積み重なっている。別にApple][版が出た時点で、本国で最初から、今のwizフリークがFC版に対して信じているような位置づけだったわけではない。
 初期wizが、日本でだけ人気が出て本国でそうでないことは、「不思議なこと」のように語られることが多いが、日本でだけこれほど異常な条件がさんざん積み重なれば、日本でのwizだけが異常な事態になるのは、ある意味では何も不思議なことではない。





CRPG化


 pixiv百科事典 〜 Wizardry


>後のゲームに影響を与えたもの

>複数のキャラクターを1括りとしたゲーム進行(パーティ制)
>ターン制の戦闘
>HPが0になる事によって戦闘に決着がつく
>経験値の蓄積によるパワーアップ


 もはや一体どこからどう突っ込んでいいのかさっぱりわからんほどのレベルである。


 とはいえ、上述のような要素までもが、「wizが創始した」といった論は、日本のゲーマーの間では長年流布されてきた。それに対して、最近は(あたかも、原理主義者的なwizフリークらから不当な攻撃を受け続けてきた逆襲でもあるかのように)「wizは創始などしておらず、何もかもD&Dの丸写しに過ぎない」という経緯について言及されることも頻繁になってきた。
 この最近の動きに対して、旧来のwizフリークは、「TRPGからCRPGへと変更せざるを得ない部分が多々あったはずで、それがwizの功績である」、と反論して食い下がることも非常に多い。


 しかし、ここでwizフリークらが根拠にしている「TRPG」というのが、話を聞いてみると、せいぜいが赤箱CD&Dや、下手をするとソードワールド以降のTRPGしか知らずにそれが根拠、ということも、また非常によくある話である。
 (上述のように「D&D」「AD&D」ではなく「TRPG」、「変更した」ではなく「あったはず」というような筆致がかなり多いことも、特にそうである。)


 例えばwizフリークの主張には、

「TRPGでは、一般に戦闘は避けた方がいい。戦闘から入る経験値もほとんどない。D&D(赤箱シリーズ)でも、戦闘よりも金貨から入る経験の方が多い。
 なので、『戦闘で経験を得てレベルを上げる』という要素はTRPGには無いもので、wizが創始したものである」


 というものが頻繁にある。
 ところが、ここでやはり注意すべきが、wizの原型になっているのはCD&D(赤箱シリーズ)ではなく「AD&D1st」であり、さらに、赤箱シリーズは「最初のTRPG」ですらなく、最初のTRPGであるOD&D(白箱)から派生した英語圏では非常にマイナーなルールにすぎず、D&D系の本筋はOD&D〜AD&D〜3e、4版である、という点である。
 そのwizの原型になっているAD&D等の本筋の話であるが、原型のOD&D(白箱)〜AD&Dから3e、4版に至る流れでは、原型がウォーゲーム(チェインメイル)だったということもあって、非常に戦闘のウェイトは大きいゲームである。(これはAD&D等では、魔法や技能も強力、つまり情報収集や状況解決の手段が非常に莫大に存在するため、それに依存するストーリー重視のシナリオを下手に設定すると、簡単に破綻してしまうためもある。)
 特に3eなどでは、敵を倒した際(正確にはトラップ等の脅威を取り除いた際も)の経験が主とされ、それ以外のシナリオクリアのボーナス経験等は「ゲームバランスを取るのに慣れるまでは推奨されない」とすら書いてある。つまり、『戦闘で経験を得てレベルを上げる』が中心であるに他ならない。
 実際の「最初のTRPG(白箱)」も「本筋」も、現在に至るまでそうであり、wizの創始でもCRPG独自でもなんでもない。


 一方、赤箱シリーズのCD&Dでは、戦闘が推奨されないことは事実である。これはルールブックの各所に明記されている。これは、CD&DがOD&Dからは、ましてAD&Dと比較すると大幅にルールが削減されており、ローパワーで選択肢が少なく、戦術性(ウォーゲーム的な楽しみ方)が非常に低いため、敵と戦うことなく金貨から大量の経験を得るゲームにならざるを得なかった、という側面にもよる。
 (ただし、ソードワールド等は少なからず赤箱シリーズの影響も受けている。)


 つまるところ、wizの実際のベースになっているAD&D1stは、CD&Dや、その他wizフリークがおそらく「TRPG」として想像しているものとは、まるで別物である。
 AD&Dには、「ダンジョンに潜って敵と戦いレベルを上げる」ために用意されたゲームシステムが、ソードワールド以降はもちろんのこと、赤箱からもおそらく信じられないほど充実している。AD&Dには、モンスターやトラップや迷宮ギミック、ダンジョン冒険における状況に特化した要素がオーバーロード(山積みし過ぎ)に詰め込まれている点は、*bandの用語集の方でも折に触れ、頻繁に述べてきた。
 AD&D1stでは、DMGの記載にしたがって、ダンジョンはマップから内容物からすべてダイスで自動生成できる。(3eのDMGを見て驚いたという人もいるが、シナリオの内容(ストーリー)も自動生成できる。)
 あとはダイスを振る役だけコンピュータにやらせてしまえば、もう全自動でRPGができてしまうのではないか、と誰でも考えてしまうくらいの情報量が、すでにAD&Dのルールブック群には揃っている。
 wizについて巷でしばしば言及される、「D&Dをコンピュータシミュレータ化したもの」だの、「DMの役をコンピュータにやらせた」だのは、6割がD&Dシリーズへの(というか多分にTRPG自体への)無知、4割が単なる無思慮の放言であるとみていいが、結果的に言って、実はwizと(CD&Dでなく)AD&D1stを比較した場合には、それほど外れてはいない表現なのである。


 無論のこと、AD&DをCRPGに落とし込むにあたって、wizの功績がないわけでもない。だいたい、単純に落とし込むといっても実際にうまくいくとは限らない。現に、「8ビットマシンの制約の中で落とし込む」ものを見ても、D&D系公式のゲームだけでもプールオブレイディアンスやFRUA等(ゴールドボックスシリーズ)のようなうまくいったものもある一方で、ヒーローオブランスやヒルズファーのような、どうしてこうなった、とでもいうような代物もあるのだ。
 しかし、AD&D1stを知らないwizフリークが他の「TRPG」に対するイメージで想像している図式よりは、おそらく「AD&D1stとwiz」の間は遥かに距離や飛躍の少ないものなのである。





体力ポイカト


 「ヒットポイントは『体力』ではなく、致命傷を避ける技術を総合したものである」という『ウィザードリィのすべて』におけるベニー松山の『解釈』を、いまだに(2013年現在)手放しで絶賛し続けているwizフリークをはじめ、日本のRPGファンは多い。
 商用、非商用問わずRPGの、しばしばwizライクの作者が、「ウィザードリィのすべて以外には、hpについてこんな優れた『解釈』を読んだことがない」と公言している。wizフリークの間では、hpというものが登場する数あるRPGの中でもwizのプレイヤーがこの解釈を行ったとして、例によって「だからwizの考察は深い」「だからwizプレイヤーはRPG上級者」といった問題にすりかえる例も少なくない。


 しかし、このサイトでも用語集をはじめ既に色々な所に書いていることであるが、AD&D1stのPHB(プレイヤーズハンドブック、78年)に、hpとは肉体の頑丈さだけでなく致命的な打撃を避けるための戦闘技術をはじめ、戦闘を継続する能力の総合的な値だということは既に書かれている。
 wikipedia(13年9月現在)にもこの考え方はヒットポイントに対する『解釈』のひとつであるかのように書かれているが、元来、これは『解釈』などではない。元々hpというものを創始したD&Dシリーズにおける記述であり、hpとは最初からそういうつもりで作られていたものに他ならない。
 (ベニー松山がAD&D1stのPHBをじかに参照して問題の記事を書いたのか、それとも車輪の再発明のようなことをしてしまったのかは、今回は特に追及しない。)
 この『解釈』に対する賞賛は、「『hp=体力』という認識が一般的な中で、一線を画した画期的な解釈」といった筆致であることが多い。しかし、そもそも、その「hp=体力」なる珍妙な認識自体が、他国ではFTやRPGのファン共通の当然の認識(※1)となっているAD&D1stの輸入に日本だけ失敗した上に、CRPGの輸入にあたって「ヒットポイント」に対して「体力」などという出鱈目千万な訳語をつけてしまった日本の限られたプレイヤーの間にしか元々存在していないもの、という言い方もできるのだ。


 それらも今回は特に深くは追及せず、最初に触れた点に戻る。「hpについて『ウィザードリィのすべて』以外にこの『解釈』に読んだことがない」と公言するゲーム作者は、つまるところ、「D&DシリーズのPHBを読んだことがない」ことを公言しているに等しい。
 無論、AD&D1stを現在のゲーム作者に求めるのは現実味を欠いている上、明らかにその必要もない(ただし、80年代の日本のPC用RPGの作者らは、AD&D1stのハードカバーの数々は当たり前のように読んでいた)。しかし、実の所、似たようなhpの定義は、現在和訳されているD&D3.Xe(こちらはもっと詳しい)や、4版のPHBにも書いてある。つまり、『ウィザードリィのすべて』以外にこうしたhp解釈を読んだことがない、というのは、これらのPHBも読んだことがないということである。RPGやましてwizライクを作ろうとする者が、RPG自体の基本中の基本(※2)であるD&D系のしかも最初に読むPHBも読まずに「wizのすべて以上に優れたhpの解釈は存在しない」「RPG上級者」等と発言しているならば、wizの将来はかれら自身の自覚よりもさらに遥かに暗澹たるものではないのか。



※1 AD&Dがいかに当然のものであるかは、例えば、海外の初期のCRPGの内容やドキュメントがしばしば、「AD&Dに書いてあることなので別に説明する必要はないだろう」というのが当然のような態度で作られている(NetHackの各種数値やルール、文書が好例である)ことからも、顕著に読み取れる。

※2 もっとも、古いD&D系のコアルールがどれほど徹底的にRPGの「基本」に横たわっているのかは、現に読むまでには想像すら不可能なほどのレベルかもしれない。システムばかりか、wizフリークが独自に考えついたと信じていた『解釈』すらも、とっくにPHBに書いてある等は、ごく一例にすぎない。





年譜


 石垣環のwiz漫画(宝島の大判、93年)の巻末に、「wizの歴史、RPGの歴史(といいつつwizの関連商品のことしか書いておらず、いかにもFTそのものの歴史がwiz中心に回ってきたかのようなお約束的なもの)、日本の社会事件」を並べた、いかにもそれらしげに見せた「年表」が付属している。


>74年 ウィザードリィの発売に先立つこと約7年、
>テーブルトークRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」
>が発売される。


 当時日本には「D&D」として「赤箱シリーズ」以外が存在していたという認識は皆無であり、その上でこんな書き方をされれば普通は「日本で発売されていた赤箱シリーズ=1974年に出た最初のRPGの最初のバージョン」だとか何とか思うしかないのはやむを得ない。
 本当にくどいようだが、赤箱は「CD&D(ベーシックD&D)の第4バージョン(83年)」の訳にすぎず、最初のTRPGでもなければ、「最初のTRPG=OD&D(白箱)」とはかけ離れた内容の派生ルールである。wiz#1の原型はAD&D1st(77年)であり、wizより後出の赤箱はほとんど何の関係もない。


>80年 「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の第2版が完成。
>アメリカにおけるテーブルトークRPGの普及に拍車がかかり、
>ウィザードリィのヒットへの素地ができる。


 なんじゃこりゃあ。
 80年に第2版が完成っていったい何だ? 無論、AD&D2nd(87年)はありえない。かといってAD&D1st(77年)だとも到底考えられない。CD&Dの改版(81年)とも微妙に合わないし、それ以前にまさかそんな代物のことを、こんな言い方はしないよな?
 これはどうしてこうなったのかは想像もつかない。おそらくは、よほどの又聞き伝言ゲームを繰り返したその産物だと推測する以外にないが、真相は「初代Rogue75年説」のような闇の中であろう。

 しかし、wizの関連書籍の記載の一語一句を聖典として崇める和製wizフリークにとって、こんな程度の精度しかない情報に訂正の機会が与えられることすらなく連綿と定着してきたのであろうし、正直、今後もそうであろうことは想像できる。





ディスペル


 FF用語辞典wiki- デスペル

>名前の元ネタはウィザードリィの特殊能力「ディスペル」であろうか。
>ただしこちらは「アンデッドの呪いを解いて戦闘から離脱させる」効果で、
>FFの「耐性を打ち消す」や「状態変化を打ち消す」効果とは全く異なる。


 この直後にD&Dのディスペル・マジックに関するフォローが入るが、上記はD&D系について特に知らない者から見ても到底信じがたい話の流れだと思われる。
 最初の論者は、一体なぜそこで何の関係もないと明らかにわかるwizのディスペル能力の話を持ち出したりしたのか。

 実のところ、「wizが元祖」「wiz以前に遡れるRPG(TRPG含め)は存在しない」と頭から信じ込んでしまった結果、RPGやFT全般の要素・用語を何もかも、無理やりwizの要素・用語から探そうとしたり、まったく関係ないwizの要素にこじつけたりしてしまうのは、レトロゲームでは旧来当然のように行われていたことで、その中にはいまだに根強く唱えられている説も多い。FFファンよりwizフリークがいまだに常日頃それを行っているが、今回はその話は省く。



 wizのアンデッドを破壊するディスペルの方であるが、この元は、CD&D、AD&Dでターン・アンデッド(聖職者系の特殊能力)を行った際に、充分に聖職者側の力が強いと「ターン(退散)」のみならず、「破壊(ディスペル)」される、と呼称する効果である。
 ただし、特殊能力の名称はあくまで「ターン・アンデッド」なので、「ディスペル・アンデッド」という名称は、日本ではCD&Dプレイヤーですら知らないことも多い。まず、 ディスペルの効果は聖職者の能力がまだ弱い最初の赤箱(レベル1−3をカバーする)にはまだ出てこないので、「D&Dを知っている」と自称していても実際は赤箱までしか知らないwizマニアがD&Dにはディスペルなどというものは無かったと吹聴していることがある。また、ディスペルの効果が登場するのは青箱(レベル4−14)以降であるが、これがターンアンデッド判定表には「D」というマークはあるのだが、これがDispelの略だとは、CD&Dの和訳ルールのどこにも書いていなかった。(破壊なのでDestructionだのDisruptionだと思っていた、という者も多く、というか鳥取によってはふざけてわざとそう呼んでいた。なお、青箱の原語(英語)にはdestroyed ...と説明されている箇所はある。白箱にはDispelled/dissolvedと併記されている。)D=ディスペルと書いてあるのは、和訳されたものでは(かなり後で、目にした者も少ない)AD&D2ndである。そのため、wiz和訳の「呪いを解く」とCD&Dの「ターンアンデッド」が結びつかず、wizファンの間に「ディスペルはwizオリジナル」という風説が拡大した、という側面がある。
 wizのようなCRPGでは、(一部除いて大半が)ランダムに登場したモンスターのアンデッドが「逃げ去っても」「その場で破壊されても」ゲーム上はたいした差がない。そのため、退散(ターン)を省いて破壊(ディスペル)の方の効果で統一したと思われる。破壊の場合だけ経験値が入る、といった差別化もできる気がするが、要は容量の限られたwiz#1当時は煩雑を避けたのであろう(なおディスペルで経験が入る場合があるのは、エルミナージュなどのwizライクに採用されている)。


 FFでは、こちらのディスペルの流れをくむと思われるのが、FF1の対アンデッド攻撃の白魔法「ディア」系魔法である。名前の由来には「ディ」スペル・「ア」ンデッドの略という説があり、だとすればこれも「wizオマージュで作られたFF1」云々ではない、その元のAD&Dの方のみの直接由来の流れで実装されている要素のひとつである。ただし、効果そのものはAD&Dからもかなりの別物(呪文スロットを費やし、直接ダメージ魔法)になってしまっているため、発想のみ採った実質オリジナルと考えてもよいかもしれない。


 CD&DとAD&Dのターンとディスペルの効果はかなり差があるが、回数無制限の能力であることもあって、いずれも高レベルではかなり限られたものである。高レベルのアンデッドには体を破壊されても霧化したり本体には影響がないもの、ターン能力自体を回避するものもいる。(D&D系でもレベルやヒットダイスとの比較や、ターンアンデッド能力(正物質界のエネルギーの放射)を他の用途に用いるといったすっきりしたルールになるには3e以降を待たなくてはならないが、こうなってくるとwizのディスペルからはますます遠ざかってくる。)
 これに比べるとwizでは、単純にヒットダイス(モンスターレベル)の比較を成否確率のベースにしているため、低レベルではD&D系と似たようなものだが、高レベル域においてもアンデッドに極めて有効なものとなっている。経験が入らないためもあって、レベル上げを主目的とするプレイヤーからは非常に軽視されていることも多いが、かなり強力な手段である(ただし、軽視されているが故にデバグも充分に行われないのか、一部機種やシナリオでバグで有効に機能しないことも多いため、ますます選択肢として除外されがちという側面もある)。





最大ダメージ信仰


>シナリオ#1の戦闘バランスに対して村正は攻撃力が不自然なほど高く設定されており、
>最大ダメージは、#1中で二番目に攻撃力が高い武器の三倍以上になる。
(wikipediaより、2013年5月)



 Wizardryの日記やレビューサイトでは頻繁に、「最大ダメージ」で武器を評価しようとするものが見つかる。それはwikipediaに堂々と書かれていることからも、決して一部ファンだけそうしている、といったものではなく、かなりおおっぴらに行われているものと言っていいのかもしれない。
 例えば、KoD(PC#2, FC#3)について、
「光の杖(4〜18)の威力は、カシナート(9〜12)を大幅に上回り、エクスカリバー(11〜18)と同等として評価されるべき強武器」
 といった主張が見られることがある。


 実際のところ、武器攻撃力の評価上意味があるのは最大値ではなく「期待値」である。ダイスのほんの3個ほどの数値の合計ですらも、まして10回も攻撃すれば、武器攻撃の実ダメージの合計は期待値x10近傍へと限りなく近づいていくといってもいい。
 上の例で言えば、光の杖(2d8+2, 期待値11)は期待値ではカシナートと同じで、無論、ソード+5(FC版でのエクスカリバー、1d8+10、期待値14.5)との比較になればまさに問題外である。期待値が3.5違えば、10回攻撃した1ラウンドごとの総ダメージは35の差が出るわけで、その攻撃力の差は歴然としている。光の杖のカシナートと同等というのは、非前衛職にとって(特に、非前衛職でも打撃能力が上昇しやすいFC#3系では)注目に値するが、一方でソード+5を装備できる職にとって、(ST(命中率)やAT(攻撃回数)の低さからも、仮に不死倍打を考慮したとしても)光の杖をそれと同等などとみなせるような動機づけは決してない。



 ちなみに村正(10d5)の期待値(30)は、カシナート(1d3+9)の期待値(11)の3倍には及ばず、1割ほどの値が劣る。近い値とは言えなくもないが、だからといってwikipediaのような「最大ダメージが3倍以上だから攻撃力3倍以上」であるかのような書き方に問題ないというわけにはいかないだろう。
 なお、例えば村正のダメージは#1では10d5だが、日本製の外伝には、外伝2、3、ディンギル、戦闘の監獄など、どういうわけか5d10になっているものがいくつか存在する。外伝2、3等では、5d10では期待値27.5なので、上位武器の期待値を村正未満にするため似たような攻撃力になっている(ただでさえ#5系システムの外伝では他の武器の攻撃力が高くなっている)だとかいう事情がしばしば聞かれる。しかし、戦闘の監獄では、(詳細は割愛するが)アイテムが魔法で強化されたときにそのシステム上、村正がロングソード+5より弱くなることが多いだとか、この上もなく不評である。
 この『5d10の村正』は、外伝2の値をそのまま写したといわれるが、外伝2のデータの理由(そしてなぜ外伝4だけ8d6+2と異なっているのか)には諸説がある。例えば、10d5でなく5d10は『Wizardryプレイングマニュアル』に由来するという説があるが、これがただの誤字なのか、後出作品の設定側がこの誤字を鵜呑みにしたのか、それとも何かの意図があってこちらに設定したのか、ここまで定着してしまったはっきりした経緯はわかっていない。
 何にせよ、その理由の推測のひとつに5−50で最大ダメージは同じなので、「最大ダメージしか見てなかったせい」ではないか、という考察があるが、これはかなりもっともらしい説だと言わざるを得ない。



 なぜ日本のwizフリークが「最大ダメージ」のみに異常に偏執するのか、その理由は皆目わからない。
 中には(特にwizのTRPG版経験者には)期待値についても言及しつつ、最大ダメージのことを、「ロマン」と表現する者もいる。悪のサーベル(4〜13, 1d10+3, 期待値8.5)がカシナート(10〜12, 1d3+9, 期待値11)より最大ダメージが大きいので「ロマンがある」等である。が、ロマンというのはあくまである程度の希望あっての話で、例えば1ラウンドごとのダメージ(10回攻撃した際の合計値)を比較したとして、悪のサーベルがカシナートより合計値が大きくなる確率の低さたるや、ロマンもへったくれもあったものか、というレベルである。

 一部のゲーマーなどは、このwizフリークの体質について、TRPGを未経験なせいではないか、と主張する。最大ダメージのみに偏執する者は、wizのダメージがダイスで決定されているという点、それがどういう意味なのかを感覚的・直観的に理解できていないことは確かに思える(ちなみにPCE版のように、ダイスではなく最少ダメージ〜最大ダメージの範囲を均等に発生している等、本当に理解しないまま移植されてしまったものも存在する)。しかし、それも説明されれば普通にわかるような話なので、レビューを書くいわゆるベテランやwikipedia執筆者が長年延々主張し続けるには、理解を積極的に妨げている他のなんらかの大きな事情がある、とも考えられる。
 ひょっとすると、DQやFFの武器の攻撃力の表し方、「+50」等の直接的な「攻撃力」の数値をwizの武器表から何でもいいから探そうとし、ダメージの「最大値」の部分がそれにあたるような漠然とした先入観を抱いてしまっているのか、すなわち、普段からwizはDQやFFの始祖と主張するwizフリークの側が、無駄にDQやFFの影響、プレイ経験や感覚に縛られ続けている、といった経緯があるのかもしれないが、あてずっぽうの域は出ない。





なぜ宿屋に泊らないとレベルが上がらないのか


 これはMPやHPの回復等と異なり、別に泊まったり休んだりすることでレベルが上がるという話ではない。
 wizの直接の原型であるAD&D1stでは、のちのCRPGで多数派になったように戦いが終わって経験が入ると即座にレベルが上がるというものではなく、レベルを上げるために「数週間の訓練」が必要となっていた。
 この他に、レベルを上げる際には、叙任された、ギルドから任命を受けた、殴り合い(ドルイドファイト)で勝ち抜いた、等のイベントが必要なことがあるが、クラスやセッティング(DMの選択)によって大きく異なる(なお、AD&D2ndでは訓練自体がオプションルールである)。
 訓練や叙任などが必要なのは、元々AD&Dの「レベル」というものが、軍隊や組織の階級や序列のようなものと定義が幾分重なっているためである。


 つまり、wizはおそらく、宿屋に何週間単位で泊まったというタイミングを、ちょうど訓練期間にも充てている、と想定していると考えられる。AD&Dに倣っている以上、レベルアップはどうしても時間経過を伴う処理と同時に行わなければならないという考え方である。ゲームの内部動作上は、他の能力値変化や年齢といったキャラクター能力全般の調整と同時に処理するため、という便宜もあるだろう。
 (追記:wizのシステムを多く模して同時期に作られた『バーズテイル』では、宿屋のかわりに「評議会で審査を受ける」ことが必要である。一見すると、wizと異なるように見えるが、AD&Dの上述の叙任等のイベントを要するレベルアップと、意味するところは実は同じである。Ultima4などや、さらに後出のファルコム等のJRPGの、城で謁見してレベルアップするものも同様である。)


 なお、レベルや経験について余談だが、wizフリークがしばしば流布している、「wizのベースのD&Dでは持ち帰った金貨の値しか経験値にならなかったので、戦闘によって経験値を得るというRPGの常識はWizardryが創始したオリジナル要素」という説は、明らかにCD&Dすら未経験者の伝言ゲームによるデマである。実際はたとえCD&Dであっても、経験値は戦闘:金貨で1:3の割合であり、戦闘からも入る。さらに、本当のwizのベースであるAD&Dでは戦闘による他に、イベントによるボーナス経験値の制度もある(魔除けを持ち帰った際の経験に相当するのがこれである)。2nd以降になると、職種とその行動によってかなり多種のボーナスがつくようになる。





プリーストパンチャー


 KoD(FC#3, PC#2)等に登場するプリーストパンチャーは不確定名swordであるが、日本の攻略サイトの類にはパンチという名から推測されたとおぼしき「殴打用のナックル状の武器である」という説で紹介されていることがある。

 が、一方でpunchにはパンチ(殴打)ではなく、「穴をあける」という意もあり、こちらという説も存在する。実のところ、穴あけの方が妥当であると推測される。
 そう感じる根拠としては、同種の武器であるメイジマッシャーのmusherの方が「つぶす物」という以外にはとれないことから(いくらカナダだからといって、マッシャーを「犬ぞりレースの騎手」の意には解釈できないだろう)これらが穴あけパンチ機器や圧搾ミキサーのような日常品のノリのネーミングを思わせる、という点がある。"p"riest "p"unchとか"m"age "m"ushとか韻を踏んでいるようでたいして踏んでもいない語感を優先したとも思われるのだが、そんなふざけたネーミングの態度からも連想されるのはそれなりのお気楽な絵面である。

 穴あけ武器だとすれば、プリーストパンチャーは刺突武器のレイピアの類かもしれないのだが、あるいはそれ以外の穴あけパンチ機器(hole puncher)そのまんま、手持ちなら切符を切る時に使うアレのでっかいやつとかかもしれないし、台所用品ならクッキーを作るときに型を抜くやつかもしれない。なにしろカシナートのミキサー剣が不確定名swordなのだから、ソレらがswordでも何も不思議はない。


 クイジナート・ミキサー程度で大騒ぎしているような場合ではない。防具の方に、ガントレットではなくて「winter mittens」(あるいは、鍋つかみ)やら何やらが混ざっている点もそうであるが、あたかも『ガオガイガー』に出てくる超トンデモ科学ハイテク巨大装備が何から何まで脱力物の「日曜大工道具」のような形状をしているのと同様、wizの世界とは、マジックアイテムの数々として台所やら居間にある日常品の数々が不気味にねじまがって武器防具の形になった代物で埋め尽くされている光景、というのがむしろ当然あり得る帰結である。



とある解説に、
「ベイキングブレード:外伝2に登場する剣。その名はリルガミンの女王『ベイキ』から取られている。」と、- more



「時にシャアよ…お前にはもう一つ訊いておきたいことがある」
「はい 何でしょうかキシリア様」

「ワードナの魔除けだからアミュレットオブワードナ
ダイヤモンドの騎士の小手だからコッヅガントレット
ついて行けぬな連邦のネーミング・センスには……」
「はは……まったくです」

「で
ベイキングブレードの『ング』
とは何だ?」





FF、DQとwiz


 これはそのうち比較表などでまとめなくてはならないが、このサイトの話題の中でも特に頻繁に個人的な質問を受けるので、手っ取り早く一度述べる。
 wizフリークからは、FFやDQは「wizの模倣」ともっぱら主張されている。そして、特にwizの派生であると主張される(ときには糾弾される)ことが多いのは、どちらかというとFFの方である。それは、FF1には以下に挙げるような、「一見するとwizと共通している要素」が多いように見えるからで、それらをもって、FF1はwizオマージュで作られた作品、との言が流布されていることが非常に多い。

 しかし、主張されている以下のような要素はすべて、wizを発祥とするものではなく、wizの直接の元になっているAD&D1st(1978年のTRPG)の時点から既に存在する。


「魔法の回数制」「攻撃回数制」「ダイスロールのためにばらつきの大きいダメージ」
「毒消し呪文がレベル4」「蘇生呪文がレベル5」「脱出呪文がレベル6」「石化回復(可能)呪文がレベル6」「対多数攻撃呪文がレベル3以降」等:それぞれ、AD&DとCD&DのNeutralize Poison, Raise Dead, Word of Recall, Heal(CureAll), Fireball等がそのまま該当。さらに、FF1にはresist/protection系(「バ」系)、Mordenkainen's Sword(セイバー、AD&Dでもレベル7)、timestop等がAD&D1stのスペルリストからそのまま写されており、これらはwizには存在せず、明らかにwizではなくAD&Dから踏襲された呪文リストであることがわかる。なお、#1-3のwizの呪文はメイジ、プリースト呪文とも*全て*、呪文レベルも効果も対応する呪文がAD&Dに存在し、そもそもwiz#1-3独自・発祥・起源の呪文というものはほぼ存在しない(#5や#6-8はかなり異なり、wiz独自のものが多くなっている)。
「炎、雷に比べて氷の呪文だけレベルが高くなっている」:wizで炎がマハリト・雷がモリト(3レベル)、氷がダルト(4レベル)以上であることの模倣、などという主張。実際はAD&Dはもちろん、CD&DですらFireballとLightning Boltが3レベル、Ice Stormが4レベルである。D&D系以外のTRPGでも氷の方が上級という序列は何ら珍しくない。なお、モリトが「雷(サンダー)」となっているのは和訳版や外伝のみで、wiz#1の原語(英語)マニュアルでは"sparks"となっており、厳密には雷ではない。したがって雷の呪文がwiz発祥・wizから写したという理屈づけは成立しない。
「即死がやたら多いバランス」
「魔法を使える戦士系上位職」:FFの「ナイト」等が、wizのLordやSamuraiの模倣である、などという主張。AD&DのPaladin, Ranger(これらはwizのLordとSamuraiの原型である)及び膨大な戦士系サブクラス、CD&Dのパラディンやアベンジャーが該当
「レベルを保ったままの上位職へのクラスチェンジ」:FF1終盤のクラスチェンジが、盗賊の短刀の模倣などという主張。AD&Dのスプリットクラスや、CD&Dの緑箱上位職へのクラスチェンジが相当。なお、wizの「レベルが1まで戻る」訓練所での転職はAD&Dのデュアルクラスという転職システムが相当
「2系統魔法が使える職」:FFの赤魔がwizのBishopの模倣である、などという主張。赤魔は物理攻撃力や装備を含めた万能性から見ても、AD&D1st(基本ルールだけを見ても)の(Old)Ranger(戦士系装備、魔法使とドルイドの低レベル呪文が使用可)、(Old)Bardや、MU/Clr、Ftr/MU/Clr等のマルチクラッシングキャラに近い。
「盗賊の上級職が暗殺者系」:欧米RPGでは盗賊の上級職はそのまま盗賊系になっており、日本やその影響の東洋のRPGで盗賊の上級職がアサシンや忍者などの暗殺者系なのはすべてwizの影響、などという主張。そんな事実はない。欧米でもAD&D1stの時点でAssassinやNinjaが盗賊のサブクラスである。
「ダンジョンが小部屋と扉からなる構造をしている」:どうもDQのような形状とは違うのを、wiz由来である、などと言いたいらしい。まさに論外であるが、wiz以前のTRPG(AD&DやCD&Dに限るまでもなく)はもちろんのこと、70年代の最初期CRPGやwizと同時期のCRPGから当然である(なお、さらに遡るとLotRのモリアに由来する)。
「発動で呪文効果を発揮する兜や小手」:後期FFには兜や小手にこうしたものが少ないため、FF1のそれはKoD'Sアイテムの影響である、などという主張。wiz以前のTRPGやCRPGでもごく一般的である。NHや*band等の膨大な例を引くまでもない。
「無装備で打撃と防御が上昇する職業」:FF1の「モンク」はwizのNinjaを模倣したものである、などという主張。忍者を模倣して何がどうとかいう以前に、AD&D1stには1978年の基本ルールの時点で性能も名前すらもそのままのMonkが存在する(なお「D&D(黒箱)ではMonkでなくMysticだったはず」なる主張があるが、この黒箱のCD&D自体が後出であり、これを最初期RPGとするのは誤りである)。FF1には「忍者」自体が別に存在しているにも関わらず、モンクの方もwizの忍者を写したもの、などと強弁するのはAD&Dを知ってみればひときわこじつけが甚だしいが、wiz以前に遡れるものを知らないあまり、脈絡を無視して無理やりwizに起源を結び付けようと試みるのはwiz原理主義の常である(参照:ディスペル)。


 (なお、wizのAD&D要素には、和訳されていたCD&D(赤箱等)にもあったためTRPGゲーマーを中心に「D&D要素」として比較的によく知られている要素と、CD&Dには無く知名度が皆無なAD&Dの方にしか無いために「wizが創始した」などといまだに断言され、一般のゲーム談義中においてはほとんど訂正されることがない要素が混在している。)

 元来wizのシステムの大半がAD&Dのそれを丸写し(呪文レベル、リストまでも)しているので、wizに見られるシステムが実はAD&D由来というのはごく当たり前でしかないが、そればかりか、FF1には、むしろwizよりもその元のAD&Dの方での形に遥かに近い形で実装されているものが多い。さらには、FF1のアイテムやモンスターのうちの莫大な量、むしろその大部分が(wizでなく)AD&Dの丸写しであることは、常々指摘されている通りである。これらから考えて、FF1の上述の要素も、大半がwizの模倣とやらで踏襲されているのではなく、AD&Dの方に直接由来している、と考えるのが妥当である。
 上のようにwizと思っていたら実はAD&D由来だった、というものを全て除いていき、「wizの側」「だけ」に直接由来すると思われるものだけを残すと、「正宗」(これらも果たしてwizだけといえるのか、疑義はかなり残っている)等の、非常にわずかしか残らない。
 仮に正宗が直接wizの引用であるとしても、CRPGはいずれも多少なりとも先達であるwizやUltimaの影響やオマージュがあり、単にFF1の正宗程度の和風要素・wizとのさほど近くもない共通性ならば、それ以前の8bitPCのCRPGには何も珍しいものではない(FF1の正宗は侍専用などではなく、それはAD&Dの日本刀も、それに準拠した他のRPGでも同様である)。「村正をwizから丸パクして正宗にした」と、「それまでのCRPG・TRPGに当然に倣って日本刀を登場させ、名前は村正のオマージュで正宗にした」では、ニュアンスは全く異なってくる(後者になるとそもそも「wizの影響」自体が必要かどうかが大いに疑わしいが、現にFF1は制作側からwizの影響自体はあることは公言されているため、これ以上は追及しない)。
 結果的に、FF1内のwiz直接由来の要素が占めている割合は、他のCRPGに比べれば、際だって大きいものになっているとはいえない。
 つまり、FF1はwizではなくAD&Dを親とし、wizとFF1は同じAD&Dを親とする「兄弟関係」、同列にあるといっていい。


 DQの方はどうか。DQにもなにげにAD&D由来の要素は少なくなかったりするが(アカイライの解釈等 ※1)、ポイントとなる判断基準として、実は、初期DQ1−3やその完成形態であるフリーパーティー編成制のDQ3などでは、「AD&Dには全く存在しておらず」、「明らかにwiz『だけ』からの流れをくむ」要素がかなり多い。例えば、スキルシステムを採用しないにも関わらず以前の能力をある程度保ったままクラスチェンジを行うため、呪文と能力数値の一部だけを残して転職するシステム、戦闘時の隊列(敵のグループ制)、といった大枠から、以前述べた「いのりのゆびわ」のような回数チャージではなく確率で破壊されるアイテム、KoD'Sアイテム由来の可能性が高い(断言はできない)王者の剣や力の盾、AD&Dの奇跡呪文limited wish/wish (ハマン/マハマン)を「ランダム効果(パルプンテ)」として実装した点、物理的配置やグループをとわず全敵にダメージを与える爆発系呪文(イオナズン)のような、非常な細部にまでわたっている。DQの直接の模倣元と言われる『夢幻の心臓』シリーズはwizとUltimaの折衷型であるが、にも関わらず、DQにはその元のwizの方から直接採られているシステムが目立つ。

 つまり、よくある主張には反して、FFは(他のCRPG以上には)wizの子孫とはいえず、対してwizの直接の子孫の地位を逃れられないのはDQの方である。


※1 質問を受けたが、アカイライ(アチャイライ)という名自体は南米の伝承に現れるが、これを「走行する巨大な嘴の鳥」とする解釈はAD&DのFiend Folioに見られ、DQはここから採った可能性が高い。





マバディ顛末


 回復呪文と逆呪文についてさらに聞かれたので続く。「バディオスで止めをさせない」ことにすべきという発想の元に、「マバディが止めをさせない」呪文である、という点があるらしい。
 すなわち、マディは「全快」呪文だが、逆呪文であるマバディ(ラバディ)はhpを「全部奪う」のではなく「数ポイント」残す。実はこれについても、正逆呪文が一対一で対応していないのではないかという主張もwizプレイヤーからは述べられてきた。


 ところがぎっちょんであるが、元々wizのマディの原型にあたるAD&D1stのHeal(及び、CD&DのCure All)呪文は、「全快」呪文などではなく、「1〜4又は1〜6ポイント(1d4,1d6)の負傷だけ残る」という呪文だった。マバディの原型であるHarmと、本当に一対一で対応する呪文だったのである。
 なぜこんな呪文になっているのか、その意図はまるで不明である。本当に逆呪文であるHarmと対応させるという、それ以外の理由は何もない可能性もある。
 (なお、もっと低レベルのバディが「即死」呪文であるにも関わらず、「即死させられない」このマバディに一体どういう意味があるのかどういう存在意義があるのかという疑問が昔からwizファンの間では述べられているが、AD&D1stの呪文リストを丸写ししたのでHarmに相当する呪文も入っている、という以外に意味などは大してない。一応、内部判定が異なるので敵が使う場合にはバディとマバディでは違う挙動を示すが、とても存在意義などと言えるものではない。)


 CD&DのCure Allの方はTRPGプレイヤーにはかなり定番の語り草なのだが、仮に最初からhpが4とか6ポイント未満の者にCure Allをかけるとどうなるのか。例えばMax3hpの虚弱な1レベル盗賊が2点のダメージを受けて1hpになっているときに、Cure Allをかけ、ダイス目の結果「4ポイントの負傷だけ残る」になったらどうなるのか。一切回復しないのか。特例で全快するのか。それとも「4ポイントの負傷」で死亡する(厳密には、AD&Dではマイナス10までは死亡しないが)のか。妥当性では最初、ゲーム運営上は2番目であるが、最後の信じられないような帰結もありえないでもない。前回述べたように、hpの上下により生じる結果はステータスの変更(即死呪文、蘇生呪文)とは別個独立に(無関係に)起こることなので、呪文が治癒(通常はステータス良化)用だからといってhpの変動は変動であり、それなりの結果が生じると考えることもできるのだ。
 上のような場合、AD&DにもCD&Dにもどうなるかということはルールの、少なくとも当該の呪文説明には一切書かれていない。文面を杓子定規に採らず、できるだけ 自然な解釈をしようと誰もが思うだろうが、もとからこの呪文のこんなルールを作った意図が意味不明なので、何が自然かの解釈の指針すらないのである。初期D&D系はかようにつくづくいいかげんな作りのゲームであった。
 「wizardryの理不尽な点」「CRPGの理不尽な点・触れてはならない点」と俗に言われている点は、AD&D1stのコアルール3冊で95以上%解消する、とはゲームサロンの猛者の言であるが、解消したと思ったらそのAD&Dにはそれ以上の理不尽やカオスが深淵のように口を開けている。


 ちなみにAD&D2ndやD&D3.Xe以降ではこんな煩雑になるだけの話は排除されており、Healでは普通に全快(3.Xeでは回復量が術者レベルにも依存するが)するようになっている。Wizardryのマディも同様に単純化するために全快にしたのであろうが、どちらかというと処理を多くするとメモリとか処理能力を食うから、という、ただそれだけの理由だろう。





ディオス(Cure Light Wounds)を死者にかけても蘇らせることはできない。ならば、バディオス(Inflict Light Wounds)を生者にかけても「殺すことはできない」ことにすべき、決してとどめをさせない呪文にしなくては逆呪文として対応関係が無いのではないかとか聞かれた


 えらく懐かしいノリだねこういうの。実際そんなような効果にしているTRPGも存在していたと記憶しているが、ともあれ、実はwizの元ネタであるAD&Dでは、「hpを削られることにより結果的に起こる死」と「死を与える呪文による死」がそもそも分かれており、一部の即死呪文では、後者のより重篤な状態になる場合がある。なので、死を与える呪文でないCause/Inflict Light Woundsが前者のより軽微な効果を持っていても、特に問題はない。ような気がする。
 例えばFinger of Death呪文は抵抗(セービングスロー、いわゆる運勢値判定)に失敗した対象は即死するが、抵抗に成功した対象もただでは済まず、2d8+2(Cause Serious Woundsと同様)のダメージを与える。ここで、抵抗失敗の方で即死、「絶対死」(この説明内の便宜用語で、正確なルール用語ではない)した対象は、Raise Deadなどの蘇生呪文では蘇生できない。しかし、抵抗には成功したがその後に与えられた2d8+2のダメージでhpが-10まで落ちて結局「削り死に」した者は、通常の負傷の蓄積等による死亡キャラと同様に普通に蘇生することができる。つまり、同じ呪文の効果によるものですら、削り死には絶対死よりも遥かに軽微なのである。
 (なお、Death Spell(マカニト)やDestruction(バカディ)といった他の即死呪文の犠牲者も同様に絶対死するが、Slay Living(バディ)やPower Word Killにはそんな記述は何もなかったりと、AD&D1stは万事でたとこ任せで整合性という言葉はまったくない。上でような気がする、と言ったのはそんなような意味合いである。)


 無論、wizでは削り死にと絶対死の区別などは再現されていない(なお、クラシカルD&D(赤箱〜黒箱)も同様で、そんな細かいルールは無い)。ただし、即死呪文による絶対死は、通常の削り死によりも重い状態である、蘇生できない(この絶対死の復活にはWish(マハマン)が必要である)、といった意味で、実のところwizの「灰」に近い状態ともいえる(「通常の死より重い死」と「灰」の関係、火刑による死者は最後の審判で復活することができないというキリスト教思想も思い出させる)。Death Spell相当のマカニトの訳語が「塵化」であることも意味深長である。AD&Dでは、対象の耐久力(リサレクション・サバイバルチェック)が原因で蘇生呪文が失敗すると、即死呪文同様にWish以外では蘇生できない状態に陥り、これも絶対死や灰に近い(ロストとどちらが近いかは議論の余地がある)。
 なのでマカニトとかバカディでも死よりもいきなり灰になった方が元ネタに即しているのではないかとも思えるがそれをやるとwizファンからは暴動が起きるだろう。だがねAD&Dではそれが当然の世界だったんじゃよ若いの。AD&D1stではエルフはそもそも削り死にでも「蘇生できない」とかね。





バディオス系

 もののついでで、これも今更感があるが、ロルトやリトカン以上に使えない呪文として存在意義が問われ、さらにその原理についても議論が行われているのがディオス系の回復呪文の逆呪文、「バディオス」系である。
 傷を作る呪文なので、これも「かまいたち」のようなものであるだとか(そして、こちらも例によってDQのバキ系やFFのエアロの原型であるとか)、僧侶が用いる攻撃呪文なのでいわゆる「気弾」の類と考えてか、「聖属性呪文」であるとか解釈されていることは多い。外伝やwizライクでも聖属性となっていることがある。


 しかし、*bandの用語集の方でも書いたが、バディオス系はAD&Dのコーズ(インフリクト)系の呪文まんまである。wiz#1-3のそれは、キュア系(ディオス, ディアル, ディアルマ)ともども、「呪文レベル」も「用いるダイス数」も完全に同じである(Cure/Cause Light, Serious, Critical Woundsは1,4,5レベルで用いるダイスは1d8,2d8,3d8個)。つまり例によって、wizになぜこんな使えない呪文が存在するのかという疑問に対しては、「元ネタのAD&D1stをまんま丸写ししたから」という答え以外には、さほど意味のある説は挙げられない。
 傷をふさぐのが正物質界(ポジティブ・マテリアル・プレイン)由来の正属性の呪文なら、傷を作る・悪化させるこれらインフリクト系は、負物質界(ネガティブ・マテリアル・プレイン)由来の負属性の呪文である。
 つまり、D&D系の側に倣うなら、これらは聖属性どころかその正反対の闇の呪文である。そればかりでなく、これはアンデッドに大ダメージを与える聖属性呪文どころか、こんな負属性呪文をアンデッドにぶつければ、無効ならまだしも賦活してしまう可能性もある(賦活するか無効なのか等はD&D系の版によって異なっていたり記述が全然なかったりする)。


 なお、聖属性でなくそんな物騒な負属性呪文ならば、一体善の僧侶も問題なく使えるのか、といった疑問については、D&D系ではこれも版ごとに、属性や宗派ごとのメリットやデメリットがあったりする。例えばCD&Dでは秩序属性の僧侶は逆呪文(この場合はコーズ系)が宗派上推奨されていない、3.0eでは善属性や宗派の僧侶はインフリクト系はあらかじめ準備していないと発動できない等である。が、あたかもDQ3僧侶やDQ4クリフトがザラキを連発できるかのごとく、特別大きなペナルティーではない。
 聖属性という定義と効果になっている外伝等ならともかく、正伝のオリジナルwizでは、設定上はバディオス系は「負属性」呪文であると考えていいだろう。





ロルト顛末

 Wizardry#1-3の呪文のうち何故こんなのが僧侶呪文に入っているのだろう、とよく考察されてきたのが、リトカンとロルトである。「D&Dにもこんな呪文はない」(レトロゲーマーの間ではD&Dとは、当時和訳として入ってきていたCD&D(赤箱等)を指していることが多い)という主張がされることもあった。


 実際のところリトカンとロルトは、それぞれAD&D1st(CD&Dではない)のFlame StrikeとBlade Barrierまんまである。リトカンとFlame Strikeは呪文レベルも火柱も同じである。通常の僧侶の呪文であり、ドルイド呪文ではない。
 ロルトの元と思われるBlade Barrierは、回転する刃による「壁」のようなものを作るという呪文で、攻撃用ではない(攻撃に使おうとすれば可能ではある)ので意味あいがだいぶ違うような気もするが、呪文レベルも刃も同じで、影響下・改変と考えていい。AD&Dのこの呪文自体は(後年の3.Xeスタッフのwebコメントだが)旧約聖書の創世記の「エデンを守る自転する剣」を発想元とするらしい。(リトカンのFlame Strikeの方も、おそらくはこのあたりの箇所をはじめ創世記に頻出する聖火かもしれない。)
 wizのロルトは英語版マニュアルにはLORTO = BLADES, 説明には"sharp blades"、日本語版マニュアルにも「鋭い刃」とある。この解釈は言霊の刃であるとか、(DQの僧侶が使うバキ系の元となったと主張されるように)「風」という解釈もよくある。外伝やwizライクによっては風系呪文に分類される。が、Blade Barrierから#1-3のロルトを連想すると、実はハースニールの発動ロルトは、真空や風の刃が飛んでいく(DQのおうじゃのけんの効果の元となったと主張されるように)のではなく、実体のある刃自体が飛び散る、もっと言うと、マジックソード・ハースニール自体が空中を飛ぶ剣となって舞い狂う効果を指している可能性もないでもない。HRATHNIR(素早き者)とは風の属性を指しているのではなく剣自体が俊敏に舞う者、という意味合いだということである。


 ちなみに「CD&Dにはロルトに相当する呪文は無い」という上述の主張だが、CD&DにはAD&DのBlade Barrierの相当物としてただの「バリアー」という呪文があり、これは回転する「刃」ではなく「ハンマー」の壁を作る呪文となっているので、関連性が着目されなかったのだろう。余談だが、なぜAD&Dで刃だったものがCD&Dではハンマーになっているのか、刃だと被害がグロテスクすぎるので(ハンマーも悲惨だがどっちかといえばましだろう)入門用セットでもあるCD&Dではこちらにしたのか、あるいは標準の僧侶が刃を使えないことと整合性をとったのかは定かではない。





俺様野郎

 シュートを降りた直後の10階のプレートのワードナのメッセージのいわゆる「ドキュソ言葉」は、旧PC版から続いて、FC版などでも一貫している。(GBC版などではある程度改められている。)おそらく最後のTREBOR-SUX(某字幕女王による字幕をつけるとすれば「トレボーのプ○ッシー知らず」あたり)といった類のフレーズから鑑みてああいった訳文にしたのであろうが、他のジョーク要素と整合をつけるためとはいえ、あの和訳のセンスはよくわからない。

 このワードナについては、Apple ][では容姿等のはっきりした姿ではなく、PC版でもローブからカビが生えた(三遊亭円丈師匠の評)ような謎の黒衣で、容貌はほとんどわからない。なので、元々は、FC版のグラフィックのような威厳ある老人であるとは限らないともいえる。これらのメッセージやマニュアルでのアライメント説明の行動(老婆から財布を奪う)に合致する姿で考えると、むしろ、バスタードのD・Sのような、外見は美形悪役で中味はチンピラのドキュソ小悪党、あるいはランス(アリスソフト)のような中も外もチンピラのドキュソ小悪党のようなキャラなのではないか、と、かつて筆者は想定していたことがあった。(ただし、FC版より前のApple ][版の攻略本で、すでに威厳ある老人のイラストで描かれていたこともある。)

 しかし、今は日本ではFC版以降の姿や、『五つの試練』シナリオ講座のアンドリュー先生など、威厳あるイメージですっかり定着している。そちらのワードナの姿とあれらのドキュソ言葉に合致するような事情を、あえて辻褄をあわせると、あの10階のプレートの文面は、実は老ワードナが自分で書いたのではなく、適当に部下任せ、あるいはフラック(声:バイキンマン)あたりに任せておいたらあんな文章になった、という可能性も充分に考えられる。





忍者の原型

 なぜか最近よく質問されるが、Wizardryの「侍」がAD&D1stのRanger(初期版マニュアルより)を原型にしているように、「忍者」にもD&D系に原型があるのかどうか、という疑問は以前からよく挙げられる。いまさらの話かもしれないが、BishopとSageの話ついでに、一度周知事項をまとめておく。


 まずは「ネタ的な原型」だが、AD&D1stにはoriental adventureルールが存在しそれがwizの東洋要素の原型ではないか、と推測されていることがある。しかし、このoriental adventureルールは85年で、wiz#1よりもかなり後出なので、wiz#1の東洋要素はこれらに直接に由来してはいない(余談だが、これに対してNetHackなどでは、ジャパネスク要素は直接にoriental adventureに由来するところが多い)。
 D&D系の東洋神秘主義は(基本ルールにMonkが入っている時点で)当初から珍しいものではなく、サプリメントDe&De(80年)やDragon誌には怪しげな日本言及記事などはあるものの、直接にwizでのメイン要素となるような扱いがそこから導き出せるでもない。忍者はD&D系に由来する要素というよりは、やはり作者のオリジナル要素(特に、よく言及されるウッドヘッドの日本趣味)の面が大きいと思われる。(なので、ネタとデータ共に、ここに記した以外の事情もおそらく存在しているだろう。)


 次に「データ上の原型」であるが、AD&D1stの基本ルールのクラスのうち、Rangerがwizの侍、Paladinがwizのロード(能力から推測されている)の原型とすると考えられているのと同様、D&D系の"Assassin"がwizの忍者の原型ではないか、という説は、すでによく主張されている通りである。
 ここでwizの直接の原型といえるAD&D1stのAssassinと、wiz#1の忍者を比較すると、アライメント制限(悪限定)、盗賊のサブクラスである点、ヒットダイスが1d6である点、盗賊系であるにも関わらず武装制限が緩いこと、暗殺(即死)能力を持つこと、等の共通点が多い。
 しかしながら、相違点も多い。まず、Assassinには忍者のような極端に厳しい能力値制限や、あまりにも著しい経験値制限はない。
 即死能力についても、判定がまるで異なっている。Assassinは暗殺側のレベルと対象のヒットダイスでパーセンテージ1回判定するが(この1回で生死が分かれるところがAssassinが真に恐れられた点である)wizではプレイヤーキャラ(忍者や武器クリティカル)とモンスターとでまったく判定が異なり、プレイヤーキャラの場合キャラレベルと敵レベルとで別々にそれぞれ不可解な確率の判定を行う。なお、Assassinの暗殺は「対象が完全に気づいていない状態から可能」、wizでは戦闘中に行うという差があり、wizの判定が複数回に及ぶのは気づいていないかの判定を入れているという意味あいなのかもしれない。
 AD&D1stのassassinには、wizの忍者のようにアーマークラスがレベルごとに低下するという要素や、素手のダメージが高いという要素もない。忍者のこれらの要素はAD&D1stの"Monk"に由来するとも思われる節もあるが、Monkと忍者もかなり異なっている。例えば、#1の忍者はMonkのように素手ダメージがレベルごとに上昇したりはしない(#5や外伝では上昇することがある)。
 (なお、AD&D1stのAssassinとMonkは、和訳されていたCD&Dでは黒箱のそれぞれ「サグ」と「ミスティック」に近い。)
 しかし、一方でAD&Dとwizの類似が指摘されるRangerと侍、Paladinとロードの間にも(呪文テーブルや特殊能力の再現など)細かい相違点はかなり多い。よく言われているように「D&D系を丸写し」にしたというほどではないが、共通点の多さの方を鑑みれば、「レンジャーやパラディンが侍やロードの原型」と同程度には、「アサシンは忍者の原型」と考察してよいように思われる。





BishopとSage

 wiz#1の初期のマニュアル(及び、wizの原型のoubliette)では、SamuraiのかわりにRanger, BishopのかわりにSageというクラス名になっていたことは有名である(ゲーム内でもそうだったという説、特に欧州版などの一部バージョンでそうなっていたという説が流れていることもあるが、マニュアル以外については未確認である。)そのため、SamuraiはAD&D1stの基本キャラクタークラスであるRangerが原型であることは、ヒットダイス等の共通点からも定説である。(なお、oublietteは開発時系列上AD&Dでなく(O)D&Dがベースと説明されていることもあるが、この時点のOD&Dは最後期であり、すでにAD&D1stの相当物にかなり近い。)
 が、Sageの方は、AD&D1stでは基本のプレイヤーキャラクタークラスにはいない。コアルールのどこにいるかというと、実はDMG(ダンジョンマスターズガイド)のハイアリング(雇用NPC)の箇所に記述がある。これはプレイヤーでなくゲームマスターの出す便利屋としてのNPCのタイプで、通常は報酬とひきかえに様々な知識(情報)を提供したり研究をしたりする者であるが、特筆すべきものとして呪文能力を持つことがあり、それはあらゆる種類(魔法使、聖職者、ドルイド、幻術師)の系統の呪文から選択される可能性がある。
 このSageとwizのBishopには能力の相違点も多い(Samurai, Ranger間と違いヒットダイスも異なる)ので、直接の原型になったとまでは言い難い。しかし、Bishopのアイテムの鑑定能力や、AD&Dの1stでは(2nd以降と比べて)魔法使/僧侶のマルチクラスに制限が多く複数系統スペルユーザーのモデルを想像しにくいことから、仮にBishopがwiz創作要素の強いクラスだとしてもSageがある程度の強い影響を与えている可能性は高い。





リッチ問題


 漫画バスタードのいわゆるビホルダー問題(鈴木土下座(ry)は有名であるが、あわせて語られるものに、アンデッドの「リッチ」が「エデ・イーのリッチー」なるものに自主規制されている、というものがある。(lichの一般語とモンスターとの関係、またエデ・イーに関する詳細は用語集の方に触れた通りである。)


 ところが、その自主規制の理由として、wizファンを中心に、ときにはそれ以外のゲーマーの間でも説明されていることがあるのが、「『リッチ』はWizardry #5が原典なので、サーテック(当時)に版権があるため使えない」、という主張である。
 (なお、こちらほど頻繁ではないが、同様に『炎の剣』はwiz#3(LoL)のFlametongueが原典、という主張もたまにある。)


 言うまでもなく、ビホルダーも、(アンデッドとしての)リッチも、Flametongueも、すべてD&D系由来である。単にそこまで糸をたぐれなかった、というなら別に無理もないことなのだが、ここで不可解なのは、このバスタードのリッチ問題は、ほとんどの場合において、「ビホルダー問題が出る際にあわせてリッチについても語られる」という形で言及されているのである。
 つまり、ビホルダーの方ではD&D系まで普通にたどり着いているのに、リッチの方は何故たぐれずに『Wiz#5が原典』なるものがそのまま信じられ続けているのか、という疑問が生じる。


 これは長年調べてきたが、はっきりしたことはわからない。調査を伴わずに右から左に流布されている状況の中で、異常なほどに有名・真相が明確になっているビホルダーだけが例外的、と結論づけるしかない。





非オマージュ


 ゲームカタログ wiz#1(2012.9.1)


>当時既に存在していたTRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」でそのベースは作られていたのだ。
>原作者は学生時代D&Dにドはまりしており、
>D&Dをコンピューターを使って一人で遊べるようにしたのが本作、とも言える。


 とりあえず、「wizは『D&D』のコンピュータゲーム化である」はやめて貰わないことには始まらない。wizの引用元である『AD&D1st』は、これまで述べて来た通り、「D&D」といって古参プレイヤーが連想する赤箱〜黒箱とも、まして現在の4版とも、まるっきり別物なのだから。
 というのは今後もこの手の表現を引用するたび毎回言うことになるだろうが、今回は別にその話ではない。この箇所のゲームカタログの表現に酷似したものは、ネットの各所のwizに関する話題で目にするが、「D&Dにドはまりしており」という表現を、仮に現代のゲーマーが目にすると、まるでwizの原作者が、数多くTRPGの選択肢が存在する中でも「D&D」そのものに拘泥する、いわゆる今のTRPGマニアの中で「D厨」と呼ばれる類の人々でもあるような連想を呼ぶ可能性がきわめて高い。

 が、70−80年代前半の欧米では、AD&D1stとはRPGの代名詞、ほとんどイコールな存在であった。1stが未訳だったために知名度が皆無な日本のようなRPG事情がむしろ珍しい。『TRPGの一部要素をApple][上で再現する』にあたって(たとえそれがwiz#1のように内輪の卓のノリのふざけた世界設定であったとしても)システムはAD&D1stになるのは至極お約束にして当然すぎること、というよりも、それ以外のルールを再現する必要もなければ、それ以外の発想そのものがなかったと思われる。
 つまり、逆説的なのだが、システム面の原型がAD&D1stであることは、それが当然だったということ以外には、むしろ何ら深い意味は無かったと受け取るのが自然である。wizの2人の作者のうち少なくともウッドヘッドの方は、Wizardryの創作のルーツである多数のゲーム(おそらくwiz以前の研究所製CRPG、dndやoubliette等)や小説のうち、AD&Dはその一つでしかない、と言っていたのはよく知られている。
 トールキン等がRPGに理由もなく流用されることもそうだが、何か強い理由(「ドはまり」等)があって参照されるのではなく「何の理由もないにも関わらず流用されるような代物がAD&Dだった」という事情の認識は、初期のCRPG、wizやRLやひいては日本の初期CRPG等まで、大いに理解の助けになると思われる。しかし、それらとは対照的に、システムに相違点が多い一方でこと細かくAD&D1st(特にGreyhawk世界設定)の内容そのものまで意識した点が詰め込んであるのが『ファイナルファンタジー1』の方なのだが、今回はその話は省く。



AD&Dの影響力


 上記に補足する点であるが、ゲーマーならば、欧米では「RPGというとTRPGがメインなので、CRPG/TRPGという言葉の区別自体がない」「D&Dシリーズは社会現象化し、ゲームに入れ込みすぎた自殺者が出たり(詳細は都市伝説的)、宗教団体からバッシングを受けたりした」「映画E.T.の冒頭に登場した」といった逸話は聞いたことがあると思われる。
 しかし、それらの逸話が一体何を示しているのか、その噂話から先の実態・詳細は、とても正確に認識されているとは言い難い。「それまではRPGはマイナーなもので、Wizardryの爆発的ヒットによって知られるようになった」などと平気で流布されている日本では、TRPG(AD&D)の本国における影響力が全く理解されていないことを示している。


 1970-80年代、AD&Dのユーザーは米国だけでも数百万〜千万オーダーであった(ガイギャックスの著作やTSR(当時)より)。これに対してPC用CRPGのスケールは数万である(wiz#1やUl1は2-3万本、Apple][自体が20-30万台)。つまり、「RPGのプレイヤー」全員のうち、CRPGは数百人に一人という桁である。仮にTRPG/CRPG両方のプレイヤーでも、単に「RPG」という言葉を使われた際に「CRPG」の方を指すと思う者は誰もいない。「わざわざTRPGという言葉を使う必要がない」とはそういう意味である。
 映画E.T.には、冒頭の他、台詞の中にもD&D系のゲーム進行を指すものが幾つもある(邦訳では冒頭以外は意味が理解されていなかったり、誤訳されている)。欧米でのD&D系は、メジャーヒットした映画中で何の説明もなく当然に使われるほど一般的なものだった(押井守のアヴァロンが、映画自体もwizネタもマニア向け限定であったことと比較すれば、そのスケールの違いはよくわかる)。
 この欧米でのAD&Dの普及度と層の広さについて、このサイトの他の箇所では「ゲーム機とスポーツの野球」「コンピュータ将棋と実際の盤の将棋」などを挙げて、欧米では「CRPGが前者に対して、TRPGは後者にあたるくらい一般的」という例えを挙げているが、これさえもあまり妥当な表現とはいえない。スポーツの野球は老年層までプレイするわけではないし、盤の将棋は子供から老人まで嗜むが決してその数が多いとは言えないためである。ポケモンやDQFFのようなコンピュータゲームにしても、日本では子供や若者のものとみられている。日本には、「老若男女隔てなく誰でもプレイし、かつそのプレイヤー数が他の娯楽に遜色ないほど多い」というゲームの例がそう簡単には見つからないのである。逆に言えば、AD&Dは同じスケールのゲームの例えが日本に見つからないほどの広く厚い層に普及していた、だからこその社会現象であった。

 こうした状況を鑑みれば、まして(T)RPGのゲーマーの中では、「トールキンのエルフやドワーフを用いるのは何の理由も説明も要らず当然だと思われている」のと同様、AD&Dの内容、システム(種族、クラス、ACやhp等の数値や呪文等に至るまで。なおhpはCRPGに当然普遍要素であるかのように日本でも一切疑われていないが、他の主要なTRPG、例えばT&TやBRPには無く、D&D系独自用語である)は、何の説明もなく大前提として使用して当然の一般知識・前提知識であったことは、容易に理解できるであろう。
 その「AD&Dの要素が海外RPGに当然に用いられている」実例は、このサイトのありとあらゆるコンテンツ、特に*band用語集内のFT/RPG解説で無数に挙げている。


 これは一方で日本では、TRPGが「一部のマニアのゲーム」「子供しかやらないファミコンRPGのさらに派生」などと捉えられ、さらには、赤箱(CD&D)が10-20万セット売れたという実績程度で驚異的、などと言っているスケールとは、根本的に別物として考えなければならない。





ロストインザアナライザ


 ウィザードリィ解析機 〜 ビオりん


ビオりんの54%はまいそうされましたで出来ています。
ビオりんの33%はうしなわれたで出来ています。
ビオりんの5%はあで出来ています。
ビオりんの5%は災禍の中心で出来ています。
ビオりんの3%はヒッポンで出来ています。


 もうすでに92%オワタ(54+33%ロスト、+5%は低ボーナスか金取られて始まる前に削除)




古式分析

 異論はあるかもしれないが、かつてのポプコム誌でほぼ輸入物のゲーム専門でレビューしていたライターの一人(ダマシ氏)が考察していたことがある。
 すなわち、Wiz#1は、故意に溜まるフラストレーションがわずかに過剰になるように作ってある(当時はApple][やその他の8bit機のハードウェアの制約によるところもかなり多かった)。それがモンスターを殴り倒すこと、特に終盤では高リスクで高経験のわずかなグループを倒すことやその際に希少アイテムを入手するカタルシスでうまい具合に発散してしまい、毎回次へのプレイ欲を残したままゲームを終えるという理想的な結果に繋がっている、というのだ。

 RPGの通常戦のバランスのとり方にはこれ以外にも色々あるが(例えば幾つかの「アクションRPG」では操作を軽快かつ単調にし、発散よりは梱包材のプチプチを潰していくような惰性が持続するようにする)Wizシリーズの場合は、そのフラストレーションとリターンのバランスを逸脱するとストレス源となったりマゾプレイとか呼ばれたりする。FC#3(KODだが、FCやその流れのSFC-NP,GBCに限る)や外伝IIの深層はリターン過剰ぎみだが、基本的に#1の深層の延長上にあるスルメ感をもたらしている。おそらく、興ざめにならない程度にリターンを多めにする(経験値は多くする、アイテムは出にくくても種類を多くする)方を作る側としては無難に感じるだろう。対してLoL(特にPC#3)、外伝IIの中盤(バグのためもあるが)、外伝III全般等ではフラストレーションが過剰ぎみに見える。




ロストインザストマック

 Wizardryで全滅すると、死体回収時に何人かロストしていることがある。これは救出までの間に死体が(蘇生不能なまでに)怪物に食われてしまうためだとマニュアルにも書いてある。しかし、このマニュアルの表現のため、プレイヤーの間ではしばしば、「救出に時間がかかった場合に、その間に死体が怪物に食われてしまう」と信じられていることがあり、急いで救出しようとするプレイヤーもいる(なお、食われるまでの「時間」とは何を指すのか、これも歩数や戦闘数などのターン数や誰かが宿屋に泊まった週など、まちまちの説が流れている)。
 が、よく考えれば、この「時間経過」説は根本的におかしいことに気付くはずである。初期wizにはそもそも1デュプリケートディスク(あるいは1セーブデータ)内、あるいは全キャラ内の一貫した時間経過というものが無い。宿屋に泊まったり転職した者だけに時間が経過し、他の者には一切経過しない。歩数による時間のカウントがある場合もあるが、実際に歩いた者だけに適用され、別のパーティーにいる者の歩数が加算されたりはしない。
 全滅後のロストが時間経過だと信じる者はなかば無意識に、これらの「累計時間」を減らすことで時間経過を防げると信じている(宿屋に泊る人数を少なくしたり、歩数を少なくしている)のが見られるが、普段は一切加算されていない(一貫した時間経過をシステム的な問題で実現できていない)これらの別々の時間が、喪失キャラのカウントだけの目的で加算累計されると考えるのは、なおさら不自然である。

 しかし実際は、ロストするかどうかは全滅した時点で判定されている。時間は関係ない。ロストするキャラは全滅した時点で即座に怪物に食われ、喪失が確定する。


>探索者を殺すにはドラマチックにしなければならない。
>死には何らかの意味があるべきである。
>探索者が気を失ったら、即モンスターに食わせたりしないで、そこに横たわらせておくことだ。
>探索者は安楽に守られた生活を送るべきではないが、彼らを気軽に殺すべきでもない。
(『クトゥルフの呼び声』TRPGルールブックより)

 気軽に殺し、気軽に「即モンスターに食わせたり」するWizardryの方が、CoCよりも遥かに恐ろしい。



共通項

>668 : 名も無き冒険者 2010/08/25(水) 21:00:13 ID:b+03/YUs

>Wizとクトゥルーの共通項として、日本では長年に渡って愛され過ぎて、熟成し完成しつつ
>既になんか別の物になってるというのがあるな。カレーやラーメンと同じ現象。

>例えば「#1狂王の試練場」なんかも、暴君の陰謀とかそういうシリアスなんじゃなくて、
>「狂ってんのかよ!鍛えてどうする!」って突っ込み待ちタイトルだったんだろうなあと。


 どちらもカレーやラーメンというには迷走しすぎている。少なくともここ数年ばかりは。





白き狼

 Wizardry #4と#5がセットになった『ニューエイジオブリルガミン』Windows版では、#4から#5に転送を行うと、#4のエンディングに応じて以下のようなキャラが出現する。
HAWKWIND
バシネット、氷の鎖帷子、ミルダールの小手、手裏剣、叢雲の剣

**W*E*R*D*N*A**
ミスリルグローブ、真実のカリス、ローブ、ワードナの護符

MAJERE
叡智の杖、赤のローブ(着用者の属性により色が変わる)、ドラゴンオーブ、
ディオスの薬、ソコルディの巻物、マハリトの巻物

WHITE WOLF
テュルフング、君主の聖衣、ジュエルドアーメット、
運命の角笛、マディの薬、マディの薬

K-O-D
ハースニール、コッズ・アーマー、コッズ・シールド、
コッズ・ヘルム、コッズ・ガントレット、ニルダの杖

Apple
杖、ローブ、9)(謎アイテム、鑑定すると大量経験)、村正、
マーフィーの護符、盗賊の短刀
 このうちHAWKWIND, **W*E*R*D*N*A**並びにK-O-D及びその所持アイテムについては、Wizファンには特段説明を要しないであろう。Appleは#4オリジナルシナリオで「宝物庫エンド」になった場合のキャラであることから、Apple][版からのレトロな廃人キャラとかいう意味なのかレア+バグまがいアイテム持ちである。アイテム「9)」は、Apple][版#1の有名な裏技「スーパービショップ」、存在しない「9)番目のアイテム」を鑑定すると大量に経験が得られるものに由来する。

 問題はWHITE WOLFとMAJEREであり、出典はWizではない。
 WHITE WOLFは明らかに白き狼こと「メルニボネのエルリック」をモチーフにしたキャラである。持っているのはストームブリンガーではなく、そのモデルになったとおぼしき実在伝承のテュルフングだが、このニューエイジ#5のテュルフングは#5カシナート(機種によってはソード+3表記だが)を若干上回る期待値ダメージを持ち、首切や、Wizの武器としてはかなり例外的な「HP吸収」能力を持つ(なお、#5で黒の剣をモデルにしたとおぼしき剣ソウルスティーラーはニューエイジ#5でもテュルフングとはまた別に存在している)。

 MAJEREはもっと難しい。これは名前とアイテム(赤ローブ、ドラゴンオーブ)から推測して『ドラゴンランス』の「レイストリン・マジェーレ」である。英語圏では魔術師の代名詞としてガンダルフにすら劣らぬ知名度があるが、日本では絶版期間が長かったこともあって、まさに知る人ぞ知る存在である。この「ニューエイジ」の移植を担当したのは日本側であり、おそらく担当者がFT全般だけでなく、特にドラゴンランスのファンだったのかもしれない。しかし以前書いた『達磨』の訳とはまさに対照的な点が奇妙な後味を残す……。





運勢値

 いまや有名なWiz#1のNES版解析によると、プレイヤーキャラの能力には「運勢値」という謎めいた名の数値になっているものがある。これが何なのか、ACバグなどで解析について知られると、Wizファンの間で隠しパラメータのように(というかWiz#1ではどのみち命中率(THAC0)やダメージも表示されないのだが)、例えばレアアイテムの出現率に影響しているだとかイメージのみで語られる等、神秘視されることもたまにある。

 が、何のことはない、これはセービングスローである。
 CD&Dと2ndまでのAD&Dでは、「ダンジョンで起こり得る危険な状況」が各種想定され、それぞれについて回避または抵抗するためのセービングスロー値が割り当てられて羅列されているという、今のRPGのシステムから見ると非常にトンデモなルールになっていた(D&D3eでは頑健・反応・意思の3種に整理されている)。Wizの原典であるAD&D1stでは以下である。

1.麻痺、毒
2.石化、変身
3.ロッド、スタッフ、ワンド
4.ブレスウェポン
5.呪文

 (CD&D(赤箱)のものを覚えている読者もいるかもしれないが、AD&Dでは異なる。)
 これらには20までの数値が当てはめられ、アーマークラス同様に「値が低いほど良い」。これはプレイヤー側がd20をロールして、「出目が高いほど成功」だからである。クラスとレベルごとに値が別々に定められ、一部の種族やクラスにはさらにボーナスがある。

 さてNES版解析の「運勢値」の記事によると、運勢値には1−5が割り当てられ、種族、クラス、LUC能力値(つまりホビットがボーナス)、レベル上昇によってそれぞれ「低下」する。「敵からの打撃攻撃」の記事を見ると、毒判定、麻痺判定、石化判定、クリティカル判定に「運勢値1」が用いられている。「ブレス」の記事によると、ブレスダメージは「運勢値4」が用いられている。
 石化判定にも(2でなく)1が用いられている点や、呪文に5が全く用いられていない点(「呪文詳細」の記事による)という差はあるが、おおむねAD&D1stのセービングスローテーブル1−5がWizの運勢値1−5にそのまま対応していると言える(ただし、テーブルの数値自体は異なる)。

 AD&Dをベースにして数値をそのまま使用している海外・フリー等のレトロゲームは多いが、古いD&D系のコアルールですらもあまりにも無駄の多いテーブルは、メモリの問題から簡略化されていたり、別にメモリに問題がなくとも普通に煩雑を避けて省略されていることも多い(NetHackで、クラス別のTHAC0の差のテーブルを廃しているなど)。しかし、Wiz#1では、時代背景によりことにメモリが圧迫されていたにも関わらず、この無駄なセービングスローのテーブルが、5種類に分けて律儀に実装されていたのである。





達磨

 wiz#1の敵キャラであるワードナを今度はプレイヤーが操って冒険者らと戦うwiz#4では、「敵」の冒険者らの名前として、実際のwiz#1等のプレイヤーが使用していたキャラクターの名前がついている。これらは、実はサーテック社に修理などで送られてきたディスクに入っていたユーザー(プレイヤー)のキャラ名をブコヌイてつけられている。
 当時はともかく、似たようなことを今やられることを想像すると大変なことになるゲーマーもいるかもしれない。SEFIROSUだとか東方とかエロゲキャラのハーレムパーティーだとかの黒歴史ノートの住人が、自分を襲ってきたり名作ゲームの世界に永遠に封じ込められている想像たるや作中登場するトレボーの霊以上に恐ろしい怨霊だったりはしないか。

 #4に登場する冒険者らの名を見ると、(ソフトークオールスターズは別にしても)実在神話伝承、指輪、コナン、エルリック、ランクマー、アンバー、ザンス、パーン、ベルガリアード、ドラゴンランスなどに登場する名詞が見られ、いずれもSEFIROSU的というか、これらFT定番の人名の当時のゲーマー間での人気を伺わせる。でも「Daramar」(ダラマール、ドラゴンランスのダークエルフ魔術師)を「達磨」という日本語版の超訳はどうかと思った。





種族クラス


 前回も述べていることであるが、Wizardryファンの間ではしばしば、

CD&D(赤箱とか)→ Wiz → FFやDQ

 と信じられているが、実際の流れは、

最初期D&D(白箱) → CD&D(赤箱等、※1)

 ↓
AD&D1st    → Wiz、FF、DQ(ほぼ並列)

 ↓
AD&D2nd−D&D3e−4版

 というものである。日本で「初期のD&D」と信じられている、和訳もされた赤箱などのCD&Dは、AD&DやD&D3e、4版に至る本筋の流れからは傍流であり、本国ではマイナーなルールであり、直接の「wizの原型」でもない。
 例えば日本語版wikipedia(2012年2月現在)ですら、

>テーブルトークRPGの元祖『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D、1974年)の初期のバージョンでは、
>キャラクタークラスとしてファイター・クレリック・シーフ・マジックユーザー・
>エルフ・ドワーフ・ハーフリングの7種のキャラクタークラスが用意されていた。

>『D&D』をコンピュータ上で再現するというコンセプトで制作されたコンピュータRPGの元祖のひとつ
>『ウィザードリィ』(1981年)は、種族とキャラクタークラスを完全に分離させている。

 と、まるで「種族とクラスの分離はwizが独創した・発祥のアイディア」と誤読させかねない表現になっている(※2)。実際は、wizの直接の原典はAD&D1st(PHBは1978年)であり、AD&D1stですでに種族とクラスが分離していたのを踏襲したにすぎない。

 さらに言えば、上述の「『1974年』のD&Dの時点で、種族とクラスが『分離』されていない7種のクラスが用意されていた」という認識自体が誤りである。実は「1974年」の白箱(OD&D)の時点で、最初から種族とクラスは別々に存在している。その本筋の流れを踏襲したのがAD&D1stで、逆にOD&DやAD&Dを簡略化して種族とクラスを『統合』したのがCD&D(赤箱等)であり、上述するように、こちらはむしろ「異端」な流れの末尾である。
 元々、白箱でも「ドワーフやハーフリングは戦士クラスに限る」などの制限があったため、単純化したベーシックセットであるCD&Dでは、「ドワーフ」を「ドワーフ戦士」にまで統合してしまう等、クラスに対して理解しやすいアーキタイプやキャラクターの役割をまとめて担わせて、単純化したと考えられる(※3)。


 さて、AD&D同様に種族とクラスを分離しているWiz#1なのだが、その種族の数値バランスや内容自体は、それまでのD&D系統とは大きく異なっており、ここがむしろWiz独自の点である。
 D&D3eでこそ、一部のプレステージを除き種族ごとに選択できるクラスにルール的に制限はないが(雰囲気的推奨文は添えられている)AD&D1st、2ndには、白箱ほどではないが種族ごとにクラス制限がある。人間以外は転職(デュアルクラス)はできず、クラスごとにレベル上限にも制限がある。
 しかし、これに対してWiz#1では、種族ごとにクラスとレベルの制限は何もない。どの職業でもルール的にはどのクラスも選択でき、転職もレベルにも上限もない。

 これはwizが深い考えや自由度を目的として選択したものではなく、言ってしまえば、「当時のハードウェアの制約」からのアレンジであったと推測できる。Wiz#1のプログラムを動作させるための当時の貧弱なハードウェア環境では、呪文の名前を格納するメモリさえ無かったといった話がよく知られているが、なおさらAD&Dの複雑無比な転職(デュアルクラス、スプリットクラス)、兼業(マルチクラス)、レベル制限のルールを再現できたとは考えにくい。そのためクラス選択も転職も全種族一律で可能なルールとなり、そのかわりに種族ごとのテーブルのみで対応=能力値の差をAD&Dよりも極端にすることで、クラスへの向き不向きを再現したと考えることが可能である。「人間が異常なほど信仰心が低い」「(D&D系と異なり)ノームの数値が知力より信仰(賢明)に振れている」という、真にWiz独自の点の遠因もここにある。
 Wizの独創要素と思われているものがAD&D1stの踏襲にすぎず、そしてAD&D1stからの変更点(必ずしも独創ではない、※4)は「簡略化の必要に迫られてのもの」とおぼしき例(※5)はいくつかある。そしてそれらは、同様に本筋を簡略化したCD&Dの変更点とは、往々にしてまるで異なっている。

 つまるところ、「wizはCD&Dから種族とクラスを分離した」という説は誤りで、実際に推測できるのは「白箱−AD&Dの本筋の流れのD&D系を無理やり簡略化する」ために、「CD&Dは種族とクラスを統合」したが、一方で「wizは種族クラスと転職を大幅に単純化した、まるで別システムを選択」したというものである。



※1 どうでもいいことだが、CD&Dは日本では和訳もされたベーシックルールセットの赤箱(1981- 和訳されたCD&D第四バージョンは1984)が有名だが、1977年版の箱は薄青だったので、海外ではblue boxと呼ばれることも多い。

※2 この記事自体はむしろ、実情は知っているが、コンピュータRPG中心の話の流れで説明しようとしているうちに、たまたまこのような表現になっているようにも見える。
 しかしどちらにせよ、Wizファンの間では上記のような「Wizが発祥」の類の誤解は珍しくはない。Wizと「CD&Dを」比較した変更点の羅列によって、Wizの独創性を考察するとある有名文書が、長い間Wiz関連の各所コミュニティに貼り付けられ続けていたこともある(Wizと比較すべき対象はCD&Dではないため、この文書に書かれている比較事項の大半はまったくの徒労である)。この状況の最大の理由は、CD&Dは知られていた一方でAD&Dの知名度が1st未訳のため皆無であったことだが、他にも色々と理由(先日の「AD&Dを参照しているのはBCF(#6)以降」というデマなど)は考えられる。
 なお、この流通している文書なのだが、いくつかは『リルガミンサーガ』の攻略本に掲載されていた記事が転載されている。リルガミンサーガのゲーム内容にはまったく関係ないのだが、マニュアルや攻略本には、日本製のTRPG版Wiz独自の要素であるエセルナート(CRPGファンから支持されているとは限らない)が公式であるかの如く記載されている、この考察文でもCRPG版の内部動作ではなくTRPG版Wizの数値を用いている、CD&Dに固執する一方AD&Dについて認識が欠落している等、どうも無用に「中途半端なTRPGかぶれ」で書かれたという印象を抱かせるものが多々ある。

※3 まったくの余談だが、他の点ではAD&D1stの踏襲が多いNetHackでも、旧版では種族がなく、エルフが職業と統合されている。NetHackは、CD&Dの方から踏襲されている数値や用語等もかなりあるのだが、ここはCD&Dの方に倣ったというよりも、NetHackの職業はAD&Dのクラス・種族ほどのウェイトがなく、ひとまとまりのアーキタイプ(初期条件等)にすぎないため、特に煩雑に分離までしなかったというところではないだろうか。

※4 (ほぼ)各種族がクラスを自由に選択できるが、種族ごとの能力値の振れ幅が大きく適正クラスが存在するといったものには、この時点ですでにT&T(初版1975)なども存在する。

※5 これは後日別に述べることになると思うが、Wizのへんてこなヒットポイント計算式(レベルごとに加算せず、毎回計算しなおして前より低ければ+1)はデュアルクラスやマルチクラスのものを再現できなかったためと思われる。また、AD&D1stのアライメントから9つでなく3つ、しかも「善-悪の軸(worldview, moral)」側をとっているのは、友好モンスターやクラス選択に関係があるものを残してあとは使わないので節約のためぶった切ったという、ただそれだけの動機の可能性が高い。





あるとき見かけたやりとり


>他RPGファン「wizardryの『首をはねられて死ぬ』とかありえない」
>wizファン「首をはねられて生きてるわけないだろ」

 フルメタルジャケット(女子供を撃つのは簡単さ動きが鈍いから)とか俺がハマーだ(動くなよ弾が外れるから)とかを思わせる



BCFとシステム


 そのうちAD&D1stとWiz/FF/DQの呪文対応表などと共に、ちゃんと書くことになるとは思うが、「WizardryのベースになったのはD&Dである」とセットで、「Wiz#1-5は(赤箱などの、旧)D&Dがベースで、AD&Dをベースにしたのが#6(BCF)以降である」という、レトロゲーマーのみに特有のデマが存在する。

 そもそもWiz#1(1981年)の当時から、海外ではRPGのスタンダードといえば『AD&D1st』(1978年)ほぼ一択であり、(旧)D&D=CD&Dはすでに、ある意味ではAD&Dの触り部分(赤箱で3レベルまで慣れたら4レベル以降はAD&Dに移行など)としての位置づけしか持っていなかった。
 そのAD&D1stは膨大な追加ルールを持つが、コア部分のシステムはFCにも移植されたPools of Radienceを見てもわかるように非常にシンプルなもので、Wiz#1はこのコア部分を踏襲しているものである。繰り返し述べるが「秩序-混沌でない善-悪の属性」「種族と職業の分離」「クラスチェンジ」などは、AD&D1stからそのまま踏襲されているに過ぎず、「旧D&Dにwizが独自に追加した(=wizが元祖・発祥で他のRPGに影響を与えた)要素」などではない。さらにはWiz#1のApple][版のボツモンスターのデータとして、ワードナを裏で操っている黒幕としてAD&Dのユニークモンスター群であるオーケスとティアマット(無論、CD&Dにそんなものは居ない ※1)が残っているなど、#1の『A』D&Dからの直接の反映は枚挙に暇がない。
 #1-5の時点で、すでに『A』D&Dをベースとしたものであり、そして、BCFのシステムはAD&D1stのコア部分とは遥かにかけ離れた、まったく独自のものである。

 なぜ「#6(BCF)以降からAD&Dがベースになった」というデマがここまで拡散したかといえば、実のところ、BCFの発表の直後に複数のゲーム雑誌や紹介記事において「#1-5がD&Dならば、BCFはAD&Dに相当するほど進化した」という表現を用いるレビューが多数見られた、という事実がある(これらのレビューが、AD&Dに充実しているダンジョン探索以外のワイルダネスルールなどを意識した比喩である可能性ならば有る)。
 当時日本ではまったく知名度がなかった(1stが未訳であったため)AD&Dをわざわざ持ち出すのは、普通に考えて余計に混乱を招くことでしかないのだが、これらのレビュアーが無理矢理AD&Dを持ち出した理由としては、#5からBCFへのあまりの変貌に対して、日本の#1-3のwizフリークが戸惑う、さらに反発することすらもこの時点で充分に予想できたため、「最古典D&Dとその上位ルールであるAD&Dの関係」でも持ち出さない限り話をまとめられないと判断した可能性も考えられることではある。
 この当時のレビューも発端として、それが、AD&Dを未読のゲーマー、ことに『バルダーズゲート』などの本当にAD&Dをベースにしたゲームにたまたま触れる機会のない一部Wizファンの間で「AD&Dがベースなのは#6以降」「AD&Dは#6のようなゲームシステム」という伝言ゲームと化して、以後現在に至るまでネット上で拡散している、という側面がある。

 そも、「Wizardry(あるいはFF,NetHack)のベースはD&Dである」という定番の説明からして、AD&D1stは未訳、2ndはほとんど訳されていない上に現在D&D3.Xeと統合されてしまっておりわざわざAD&Dという名前を出しても徒にややこしくなるだけなので単に「D&D」とだけ言っており、さらにはwikipediaのAD&Dの項目にもルール内容については2ndのことしか書いていないので、ここからwiz#1-5を逆算推測するのは困難であり、現在、ネットに流れている情報だけからにわかに事実関係を推測するのは不可能に近い。推測だけで拡散してもやむなしであろう。



※1 なお、名前だけOrcusならばCD&Dのイモータルルール(金箱)の敵イモータルの中にいるが、「死の領域」に属する(それもOD&D/AD&Dのものとは異なる)以外にはデータ等の共通点はない。金箱は1986年であり、OD&Dやwiz#1からは遥かに後である。





アラビク王子についての覚書


・wiz#4に登場するアイテムARABIC DIARYは、KoD(#2, FC#3)のプレストーリーに現れる「アラビク王子の日記」であるという風説が、ずっと昔から存在し、今も流れていることがある。
 KODのアラビクはAlavikで、#4のarabic diaryの方は「アラビア(人・語)の記録誌」の意である(日本語版#4では「ネクロノミコン」)。(しかし実は当時、筆者も「アラビク」をみたいな名前だと思っていた。)
 KODのアラビク王子は、プレストーリーで魔人ダバルプスと相打ちになり地底に堕ちたとだけ紹介されている人物だが、世にはarabic diaryを地底でアラビク王子が(アルハザードのような)狂気に堕ちて記したという、アラビアの方もわかってのことかわかっていないのかわからないような説も多々存在する。

・PC版などのKoDでは以後アラビクもダバルプスも一切登場せず、彼らがどうなったのかはわかっていない(KoDはアラビクの遺品であるコッヅ装備を集めていくだけの話である)。KoDの初プレイ時にてっきり「王子様救出ストーリー」だと思っていたという腐女子御姉様もいたらしいが、筆者も当時はてっきり王子と共にダバルプスを倒したりするのかと思っていた。

・ゲームボーイカラー(GBC)版KoDではボーナスとして、従来のKoDのさらに続きのダンジョンが設定されており、GBC版スタッフのインタビューによると、アラビクとダバルプス、デーモンロード(おそらく)のストーリーをある程度補完しようと考えていたらしい(ハースニール異聞とか外伝はひとまず置く)。さらに、プレイヤーキャラが特定の名前の場合に隠しメッセージがある、との話もあった。当時のプレイヤーは「アラビク」でプレイすることでダバルプスから特定のメッセージが聞けると期待した。  GBC版KoDが発売されると、ファンの間で、アラビクをはじめとして、リルガミン設定からwiz#1-8、外伝、関連作、ウルティマ、バーズテール(一部作者共通)、本国はもちろん日本語版の中の人達(遠藤すえみ羽健アガン紅松とか)まで関連人名が手当たり次第に試行されたが、その類のメッセージは遂に確認できなかったようである。
 実際のところ、のちにGBC版のKoDのROMを解析した結果、「またしても…アラビク!!(Yet again...ALAVIK!!)」という文字列が入っていた、との報告があるが(wizサイト「得物屋」BBS等)これがダバルプスの台詞か否かを含めてそれ以外は不明であるし、このメッセージが聞ける条件も遂に不明であった。おそらくスタッフの構想が実現しなかったか、バグ(一般にwizには著しく多い)で発動しなかったのではないかと考えられている。であるとすれば、アラビクの物語も遂に補完されることなく終わったことになる。

・ちなみにGBC版KoDのこの追加ダンジョンにはARABIC DIARY(ネクロノミコン)をはじめ#4のアイテムが数多く登場するのだが、一番上の風説と関連づけたのか別にないのかもわかっていない。



全人類の神経バンク内に形成されたKoD


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 何故だ。wizardyとタイムボカンで世代がかぶらないはずがないだろう。






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