イェンダーの徴: デルファイの隅の人馬像







 6

 が、そうした大きな目立つものではなかったが、ふと気付いたものがあった。川辺にぽつんと建っているものがある。遠くからは、まばらな石のひとつかと見えたが、よく見ると川辺の水面の光を反射して、金属色に光っている。
 リゼに促され、三者は無言で川沿いにそちらに近づいてみた。
 ……近づくにつれ次第に見えてきたその姿は、青銅の像だった。この人馬の世界ならば当然のことなのであろうが、下半身が獣で、首の部分から両腕を持つ人型の上半身が生えた、人馬の姿をしているように見える。ただし、全身は鎧のようなもので(下半分も、リゼらの世界の馬に用いられる軍馬用の防具よりも重装備に)武装している姿である。青銅の表面には錆がかなり浮いており、長い間放置されていたように見える。距離から考えて、だいたい先ほど見た隊商のケンタウロスらの1.5倍ほどの大きさがありそうだった。
 「わざわざ街にゆかなくとも『ケンタウロスの銅像』が見つかったわい」オラクルが速足でさらに近づいてゆこうとした。「かなりボロっちいが、出来によっては──」
 「待て」が、アルテウスはその襟首をぐいと捕まえた。オラクルは空中に持ち上げられ、数歩分を空中を歩いて前進しようとしたが、逆に数歩分を引き戻され、地に戻された。
 「な、何を急に乱暴なことをするのじゃ! アルテウスらしくないのじゃ!」オラクルは振り返ってアルテウスを見上げたが、英雄はというと、自分が襟首を掴んだままのオラクルに目をくれず、青銅の人馬像を凝視している。
 「いや、アルテウスが思ってる通りだ」リゼが低く言った。「今、あの像、動いたぞ」



 青銅の人馬像は、上半身が曲がって三者の方を向いている。明らかに、最初に見つけた時はそのような姿勢ではなかったことは三者とも思い出せた。
 「そのう、なんかのう、動く青銅の巨人について、アルテウスから聞いたことがあるのじゃ」オラクルがおずおずと言った。「確かその、実際に戦ったことがあると言っておらんかったか」
 「クレタ島のタロスだ」アルテウスが答えた。「自分も含めて何度か停止させたので、今は《祭界山(オリュンポス)》に移されている。《九層地獄界(ナイン・ヘル)》の2層目、大公ディスペータの城塞にも、鋼鉄製の複製品がある」
 「あ、あれも、その複製品とやらとかで馬型の……」オラクルが推測を述べた。
 「むしろ、あの人馬像は、『この並行世界におけるタロスそのもの』だろう。あの像の装具、面立ち、人間部分の体躯は、様式が共通しているなどではなく、我々の並行世界(ワールド)でのタロスと完全に同じものだ」
 「なんでじゃ! なんでその像があってケンタウロスの姿の『ケン=タロス』がこんなところにあるのじゃ!」
 「そりゃ人型生物が全部ケンタウロスに入れ替わってる世界だからだろ」リゼが低く言った。「『巨人』像が『巨人馬』像に置き換わってるんだ」
 動き出した人馬像は──予想通り、こちらに向けてまっすぐに駆け出した。人間の脚ならかなりかかる距離がまだ開いているが、見る間にその姿は大きく──距離が縮まっていく。
 「なんじゃあれはぁ! むちゃくちゃに速いのじゃ! 動きの鈍重な金属ゴーレムの類ではないのか!?」
 「タロスは神々と同じ霊液(イコール)が流れている」アルテウスが答えた。「それが流れている限り、《祭界山》の神々と同等の力がある」
 目を見張ったオラクルがごくりと喉を鳴らすのがリゼの所まで聞こえた。
 「タロスと同じだとすれば、クレタに近づく者を排除するのと同様、この先にある都に近づく者を排除する仕組みに違いない」アルテウスが静かに続けた。「あの先の都が、”大海原の中に浮かぶクレタ島”に相当する、”大草原の中に浮かぶ陸の孤島”というわけだ。それを守るのがあの像だ」
 「隊商が迂回してたのはそれか。こいつに襲われないためか」リゼが言った。「隊商の姿勢からして、どうもこの世界の住人たちも自分達では制御できない厄介者みたいだな」
 「タロスもそうだ。クレタや祭界山や九層地獄の住人らにも制御できぬ」アルテウスが言った。
 急速に距離が詰まってくる青銅の人馬像を前に、リゼはとっさに自分達ができることを探した。見渡す限り平地なので、身を隠すような場所はない。リゼの知る初歩的な呪文で、あるいはオラクルが知っているかもしれないもう少し大規模な呪文で、速度を早めたり短距離を移動したところで、平地しかないので、そこを逃げ続けても一時しのぎにしかならない。『アリアドネの糸』で別の世界に逃げるにしても──たとえ、備え付けの機能を発動するだけで《祭界山》や”運命の大迷宮”のデルファイに帰るだけとしても──発動の儀式をしている時間がない。
 「逃げられないなら立ち向かうしかない」アルテウスは背負っていた短槍と小盾を取り出した。「それは確かだ」
 リゼが恐れていた結論だったが、できない選択肢を消去していくと、できることはそれしかない。
 「のお、一緒に思い出したのじゃが」オラクルは震える声で言った。「アルテウスは以前まさにクレタでそのタロスを倒したことがあったのではなかったかのぉ」
 「今もそう言った」アルテウスは走ってくる像を見たまま、オラクルに答えた。「弱点があったからだ。霊液(イコール)が流れ出ると、動かないただの像に戻る。足首にある金属板の弱い箇所が、胴の霊液の導管と繋がっている」
 即座にリゼとオラクルは、青銅の人馬像の足元、足首のあるはずの箇所を凝視した。いや、見ようとした。しかし、それは不可能だった。像の足元の動きは、疾駆する馬のそれよりも遥かに早く、まったく視力に捉えられない。まるで脚が4本よりもさらに余計にあるかのようだとリゼは思った。さらに、湿気のない土壌に巻き起こされる土煙の中、半エルフの動体視力でもろくに目で追えず、まして狙うなど不可能だ。
 「のお、エルフの射手らは、耳から飛び出した羽虫の目玉すら射貫くことができると言われておるのではないか」オラクルが期待をこめてリゼを見上げた。
 「いや、それは”上のエルフ”や”灰色エルフ”の話で、月エルフじゃない」リゼはできるだけ無慈悲に、オラクルに答えた。「私は純血の月エルフですらないし、もちろん射手でもない」
 「なんとたよりないのじゃあ!!」



 「とにかく、あの走る速度がどうしようもない。せめて動きにくい場所に移動して、足を取られてでもくれりゃ」リゼは周囲を見回し、「あの川に誘いこむだとか」
 「タロスと同じ知能であるとすれば、そこまで愚かではない。それよりも、ここの川があの人馬が立って歩けないものという望みは薄い」アルテウスが、穏やかで河床も平坦な川を見て言った。
 「あとは平地ばかりだぞ!」リゼはうめいた。
 「ということは、地形を呪文でなんとか変えるなりすればよいのじゃな」オラクルがふたりを見上げて言った。
 「そんな呪文はないだろう」リゼがオラクルを見もせずに言った。
 「あるのじゃ」
 「いや……まさか」リゼは信じられないような目でオラクルを見下ろした。
 「わしは賢者(ディヴァイン・オラクル)じゃぞ! 周辺一帯の少しくらいの地形を変える、そんな呪文を発動するくらいの力はあるわい!」オラクルは爪先立って精一杯に背伸びを(存在を大きく見せようとでもいうのか)しながら、リゼにわめき散らした。
 「いやそうじゃなく、発動する力はあっても、準備なんてしてないだろう。聖職者系の呪文使いが準備してる呪文なんて、治癒とか戦闘支援専用で埋まってるかと」
 「デルファイの賢者と、そこらの山師どもの迷宮探検家と一緒にするでない!」オラクルはわめいた。「”運命の大迷宮”には、城の堀だとか跳ね橋だとか流し台だとか、水流や土地に関する力が必要な場面が山ほどあるのじゃ! それがあらかじめわかっておれば、おぬしらでも準備するじゃろうが!!」
 「なるほど……」リゼは合点した。「いや、だとしてもオラクルが一般の迷宮探検者並の知能だとか分別さえあるとは夢にも思わなかった」
 「なにおう! まさにそのわしの叡智と分別を頼って日々神託を求めに来ておるのは誰じゃあ」
 「痴話喧嘩をしている場合ではない」アルテウスが遮ってから、オラクルに再度問いただした。「この足元の地形を『平地でないもの』に変えられるのだな」
 「うむ!」オラクルは平たい胸を精一杯張った。
 「ならばその準備をせよ。我らはその間、像を引き付ける」アルテウスは槍を構えて、迫ってくる人馬像を見た。
 「『我ら』ってのはアルテウスと──」リゼが問いかけた。
 「リゼだ」
 「いや私はオラクルの方につきそうのを期待していたというか、ほんとのところを言うと、やっぱり、──それほどは期待はしていなかったよ」リゼが呟いた。
 「どちらでもよいが、早く来い」
 アルテウスは槍を構えて駆け出していた。リゼはその行く先にある、突進してくる青銅の巨大な人馬像を一呼吸だけためらうように見つめてから、闘剣(グラディウス)と短刀(ダーク)を引き抜いてあとに続いた。
 「向こうの方が速いのに、ひきつけるってどうやるんだ」リゼはアルテウスに追いついて、声をかけようとした。
 が、その答が返ってくるより前に、像がアルテウスの真正面に迫った。馬の部分だけでも軍馬の1.5倍もの大きさの青銅の蹄に今にもかけられるかと思ったが、アルテウスは真横に飛びのいてかわした。
 「しめた、奴は速いとはいえ重たい。たぶん方向転換がそれほどうまくはできないんだ」リゼは声を上げた。
 次は自分に突進してくる人馬像を、リゼは正面で待ち構えた。そして、アルテウスの際よりも遥かにぎりぎりで、正面から真横に飛びのいた。《祭界山》の英雄戦士よりも遥かに小柄な半妖精の盗賊であるリゼの身体は、その二つ名”虎の鉤爪”の示す猫族のように優雅かつ俊敏、柔軟な動きを顕した。
 「どうだ!!」リゼは空中で快哉を叫ぼうとした。が、
 人馬像の胴体が通りすぎざま、真横に伸ばしていたその腕が、空中にあったリゼをまともに直撃した。
 「ぶべら!!」リゼの身体はハンマーを食らった小石が跳ね飛ぶようにまっすぐ真横に吹っ飛び、十数フィートを弧を描いて飛んでから落下した。かなり遠くを、人馬像が別方向にまっすぐ駆け抜けていった。
 「奴の力を利用して予想外の方向に移動するとはなかなかやる」駆け寄ったアルテウスが、リゼの襟を掴んで立たせながら言った。
 「いや私のことはいいから奴を警戒してくれ。散っていた方がいいぞ」リゼは内心はやけっぱちで、しかし口調は極力アルテウスと同じに返した。
 が、リゼとアルテウスが隣り合っているその場めがけて、再度、青銅の巨像は足元に土煙を巻き起こし、突進してきた。
 リゼはその突進を凝視しながら、激しく思案をめぐらせた。もう一度かわせるのか。人馬像が、今、飛び退いたリゼに対して腕を突き出したのも、突進を一度かわしたアルテウスの動きに対する対策を出してきたのではないのか。知能は低くないというタロスが、こちらの動きを学習も予測もするとすれば、一体いつまでその突進をかわし続けられるのだ。
 と、非常に唐突に、足元を激しい振動がおそった。





 next

 back

 back to index