煉獄の行進
18
「”言葉”よ。石同士を結び付けている言葉を解放したのよ」アリスが億劫そうに言って、それきり言葉を切った。
が、カイトは黙って、続く説明を待った。
「あの石段の最初の段にあった文字、はわかるでしょう」アリスがやがて、諦めたように言った。「ドワーフと違って、西方国(ウェスターネス)の人間たちは、”石と直接に語る”ことはできなかったのよ。だから、西方国で作られた物にはよくあるんだけど、地エルフの言葉で石同士を束縛することで、建物を強化していたの。つまりは、同じ言葉で束縛を緩めることもできるわけ。……私がよろめかせたのもそうだけど、あれはただの灰色エルフ語の即興。マリアのが、上のエルフ語で石への命令をじかに偏向したのよ」
「アリスとか、マリアがそんな力って……いったいどういう……」カイトはうめいた。
「”私たちの力”じゃなく、”言葉の力”よ」アリスは肩をすくめた。「私たちは何の力もぶつけたり使ってない。単に、この地下道が偶然に西方国のものだっただけで、しかも、束縛の言葉がたまたま地エルフ語だっただけにすぎないわ」
「それは何の魔力容量(キャパシティ)なんだよ!」カイトが叫んだ。
「あんたの質問の仕方の意味がわからないって言ってるでしょう」アリスがぴしゃりと言った。
「つまりその……魔法みたいな、その力がどこからくるのか、石をそんなすごい力で結び付けたり壊したり、それはどこから力を引き出してるのかってことなんだよ」カイトは言いながら、あまりにもたどたどしい言葉だと思った。
あの屈強なエオグ・ゴーレム、それを動かしていた力、支えていた石同士の力、そして、さらにあんなものを奈落に突き落とした、壊したときの恐るべき力もそうだ。
「石自体の元々持ってる、存在するための力、とかって言い方もできるけど」アリスは眉をひそめ、「結局、ほとんどは”言葉”それ自体の持ってる力よ」
アリスも石壁に背をもたせかけ、
「繰り返すけど、言葉そのものに力があるのよ。原初の紋様、混沌の窮理、エルフの言葉や、いまわしい黒の言葉。編み上げる者によってどれだけ巧みかは差があるけど、間違いないのは、誰が口にしたとしても現世に影響があるほど、言葉自体に力があるってこと。だから、ものの真の名前や呼び名、命令とかは、誰の口からでもおいそれと口にするものじゃないのよ……」
アリスは疲労なのか、目をとじた。カイトは質問を打ち切ろうか迷ったところで、不意に気付いた。通路の出口、外から、パラニアがこちらに顔を出しており、神妙に今までのアリスの言葉を聞いていた。
「話はすんだか」
老人のその言葉に、アリスはもたれていた石壁からとびあがった。
「なんで出口の方から出てくるのよ!!」アリスは叫んだ。「私達のうしろを追ってきたんじゃないの!?」
「もちろん、別の道を探してきたのだ。おまえ達が見つけた道が、崩れて通れなくなっていたからではないか。新しくしかも見事な崩れ方だ。わしはてっきり──アリスがカイトの頭をかち割ろうとして、手元が狂ったのかと思ったぞ」
「かち割ったのはマリアよ。何がどうなったのかはあとで話すわ……」アリスはマリアを見下ろした。マリアの方はといえば、すでに壁際にかがんだきり、その上体は舟をこいでいる。
「西方国の衛兵がいたなら、洞窟オークもこの道には当分近づいてくるまいが」パラニアがそのマリアを見下ろして言った。「しかし、オークの洞窟に繋がっている場所など、早く離れるにこしたことはない。休んでいるところ気の毒だが、外に出て、もうひと頑張りだけ進むぞ」
「また雨の中は気が進まないわね」アリスが肩をすくめた。
「それもそうだが、別に気になることもある」パラニアが外を見て言った。
一行は崩れやすい山肌を慎重に降りていった。モリバントの北の山をおりると、木々は多いがまだ岩がちな丘陵が続いていた。しばらく歩いてから、丘の高みの真ん中に突っ立っている巨大な岩に登っていった。
「見張り台みたいだわ……」アリスが呟いて、何か人工の痕跡を探そうとしたようだったが、見たところ特に自然の岩以外のものではなさそうだった。
一行がそれこそ見張りの塔の上のような平たい頂上につくと、小高くなっている場所から一帯が見渡せた。
「カイトさん、『モリバント』の都ですよ」マリアが指さして、カイトに言った。
南の方に、白い城壁、白い塔を持つ城塞が見えた。それ自体が岩山の少し高みのあたりに立っているようだったが、遠くからではその細部や、都市の規模などはカイトにはよくわからなかった。
ここの丘陵からモリバントまでは、そこかしこに岩山、深い林なども目立つ起伏の多い地形で、辿り着くまでにどのくらいの道のりなのかもすぐには見当がつかなかった。
しかし、パラニアはその目的地ではなく、ずっと東の方を見つめていた。この見張り岩から見て北東、ちょうどモリバントとは反対側まで、少しまで一行がいた北の山並みが続いている。その東の、見渡す限りといえる面積を、漆黒の群れともいうべきものが埋め尽くしていた。
それは多数の、カイトの語彙の範囲では人型モンスター、いや、カイトも行きの道で見た、旧魔国の丘オークの行軍とよく似た圧力を感じさせる集団だった。ただし、その数、埋め尽くす面積は遥かに多い。
「そうか、このための仕掛けか」パラニアは見つめながら、独り言のように呟いた。
そちらを凝視する姉妹とカイトに対して、パラニアは続けた。「旧魔国の丘オークや、暗黒の塔の黒のウルクではない。さきほどまでの山の中にいた者らと同様の、洞窟オークがかなりを占めている。他種族も混ざっているが、多くが近くのあの山や、この周辺の岩山の地下に潜んでいた膨大な洞窟オークに違いない。あの山の下の洞窟オークらが、移動したり外に出回ったりしていたのも、このためだったのだ」
「洞窟オークは昼間の陽の下は歩けないんじゃないの」アリスが言った。「さっきみたいな夜や、今みたいに天気が悪い時は外に出てくることはあっても、あれだけの軍としての統率は地上ではとれないわ」
「陽が差さない時期が、あまりにも長く続けば別だ」パラニアが言った。「隊商のルーミルらも言っていたが、ここ数日の雨や雲の厚さは、自然のものではない。ここしばらくの天気は、やつらの呪術によるものだったのだ。……おそらく、幽鬼のひとりがこちらに向けて飛来したのは、この仕掛けのためだったのだ。旧魔国の軍勢自体は動いていないが、旧魔国の武将や呪術師だけはこちらに来ているのだろう。呪術師は幽鬼の呪術の助力、武将はそうして出てきた洞窟オークらを統率するためだ」
「まさか、この天気って……こんなの、人間の魔力容量(キャパシティ)でできるわけないだろ!?」カイトが暗雲を見上げ、動転してパラニアに言った。「”ウェザー・コントロール”は魔道士協会では最高レベルの呪文で、せいぜい街ひとつくらいの天気を一段階だけ、それでもその間ずっと精神集中が必要で、つまり、保って何分かの間変えるだけだぞ!?」
「いや、こんな領域や期間は幽鬼にとってはたいした手間ですらない。かつて『旧魔国』が人間の『北方王朝』を滅ぼす際には、幽鬼の王は大陸の半分を幾季節にも渡って吹雪に閉ざし続けたのだ」
カイトは呆気にとられた。
「ことに、さきに上空をこちらに飛んでいた幽鬼の”第五位”は、並ぶもののない妖術師、いや魔術師だ。力の規模でも手管にかけても、原初の王族の”赤毛の三姉弟”すらしのぐと言われている」パラニアは続けた。「だが、無論、やつ一人での術ではない。旧魔国の強力なオークの妖術師、オーガの魔術師、東国のオニも来ているに違いない。さらに、この地の洞窟オークの巫術師らも、膨大な数が手をかしているだろう」
「どうしてモリバントを襲ったりするの……?」マリアが悲しげに言った。
「今このときを襲撃の機に選んだ、その理由はしかとはわからん。が、おおまかにならば、このところ、やつらに抵抗している”原初の王族”らの負けが込んでいるからだろう。……原初や混沌の王族たち、次元世界を移動でき他人を移動させられる連中は、様々な”影”の世界から、どんな者たちでも連れて来ることができる。ここしばらく原初の王族どもは、”影”の薄い世界から、戦力にもならない者どもを呼び出して、冥王軍を混乱だけでもさせようと謀っていたのだが、それも何の効力も上げられなかった」パラニアはカイトを見下ろしてから、再度軍に目を戻し、「かえって王族に余裕がなくなり、モリバントを援助することもできなくなった。そこに、冥王軍がこの仕掛けを行うだけの猶予ができたのだろう。……軍勢を動かさなくとも、こういった仕掛けさえできれば、やつら冥王軍が生み出せる戦力はまさしく無尽蔵なのだ」
「勝てる方法はないのか? あの敵軍を操ってるのが幽鬼や、その、モンスターの呪文使い……とかなら、そいつらを倒せばいいんじゃないのか?」カイトが言った。
「不可能だ」パラニアは即座に言い切った。「《九つの指輪》をその手にした幽鬼を倒す、追い払うことからしてほぼ不可能なのだが、無数の旧魔国の妖術師や洞窟オークの呪術師の集団に対抗することは、それ以上に不可能だろう」
「モリバントにも、強いやつらがいるんだろ……」
「”鉄獄”の最下層までも降りていったと豪語する者もおるよ。しかし、何百ものオークや深層の敵も、藁を燃やすように消滅させる、だの豪語する上のエルフや半神の戦士もいるが、モリバントやテルモラの街すら本当に滅亡に瀕するほどの危機に実際に遭遇した者も、それに対処し得た者も、本当はひとりもおらん。そういった危機には単身ではどうしようもないことは、かれらも知っている」
一行は黙り込んで、暗天と激しい雨の中、北東の漆黒の軍勢を見つめた。
カイトは高みに立った塔を見つめた。その白い姿は、軍勢にも、不穏な空模様にも、あたかも都自身が気付いていないかのようだった。……『モリバントの都』に着きさえすれば、この世界の意味のわからない凶悪な敵に襲われることは決してない、元の世界に帰ることもでき、何もかも安全、何もかも解決するとカイトは信じ込んでいた。だが、それさえ脅かされているというのだ。安心など、頼れるものなど、どこにもないのか。
「どうするの……」マリアがおずおずと言った。
「何はともあれ、モリバントには急いで知らせるしかあるまい。あの軍勢の内訳や、洞窟から出てくる動きについて、既にどれほど知っているかはわからんが。できるだけ知った上で、守りを固める必要はある」
パラニアは言って、見張り岩を降り始めた。
「本当に……それ以外に、私達に何もできることはないの?」マリアが言った。
パラニアは立ち止まった。一息のあと、振り向いて言った。「今言っても仕方ないこと、というより、モリバントに知らせた上での対策になるが、……ひとつ、可能性がないでもない」
「何?」アリスが立ち止まったまま言った。
「風だ」
パラニアは漆黒の雲に覆われた空と、落ちてくる雨を見上げて言った。
「あの軍勢の多くを占めるのは、洞窟オークや、おそらく岩トロルなどのさらに光に弱い生物だ。それが統率されているのは、今言ったように、この空模様のせいで、それはやつらの呪術によるものだ。……だが、もし風でこの雲を吹き散らすことができ、陽が差してくれば、その生物らをひるませるくらいの力にはなる。そこに、モリバントの全軍が打って出れば、あれだけの冥王軍に対しても勝機はある」
「風が吹くのを待つの? 風を呼ぶの?」アリスが言った。「あの雲、天候は、力のある敵たちが呼んでいるんでしょう。対抗するのは不可能じゃなかったの?」
「そこのところだ」パラニアは言い、「モリバントは、西方国(ウェスターネス)の人々の技で作られた都だ。かつて北西からやってきた人々が技を伝えた。それを様々な種族の住む都にしたのは、KMCという人々だというがな。ともあれ、かつて西方国の海洋王たちは、風を自在に呼んで帆に受け、世界じゅうを航海したのだ」
パラニアはモリバントの方、高く建つ白い塔を指さした。
「モリバントの『噴水広場』の奥にある白い塔は、今は執政や太守が物見に使っていると言われている。だが、もとは西方国人が、風に呼びかけるための施設なのだ。今でも都に起動できる者がいるかは、賢者の塔や寺院の者に聞いてみないとわからんがな」
「起動できれば、モリバントは助かるの?」マリアが尋ねた。
パラニアは首を振った。「それでも、幽鬼や呪術師らの呪文を破るに充分とは思えん。おそらくは、海洋王の施設はあの一か所ではない。このあたりの土地一帯に対して、大規模な風への呼びかけを行うためには、あの塔を中心として他にも何か所か、地形や地相に合うように設置してあるはずだ。おそらくモリバント周辺の地域には、都の他のどこかに、西方国の人々の作った施設がある。合わせて起動しないと、力が弱いか、全く働かないかもしれん。……しかし、どこに遺跡や施設があるか、今から探している時間はもうない。あるいは、賢者の塔や城の者に伝わっているかもしれんが、知っている者を探し出せるその望みも薄い」
「軍を動かすように伝えるにせよ、施設について訊くにせよ、都の施設だけでも起動するにせよ、モリバントに急ぐしかないわね」アリスが言った。
「いや、そのことだが」パラニアは言った。「行くのはわしだけにした方がよいかもしれん」
……そのパラニアと双子のやりとりの途中から、カイトは見張り岩の頂上から見下ろせる光景のうち、ふと気付いたものがあり、目をこらした。
若干南、ここからはややモリバント寄りの箇所に、集落のようなものがあり、そこに人が集まっている。十数人はいるように見える。最初は気のせいかと思ったが、気付くとカイトは見張り岩から身をのりだした。その集団の服装は、この世界のものではなかった。カイトの元の世界のものに似ていた。再度遭遇した。カイトと同じか、似た世界から来た集団だった。
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