煉獄の行進
19
集落はそばの台地と岩山にへばりつくような低地に存在しているが、その周囲は草木のない荒地となっており、集落や周囲の様子はよく見えた。そこに、人々が集まってきている。ここの”鉄獄”の世界よりは、遠目に何となくカイトの元の世界を思いださせる意匠の装備などを身に着けており、おそらく勇者パーティーだった。
どうやらその集落を集合地点にしていたようだった。十数人が集まると、その集団は北東へ向けて、洞窟オークの真っ黒いあの軍団の方向に向かってまっすぐ動き始めた。
「オレの世界の連中がいる!」カイトは指さして、他の三者に告げた。
「またなの?」アリスが振り向いた。
「なんなんだ!? あの連中は、なんでここにいるんだ!?」カイトは、アリスと同様の疑問を抱いて言った。
「さきも言ったが、原初の王族は冥王軍を混乱させるだけのために、ここしばらく他の世界の戦力を、大量に召喚していた。使わなかった戦力の残りだろう」パラニアが振り返って言った。「おそらく、このあたりの冥王軍にも仕掛けたのだろう。その目論見は失敗したが、原初の王族は、使い物にならなかった戦力はそのまま、元の世界に返したりせずに見捨てて、この”鉄獄”の世界に放り出すことにしているのだろう。カイト、おまえがここに来た時や、あの野営地の冒険者たちも、元はそれらだったのだろうな」
カイトは愕然としてパラニアを振り向いていたが、すぐに下の集団に目を落とし、
「まっすぐ、オークの軍団の方に向かっていく」カイトはその一行の動きを見張り岩の上から見下ろしながら、口に出してつぶやいた。「だめだ……」
なぜよりによってそんな方向に向かっていくのか。無論、オークの軍団など、簡単に倒せると思っているためだ。彼ら勇者パーティーは。彼らは、自分たちが英雄的な突撃を行っていると思っている。──だが、『カイトと似た世界から来た勇者パーティー』が、『この世界のオーク』に対して、どんな結果になるか、それはカイトにはすでにわかっていた。彼らはオークの軍団を倒すどころか、損害を与える可能性すらも、限りなくゼロに近いどころかまったくの無そのものだ。ましてや、パラニアやモリバントの強者ら、都の軍勢でさえ対抗不可能などという大軍団に対してなど、間違いなく、完膚なきまでに無駄死にだった。すでに”原初の王族”の捨て駒の役目すらなかった。
カイトは駆け出そうとした。彼らの中に駆け込み、警告を発するつもりだった。
そのカイトの二の腕を、パラニアがぐいと強い拳で掴んだ。
「離せ!」カイトは老人の手を振り払おうとした。
「行っても無駄だ」老人は言った。「おまえにできることはない」
カイトはパラニアを睨みつけた。「あんたは言っていたな。最初に、丘オークの時に、辺境の地でオレに。……死に突っ込んでいく人間は止める気がないんだろう!? あんたにとってはどうでもいいことなんだろう。だったら、せめて邪魔をするな!」
「止めるのはおまえのことだ、カイト」パラニアは静かに応えた。「おまえは無謀に戦うつもりでも、死ぬつもりではなく、かれらを止めるつもりなのはわかる。……だが、あそこに出て行っても無駄だ。ともに無駄死にするだけだ。おまえに一体、何が出来る? かれらを、どうやって止めるというのだ?」
……カイトは、ほんの数日前の自分のことを思い出した。地下牢でオーガの首領に詰問されても、満足に答えることすらできず、パラニアやアリスの言葉に耳を傾けようともせず、自分の基準をわめくこと以外、何もしようとしなかった自分を。この世界にやってきたばかりの彼らが、かつての自分と同じならば、聞き入れるわけがない。仮に、パラニアやアリス自身がそのわざで説得を行ったとしても、そんな集団を統制することなど到底不可能だろう。
「おまえに、かれらにどんな言葉がかけられるのだ?」老人はカイトをじっと見て、穏やかに言った。「おまえはこの”鉄獄”の世界について、何を知っている? かれら以上の知識、かれらに知らせれば止められるようなことを、何か知っているとでもいうのか?」
カイトはただ言葉を失って、目の前の光景を凝視した。……仮に彼らが聞き入れたとしても、カイトは彼らを説得する言葉を何ら持たないのだ。
「だとしても」カイトは俯いてから言った。「オレは、放っておく気にはなれない……前の冒険者たちと同じ目にあうのを、放ってはおけない……」
カイトは言い捨て、もうパラニアの続く言葉を待たず、既に駆け出していた。双子が止めたかどうかも意識にはなかった。カイトは見張り岩を駆け下り、丘を下って、すでに勇者パーティーが歩み去っていった方向、北に向かって駆け出していった。
起伏の多い地形ではあったが、周辺は開けており、勇者パーティーがオークの軍団に向かっていく姿は、北の方に目視できた。
丘を降りる時に、わずかに南の方に、先に見張り岩の上から見えた集落がさらに近くに見えた。集落、あるいは村なのかもしれないが、粗く作られた柵や建物など、以前に立ち寄ったあの樹エルフの野営地の方が、よほど文明の碑らしかった。集落の柵の隅には、小さな生き物の姿が見えた。あの種族は、『イーク』ではないか。この世界でも最もみすぼらしい、矮小な生き物だという。オーク軍がモリバントに攻めのぼったら、明らかに通り道にある、あの集落は一体どうなるのだろう。
が、今はそれを気にしている場合ではない。北に向かっていく勇者パーティーを止めなくては。カイトはその集団の背めがけて、ひた走りに駆けた。
歩いていく前の集団にようやく追いつき、カイトは荒い息の中から声をかけた。
「待ってくれ」カイトは言うことを考える時間も惜しむように言った。「聞いてくれ──」
前を歩く一行は立ち止まり、振り向いた。近づいてみると、カイトらの元の世界の冒険者たちの服装、意匠とは、まるで似ても似つかないことがわかった。間違いなくカイトがいたのとは別世界だろう。しかし、この荒野の中、あの集落の近くに集まり移動している姿が、その中で異様に色彩も造形も浮いて見え、その点においてカイトの元の世界と同質のもののように錯覚させたのかもしれなかった。
いかにもな勇者パーティーは、前衛と後衛が同じくらいの人数がいるようだが、はっきりした区別がわからなかった。前衛のような気がする者らも、誰ひとり盾を持たず、兜をかぶっておらず、特に上半身に著しく素肌が露出したような装備を身につけている。男女問わずと言いたいところだが、男女どちらかさえ見分けがつかない者も多い。胸や腹が露出していても、肩や腰のあたりは異様にごつごつして装飾も多い複雑な部品を大量に身につけていた。後衛と思われる者もほぼ全員が、杖なのか他の武器なのかわからない、大量の線や装飾の目立つ巨大な代物を手にしていた。
カイトはその一行を前にして、最初の一言のあとは荒い息をつくだけだった。気ばかりが急くが、何をどう語って良いものかわからなかった。
「この先にオークがいる」カイトはようやくそう言った。
「知ってるよ」列の一番後ろにいたひとりが言った。「それを倒しに、一掃しに行くんだから」
「やめろ。絶対に殺される」カイトは考える間も惜しんで言った。「ここのオークは、すごく強い上に大軍なんだ」
「何の話だよ」そのひとりが言った。「オークなんて、うまくやれば一般人の力でも倒せるような連中だろ。さっきの集落にいたゴミどもは、それさえ自分でできないらしいけどな」
「誰にもできないんだ!」カイトは叫んだ。「絶対に全員殺されるんだ!」
「オークに魔族が混ざっているとでもいうんでしょうか」後列の誰かが言った。
「魔族なんかいない!」カイトは叫んでから、一度口ごもり、「自分に都合の悪いこと、判らないことは、全部魔族のせいにしておけばいいとか、そんなやつら、魔族なんてものは、ここの世界には居ないんだよ!」
「魔族じゃないんなら、俺達でも倒せないとかいうのは何だっていうんだよ」
「オークがだよ!」カイトは声を枯らして叫んだ。「ここの世界のオーク達は、オレ達高レベル冒険者が集団になっても食い止められなかったんだ! オレ以外の全員が殺されたんだ!」
一行はそこで怪訝そうにカイトを見た。やがて、別の一人(先のひとりと見分けはほとんどつかない)が言った。
「お前の一体、どこがどう高レベル冒険者なんだよ」
カイトの姿は、大雨にさらされ、荒野や地下の逃亡行を続け、険しい山道を踏み外しながら通りすぎた後のものだった。泥に汚れ、あちこちがほつれていた。浮浪者とまではいかないが、苦行中の巡礼でもなければ、せいぜいがひいき目に見ても襤褸をまとった野盗か何かだった。
「オレは高レベル冒険者だ……オレは強いんだ……オレは高位魔族だって倒すし……ロード・ドラゴンだって倒すし……」カイトがぼそぼそと言った。
カイトの言に、どっと笑いが起こった。
「あっそう、そりゃすごいわ。オークに絶対殺されるとかいうやつが、魔族もドラゴンも倒せるとか自分は強いんだとか、しかも、勇者パーティーに向かって自慢するわけか、それをさ」
「なんなんだこいつ? 一体何が目的なんだ?」他のひとりは、最初から笑おうともせずに怪訝そうに言った。それは大声で、カイトの目の前なのに、カイトなど居もしないように隣の者に向けて喋っていた。
「魔族に雇われているのでは? 勇者を罠にはめるために」話しかけられた、後衛らしき一人が言った。
「罠にはめるって、こんな手でかよ! 高レベル冒険者とかいうやつが、オークに必ず殺されるから行くなとか、そんなの一般人だって騙されないだろ!」
一行の全員が笑い出した。無論、それはさきのパーティー内の会話に対してでなく、カイトに向けられた嘲笑だった。
カイトは嘲笑の中、何かを言わなくてはならないと思った。この次元世界が、敵たちが、かれらの元の世界とは何もかも違うこと、それをなんとか伝えなくてはならない。
──だが、一体かれらに教えられるようなことを、カイトは何を知っているのだ? この世界のオークやオーガが異常に強いのを見たなどといっても、何がどう何故あんなに強いのか、高レベル冒険者であるはずの自分の強さで倒せないのは一体何故なのか、何も説明できないではないか。さっき自分が根拠として挙げようとしたことすら、自分の世界で高レベル冒険者だっただの、自分の世界の魔族も倒せる云々ではないか。
この次元世界について、今のカイトがようやく知ったことは、”自分は何も知らない”、ただそのことだけなのだ。──そしてそれは、これまで頑なに目を開こうとしなかった、この世界も、自分自身に対しても、何も直視しようとしなかった自分のせいで、招いた結果に他ならないのだ。
「自分でオークを倒して、金だとか報酬だとかを横取りしようとしてるんじゃないのか……」勇者パーティーの一人が言った。
「ただの頭のおかしい浮浪者だろ。このあたりに来てから、おかしいことを言うやつはいくらだっていたからな。あの集落のやつらみたいにさ」別の一人が言った。
「本当だ! オークが強いし大軍なのは本当なんだ」カイトは必死で叫んだ。
「うるさいんだよ。お前、もう面白くないんだよ」最初の方に話していたひとり(だと思われるが、他とよく見わけはつかない)が言った。「オークなんかがそんなに怖いんなら、ザコはザコらしく引っ込んでろ」
と、突然、口々に喋っていた声が静まり返った。
先頭近くから、一人が歩いてくるところで、他の面々はその者の一挙一動を黙って見つめていた。長い銀髪と、両方の眼の色が違う細面の男で、扮装は上半身が首も胸も露出し、肩のあたりだけ大量の部品の装具をつけている、というあたりは他の面々と同じだったが、容姿といい装備といい、きらびやかさがその集団の中でもひときわ群を抜いていた。過剰ともいえる大量の装飾と曲線を追加された巨大な剣を背負っていて、それは一目で勇者の聖剣だとわかった。
「一般人の人、こんなことをしてはいけないよ」銀髪の男はさわやかな声で言って、突っ立っているカイトの肩に手を置いた。
「勇者や、その真の仲間になれなかった一般人など、どんなふうに生きなくてはならないか、それは見てきて知っているつもりだ。辛いことばかりだったろう。……だが、だからといって、道を踏み外したり、勇者に危害を加えようというような、無駄なことをしてはいけないんだ。自分が世界を動かしたい、動かせる、と信じたいかもしれない。だが、世界を動かしているのは勇者だけ、その真の仲間だけなんだ。一般人なんて、世界の何の役にも立つことはない。勇者や仲間の邪魔をする者にだってなれないんだ。……勇者とその真の仲間は、選ばれた者だけがなれるんだ。選ばれもしていない一般人が、でしゃばるようなことをしてはいけない」
銀髪の男は、そこで自分の周りの集団を見回し、
「誰に吹き込まれたか、自分だけで考えたのかは知らないが、きっと人生が辛いから、そんなことに走ったんだろう。だけど、よりによって勇者の邪魔をしようだとか、それだけは決してやってはいけないことだ。一般人が勇者に刃向かうなんて、本当に命取りなのだからね」
銀髪の男は革袋を取り出し、カイトの手に押し付けた。
「1512ギルメルある。ただの一般人なら、仕事をしなくても、一生遊んで暮らせるはずだ。こんなことはやめて、ただの一般人らしくおとなしく暮らすんだよ」
カイトは革袋を持って、突っ立ったままだった。
銀髪の男が、オーク軍らのいる方向に歩み去るのに続いて、周りの連中も去っていった。
「さすがは勇者様です! あんなクズにまで一生面倒を見られるだけの配慮をするなんて!」女のような声がした。
「能力がない連中は働こうにも、自活さえできないんだ。これくらい配慮した方がいいんだよ」銀髪の男のさわやかな声がした。「どうせ千や一万ギルメルなんて、終盤の勇者パーティーにとってはなんでもないのだからね」
カイトはその集団が去った後も、しばらく立ち尽くしていたが、やがて見張り岩の方に戻っていった。
雨の降り続く中、見張り岩の頂上には、帽子とフードを目深にかぶった、紫紺の外套の小さな影が二つだけあった。見下ろし、カイトを待ち続けているようだった。カイトは重い足取りで、岩を登っていった。岩に上ると、駆け寄ったマリアに、カイトは黙って革袋を手渡した。
「試みるまでもない話ね。……つい何日か前まであんた自身が頑なに信じなかったことを考えれば、あの連中が何を信じないかなんて明らかでしょう」アリスが、カイトから話を聞いて言った。マリアからさらに受け取った革袋の中の貨幣をとりだし、「金属の質が悪すぎるわ。世界の”影”の濃さの差のせいで、手っ取り早く言うと、ここではコボルドが腐らせた後のものくらいの質しかない。袋に入ってる全部をあわせても、鉄のくさびひとつ買えないわね」
カイトは俯き、押し黙っていた。
「パラニアはモリバントに知らせに行ったわ。敵もいるかもしれない中を突っ切ることになるから、ひとりで行くって。私達はついていかずに、ここからもういちど、あの北の山の中、オークの洞窟の方じゃなくて、木の間とかの隠れられる場所に逃げ込むようにって」アリスが、先に洞窟を脱出してきた山地を指さして言った。「そこで半日経ってもパラニアが戻らなかったら、白い塔の灯がつかなかったら、風を起こして軍がうって出る、それが不可能だったら。モリバントは滅亡するわ。引き返して、辺境の地に戻れって」
事態はそれほど深刻なのだ。パラニアが、双子を置いてひとりで行くほど。あの野営地や洞窟を抜けるときに、一時別れただけの時とは違う。あの老人がそうした行動を取ったということが、何より事態の危険さとそれほど差し迫っていることを、カイトに強く感じさせた。
マリアが、カイトを見上げていた。一刻も早く、カイトも双子と連れ立って、山に逃げるべきなのだろう。それを促しているように見えた。
カイトは俯いていた。が、
「まだだ」カイトは呟いた。「まだできることはある」
「今度は何」言葉はいかにも嫌そうだったが、アリスの声は静かだった。
「見たろう。集落があるんだ。イークたちだ」
カイトは見張り岩から雨の中に見える、消え入りそうなかがり火、儚くみすぼらしい集落を指さした。さきに冒険者たちの方に走っていく途中で見つけた集落だった。
「オークがモリバントを襲ったら、通り過ぎたらひとたまりもない。せめて、知らせに行こう」
「……どうしてなのよ」アリスが低く言った。
「アリスは平気なのか?」カイトはアリスの方に身をのりだし、はしばみ色の瞳を正視して言った。「集落の人たちが死ぬかもしれなくても、平気なのか?」
「あんたがやることの意味がわからないって言ってるのよ」アリスが鋭く言った。「えらく調子のいいことを言うじゃないの。あんたの方こそ、人の心配なんてできる心があるの? そんな偉そうなことをする覚悟なんてあるの? きのうまで自分の強さのことしか頭になかったじゃない。他人の心配なんかより、自分が生き残ることだけでも、まともに考えたらどうなのよ」
カイトは俯いた。
「……オレにもわからない」やがて、それだけ答えた。「だけど……もういい。時間がない。オレ一人でも行く」
「本気なの……」アリスはかすれた声で言った。「あんたが、……遠くで見ただけの、通りすがっただけの集落じゃない」
カイトはアリスを構わず、岩を降り始めた。通りすがりかどうか、人の心配をする覚悟の有無、そのどちらも、何か違うような気がする。あえて言えば、まだ自分にできることがある、それだけに動かされているような気がする。だが、できることをしたからといって、それは冥王軍を前にして、自分が本当にするべきことなのか、本当にそれが誤りではないのか、それはわからなかった。
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