煉獄の行進








 10

 そのアスタの突然の言葉に、カイトは呆然とした。
 「俺もお前も、もともと別の世界から、この”鉄獄”の次元世界に来た。連れてこられた」アスタは焚火に目を戻すと、話し続けた。「だったら、逆のことが起こらないとでも思うのか。この”鉄獄”の世界の軍隊が、お前の元いた世界に連れて来られる、進軍して来る、それを考えたこともないのか」
 カイトは困惑した。アスタが言っているのは一体、何の話なのだ? 『トランプの塔』であれ、最初に連れて来られた時の『黒と銀の男』の仕業であれ、”別世界に移動する”話については、そういえば、詳しいことを聞いたことはない。だが、こんな話を聞く、想像するのははじめてだ。
 「ここの”鉄獄”で、冥王が、原初や混沌の王族に勝利すれば、多元宇宙(マルチバース)のすべてが冥王の支配下になる。冥王の最終的な目的がそれなのかはわかっていないが、どのみち、その結果は生じることは確実だ」アスタは言った。「冥王の軍は、すべての世界に侵入してくる。お前の元いた世界も、あのオークらに蹂躙される。そうなった後も、オークやオーガや幽鬼が自分より強いのがおかしいだけで、そんな周りの方が悪い、本当は自分は強くて勇者なんだ、とか言いながら、逃げ回り続ける気か? ──もうその先には、帰れる場所なんてどこにもないがな」
 カイトはぐらりと視界が傾いた気がした。前にも感じたことがあるが、特に眩暈のような原因はなく、いったい何かはわからなかった。
 「そんなばかな……」カイトはようやく言葉を発してから、「ありえないだろ! こんな狂った世界の方が、他のまともな世界、本物の世界の方を占領するだとか……」
 信じられない、というより認めたくはなかった。
 アスタは焚火を見つめ続けた。すっかり闇が濃くなった夜の中、焚火が包帯に覆われた半面を照り返した。がさがさとイークたちが動く音がした。
 「……俺のもといた世界、一番最初に育った世界は、まず、『混沌の王族』に占領された」やがて、アスタは口を開いた。「高レベルの冒険者や勇者パーティーや、俺の世界の魔族軍らは、混沌の王族の軍にほぼ皆殺しになった」
 「いや、ちょっと待てよ……!」カイトは遮った。「高レベル冒険者が全員、勇者パーティーが全員、それに……まさか、魔族まで、全員いてもか!? 混沌の何とか……が何だったとしたって、絶対ありえないだろ!」
 「嘘や冗談だと思うのか?」アスタは火傷に覆われたおぞましい面相で、カイトを見上げて言った。「こんな目にあったことを、冗談で言えると思うのか?」
 やがて、アスタは目をおろし、焚火を見たまま、ふたたび口を開いた。
 「『混沌の王族』が冒険者や魔族軍を皆殺しにしたのは、かれらにとって危険だったからでさえないんだ。生かしておいても利用価値がなかっただけだ。『混沌の王族』は、刃向かうようなやつらは必要としていなかったし、実のところは、能力も必要なかった。かれらが必要としていたのは、民衆の方だった。大量の人手だ。かれらの兵器をあやつる者たちが必要だったのさ。──『混沌の王族』がすでに占領していた別世界、はるかに文明が進んだ世界から、見たこともないような兵器が運ばれてきて、人々はそれを操作させられた。銃器、戦車、戦艦、戦闘機。大陸間弾道核ミサイル」
 アスタは言葉を切り、
 「そこに、冥王軍が押し寄せてきた。俺達の世界は、混沌と冥王の戦場として利用されたんだ。だけど、俺達の世界の勇者や魔族軍を簡単に殲滅した混沌の軍も、冥王軍にとっては、ものの数じゃなかった。冥王軍に対しては、それらの兵器も全部、紙屑同然だった。兵器も、操っていた人間も、何もかもが血と灰になった。冥王軍の方は、兵器や軍は全て完全に殲滅して、民衆もためらいなく大量に殺戮した。人間よりやつらのオークの方が遥かに強いし、ずっと数も多い。冥王軍が連れて来た、もっと影の濃い世界の人間ならともかく、俺の世界の人間なんて、やつらにはそれらの兵器以上に何の利用価値もなかった。……『混沌の王族』どもは撤退してどこかずっと遠くの世界に消えて、残った冥王軍は殺戮と、周りの他の世界までも侵略を続けた」
 アスタはまたしばらく、焚火を見つめた。
 「俺は育ての親の竜神たちに頼んで、周りの7つの世界に移動して、協力を求めて回った。いくつかの世界は、混沌の王族の持ってきた兵器より、もっと文明が進んでいて、それを結集して冥王軍に立ち向かった。恒星間宇宙船。物質転換装置。反物質兵器。そして切り札が、機械の巨大神、電気騎士だ。……この傷は、俺が操っていたその電気騎士が破壊されて、脱出に失敗しかけたときについた」
 アスタは火傷に覆われた自分の肌に手をやり、それでも焚火を見つめ続けたまま、
 「それらの兵器、7つの世界を上げて結集した大軍、すべてが冥王軍に皆殺しだ。俺の最後の仲間たちも、竜神たちも。みんな血と灰になった」
 カイトは呆然として立ち尽くした。それらの話、特に別の文明やら聞いたこともない兵器やらの話は、カイトにはほとんど理解はできなかった。しかし、アスタが話しているのが、冥王の軍の相当な脅威についてであることはわかった。
 「なんでだ。……なんでそういう、他の世界からの兵器とか、助力とかをもらっても、……冥王軍に勝てないんだよ」カイトはとぎれとぎれに言った。
 「”影の濃さ”の話は聞いたことはあるだろう。たいていの世界に存在する力では、やつらには物理法則そのものが完全に通用しないんだ」アスタが言った。
 アリスからそんな話を聞いたことがあるような気がする。しかし、内容を全く理解できなかったので、ほとんど覚えてもいなかった。
 「いや、……通用したとしても、あいつらに、冥王の火の悪霊や龍たちの大軍に、勝てる軍なんて決していない」アスタが独り言のように言った。「やつらと元々同じ”影”の世界から来た、光のエルフと精霊の半神らの一軍が、かつて、自分達の世界を水没させてまで冥王を破ったことがあると聞いた。光のエルフや半神の戦士は、電気騎士なんてとても比較にならないほどの力がある。だが、今はかれらの、半神を従える諸力たち全員を含めた軍の総力を挙げたとしても、今の冥王軍には立ち向かうのさえ不可能と聞いた」
 カイトにはアスタの言う内容はほとんど理解できず、信じられもしなかったが、しかし、相当な暴威の中に、アスタの故郷が滅び去った、その傷はその時に負った、という話だけは理解できた。
 「それで……どう……」カイトは言葉が出ず、「いや、なんで、……アスタはこの世界にいるんだ!? 冥王軍からそんな目にあったのに、なんで冥王軍そのものがいる、こんな酷い世界にまだいるんだよ!?」
 アスタはその問いにも、しばらく黙っていたが、
 「……はっきりした目標、いや、希望はない。ただ、ここにはまだ、冥王軍に抵抗している人達がいる。『上のエルフ』達だとか、『原初の王族』達だとか、『天秤の戦士』達だとかの中には。それはただ、抵抗は可能だ、少しの間だけは、ということだけかもしれない。あとは、もしかすると……ここなら、何か見つかるかもしれない。見つかっても、もう俺には手遅れだが、それでも何かがな」
 「そんな、何もはっきりしないものに……そんな理由で、よりによってこんな狂った、こんな危険な世界にわざわざ居るだとか、おかしいだろ!」
 「どこだってかわりはないんだ。どこに行っても、ここ”鉄獄”で冥王が勝利すれば、あとはどこの世界も全部、多元宇宙のすべてがここと同じになる」アスタは、カイトからも焚火からも目を逸らして言った。気のせいか、今まで低く抑揚の何も無かった、その声が震えていた。「辿り着ける場所なんて無い。どこに着いたって……何もかも、血と灰になる」
 アスタはそれきり口を閉ざした。
 カイトはそのアスタを呆然と見下ろした。──わからない。今まで老人や双子から聞いた意味のわからない話や、何よりも今までの自分の体験と、おぼろげに共通したり繋がった部分があるような気もするが、何もわかりたくもないし、信じたくもない。
 きっと、今までの意味のわからない話と同様なのだ。このアスタが自分と同様に他の世界から来たとしても、アスタの精神や、その話の内容など、この世界のモンスターや他のものと同様、このおかしな世界にいるうちに、ねじまげられてしまったものに違いない。
 元の世界に帰ってしまえば関係ないことだ。きっと元の世界に戻れば、自分の周りは何もかも元通りだ。それだけの話だ。カイトは自分に必死で言い聞かせた。


 「カイト先輩! カイト先輩ですね!」
 次の日、イークの馬車を避けるようにして野営地の反対側を歩いていたカイトを呼ぶ声があった。その声に聞き覚えも、遠くから見る三人連れの姿にもいずれも見覚えはなかったので、一体なぜ名前や先輩などと呼ばれたか当惑した。しかし、その声の元の、長身の神術士の服装が、かつて『冒険者学園』にいた神術士のひとりに、よく似ていることに気付いた。
 「カイト先輩のことは、ロイド先輩から聞いています」
 「ロイドに?」それはカイトの冒険者学園の、同期のひとりの名だった。
 「同期卒業生で、つまりは高レベル冒険者だと。私達も、同じ学園の卒業生です。つまり──同じ世界の出身、でもあります」神術士が言った。
 一気に、雲が晴れるようにカイトの視界が明るくなった。この”鉄獄”の次元世界に迷い込んで以来、いや、冒険者をはじめてこのかた、これほどに気が晴れたことはないほどだ。この集団は、同じ世界、同郷の、冒険者学園の出身者だというのだ。
 「ロイド先輩から姿も聞いていますし、ここのキャンプにいるということは、隊商の人から聞きました」後輩とはいうが、ややカイトよりも年上に見える、長身の神術士は言った。「……あとは、服装でわかりましたよ。ここの隊商の人達とは、その──全然違いますしね」
 そういえば、カイトは馬車で療養していたので、パラニアやマリアに貰ったこの世界の胴衣や毛皮の外套を身に着けておらず、元の世界の服のままだった。
 「他にはすごく変な見かけのやつか、みすぼらしいやつしか居ないしね」うしろから進み出て来た、銀髪の少年が言った。
 銀髪の少年は、薄着と複雑な模様の装束、湾曲した非常に装飾の多い剣から考えて、魔法剣士のようだ。三人連れのもうひとりは、重戦士風の重装備の男だった。
 三人とも、見知った顔ではない。元の世界では、名の売れて来た高レベル冒険者ならば顔くらいは知っていると思っていたが、自分がこんな世界で変に時間を無駄にしている間に、故郷の世界では、次々と新顔がレベルアップしていたのではないのか。焦りが感じれられると共に、元の世界での冒険者としての感覚が戻り、もとい、同郷の冒険者と触れることで、元の力や立場を取り戻してきているような気がした。
 「オレ達よりも先に、こっちの世界に旅だった、と聞いたよ」重戦士風の男が言った。「同じ道を通って、どんどん来てるけど、オレ達は第二波組ってとこか」
 「第一波組、カイト先輩と一緒に旅だった、同じ高レベル冒険者の人達はどうなったんですか」神術士が尋ねた。
 カイトはどう言うか迷った。ここの世界に着いて最初に、冥王軍に突撃し、仲間の何人かは殺され、カイトは捕まり、それ以外の何人かはそのまま、どうなったかわからない。どう説明しようかと思った。が、
 「世間話はあとでいいよ」魔法剣士が微笑して言った。
 「そうですね」神術士は、わずかに魔法剣士の方に恐縮するように目をやってから、「カイト先輩がいるなら頼もしい。この近くに、モンスター討伐に行きます。カイト先輩も加勢しませんか」


 話によると、この隊商の近くにゴブリンやオーガーなどの雑多な人型モンスターの集団がいる。おそらく、モンスターはなにがしかの金品や『マジック・アイテム』も持っているだろう。
 この三人連れと、その他の何組かの冒険者集団は、この世界に来て間もなく、ここにいる隊商の幾つかと合流した。武装しているので護衛を頼まれ、それぞれの目的地まで同行すればおそらく報酬も出る。だが、討伐できるモンスターがいるなら、そんな報酬よりも、ひいては隊商の通商の利益などよりも、ずっと実入りがいいではないか。
 話しているうちに、冒険者らは、隊商の人々が外敵と会わないように進んだり潜み生活したりしているのを、ひどくまどろっこしく、かれらと共にいるのを”退屈”に思っているのがわかってきた。この三人連れだけでなく、他にも2パーティーほどが討伐に参加するそうだ。
 「いくらでも募集しています。参加者は増えていますよ」
 「分け前は減ったっていいんだ。というより」魔法剣士が言った。「マジック・アイテムは一番高レベルの僕たち三人がとって、金の類は全部、残りの人達で分けてもらう。ただの現金なんて、いまさら僕らにはどうせたいして重要じゃないからね。だから残りの参加者が増えても、僕らはいっこうに構わない。ただ、残りの人達の間の分け前は活躍次第だろうけどね」
 神術士と重戦士がその言葉に、不安そうに魔法剣士を見た。カイト自身もひっかかったことだが、魔法剣士は、カイトについても『高レベル』ではなく、『残りの人達』の方に当然のように入れているようだった。が、なんとなく口を挟んだ時の振る舞いなどから見て、この魔法剣士が三人連れの中では実質の指導者、というよりも、実力か地位か何かの理由で、立場が上の者、口出しを許さない者、として振舞っているようだ。
 「隊商、つまり、護衛を頼まれた相手は放っておくのか?」カイトはふと疑問に感じて言った。
 「全員行くわけでもないし、それに、護衛する必要のある強敵なんて出ないよ」重戦士が言った。
 それはそうだろう。安全なのは確実だ。カイトはこの世界で異常なほどの剣技を持つオークを見たことがあったが、それはたまたま、その個体が狂った強化変異種だったか、むしろ、そのとき偶然カイトの運が悪くて敵の攻撃が命中したとしか考えられない。今回の敵はオークではないというし、無論、魔族のような危険な相手でもない。低レベルモンスターの定番である、ゴブリンなどの人型モンスターに、危険があるとはとても思えない。
 ……しかし、それでもカイトには何かひっかかることがあった。それは、自分と仲間がこの世界で最初に冥王軍に遭遇したときの記憶からかもしれなかった。
 「その敵は……何体なんだ? レベルでは楽勝だとしても、オレ達の人数で食い止められるのか? 野営地の方に行ったりする可能性はないのか?」





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