煉獄の行進








 9

 カイトが目をさますと、そこは今までの過酷な野宿、特にここ数日の洞窟の石の上とはうって変わって、快適な寝床だった。顔を上げて見回すと、どうやら馬車か何かの中に設けられているようだ。しかし、それが非常に快適な理由でもあったが、馬車の中の空間も、そして寝床も、えらく大きかった。
 「おう、起きたか」パラニアが両手に、焼き菓子のような薄いパンと、それ以上にかなり多くの酒瓶を抱えて入ってきた。「てっきりずいぶん弱っていると思っておったが、ルーミルの所の念力治療師は、一晩安静にするくらいでよいと言っていたぞ」
 「ねんりきちりょうし……」カイトは反芻してみて、それが人の職務か何かを示しているのではという気がしたが、あまりにも聞きなれない言葉のためほとんど頭を素通りした。
 「ここは野営地だ。見慣れない光景かもしれんが、それはエルフの馬車だからだろうな。この大きさもそのせいだ」パラニアが言い、「あのあと、ルーミルと早めに出会え、合流できたのだ」
 パラニアのうしろに続いて、銀灰の巨人──という以外に形容しようもないものが、馬車に入ってきた。6フィート半をこえるパラニアよりも、さらに頭半分は長身で、全身すべての規模がひとまわり大きい。大樹の枝のような頑強きわまりない手足をしているが、しかし、銀灰の服、銀の長髪、白灰の肌、全ては非常に繊細な造形で、野生の大型獣も思い出させる。しかし、そんな巨人とパラニアの二人がいても、馬車の中はまったく窮屈を感じないほど広かった。
 「ここは安全なのか?」カイトはまず聞いた。
 「野営地や隊商の皆が、冥王軍に見つからぬように身をひそめておるような場所だ。それは安全とは言い難いかもしれん。が、わしと双子らが同じ状況で身を潜めている状態に比べれば、まあかなり安全と言ってもよいな」パラニアはさっさとパンを寝床脇に置いてから、嬉しそうに酒の小瓶を眺めながら言った。老人がいつになく安心しているというのは、カイトにもすぐにわかった。
 銀灰の巨人が、何かカイトには聞き取れない声を一言パラニアにかけてから、馬車を出た。入れ替わりに入ってくるアリスと、巨人が数言、今のパラニアとの会話と響きが似たような言葉をすれ違いざまにかわした。巨人の声は、見かけによらず異常なほどに澄み切って滑らかであり、アリスの普段の訛りに酷似した言語のように聞こえた。
 「今のがルーミル、樹エルフで、ここの長ではないが、まあ重要人物のひとりというところだ」
 そのパラニアの言葉が、銀灰の巨人のことを指していたと気づくのはしばらくかかった。
 「エルフだって!?」カイトは思わず寝床から起き上がっていた。「エルフってのは、耳の長さがどんなに短くても30センチ以上あって、その耳が顔の真横から水平に飛び出してるやつらだろ。全員、金髪で、緑の服を着ていて、人間より細くて小柄で、筋力が人間の3分の1くらいのやつらだ」
 『高レベル冒険者』であれば誰でも、人間と異種族であるかを判断するには真っ先に『耳』を見るのでカイトもそうしていたが、あのルーミルの耳は髪に隠れて見えず、断じて『長く』も『水平』でもないことは確実だった。そして、その全身の造形は驚くほどに整って繊細ではあったが、まるで自然の強大な力が長年にわたって大理石を削って整えたようなあまりにも剛直な美しさだった。金でも緑でもなく、全身の色合いは大理石の輝く白灰色だった。筋力は人間の3分の1どころか、3倍やら9倍を超えると言われても信じられる。
 「あんなのが『エルフ』だとか名乗ってて、あんたらはそれを信じてるのかよ。どっちだとしても、お笑い草だよ。あんなのはなんたらジャイアントか、そのジャイアントとベヒーモスの合成獣(キメラ)か、でなけりゃ、魔族だ」
 「あんた、命拾いしたわよ。ルーミルは西地方の人間の共通語が話せないから」アリスがカイトに冷たく言った。「樹エルフは、地エルフや森エルフよりはかなり温厚だけど、もし言葉が理解できれば、それほどまでの無礼を聞き流したりはしないわよ」
 「この野営地には共通語がわかるエルフも大勢いる。そして、他の種族もだが、多くはそんなに分別があるわけでもない。それは気を付けた方がよいかもな。ここに長居するなら特にそうだ」パラニアは残りの量を確かめるように酒瓶を振りながら言っているので、アリスと異なり、本気でたしなめているのか否かわからなかった。
 アリスがカイトから目を離し、老人に尋ねた。「モリバントの近くは今、どうなってるの? 隊商からは何か聞けたの?」
 「特に軍が動いているといった、例えば、”乗り手”の勢力が移動している兆候はない、とのことだ。この間見た行軍のような移動はあるが、旧魔国が、どれかの軍団の本拠地までも、こちらのモリバントの方まで移動させた、といったことはない。……原初や混沌の王族が軍を動かしている、といったこともない。むしろ、ここしばらく負けがこんで、撤退している」パラニアが応えた。「しかし、モリバントの近くの山の、洞窟オークらの動きが激しい。このあたりでも見かけることがあるし、見慣れないオーガも混ざっていることがあるらしい。洞窟オークらは統率されておらず、それも地下だけに潜んでいて、外の種族を攻めるようなことはまずないが、不穏ではあるな」
 パラニアはそこで言葉を切り、思い出したように、
 「それと、かれらがもうひとつ言っていたことがある。天気に気付いたか」
 「やけに曇りが多くなってきてるわね」アリスが言った。
 「樹エルフらによると、この季節では、あとは他の場所での気象からは考えられんことだそうだ。何者か、おそらく相当の呪術集団が操作している。よくない傾向だ。日光を遮るのは、オーク、トロルや不死などの軍勢を動かしたいときであることが多い」
 アリスは考え込んだ。
 しばらくして、パラニアは再び机から酒瓶を取り上げて、眺めながら言った。「良い知らせもある。ここからモリバントまで出る隊商があるということだ。モリバントのアーチャーギルドの、アングロス配下の森エルフもつくらしい。同行すれば、かなり危険は少ないな」
 「というか、それはもう無事に着くのが保証されたみたいなもんだわ……」アリスが言ってから、つまらなそうにカイトを見て、「あんた、馬車に揺られてる間に着くかもしれないわよ」


 カイトは(もともと外傷などは負っていなかったためか)ほどなく回復してきた。ルーミルの念力治療師なるものの薬草などしか施されていないのに、なぜあれほどの異常なほどの苦しみが嘘のように消えたのかは正直理解できなかったが、治療は関係なく、『魔族の精神攻撃呪文の持続時間が切れた』証拠だとカイトは結論づけた。馬車を出て、あるときは必需品を買う双子と共に、また別のときには一人で野営地を回った。
 今まで自分が寝ていたため、また今後も同行することになるかもしれないため興味をひかれたが、樹エルフの馬車をはじめとする道具や、生活用品の様は、それまでのカイトの知識とは全く異なるものだった。カイトの認識では、『エルフ』の家や生活というのは、決して物を加工しなかったり、一切金属や石を使っていなかったり、病的までに一切の殺生をしない、自然に手を加えない主義を人間にまで強要してくる、といったものだった。が、ここでは木材も石も金属も驚くほど手を加えられており、いずれもカイトの見たこともない素材だった。すべての道具が、見ているとカイトにはかえって落ち着かないような、不自然なほどに巧みな曲線で彫り形作られていた。
 アリスが樹エルフらと、つまり銀色などの巨人どもと話すのも聞いた。カイトは元の世界でのエルフ語は知っていたが、巨人どもの言葉は話す語どころか発声、響きすらも完全にかけ離れていた。アリスの普段の訛りに酷似していたが、よそで耳にしても、対面で会話を見ていてすらも、旋律を奏でているのか歌っているのか喋っているのかすら全く判別できなかった。
 ほどなく、樹エルフらについて、カイトの知るエルフとの共通点などを探ることは諦めた。エルフという同じ名をアリスやパラニアは使っているが、何をどう見てもやはりまるで別の種族だ。あるいは、翻訳の都合で何かおかしいことになっているに違いない。……エルフという語が出るたび、カイトは元の世界の冒険者学園で知っていた、コレットというエルフの血をひく少女を自然に思い出し、ついで記憶に蘇らせようとしたが、周りの光景とその記憶に何も繋がるものがなく、まるでその記憶が薄れていくようで、ここの世界に来てからの荒涼とした気分は募るばかりだった。
 野営地の他の箇所を回ると、あちこちに柱や建物の跡があり、雨露をしのぐのに使っているとおぼしき集団もいた。
 「西方国(ウェスターネス)の建物だったものよ」特に質問しなくとも、アリスが説明してくれた。「手っ取り早くいえば、昔の人間のもの。モリバントの街も、同じ人々が築いたものよ。昔はこのあたりまで勢力が及んでいたらしいわ」
 樹エルフら以外には、野営地には隊商その他の旅の途中とおぼしき何組かの集団がいた。エルフらの間は清浄な空気に満ちていたのに対して、離れるとそれほど野営地の空気は明るくはなかった。パラニアの言う通り、比較的安全とはいえ、オークの軍からは隠れひそむように存在している、という背景のためだろう。憂鬱そうな空気の場所が多かった。ルーミルらの(巨人のような)エルフの他にも、人間をはじめとしてさまざまな種族がいたが、多くはもっと小柄な種族だった。人型に見える種族のほとんどは、種族の名前もよくわからず、カイトもさほど興味もひかれることはなかった。


 が、カイトは、一人で野営地の隅の方を歩いた時に、見つけた馬車の前に足をとめた。夕闇のおりてくる中、その周囲にうずくまっている小柄な種族は、全体としては人間の手足を備えているが、その四肢は異常に痩せこけて貧弱で、肌の色は下水の濁ったような青系で、個体ごとに違っていたが、いずれも凹凸や斑点で覆われていた。見るのさえも嫌悪を催すような姿で、カイトの元いた世界のゴブリンやコボルドのようなどんな最下級モンスターであっても、これよりも遥かにましだろう。この世界に存在する”モンスター”は、いずれも何かがとてつもなく狂って理不尽だったが(例えばオークは強さが狂っており、あの銀巨人どもは種族名が狂っていた)この種族は見かけが狂っていた。前に、商人の集まりの隅の方を歩いているこの姿の一体を、マリアから『イーク』だと教わったことがあった。甲高いかれらの声が、そう聞こえるから呼ばれているという。それが『種族の名前』だとようやく見当がついたのは、それが多数集まっているここの場所を目にした、たった今だった。
 しかし、カイトがその馬車の近くに立ち止まったのは、その中に混ざって、イークらと共に焚火際に掛けていた、人間の姿のためだった。そんなイークの中にあってさえ、ほとんど目立たないほどにみすぼらしく、大きさと体格でかろうじて人間と見分けがついた。
 近づいてみると、夕闇の中に焚火の光に浮かび上がるその姿は、みすぼらしいだけでなく、ふた目と見られぬ醜悪さだった。顔と頭の半分は焼けただれている。顔と上体のかなりの部分は包帯が覆っているが、わずかに覗いたその下は溶け落ちたようになっているようだ。四肢に欠けたところや、動きが不自由な所は無いが、肌が見える箇所は同様に焼けただれている。
 しかし、剣と鎧も古びてはいるが、それほど粗悪品ではなく手入れもゆきとどいていた。食い詰めた傭兵のたぐいではなく、冒険者だとわかった。
 「気になるか、この見かけが」その人間らしきものは男の声で言った。声はしわがれてかすれており、喉も火傷の際の影響を受けているようだった。声は低いが、怒ったり落胆している様子などはない。酷い見かけを不躾に凝視されることにすら、すでに慣れているのかもしれなかった。
 「なんで治さない?」カイトは、機嫌を損ねてはいなかったのであけすけのまま、単刀直入に聞いた。「治癒呪文でもなんでも、それよりはましな状態にはすぐ治せるだろ。頼める神術士にせよ、そいつに払う金にせよ、冒険者ならあるだろ」
 「今でも、手足の不自由は特にない。ここにいると、神術士にせよ金にせよ、他に優先する必要のある箇所がいくらでもある」男は低い声で答えた。「ここから動けずに治療が必要な者もいる。オークの軍から見つからないためにも、多少の資金資材や労力がいる」
 「一般人なんかのために、冒険報酬を捨ててんのかよ。そんなの方が優先って……自分がそんな格好のままで冒険者を続けて、何が楽しいんだよ」
 「俺は楽しがるために冒険者をしてるんじゃない」男は短く言った。
 そのまま沈黙がおりた。カイトは黙って、男を見下ろした。周りのイークは特に干渉してこない。そもそもイークらにはこれらの言葉(アリスが言うには、共通語)がわかっているのかは不明だった。
 「今の話で気付いた。”青の賢者”の連れて来た、カイトという男か」男は、焼けた喉から出る声で言った。
 「……連れてこられたんじゃない」青の賢者、というのがパラニアを指しているとわかるのにも少しかかった。「付属品じゃない。オレは高レベル冒険者だ。自分の目的があって自力で、モリバントめざして進んでるんだ」
 「その高レベル冒険者様が、”黒の乗手”に出くわして、這いつくばって逃げて来て、倒れて賢者に運び込まれてきた、と聞いたぞ」
 「誰が言ってたんだよ!?」カイトは仰天し、思わず甲高い声で叫んだ。とはいえ、アリス以外には考えられなかった。
 「誰が言ったかが大事なのか? それが本当かどうかよりも重要なのか?」
 「あたりまえだろ。そいつがオレを悪く言ってるだけかもしれないだろ」カイトはまくしたてた。
 「その通りだ」男は低く言った。「お前と、それを言った者のどちらの言葉が信用できるか、というのは重要だな」
 「お前なんかにそれを決めつけ──」こんな醜悪な男に少しでも下に見られるのは、カイトには我慢がならなかった。「お前なんかが──お前、──」
 「俺はアスタだ」男は、名乗りを上げる、というのではなく、単に会話を続けるのに不便だからという理由でもあるように自分の名を告げた。「それをルーミルや皆に伝えた者は、カイト、お前のこれまでの振る舞いが、隊商に災難を呼ぶかもしれない、と心配して伝えて来たんだ。お前の方が、それよりも信じられる言い分なら信じるよ」
 が、アスタはそのまま黙って、焚火を見つめた。カイトのさらなる言い訳を待っているふうでもなかった。
 カイトは黙ってそのアスタを見下ろし、包帯に包まれたその容貌を見つめた。そして不意に、その姿から気付き、さらに驚愕したのは──もし傷がなければその男が、自分と同じくらいの年の頃、しかも丸顔で目の大きい、おそらく傷つく前は童女のように愛嬌ある少年の造形だった、と思えたことだった。
 「なんでモリバントをめざす?」やがて、アスタはカイトを見上げて言った。
 「元の世界に帰るためだよ。なんとかの塔だとかいうのが、元いた世界に戻してくれるっていうからな」
 「モリバントのトランプの塔なら知ってる。俺も何度か、ここと他の世界を行き来した」アスタが言った。
 「オレは元々まともな世界にいたんだよ。それが、この狂った世界に連れて来られたんだ。オークやオーガ風情が人間より強がったりとか、でかい顔をしてるような、魔族がそんなふうに仕立てた世界にさ」カイトはまくしたてた。「こんな所はこりごりだ」
 「つまり、自分がオークやオーガより弱いのを認めたくないから、そいつらと会わなくていい場所に逃げ出せば済む、というわけか」
 「逃げるんじゃない! 帰るだけだ!」カイトは叫んだ。「本物の世界、自分が元いた世界に帰って何が悪いんだよ!?」
 アスタは無言で、包帯に包まれた半面の横目で、カイトを見上げた。
 「この世界が怖いんじゃない! この世界はおかしいだけだ!」カイトは叫んだ。「オークなんかが人間より、冒険者より強いだとか、世界をそんな風に作る時点で間違ってるだろ! そんな作られ方の世界がおかしいんだ!」
 「世界を作ったやつが悪いのか。自分が嫌な目にあうのは、全部周りのせいか」アスタは焚火に目を戻していった。「喚いたり逃げたりするだけで、誰か他のやつのせいにして、それで解決したとでも思うわけだな」
 「あたりまえだ! オレが悪いんじゃない! オレがこんな狂った世界を何とかする必要はないだろ!」
 「お前の故郷の世界に、将来、ここの冥王の軍がやってきて、世界すべてが蹂躙されたとしても、その言い訳が通用すると思うのか? そのオークやオーガに虐殺される故郷の人々が、自分は本当は強いとか悪いのは周りだとかわめきながら走り回るお前を、勇者扱いし続けてくれるとでも思うのか?」アスタはカイトを見上げて、低く言った。「お前の故郷のその世界が、冥王に滅ぼされても。……俺の故郷、元々いた世界が、混沌の王族と冥王の軍に蹂躙された時みたいにな」





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