ゲームブックの夢の跡

※過去雑記リンクは一番下
※上の方が新しい






それいけ! マンパンマン2(小ネタx2)


(小ネタ1)
 知っての通り、『ソーサリー』4巻の執務室(パラグラフ198)で対峙する大魔法使マンパンマン(大魔王の部下の影武者なのかArchmage本人なのかは、前記事で述べている)は、ゲームブックの主人公のアナランド人の妖術師よりもかなり高い魔法の能力を持っている。結局、アナランド人がマンパンマンに対して魔法を使用しても、どれも衛兵に捕まるパラグラフにしか繋がらない。AFF2e版の『ソーサリー・キャンペーン』シナリオでも、「魔法の壁に守られていてあらゆる魔法が効かない」となっている。

 が、原典ゲームブックの描写ではAFF2eとは異なり、(結果的には捕まるが)実は魔法自体がぜんぜん効かないという描写ではない。
 まずFIX(樫の杖を使う固定の術)を用いると、マンパンマンは「効き目に抵抗しようとする」姿が見られ(パラグラフ786)、ポーションを飲んで抵抗に成功する。ただし、FIXはアナランドの呪文書の記述によると、精神や肉体を縛るenchantmentの類の呪文ではなく、物理法則を変化させるalteration/transmutationの類の呪文であるため、それを破るこのポーションは肉体・精神強化薬の類ではなく、純粋に魔法的なものらしい。
 また、KID(骨の腕輪を使う幻影術)を用いると、アナランド人主人公は執務室の机をウッドゴーレムに変化させる幻影を作り出す。1巻の魔女アリアンナの術を思い出したのかは定かではないが、挿画でのゴーレムは互いに酷似している。マンパンマンは挿画にもあるようにこのゴーレムに火の玉をぶつけ、倒すと丁寧に水滴の術で消火まで行う(パラグラフ706)。
 この幻影の術はマンパンマンを「驚かせた」「いっぱいくわされた(創元版)/騙された(創土社版)」となっており、つまり、アナランド人の用いる幻影そのものはマンパンマンも見破ることができず、術そのものにはかかってしまっていることがわかる。

 マンパンマンは4巻表紙では「振り子」を持っており、ここで、振り子をアナランド妖術ではKID(幻影術)の触媒と説明し、マンパンマンを「幻術の達人」のはずだ、として考察している説が、考察サイトなどに発して日本の一部のゲームブックファンの間にある。が、幻影術KIDの触媒は実際は「骨の腕輪」であり、「振り子」ではない。振り子はアナランドの妖術ではNAP(眠りの術)の触媒である。おそらく、催眠術に使われる振り子(5円玉とか)や、NAPの方の「催眠状態に誘いこむ」という説明に起因する混乱が、催眠(幻覚)と混同して広まっていると思われる。
 つまり、特にこの表紙からもマンパンマンが幻影術に強いとする根拠はなく、むしろ上記の描写からは、幻影は(比較的かもしれないが)弱点であることがわかる。

 こうした幻影の術が効くというのは、例えば他のPnP-RPGでは異界のデーモン(精神・自我が「黄泉の界の悪魔」の場合)らしからぬ特性だが、これをもってマンパンマンはネザーワールド・デーモンとはまったく別人の、人型生物の単なる部下という説の方が有力になるのかもしれないし、また一方で、いかに霊魂や精神(の一部)がデーモンだったりデーモンが操っていたとしても、「人型生物の身体ゆえの制約」は受ける、ということかもしれない。



(小ネタ2)
 しかし、今回は突然話が変わる。
 上記のKIDのパラグラフ706にはこれも上述したように珍しく挿画があり、マンパンマンがゴーレムを炎で攻撃している姿である。マンパンマンに関する数多くの考察では取り上げられることがかなり少ないが、マンパンマンの数少ないジョン・ブランシュ自身の挿画のひとつであり、しかも貴重な戦っている場面である。
 ここで、上述のゴーレム幻影の挿画では、マンパンマンの左袖に、アッフン先生のような緊張感を欠く円盤状の顔の図案が並んでいるのが確認できる(日本語版のゲームブックの紙面では、創元版よりも創土社版の方がわかりやすい)。しかし、この袖の部分のアッフン先生の図案は、前述した4巻表紙の画像を拡大してよくよく見ると、どうやらジョン・ブランシュがよく用いる「暗黒の太陽」の図案、しかめ面の鬼であることがわかる。袖の図柄で炎(太陽のコロナ)に取り囲まれている点からもおそらくそうである。
 かつて別記事で述べたように、(ソーサリー4の英ジャクソンやブランシュの描いた時点では間違いなく設定として存在していなかったものの)暗黒の太陽は、獰猛な種族から信仰を受けるハシャク半神を示している可能性があり、カクハバードでは極めて広く信仰され、あるいは強大な力をふるっている可能性が考えられる。マンパンマンがハシャクのシンボルを身に着けるとすれば、「マンパンの呪われた神々」も魔神らだけでなく、ハシャクも含む可能性がある。
 惑星タイタン全体の神話では(マンパンの神と対立するコレタスが奉じる)スロッフとそれに仕える半神と伝えられるハシャク、神話最初の神々の戦いで爆発四散した”時”の神とクロナダの、それぞれの関係も興味深いところである。





それいけ! マンパンマン


  既刊17巻


 以下は『ソーサリー』シリーズのネタバレであり、ソーサリーは創土社版以来久々となるコレクションシリーズによる再度出版の話なども聞くが、いずれにしても非常に昔の作品であるので、この記事では特に未プレイ者への配慮は設けない。以下は既プレイ済、しかも、いわば最初の創元版以来の昔ながらのFFファン向けである。
 その一方で、ソーサリーは長年人をひきつける作品であり、以下よりも詳しい解説や考察はいくらでも見つかる。それらに対して以下の記事は、普通に購入できる書物以外の新規な情報は何もないので、マニアというよりAFFとかの途中が抜けていたファンくらいしか対象がいないかもしれない。

 『ソーサリー』シリーズのマンパンの大魔王(Archmage of Mampang, 創元版やAFFで「大魔王」、創土社版ではマンパンの「大魔法使い」)は一体何者なのか。何者なのかというのは、正体が何なのかではなく、どの姿のもの、あるいは作中のどの存在が、ゲームブック当時、ひいてはワールドガイド『タイタン』当時に記述されている「大魔王」なのか、ということである。この疑問が生じるのは、ゲームブック時点での大魔王の本質が4巻のラスボスである「黄泉の国の悪魔」であることは明かされながらも、表紙や途中で出てくる大魔法使いマンパンマンや兵器の専門家ファーレン・ホワイデとの関係に、いまいちはっきりわかっていない点が多いからである。マンパンマンはデーモンのただの部下なのか、影武者なのか、別の姿なのか、デーモンに操られてはいるがやはり大魔王自身なのか。
 これはソーサリーが創元版しか無い頃からかなりの考察が繰り返されてきたが、ややあって無印FFのワールドガイド『タイタン』、かなりの時を経て創土社版のゲームブック別訳、さらに後にAFF2eのシナリオや各種設定書物などで情報が補足されるようになった。しかしながら、これらの記述はいずれも微妙に整合することができず、はっきりした答えを出すことができない。
 以下は日本語で読める情報をまとめたものであり、おそらくはゲームブックやAFFのゲーマーにとって新規な情報は含まないが、一応整理する。


 まず、マンパンの大魔王と呼ばれる登場キャラを、整理のため「本質・精神・中身(アンパンの餡)」ではなく「外見(アンパンの皮)」について以下の(a)〜(c)に分類する。


(a)マンパンマン:最初のPuffin版4巻の表紙創元版も同)、およびパラグラフ198の執務室に登場する、髪と髭が伸び放題で角つきの額冠状の兜をかぶった、見たところはヒューマノイド(人型生物)の大魔法使い。個人名(本名)は原作、ワールドガイド、AFFシナリオ含めて一切登場せず、戦闘数値のパラメータもどれにも登場しない。創元版では「男」「やせた男」のみだが、創土社版では同じ箇所が「魔法使い」と(おそらく意訳)されている部分がある。執務室では「半月状の眼鏡」をかけているが、表紙や『タイタン』の挿画ではかけていない。執務室には天体望遠鏡、壁には天体図、机にはインプ型文鎮(本物のインプかもしれない。Puffin表紙でも近くにいることから、覚えがめでたい使い魔かもしれない)、天井からぶら下げた鉢植えにはパックンフラワー。創元版では一人称は「おれ」で「あわてなさんな」などかなり砕けた口調、創土社版では一人称は「わがはい」で「のじゃ」語尾のほぼ老人口調である。どちらも非常に味がある。一方、Wizard社第1期シリーズの表紙では一見まったく別人のような静電気マンが描かれているが、よく見ると服装や兜は一致しており、位置づけとしては旧表紙やパラグラフ198の大魔法使を描いたものと思われる

(b)ファーレン・ホワイデ:Farren Whyde, 創土社版では「ファレン・ワイド」。兵器の専門家。ラドルストーンで火薬兵器らしきものを開発していたという経歴を自称する、”また髪の話してる”アスキーアートのような天辺禿、継ぎの当たったモモヒキの老人

(c)黄泉の国の悪魔:創土社版では「冥府の魔王」、AFF2e『ソーサリー・キャンペーン』『超・モンスター事典』『破滅のデーモン』では原語カナ表記の「ネザーワールド・デーモン」。ファーレン・ホワイデに正体を追及すると姿を現す、牛の頭とヒヅメの、凶悪で怪物じみているとは充分わかりはするが、なんだか迫力のないデーモン。しかも、挿画で左足がまだ実体化していないが、そこに倒れたファーレン・ホワイデの姿が重なっているので、左足だけ継ぎのあたったモモヒキをはいているように見えることが緊張感を決定的に削いでいる。創土社版4巻の表紙もおそらくこの悪魔を描いたもので、Scholastic社版の表紙のなんだかよくわからない代物もこの存在である可能性がある


 これらが各典拠でどのように描写されているかを以下に整理すると、

1.
 まず、原作であるゲームブック『ソーサリー』4巻(Puffin版原書1985)では、(原書初期Puffin版やその訳の創元版では)表紙にマンパンマンが描かれ、上記執務室のパラグラフでは魔法による激戦も発生するが、マンパンマンが何者なのか(主人公が「この男が大魔王なのか」と疑う場面があるが)は直接の記述は一切ない。
 一方で、ミニマイトのジャンは「ファーレン・ホワイデこそが大魔王」で、老人が自称した兵器の専門家の経歴なども全て嘘っぱちだと断ずる。ファーレン・ホワイデを問い詰めると、当初は老人が大魔王自身という振舞いをするものの、やがて老人が倒れて黄泉の国の悪魔がその身体の上から非実体で出現し、5ターンかけて実体化する。とりついていた黄泉の国の悪魔が倒された後は、老人自身の意識を戻すことができる(うしろに倒れていたファーレン・ホワイデの身体に復活の魔法やアイテムを使うと協力してくれる)。
 つまり、大魔王はネザーワールド・デーモンのみであり、デーモンが幻影や変身で老人の姿だけを装っている等ではなく、(ジャンの断言に反して)ファーレン・ホワイデという老人自体は(おそらく兵器の専門家などの経歴も)嘘っぱちではなく本当に存在し、元の人物は完全に滅びてはいないまま(復活魔法が必要なので死んではいたが)身体のみを操られ利用されていただけである。
 そしてこの場合、前に登場した方のマンパンマンについては、かれらとの関係は一切不明である。しかしこの関連性についての説明の無さが、マンパンマンは大魔王とは直接の関係はなく、ただの大魔王の部下の術師のひとりではないか、と推定できる節がある。原作者ジャクソン(英)自身は、「大魔王=デーモンのみ」とだけ考えていた可能性を推測できる。

2.
 無印FFのワールドガイド『タイタン』(1986)では、大魔王が高地ザメンやマンパンに来るまでの事績は説明されているが、大魔王の生い立ち(種族、以前の来歴等)は不明と記載されており、いつから黄泉の国の悪魔が関与しているかも書かれていない。マンパンを拠点としてから「デーモンを呼び出して契約を結ぶ」行いを多数行った旨はあるが、それ以上の具体的な記述はなく、黄泉の国の悪魔について自体が記載されていない。(これは後述するが、この書物が当初は後のAFF2e版のようなPnP用の設定書ではなく、ゲームブックファン向けだったため、ネタバレを排していたためと思われる。)
 しかし、イラストでこの「大魔王」として描かれている者、七頭のヒドラと戦っているのも、聖人コレタスの記述の箇所の挿絵で奇襲を受けてズッコケているのも、いずれも明らかに「マンパンマンの姿で描かれた人物」である。また、高地ザメンに現れて拠点を作り始めたのは大魔王が「20代後半」の頃であると記述され、マンパン砦が完成したのが30年から40年前のこととある。この20代後半という書き方そのものが「人間」であるかのような年齢を強く想定して書かれており、大魔王が人間に寿命の近い種族(デーモンそのものや、またはそれが化けた何らかの姿ではなく)であり、「30年強前に20代後半だった」とは、執務室のマンパンマンの姿の年齢から逆算した可能性も高い。また文中にも、ヒドラと戦った時に負った「首から右膝にかけての激しい傷跡」があるという描写があり、「大魔王」が少なくとも「人間の姿」をしていることを想定していると思われる。聖人コレタスがマンパンマンを襲う際に「大魔王が『大いなる杖』を持っていない時に襲った」旨の記述があるが、この大魔王の杖に関しては原典ゲームブックにも、他にここに挙げる資料にも言及はない。ただし、杖を持つというのはやはり人型の魔法使らしい姿を思わせる。
 つまり、イラストとも総合すると、この書物では「大魔王=マンパンマン」という前提で書かれており、1.の原作ゲームブックにおけるマンパンマンは大魔王とは最初から別人の単なる部下という弱い示唆や、それを確定としている3.のAFFシナリオとは齟齬が生じている。

3.
 かなり年代が下るAFF2eの『ソーサリー・キャンペーン』シナリオ(Crown of Kings, 2012)では、原作4巻パラグラフ198に相当する執務室でのマンパンマンとの対面場面では「ついに大魔王の登場だ」などとマンパンマン自身が称する(この台詞の日本語版での訳は創元版4巻の刊行時の「帯」に由来する可能性がある)。しかし、シナリオの地の文のディレクター(ゲームマスター)向け説明では「これは実際には大魔王ではありません。彼に仕える妖術師のひとりです。」と完全に断言されている。
 ファーレン・ホワイデ(このシナリオ邦訳ではファレン・ホワイド)の登場場面では、ディレクター用説明にはファレンの正体が大魔王であること、仮にファレンの姿のまま殺されると老人の死体しか残らず主人公らが去った後に大魔王が姿を現す、と書かれているが、デーモンに老人が憑依されているのか、老人がデーモンの変身だけなのか等の詳細の記載はない。
 ネザーワールド・デーモンの登場場面では、原作4巻とは異なり、ファレン・ホワイドの皮が張り裂けて最初から実体のデーモンが登場する(隙は5ターンでなく、1ターンしかない)。が、シナリオに付されているイラストは、上記のゲームブックのものを流用しているため、足元に張り裂けたはずのファレン・ホワイドの身体(継ぎのあたったモモヒキ)が倒れたままになっている。無論、デーモンを倒した後もファレン・ホワイドの復活などはさせることができない(ゲームブックの方を知らないか覚えていなければこのイラストはまったく意味不明と思われる)。つまりこのシナリオでは、ファレン・ホワイドとはただのデーモンの変装の皮で(皮はかつては本物の人間の皮だったかもしれないが、だとしても)皮以外の人間の部分はかなり過去に滅びている等と思われる。こちらでは、ジャンの言うように、ファレン・ホワイドの経歴や名前すらも、デーモンがその場で作った嘘である可能性がある。
 総合的には、原作ゲームブックの描写や台詞に準拠しているが、ゲームブック解釈のうち有力説がより明確になるよう(大魔王=黄泉の国の悪魔のみ、マンパンマンはただの部下、ファーレン・ホワイデはただのアンパンの皮)整理されているといえる。PnP-RPGでは、設定の細部はディレクター(ゲームマスター)に任されてはいるのだが、大魔王の正体周りはここで述べているようにあまりにも整理困難なので、ディレクターが迷わないように確定した記述としたのかもしれない。(なお、ソーサリーのPnP版シナリオとしてはAFF2e以前にd20版があるが、これは出版社のトラブルで原書自体が3巻までしか出ていない。)

4.
 AFF2e用の『超・モンスター事典』(Beyond the Pit, 2014)の「ネザーワールド・デーモン(大魔王)」の項目には、このデーモンは魔術師や召喚術師に憑依し、肉体を支配する(支配された術師は死亡する)旨が記されている。さらに、一説にはこれが「マンパンの大魔王にふりかかった運命である」ともいうが、「大魔王自身がすでに半ばデーモンだった」ともあわせて述べられており、確定されていない。「半ばデーモン」というのも、火吹山のザゴールらのように混血なのか、最初から一部がネザーワールド・デーモンなのか、人間や混血をネザーワールド・デーモンが乗っ取ったのか乗っ取っていないのかも確定していない。仮に当初は人間や混血の大魔法使いだった者をネザーワールド・デーモンが乗っ取ったとしても、いつの時点(マンパンを支配したり7首のヒドラを倒す前か後か)その大魔法使いがマンパンマンだったのかファーレン・ホワイデ(のような禿げた老人)だったのかも確定していない。
 一見すると、この書物は、選択肢(解釈)のみ新たに示すが、いずれかに確定・収束しようとはせず、断言せずに選択肢を示し各ゲーマー(DM/GM/AFFではディレクター)ごとに選択させる、PnP-RPGの設定集としてはよくある書き方に見える。しかし、なにげに「大魔王=最初から黄泉の国の悪魔」ではなく、当初は大魔王と呼ばれていたのは別の大魔法使(多分に『タイタン』で描かれているようなマンパンマンの姿の)であった、という前提で書かれている。
 なお、この書物の記述によると、ネザーワールド・デーモンは乗っ取った術師の「記憶」も奪い取る(そのため、乗っ取った者を装うことができる)のだが、ゲームブック本編ではファーレン・ホワイデはシンのサマリタン(レジスタンス)と交流があり、大魔王はそうではなかった(レジスタンスを捜索していた)ので記憶を完全には共有しておらず、厳密には本編と辻褄が合わない。ファーレン・ホワイデについては魔術師等ではなく、またいかにも無害そうなので、デーモンはもっと「単純な手段」で操っており、記憶までは掌握していなかったということかもしれない。
 別のAFF2e用資料、『破滅のデーモン』の中のVI類の上位デーモンの中にもネザーワールド・デーモンの説明があるが、特にソーサリーの追加の情報はない。これらのAFF2eでの数値などのデータは、必ずしもゲームブック本編中の描写とは合致しない。

5.
 webサイトのTitannica(上記のマンパンマン等の画像でもリンクを貼っているが)は、書物ではないが、上記AFF2e正式の『超モンスター事典』はこのTitannicaの一部記述をもとに作られており考察資料となる。
 Titannicaでは、『超モンスター事典』同様に、各説を紹介しながらも、どれも断言できない、明確でない、としているが、ただしTitannicaでは、ファーレン・ホワイデは「デーモンの常の(人間形態の)肉体であったのか、デーモンが所有する『複数の身体』のうちひとつであったかは不明」という説を述べている。さらに、ゲームブック結末では大魔王は死んだと記載しているものの、これほどまでに大魔王の正体が不明だと(黄泉の国の悪魔の姿の者を倒したとしても)本当に大魔王が倒されているのかは疑問が残る、とする説すらも述べている。
 また、マンパンの砦が、女神リーブラのような他の神の力を遮断し、『タイタン』で聖人コレタスの奇襲が大きな力で撃退されたのは、黄泉の界の強い介入であり、「大魔王」が(おそらく単なる人間の大魔法使いでなく)黄泉の界の存在であることを考察している。

6.
 CRPG/アプリ版のソーサリー4(2013)(未訳)は原典から大幅にアレンジされ、マンパンマンが大魔王そのものとなっている。『タイタン』では意図的に空白とされ他の資料でも設定されなかった生い立ちなどの基本設定も設けられ、1000年以上前のバクランドの寒村の出身で、師匠をアーティファクトの本に封じ込めて、その地位を手に入れた等となっている。(当たり前だが、ここではマンパンに居を据えた年齢や現在の年齢は20代や50代ではない。)
 大魔王との対決の展開も全く異なっており、王たちの冠の力で襲ってくるがZEDの呪文で逆転される、選択によってはフランカー(原作では1、2巻に出てくる酷い小物暗殺者)と共闘となる場合、マンパンマンが再び前記の本に封印される場合、最終的にマンパンマンがプレイヤーらの後援・協力者となる場合などもある。バッドエンドには、プレイヤーキャラはマンパンマンが契約で呼び出した別の悪魔(姿は原典の黄泉の国の悪魔)に殺されるものもある。ファーレン・ホワイデは端役として出るものの、原作のようなルートは別展開としても出てこない。
 このCRPG版の流れは、(PnPで卓によってはありえる展開としてみても面白いが)原典ゲームブックやAFFの主なタイタン世界史とは明らかに全くのアナザーストーリーなので、基本設定含めてタイタン世界設定の考察からは外す。


 これらをまとめると、AFF2eシナリオの明記(原作ゲームブックは明記ではないが、ほぼ同内容を示唆)のように「マンパンマン=大魔王とは終始別人・部下」とする説と、『タイタン』(の挿絵)のように「マンパンマン=大魔王」を強く示唆する説のように、完全に相容れない説がある。しかし、それ以外の点では、相互に重なる部分や重ならない部分があり、整理は難しい。

 あくまでゲームブックを原典・最重要視するものとすると、結局、マンパンマンはただの部下であり、あらゆる意味で大魔王自身では”無い”と示唆され、AFF2eシナリオでもそれを後押ししているので、それが原典上は結局は有力説であるといえる。
 最初のPuffin版(創元社版の元)、Wizard社第1期版ともに、マンパンマンや静電気マンのような人型の大魔法使が4巻の表紙になってはいるものの、いわば真の大敵「ゾーマ」(黄泉の国の悪魔)の存在を読者からは隠すための表向きの大敵「バラモス」役にすぎないともいえる。これらも日本のゲームブックファンからは頻繁に指摘されてきたことだが、日本では「大魔王」だが原語は'Archmage'であり(「大魔法使い」と訳したのは創土社版のみで、より後のAFF2eでも大魔王に戻っている)その受ける印象はかなり異なる。日本では最初期PC-CRPGからラスボスが悪魔だったりその正体を現しても何も意外性はないが(ドルアーガやバラリスなど)海外では大敵が悪の魔法使なのはかなり定番であり、ザゴールやバルサス・ダイアらは無論だが、PC-CRPGでもワードナもモンデインもミナクスもマンガーも魔法使である。原語が読まれる英語圏では、Archmageと繰り返されてきた存在が悪魔というのは予想は困難であり、おそらく効果的なサプライズとして仕掛けられていたと考えられる。(前述のように、創土社版やScholastic社版は、表紙で黄泉の国の悪魔が出ているのかもしれないが、いずれもかなり意味不明な姿なので予備知識がなければ何が描かれているのかはほぼ想像はつかないだろう。)
 3.のワールドガイド『タイタン』でも、イラストでは大魔王としてはもっぱらマンパンマンの姿が描かれているものの、これも、黄泉の国の悪魔については『タイタン』では全く説明されていないのと同様、単にソーサリー未読者へのネタバレを避けたに過ぎない可能性もある(AFF2eのモンスター事典類と異なり、この『タイタン』は、旧FF時点で書かれ、ゲームブックのネタバレを避けるような配慮が幾つか見られる。例えば本国では『モンスター誕生』と時期が近かったためザラダン・マーの記述が薄いなどはそのためである)。なので、少なくとも『タイタン』の挿画については、設定的な信憑性を考慮すべきではないともいえる。何となく「人型」の大魔法使の存在を示唆しているような細かい文章記述に対しても、そのまま字義通りで受け取ることはできないともいえる。


 しかし、そうしたネタバレ事情がないはずの解説サイトでも、マンパンマンを大魔王の単なる部下としては扱わず、「大魔王」自身の姿として挙げている場合は多い。Titannicaで執務室の画像が貼られているのもそうであるし、Villains Wikiなどもそうである。(6.のCRPG版も、明確に設定変更し、大魔王=マンパンマンとしている。)
 事情はどうあれ、表紙などに描かれ、作中かなりの妖術の腕を持ち少なからぬ存在感を示すこのマンパンマンが、やはりなんらかの意味で大魔王自身であるか、あるいは少なくとも単なる部下ではなく、役割または大魔王の来歴において重要な人物である、と想像を膨らませたり、多解釈が許されるならばその説を採ろうとする読者は少なくないようである。
 『超・モンスター事典』もやはり、曖昧ながらも、あくまで異界のデーモンとは別個に、元々の大魔法使こと「大魔王」が存在したという立場の説を述べているが、これらをもとに編集者が共通するTitannica等の記述をより重視すると、以下のような説が考えられる。


 ひとつの説は、元は大魔王(マンパンに君臨する大魔法使)本人だったマンパンマンが、本編前のいずれかの時点でネザーワールド・デーモンに憑依能力で身体を乗っ取られた、という、『超モンスター事典』の記述にそのまま則るものである。この場合は、大魔王の中身(精神・魂)は完全に異界から来たデーモンにすげかわっているものであり、そんな異界出身者が<地上界>のマンパンの砦や生物を統率している、ということになるのだが、タイタン世界ではかつて奈落のデーモンらの主である魔王子の一体がアトランティス大陸の王に変装して破滅に導いたという例があり、異界のデーモンが人間の国を直接統率するというのも無い話ではない。
 この場合、ヒューマノイドの大魔法使いマンパンマンの身体は(本編4巻時点では)もはや抜け殻のみだが、ファーレン・ホワイデの身体と同様に「複数の身体」のひとつとして、異界のデーモンに操られ続けていたと考えられる。大魔王の複数の身体については上記Titannicaで考察されている他、前記Villians wikiなどの海外ファンの考察には、大魔王の台詞の中には(和訳ではわからないが)「我々(we)」と呼んでいる箇所があり、大魔王が「2人以上の人物からなっている」ことを強く示唆しているとする。あるいは、静電気マンのような別人の姿も、そうした予備の身体のひとつかもしれない。
 『超モンスター事典』によるとネザーワールド・デーモンに憑依された人物は「死亡」し、身体も能力も奪われ操られる状態となるが、原典ゲームブックではファーレン・ホワイデは死亡していたが復活させることはできた。同様に、黄泉の国の悪魔が倒された際に、実はマンパンマンもあの執務室で死んで倒れており、仮に手を施す者がいれば、アイテムや呪文で復活できるのかもしれない。

 『タイタン』などに業績が描かれている「大魔王」が、途中から乗っ取られたとして、いつの時点まで元のマンパンマン自身の精神で、いつの時点から異界からのデーモンの精神にすげかわっていたかは、様々に考えられる。マンパンマンが生まれた時点や妖術の修得時に半デーモンとなりそこから次第に時間をかけて乗っ取られていたのかもしれず、または高地ザメンやマンパン砦での儀式時に完全にネザーワールド・デーモンに憑依されたのかもしれない。『超モンスター事典』の「数秒」で急速に憑依する云々を重視するならば、後者が有力となる。
 手がかりとなるのが『タイタン』の記述で、前述したように、大魔王が深淵(アビス)の魔神(デーモン)らとの交信儀式中に聖人コレタスの襲撃を受けた際、コレタスは魔神らの力で撃退されている。(原典ゲームブック、4巻パラグラフ103のコレタス自身の説明では、正確にはデーモンではなく「マンパンの呪われた神」であるが、『タイタン』以後は「マンパンの神」の位置づけも変わっているので、AFFのタイタン世界の設定としてはこの呪われた神=魔神(デーモン)と考えてよいだろう。)
 このとき(挿絵込みの解釈となるが)コレタスに襲われている姿、すなわち魔神らが助けたのはマンパンマンである。完全に異界のデーモンに憑依されるよりも前から、マンパンマンがすでに強大な深淵からの力を得ていた等の可能性もあるものの、どちらかというと、この時点ではすでに大魔王はデーモンの力をかなり強力に持っていた=肉体はマンパンマンでも、すでに当デーモンに乗っ取られていた状態、と強く推測できる。(深淵(アビス)と黄泉の界(ネザーワールド)は同じものかという問題はあるが、AFF2eの『魔界ガイドブック』によると同じものとされる。)
 それでは、なぜ乗っ取った抜け殻にすぎないマンパンマンの身体を、当デーモン本人や他の魔神らがコレタスを撃退してまで守ろうとしたのかだが、あるいは、この時点ではまだ、デーモンは物質の身体としてマンパンマンの身体しか持っておらず、それ以前から大魔王としてマンパンを統率していたマンパンマンの身体及び地位が使用できなくなると、地上界への介入手段を喪失する等で当デーモンや他の魔神らとしても都合が悪かったとも考えられる。さらに、このコレタスの襲撃以後に警戒した異界のデーモンが、マンパンマンの身体の他に、ファーレン・ホワイデや静電気マンのような予備の身体を複数用意するようになり、その中でも特にさえないモモヒキ老人を主に使うようになった、というのもありえる話である。


 もうひとつの説は、これも『超モンスター事典』より、二つ目の説に則ったものだが、人間、ヒューマノイドまたは「半ばデーモン」であったマンパンマンが、儀式などを経てある時点で完全に「黄泉の国の悪魔」に変容した、というものである。追記するまでもないが、タイタン世界では悪の術者が後にデーモンそのものに変容する例はザゴールやザンバー・ボーンのそれぞれの後日譚など多々ある。
 この場合、マンパンマンであった者の精神・自我は(一応は)維持され、黄泉の国の悪魔に変化しているが、ヒューマノイドであった頃のマンパンマンの身体も、ファーレン・ホワイデや静電気マンの身体と共に、「替えの複数の身体」のひとつとして保持され、変わらず使用され続けているという考え方ができる。これにかなり近い説は、AFF2e以前(ゲームブックや『タイタン』のみの情報しかない時点で)ゲームブックサイトのひとつで述べられていた。
 ただし、本人が精神まで完全にデーモンに変貌したことと、前説のように異界から来たデーモンの精神に乗っ取られたことは、考えようによっては区別しようとしてもできない、かなり概念的哲学的な問題に立ち入るのかもしれない。精神や能力の本質において、マンパンマン(人型の魔法使)の性質と異界のデーモンの性質のどちらが優勢になっているのか、その問題にすぎない可能性もある。超モンスター事典の「半ばデーモン」の解釈としては、融合してどちらが残ったとも判別しがたい状態、という考え方もあるだろう。


 その他、『超モンスター事典』の字義通りではないとすれば、あくまで大魔法使い自身であるマンパンマンに、ネザーワールド・デーモンが(憑依ではなく)魔力や知恵のみを貸していた、「実質上の」マンパンの指導者・大魔王であった説や、それをもとに、上記6.のCRPG版の大魔王と契約悪魔の関係に近い説など、様々な説が考えられる。考察の多さを含め、想像力を伸ばす余地の大きい人物であるといえる。





The Art of "Sorcery"


 ・・・経験が魔法の腕を磨いてくれるはずだ。全て魔法を学ぶことのうちなのだ。
 (『ソーサリー』1〜4、『魔法書』、浅羽莢子訳、創土社、2003)


 ゲームブック『ソーサリー』シリーズの魔法は、自分で巻末の魔法書の呪文(いわゆる3文字呪文、AFF2eでのSorcery,妖術)の効果を暗記して、ゲームブック中に登場する3文字の選択肢を自分で判断して使わなくてはならない。これが自分が魔法を修得するような臨場感を与えてくれるのだが、例えば1巻では456のパラグラフのうち160以上、3分の1以上が魔法を使った場合の分岐の効果パラグラフに費やされている。
 ソロアドベンチャー(ゲームブック形式のソロRPG)の先駆者T&Tにおいて、ケン・St・アンドレは、T&Tで2番目のソロアド『デストラップ・イコライザー』の執筆にあたって「PnP-RPGの(会話で行われるような)呪文の効果と使い方を全て想定しソロアド中で対応するのは不可能」だとして、わずかな戦闘用呪文に限定した。また、T&Tの後出ソロアドでは、マトリックス表(プレイヤーが使用した呪文とパラグラフが表になっており、「〇」「×」等のみで効果の有無が示されるなど)が定着したりした。
 しかし、このソーサリーでは莫大な魔法の使用のパターンをパラグラフで網羅し、魔法使いのプレイングの臨場感を出すことに成功した。それどころか、このゲームブックを何度も繰り返す試行錯誤によって、プレイヤーが自分で覚えている3文字呪文の使い方を理解し、キャラクターではなくプレイヤーが熟達するという、「魔法使いの成長の体感」すらも再現することに成功したのである。「経験が魔法の腕を磨いてくれるはずだ。」とはそういうことである。

 さて、ここまでは全く疑いがない。今回問題とするのは、「経験が魔法の腕を磨いてくれるはずだ。」の、その次のセンテンス、「全て魔法を学ぶことのうちなのだ。」である。上記該当箇所は、旧訳ではこうである。


 ・・・経験しだいで魔法のうではどんどんあがります。これらのことも魔法の一部なのです。
 (『ソーサリー』1、『魔法の呪文の書』、安藤由紀子訳、東京創元社、1985)


 原語ではこうである。


 ... Experience will make you more skilful with magic. All this is part of the art of sorcery.
(THE SORCERY SPELL BOOK, Steve Jackson, PENGUIN BOOKS, 1983)


 直訳すると、"All this is part of the art of sorcery"は、「これら[熟達すること]の全ては、魔法の技巧(art)のうちに含まれている。」といった意となる。しかし、the art of sorceryとは、正確にはいったい何を指しているのだろうか。
 無論、創土社版の訳のようにartは「魔法の技術習得(の過程)」を指している、魔法を学ぶ過程とは結局このようなものである、と言っているように読むこともできる(その場合、意味としては、直前の文にさほど意味として付け加わっている内容は無い)。

 しかし一方で旧訳のように、というか、旧訳および原語のかなり穿った解釈の読み方のひとつとして、「これら[魔法に熟達していくこと]のような現象全てが、魔法の秘奥(art)のうちの一部である」≒「読者が魔法などという技を実際に修得していくというこの現象、それ自体も『魔法』の働きという摩訶不思議な現象のうちの一部だ」、と読めはしないだろうか。

 無論、浅羽氏は新訳の際に旧訳よりも正確・的確な訳になるように注意を払った旨は各所で述べられており、おそらくは細部にわたって英語としては正確であるし、少なくとも、新訳の方が読んだ通りのすんなりした読み方であり、おそらく原語の意図も、創土社版の訳の方でほとんど相違ないだろう。
 しかし、ほとんどそう確信してはいても、”実質”は上記のうち一体どちらなのだろうというのは、いまだに繰り返し考え込むことがある。本自体の名が"Sorcery!" 『これが魔法だ!』(紀田純一郎氏『火吹山の魔法使い』巻末解説の訳語)であるまさにその本を前にすると、考えずにはいられない。






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