イェンダーの徴:冥闇の女神とモーロックの片手
3
ケネス・コーリー提督はその言葉通りの連絡艇を準備した。トランターの宇宙連邦で一般的に使われる小型の空間艦艇で、1500m級、乗員200名といったところだった。この艇に搭載された規模のアルキュビエ・ドライブ推進機でも、銀河団間をまたぐ航行にも充分だが、戦闘用ではないので武装は最低限、航路障害排除用のフェイザー砲と少数の光子魚雷、シールドしかない。
「重武装して行ったって、たいして役には立たないからな」
武装と速度について、神通が念のために尋ねると──神通は、危険な宙域では重武装の軍艦以外で行動した経験自体がなかった──ケネス提督はそう応えただけだった。
そう言うだけで、今回の目的地にも触れなかったが、ケネスは連絡艇を連邦宇宙の中心からは離れる方向に向けさせた。出発した後も、その方向を転換した気配はなかった。にもかかわらず、アルキュビエ航法で進んでゆく連絡艇のブリッジに表示されている宇宙航海図の上、周囲の宇宙の状況、既知の星との相対位置は目まぐるしく変わり、明らかに宙図上で直進する状況とは異なる、というよりも宙図自体が何かがおかしい。
現に、艇の乗組員が宙図の異常を提督に報告したり質問するが、ケネスはそのままドライブを動かし続けるよう指示するのみだった。実際に、艇の航行自体には何も問題は起こっていない。
モニタされている情報がめまぐるしく変わってゆく。惑星上の夜空を撮影しているカメラの映像を早回ししているように、周囲の宇宙の色、星々の位置や動き方などがぐるぐると回転するように変化してゆく。
神通はそのモニタの光景を見つめて、息をするのも忘れた。ケネス提督に同行していると宇宙の怪現象(ありえない天体の現象や種族)にはいくつも遭遇したが、航宙自体がこのような状況になったことなどなく、事態の想像もできない。何が起こっている? アルキュビエ・ドライブは、艇の周囲の空間を泡状に独立させて、その独立させた時空の泡を宇宙の他の部分に対して光速をこえて推進する(理論上、この泡を既知の宇宙や次元とは異なる別の宇宙に接続することもできる可能性があるが、その技術は宇宙連邦内では見つかっていない)。つまり、艇の周囲の泡状の空間はほぼ停止した宇宙であって、泡の外からの光の伝わり方から考えても、周囲の光景がこのような変わり方をするなど考えられない。この艇はどこに向かっているのだ──いや、むしろ、『どう向かって』いるのだ。計算上はごく通常に推進しているはずのこの艇には、一体何が起こっているのだ。
やがて、周囲の数百光年にわたって、宇宙は星ひとつ見えないからっぽの空間になった。ケネス提督は艇のブリッジの席で腕と脚を組んで、その宙図を見つめているだけである。その提督に答を得られるかどうか、どう尋ねるかを躊躇しつつも、現状を把握しておかねばならない、神通がそう決意した時に、それは起こった。
激しい震動が襲った。ブリッジ内に、すなわち私語を慎む規律の徹底したトランター宇宙軍のエリート士官らの間に、激しいざわめきが起こった。アルキュビエ航行中に、艇自体が、ひいてはブリッジ区画が振動するなどあってはならない異常事態だった。航行中に艦艇の内外に何らかのトラブルがあったとしても、動力のセキュリティや有人区画の重力制御・慣性制御やショックアブソーバー機構がそれを緩和できないなど考えられない事態である。光子魚雷(フォトン・トルピード)、即ちそれ自体がアルキュビエ・ドライブと同原理で推進する兵器ならば、そうした影響を艇に与えることは不可能ではないが、それらが使用された形跡はなく、これは明らかにそうしたものの影響ではない。
ブリッジ内のセンサーモニタの周囲の映像がさらに目まぐるしく変わった。星がまたたき消える……星系の冷たい渦状腕が束の間のたうち……単純になり激しく形状を変え消える……星系や空間の色や密度が変わる……
「来るな、これは」ケネス・コーリー提督が座席のそのままの姿勢で言った。執務室の姿勢や口調と何も変わらない。「もっと小型の艇の方がよかったかもしれない。速力が無くても、目立たない艇で充分だったんだ」
その瞬間、艦体が張り裂けた。神通の目の前のブリッジの構造物、ついで周囲の全てが砕け引き裂け、真空の宇宙空間に──いや、アルキュビエ・ドライブの空間の渦と時空湾曲エネルギーの渦巻く宇宙に、生身で神通は放りだされ、それを意識する前に──
──だしぬけに意識が切り替わった。神通が目覚めた、というよりも、我に返ると、馬の背で激しく揺られていた。
神通は目をしばたいた。今、自分は、馬を操っているケネス提督のうしろで鞍にまたがっている。激しい走行の振動を感じながら、周囲の光景を見回した。辺り一面、何か靄のかかったような地面──馬が立って走っているのはその地面の上なのだろうか──いったい何処の施設、いや、どこの惑星の上──
「何が……」起こったのだろう。神通は、やっとその前半だけを声に発した。
「ああ、気が付いたか」ケネス提督が、どうやら神通に声をかけるつもりなのだろう、わずかに首を曲げて、また正面に戻しながら言った。「神通大佐が気を失っている間に、艦から馬に乗り換えた。艇の他の乗員はトランターに帰ったよ」
説明になっていない。神通が気絶したまま武装させて(フォース・ソードは身につけていた)馬にまたがらせた、とでもいうのか。しかし、把握しなくてはならないことが多すぎ、それすらも些細な問題だった。
神通は馬(先史時代の乗用動物で、生物として保存されているものの、現在は移動目的に使用されることはない)に乗ったことはある。どこの惑星、どこの環境で、理力(フォース)を用いて手なずけた使役動物を必要としないとも限らないため、サムライ・オーダーは典型的な乗用動物を使用した移動や騎乗戦闘の訓練も積んでいるからだ。もっとも、ケネスの操っているこの動物は、神通が訓練した生物と厳密には同じではないのかもしれない。むしろ、今乗っているのは生物記録としてトランターに保存されている生物よりは、先史時代の『地球』を描いた本に出て来るそのままのような……
その馬を駆けさせているケネス・コーリー提督の扮装も、先のものとは変わっていた。黒と緑のトランター軍制服と一見すると似た印象に見えるが、黒の尖った靴、もっと緑の多い、近代か近世の狩人の来ている革のような上着と繻子の服、黒っぽい三角帽を粋に傾けてかぶり、緑の羽根をうしろにたらしている。緑の装飾を施された短剣をベルトに吊り、そして、矢筒と長弓を背負っていた。これから荒野の惑星に降り立つ装いというものかもしれないが、星々を又にかけるトランター軍の提督の扮装には見えない……にもかかわらず、神通がそれよりも驚愕したのは、この何もかもが鮮明な色彩と造形の乗り手の姿が、あの何をしても印象に残らない連邦司令部の提督ととても同じ者の姿には見えないことだった。だが、その姿を目の当たりにすれば、あるいはほかの材料からも、同じ人物であると確信せざるを得ない……
神通は馬に激しく揺られながら、『何が起こっているのか』を把握しようとつとめた。しかし、周りの状況でその把握力を正の方向に傾けてくれる要素は一切なかった。
風を切っている騎馬の頭上は夜空だった。その光景は連絡艇の中のモニタに映っていたものとよく似ており、星の位置、光の色が、加速された天文映像のように目まぐるしく変わり続けている。これも先ほど同様、馬が進めば進むほど、次第に激しく変わってゆくように見える。馬の走る速度で移動しているにも関わらずここまで激しく光景が変わるのは、先のアルキュビエ・ドライブでの光景の変わり方と同じくらいにありえない現象である。その一方で、馬の走っている土地は靄がかかり、地上の方の光景ははっきり見えない。これだけ全力で走っているからにはよほど開けた土地なのであろうが、事実、見渡す限り靄の地平と変化していく星空しか見えない。
「提督、聞いてもいいでしょうか」神通は極力、声を抑えようとしたが、そもそも自信のある強い声を出すことができなかった。
「うん?」ケネスは振り返らずに答えた。「ああ」
「ここは、何処、いえ、何の空間なのですか。私達は、どこに向かっているのですか」
「亜次元界(デミプレイン)のひとつだな」ケネス提督はしかし、聴き慣れない単語を発した。「己たちの居た宇宙から移動して、これから話をしに行く相手の作った世界、それも亜次元界になるんだが、そこにもうだいぶ近づいてきているから、見慣れない景色になってるんだ」
神通は頭痛を振り払いたいのを我慢し、
「星の位置が変わってゆくのは何故ですか。宇宙を移動してもこんなふうには……」
「それは宇宙自体が別の宇宙に変わっていっている、移動しているから、じゃないな、U*(オルタネット・ユニヴァース)に変わり続けていると言ったらいいか」
交渉に行く『相手』の世界とやらが、別の宇宙にあるということか。トランターや自分達の島宇宙が存在する宇宙空間とは別の宇宙、次元なるものは、サムライ・オーダーの知識にはある。しかし、それを実際に目にする、到達するための技術なるものは、聞いたことがない。
「馬で移動しながらですか」その別の宇宙へ移動しながらというのはどのような能力によるものなのか。この空間、亜次元界なるものの特性なのか。この馬の能力なのか。それとも──このケネス・コーリー提督が持っている能力なのか──
「これはごく当たり前の馬だよ。己(オレ)や神通大佐がごく当たり前の人間なのと同様にな」提督は神通の内心のその疑問に応えるように言った。「ただ、この『道』がそういう所に通じていて、その道を見つけて通っているだけにすぎない」
──不意に、靄のかかった大地が激しく揺れ、馬の上でもその振動が感じられた。さきに宇宙連絡艇が吹き飛んだのと似た振動だと神通には感じられた。真直ぐ前から激しい地割れが伝って来ると共に、その上に渦を巻く気流が見える。
ケネス提督は拍車をかけ、その衝撃の向かって来る方向に馬を正面から突進させた。
馬の足並み、移動に伴って、なぜか地割れと気流は薄くなり、馬が到達すると思った時にはそれらは消え失せていた。振動は急速に、嘘のように静まっていた。
不意に──神通の理力(フォース)がその霊感じみた把握をもたらしたのかもしれなかったが──この馬とケネス提督は、別の環境に走って移動しているのではなく、あるいはこのケネスが移動することで、ケネスが周囲の世界を変更していっているのではないのか?
が、そのとき不意に、空間自体に轟くように声が響いた。
『この宙域に侵入するのは誰?』どの方向から来るでもない。理力の使い手同士の霊話に似ているが、同じではない。理力を媒介してではなく、なかば空間自体が震えている。女の声だった。『この私の支配する領域に、無断で乗り入れたのは誰?』
ケネス提督は手綱を引き、馬の足を止めさせた。
「例の、話しに行く相手だ」ケネスは無言の神通を振り返って言った。「この亜次元界は、その相手の作った宇宙だ。もっと言えば、その相手、あいつが支配している山ほどある宇宙のうち、他の宇宙を支配するために便利なように作ってある、あいつのとっておきの世界だ。今あいつが言っているのは、そのことさ」
やがて、かれらの正面、星間宇宙の闇から視界に染み出すように、人影が浮かび上がってきた。その姿もこちらの馬も立ち止まっているはずだが、馬の歩みと同じくらいの速度でその女の姿は近づいてきた。黒い長い髪と濃い赤茶の目、服も暗色だが青めの装飾が随所にある。それらのあからさまな装飾効果を別にすればの話だが、制服のように整った、というよりはセンサースーツなどに近い身体に密着した装束である。年齢は神通よりやや若いだろう。10代の半ばより、たいして上ではないように見える。
「すべての宇宙の闇を支配する女神、『黒の心のヨルノワール』の領域と知って近づいたんでしょうね」
黒髪の人影は、馬上のケネスを見上げて不機嫌を抑えようともせずに言った。今しがたのケネスの幾つもの宇宙の支配者なる言葉と符合はする自身の言葉の大仰さだったが、いかにも少女らしい声色と表情の発露は、それに見合っているようには思えなかった。
「知らないとしても、ただで済む言い訳にはならないけど」
「ものは言い様に過ぎないし、誤った言い方でもないが」手綱を引いたままで、ケネス・コーリー提督が言った。「だが、それにしたって、すべての闇を支配する女神、とはずいぶんと大きく出た言い様じゃないか、”ノクティクラの娘ノアレ”?」
全ての闇の女神を名乗る少女は、黒と緑の狩人の服の男の言葉に、一度、相手をまじまじと見つめた。
そしてようやく言った。
「もういちど聞くわよ。何のつもりで侵入してきたの、”オベロンの息子ケイン”。──陰謀家『ケイン』、”火星の戦士”ケイン、陥計(スネアー)のケイン、”兄弟殺し”のカイン、海魔と不死の神祖カイン、”正気に戻った”カイン」
馬上の黒と緑の男はそれには応えなかった。何か表情が動いたのかもしれないが、傾いた帽子の影で神通の位置からは見えない。
そして女神ノアレも、馬上の男を睨みつけたまま(うしろの神通には目もくれない)一言も発しなかった。
「何者ですか」神通はそのケネスの背後から、声を低くして尋ねた。
「ん? ああ、《奈落界(アビス・プレイン)》第72階層のデーモン・ロードの妾腹の落とし子の一体──」ケネスは言ってから、「いや、サムライ・オーダーの例えで言えば、一匹狼の『暗黒卿』のひとり、みたいなもんだな」
「答えなさいよ、最初に聞いたことに」黒髪の少女は勝手にやりとりする両者に苛立ったかのように口を切った。表情をなんとか抑えようと努力しているのは見て取れたが、口調といい言葉遣いといい、荒立てた声の落ち着きのなさといい、少女の見かけ相応に見えた。「この私の支配する宇宙に入ってきて、しかも、この私の許可もなしに、その中の”影”を操作する、現実を変容させるなんて。それはこの宇宙の支配者だけに許されるのよ。許してもらうための申し開きは?」
ケネスはその言葉に肩をすくめただけだった。
「弁解の言葉がないなら、もっとも、あっても許せることじゃないけど、相応の報いの覚悟はできてるんでしょうね」
「まずは最初に背景の事情を聞こう、交渉をしようって気にはならないのか?」ケネスは呆れたように言った。
「交渉ですって」ノアレは甲高い声を上げた。「立場をわきまえなさいよ? この宇宙の支配者の権限を勝手に侵害しておいて──支配者に神妙に謝りもせずに、一人前に対等に事情を報告だの交渉だの」
ケネスへの視線に憎悪を募らせた少女は、息をつぐ間すら惜しむように、
「”原初の王族”が、勝手にどれだけ傲慢にわが物顔に振舞うつもりでいようが、この『黒の心の女神』にそんな口をきいたらどうなるか、思い知るがいいわ」
神通はケネスにどうすべきか、この女神とやらの剣幕に割り込むべきか迷った。支配者だの何だのまくしたてているが、この少女はなぜこれほど敵対的なのだ。
「いや、心配しなくていい。予定通りだ」ケネスは神通の疑問を察したかのように言った。「最初から、つまり、連絡艇で移動しながらこの女の宇宙に向かって”転移(シフト)”している最初から、艇に攻撃してきたのもこの女だよ。この手合いとまともな話になんか、最初からなるはずがないのさ」
「近づいただけで」神通は言いかけて飲み込み、「何が──その行動の何が、ここまで相手を怒らせたのですか」
「そういうやつだから、というのが一番大きな理由だが、細かくは今やつ自身が言った通りだな。己(オレ)達の宇宙からやつの宇宙に”影を転移”するとき、己達の周りの並行世界(ワールド)をやつの並行世界に近い性質へと、だんだん変化させていくことで近づいたんだ。そうする以外に己達には近づく方法はないんだが、やつから見れば、自分の周りの宇宙を無断で改変されたように見えたんだな。やつ自身は宇宙の支配者で、何もかもが自分の思い通りになると思っていて、実はそうじゃなかったのが、それは己達が全部悪いんだってことにしたいらしい」
宇宙を改変、という言葉を神通は思わず反芻するように口に出しそうになったが、なんとか飲み込んだ。それよりもむしろ馬上の前に座るケネスに聞かなくてはならないことがある──これから、どういうことが始まるのだ。
next
back
back to index