イェンダーの徴:冥闇の女神とモーロックの片手








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 銀河帝国大元帥が執務室から退室した後も、その場に立ち尽くす神通とリアンダーの目の前で、ケネス・コーリー提督は、再度、椅子に背をもたれた。
 「イーロイだな」ケネス提督は、独り言でも呟くように言った。「あの元帥どものことさ。あいつらは『イーロイ人』だ」
 神通には聴き慣れない言葉だった。モーロック人、というものもそうだったが、トランター連邦の認識している星間種族の名ではないようだ。神通のサムライ・オーダーの認識の中を探っても、歴史や思想の説話にもない……
 「イーロイ人の原型は、たぶん『優れたSF世界の住人』だとか『優れたファンタジー世界の住人』とかにあるんだ。高尚だった人々の面影が確かにある。見かけはかえって原型より華やかになってることもあるが、年月も本質も離れすぎて、”影”が薄くなりすぎている、中身はスカスカなんだ。自分達が『モーロック人』に文字通りに『食い物』にされる、その瞬間まで気付かないのさ」
 提督はかれらの歴史のことを言っているのか。それ以外の含みなのか。神通は銀河帝国という国の歴史を思い返そうとしたが、その範囲ではわからなかった。
 「その……提督」神通はやがて、口を開いた。「モーロックの信徒と軍は、銀河帝国を支配下に置いた後、他の銀河団も……宇宙連邦全体を支配するのが目的でしょうか」
 「なんなら連邦内の他の銀河や島宇宙も侵攻はされるだろうが、『支配』はちょっと違うな。国力や戦力が欲しいんだったら、こんな”影”の薄い並行世界──いや」ケネスは口元を撫でるかのような仕草と共に、「あんな銀河帝国なんかの文明や戦力なんて、モーロック信仰者らには何の値打ちもない。モーロック軍があんな銀河系に手を伸ばしてるのは、たぶん、ディリジウム結晶の手っ取り早い産生のためだろう」
 「艦艇を作るためですか」
 ディリジウムは、トランター連邦や銀河帝国の恒星間宇宙船に使用されている時空湾曲航行法、アルキュビエ・ドライブの推進機の重要部品として宇宙でも貴重な結晶である。
 「まさか」ケネス提督は口をあけて短く哄笑してから、「やつらは宇宙艦艇なんて必要としないよ。アルキュビエ・ドライブなんて原始的な航法原理もさ。やつらの呪術師の中では一番下っ端の術士(アデプト)だって、《影界(プレイン・オブ・シャドゥ)》の”影の道”を経由すれば、別の並行宇宙(ワールド)にだって簡単に移動できるんだ。……たぶん、ディリジウムは、次元に関する別の用途だ」
 神通はリアンダーと共に立ち尽くした。後半の語の数々はイーロイ云々同様、今までケネス提督からも、無論他でも聞いたことがない。続きの説明を待ったが、ケネス提督からそれはしばらく出て来る様子はなかった。もっとも、今のような説明がさらに続いたとしても、神通に理解できるのか、どうか。
 「慌てるような話じゃない」神通の面持ちに気付いたのか、ケネス提督は首をそちらに曲げて言った。「実は、報告が早かろうが遅かろうが──というよりも、あの大元帥の帝国だの艦隊だのが、もう少しばかり優れた文明を持ってたところで、結果は同じなんだ。モーロック人に対しては、さして変わらないんだよ」
 ケネスはMANGA本を机に置き、それを掌で軽く叩きながら、
 「ここの”影”の話じゃないが──いや違った──ここの銀河の話じゃないが。恒星ダイソン球、つまり、恒星を丸ごと球殻で覆って星系中にそのエネルギーを賄ったり、島宇宙じゅうのエネルギーを利用したりする別の文明、そんな文明でも、モーロックらにはあっさりと征服された前例があるんだよ。事前の情報があろうが無かろうが、力で抗しようとしたって、もうどうしようもないんだ」ケネスは椅子のもたれをさらに後ろに傾かせ、「だが、さて、どうしたもんかな」
 ケネスは平然としてはいるが、MANGA本を再び読み始めるようなことはせず、今の報告に何か思案はするところはあるようだった。
 神通は次の言葉を待ったが、ケネスはそれきり天井を見上げたままだった。──どうしようもあるのか? ケネスには一体何の策があるのだ。
 だが、神通はリアンダーに目くばせし、連れだって執務室を辞去した。



 自動扉をくぐってからも、リアンダーは、神通のすぐ隣に並んでしばらくは歩いていたように見えた。が、突然──唐突に足を止めたように見えたので、神通はほとんど驚愕して振り向いた。同僚に対して、挙措のひとつひとつにも断りを入れるようなこの『ナイト・オーダー』の正規の一員には、これだけでも常ならぬ振舞いだった。
 リアンダーは廊下の壁に倒れ込むようにしてよりかかっていた。その面(おもて)の血の気は執務室に居た頃よりもさらに引いており、まさしくその場に倒れないのがやっとに見える。そのリアンダーの両肩を、神通は無言で手で支えた。
 「いえ、何でも」リアンダーはかすれた声でその神通の配慮に応えた。「特に体調などでは……」
 しかし、リアンダーはそのまま壁によりかかり、神通の手助けがあってもその場からは立ち上がろうとはしなかった。
 「ごめんなさい」かなりの間を置いてから、リアンダーはかすれた声で再度応えた。「今の、指揮官のお話が……」
 それは無理もない話だった。何が起こっているのか、何に自分達が直面しているのか。それが把握をこえており、そして、自分達にとって把握をこえるということが、どれほど尋常ではない事態なのか。なまじナイト・オーダーに属し、宇宙に関する認識力・洞察力があればこそだった。その点は、ナイトとサムライ、つまりリアンダーと神通では大きな差はありはしない。正直、神通もこの場に倒れ込んでしまいたいところだった。
 神通とリアンダーはそれぞれ、トランター政府の要請を受け、指揮官ケネス・コーリー提督の補佐として、宇宙連邦の版図のそれぞれ両端にあたる辺境の島宇宙から派遣されていた。両者とも、補佐と共に個人的な護衛を兼ねているため、どちらも理力(フォース)と理力剣(フォースソード)の使い手でもあり、それぞれ宇宙連邦でも名高いサムライ・オーダーとナイト・オーダーの正規メンバーの中から抜擢されたのだった。
 実際のところは、二人が提督の傍に控えていても、護衛の必要な危険に見舞われることはほとんどなかった。しかし──危険とは違うが、ケネス提督の身辺、すなわち二人の護衛が目の当たりにする状況として、尋常ならざる事態が次々と起こった。サムライもナイトも、このトランター連邦内どころがその外の全宇宙の全ての事象に対して、洞察力と予言の修養を重ね、為政の補佐としても完全に対処できる能力を身に着けているとして、連邦内でも定評のある特殊技能者らであり、現に過去にも、各オーダーがトランター政府に助力して難件を解決してきた歴史があった。しかし、ケネス提督のもとに報告されてくる、あるいは彼自身が見つけ出してきたかのように持ち出してくる事件の数々では、そのようなサムライやナイト・オーダーの知識と認識の範疇にもない問題が次々と持ち上がった。宇宙連邦でも一切知られていない、どこの島宇宙にも生息していないはずの種族や軍勢が出現したこともある。星間や天体にありえない運行や怪現象が持ち上がったこともある。提督自身は、それらはすでに知っているかのように対処し、今までトランター政府には知られていなかっただけ、あるいは、『今までの知識や情報を統合すれば、この広い宇宙にはありえるとわかるはずの規定事項』などと、平然と傍の二人には説いてみせた。事実それらの問題には、これまではトランター司令部の持つ技術で、さらなる問題にならない程度には対処することができた。
 だが、今回は、きわめつけを通り越して、度をこえていた。先の銀河帝国大元帥の報告は、起こった事態でもその被害でも、提督の大元帥への返答も、まさしくこの宇宙の『規定事項』の範疇ではない。
 「この先、私達は……」リアンダーは、ようやく言葉になっているというような発声で続けた。「指揮官の補佐など、続けられるのでしょうか。……いえ、この先にも起こる事に、ついてゆけるのでしょうか」
 この期に及んで、あのケネスの補佐が続けられるかが心配だとは。やはりリアンダーは”騎士”としての信念はそこにあるのかもしれなかった。神通には、ケネスの助力になるどころか、周囲で起こることを正気で目の当たりにし続けられるかどうかすらも、わからないというのに。
 「膨大な艦隊……数知れない人命が軽々と……」リアンダーは独り言のようにかすれた声を続けた。提督がその数量を軽々と話し、しかもそれを大元帥が敵を軽んじた認識ひとつに責を負う、などと、これも軽々と言い放ったことを反復していた。
 リアンダーはようやくそれを発して力を失ったかのように、うつむいて廊下の床に膝を折った。
 「しっかりして」神通はリアンダーの両肩を掴み、その上体を助け起こすようにした。
 互いに宇宙の果ての小さな島宇宙から来たリアンダーとは、神通は単なる同僚以上の気心の知れる間となっている。サムライとナイトのオーダーは、かつてはある辺境銀河のかたすみにあったソロマニ人(註:地球型人類)らの発祥の惑星上で、世界の東の果てと西の果てにそれぞれあった島国の文化のように、表面的な部分は正反対でも、共通点がいくつもあった。
 「今までにも、私達──軍人になるとき、オーダーの徒弟(パダワン)に志願した時点で、あなただって決断していたはずよ」神通は掴む手に力をこめ、あえて強い口調で言った。「白兵戦で何百何千、宇宙の艦隊戦で何万もの人命を、あなたも自分の手にかけてきたはずでしょう。オーダーに属する者は、その責を負う覚悟の上だって」
 「そうです。……敵でも味方でも、その同じ覚悟をした者たちの何万の犠牲は、でも、それぞれのうしろにいる、何千万の人々を守るためです」
 リアンダーは目を上げず、あえぐように言った。
 「でも、2500万の艦隊……数十億の兵……数千億の市民……ひとつの銀河と帝国……そのすべてを犠牲に投げ出してまで、今後も守ろうとするものがあるとすれば、それは一体何なんでしょうか……私達は、何をしようとしているのでしょう……」
 神通は黙り込んだ。
 あのケネス・コーリーのもとで補佐することが、彼女にとって掟で典範であるサムライ・オーダーの下した使命だから、と考えたいところだが、もはやそういった問題ではない。今まで神通やリアンダーが、オーダーの使命でさえあれば迷うことは決してなかったのも、結局は、何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、彼女らの理力(フォース)による洞察力もあって、考察、予見の範疇のうちにあったためにすぎなかった。その理解の則をこえた今となっては、自らが使命にしたがっているのかすら定かではない。



 神通はリアンダーを自室に送り届けて、一人で執務室に戻ると、リアンダーは体調がすぐれないらしい旨をケネス提督に告げた。
 「さっきもいかにも顔色が悪く見えたからな。無理させるべきじゃない」ケネス提督は事もなげに言い、「そうか、じゃ、神通大佐だけを連れていくしかないか」
 神通は暫くの沈黙のあと、
 「提督、どちらへ……どのような任務ですか」
 あたかも襲い掛かってくるような戸惑いを極力、顔に出さないように言った。
 「任務という言い方なら、交渉とも、作戦行動ともいえるが、何にせよ、『戦力の確保』だな」
 それは、モーロック信徒の勢力に対抗できる戦力なのか。今の帝国元帥の報告に出てきたような、銀河をたやすく滅ぼすような勢力に対して、戦力になる、一体、そのような力が存在するというのか。どこに。どうやって。
 「連絡船に乗って、すぐの所だ」ケネス提督は神通の心中の疑問に応えるように言った。





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