イェンダーの徴:冥闇の女神とモーロックの片手








 1

 その恒星は、何の前触れもなく爆発した。その直前まで何の兆候もなかったにもかかわらず、核反応の燃料を使い果たした際と同様に見える発光パターンの光芒を放ち、末期の炸裂を起こした。同時に、その恒星系に存在していた全てが蒸発した。
 そこには、恒星の第四惑星軌道上にあった、合計2500万隻の『銀河帝国艦隊』が含まれていた。銀河帝国軍は、幾つもの星系の地表を這いずる非文明の野蛮人『モーロック人』を一方的に掃討し、蹂躙するために集結していたはずだった。その恒星に起こった現象は、文字通りに何の予兆も無かったので、予期または回避できた銀河帝国軍の宇宙艦艇は一隻たりともなく、数十億の将兵ともども全て消滅した。
 銀河帝国大元帥が、宇宙連邦トランター中央政府軍の各銀河団の軍を統括する司令官、ケネス・コーリー提督にそれを報告したとき、提督は何ら驚いた様子は無かった。実のところ、大元帥が訪れるその直前までケネス提督は、執務卓の自席の背もたれによりかかり、気もないようにソフトカバーのMANGA本(『アメリカ軍が鉄獄に侵攻しました』などという背表紙が読み取れた)に目を通していたが、報告を受けた時も、その姿勢のまま目を上げただけだった。さすがに本に目を戻したりはしなかったが、聞いている最中も、何の興味もない本の内容に目を通している最中と、何の様子も変わらなかった。
 しかし、提督の執務室に控えている二人の女性士官のうちのひとり、神通大佐はそうではなかった。──トランターの軍司令部の制服ではなく、辺境島宇宙の『サムライ・オーダー』の正規戦士の身分を示す神通の装束は、留め金などはほぼ無く帯と折り込みでまとまった直線の布地で出来た裾の長い服と、茶がかった長い黒髪を鉢留と結び目でまとめている姿は、どこか(そのような知識がある者からは)前髪立ちの少年剣士を思わせる。今もその帯に佩いている、陣太刀の柄だけのような理力剣(フォースソード)も含めて、サムライ・オーダーの規定でパダワン(徒弟)を修了した正規メンバーに許された姿である。その神通は、まだ少女の面影も残る大きめの瞳だけを動かして、同室のもうひとりの女性士官、リアンダー大佐を伺った。リアンダーは、また別の辺境島宇宙の『ナイト・オーダー』の白い正装だが、騎士というよりは、フリルの白ブラウス、肩にかかる短めの金髪は無帽という職務婦人のいでたちだが、地球の近代のように古風である。そのリアンダーは、表情、姿勢も報告前と変わらずに提督の席の傍らに控えていたが、かすかに肌から血の色が引き、碧眼の視線と、唇も微妙に震えている。それを認めて神通はやや安堵した。自分の顔色も、リアンダーと同様であろうからだ。
 このような報告を、外から見た限りは平静を保ったままに行うことができる銀河帝国大元帥も並の人物とはかけ離れているが、ケネスの姿勢に至っては、到底理解をこえている。しかし、これは──神通とリアンダーがケネスの執務室に控えてからは、しばしば繰り返されてきた光景だった。
 「恒星の崩壊に関しては調査を続けております」黒と銀糸の銀河帝国軍制服に身を包んだ帝国大元帥、長身に銀髪、白皙の青年軍人は、報告に続けて冷静淡々と言を継いだ。
 「調査中か」ケネスは背もたれによりかかったまま、首をすくめて言った。いかにも関心がなさそうだった。「どんな調査結果とやらが返ってくる見込みだ? あるいは、アンタの元帥府の幕閣なり、アンタ個人が予想できる、原因は何だ?」
 大元帥はケネスの問いに沈黙した。
 氷を削った芸術品のような美貌の青年軍人、銀河帝国──トランターの宇宙連邦の擁する数多くの銀河団、島宇宙のうち、最も有力とされる帝国のひとつ──の全軍を支配する主席大元帥は、見たところおおよそ20歳をいくらも出ず、あるいは神通やリアンダーと同じ歳の頃かもしれない。
 それに対して、執務席のケネス・コーリー提督は、ごく平凡な容貌、せいぜい中背の壮年で、浅黒い顔と黒い瞳、トランター司令局のありふれた黒と深緑の制服の着こなしを含めて、常に背もたれによりかかっている緊張を欠いた姿を抜きにしても、どうにも他者に強い印象を与えるものがない。姿に非常に特徴が薄く、目を離してしばらくすると、黒と緑のぼんやりとした色合いだけで、どんな容姿、風貌であったかはにわかには思い出しにくいほどだった。出会ったほとんどの者にとって、このケネス提督は、平々凡々とした者、という記憶にしか残らない。
 明らかに、銀河帝国大元帥の方がケネス提督よりもはるかに見栄えがする、というだけでなく、この歳でこの階級と権力を欲しいままにするほどに抜きんでた才の青年軍人が、そのまだ短い生涯のうちで、この執務席によりかかっているようないかにも凡庸な男に問いを発せられ、答えに詰まるような事態などに、ついぞ遭遇したことがないのは間違いなかった。
 それでも、答には詰まる他にはない。誰であろうが、答えようがない。原因究明のための調査中などと言ったが、調査の結果など出るわけもなく、究明などできるわけもない。考えられる原因などは無いのだ。恒星の崩壊、星の寿命によるものであれば、それは当然年老いた星にしか起こらない。何億年も前から明らかにその状態にある恒星にのみである。万一、それ以外の外部からの要因であっても(宇宙連邦の知的生命の文明内に、その要因とやらを説明できる理論は無いが)恒星と星系の規模の存在が異常を起こすには何らかの前兆があって然るべきである。そして、それは今から調査するまで見つからないといった規模の代物ではない。直前まで健康そのものであった星、恒星の規模の存在が突然爆発するなど、宇宙連邦の文明圏のいかなる『科学』はもちろん、神通の知るいかなる『理力(フォース)の導き』でも、説明できるものはないのだ。
 「己(オレ)の方が予想する原因は、ログルス使いのしわざだな」しかし、ケネス提督が、椅子にもたれたまま、不意に青年軍人の閉ざした沈黙を破って言った。「モーロック信仰のオーク・シャーマンだろう」



 「考えられる手順としちゃ、恒星の運命を、もっと寿命が短いものに書き換えたんだ。もっと正確には、この恒星が別の運命を迎えている並行世界(ワールド)のものに、窮理(ログリ)を差し替え──」ケネス提督は大元帥を見もしなかったが、その硬直したままの表情を把握したかのように、言葉を変え、「まあ、それはいいか。ともかく、モーロック人のうち、そういう術者の一員の仕業だよ」
 大元帥は沈黙を続け、その怜悧な美貌は相変わらず全く変わらなかった。だが、おそらくは、神通やリアンダーの感じたことと、そう違うとは思えない。
 全く意味がわからない。
 モーロック信仰はわかる。だが、ケネス提督の今の話は、一体その勢力の者が、何をした、何の能力だと言ったのだ。
 『モーロック人』なるものが、トランターの宇宙連邦に属する大国のひとつ、銀河帝国の版図に侵入を開始したのはごく最近とのことだった。それは単一の種族ではなく、多種多様な種からなる総称で、銀河帝国内の種族(ヒューマノイド)として確認されていない者が含まれ、また文明も未確認のものであったため、他の銀河か島宇宙から侵入したものと考えられたが、出所は定かではなかった。それらは散発的に様々な星系に出没しているという報告から始まり、次第にその報告は頻繁になっていった。恒星間艦隊を擁する銀河帝国の標準的なものから見れば、そのモーロック人らの文明段階は非常に低く、歩兵は刀槍を主に用いているという。一部が『スペルジャミングシップ』とかれら自身が呼ぶ、機械構造などはほぼ見当たらない宇宙艇で、宇宙空間を移動しているという話もあった。おそらく理力(フォース)の類で動かしているものだろうが、詳細は何もわからず、どのみち、銀河帝国の所有する宇宙戦力から見れば、文明のレベル、物量ともにとるにたらないものと確実に判断できた。
 かれら自身によれば、それは『モーロックの高僧』などと名乗る者に扇動されている勢力だった。それ自体は珍しくもない。この恒星間時代においても、文明圏によっては、神官や魔女や妖術師らを名乗る者が率いる勢力はいくらでもある。神通の所属するサムライ・オーダーのマスターやハイ・マスターも、他文化からはその類に聞こえるであろうし、オーダー離反者の、暗黒面の理力(フォース)をあやつると称する『暗黒卿』などもその類である。ただし、トランター政府はともかく、銀河帝国(宇宙連邦内でも文明、実力ともに抜きんでていると自称する)からは、それらの風習やそれを持つ文明圏(神通やリアンダーの故郷の、辺境島宇宙の文明を含め)は、”原始的”、”蛮族”などと軽んじられていることが大半だった。その軽んじられていた勢力が、短期間で銀河帝国内のおびただしい報告数まで拡大し、対処には帝国のかなりの物量を動員しなくてはならない、とかれらがようやく認識した際も、それが必要な問題ではあっても、対処困難な問題だなどとは、帝国の誰ひとりとして考えなかった。その物量を投入しようとした際に、今しがたの報告のような事態となったのだった。
 「恒星が爆発するほどの事態が、あの野蛮人ども、モーロックの者どもに何らかの原因があると?」帝国大元帥は冷ややかに言った。
 「今そう言った、というか、己が言ったことからは当然そういう理屈になるが」ケネス提督は背もたれの上で半目になり、「聞き返すほどわかりにくかったか?」
 「遺憾ながら。そのような戯言、よもや対手がたやすく信じるなどと期待の上で口にされては居らぬでしょうな」
 その大元帥の言葉はトランター連邦の司令に対するものとしてはかなり無礼だが、無理からぬ話である。ケネス提督から聞かされた今の話は、この大元帥からすれば、よりにもよってこの事態にふざけた戯れを仕掛けられている、とでも受け取るしかないだろう。
 「いや、己の単なる予想で、信じる気にならなけりゃそれで別にいいがな」提督は再度顔を仰向け、「ともかく予想としては、モーロックの術者の、単にそういう能力だ」
 「モーロックの者どもの、『単に能力』などと簡単に仰るが」美貌の銀河帝国大元帥は、それでもあくまで見かけ上は冷静さを崩さず、その全軍を魅了する美声で、「その能力とやら、否、この尋常ならざる事態を、あたかも納得でもされているようだが」
 「何がだ? アンタ、何か納得できないことがあるのか?」背もたれによりかかったケネス提督は、大元帥の方に眼だけ動かし、「帝国軍内にも預言者だって、理力(フォース)の使い手だっているはずだ。たぶん信用しちゃいないんだろうが、同じ軍の中にいれば、能力の存在自体を否定するほどに愚かじゃないんだろう。アンタは──実力で今の地位にいる、と聞いてるからな──そういうものを頭から信じないほど、頑迷な手合いじゃないはずだな?」
 「何の兆候もなしに恒星も艦隊も消滅させるほどの、それが『能力』で説明できる話ではない、そのような話など聞いたことはない、と自分には感じられたのだ」
 「そうか? 聞いたことくらいはあるんじゃないのか?」ケネス提督は大元帥に目だけ向けたまま言った。「その、何だ、アンタらのその、絢爛たる栄光の帝国宇宙軍の、艦艇や艦隊の名前に使われてる、『北欧』だの何だのの神話には、『この世から光と熱の根源を消し去る魔術師』だの『太陽を丸呑みする化け狼』だのの神話なんて、いくらだってあるだろう?」
 それはいかにもかみくだいた丁寧な説明だった。だが、大元帥には今、いったい何の話をされたかわからなかったようだった。無論、神通も、ケネス提督が何の話を始めたのかその脈絡に気付いたのも、しばらく間を置いてからだった。
 「そのような比喩の話をしているのではない」大元帥の低い答えには、かすかな苛立ちがあった。「おとぎ話の冗談の話で例えている場合ではない」
 「これが冗談としか受け取れない、もとい、おとぎ話だと思った、冗談や比喩の中にしかありえない出来事だと思った、だから、避けられずにまともに食らった」ケネス提督は同じ姿勢のまま、「2500万隻の乗員の遺族に、そう報告するか? いや、星系の住民たちが惑星ごと蒸発した、銀河帝国の国民にそう報告するか?」
 無論、艦隊の他に、星系そのものの居住惑星には一般市民の住人もいたが、それらも惑星、基地、植民施設(コロニー)もろとも同時に蒸発した。それも考えざるを得ない問題だが、帝国大元帥が当面、考えなくてはならないのは、軍に関する事項と、この事態に軍がどう対処すべきだった。それだけでも問題は大きすぎた。
 「それが『高僧』の、宇宙の魔王とやらの能力だと……」大元帥の声に含まれる苛立ちは聞いてそれとわかるほどになった。「モーロックなる者、本人ともなれば、それほどの能力を持つとでも?」
 「いや、さっきも言ったがな、モーロック本人やら、その高僧ですらないのはほぼ確実だよ。モーロックを信仰していて、その信仰術を少しばかり心得たオーク・シャーマンか何かであれば、誰でもできることだ。モーロックの信徒には、その程度の窮理(ログリ)魔法の使い手は何万とはいわないが、何千とはいるな。さっきも言ったが、ひとつの太陽を飲み込むやつがひとつの惑星の説話に居るとすりゃ、宇宙にある太陽の数からして、そんなやつも宇宙には星の数ほど居て当たり前って話だな」
 「知っていたのか」大元帥の怒気はいまや声のみならず、頬のわずかな赤みにも見て取れた。「そのような能力の者を何千と抱えている敵だということを。何の報告も受けていない」
 「おいおい、それはこっちの台詞だよ」ケネス・コーリー提督は肩を落とすかのような仕草で、背もたれから上体を前に起こし、大元帥の側に傾けた。「己(オレ)たちこそ、アンタらの銀河系と帝国に、よりにもよって『モーロック人』らが出没してるなんて、報告を受けたのは昨日の今日だぞ。なんで何の報告もせずにアンタらの帝国内だけで判断して、自分達の艦隊だけで叩こうとしたんだ。まさか、モーロックの高僧だの呪術師だのがいると事前にわかってたのに、その”能力”を知ろうともせずに『冗談』の範疇だとか決めつけていた、それが言い訳だってんじゃないだろうな?」
 沈黙した大元帥のかんばせには、ケネスに対する憤慨が強まったが、それと同時に、一連の事態に対する当惑が入り混じった色が次第に濃くなりはじめていた。
 「では、どのような手が打てるかも、間違いなく知っておられるのであろうな」やがて、大元帥はそのうちの静かな怒気のみを向けるように提督に言った。
 「ああ、知ってるよ。アンタらの帝国にはもう打てる手は何もない。手遅れだ。モーロックの軍勢はこのまま拡大してアンタらの銀河系を丸ごと蹂躙する。やつらの能力と戦力に対して、アンタらに止められる手段はない」
 ケネス提督は再度上体を仰向けて、椅子にもたれ、
 「逃げる場所もない。どこに逃げたって、やつらは侵攻してくるよ。他の銀河、他の島宇宙にだって、あるいは、空間に別の宇宙への穴をあけるワームホールを作って、他の宇宙や次元、U*(オルタネット・ユニバース)に逃げたとしても、『モーロック人』らは侵攻してくる。こうなったら打つ手も無いし、全員、ひとり残らずモーロック人らに貪り食われる以外の未来はない」
 大元帥はいまやその言葉に唖然とし、さきまでの表情でケネスの前に立ち尽くすしかなかった。ケネスの傍に立つリアンダーは、完全に血の気が引いて同様に棒立ちになっている。自分もかれらと同じ有様だろうと、神通はおぼろげに感じた。
 「なんでこんなことになったのか、なんて顔だな?」
 ケネスは再度、視線だけを大元帥に傾け、
 「そりゃ『自分達の文明と兵器なら、剣と魔法のファンタジー世界の魔王軍なんて楽勝だろ』なんて思ったせいだろ?」提督は、まるで意味のわからない言葉を発しながら、手に持ったMANGA本、『アメリカ軍が鉄獄に侵攻しました』で、大元帥の額を軽く叩く仕草か何かのように振って見せた。「それが一体どこの誰の判断かは知らないがな、その判断は、アンタらの銀河じゅう、帝国じゅうの国民の全員を犠牲にしたってわけだ」
 執務室のケネス以外の三者はその場に立ち尽くし続けた。
 「さっきも言った通りだ。そんなことになる前に相談してくれりゃ、少しはなんとかなったと思うよ」ケネス提督は閉じた本の角で自分の膝をとんとんと突くような仕草と共に言った。「この多元宇宙(マルチバース)には、自分に何の責もないのに災厄が降りかかることだらけだ。だけど、避けられるはずだった災厄を、自分達の『愚かさ』の責で自分から進んで招いた場合は、その末路は何より悲惨なものになるぞ」





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