煉獄の行進








 21

 イークの集落の北にある岩山は、鬱蒼と木が茂っており、ここしばらくの雨でも足場は思ったよりもしっかりしていた。切り立った斜面を、イークのパリロは軽々と跳ぶように登っていき、マリアが寸分も遅れずに続いた。そして、相変わらずカイトとアリスがそれに必死で追いすがった。
 「ここだぜ」パリロが木々をかきわけると、一行は岩山の頂上近くの場所に出た。石畳が敷き詰められた、礼拝所か何かのように見える狭い空間だった。反対側に別の登り口の石段があり、一行はいわゆる近道でその裏側から登ってきたことになるようだった。しかし石造りの構造も道も、鬱蒼と茂る木々に覆いつくされ、おそらく少し離れれば見つけることさえできず、事実、かなり長い年月を人が近づいたことすらないように見えた。
 石畳などの石造の、人工の構造はかなり朽ちており、柱も崩れていて、屋根はもとからあったのかどうかわからなかった。無論カイトには、柱などが目的の西方国(ウェスターネス)の造りなのかといったことはよくわからなかった。
 しかし、その開けた空間の中央には、一段高くなった台座と、両抱えほどの大きさの角柱状の碑のようなものがあった。周りの柱と違って、年月に破損した様子が全くない。
 「丸ごと、白エオグ鋼でできてるわ」アリスが碑に近づいて言った。据えられている石の台座の基部に近づき、刻まれている細かい文字を見て言った。
 「海……航海者……」マリアが基部のそばに膝をつき、目を近づけて、「長上王の……西風によって……船出のときに……」
 アリスが同じ文字に目を走らせ、ついで、周りを歩き回り、しばらくの間文字を探して読み続けてから言った。
 「──当たりだわ。西方国の海洋王たちの航海のため。風を呼ぶための施設ね」
 アリスはさらに碑の基部の石板や、碑そのものに細かく刻まれた字を調べて言った。
 「使い方も書いてある。西方国の透視術師だけじゃなく、一般の王族や船主も起動できるように、上のエルフ語じゃなく、灰色エルフ語で書いてあるんだわ……」
 パリロと、同様にカイトも首を振った。「わからない」
 「わかりやすいってことなのよ」アリスは、まるで問いとの意味のつながらない返答をした。
 「アリスなら動かせるのか」カイトは気が急いてアリスに尋ねた。
 「たぶんね」アリスは碑そのものに刻まれた、枝分かれしたような細かいルーン文字の配列を注意深く見つめて言った。
 アリスはルーンの表面に手をかざした。灰色エルフ語、今までもしばしば聞いてきた抑揚の強い言語を、かなり朗々としたなめらかな発音で読み上げていった。長い間、アリスの込み入った言葉の読み上げが続いた。
 カイトの目の錯覚かもしれなかったが、燐光と陽炎のようなゆらぎが、文字の彫られた箇所と、そして、碑の窪んだ部分を覆ったように見えた。
 周囲の木々がざわめいた。やがて、南西からわずかな風が吹いたのが感じられた。が、それはすぐに収まった。……一行はしばらく待ったが、あとは雨の音が続くだけだった。
 アリスが再度、手をかざして同じことを試みた。ふたたび、文字や碑の同じ箇所を、燐光が反射したように見えたが、今度は風などは何も起こらなかった。アリスは何度か試みたが、結果は同様だった。
 カイトは祈るように上空を見たが、分厚い暗雲とそこから降る雨は何も変わらなかった。高空の方には風が起こったようにも、雲が一部でも吹き散らされて薄くなったようにも、洞窟オークやトロルを追い払えるという、光が差してくるようにも見えなかった。
 「どうなったんだ……」カイトは、碑のかたわらのアリスに目を移して言った。
 「……わからない」やがて、アリスが言った。「私の技術じゃ不足で、制御しきれないのかもしれない。別の──モリバントの方にある施設と一緒でないと、起動できないのかもしれないわ」
 アリスは遠くに見える、モリバントの城塞を指さした。そびえたった白の塔の頂は、沈黙を続けていた。
 「せめて、おじいさんがいれば……」マリアが悲しげに言った。
 「いえ、モリバントの賢者の誰かを連れてきた方がいいのかもしれないわね」アリスが低く言った。
 「……そっちに急いだ方がいいのかもしれないな」やがて、カイトは言った。
 「そうか。俺は集落の立ち退きを手伝いに戻るよ」パリロが言った。
 「俺も集落を助けたいが……だけど、俺もモリバントの方に行くよ」カイトは言った。モリバントに知らせに向かう方も危険があるかもしれないため、できれば誰かは辿り着けるように、三人で行った方がよいと思った。
 「じゃ、後でな」パリロは言った。
 カイトはしばらく押し黙ってから、パリロに言った。「なあ、……ありがとう」
 「それは危険を知らせて貰ったこっちの言うことだぜ、と言いたいところだが」パリロは答え、カイトに笑み掛けた。「それも、お互い生き残ってからだな」
 来た方の近道、切り立った道では雨の地滑りの中降りるのは危険そうなので、一行は反対側の登り口、石の道の方を下って行った。
 ……斜面に沿ってやや曲がった道をしばらく降りていくと、降り切った所の開けた場所が見えた。道の降りた先は、やはりだいぶ朽ちているが石が敷かれ、石の防壁で囲まれ、施設を守っているのが見えた。建物の崩れた後なども見え、あるいは、ここも以前のあの野営地にあった遺跡と同じ、住む者などもいたのかもしれなかった。入り口のアーチ状の門が広く開け、その外は、モリバント北の平原だった。北には、今冥王軍の密集している山地まで、南はモリバントの方まで見渡せるようだった。
 わずかに風が吹き、すぐに止んだ。その風と共に、カイトには何か胸騒ぎがした。駆け下りていくうち、その防壁のすぐ外の平原に、倒れているような影がいくつかあった。


 カイトは防壁のすぐ内側まで駆け下り、そのすぐ外の、倒れている姿を凝視した。
 累々と死体ばかりが連なっていた。それは、いずれも、上半身が露出して肩や腰や手持ちがごてごてした装備の集団、あの勇者パーティーだった。そして一人残らず、眉間を射ち抜かれて殺されていた。かれらは防壁のすぐ外にいながら、射かけられる矢に対して防壁の内側に留まる、逃げ込むということさえせずに、まっすぐ突撃していったのだ。
 集団の先頭近くで、あの勇者、銀髪で長髪の男が、色の違う両目をかっと見開いたまま、大の字に泥の中に仰向けになり、絶命していた。眉間に深々と突き立っているのは、かつて野営地で冒険者集団に刺さったのをカイトも見たことがある、ブラック・オークの長く黒い矢だった。
 勇者の周囲の横たわる姿も、いずれも同様だった。その横たわる姿は、ひとりとして”兜”を被っておらず、矢から身を守る”盾”を持っていなかった。鎧は重さも質も様々だが、どれも、胸と肩だけ、守っているというよりもごてごてと飾り立てているだけで、あるいは”魔法の鎧”であって実際は他の部分を強固に守っているというものかもしれなかった。しかし仮にそうであっても、暗黒の塔のブラック・オークらの使う弓矢は、少なくとも鉄の鎧くらいはたやすく貫くほどに強力だった。──そして、それ以上に、その狙いは正確だった。転がる死体はすべて、全員が全員ともが、額の真ん中をあやまたず射抜かれていた。この膨大な数の『勇者と真の仲間』たちが、兜のない無防備な頭を、面白いように次々と撃ち抜かれて、即死していった光景がつぶさにカイトの目に浮かんだ。
 かれらは眉間以外にも、やたらと肌が露出した装備だったが、いずれも頭だけ、一矢だけで射貫かれていた。一矢だけで確実、充分だったので、無駄な矢は全く使われなかったのだろう。……『オークなど何千万いても吹き飛ばせる』『何億のオークから一斉に襲われても傷ひとつつけられない』と豪語した勇者らは、一人あたりただの一本ずつのオークの矢で全員殺された。恐怖を知らず、自分のすべきことを正視しようとしたこともない者らに然るべき、何の成果も影響もない完全な無駄死にだった。その彼らの薄っぺらい『勇者パーティー』人生が最後に残したものは、頭蓋骨にどれも綺麗に丸い穴のあいた──骨も砕けるような正確で強力に貫く矢で穴をあけられた死体だけ、そして、そうやってできた無様な骨を、この大気も大地も世界の法則すらも違う異郷の風雨に、永遠にさらすだけだ。
 強い風がわずかに吹き、肌をなぶった。カイトは両脚を震わせ、遂に立ち止まった。
 ……彼らを、こんな目にあわせたのは何なのだ。冥王軍、いや、徒に彼らを冥王軍の前に引き出した者ら、”原初の王族”──他者を別の世界へと移動させられるという──何もかも、カイトや冒険者や勇者たちを騙してこの世界に連れて来た王族らのせいということだろうか。
 おそらく、そうではない。かつて元の世界ではカイトたちにとって『低レベルモンスター』が弱すぎる、一方的な殺戮対象であることは、”モンスターら自身の生来の当然の性質”であって、カイトたちにとってその性質を自分の都合の通りにすることが当然であり、何の責も感じていなかった。ちょうどそれと同様、”原初の王族”は、カイトらのような者達を見つけて、単にその持つ性質、弱さと愚かさに目をつけ、自分の都合のいいようにしたに過ぎない。この世界に触れてさえ、機会があってさえも、自らが本当に見るべきもの、すべきことすら解ろうともしないその愚かさを、利用できる分は利用し、価値がない分は廃棄したに過ぎない。
 廃棄された分は、この世界に住む一般人のように些細な役割を果たすことすらできず、最初から殺されるためにこの世界に呼ばれた、みすみす自らそのために来たに過ぎない。自分も、高レベル冒険者も、勇者パーティーたちも、自らこれを招いたのだ。


 カイトはそのまま勇者パーティーの死体の群を見下ろしていたが、不意に、かれらのいずれも仰向けの倒れ方から、ふと気付いた。
 「ここから出るな」カイトは、後ろから追いついてくるパリロとアリスとマリアを手で制し、自分も門の、石壁の背後に下がった。
 この矢を撃った集団がまだいるかもしれない。カイトは目を落とし、勇者らが仰向けに倒れている方向から、その逆の方向を見た。そして、その方向とを石壁が遮るように動いた。
 ──数多くの地を踏む音と、さらに、非常に重たく硬い鉄靴の音が響いた。激しい恐怖の波がカイトに襲い掛かり、その場に身をすくませ、呼吸を乱した。
 その集団の先頭は、旧魔国のオーガの首領だった。カイトが地下牢で会い、あの冒険者達と野営地を滅ぼした首領だった。オーガの首領が手をおろすと、背後の数人のブラック・オークらはいかにも張りの強そうな黒い弓矢をおろした。壁よりうしろにいるカイトたちには、矢はさほど有効ではないと思ったようだった。さらに背後には、これも見たことのある石の巨大な棍棒を持った別のオーガ、通常より大柄な洞窟オークなど、十数人のようだった。
 「この連中とは別に、何かの施設の術が起動したかと思えば」黒い鋼鉄の塊のような装具の、オーガの首領が言った。「そうか、お前か。生きていたとは」
 オーガの首領は、ほかならぬカイトを、門のアーチの入り口ごしに見て言った。
 「西方国(ウェスターネス)の施設は破壊させてもらうが、それよりまず、お前達を始末してからだ」
 オーガとその背後のオークらは、勇者パーティーの死体を蹴とばし踏み越えて、石壁の入り口のアーチ状の門を包囲するように近づいてきた。矢はすぐには飛んでこないが、すぐにも、もっと酷いことになるだろう。
 カイトの足は震え、地面がぐらつき、呼吸は乱れ切った。
 戦うか。せめてカイト一人でも、アリスとマリアとパリロを逃がすため。──論外だ。カイトなど、この敵のうちの一体に対してたりとも、何拍すらもたない。ここの勇者パーティーと同じことだ。逃げるか。──逃げられる場所などない。カイトにも、アリスとマリアと、パリロにも、おそらく、まだ逃げ終わっていないイークの集落の人々にも。
 何も思いつかない。何もできることが見つからない。
 「お前が恐怖を知ったためにここまで生き延びた、というなら」オーガの首領は重い鉄靴を響かせ、鋼鉄の杖のような槌鉾をカイトに向けた。「最後は恐怖のために死ぬがいい」







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