煉獄の行進








 16

 パラニアが一行を導いた先、山腹の半ばに不意に開いていたのは、地下道の入り口だった。それは自然の洞窟ではなく、門から少し歩み入ったところにある小さな岩室の空間も、石造りになっていた。
 「きれいに作られてる……」マリアが岩室に歩み入り、外套の頭巾をうしろに払って、壁に手を当てて見つめながら言った。「ドワーフとかの人達の建物なの?」
 「調べたわけではないので確実な話ではないが、様式から見ると、ドワーフやノームの技ではない。これはモリバントを作った西方国(ウェスターネス)の民の手によるものだな」パラニアは、不思議そうに見回す双子に言った。「おそらくモリバントから、この山の地下を通るために築いてあったものだな。あるいは、あの野営地のあった位置、あの場所にあった施設か住居との通り道だったのかもしれん。……ただ、今ではこの地下道は、洞窟オークやその他の地下に住む生き物の格好の住処にすぎんがな」
 「てことは、逃げ込める場所って言っても、かえってオークのただ中じゃないの」アリスが腰に両手を当てて言った。「ここにいたって、あるいはここから先に入っていっても、オーク達に見つかるじゃない」
 「おそらくな。雨露をしのげるというだけだ。あとは、この通路は確実にモリバントの側に通じていて、そちらに出られる」
 「オークに捕まったら、そんな利点どころじゃないわよ」
 「これでも、あの野営地から、しかも嵐の中を逃げてくる中では見込みのある道だぞ」パラニアが肩をすくめ、「もちろん、わしだってこんな場所におまえ達を連れてきたくなどなかったが、街道よりはこっちの方がまだ見込みがあるのだ」
 「それはオレのせいか……」このあたりの冥王軍を、冒険者らと共に刺激したことを思い出し、カイトが言った。
 パラニアは考え込むように顎鬚を撫で、「いや、実は、それだけではないような気がしている。……が、その先は脱出してからだな。そのための、手はないでもない」


 パラニアはさきほどの岩棚でのマリアとよく似た、壁に手を当てる仕草と共に、何かつぶやいた。それから、入り口の岩室から奥に続く通廊をしばらく歩いた。
 入り口から離れると外の光が差し込まないように見えたが、実のところ、前方からはかすかな光がいくつか漏れて来た。
 パラニアは立ち止まると、手にした黒い水松樹の杖の先を手で擦った。杖の先はほのかに輝き始めたが、カイトの知る、冒険者のよく使う”ライト”の呪文や”光の精霊”のような光ではなく、何かの錬金術薬品などの物質が反応を起こしているような光だった。おそらく魔法ではなくそのような何かの仕組みなのだろうとカイトは思った。
 「明かりが他にあるのに点けるのか……」カイトはふと疑問を感じた。
 「他所に明かりがあるから、このくらいの光は目立たないということだ。そして、自分でも明かりを持つのは念のためだ」
 通路の一方の側面にある、低い仕切りのような石壁の近くにパラニアは一度身をひそめ、その仕切りごしに向こうを伺った。それから、手で合図して一行の他の者を促した。
 通路の先は、高さも広さもかなりの大きさの空間につながっていた。石の天蓋や、屋外の建物のような石の構造物も数多く見受けられる一方で、自然の岩肌が露出している箇所も多い。その空間の中には、人工の石造りの橋や通路、石段がいくつも造られていた。しかし、その多くは見るからに破損したり、途中から崩れたりしていた。そのかわりに、洞窟オークの築いたらしい木製の通路や橋、縄梯子などがそれらの間を渡し補うように張り巡らされていた。今一行がいるのは、その広間に壁ぎわに沿って張り出している石の通路のうちひとつで、石の仕切りはその手すりだった。
 広間を薄暗く照らしている光のほとんどは、広間の各所に設けられた無数の洞窟オークらのかがり火だった。そして、その周辺に大小さまざまな洞窟オークが動き回っていた。外を見回っていた者らの控えなのか、武装などを準備する作業についているものが多いように見えた。
 「見えるだけであの数だと、総勢は考えたくもないわね」アリスが呟いてから、パラニアに、「進むための手ってのは何なの」
 「わしがひとりで向こう側に行って、騒ぎを起こしてみよう」パラニアが、今立っている通路から繋がる広間の出口、自然の洞窟になっている側を杖で指して言った。「見つからないように地崩れを仕掛けるあたりだな。外の嵐で地崩れは自然にも起こる、ということは、すぐに侵入者だとは怪しまれにくい。だが騒ぎになれば、この地下道にも、手薄になる箇所ができる。そこをおまえたちが先に通り抜けて、出口を見つける。わしは後から追う」
 「うまくいくの?」アリスが広間の洞窟オークらの動きを覗き込んで言った。「本当に手薄になる箇所があるのかしら。騒ぎにならなかったら?」
 「それはあり得るかもな」パラニアはオークらの木製の構造物を指し、「が、このものどもが住居を整備している、という習慣から考えると、住処が壊れたら何かの反応をする公算は高いな」
 「おじいさんは危なくないの?」マリアが見上げて言った。
 「いや、たぶん出口を見つける方がずっと難儀だぞ。おまえたちが道を見つけてくれれば、追いかけるわしの方が楽だな」パラニアが言いながら、肩をほぐすように動かした。
 パラニアが、通路の向こうの洞窟に姿を消した。マリアはそれを心配げに見送っていたが(おそらく、カイトもそうしていた)アリスに促され、通路を通り、広間の別の出口から地下道に入った。
 双子とカイトは石で精巧に作られた地下道を歩いた。アリスの簡素な棒杖(ワンド)の先に、パラニアの杖とよく似た燐光が灯っていた。──あんな小さな棒杖にも、錬金術薬品などの仕掛けが入るものだろうか。だが、光の精霊などの、魔道士協会の正式の”呪文”の効果には見えないし、アリスがそういう魔道の呪文を使った気配も全くない。
 しばらくして、地響きのような音がした。かなり遠くだが相当に大きい。
 「パラニアの仕掛けね」アリスが言った。去ってきた広間からかすかにだが、騒ぎの音が聞こえた。
 地響きが収まってしばらくしてから、マリアが床に手を当て、ついで外で行ったのと同様に、壁に耳をつけたり、何かをつぶやいていた。
 「こっちに気配がない……」マリアが指さした方向を、ためらわずにアリスも歩き始めた。
 「なあ、聞いてもいいか」カイトがアリスに尋ねた。
 「今は私の方はたいして忙しくないからいいわ」アリスは振り返らず、光る棒杖を掲げて歩き続けながら言った。
 「今のその……マリアのは何なんだ。どうやってオークのいない方向を見つけてる」アリスの方に聞いたのは、先行しているマリアより手近だというほかに(かわりに剣呑な答えが返ってくるかもしれないが)詳しい説明が聞けそうだと思ったからだった。
 「感知よ。感知は地下を歩くなら基本」アリスは短く答えた。
 「魔法か? 魔道士協会の分類で”精霊魔道”と”黒魔道”のどっちなんだ?」
 「あんたが魔法だの魔道だの言ってるのが何を指してるのかは知らないけど、この感知は”ただの技術”よ。音の反響、大気の流れ、さらに気脈。この《自然》の技についてだったら、元をたどれば、上古に灰色エルフや地エルフが森の地下の大洞窟に住んでいた頃に作られた技らしいけど」アリスは言い、「前に、行きの道でもマリアが、風が運んでくるものとか、草木の様子、食べられ方とか、鳥とか小動物の生息とか動きだとか、そういうものから、街道にどのくらいオークがいるか感知してたでしょう。それと似たような、延長の技術よ」
 いったいどこが似ていて何が延長なのか、カイトにはさっぱりわからなかった。
 「私が試してもいいけど、あの子の方が少し目も耳もいいから」アリスは言ったきり、まだ疑問が山ほど残っているカイトに対する説明を無慈悲に打ち切って、歩き続けた。
 ふたたび先行するマリアが立ち止まり、同様に壁に耳を当てたり、見上げて空気の流れや音、臭気などを伺うのをカイトは見ていたが、何をしているのかはやはりわからない。
 その間にアリスが、崩れている石段のひとつに歩み寄った。石段の最初の方の数歩、その側面に何かが書かれているのを見ているようだった。カイトが近寄ると、それは見たこともない、炎の舌が上下に躍っているような短い曲線が整然と並んでいる記号の連続だった。
 「石を束縛する言葉が、西方国の、星島(アタランテ)の言葉じゃなく、地エルフ語(ゴロジン)で刻まれてるのね」アリスが呟いた。「この地下道、節士派が作ったんだわ。……幸先が良いわね」
 「それはどういう……」
 「建物が協力してくれるかもしれない、ってことです」マリアが優しくカイトに笑み掛けて言ったが、残念ながら、カイトにはさっぱり意味がわからなかった。
 再度、マリアが先行し、そのあとについて進んだ。
 「行き止まりになったりはしないのか……」
 「それはもう少ししたら調べるわ」
 アリスは言ってから、もう少し狭い地下道をマリアについて歩き続け、次の広間にさしかかった所で立ち止まった。腰の筒のようなものから、巻いた紙の束を引き出すと、ラベルを確認し、一本を引き抜いた。
 それを石の段差のひとつ、台になっているような場所に広げた。よく見るとアリスの身長からするとかなり大きく、広げると半身くらいを覆えそうだった。
 大きな巻物の隅に書き付けてある説明を、アリスは指でなぞって読んでいるようだった。カイトもマリアものぞきこんだが、カイトも知っている”ルーン文字”に似た枝葉のような文字で書かれているが、カイトには読めない。それ以外の紙面のほとんどは、まったく何も書かれておらず、インクがうっすらと塗られたような灰色になっている。
 アリスが何かを読み上げた。いつものアリスの訛りの、また、たまに何かの拍子に発したり、ルーミルらと話していたあの言葉に似ているように聞こえたが、かなり長く入り組んでいる言葉だった。それは話し言葉としては不自然な入り組み方で、聞いているうちに別の音、というよりも、アリスが読み上げているが、発せられているのは別の何者かの声のように感じられてきた。
 ……地下のかすかな風に巻物の端がめくれ、震えたのを、見間違えたのかと最初は思った。しかし、紙面の灰色が動いていた。一面の灰色に、次第に濃淡ができていく。カイトはあまりの驚愕に目を見開いた。やがて、見違えようもなく、紙面はくっきりと描かれた──これほどまでに精巧に製図されたもの自体をカイトは見たことがない──地下道の通路、空間、段、凹凸も手に取るようにわかる詳細な地図になっていた。
 「なんだこれは……」言ったきりカイトは絶句した。
 魔法か、いや、魔道士協会のどんな呪文でも、こんなものは見たことも聞いたこともない。というより、人間の、いや、たとえ魔族の魔力容量でもこんな現象が起こることは、魔道士協会の魔道理論上から絶対にありえない。
 「たぶん地磁気だとか、気圧の高低に反応するようなインクが使われてるんじゃないの。もとは至福の地の海エルフか、灰色港の波エルフたちの航海技術だと思うわ」アリスがたいして事もなげに言った。
 カイトは地図を隅々まで凝視した。今の説明などカイトには何の意味もなしていない。
 「私にも仕組みなんてはっきりわからないわよ。正確なところは、この『地図の巻物』を作った、たぶん灰色港のエルフしか知らない」アリスが続けた。「これに似た技は他にもあるけど、私達にも手におえないわ。さっき言った灰色エルフたちの自然の技には、《自然の覚醒》の技術もあるけど、私やマリアには複雑すぎてまだ使えない。言葉の仕組みや編み方もわからないし、操れない。……だけどこの巻物は、これを作ったエルフが編み上げて完成させた状態で、その言葉を記録してあるのね」
 「そんなものが平気で使えるのか……」アリスも、地図を見ているマリアも、何ら不思議に思っていないということ自体、カイトにはとても信じられなかった。
 「読み書き自体できない狂戦士でもない限り、巻物は誰でも起動できるわよ。カイトでも使えるわ」
 「その言葉を知らなくても、さっぱり読めなくてもか?」カイトは巻物の隅やラベルの、まったく読めない謎めいた文字を見つめて言った。「何の訓練もしていなくてもか?」
 「言葉そのものにすでに力があるからよ。言葉を見つけるのも編み上げるのも、言葉をよく理解してる者でないとできない。けれど、一部の”真の名前”や命令は、どこの誰が口にしたって危険なものでしょう」アリスは言った。「要は、そういう言葉にまで編み上げられた状態で、巻物に書かれてるのよ。だから、使う時まで読み上げちゃいけない」
 アリスはまったく当然のように言ったが、カイトの認識の到底及ぶところではなかった。
 そんなカイトにアリスはそれ以上構いもせず、巻物の上の地図を指でなぞり、地図の端、通路が開けている箇所で止めた。その先は、岩肌の起伏のような地形の線に続いている。
 「なんとかこの巻物一枚で、外に通じる道まで描かれたわね」
 「あとは外に出るだけ……」マリアが言った。
 「そう、手薄なところをまたなんとか辿って、外までたどりついて、パラニアを待つ。あとはただそれだけだわ」アリスは肩をすくめて言った。


 一行はアリスが広げたままにしている巻物の地図と、やはりマリアが感じた気配が手薄な方向にそって、早足で地下を進んでいった。ほどなく、地図が示すところの、出口のすぐ手前の広間にさしかかった。
 先行していたマリアが、不意に足をとめた。広間に入るすぐ前の所に、洞窟オークの死体が数体転がっていた。いずれもかなり経っているようだった。アリスがためらいもなく近づいていった。
 「……何か、なめらかな曲面のもので叩き潰されたみたいだわ」アリスは──小さな少女はおぞましい人型の怪物の、叩き潰された凄惨極まりない死体の傍らに、まるで臆せずに屈みこんで凝視した。それから、周囲の洞窟オークら、その倒れる姿勢や方向を見回して言った。「それも、この同時に倒されたのは、ひとふりで」
 広間の中の方は、先ほどパラニアに連れられて入ったときの、反対側の入り口近くの広間と、広さも高さもよく似ていた。今いる通路からは見下ろせないほどの深さから天井まで、石の通廊と石段が縦横に張り巡らされているが、ただし、もう片方の広間にあったようなオークの木の構造物はなく、また、洞窟オークの姿も入り口の死体の他にはなかった。かわりに、広間の中に嫌でも目に入ったものがあった。
 「どうやら、ここにオークの気配がないのは、パラニアの起こした騒ぎのおかげだけではなさそうね」アリスは口をなかば押さえて言った。
 巨大な黒茶色の人型が、通路の上を、その大きさによる大股にしてはやや遅めに歩いていた。重たい足音はしているが、金属の光沢とその大きさ、振る舞いからうかがえるような金属音、四肢がこすれたりぶつかったりするような音は全く聞こえてこない。
 「エオグ・ゴーレムだわ……」アリスがささやくように言った。「西方国(ウェスターネス)の衛兵ね」





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