煉獄の行進








 17

 「あれがゴーレムだって!?」カイトが思わず小さく叫んだ。
 カイトの元いた世界では、”ゴーレム”とは泥や岩や骨の人型で、魔道士が素材からその場で作り出すものか、いかにも人工物を貼り合わせて作った人形だった。特に後者には人間の数倍のものもあるが、素材と重さの制限を超えることは決してない、高レベル冒険者にとってみれば単なるでくのぼうだ。しかし、目の前を動いているものは、人間の、いや、自然の肉食の獣のようにその動きはなめらかだ。石や金属の塊が、いったいどうやったらあんなふうに動くのだ。関節部分の構造や駆動力はどうなっている。いや、どんな構造だろうが、この動きは絶対にありえない。そして、ロック・ゴーレムやマッド・ゴーレムの例から考えて、”エオグ”というのがこのゴーレムを構成している物質の名のようだが、カイトの高レベル冒険者のベテラン経歴すべてを通して、そんな素材の名は一度たりとも聞いたことがない。
 「全身が黒エオグ鋼ってわけじゃないわ」アリスが静かに言った。「ただ、西方国人の故郷の星島(アタランテ)では、ドワーフ大堂(ドワローデルフ)でしか採れないと信じられているものも含めて、あらゆる鉱物が産出していたのよ。駆動部に豊富に使われているでしょうし、もっと希少な素材が含まれてても不思議じゃないわね」
 カイトの疑問を察したような説明であったが、不幸にもカイトに対しては何の疑問の解消にもならなかった。
 「話したりできないの?」マリアが聞いた。「西方国の人達が使ってた、仲良くするための合言葉とかは見つからないの?」
 「エオグ・ゴーレムについて一時モンスター仙人のところに記録されていた、『みんなと仲良く(ファミリア)』しようという目的を持ってる、というのは誤訳なのよ。正確な訳は『みんなにおなじみの(ファミリア)』目的。つまり、侵入者を叩き潰すだけが目的ってことなのよ」
 アリスが何か、無関係でもないが特に聞かれてもいないことを詳細な説明をした(アリスは切羽詰まったときにこうなると、カイトがマリアから聞いたのは、ずっと後のことである)。
 「この迷路みたいな道を、最短距離を計算して突進してくるわね」アリスが地図の巻物を広げ、広間に張り巡らされている通路を指でなぞって言った。「多少足を止めたとしても、すぐに計算しなおして迂回してくるわ」
 「こんな凄い迷路をすぐに計算してか!?」カイトがうめいた。「ゴーレムは”知能が低い”んじゃないのか!?」
 「現世のものを言う生物とはまったくの”異質の知能”だってだけよ。ゴーレムに封じられたスゥルアーンバールの……」アリスは当然のように何か別の言語で言ってから、その部分を言い直した。「”大地の元素霊(アース・エレメンタル)”の精神がね」
 「おじいさんが追い付いてくるまで待った方が……」マリアが言った。
 「それはいい案だけど、あのでかぶつの方は待ってくれるかわからないわ。あと、広間の外までも、目指す相手を叩き潰し終わるまで追ってくる公算は高いかも」アリスが通路に入ったところにある洞窟オークの死体を振り返って言った。
 「というより、うしろの道は生きてるオークの群だ。そこに追い込まれる」カイトが言った。
 アリスはカイトを怪訝げに振り返った。アリスのはしばみ色の眼には、いつもの咎めるような色でなく、わずかな驚きが混ざっているように見えた。が、アリスはまた地図の巻物に目を落とし、ゴーレムの通ってくる通路の最短距離をふたたび指でなぞった。
 「石の上に乗ったその時に、その石ごと落とすしかないわね。……私はあの足をよろめかせてみる。その時点で落とせるとは思えないけど。その間に、マリアは石段を崩す準備をして!」アリスは手前の通路に続く、石の階段を指さした。
 「カイトさんも!」マリアが階段に向けて走り出した。
 「よろめかせるって──いや、石段を崩すってどうやるんだ」カイトがアリスを見下ろして言った。「攻撃呪文をぶつけて破壊するのか?」
 アリスはカイトを眉をひそめて見た。さきほどの驚いたような色は消え、いつも通りの険悪な目でしかなかった。「一体、今まで何を見聞きしてたのよ。何のためにパラニアが自然の地崩れに見せかけてオークの気をひいたの。折角そんなところに、西方国(ウェスターネス)のこの丈夫な石組を力任せだけで壊せるような無理矢理の力ずくをぶつけたりしたら、この山じゅうの洞窟オークが──いえ、遥か北東の『妖術の丘』からも指輪の幽鬼たちがここまで飛んでくるわよ!」
 カイトは背筋がぞくりとした。
 「じゃ、これからすることは安全なのか……」
 「安全なくらい最小限の手段が、最大の効果を上げるのを祈るしかないのよ」
 カイトがさらに何か聞く前に、アリスは通路に沿って、別の方向に走りはじめていた。カイトは言われた通り、マリアと共に石段の方に向かうしかなかった。
 マリアは石段の最初の方の段の側面、基部を探し、やがて文字を見つけたようだった。さきほどアリスが別の階段に見つけていたのと同じ、こちらは今いる通路から下りの方向(つまり、エオグ・ゴーレムはこちらに向けて昇ってくる方向)に向かう石段だったが、同様の炎の舌のような細かい文字が刻まれている。マリアはそれを掌でなぞった。
 「準備しますね」マリアはカイトを振り向き、「カイトさんは、崩すときに手伝ってください」
 「準備ってなにを……」
 マリアはベルトからアサメ(聖餐短刀)を引抜くと、石段の基部にすでにある文字のすぐ下に何かを刻み始めた。アサメの切っ先は古い石をまるでバターのように穿ち、上に描かれた文字とおそらく同じ、炎の舌のような文字の配列を彫り込んでいった。
 一方、アリスは広間の壁ぎわの通路を走ると、途中で立ち止まった。エオグ・ゴーレムが歩いてくる通路のうち、道が湾曲して、距離が近くなっている位置を見つけたようだった。相互の通路の間の奈落ごしに、目の前を横切って歩いてゆく黒茶の巨人に狙いを定めるように見つめた。
 不意に、アリスは床に二度踵を叩きつけてから、黒茶の巨人の足元を、伸ばした両腕と輝く棒杖(ワンド)で指し、例の熾火のような激しい抑揚と共に発した:


 ラアィス ドゥーネダイン、ラスト ベス ニィン、ウ-ノ レムメン;
 フアェ ゴンドレーノ ラィーノ アン-タルマ!


 何も起こらなかった。少なくともカイトにはそう見えた。が、突如、歩くエオグ・ゴーレムの足がぐらりとかしいだ。精緻に組み上げられていた石の通路の、はまった石がぐらついている。一体、何が起こったのだ。いや、これだけ古い建造物なら、あれほどの重さに耐えられない箇所ができても何も不思議などない。……しかし、あの通路は今までも、あの巨体が、しかも悠久の年月の間、往復していたのではないか? それが今このときになって偶然崩れただけだとでもいうのか?
 エオグ・ゴーレムの踏んだその石はぐらつき、わずかの間外れかけただけだったが、ゴーレムはよろめいて速度を落とした。しかし、危なげは全くなく、ほぼ完全に平衡を保ちつつ歩き続けている。
 カイトはそれにも目を見張った。おおよそあんな夥しい重さと大きさのものが、いったいどれほど精緻な運動能力を有しているのだ。愚鈍なはずのゴーレムどころか、他のどんなモンスターだろうが、それどころか、人間の高レベル冒険者だろうが、一度も見たことなどない。
 「やっぱり全然だめだわ! 西方国(ウェスターネス)の工芸品は生半可なつくりなんかになってない」アリスが言ってから、また少しゴーレムの歩くのと平行して移動し、再度、同じ言葉を試そうとしているようだった。
 しかし、そのゴーレムの歩みが遅れた間に、マリアが石段に、元に書いてあったのと同じくらいの長さの文字列を描き終えていた。
 「崩して下さい!」マリアはカイトに促してから、石を握って、石段の基部を叩き始めた。
 崩してといわれたところで、今マリアがやっているようなことで、一体何がどうなるようにも見えない。が、他に何をする手段もカイトには見つからない。カイトは辺りの通路の残骸の中から、マリアのものよりは大きい石を探すと、同様に石段の基部めがけて叩きつけはじめた。しかし、予想通り石組はまるでびくともしない。
 エオグ・ゴーレムの濃茶の巨大な質量が、通路の湾曲部を曲がり、石の階段を上ってきた。きわめて滑らかな、そしてカイトはそこでようやく気付いたが、相当な反応速度と想像を絶する戦闘技術を、その動きが示していた。
 ゴーレムが上を歩いている今、まさにこの石段が崩れれば、ということだったのかもしれないが、到底そんなことは起こりそうにない。石を叩き続けているマリアの無力な姿を見て、カイトはゴーレムに突進する決意をしかけた。鈍重なでくのぼうのゴーレムなど、元の世界で高レベル冒険者だった自分はいくらでも倒してきた。いや、少なくとも、自分が突進すれば、マリアが生き残れるだけの時間は稼げる──
 しかし、目の前に迫ってくるそのエオグの塊の大きさと質量、滑らかな動きと速さ、そして巨大なその拳を見たとき、カイトの背筋は震えあがった。あの拳、あのなだらかな曲線が、まさに腕の一振りで、数体の洞窟オークを一度に叩きのめし、骨まで砕いたに違いなかった。さきに、『高レベル重戦士』をただのすれ違いざまに難なく仕留めた洞窟オークの集団を、一振りでこうまでする相手に、一体、カイトに何ができるというのか。つかの間の時間すら稼げるとでもいうのか。
 その間に、マリアがふたたびアサメを握り、石段の基部に、別のもう数文字を書き加えていた。
 「カイトさん!」マリアは見上げて言った。「エルフの短剣で──」
 カイトはマリアを見下ろすと、──その言葉に躊躇せず、地エルフの鎧通しを引抜き、並んだ文字の傍、石の継ぎ目に突き立てた。
 地下の引火性気体の発火のような光が、石同士の継ぎ目と、おそらくは見間違いだが、石に彫られた新旧の文字のその刻み目を伝ったように見えた。
 轟音と共に、石段を組んでいる巨大な石の数々が互いに離れ、そして石段であることを止めて、ばらばらに落下していった。それは強固に建造された、別の言い方をすれば何か窮屈に身を寄せていた石たちが、解放を喜んでいるようにも見えた。石段丸ごとと、その上のエオグ・ゴーレムが、底の見えないはてしなく下の広間の床に落下していくのが見えた。カイトは鎧通しを握ったまま、ただ立ち尽くして、茫然とその光景を見つめた。
 「急ぐわよ! 今の音、オークに気づかれたかもしれないし、他の衛士もいないとも限らないわ」アリスが促してから、巻物の地図を見おろし、広間の出口に駆けた。


 三者は広間を駆け抜けて、地下道の通路をさらに通り抜けた。地図の巻物が示している通り、やがて外の光が見えてきた。
 マリアがまた束の間立ち止まって気配を探ったが、外にも、また追ってくる方にも気配はないので、歩みを緩めた。音を聞いた洞窟オークが広間に集まってきたり追ってくる様子はないようだった。そもそも洞窟オークらはあの西方国の衛兵を恐れていて、あの広間には近づかないのかもしれない。
 出口から外の山地が見えるといっても、相変わらず空は暗く、雨もひどく降り続いていた。が、三者はそれでも安堵に、自然と出口近くで歩みを緩めた。最初に、先行していたマリアが石壁に背を預けて息をつくと、カイトもアリスも立ち止まった。
 「……何をやったんだ、今のは」カイトがアリスに尋ねた。
 「何が」アリスが疲労に億劫そうに言った。「わかるように聞いてよ」
 「だからさ、さっきも聞いただろう。石を崩すってのはどうやったんだよ」







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