Netherspectra II - 50 ft
深淵夢幻 50ft






 2

 辺境の地の旅の宿の給仕の巻き毛の少女は、暖炉の傍らのアランの席に揚げ
じゃがの皿を置くと、そのまま別のテーブルに向かった。当初、宿の名物なる
言葉は(これまでの殺伐としてみすぼらしい街の様子からは)アランはまった
く半信半疑だったが、運ばれてきてみると、その揚げじゃがの過剰といえるほ
どスパイスのきいた香りは、少なくとも空腹には驚くほど魅惑的だった。
 それに気をとられたでもないが、アランにはその皿が一人分ということにも
気付かず(それは、それまでの少年の標準より量がかなり多いこともあった)
アランの向かいに掛けている”蛮子”には、注文をとりに来てさえいない、そ
れ以前に給仕は彼女に目もくれていないということには、全く気付かなかった。
アランにとっては周りに目新しいものが多すぎ、目の届かないものも多すぎた。
 「えーと、まず、これから何をしなくちゃいけないか」蛮子は席のそばの
暖炉から、燃えさしの木炭のかけらを拾い上げた。「話は食べながらでいいん
だけど、その前にちょっと、ヘルプファイルある?」
 アランは横に置いた背負い袋の中でも、よく取り出す一番上に位置しっぱな
しの、”助力綴じ”の紙の束を引き出した。蛮子が頁をめくると、最後の方の
頁が何枚か空白になっている。そのページをテーブルの上に両開きにして、蛮
子は木炭の墨と指で大雑把な大きな文字で書き付けた:


 1.雑貨屋に行く
 2.真鍮のランタンを買う
 3.サーペントを倒す


 「ん、んな、使い古されたRoguelikeボケネタを……」レプが絶望的に呻いた。
 「サーペント……」アランが一度呟いてから、蛮子に尋ねた。「その”サー
ペント”って、なんなの……」
 綴じ紙にも、『サーペントはあらゆる冒険者が常に達成を求められるもの』
などと書いてあったのだが、それが何なのか、どういった規模のものなのか、
そも、アランは名前以外のことを全くもって知らない。
 「……どうして、それを倒さないといけないの?」
 「うぅ……サーペントがなんなのか、説明するのは凄く難しいよ……ものす
ごく難しいよ……なんで倒すのかって段になると、これはもっと難しい」蛮子
は独り言のように喋りながら頭を抱えた。「とにかく難しい。このサイトの
ゲーム関係用語集にも、正式なゲーム内設定のことを言ったら説明しようがな
いだとか何とか」
 「もし、それを倒さなかったらどうなるの? 何が起こるの?」
 蛮子は目をしばたいた。──そして、しばらく考えてから、
 「とりあえず、アランに起こることは、……それを倒さないと、地下要塞の
ある深さよりは下には降りられなかったり、あと、……別の迷宮の入り口に入
れない所があったりすることかな……」
 「”最初に立ちふさがる門番”ってことなんだね……」アランは真剣な口調
で言った。
 蛮子は口を半開きにして半拍ほどそのアランを見たが、
 「……うん、一種、そんなとこか」
 「おい、それはちょい待ちや」レプが小声で何か言いかけた。
 「でも、それはだいぶ後になるから、まずは前のふたつだね」蛮子がレプを
気にもせずに結んだ。
 「……ええんか。それでええんか」やがて思い出したように揚げじゃがを頬
張りはじめたアランを横目に、レプが蛮子にささやいた。
 「どうせ、ずっと進むまではどっちでも関係ないことだし」蛮子がささやい
た。「他に、サーペントのうまい説明でもあるの? いいかげんな説明をする
わけにもいかないし」
 「今以上にいいかげんな説明はワシには考えられへん……」
 ……アランはなかば上の空で食べ続けたため、やがて皿の上のかなりの量を
無意識に詰め込んでしまっていた。自分で空腹状態を管理するのも、慣れてい
ないのだ。それに気付いて食事を中断し、皿をおしやって、綴じ紙の頁にふた
たび目を落とした。
 「サーペントを倒せるようになるまで……まず、最初はランタンなの?」
 「潜るなら松明でなくてランタンがいいんだけど、忘れがち。……つまりは、
”装備品”全般が要るってことなんだけどね」蛮子が答えた。「何かを倒せる
ようになる以前に、自分が死なないようにする。さっきのでわかるでしょ」
 アランは恐々として頷いた。
 「この次元世界には、”安全”な場所っていうのはどこにもない。強いて言
えば、この宿の2階なら安全に泊まれるとは言えるけど、そこに引きこもって
てもどうしようもないし」蛮子は続けた。「だから、まず生き延びる力がいる
けど、手っ取り早くは装備。特に足りないもの。つまり、まだ鎧がないわけだ
から、最優先で防具。……食べるのが落ち着いたら揃えよう」
 アランは揚げじゃがの皿を前にしたまま、しばらく真剣な面持ちで、当面の
目標(と、少なくともアランは思った)を見つけたこと、その入り混じった不
安と決意をかみしめていた。
 ……そのテーブルの様子を、巻き毛の給仕の少女は、カウンターの傍らで手
をとめながら、怪訝そうにじっと眺めていた。
 「どうした、ティカ……」店主は、その少女に声をかけた。
 「あのテーブルの子」少女は目を離さないまま、「少し前まで、向かいに誰
もいないのに話したり、向かいに見せるみたいに紙を差し出したりしてたの」
 「芸人の練習か何かだろ」店主はやはりそれには説得力がないと感じつつ、
「そうでなければ……そういう奴なんだろうよ。まぁ、そういう奴にしたって
今の時代、珍しくないさ」
 そう言いながらも、既に店主はその席の、年端もゆかない、朴訥そうで瞳の
色も正常に澄んだ少年が、そのどちらにも見えないことにはとうに気付いてい
た。だが、だからといって給仕の少女に何か納得のゆく説明ができるわけでは
あるまい……そこまで思ったところで、カウンター席のひとつについていた小
男が言った。
 「”毒電波”を受信してるんだよ」むぎわらを束ねたような髪をした、茶色
い胴衣(ダブレット)の小男は、訳知り顔にゆっくりと首を振り、わずかに口を
ゆがめるような苦笑を浮かべながら、「SSTPさ……」
 少女は怪訝げに小男と、ついで店主を見た。しかし、店主はため息をついた。
それは小男の言うそれらの語の意味がわかってのことではなかった。ただ、憶
えていただけだ。この白馬亭に現れる(そして消えてゆく)数多くの冒険者の
うち、前にもそんな単語がつきまとっていた者がいて、……


 「まず、そこの雑貨屋で、船長から貰った松明を売ってランタンを買う」白
馬亭から出ると、蛮子は本通りを挟んで向かいにある建物を指差して言った。
 「ちょい、その前に」レプが口を挟んだ。「武器を代えるなら、ランタンは
ともかく防具を揃える前の方がええんちゃうか」
 「あ、そっか……」蛮子は宙を眺めて言ってから、アランを振り向き、「と
りあえず、その剣を抜いて、一度振ってみて」
 「大丈夫なの……」アランはあたりを見回した。アランの知るどんな街や村
も、街中での抜剣は物騒と思われるのが当然であるし、言うまでもなく、振り
回したりするのは論外である。
 「ここがどういう村かは、さっき追っかけられた時にわかったと思うけど」
蛮子は平然と言った。「ああいうのを刺激することになったら危ないけど、周
りにいなければなんてことないよ」
 つくづく物騒な場所であると思いつつ、アランは脇に吊っている剣をあまり
手際よくなく鞘から抜いた。故郷から持ってきた広刃の剣である。故郷の兵士
らも使う数打ちの品で、信頼のおける品だが、それ以上でもない。訓練用の刃
引きではない剣を帯びるようになって日が浅く──そして、実際のところこの
剣の方がその刃引きよりもやや大きく重かった。
 「一度打ち込んで、できるだけ早く切り返してみて。擦り上げでもいい」
 後の方の用語はアランは知らなかったが、ともあれ振りかぶった剣を中空に
向けて、振り下ろし、切り返した。二挙動になった。それは傍から見ると、体
の動かし方の基礎がしっかりと身についているため、危なげこそはなかったが、
それでも少年の細い腕と体躯は重厚な鉄剣にかろうじて振り回されないで済ん
でいる、という印象しか与えなかった。
 蛮子はそれを見て目をしばたいたが、それから、自分の腰に佩いていた騎兵
軍刀(サーベル)を左手で逆手抜きし、そのまま柄をアランに差し出した。
 「こっちだとどう?」
 アランは蛮子の軍刀を受け取り、少し眺めた。造り云々を判断できる目はま
だアランには全くない。ぎらぎらと銀色に光っているが、アランの手に渡って
も全体の輪郭がまだぼうっと靄がかっているように見える。実体か、それとも
幻影か何かなのだろうか? その軍刀の見かけからは、広刃の剣とではバラン
ス自体がまるで異なると思えたが、それ以前にほとんど重さ自体を感じない。
 ともあれ、全く同じように扱えそうだった。こういった軍刀は普通は片手専
用だが、形状はまさに幻影的な見かけだけのようだ。アランは自分の剣を収め、
その軍刀を自分の剣とまったく同じように両手で握り、振り下ろし、切り返し
た。重さがないだけ自分の剣よりも遥かに早かったが、やはり二挙動になった。
 アランが見ると、蛮子はひどくきまり悪そうにその光景を眺めていた。やが
て、ゆっくりと頭を抱えた。
 「筋力も器用さも、根本的に2回攻撃に足りないのね……」
 「武器に関しては、気にしないでようなったわけやな」レプが言った。「軽
い武器にかえたところで、何もマシにならんということや」
 「……どうするの?」アランは軍刀を蛮子に差し出し、「これは?」
 「それはテスト用だから、アランは攻撃には使えないよ」蛮子は振り返って
答えた。「気にしないで、いままで使い慣れた剣を使ってていい」
 アランは軍刀を蛮子に返し、鞘に納めてある自分の剣を握ったが、別にそこ
から安心を受けるわけでもなかった。剣ならばひと通りの種類の使い方を教わ
っており、その中で広刃の剣やこの剣自体を「使い慣れた」と言えるほど使い
込んでいるわけでもない。むしろ、蛮子とレプの言葉は意味がよくわからない
ながら、何かの困難のことを言っているとは解った。
 ……それはともかくも、自分と同じほどの歳の少女の姿をしたもの──たと
えその実体が魔法使の使役する精霊か何かであるとしても──が実に様々なこ
とを知っており、教えてくれる、という状況に、アランは少しずつ実感を憶え
てきて、驚愕と若干の当惑を憶えた。
 「強種族なら長剣でも3回攻撃、しかも筋力分も上乗せなのに」蛮子はふた
たび頭を抱えてぶつぶつ言っていた。「こんな条件で潜るなんて、想像したこ
ともないよ……」
 「落ち込みやすいなお前……いや、昔のコンソールダンジョンシミュレータ
だと、オートローラーなしでやったり、もっと昔のオートローラー自体なかっ
たんや」
 蛮子は意を決したようにぐいと頭を上げた。「いいや。むしろ大事なのは防
具だし。防具さえ揃えば、たとえ魔法使いでもイモムシ増殖できるし」
 「イモムシ?」アランは小さく聞き返した。
 蛮子はアランの問いは聞き逃したか構わずにか、「ええと、次ぎは、雑貨店
でランタンと油つぼを買ったら、向かって左となりの店で、頭から足まで防具
をひとそろい揃えるの。勿論、安売りがあったらそれね。たぶん、できるだけ
いい鎧と安い値段の組み合わせは、剣を習ったなら自分でわかると思うけど」
 アランは店に向かおうとしたが、ふと足を止め、通りにぽつぽつとうずくま
っている薄汚れた幾人かの人物──先ほどの兵士らと似たような姿や、さらに
得体の知れない姿が混ざっている──に、恐々として目をやりながら、蛮子に
言った。「あの人たちは?」
 「防具を買えば──買っても当分だめか。まあ、刺激しなければ割と大丈夫
だよ」


 しばらく後、うずくまる兵士らをおそるおそる横目に見ながら、アランが白
馬亭の前の蛮子のところに戻ってきた。軟革の胴衣は上着の下に着るので、ア
ランの見かけ上から何か変わった──どこかに何かの力がついた──ように見
えるのは、革の帽子だけだった。
 「あれ、革手袋は? あと硬革の靴は。買えたよね安いし」
 「手袋は売ってなかったよ」アランは答えた。「松明を売っても、真鍮のラ
ンタンと油で半分以上なくなって……そのあと、この革鎧と帽子を買ったら、
お金がなくなったよ」
 「そら、明らかにぼったくられとるなぁ」レプが言った。「まずは、店主が
”人間”をよく思ってない種族なんやろうが……それよりも、子供でしかも線
が細いんで、店主に甘く見られたんやろ」
 「それって、カリスマまでも低いわけ。……その麗しいショタ容姿さえも裏
目に出てるわけ」蛮子は頭を抱えた。
 「この次元世界に萌えキャラ特権なんてないって、最初に心配しとったのは
お前の方やないのか」
 「値切り交渉のことも教えとくんだったよ……」蛮子はうなだれた。「この
装備じゃイモムシにも安全に行けやしないよ……」
 「イモムシ?」アランは小さく聞き返した。
 蛮子はまた意を決したように、ぐいと顔を上げた。「いや、そうと決まった
ら地味に堅実にいくしかない。薬と巻物集めよね」
 ……蛮子は少し考えて言葉をまとめるようにしてから、「洞窟、迷宮の一番
浅い所だけに入って、薬や巻物を集めてくるの。何だか正体がわからなくても、
魔法の品を扱ってる店が引き取ってくれる。そうやってお金をためてる間に、
防具とかの店にも品物が入荷するかもしれないってわけ」
 「いよいよ迷宮に入るんだね……」アランは真摯な目で剣の柄を握り締めた。
 蛮子は少しのけぞるようにして、アランを頓狂な面持ちで見つめた。
 「──って、それだけか」レプがアランに言った。「これほどまでに地味な、
”勇者の登竜門・村を襲うゴブリン退治”とかより遥かに地味な作業を突きつ
けられて、真剣な挑戦のような顔をしてられるんか。……物足りないとか、不
満のひとつも出る思うたぞ」
 「そんなこと言ったって……」アランはたどたどしく言った。「自分に何が
できるのかも、何もわからないのに、……自分の力に比べて地味だとか、物足
りないだとか、わかるわけないよ」
 実のところアランは、今レプが言ったような冒険者のよくある最初の仕事な
るものも聞いたこともなく、その困難さも想像できない。そしてできたとして
も、素質のよい冒険者の駆け出しにとってさえ挑戦的なことを、自分が成し遂
げるとも想像できない。
 もっと単純に言えば、この地のことは何も知らない以上は、アランにとって
は何の作業であろうと未知のことで、本能的に警戒のもと心してかかるもので
しかなかった。
 「意外と、”勇者系”とはちょいと違うのかもな」レプは蛮子に囁いた。
 蛮子らに導かれて、辺境の地の柵の門を出たアランは、鬱蒼としげる木々の
中の小道を、近くの小山へと続くという枝道へと進んだ。──アランには、
次々と蛮子らが彼に関わる問題に直面し頭を抱えるのはわかったが、その問題
の具体的な言葉の意味は、ほとんどわからなかった。ただし、そのたびに即座
に次々と別の策や案を提示してくる彼女らに驚き、昨日今日の唐突な出会いの
当惑から徐々に頼もしく思えて来ると共に、彼女らの右往左往から、それほど
にこの地を歩くことには困難と、そして今後も次々と問題が伴うのかと漠然と
思いを馳せるのみである。



 next

 back

 back to index