イェンダーの徴: 猫とハイエナと冷たい鉄
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控え目に行っても幻想的、率直なところは珍妙な光景だった。水晶の柱の立ち並ぶ洞窟で、低い柱に腰かけて相対している、そのうちひとりは、暗色の外套(マント)の10代前半そこらの少年である。その対手にいるのは、磨き上げられた中装の鎧、剣で武装した──猫がそのまま直立したような生き物だった。人間が座るような姿勢で、水晶の低い柱に掛けている。見たところ会話が続き、猫少年は、マントの少年の方に何かを訴え、懇願しているように見えるが、マントの少年の方はいかにも乗り気ではない。
その光景を、水晶の柱の陰に隠れるように伺う者らがいた。最初から覗き見るつもりではなかったが、この洞窟内の日常から考えても奇妙な光景に立ち止まって、かわされている会話も聞かずには居られなかったのだ。普段から、それをはばかるような慣習も無ければなおさらだった。岩陰から、その不遜な覗き見をしている二人組は、いずれも若い女(少なくとも見かけは)だった。
「猫妖精(ブーカ)じゃないよな」ひとりは盗賊の薄い革装の、青紫の髪(人間としては異様な色)の若い女だった。「猫斥徒(タバクシ)でもない。どっちも、あんなに毛皮成分、ていうか──なんていうか、そのまんま猫、っていうような猫成分が強くない」
「たぶん、ガーディナルだと思う」もうひとりの少女も、かれらの洞窟には見慣れない訪問者、猫少年の方を、水晶の柱ごしに凝視して言った。そちらは、先の女盗賊より見るからに何歳か年下で、鍔のない先の尖った帽子と、白いローブの金髪の少女だった。帽子とローブの刺繍から、占星術師の装束であり、既にそれなりの地位の魔術師だとわかる。……女盗賊はさらなる説明を求めるように、魔術師の少女を見下ろした。
「天上の動物っていうか、動物型の天の使徒だとか精霊っていうか」魔術師は言った。「毛の色あいとかが、天上(セレスチャル)種とか混血の感じになってて、しかもそのまま人型の動物だと。それか、そういうガーディナルの遠い混血(プレインタッチト)かな……」
「あのマールの所に来る客が”平凡”だったことはないけどさ」女盗賊はマントの少年の方を見てから、また猫少年の方に目を戻し、「それにしたって、並外れて珍妙なお客だ。てことは、クロムとミトラにかけて──それなりに物珍しい、重要そうな問題を持ち込んで来たって話だぞ──」
が、女盗賊がそこまで言ったところで、マントの少年が、ここまで聞こえるほど鋭い声で言った。
「だめだね。『天上の獅子』ならともかく、『ネコの帝王』の都合は聞けない」
「……なぜでしょう」猫少年はためらってから、「我々の『帝王』が、『獅子』よりも、地位・名において劣るとは思えません。『帝王』に助力することが、栄誉において劣るというわけではないでしょう」
「その通りだ。実はこれは君も知らないかもしれないけど、『ネコの帝王』の存在の方が、《楽土界(エリュシオン)》の諸侯でしかない『天上の獅子』よりも、多元宇宙の役割では遥かに重要なんだ。『獅子』の方は単には宇宙の転輪の歯車だけど、『帝王』はそうじゃない。宇宙の奔放なトリックスターだ。──そして、願いを聞けないのは、だからこそなんだ」
マントの少年は、鎧と毛皮に覆われた猫少年に言った。
「《奈落界(アビス)》の『ハイエナの公王』を妨げたい、と望んでいるのが、例えば《楽土界》の『天上の獅子』だったときは、”善の勢力”のため、領民や他の人々の命を助けるための、差し迫った目的が必ずあるはずだ。だけど、『ネコの帝王』は違う。善や悪の歯車じゃない。何を考えてるか、わかったもんじゃない。政策上の都合だとか、他者との駆け引きだか、トリックだか趣味だかは知らないけど、つまるところ、常に彼自身の損得のためでしかないんだ。彼に対してただの貸し借りを作るために動くのはごめんだよ」
「だったら……『ネコの帝王』自身には助力してくれないとしても。僕らの、帝王の民の部族の助け、という形でも、力にはなってくれないのですか」猫少年は懇願するように言った。「あなたは──賢者マーリンは、善の賢者だと、助力者だと聞きました」
「際限なく面倒をしょいこんでくれるような、無限の行動力があるような賢者も助力者も、この多元宇宙には一人もいないよ。誰だって、できることは限られている」しかし、賢者としてのプライドに訴えようと試みたような猫少年の言葉にも、マントの少年はまるでそっけなかった。「現に、その『ハイエナの公王』の拠点を今どうもしなくても、すぐに人命が危機にさらされるわけでもない。何かの犠牲を払ってまで達成すべき価値があるとは、君自身も思ってないんだろう?」
「それは……」猫少年は俯いた。
「ぼくに何かを引き受けさせるってのも、君達にとって少なからぬ”犠牲”なんだよ。……だけど、どっちにしろ、君が犠牲を払う価値を認めてるとしてもだ。ぼくは『ネコの帝王』との”貸し借り”を作るつもりはない、どっちにしろ引き受けるつもりはない」
マントの少年、賢者マールは一方的に会話を打ち切ってそのまま立ち上がり、水晶の広間を立ち去った。
猫少年の方は、会話が終わった時の俯いた姿勢のまま、微動だにせず座り込んでいた。
女盗賊と魔術師は共に、どうするのかとそのまま水晶の柱の陰から見守っていたが、何も動きがない。猫というのはもっと活発なのではないか、と何となく思えたが、それほどまでに意気消沈しているのだろうか。
「まあ、マールが干渉しないって決めたんだしな……」女盗賊が魔術師に(多分に立ち去ることを促すように)言ったが、猫少年を見つめており、自分からは動き始めない。
「うう、でもさ、なんか放っておけないって気がしない?」金髪の魔術師の方は、毛皮の塊がうずくまっているような猫少年の姿を、目を見張って凝視しながら言った。それは何か同情するような目ではなく、孤立している動物の子供を放っておけないかのような、半分近くは憐憫だが、半分以上は可愛い物にひきつけられるような目である。女盗賊はその魔術師の視線を辿ってから、自分もそのうずくまる猫少年の首筋から頭頂の耳元あたりまでの、なだらかな毛並みと色の勾配を描くさまを、視線でなぞるように凝視した。
やがて二人はどちらからともなく、柱の陰から出て猫少年に歩み寄っていった。
「ちょっといい……」俯いた猫少年に、金髪の魔術師の少女が言った。「私はコーデリア、こっちは、”虎の鉤爪のリゼ”。どっちも、さっきのマーリンの徒弟なんだけど──」
「私は徒弟とはちょっと違うんだが、だいたいその説明で構わない」青紫の髪の女盗賊、リゼが言った。
猫少年はコーデリア(賢者マールの徒弟と言っているが、無論のこと、あの少年の姿のマールとさほど歳は変わらないように見える)とリゼ(もう何歳かは年上に見える)を見上げた。
「で、師匠に断られても、私達、ある程度似たことができるから、何か力になれるかも──」コーデリアは猫少年の方に屈みこみ、力づけるように言った。
「いや何の話かも何ができるかもわからんし安請け合いするなよ」リゼがコーデリアに囁いた。
「──じゃない、なんかそう、そうだ、何か相談に乗れるかもしれないよ」コーデリアが朗らかに言い直した。この魔術師の少女には、(師匠同様に)話し言葉にかすかな古ウェールズ訛りがあり、言葉の響きをぞんざいに、良く言えば気さくなものにしていた。
「話だけでも聞かせてくれ。マールに話したのと同じのを、もういちど話すのが面倒でなければ、だけどさ」リゼが猫少年に言った。
猫少年の見上げるその風貌には、期待と不安が入り混じっていた。が、実のところ後者の割合の方がかなり大きいのは、その半分猫のような風貌に対して人間の目からその表情を見ても、よくわかった。
「僕は、ファージィという部族の勇士、神聖代行戦士(ディヴァイン・チャンピオン)です。僕らの部族は、《猟野界(ハンティング・グラウンド)》のガーディナルです」
ファージィという言葉の、前半のファー(毛皮)がやけに耳に残るが、聴き慣れている気がするのはそこまでで、コーデリアにもリゼにも全く耳慣れない種族の名だった。
「ガーディナルの多くは《楽土界(エリュシオン)》の次元界(プレイン)に住み、特に猫型の民のほとんどは、『天上の獅子』の直の民です。ですが、僕らファージィは違って、《猟野界(ハンティング・グラウンド)》に住み、『ネコの帝王』の庇護を受ける部族です」猫少年は言った。「その帝王から、部族に直々に下された任務があり、部族の勇士の僕が、部族の間で遂行に選ばれました。……任務は、”運命の大迷宮”のひとつに行って、下方次元界の君主、『ハイエナの公王』の計画を阻止することです」
リゼがごくりと喉を鳴らした。この時点ですでに、聞かない方が良かったと思い、次に、この話をマールが断ったのは幸いだと思った。が、リゼは口には出さず、猫少年を熱っぽく凝視してその先を聞きたがっているコーデリアの邪魔はしなかった。
リゼはともかくとして、コーデリアが今の言葉に物怖じする様子がないのを見て、ファージィの少年は言った。
「”運命の大迷宮”についてはご存じですか──」
”運命の大迷宮”は、幾つかの並行世界(ワールド)に共通して存在する迷宮である。多くの世界では、この迷宮に『イェンダーの魔除け』という秘宝が安置されているというが、その真偽も場所も価値も、並行世界によって様々である。それを誰かが手に入れた世界も、そうでない世界もある。手に入れた者が富や名声や、単なるギルド会員の資格を得たという世界も、秘宝を神性に献上して神格化(ディバイン・アセンド)した世界も、そうでない世界もあるという。
どの並行世界でも、運命の大迷宮は無論のこと《主物質界(プライム・マテリアル・プレイン)》に存在するが、ただし、幾つかの並行世界では、大迷宮の最深部の階層群は、下に降りていくとすでに《主物質界》ではなく、異なる次元界に伸びている。現在多く確認されているのは、”運命の大迷宮”の下層が食い込んでいるのは下方次元界の《苦界(ゲヘナ)》で、そのため、大迷宮でもその最深部分を”ゲヘナ階層”と呼ぶ者が多い。多くの下方次元界のうちでも、なぜ《苦界》に続いているのかは判然としていない。賢者マールは(魔除けを争奪する)モーロック神の計略に関わると言っていたことがあったが、詳しくは語らなかった。ただし、《苦界》は”中立にして悪”のダイモーンらの故郷であり、下方次元界の”秩序”と”混沌”の悪の君主らの君主らの抗争舞台からは一見離れ、また一見、均衡している次元界のためかもしれない。大迷宮の深部、特にゲヘナ階層には、多くの君主、定命や不死や魔神の実力者らが、自分の支配する階層(フロア)、いわゆる勢力圏を持っている。アスモデウスやオーケスのような、下方次元界の真の大君主らも例にもれない。それはかれら大君主らが『魔除け』を巡るやりとりに介入するためなのか、他の目的があるのかは、定かではない。
「たしか、”運命の大迷宮”には、今言ってた『ハイエナの公王』の階層は無いはずだよね」コーデリアが思い出すように言った。「ハイエナ人たちも住んでない」
「ええ。《奈落界(アビス・プレーン)》の君主らのうち、『ハイエナの公王』は、多くの並行世界では、”運命の大迷宮”には自分の階層を持っていません」猫少年は言った。「しかし、公王自身が、大迷宮に姿を顕すこと、側面(アスペクト;様相;態様)を投影すること自体は以前からありました。大迷宮には、少なくともそこでの抗争には、関心は持っていたのです」
『ハイエナの公王』とは言われるが、正体は《奈落界》のデーモン・ロードである。ハイエナ人と呼ばれる人型生物(ヒューマノイド)の崇拝する魔神であるためこう呼ばれている。”ハイエナ人”自体が、大迷宮の存在する幾つかの並行世界(ワールド)では、地表から一掃されてしまった、とかで存在しない。リゼの故郷の世界にもいないが、別の並行世界で遭遇したことはリゼやコーデリアには頻繁にある。一方、ハイエナ人と共にこの公王の呪いにより生じたという四足獣、レオクロッタは、なぜかまだ”運命の大迷宮”にも生息しているという。
「僕らの主、『ネコの帝王』の望みは、『ハイエナの公王』を阻止することです」猫少年が言った。「具体的には、並行世界のひとつ、公王が”運命の大迷宮”に手を伸ばしている世界に行く。その並行世界の”大迷宮”で、公王がこれから自分の階層を形成しようとしているのを、阻止することです。深層のゲヘナ階層に行って、今の時点で形成されている拠点、橋頭保やポータルを破壊することです」
リゼの眉が音を立てたかと思うほどに激しくひん曲がった。やはり、ぞっとしない任務の話のようだった。
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