イェンダーの徴: アーティファクトの騎士
1
そこは、閑静な霊峰にある素朴な宿屋で、エルフィアは単に植物を集めるために、そこに逗留していた。まさかそんな場所で、”黒の皇太子”シグワルトと出会い、しかも自分が問いかけを受けるなど、予想だにしていなかった。
長い金髪に長身、漆黒の鎧の帝国皇太子は、エルフィアよりも少し年上の20代半ばでしかないが、その容姿ばかりでなく文武にかけても抜きんでていることで知れ渡っていた。ともあれ、おおよそこのような場所で出会うような人物ではなかった。それだけでも恐縮するには充分すぎるが、さらに、彼が引き連れていた6人の武装した男女は、他でもない、英雄冒険者の”探し出す者たち”だった。
この過酷な世界は、いわゆる英雄たちでなければ決して解決できない問題には事欠かない。当然、英雄冒険者らは善の者ならば名声、悪の者ならば悪名を、いずれも多大に──個々の程度の差はあれ──有している。さらに為政者、宗教などの組織の上層の重要人物らは、等しくかれらを恐れ、脅威を覚える。そして、”探し出す者たち”はおそらくこの帝国、ひいてはこの世界で、名声と脅威の両面で飛び抜けて最大のものを有する英雄冒険者たちだった。噂では”探し出す者たち”は英雄級どころか、伝説級にも手が届く能力、つまり、多国にまたがる規模の組織の頂点のギルドマスターらをも、遥かに上回る能力を持っているという。為政者らとも、さらには英雄冒険者らともまったく畑違いの、錬金術師であるエルフィアですら、こと”探し出す者たち”については、そんな風評は頻繁に耳にしていた。
帝国の”黒の皇太子”が、そんな面々を引き連れて行動している今の状態が、ただならぬ事態なのは考えるまでもない。そんな皇太子から宿の食堂で問いかけられ、しかしエルフィアは、単に本草学者のエリー、とだけ名乗り、この霊峰に薬草を集めに来た、としか答えなかった。エルフィアの名は、錬金術師としても、ひいては詩人としても、同業者にはいささか知られてはいるのだが、この人々の中で仰々しく肩書を述べる気にはとてもなれなかった。かれらはそんなエルフィア自身の身許について、知っているにせよ知らないにせよ、特に追及することはなかった。さらには、この奥まった土地で植物を採集しているエルフィアに対して、この土地について何か尋ねることも全くなかった。
かれらが尋ねたのは、この宿屋に逗留している間に出会った他の者について、それだけだった。つまりは、エルフィアよりも先に宿を出た、おそらくは皇太子たちの行く手に先行している人々についてだった。エルフィアは、人並外れて美麗なこの青年皇太子に、礼を失しないように──ただし、薬草採りのほつれてくたびれた衣装の中から、自分の正体を主張しすぎないように──先に出た一団のことを答えた。
その三人組の風体をエルフィアが見た通りに話せば、──革装に帯剣の、人間としてあからさまにおかしな青紫色の髪をした女性。祭りの星占い師の仮装にしか見えない、円錐の帽子に品の悪い刺繍の白いローブの少女。そして、鎧の騎士、というよりは、黄色の全身鎧自体がきしみながら必死になんとか動いているような、不格好な、種族も年齢も何もわからない姿がひとつ。
「ふむ」その者達の姿の珍妙な形容を聞いても、あらかじめ知っていたのか、シグワルト皇太子は特に驚きもしなかった。「その者らの装備や持ち物には、今言った他に気づいたものはあるか」
「幾つかの長い包み、おそらく杖か武器か何かを、運んでいたようでした。……装備ではなく、包みに入れたままで」
「何なのかはわかっている」皇太子は言った。「三つの包みのうち、剣は『ジャイアントスレイヤー』、槌は『オーガスマッシャー』、連接矛は『トロールスベーン』だ」
「どれも祭器……伝説の武器では……」それらは、エルフィアの本来の錬金術師や詩人の伝承知識をさぐるまでもないほどに高名な武器の名だった。しかし、エルフィアがかれらの持っていた武器がそれらだと聞いて驚いた理由は、その名前だけではなかった。
「もうひとつ、占い師風の娘が、一言だけ言っていたのを聞いたのですが」エルフィアは言った。「それらの包みを、……山頂に行って、捨てる、破壊すると」
”探し出す者たち”がたじろぎ、何人かが声を上げた。シグワルト皇太子ですら意外そうに眉を上げた。エルフィアが恐縮して説明する立場でなく、もっと離れたところでこの皇太子一行を傍観していただけであれば、かなりの見ものだったろう。
「どういうことだ?」英雄らの中でも、かなり秀麗な青年、ミスリルの見事な鎖帷子と長剣の戦士が当惑の声を上げた。「なんで壊そうとするんだ。手に入れようとするならともかく」
「祭器を破壊するなど不可能です」少し離れた席にいた、戦士よりやや年上らしき女魔術師が言った。
「隠したりして、ある程度封印することならできるわ」戦士と同じ年恰好の黒髪の娘、鎧の紋章から考えて、おそらく戦神の神官戦士が言った。「その方法を見つけたのか、今でも探しているのかもしれない」
「だけど何でだ?」戦士がふたたび疑問を発した。
「ジャイアントスレイヤーかオーガスマッシャーか、その武器が特効の何者かが居て、自分に対する危険、倒される可能性を排除しようっていうのが普通に考えられる話ね」女神官戦士が言った。「その巨人王なり、オーガの王なりに雇われて、廃棄を請け負っているのかもしれないわ」
「絶対に止めなくちゃならないな!」戦士が立ち上がって叫んだ。
「君たちの動機に何が加わろうと構わない」シグワルト皇太子が、平然と掛けたまま言った。「ただ、それらの伝説の武器が私の手に入りさえすれば、あとはどうでもよい。背景も手段も経路も問わない」
皇太子は言葉を切り、
「ただし、その連中の目的は聞いておいてもよかろうな。手に入れた後で起こることの備え、例えば、その巨人なりオーガなりが後で脅威となり、私の力で対処する必要があるのならば、知っておいて悪いこともない」
そのさらに数日後、霊峰の険しい山肌を進み、頂上をめざすその話題の3人組の姿があった。霊峰は荒れた岩肌と無秩序に生い茂った木々に覆われ、山道などは設けられておらず、かれらは道を切り開く地味な作業と共に進んでいた。やぶや植物を切り払い、岩をのけたりしながら、緩慢に進んでいく。革装の盗賊の女が、山刀がわりに海軍短刀(ダーク)と、ときには腰の闘剣(グラディウス)をふるい、青紫の鋭い妖精めいた目で見上げてときどき木々の間の生え方を伺った。黄色の鎧の者が大剣をふるって、大き目の幹や枝を払いのけたが、よく見るとその剣は枝と共に(あたかも枝同様に)石も切り払っている。
「ねえPJ」ふたりのあとをついていく、占星術師の円錐の帽子とローブの少女が、黄色の鎧の者の方に尋ねた。「その剣って、そういう石とか切っていいの」
「刃こぼれする心配とかはないらしいよ」PJと呼ばれた、黄色い金属の甲冑の者が、中の見えない兜で少女を振り向いて言った。宿屋でこの者の姿を見かけた本草学者が説明した通り、甲冑の動きは着ているというより中からどうにか運んでいるというくらい非常にぎこちない。空洞の中から聞こえて来るのはくぐもった声だが、よくよく聞くと、変声前の少年のような声質と口調だった。「あと、この剣には、兄弟剣の2本と違って、心とか属性とかはないって」
「心配じゃなくて、”騎士”の剣とかは、そういう使い方っていいのかと思うんだけど」少女が指を下顎に当て、思い出すように言った。
「……さっぱり先が見える気がしないな」革装の女盗賊が峰の先の方を見上げて言った。「コーデリア、”見る石”で……『マーリンの魔法の鏡(レッサー・ミラー)』で、近道か何か見つからないか」
コーデリアと呼ばれた占星術師の少女は、ローブの奥から拳大の水晶玉を取り出し、裾でしばらくぬぐってから、覗き込んだ。
「近道はないなあ。それと、どんどん追っ手が近づいてきてるよ。7人」
「そりゃ、こっちは山道をゆっくり切り開きながらで、向こうはこっちが作った道を辿ってくるだけだからな」女盗賊は肩をすくめた。
「リゼ、追っ手は何者だと思う……目的はなんだろう……」甲冑の者の、その空洞の中からの声、”ホロウナイト”が、隣の女盗賊に言った。
「何者かはわからん。だが目的はだいたいわかる」リゼと呼ばれた女盗賊が、ふたたび枝を払うために手を動かしながら言った。「アーティファクトを3つ持ち歩いてりゃ、うすうす気づくやつらも、狙うやつらも出てくるだろう」
3つの長い包みは、今はホロウナイトがその鎧の背中に担いでいる。何か分厚い革のようなもので完全に覆われており、中のものも形状も、何か長いものだという以外には判別する手段はない。
「あのマールが──コーデリアの師匠が、”聖なる象”のなめし革は、中身のものが発する力を完全に遮断する、って言ってたけどさ。けど、クロムとセトの名にかけて、そんな”完全”なるものは正直信用できないよ。だいたい、私達が革に入れる前のことを気づいたり追跡してたかもしれないし」リゼはホロウナイトの背の、その3つの荷物を見て言った。「もっとも、気づいたやつがいるとしても、こっちが壊そうと、消滅させようとしてることまで知ってるとは思えないがな」
「いや、知ってるんじゃないかな」ホロウナイトがリゼに言った。「宿屋で、コーディが僕と話す時に言ってたことがあったから」
リゼが怪訝げに、コーデリアを振り返った。
「なんで宿屋なんかで話すんだよ」
「え、だって、別に秘密とかじゃないし」コーデリアが平然と言った。「”何を”壊す話なのとか、普通の人が聞いたって意味がわかる話じゃないだろうし」
「それはそうだろうが、理由もなく伏せることでもないが、理由もなく言いふらすことでもないぞ」
リゼがそう言う間にも、コーデリアの手の”見る石”の中の追手との距離は縮んできた。
「もう一度、何か撒くだとか妨害してみる?」コーデリアがリゼに尋ねた。
「どうだろう。向こうにもそれなりの術者もいるみたいだし、野外の行軍にも相当慣れてるみたいだ。こっちの消耗の割に、相手への損害は割に合わないかもしれない」リゼは崖下の方を、特に追手の姿が視界内に見えるというわけではないが、見下ろして言った。「追いつかれたときに備えて、温存した方がいいのかもしれないぞ」
コーデリアは辺りの岩肌や草木を見回した。
「いや、ちょっと簡単な呪文でできそうだからやってみる」
コーデリアは岩場の適切な場所を探すように、数歩を行く手から逸れると、ローブの奥から小さな”脂の缶”を取り出した。蓋を開け、中のラードを薬指に付着させた。そして、岩の多数転がるあたりにその指を向けてほんの数言、召力(コンジュアレーション)を起こす幾つかの音節を発した。
突如、転がっている岩の幾つかが下に滑り始めた。凹凸の多い岩は転がるのではなく、斜面を滑り落ちており、力で落とされているというよりは、あたかも辺りの摩擦力が働かなくなっているようだった。大量の岩と土くれ、植物が次々と滑り落ちてゆき、それが滑床(グリース)の召力呪文が持続するだけのかなりの間続き、相当な量が滑落していった。
「どうだ……」リゼがホロウナイトと共に、コーデリアの”見る石”をのぞき込んだ。
「向かってくるね。7人。あんまり損害とか、距離を稼げた風でもないなあ」コーデリアが言った。
リゼが辺りを見回し、「てか、今ので周りが更地に近くなって、狭いところで隠れるだとか、囲まれないように迎え撃つとかができなくなった気がする」
「ええ……」コーデリアがうめいた。
「賭けがいつもうまくいくとは限らないよ」ホロウナイトが黄色の鎧の奥から言った。
3人はその後も進もうとしたが、やや動きやすくなった山肌の中ほどの平地をいくらも進まないうちに、追いつかれた。
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