何故店主らはサーペントを倒しに行かないのか






 テルモラやその他の街で、冒険者らが得ることができる情報のうち、なんら
かの利害──大概は酒場の主への10枚かそこらの金貨や、取引客への店主か
らの心づけがわりといった些細なものだが──で取り引きされるのは、この土
地やその冒険の理については、せいぜいが「噂」といった程度のものであり、
それさえもが常に眉唾物で、価値を認められるものはきわめて稀である。まし
て、酒場に集う冒険者同士の間で、利害関係なしでやりとりされる話など、仮
に新しい知見であったとしても、まず例外なく、冒険で生き延びるのには決し
て何の実益にもならない情報である。ここに書き付けられているのはそうした
噂話のひとつであり、この記録に対して何か保証できることがあるとすれば、
それがおおよそ冒険を有利に進行させるためには、何の役にも立たないことく
らいのものである……。
 「じゃ、それは何故だっていうんだい」カウンターの傍らの席から、むぎわ
らを束ねたような髪をした小男は、面白そうに身をのりだして言った。「その
混沌の戦士だかは、どういう説明をしてくれたんだ?」
 ひどく細い手足の、あどけない小柄な聖騎士の少年は、その小男のあざける
ような口調に躊躇しながらも言った。
 「店主は、本当は弱いに決まってるからだって。『竜殺しのオグライン』と
か、『バルログ殺しのヒュイモグ』とか、そういう名前は全部、売り物のため
のはったりとしか考えられないって」少年は顔を俯けるように、「そうでなく
ちゃ、街のみんなの迷惑になってる、イークやオークの首領さえも、倒しにい
かないわけがない。……ホビットの店主みたいな弱い連中は、結局は何もでき
ない、この世界では何の役にも立っていないんだって」
 「弱い奴らはみんな無価値で、この世界で意味をなすただひとつのことは、
その戦士様の素晴らしい”強さ”だけ。そういうわけかい」小男はその少年の
複雑な表情を、面白そうに眺めながら言った。「──その、混沌の戦士かい?
そいつのカオスパトロンは何だって言ってた?」
 少年は思い出せないようだった。が、隅のテーブルの奥に座っていた、小柄
な黒装の野伏の少女が声を発した。「”刈り入れるもの”、ですよ」
 「じゃ、自分より力がないものが無価値だっていうんなら、その<地獄の公
爵>、刈り入れ者の方は、一体その戦士ごときなんかに何の用があるってんだ
い?」小男は言った。「もっとも、すぐに本当に用なしになるかもしれないけ
どな──報酬で”怒り”か何かを食らってね。ああいう混沌の神が与える恩寵
が、何か魔神らがダイスでも転がして、でたらめに決めているとでも思うか
い? さしずめ、その戦士なんかは、そういうのは運がよっぽど悪い奴だけが
引き当てるもので、だから『自分にだけは降りかからない』ものだとでも思い
込んでるんだろうけど──本当はそうじゃない。かれらの間には、ぼくらには
すかして見ることのできないような次元で、ぼくらの想像もつかないような何
かのやりとり、事情がある。その都合でそいつが用なしになれば、さっさと切
り捨てるのさ。……で、どこまで話したっけ?」
 「まだ何も話していませんよ」聖騎士の少年が口ごもっている間に、野伏の
少女が容赦なく言った。「店主と『サーペント』に関係のあることは」
 小男は肩をすくめた。──それから、ためらう様子もなく続けた。


 「じゃあ、地獄の公爵はなんでそういう配下を使うんだと思う? あるいは、
君に力を与えている偉大な<上方世界の神々>でもいい」小男は、聖騎士の少
年の胸甲に刻まれた、上を向けた一本の矢の紋章を指差し、「強大な力をもつ
かれらが、自分で『サーペント』を倒しに行かないのは何故なんだ?」
 少年は一息を飲み込んでから、教典を暗誦するように律儀に言った。「神々
はよほど大きなこと……一つの世界の終局とかじゃないと、自分自身では戦え
ない。そうでない時に単独で動くと、<宇宙の天秤>から罰を受けるんだよ」
 「『サーペント』は何万何億の次元世界に関わっているけど、それは"大き
なこと"じゃないのかい? それにだいたい、強いものにしか意味がないって
その理屈だと、<上方世界の神々>がもし単独で『サーペント』さえ倒せるだ
けの力を身につけたとしたら、<天秤>なんてあとは無視しようが覆そうが、
もうどうだっていいことになるじゃないか」
 聖騎士の少年は口をつぐみ、考え込むように首をかしげた。
 野伏の少女が、注意深くゆっくりと口を開いた。「……かれらにとって、時
間がかかりすぎるから、でしょうか?」
 「それでも、ぼくらがやるよりはずっと確実に──ずっと早くできるじゃな
いか。ぼくらと違って、かれらには無限の歳月もあるんだ」小男はテーブルの
奥に顔だけ向けて言った。「”時間”がないというより、……かれら強大な存
在には、その”猶予”がない。じゃ、それは何故だい?」
 小男の視線から外れた聖騎士の少年は、俯けた首を傾けてしばらく考え込ん
だ。やがて、たいしたことのない結論だと思わざるを得なかったのか、おそる
おそる口にした。
 「他に……やることがあるから?」
 「そっちの答えは悪くないな」小男は少年に頷いて見せた。「宇宙でのもっ
と重要事がどうあれ、かれらには、かれら自身だけができる、他のものにはで
きない役割がある。かれらを自身たらしめている役割、と言い換えてもいい。
……実際には”鉄獄”の50階以降にいるような、ことに”名のある(ユニー
ク)”連中は、仮にぼくらと同じように物資を集めて準備を整えることに時間
を費やして、戦略も戦術も組めば、ぼくらなんかよりずっと簡単に『サーペン
ト』でもなんでも倒せるだろうさ。店主もそうだし、店主以外にも沢山いる。
──かれらがそうしないのは、他にやること、"役割"があるからだ。それは、
同等の者を食い止めていることかもしれないし、そのための軍勢や戦法を駆使
し続けることかもしれないし、あわれな信奉者や部下、そういう手勢を整える
ことかもしれない。……それが牽制しあって、均衡しているから、かれらの誰
もが侵攻や、イークやオークの首領を潰すといった些細事に関われないのかも
しれない。かれらは自分の役目を果たして、些細な役目は他のものに任せるか、
他が引き受ける形になるように操作する。……ぼくらのいる、この次元世界の
今の状況や、かれらの何人かがいなくなっても続く状況は、すべてかれらや、
店主や、同等やそれ以上に力のある連中の、そういう行動の積み重なった結果
なんだよ。この次元世界で起こることは全て、あまりにも背後の事情が複雑す
ぎ、見えない部分が多すぎて、でたらめに”生成”されているように見えるけ
ど、実は何もかも、かれらの動きが噛み合って生じているんだ」


 聖騎士の少年は、小男のそれらの言を、神妙なおももちで考え込んでいた。
 「……でも、やっぱりわからないよ」が、少年はしばらくして口を開いた。
「『サーペント』を倒すことより他にやること、もっと重要なことがあるって
いうのが。……力があるならなおさら、誰にとっても『サーペント』が一番優
先することじゃないの?」
 「本当に『サーペント』がそんなに重要なのかい?」小男は軽口を叩くよう
に言った。「だいたい、『サーペント』を倒すと何の益があるのか──いった
い何が起こるのか、君は知っているのか?」
 聖騎士の少年は呆気にとられた。
 「ほかの誰だっていいよ。『サーペント』を倒そうとしている連中のひとり
でも──それを倒すのが何を意味するのか、"確実なこと"を、"すべて"知って
いるのかい?」
 「誰も知りませんね」野伏の少女が断言した。「私達の誰ひとりとして」
 「これほど複雑で、あらゆるものが混ざり合った次元世界の中にいるのに、
『サーペント』だけが重要なことに見える、それがぼくらがちっぽけだという、
なによりの証拠だよ。それが終点に見えるってことは、その先にある結果、そ
の先にある因果が見えないってことだからね」
 小男はくすくす笑った。「まあ、話を戻そうか。『サーペント』を倒すこと
は、ひかえめに言っても、この多元宇宙(マルチバース)のパズルで一番重要な
ピースなのかもしれない。……けれど、それがどんなピースだって、ピースひ
とつでパズルは完成しないよ。──そして、こいつが重要なことだが、完成し
たパズルから利益を受けるのは、最後のピースをはめこんだ者自身とは限らな
い。というより、間違いなく別の者だろう」
 聖騎士の少年と、野伏の少女までもが呆気にとられた。
 「それは……誰なの?」少年は考えもなしに、だが思わず聞き返していた。
 「わかるもんか。そのピースのすぐ近くで、必死でそれをはめ込もうとして
いるぼくらにそれが見えるわけがない。見えるようになるには、そこから離れ
て、パズル全体を見渡さなくちゃならないんだろうけど、それだけで何百万年、
何十億年かかるか、わかったもんじゃないよ」
 小男は肩をすくめた。「力のあるものは、その利益のどれかを受けるために、
『サーペント』を直接倒すのとは別の"役割"を、自分から進んで引き受けてい
るんだろうね。……ともあれ、ぼくらだけが『サーペント』を倒せる、その準
備をする猶予があるのは、ぼくらがこの多元世界の中で何の"役割"も、しがら
みも、それらを見つけだす能力さえも持っていない、ただそれだけのせいだよ。
──もっとも、そんな何もないぼくらがこの次元世界に存在しているのは、た
だ『サーペント』を倒すだけのため──ひょっとすると、それこそが実はぼく
らの"役割"なのかもしれないな」


 ──カウンター席から小男が離れたあとも、聖騎士の少年は神妙なおももち
で考え込んでいた。野伏の少女は、無表情でその少年を見ているだけである。
 「店主が、『サーペント』を倒すほかに"役割"──目的がある人達だとし
て」少年が口を開いた。「でも、どうして、”店主”をやってるんだろう?」
 「多分、"動かない必要"があるからでしょうね」野伏の少女が応えた。「何
かと睨み合っているか、待機しているか、準備しているか……沢山いる強力な
人々の中でも、たまたまそういう状態に置かれている人たちが、店主をやって
いるんでしょうね。その状況が変われば、閉店して──別の店主、次にその状
態になった人に入れ替わるんでしょう」
 「でも、どうして"店"なんだろう?」聖騎士の少年はさらに言った。「動か
ない必要があるなら、目立たない村人でも、隠者でもいい気がするけど」
 「店主をやっているのも、たぶん力ある人たちの中でも、ごく一部にすぎな
いんでしょうね」野伏の少女は言った。「ただ、少なくとも店主をしている人
たちに関して言えば、……店主というのは、傍観──監視するには最良です。
情報や品をかき集めても、極端に危険視されることもありませんし、自分の実
質の手のうちをほとんど明かす必要もありません。そして最低限の動きだけで
も、流通からも客からも、常に珍しい情報や品物が集まって来るわけですから。
──ことに、骨董品屋とかは」
 「まるで、自分でやってたことがあるみたいだね……」
 野伏の少女は肩をすくめただけだった。
 聖騎士の少年は、またしばらく考えてから、
 「『サーペント』以外に目的が見えないのは、ぼくらがちっぽけなだけだか
ら、──ぼくらは、いつかは別の目的が見えるようにならないといけないんだ
ろうか? 探さないといけないんだろうか?」
 野伏の少女は、無表情でしばらく押し黙っていたが、
 「……どのみち、何をあがこうが、それしか見ることができないというのが、
今の私達の限界なのですから」やがて、静かに口を開いた。「それを倒す以外
に、別の段階に移る手段も、その先にあるものを見る手段もない以上は、──
『サーペント』を倒してから、考えるほかにないのでしょうね」



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