煉獄の行進








 24

 パラニアと双子、カイトはその後モリバントで数日を過ごした。パラニアと、ときに双子も、戦後に必要になったさまざまな処理のために、モリバントとその周辺の地域を奔走していたためだった。カイトを、目的地であるトランプの塔に連れていき、パラニアが塔の主に話を通すというのは後回しになっていた。
 戦後には、モリバントの市内のほか、周辺の地域、例えば今回の洞窟オークの潜んでいた山地や岩山についてなど、さまざまな問題があった。
 カイトが気になったのは、あの集落のイークたちだったが、パラニアによると、かれらはモリバントに移り住み、長老はモリバントの長者会議に席を連ねるようになった、という。西方国の風を呼ぶ施設の位置を知っていたのはイークの長老だったと、パラニアが執政のドワーフ君主のブリン卿や、軍を率いていたパラディンのヴィリオス卿に伝えたためだった。しかし、集落のイークらが選んだのは、モリバントの城壁内でも、結局、裏道の片隅に隠れるように住むことだった。都の長者達には認められ、城壁内に住むことを許されはしても、イークという種族は日の当たる場所で人々の間で暮らすことはまだできないし、表の仕事も手にあわないからだという。
 カイトはパリロにもう一度会おうと思ったが、モリバントの盗賊ギルドを仕切るようになったとかで、裏道に話を通すつてを持たないカイトには、ついに再会する方法を見つけることはできなかった。


 その数日間を、カイトは特に急かすこともなかったが、やがて話が落ち着いてきたのか、パラニアは三者を連れて、モリバントのトランプの塔へと一行を案内した。塔はモリバントの城壁からは、外側の近くにあった。
 カイトは城壁を出て、あまりよく見たこともなかったモリバントの都の外観を振り返った。最初に運び込まれた時は、気を失っており、その後の数日間は都を出たこともなかったためだった。
 行きの道のりで、はるか遠くからも垣間見えていたその白い石の塔は、壮麗な姿にそびえていた。さらに一段と高い断崖の上から、周りの地を見下ろすように立った白い城郭は、崖に抱かれるような城壁の囲み──白い巨岩を削りだされて作られた石壁に守られている。岩間に幾筋もの美しい流れがあり、見ればその一部は城壁の上から流れ、ふたたび地下を通って城壁の水路から、または断崖のなかばから注ぎ出して、輝かしい滝を作っていた。そんな水の流れが幾筋もある。
 高地の切り立った岩壁と一体をなすその城壁の外側、やや西側に、寄り添うように二基の石の塔が立っていた。いずれも城壁の上の建物の高さにも遜色なくそびえていたが、南の塔は流れるような流線型のみで作られ、北の方は力強く岩から削り出されたような、直線と重厚な曲面を持っていた。
 「あの二基の塔のうち」パラニアが杖で道の先を指しながら、カイトに言った。「北にある方が、ぺロイという”原初の王族”のひとり、術師の構える”トランプの塔”だ」
 そして、いずれから言い出すともなく、紺碧の外套の三人は、その場に立ち止まった。別れを告げるためだった。
 カイトもその場、彼らの前に立ち止まった。しかし、彼ら三人を眺めるともなく、茫然としたように、しばらく何も言い出せないでいた。
 一行は無言でそのまま向かい合っていた。さっさと軽薄で的の外れた言葉が出てくるとばかり思っていたのか、アリスが怪訝そうにカイトを斜から眺めた。
 カイトはようやく口を開いたが、……やがて、別れや礼ではなく、それまで歩きながら考えていたことを、口にしていた。
 「トランプの塔には行かない。元の世界には戻らない。……俺を連れていってくれ。あんた達がこの都の先から旅をする、そのずっと先までも」
 パラニアはしばらく無言で、そっけない表情のまま、そのカイトを見た。
 「……それは、今は帰らないということか」老人は塔に少し目を移してから、また言った。「次にまたトランプの塔に寄る機会は、ないでもないだろうが、今後はそう頻繁ではないぞ。少なくとも今回の行程ほどにはな」
 カイトは頷いた。次の機会まで、興味だけで短期間滞在を延ばすようなことでは断じてない。そんなことをするには、この地は自分にとって危険すぎ凄惨すぎる世界であることは、もはや解りすぎるほどにわかっていた。それどころか、その危険と苦痛を押してまでも、カイトは、この地に残らなくてはならない理由があった。
 冥王軍や、混沌や原初の王族の侵攻に対しては、元の世界であろうが他の世界であろうが、多元宇宙のどこにも逃げ場などはないのだ。これらの脅威、力だけでなく脅威の本当の意味を、知らされないままでいれば、どの世界も滅ぼされるしかない。そればかりか、かつてアリスが言ったことが本当だとすれば、元の世界や似た世界は、実存性の薄い行為を繰り返していれば、”影が薄く”なってゆく一方だ。その先はどうなるのか。冥王などが滅ぼさなくとも、いつしか薄くなって、世界そのものが消えてしまうのか?
 そうであってはならない。今、生き残っている自分は、それだけは止めなくてはならない。自分はそのために、何ができるのか?
 見なくてはならない、知らなくてはならない、この過酷な”世界の真の姿”を。……使命感か。そうすれば自分にその流れを止められるとでもいうのか。それはわからない。実のところ、この世界のあらゆる”実存”の存在感に対して、あまりにちっぽけなカイトには、止めるどころか、抵抗の望みすらも、最初からないように思える。
 これまで旅をしていてカイトには、自分が何もできないほど弱い、という、たったそれだけが理解できただけだった。パラニアやルーミルや、モリバントの武将たちのような冥王軍に抵抗するための力、あるいは、せめてその手助けになる何かはできる力、それらを、どうすれば身につけることができるのか。それどころか、どうすれば得る道を知ることができるのか、それさえもわからないのだ。
 だがもしそうであっても──自分は少なくとも、それを目にしなくてはならない。──帰ることはできない。”実存”というものを目にするまでは。
 「今までもそうだったが」パラニアが言った。「わしらはおまえを助けるとは限らんし、おまえのためにわしら自身さえ脅かされた場合、これまで以上に、大目に見るとは限らんぞ。それでも来るのか」
 カイトは頷いた。「……ついて行けないかもしれない。だが、行ける限りは、一緒に行くのを許してくれ。ただ、それだけでいい」
 すべて考え抜いてのことだった。どれほど過酷な道になろうとも、他には考えられなかった。
 「まさか、……冗談じゃないわよ」アリスが柳眉を逆立てて、カイトに叫んだ。「今まで自分が、ついてきただけでどれだけ厄介を起こしたか、わかって言ってるんでしょうね? ……それさえわかってないかもしれないけどね」
 「頼む。お願いだ」カイトはアリスの両肩を掴み、その金色の瞳を両目でまっすぐ正視して言った。「なんでもする。俺にできることなら」
 「何、……何なのよ」アリスは退がろうとして果たせず、のけぞった。「待ちなさいよ……何のつもりなのよ」
 アリスはそうしながらも、カイトの手から無理に身をもぎはなそうとはしなかった。それができないほどに、当惑していた。強い口調を向けながらも、カイトのそこまでの真摯さは、まったく予測していないようだった。もっとも、それは誰であろうとも、数日前のカイトの姿からは予想できるようなものではなかったろう。
 「……できることをさせてくれ、とか言うけど」アリスはようやく落ち着いて言った。「あんた、ここじゃ何もできやしないじゃないのよ……」
 が、マリアがおずおずと声を出した。「お姉ちゃん、カイトさんは、何もできない人なんかじゃない。……パリロさんも、危険を知らせてくれてありがとうって言っていたし、それより前にも……」
 「前にも?」アリスがさらに怪訝そうに、片眉だけを上げて言った。
 「前にも、私を助けようとしたり、手助けしてくれたし……」
 アリスはそれを聞いて、まず呆気にとられたように口を開き、ついで妹に向かって何か言いたげにむなしく口を動かした後、──諦めたように、額に手をあて、深くため息をついた。
 「まぁ、様子は見てみるわ。ついて来ていいかはその後で決める」アリスは振り払うように背を向けつつ、言い捨てた。……が、ふと思い出したように呟いた。「それに、なんだかカイト、だんだん喋り方が変わってきてるもの」
 パラニアはふたたびカイトを見ながら言った。「おまえが、そんな知識と能力でこの鉄獄の世界で生きようとすることは、それは一番の早道で、死に向かって突っ込むことなのかもしれんぞ。……進むしるべが見つかったところで、そのしるべでこの世界を歩くのは、今まで辺獄の巡礼のように目的もなく巡っていたのが、踏みしめる先を揃えつつも、煉獄の行進に踏み出したようなものなのだ。それが果たして、地獄から本当に遠ざかっているのかどうかはわからんぞ」
 カイトは無言だった。だが、それは覚悟してのことだった。大地はいまや確かにカイトの足元にある。その上に力尽き倒れるかもしれず、息絶えるかもしれない。だが手足が動く限りは、たとえ盲目で這ってでも、その上を進むことができる。そんな大地があった。
 「前にも言った通り、それでも止めはせんがな」パラニアは鬚を掻きながら言った。ふたたびため息をついたアリスが続き、あとをついてゆくカイトの傍らにマリアが歩み寄った。
 カイトは一度振り返った。モリバントの城下に広がる平原と、その向こうに遥かに眺めることのできる地、戦場となった周りの平原、丘陵と越えてきた山を見下ろした。これまで歩いてきた、この世界のほんのわずかな土地、森と荒野と渓谷とその向こうの辺境の地の方を仰ぎ見て、カイトの胸に去来するものがあった。
 カイトをこの世界に誘い込んだ、あの黒と銀をまとった”原初の王族”の欺瞞の言葉。『カイト自身に相応しい、モンスターと財宝』──カイトが真に”戦うべきもの”と、他では決して得ることのできない”宝”を、この地で見つけ出すことができる、という言葉。それは、あるいは真実が含まれていたのだろうか? カイトが今までこの世界で見つけたもの、これから見出すべきものが、それらなのだろうか?
 だが、その真偽はまだ決してわかることはないだろう。自分が”世界の真の姿”を見つけ出し、真に知るそのときまでは。





 back

 back to index