煉獄の行進








 4

 「カイトさん」マリアが、並んでいる商品の中にそれを見つけて、ぱっと目を輝かせた。「毛皮の外套(クローク)がありますよ」
 カイトは怪訝げにそれを眺めた。ただのマントより遥かに分厚く重いというだけで、何も特別なものには見えない。
 「カイトさんが、鎧とかをあまり着ないなら特に、矢や刃をだいぶ防いでくれるし……外套にくるまって寝ることになりますから、暖かくていいです」マリアはまるで自分のことのように、とても嬉しそうに毛皮の表面にふかふかと手を触れた。
 「買えるのか?」
 「えぇと、あとで、こういう品はまとめて、おじいさんが揃えますから、そのときに、わたしが頼んでおけば……」
 「マリア、何やってるの?」棚のずっと向こうからアリスの声が聞こえた。
 「あ、うん」マリアは一旦、カイトに気持ち微笑むと、雑貨店の木の床に軽い足音を立てて、早足で姉のいる方に向かった。とはいえ、何を見て回るでもないカイトも、後についてそちらに行くしかない。
 マリアは、当初のカイトへの不安げな状態から、一転して無防備といえるほど警戒を解いて接するようになった。……先のオークの件で、マリアは、パラニアと姉アリスに、カイトがオークに向かっていったのは自分を守るためだった、と説明した。それはあるいは、カイトを庇う意図なのかもしれないが、このマリアの姿勢の変化を見るに、単に、本当にそう信じてしまっているのかもしれなかった。
 そのマリアの言を聞いたパラニアは、首を振っただけで、否定も肯定もしなかった。……が、一方で、アリスの方はまるで信じていないのは明らかだった。カイトが一方的にマリアを危険にさらしたと当てずっぽうで決め付け(それは真実だったが)今後もカイトは絶対に危険を呼び込むとして”モリバントの都”に同行させずこの街に置いていこうと、本当に主張した。どちらにせよ、迫る”戦火”を避けてモリバントに向かうなら同時に出かけることになるというパラニアの答えに対しては、カイトの「音節並びがばらばらのでたらめな似非共通語(註:和製英語)や、文尾の促音だけで強感情を表現する軽薄な喋り方が我慢ならない」といった、完全な言いがかりまでもぶちまけた。
 が、ぶちまけた時点で一区切り気が済んだのか、アリスはそれ以上はカイトを連れて行くというパラニアに、反対を続けようとまではしなかった。そうであってもその後、前からもぶっきらぼうだったアリスのカイトへの態度は、それを通り越してあからさまに「冷酷」になっていた。──出立を前にして、状況はにわかに複雑化していた。
 ……彼らの昨日まで逗留していた部屋の「表」にある雑貨店は、カイトは実際に入るまでは、小さな村にあるような、ひと部屋の中に店長と、その手の届く範囲の日常品が詰まっているだけだろうと想像していたが、そうではなかった。議事堂くらいの空間に、ぎっしりと棚が詰まっており、その棚ひとつかそれ以上ごとに一種類の品物が一杯に載っていた。老若の幾人ものホビットらが、つねに品物を整理し搬入し、いそいそと働いていた。店の内装と中にある品物はしかし、どれもいたく素朴で日常的な品物で、実際に利用する者はともかく店は彼らホビットの性質にあわせてあることは想像できた。
 店の隅に、パラニアらの旅の荷物の重ねられた木のテーブル席が一組あった。その椅子のひとつに掛けてパラニアが話しているのは、それらのホビットの中でも簡素で品のよい身なりをした、白髪のひとりだった。取引には出てくるものの、この雑貨店のじかの店主や持ち主、というよりも、この一帯の事業に関係している、ホビットの「地主」であるらしい。
 「正直言うと、また発つとは思わなかったところだね」カイトが近づいた時、”老地主”は別の棚を二人並んで覗き込んでいる双子に目をやり、パラニアにそう言ったところだった。「あの娘らの身内が見つかりそうなのかい?」
 パラニアはその言葉には答えなかった。
 「いざとなれば、ここの裏に落ちついても、わたしは一向に構わないと思っていたところけどねえ」ホビットは膝まで届くのではないかと思えるほど長いパイプを持ったまま話していた。パラニアは、その煙を気にしているようには見えないとはいえ、自分ではパイプは使わないらしい。
 「冥王の北側の軍勢が、日に日に急速に膨れ上がっているのだ。これは”茶の奴”が言っていたのだが、”オークの洞窟”と”鉄獄”の間、下手をするとその街道一帯が、かれらの恒久的な軍路になるのではないかという」老人は髭を掻きながら言った。「早晩、東側には探索に行かなくてはならなかったのだが、そうなる前に移動する必要が出たわけなのだ。……それとは別の話だが、原初の王族のひとりが、”テルモラ”の都に要塞を作り始め、冥王の軍勢の東側を刺激しているという噂も流れている。これからは、移動は難しくなってゆくばかりだろう」
 「仕方のないことか。だが、ここには、いつ戻ってきてくれてもいいよ」
 パラニアは無言のまま、情感をこめてホビットの肩を叩いた。
 それから、双子の娘らが戻ってくるのを見て、カイトを振り返った。「わしらはこれから薬店や道具屋に行って、今回は、必要なものはおまえの分も揃えておくが、……その間、おまえは武器を選んでおくといいだろう。長旅には、戦場(いくさば)に使えるもっと物騒なものでないと、不安に思っているかもしれんからな」
 「選んでおけって」カイトは剣帯ごと木机に置いてあった剣に目を移した。「前にくれたこの剣は、やっぱりきちんと選んでなかったのかよ」
 「これは”剣”ではないぞ。上のエルフ族の鎧通し、短剣だ」パラニアはそのカイトの剣を手にとって言った。「ただの日常用具として置いておいたのだ。武器ではない」
 「短剣だって……」カイトは思わず言いながらも、それはパラニアの身長でその手の中にあるのを見れば、確かに、小剣から短剣に見えた──同時に、例のオークの件で長剣のように物打ちで切りかかっていたのが、どれほど馬鹿げた光景に見えたかに気付いた。
 「もっとも、鎧通しの方が使い良いなら、無理に別の剣を選ばなくてもよいがな。不足はないエルフ造りの品だ」パラニアは平然と言った。「正午あたりにこの店で落ち合うとしよう」


 ……カイトは老人と娘らの後姿を見送った後、傍らでパイプを吹かしている老ホビットに目をやった。カイトは『ホビット』という種族は、どんなに年をとっても少年のように若い外見で、やかましく、悪戯好きで、災難ばかり巻き起こす少数の流浪の民だと思っていた。温厚なホビットが多数定住している街、働いている巨大な雑貨店など予想外で、何よりこの白髪と、豊かな年輪の刻まれた風貌を持つ老ホビットは想像を逸していた。が、かといってその姿は、不安ではなく、全体像としてどことなく落ち着きを感じさせる容姿だった。
 「……あの三人は、何者なんだ?」
 聞いてみたのは、以前から三人を知っており、なおかつそれを尋ねても当たり障りのなさそうな人物に、はじめて出会ったような気がしたからだった。
 「パラニアたちのことかい。……世話になっていたあなた自身が、聞かなかったというわけだね」老ホビットはカイトの答えを待たず、「いや、かれらの語ろうとしなかったことを、詮索しなかったとしたら、それは賢明なことなんだろうと思うよ。じつのところ、詮索しようとしてみた人もいるけれど、やはり、よくわからないと言うのだけれどね」
 老地主は一度言葉を切り、パイプに草を詰めなおしつつ、「どう呼ばれているか、という段で言うならば、かれらは、”魔法使”であると言われているよ。実はわたしもそれ以上は、何も知らないと言ってもいいんだけれどねえ」
 「剣士じゃないのか……」
 カイトはパラニアの凄絶な剣技を脳裏に蘇らせた。ひとたびあの光景を思い出すと、他の可能性は考えられない気がする。
 「それは、きっとあのパラニアの持っているわざのうち、あなたが見たのがたまたま”剣の技”だったんだろうね」老地主が答えた。
 「『魔法使い』っていうには、魔法はどうなんだ」カイトは細かい点にひっかかりつつも、「『魔力容量(キャパシティ)』がどれくらいなのか、どのレベルまでの『攻撃呪文』を使えるのかってことだよ」
 「呪文、呪文ねえ」老地主は煙を吐き出した。「かれら3人が、呪文をとなえたりして下着をドレスに変えたりといったことは、誰ひとりとして見たことはないよ。お祝いの時にみんなの前で、焚き火を花火に変えたりするわけでもない──これは、そういう魔法使も別にいるってことなんだけれど、かれらに関しては、そうじゃない」
 「じゃあ、何をやってるんだ」カイトには今の比喩のようなばかげた話を『魔法』と呼んでいることも含めて、全く意味がわからなかった。「そんなのが、なんで”魔法使”なんだ?」
 「なぜって、かれらはどんなことでも、不思議なやり方で解決してしまうからだね。この”辺境の地”で、どうするのかだれも見当もつかないようなことを、誰も知らなかった言葉、ものの名前、知識、わざ、方法などを出してきて、どんな予想もしていないことをもやってのけるのさ。かれらを”魔法使(ウィザード)”のほかになんと呼べばいいか、わたしたちは知らないね!」
 「それはただの……技術だ。”魔法”じゃないだろ」カイトは呆れた。「魔法ってのは呪文で、攻撃だとか治癒だとか、もっと……普通に起こらないことを起こすことだろ」
 「うーん! 普通に起こらないことなのに、どこまでが『技術』でどこからが”魔法”だなんて、どうやって区別するのかねえ」老地主は言った。「たとえば、原初や混沌の王族の描く線や、上(かみ)のエルフの言葉は、太陽の名を示すだけで、陽の下に住まない闇の生き物を立ち止まらせたり、道を通らせないようにしたりできる」
 どこかで覚えがあるような気がする。……が、また一方でカイトは、この老ホビットが見かけよりは遥かに色々なものを見、いろいろなことを知っているのではないかと、不意に疑った。
 「わたしたちが煙を起こすのは簡単なことだけれど、煙を知らない人々から見れば、たぶん”魔法”に見えることもある。魔法の動作や道具で花火を起こすのと、何も変わらないように見えるかもしれない」老ホビットはパイプから出る煙を示した。「それで、たぶん王族や上のエルフらにとってみれば、その言葉も煙を起こすくらいあたりまえの『ただの技術』でしかないわけだよ。……あるものには”魔法”に見えるものが、他のあるものには『ただの技術』ではないと、誰にわかるだろうね? けれど、もし、あらゆる種族や土地のそういった技を、ひとりで何でも持っているような人がいれば、それは誰から見ても”魔法使”ということになるんだろうと思うよ」
 老地主は再びパイプをくわえて、煙を吸い込んでから、
 「パラニアは、どんな種族や土地の話になっても、そこの当たり前の技術を持っているよ。ということは、わたしたちの皆目知らない種族や土地の技術も当たり前に持っていても、何も不思議じゃないと思えるね。……今わたしは、上のエルフの言葉の話を出したけれど、聞いたこともない種族や土地の、見たこともない技なんて、この世にいくらでもあるんじゃないかという気がするけどねえ! あなたの見た、その、”剣の技”に見えたものにしたってそうだよ。本当に、それが”魔法”でなかったと言えるかい?」
 カイトの脳裏に、老人の刃が閃いた瞬間が去来した。パラニアは自分から刃の下に斬られに行ったのに、斬られていたのはオークだった。同じように敵に突っ込んだカイトが、そのまま死に行くだけの結果になったというのに。
 カイトは自分が立つ大地が──雑貨店の木の床板ごと──ぐらりと傾いた気がした。
 が、必死に足を取り直した。それらを、意識の澱の底に溜まりつつあった、夢想や”悪夢の見せたもの”の範疇に押しこんだ。
 「それは魔法じゃない……」カイトはたどたどしく言った。「どこの何の技術だろうと、魔道士協会の魔道理論で説明できるし、人間の魔力容量(キャパシティ)でできることと絶対できないことは決まってるんだ。魔法は、何かこう、理解できて、魔道理論で説明できるもので……理解できないこと、人間の魔力容量(キャパシティ)で説明できないものは、全部、魔族(まぞく)の仕業だ」
 「何やら自信がある話し方だね」老地主はカイトの動揺に気付きもしないように、平然と言った。「ただ、疑ってかかる目があれば、この”辺境の地”での言い方で言えば──煉瓦の壁をも見通すほどの眼力を身につけられるかもしれないねえ。魔法だった、の一言で片付けずに、どう使われるかを見極められるような人なら、実際にその技術を、魔法を使う方法がある、というものかもしれないからね」


 ”辺境の地”の東門を出て、かつてイーク一族の住んでいたというひなびた洞窟や、古森に通じる北への小さな別れ道を横目に、ひたすら林道を東に進むと、突然にして木がまばらに生える草原へと開けた。
 道中を通してやや肌寒くも、ほぼ晴れ渡り、土が踏み固まっただけの細い街道がまっすぐに東に地平まで続き、その上に青空がかかっている光景が、進む限りどこまでも続いていた。
 道中はかなり奇妙なものだった。パラニアが先頭に立ち、長身の背筋を伸ばして進んだが、足取りはゆるやかに見えた。ときどき立ち止まり、真っ黒く重たい水松樹(いちい)の杖(パラニアの身長ほどはなかったが、それでも6フィートはあった)の石突きで道や、道端を小突いたり、下草をかきわけたりする所作が入った。そのたびに、逍遥歌か何かなのか、何か詩のような節をつぶやいているのが聞こえる。
 直後に、うしろに青い外套をはためかせ、先のとがった帽子が風で飛ばないようにときどき手で押さえつつ、アリスが続いた。彼女もパラニアと同じように、だが別々に、時々道の端にとどまり、ベルトから小さな棒杖(ワンド)を抜き取って、下草をかきわけたり、手で香草をむしったりすることもある。それでいて彼らには、なぜか進みが滞ったり脇道に逸れているという印象が全くなく、カイトは気がつくと、かなり懸命に彼らの進む速度にあわせていた。カイトは結局重い装備も買わず(街の武器店にあった大きな真の「剣」はどれも非常に重く、使えないでもないが、あの鎧通し以上に手に合うとは言えず、結局今までの短剣を帯びていた)荷も重いわけではないが、歩みが楽に感じられたことはなかった。
 マリアもアリスと似たような歩みだが、彼女はほぼ常に例の玉水の流れるような小声で歌いながら、カイトの方の傍らに歩みを合わせたり、ときどきぱたぱたと小走りに姉の方に追いついたりしていた。アリスはその様子を見るたび妹と、カイトを苛立たしげに睨み、マリアは無言できまり悪そうにするものの、次第にまたカイトの方に後退してくる。あるいは、遅れかけるカイトを気遣っているのかもしれない。
 ……果てしなく景色が変わらないまま、そんな歩みがだいぶ続いた頃、アリスが、常通りの草木の頂の数々を順次眺めた後に、次第に北の地平の方まで目を移した。それからパラニアに歩み寄り、なぜか盗み見るようにすぐ上空の方を横目で見ながら、小声で告げた。「パラニア、鳥が」
 老人は無言で頷いた。アリスの言に同意したわけでもあったが、既に同じことに気づいてのことでもあった。老人は一度杖で地を小突くようにすると、立ち止まった。





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