SF/FT雑記・雑記








・検索ワード

ヴィオル ヴィオラ イン リード

 H.P.ラヴクラフトの『エーリッヒ・ツァンの音楽』に出てくる「ヴィオル」とは、どんな楽器なのかという疑問をしばしば聞く。
 まずヴィオールとは何を指すかといえば、古い弦楽器を指す曖昧な語のひとつだった、としか言いようがない。弓を使う弦楽器は形状弾き方ともに多種多様なものから発祥し、弦の数も調弦も様々である。そのうち、15世紀後半の肘に構える「ブラッチョ属」(特に、7弦に5度調弦のリラ・ダ・ブラッチョ)が、ヴァイオリン属に発展したと考えられている。一方で(現在のチェロのように)立てて足で支える「ガンバ属」(主に4−7弦で3−4度調弦)はそれ以上は変形せず、ヴァイオリン属に比べると使用上は衰退したが、形状はそのまま残っている。(実はチェロ自体はガンバ属から発展したものではなく、ブラッチョ属から発展したヴァイオリン属が低音楽器として改めて巨大化したものである。)
 「ヴィオール」とは、広義ではこのブラッチョ属とガンバ属の両方を指すことがある語だが、しかしながら現在は「ヴィオール属」というとガンバ属、さらには「ヴィオール」というとヴィオラ・ダ・ガンバという、それぞれ語義の中で現在主要な存在を主に指しており、Wikipediaや、楽器メーカーなどの音楽史のウェブサイトにもしばしばそう解説されている。(なので、「現在」ヴィオールがヴァイオリンの原型だなどと言うと、ガンバ属が原型と誤解される可能性がある。)しかし、これらの定義が、少なくとも過去すべての時代で、それらを特定する意で使われてきたわけではなく、「ヴィオール」がガンバ(属)を指しているとは限らない。

 ではエーリッヒ・ツァンの弾く「ヴィオル」は具体的にどういう形状や弾き方の楽器だったのかという問題になると、実のところ、ラヴクラフトの文中には断言できる手がかりが驚くほど少ない。
 訳注では「6弦」と書かれているが、これはヴィオラ・ダ・ガンバに6弦が多いことから訳でつけ加えられたものと思われ、そして前述の通り、実際には広義・狭義ともヴィオール(属)は6弦とは限らない。膝(ガンバ)と肘(ブラッチョ)のどちらの弦楽器なのか、という点ですらも、よく読むとどちらの弾き方という、あるいは推測できる材料となる記述がどうにも見つからない。椅子に座って弾いたとは書かれている。ヴァイオリン属は正式には立って演奏するが、チェロだけは座る。そのため、ツァンのものもチェロ同様に足に挟むか膝の上に乗せるガンバ属とも考えられるのだが、室内楽や体を楽にするため(ツァンも老人である)ヴァイオリン等も座って弾く場合も多く、どの属かは特定できない。
 現在では「ヴィオール」はヴィオラ・ダ・ガンバを指すことが多いため、実際にラヴクラフト作品の解説の類にもヴィオラ・ダ・ガンバやヴィオール属(ガンバ属)と説明されていることがあるが、それはあくまで現代の発想にすぎない。繰り返すように「ヴィオール」は決して音楽史上特定された意味で使われてきたわけではなく、現に「ヴィオール属(ブラッチョ属ではなく)がヴァイオリン属の原型である」といった俗説も、ごく近年まで信じられ、ないし流布されていた。まして、ラヴクラフトの時代でも、「ヴィオール属=ガンバ属」「ヴィオール=ヴィオラ・ダ・ガンバ」という音楽史定義が明確に一般に普及していたとも思えず、それを意図して書かれたとは断言できない。

 むしろ、これは筆者のまったくのあてずっぽうだが、ラヴクラフトは単にここでの「ヴィオル」を、ヴァイオリン属のような弦楽器の大雑把な、かつ古風な口語として用いているのではないかと推測する。古い多様な弦楽器のうちのひとつで、この作品の語り手の知識では細かく判別できないもの、あるいは、実は単に普通のヴァイオリンにすぎないかもしれないものを、ラヴクラフトの言語センスでは「ヴィオル」と表現しているのではないかとすら思えるのである。
 きわめて大雑把な弦楽器の総称で古いものとしては「フィドル」がある。「フィドル」は狭義ではイタリアの2−6弦楽器の一カテゴリだが、広義では弓を使った弦楽器の古称、曖昧な総称、ひいては「ヴァイオリンのようなもの」の相当な俗称として、古い歌などに頻出する語である。(マザーグーズの『ディドル・ディドル』の歌の、「猫にヴァイオリン」の原語は「フィドル」であり、多分に現在のヴァイオリンを指すとは限らない。なお『指輪物語』FotRでフロドがこれを歌う場面の瀬田和訳では五弦の「胡弓」だが、また狭義の分類語上のフィドルには、ちょうど中国の胡弓のように座った膝に置くものがあったことから採られたとも思われる。)「フィドル」のいいかげんなニュアンスは、ちょうど日本語で先の広い朗々とした音を出す管楽器やその部品に「らっぱ」という口語が使われるのと同位置と言えるかもしれない。おそらく、ラヴクラフトが意図しているのも「フィドル」の指すような広義であるが、「フィドル」自体はあまりにも品のない俗語であるため、それよりも格式ばった古語の「ヴィオル」を選択したのではないかとも推測できる。

 結論としては、ツァンの弦楽器はどれかわからないがヴァイオリン以前の多様な古い弦楽器のどれかか、ただのヴァイオリンを古風に呼んでいるだけ、という推測しかできない。なお、CoCルールブックのツァンのデータでは、ただヴァイオリンと書かれていることもあったりする。





幻想大事典:クトゥルフ

>アザトースや、ナイアルラトホテップなどの「外なる神」と呼ばれる存在たちより
>1〜2ランク下の「旧支配者」に分類される神格

 日本ではラヴクラフト以外のクトゥルー派生作品の紹介が遅れたため、クトゥルフ神話に対して原理派の宇宙観としての認識が強い傾向にある。そのためダーレスその他の設定は強く忌避されたり排斥されたり、少なくとも言及に際して非常に注意が払われることが多い。

 しかし一方で、ゲーム(BRP版CoC)の紹介が比較的早かったためか、ダーレス系よりも遥かに特殊と表現すべき「ゲームから発した設定」に関しては、(たとえラヴクラフトの記述と異なっていても)何の注意も払われなかったり、あたかも確固たる汎用設定のように説明されていたり、受け入れられていたりする。

 こうした風潮が定着することには、ダーレスに対する姿勢の場合以上に、明らかに問題がある。メタなゲーム等の話題でなく「幻想」の話題ならなおのことである。





人類全神経バンクの検索(その4くらい)

朝比奈みくる 708,000件
朝日奈みるく 2件

 どう考えても少なすぎる。いったい何をやっているんだ冬寂もとい地球のマトリックス。





・「どちらにしろ葬る@」 

 どんなユニークも@に倒される可能性があるかもしれないが、どんなユニークも@を倒す可能性はある。そして初心者から上級者までのプレイ例をすべて総合すると、どちらかというと、可能性が高いのは後者である。にも関わらず、なぜ無条件に常に「@が屠る側」に立っているという一方的なレッテルが貼られるのだろうか?

 仮に「クリア数」の方が「@を死なせた人数」の累計より多い、などという廃変人が存在するとしても、世の中のRoguelikeのプレイ数をすべて累計すれば、サーペントが倒された数より、殺された@の総数の方が遥かに多いのは確実である。サーペントやノーデンスは勿論、ほとんどの強力なユニークに比べれば、@などという存在は、このゲーム内の世界においては無数に沸いて出ては殺される、完全な「やられ役」に過ぎない。

 リセットが可能なRPGならば、プレイヤーキャラクターが敗北したという現象は抹消され、最後には「どんな敵も葬ったプレイヤーキャラクター」だけが実在するということになる。しかしRoguelikeでは、@の死は、すべて確固たる「事実」として残される。(それらの事実を無視して続けるプレイヤーもいるが、数え切れないほどの厳然たる事実と矛盾して無理矢理通された「偽事実」など、”混沌の宮廷”のさらに遥か向こうの<奈落>のどんづまりにしかその居場所はない。)残った事実の総数をつきあわせれば圧倒的に、@とは敵を葬る立場ではなく、大量に虐殺される立場である。
 Roguelikeの世界を捉えるにあたり、「勝利した@」以外の存在を忘れている、認識から抹消しようとする姿勢は、Roguelikeに対してリセット可能なRPGと同様の、ひいては、主人公特権者や贔屓キャラにとって一切都合のいいことしか起こらない低質戦闘物世界の捉え方と何も変わらない。

 それでも、プレイヤーの視点からは、敵をすべて倒したときの事実が「最も代表的な事実」であると無意識に思うのが当然かもしれない。だが、無数に@を殺したり@に殺されたりを繰り返している「ユニークモンスターの側の視点」が存在すると仮定するならば、彼らにとって「最も代表的な事実」は自分が殺されたときの事実などではなく、@を食い殺したときの事実である。
 プレイヤーキャラクターの死すら含めて、その中に数多くの出来事を内包するRoguelikeにおいては、「@が敵を倒していく」というゲームの基本的な流れですらも、その世界のごく一部の視点から、さらにごく一部の様相を眺めたものに過ぎないのだ。





・検索ワード(その10くらい)

御影さくら SSPゴースト
 何を聞きたいのかは数種類考えられるが、とりあえずmateriaのデフォキャラの御影(誤称)をSSPで動かしたいんだったらmateriaのghostフォルダ内のfirstフォルダをSSPの方のghostフォルダ内にコピーするほかに、あと御影(誤称)は「アプリケーションのフォルダにmateria.exeがあるかどうか」で起動判定してるからssp.exeと同じフォルダにmateria.exeだけコピーしておくとSSPで御影(誤称)が平然と起動しちまうってのが当時有名だったぞえ。もっとも今はもっとスマートな方法があるのか知らんけど。

エアレンディル フロド 王の帰還 呪文
 "Aiya Earendil Elenion Ancalima"
 aiya : 感嘆
 Earendil : エアレンディル(人名、ないし金星)
 elenion : elen-(星)、-i(複数)、-on(属格)
 ancalima : an-(最も)、calima(光る、輝く)
 したがって、「おおエアレンディル、星々の中の最も輝かしき者よ」の意となる。しかし字幕では思い切りわかりやすくされて「光よ照らしてくれ」となっていた。
 これはクゥエンヤ語で、原作のフロドはノルドール族のギルドールを感嘆させるほどクゥエンヤに通じているのだが、一方で映画版のフロドはFotRでシンダリン語(メルロン)がわからず、クゥエンヤを自在に話せる設定ではないはずである。が、原作ではまた映画フロドくらいのエルダール語知識のサムが、このガラドリエルのるりぴん(なぜか変換できない)を持つとすらすらとクゥエンヤを思い出して発したという描写があるので、これでいいのだろう。

夢想神殿流 居合
 夢想神流だってばさ。ちなみに林崎流抜刀術の流れをくむ膨大な居合流派の総称とも、そのうち林崎流→田宮流→無楽流→英信流から流れたとある代表的な一派を指すこともある。流派名から探しているのが仮に前者に属する流派であるとすればなかなかに厄介であろう。「夢想」「神伝」ともに、古来日本には京流系・関東流系ともに流派名の要素として多用されてきた語であり、林崎流や神明流・神道流の系列は無論のこと、これらと何も関係のない流派にさえも、佃煮にできるほどあふれ返っているのだ。

ルーンの杖秘録 英雄の介添人
 倭人オラダーン子爵がそれにあたる、ということになっている。というとどうにも不自然だが、このシリーズが『永遠の戦士』に組み込まれたのがあとづけなので無理もない話である。





・「なぜゴーメンガースト城の主は”王”でなく”伯爵”と設定されているのですか」

 「伯爵」はフランク王国の地方官グラーフがそのまま貴族の名となったものである(これは日本の守護大名「〜守」が原意を離れて大名に与えられる官職として使われたのと同じようなものである)。なお、さらに要地を任される上位職がマーク・グラーフで、この「辺境伯」が侯爵(マーグレイブ)の元である。
 つまり、「伯爵」とは、いわゆる封建社会において「ひとつの領地と城を持っている者」の最も代表的な単位である、ということができる。これに対して封建での「王」という単語は、領主・城主よりも、それらの領主たち複数が集まったうちの指導者であるというニュアンスの方が非常に強い語であるといえる。

 ただし、部族性などの影響が強い社会では「王」という称号はもっとありふれたもので、ノルマンなどでは部族長の大規模なものが王だったりもする。帝国成立以前のロシアに分立していた大豪族は日本では「大公」と訳されているが、このクニツァとは要は英語のkingである。(なお、アーサー王の下に王ばかりがゴロゴロといるのもケルトの名残といえる。)つまるところ、「王様やお姫様」が普通に出て来る御伽噺というのは、説話の成立上は本来もっと古い部族王らの姿をしていたはずのものに、より身近な、ひいては現代も各地に残ってすらいる「石の城」とその文化の姿を、強引に貼り付けたものとすら言うことができるかもしれない。
 ゴーメンガーストがどちらに近いかといえば、木の大広間で宴会を開く部族王よりは、無論のこと、巨石の城砦を領主が構えるフランク以後の文化に近いであろう。





・「アラゴルンやボロミアの苗字は何というのですか?」

 ”苗字”なんてものはない。というか、なぜ苗字があると思ったのだろう?
 ああそうか、ホビットか。ホビット(およびブリー郷など)はトールキンが最も読者に身近に感じられるようにするため、物語の他の要素に比してかなり無茶に、文化全般が20世紀前半のイギリス人に近づくように設定してある種族である。苗字すなわち「家族に代々伝わる名前を一部に持つ」というのも、わざわざ他にないホビットという種族の「独自の文化」として言及してある(追補編コメント)点である。これが他の文化では一般的でないどころか、概念として存在しない、例えばエルロンドやアラゴルンは「フロド・バギンズ」でなく毎回「ドロゴの息子フロド」と呼んでいることに気づかないだろうか。ただしガンダルフはしばしばホビットを名前と苗字で呼ぶが、これはガンダルフが他の誰も並ぶものがないほど、ホビットの文化を知悉しているためである。

 なお言うまでもないが、レゴラス「グリーンリーフ」、トーリン「オーケンシールド」、ついでにエレイニオン「ギル・ガラド」、ギルドール「イングロリオン」などもすべて苗字ではなく、単に本人の二つ名にすぎない。ことに前二者が共通語なのも、要は通称であるためである。
 一方で、海外のRPGファンタジー小説のデミヒューマンの名、例えばフリント「ファイアーフォージ」やブルーノー「バトルハンマー」などは(英語の連語から成っているのは、おそらく前二者の語感を意識したものとはいえるが)これとは異なる、いわゆる「氏族」の名である。デミヒューマンの「氏族」名は出身一族全体の職能などをそのまま示すもので、ゆえに人間の間では実用的に共通語(英語)に訳されて扱われるわけである。
 ただし、これらの名だけを見て誤解して、デミヒューマンどころかファンタジー世界の苗字全般を「英単語をふたつ繋げればいい」とか思い込む向きもあるとかないとかである。

 欧州では苗字・姓の慣習は貴族などにすら緩慢に広まり(古くはローマの家名から、11世紀頃に貴族に次第に増えるが、遅ければ近代である)慣習自体も一定せず、それ以前は当然平民から王族まですべて苗字など持たない(なおアイスランドでは現在でも苗字がなく、「〜の息子」等にあたるものをかわりに使う)。もういちど最初に戻るが、ファンタジー世界の住人に対して、全員に苗字があって当然と思い込む、その根拠はいったい何なのだろう?





・...はっきりした冷たい声でゆっくりといいました。「高町なのは、お前の杖は折れたぞ。」メキメキと音がして、レイジングハート・エクセリオンはなのはの手の中で割れ、握りが外道寺モモの足許に - more (『さくらと血飛沫のスキー教室』より)

 エクセリオン 語源
 エクセリオン 出典
 エクセリオン 英語
 エクセリオン 綴り
 つづり エクセリオン

 妙に検索ワードが多々来るようになったのは、ひょっとするとSF板指輪スレッドにゴンドリンの泉の将エクセリオンに関する一部HoMEからのエピソードが紹介されて以後であろうか。古くはファミコンシューティングや宇宙艦艇の名、新しくは冒険王や杖などの名前に頻出する「エクセリオン」という単語と、トールキンのゴンドリンの武将「エクセリオン」の関連に関する疑問は、かねてからファンの間にも多い。
 無論、エルダール語であるゴンドリンのエクセリオンと「意味上」の関係があるわけがないのだが、アタランテやアヴァルローネのような「現実の伝承と関係のあるエルダール語」があるのではないかとの想像に及ぶのは当然である。

 トールキン以外のエクセリオンという語は、登場する作品ごとにそれぞれ考察する人々がいるが、造語という結論にたどり着いていることが多い。またほとんどの作品ごとに綴りが異なり、(明らかに又引きの場合を除いて)共通した出典・引用元はないと考えられる。例えばシューティング(舞台の惑星の名とされる)のexerionは「exer 行使・執行者」からの造語と言われている。一方で杖などの名前の綴りは(これも一定しない中で)excellionないしexelionになっているが、特に前者であれば、単に「より優れた ex(c)ella-」の語形変化であり、造語と言うほど大それたものでもない。横文字の字面で長ったらしくなったものに対しては無条件に長大な意味や大仰なものを感じ取ってしまう表音文字語族・日本人の典型的心理といえる。
 なお、冒険王や杖のように固有名詞のうしろに形容としてつけて連語とする場合、本来は'excella'のままでも構わない(インスタントコーヒーの銘柄が一例である)。

 ゴンドリンの泉のエクセリオンはEcthelionで、これらのゲームやアニメのエクセリオンとの関係は、残念ながら「アタランテ」の例よりは「リーベンデール」の例の方に近いくらい、偶然の一致と思われる。しかし、当然ながらトールキンのこの単語はこれらのほとんどに先んじているため、上記のゲームやアニメのエクセリオンに対して、少なくとも語感は「トールキンに由来している」と主張する意見があるが、さほど傾聴に足るとは思えない。ぶっちゃけ上記した連中がまともにトールキンを読みこんでいるなどとは到底 - more
 このEcthelionという語のエルダール語としての意味は、公的には説明が存在せず、海外のファンの間でも「正確には解析不能」とされている。推測できる範囲では、ect-/ekt-は「槍、剣尖、突出」(「ハラデッケト」など)、-thelは「兄弟、同族」(「姉妹 selli-」と同根)から、echtelionは「武の一族者」「(武に)傑出した貴族」などとも読み取れるが、ectel-/ektel-がそのまま「泉」「源泉」の意(「希望 estel」と同根)であり、Ecthelionでそのまま「泉の者」のゴロジン形である、という意見もあるとのことである。
 ゴロジンでなくシンダリンとして見ると(ekt- 槍はシンダリンではech-となる)、thelionを「thalion 強者、不動者、盾」(フーリン・サリオン、ベレグ・クーサリオン等)の複数(thelyn)ないし変形として読み取ることができ、「防衛者たちの槍」「強者らの中で抜きん出たる者」といった解釈も可能に思える。
 無論、「一族の頂」をはじめとするこれらの意はいずれも、のちのゴンドールの執政エクセリオンと、その塔にも関連づけることができる。





柳生武芸帳

 復刊してるし。しかも3冊だったのが上下2冊にさらに分厚くなっている(一応断っておくが、この長さで結局未完)。漫画とかで色々と剣術ものとか柳生ものの復興の動きなんかね。
 単にストーリーだけ知りたいなら映画版の解説サイトを探した方が早い。それほどまでに原作からまとまった筋を読み取ることは困難である(作者自身が映画を観て「こんな話だったのかとはじめて把握した」と言ったのは有名)。多種多様な群像劇や大量の薀蓄(小説のまっただ中に、トミノ小説の哲学語りよろしく、「史上では沢庵と武蔵は実は出会ってないんジャマイカ」とかいう考察とか長々と挿入される)が真髄であり、読み通すには色々な意味でけっこうな「余裕」が必要だろう。





人類全神経バンクの検索(その3くらい)


スターワォーズ 473件
ワォーター 171件
ワォーミングアップ 28件
ワォルター 27件
ワォーハンマー 25件
ワォーゲーム 12件
スクールワォーズ 9件
ワォリアー 8件
ワォーズマン 4件
ファミコンワォーズ 1件
サンドワォーム 0件
トビワオ 0件
ナメクジワオ 0件
リチャード・ワォン 0件
ワォーリーをさがせ 0件


 スターワォーズの人気には圧倒されるものがある。





・とか言ってるうちにホークムーンシリーズ復刊

 くるぞくるぞどんどんくるぞ。何か歯車がとち狂いだしたのか、FTムーブメントと共に俗悪化(アーサー(ry)も伴わざるを得ないメディアに怒れる「正統派ヒロイックFT」が満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り小節が次々と。もっとも正統派と言い切るには(ムアコック中ではオーソドックスとはいえ)魔法と「狂気」に彩られてるんだけどね。





・英雄と女戦士

>ホークムーンがブラス伯爵に(ブラス城1巻で)突然タメ口になったり、(後の巻で)戻ったりしてるんだが

 それはアレだ、アムロやウッソも戦闘中では目上の連中(リュウやカイ、オデロやトマーシュ)にタメ口になったりするだろう。指揮系統の上で同列にあるものに対しては、戦闘中に限っては同格口調が通例とか戦闘通信の記録で系統が混乱しないための便宜とかなんとかだ。
 しかし、アムロやウッソも年上の女性(セイラ、マーベット)には戦闘中だろうが何だろうが、かなり丁重な敬語である。そしてよく見るとホークムーンも2巻のおばはん戦士に対しては一貫して丁寧である。英雄とはつまりそういうものだ。





鉄道模型コレクションを全部捨ててから夫の様子がおかしいスレッド

 世のコレクターオタ(絶版に悩まされるSFファンや、特にガノタ等)から随所でシリアスな反響を聞くスレッド。第四スレとなってはすでにネタとの声も上がりつつ、随分と続いていること自体がまたそれなりの関心を浴びている反映と思われる。

 これと似たようなケースは(実話として)ありふれていたような覚えもあるし、かと思えば逆にめったにないような話なので覚えているような気もするし、筆者はよく思い出せない。だが、とりあえずにわかに出て来たのはレッド・ダイアモンドだった。





・ドイツ語版ホビット


 この
ゲルマアアン紳士達が誰かわからない可能性が高いと思うが、手前:ガンダルフ 奥:ビルボ


 まさにグリム兄弟編纂とかのゲルマアアン民話集の1ページ2ページの趣き


 エルロンドもゲルマアアン


 ゴブリン王もゲルマ……ぐぼあ!!


 ゴクリはヒューペルボリアアアン





・いやもうねオンラインオフライン問わず週に一度くらいは「アーサー王が女性だったという説はなんらかの形でどこかに存在するのですか?」とかいう


 キャプテン・アーテュアラス・クワイアが言った。「わたしとアルトリアは、
同じ人物の──最も一般的には『アーサー王』と呼ばれるその武人の<化身>
であり、別の側面だ」
 コーディとP・J(ピップ・ジュニア)は顔を見合わせた。かれらは自分達と
同様、本来は同じ次元世界には同時には存在し得ないはずの、同一人物の別の
面であるというのか。──そしてこれも自分たちと同様、これ以上にないほど
に似たところのない”同一人物”であると。
 「マーリンによると──それが君達の師匠のマーリンと”同じマーリン”で
あるかはわからないが──とある別の、多数の化身を持つ有名な英雄にあては
めて例えると、わたしは『紅の射手ラッキール』、すなわち<戦士>とその
<介添人>の、両方の化身たりうる者に相当するらしい。……そしてこのアル
トリアは『ギャラソームのイリアン』、その英雄の唯一の”女性の化身”に相
当すると」クワイアは肩をすくめた。「このマーリンの言葉が何の意味なのか
は全くわからぬ。ただ、わたしとアルトリアは、その<化身>らの中でも、こ
とに特異な性質を持つものだということのようだ。──だからこそ、我らふた
りにこの一連の出来事の引き金をひく役割があたったのかも知れぬな」
 「私達は、他の『アーサー王』の<化身>を見つけ出さなくてはなりません」
アルトリアが言った。「ともに戦い、その終結をつけるための《一なる四者》
の魔法を行うために」
 「じゃ、あとふたりの『アーサー王』を見つけるってことですか……」コー
ディは尋ねた。
 「……ふたりではない。あと6人だ」
 クワイアは柔らかい樹脂の表紙でできた書物を取り出した。表紙には黒い剣
を持った白狼を思わせる剣士の絵姿が描かれ、下には'BRP'と蝋印が捺してあ
った。
 「この書物によると、《一なる四者》の魔法に加わることのできる最大の人
数は、なぜか4人ではない。8人だ」クワイアは本の一箇所を開いて言った。
「つまり──『アーサー王』の<化身>をあわせて8人。その同行者らを、そ
れぞれ8人ずつ。この戦いに加わるものを、総勢で72人見つけ出さなくては
ならぬ」

             ──『さくらと目覚めたアヴァロンの鍵』より





おれたちは モノじゃない!

 世界を裏から綿密に操作して均衡や調和・平和を実現してきた超越者とそれに対する反発は、ムアコック(<天秤>や<法の神>に対するECらの反発)や、灰色の魔女カーラから定番のものであるが、最近ではその悪玉の超越者の側にも、支えてきた人生や善意が描写され、なおかつ、超越者に操作されること自体に反発する(過酷で善の世界でなくとも、あくまで常人らのみが動かす世界を望む)人々に打ち倒される、という図式も多い。
 だが、ガンダルフやベルガラスやエルミンスターといった善の賢者・助言者らも、考えようによってはそういう黒幕ボスキャラ同然(ある意味ガンダルフに対してデネソールが指摘したように)なのだ。この3人のような長年の労苦と人々への貢献の描写を目にしてさえ「こんな奴等の押し付けの善意なんざうんざりだチェーンソーでぶった斬る」とか思えるだろうか?

 ……3人の最後の奴には思えるかもしれない。結局、善悪や利害や、哲学さえも一致してすらも、超越者と常人との「立場の違い」に因する齟齬というのはどうにも存在するように思える。その不満が、遂には「恩を仇で返す」ところにいくまで膨れ上がるかどうかは細部の状況、いくつもの偶然や要因次第である。歴史小説なら「小説家の書き方次第」というところだ。





ディアスポラ - ita氏私的感想より

 (ネタバレ反転)

>トランスミューターのモニュメントはラオウとか思い出しました

 しまった! 「仏陀の誕生=無限次元の宇宙からさえも解脱(「6番目」までのマクロ球は「六道」)」とかしか想像できなかった
自分は80年代ジャンプ者としてやはり氏より未熟すぎた orz





ホビット挿画:ダグラス・キャレルによる


 これまた放浪しているのがカクハバードの地だとしか思えないガンダルフ


 ビルボのワカメちゃんのような髪型はともかく、表札のルーン文字はご丁寧に「バギンズ」と書かれているのがわかるが、厳密にはホビットはキアスは常用しない





・地球とは全く異質文化であるはずの架空世界における”名前”

(1)現実の「言語」に対する知識がろくになく、というか言語というものへの「認識」がなく(言葉というものを大事にせず)聞いたことのあるような横文字を適当に(人名ならラ行とか、
MAZOKUの名ならヴァとかヴォとか)組み合わせたり、既存の何ぞのカタカナ名を数文字変えて作る。横文字の造語を作る時、北欧やヘブル神話からそのまま引用したり、原語の語感を何も認識せずに外来語の単語を組み合わせてちぐはぐな熟語を作り、ひどい場合は数文字変える。自分はかっこいいと思っているが、実態は耳にするのもおぞましいの一言。大半のネット創作レベル

(2)実在の(地球の)人名からそのままピックアップする。怪しい人名辞典などのサイトを頻繁に利用するばかりか、まるで万能ツールでもあるかのようにやたら周囲に喧伝しようとする。地球の文化と一切繋がりのない「架空世界」に、あからさまな地球のどこの国とさえ特定できるような名前がついているのはおかしいことも、しばしば違和感があることも実はわかっていることもあるが(全くわかっていないこともある)名前や言語を「セオリーから外して」でっちあげることが、それ以上に危険であることを知っている。多くのゲームマスターレベル

(3)2までを認識した上で、架空世界として違和感のない(ともすれば無国籍風な)名を、しかし、あくまで現代地球人の既存の感覚(独立母音が多いと明るい、「-a」で終わるのは女性型、といったローマ文化以来の感覚など)にあわせて選択するか、創作する。古形の名、古語的な読みかえやつづり変えなどを用いて雰囲気を出すこともある。しかし感性が足りずに(2)をすっとばして(1)に逆戻りしているものもある。大半の商業創作レベル

(4)2、3までを認識し、消化した上で、地球のそれとは全く共通点のない作者独特の、架空世界の雰囲気や背景に合致して統一されたへんてこな「語感」そのものを作り上げる。ダンセイニ等だが、本来ならばSFやFT作家のすべてに要求されるべきレベル

(5)2−4など認識さえせずほとんど無意識に、世界に合致した言語をまるごと五つくらい作り、というより言語のために世界を作ってしまい、共通語も作って共通語圏の人物の名前もそれにあわせて一度作っておきながら今度は「この本は本来の共通語を英語に直したものだからやっぱり人名も英語と並べて普通に感じられるものにしないと駄目なような気がしてきた」などといって古アングロサクソン語とそれに合致する意味にあわせてわざわざ全部表記しなおす何処ぞの言語学者レベル


 ──感性──────→
|1
|  
知
識
|   2
|    3
| 
|          4
| 
| 
| 
|
↓          5





(追記:「実在の西洋人の名前の方が和製ファンタジーよりラ行率は高いらしいが」という質問を直に受けた)

 そりゃそうだ。西洋人の名前をカナ表記したやつと比べてどうする。
 外国語のカナ表記は"l"と"r"、さらには音節になっているものもなっていないものも(外国語によってはもっと多くの文字や音が)、すべて日本では「ラ行」として表記される。つまりカナ表記では、実際の発音よりも遥かに「日本語でのラ行」が多いかのように表記されている。これが、そもそも「横文字の名前はラ行ばかりでできている」と誤って体感される原因である。日本人が作る横文字の名前(おかしな表現だが)で「日本語のらりるれろ」は、もっと圧倒的に少なくなっていなければおかしい。





好きな神様スレッド

 神格名をTRPGのみに出てくるものを含めて、語るでもなんでもなく本当にあげ続けるだけ、のんべんべんべんだんだらだらりとだべり続けているスレッドだったのだが、269から突如としてものすごく強烈に駄目なスレッドになってゆく。使えそうなのはないでもないが。w_low.txtとかに。
 彼らゲーマーは、「知識」というものは結局のところ、せいぜいこの程度のことにしか使いようがないことをよく知っているのだ。新紀元社アンチョコ丸写し設定を作る連中とは違ってからに。





・陰流

 例によって何故筆者にそんなことを言ってくるのかわからないが、新陰流でなく「愛洲陰流」を教えているところが「九州」にあると、嬉しそうに「報告」してくれた訪問者がいる。
 確かに愛洲移香斎が開眼したのは九州の鵜戸であるが、だからといって「近現代において」”古陰流の地”を九州とするのは、ちょうど「天然理心流が京都」「北辰一刀流が仙台」と同じくらい、少々安易かつ齟齬のある話である。
 現在、愛洲陰流の道統としているのは、実際はそれは多くが疋田陰流からの系統で、またしばしばタイ捨流である。「本流」(愛洲・平沢氏)の愛洲陰流は関東から東北にまで移り、そこで剣技ともども断絶した。たとえ東北でも柳生ないしその他の新陰流系統である可能性が高い。無論、ほそぼそと愛洲直系の道統が続いている可能性も決してないでもないのであろうが、それが本物であれそうでなかれ、異常に強かったりといったことはまず絶対にない。漫画や伝奇小説ではないのだから。剣技が個人主義で流派ごとの大差がなければないほどに、逆説的であるが、単に大きい母集団にこそ優秀な個人が含まれている方があくまで可能性としては高い。
 さて一方、疋田栖雲斎も丸目徹斎も、九州に道統を残したことは周知の通りである。調査するまでもなく、おそらくその「九州の愛洲陰流」も疋田陰流ないしタイ捨流の流れの可能性が高いのではないかと思える。
 もっとも、剣技の道統には不明瞭な部分が恐ろしく多く、ほとんどいかなる想像やこじつけでも可能である。だからこそ、安易な想像にだけは走りたくないものである。





3大殺人鬼「キラ」を語るスレ

 誰でもスレッドタイトルを見て0.0075秒で確信する予想を寸分たりとも裏切らず、ジョジョ4部のキャラ立てへの賞賛と癌種への怨嗟と罵倒、そしてその間で(比較的)影が薄くなっているデスノという展開である。
 それにしてもこの中でも述べられているが唯一製作者が「善玉」として描いている人物が最も俗悪かつ下劣な殺人鬼としての評を集めているところがジャパニーズさぶいぼカルチャーいやこんなの2ちゃんねるのログじゃないか! 世間一般の視聴者の意見がこうだとは限らないよ!(棒読み)





・記述がないので一応直リンクは避けてみる ttp://www4.osk.3web.ne.jp/~hasinaka/survival.html

 Roguelikeのイメージ補完になるような「シビアな地下世界を描いた文章」というと、この界隈ではおそらくそれもWizardryの創作あたりが決まって挙がるところなのだろう。しかし、それらのうち戦闘や人為的罠など以外の面で、充分なイメージ補完になるというと、どれほど存在するだろうか?

 上記はAD&D1stのサバイバルガイドのサプリメントのひとつを解説した文章だが、小説風の描写に沿って説明してある。TRPGゲーマーでなければルールの部分はわからないと思われるので(そして、現在の3e系のゲーマーにとっても、1stのルールは不整合かつあまり把握の意味を持たないだろう)読み飛ばしても別に構わないが、どうせならルール部分もなんとなく読み流しているだけでも、雰囲気はありありと伝わってくるだろう。地下迷宮なんて「入るような所」じゃない、ということが。

 ちなみにこの書き手は武侠小説ファンなので、横文字が中文版AD&Dやそれに近い訳語(「Magic Missile = 巫箭」とか)になっており、ゲーマーですらわかりにくいと思われるのはそういった点もだが、ただのFT作内用語とでも思って雰囲気だけ感じて流すが吉である。またペイラー(ペイロア)のようなGreyhawkあるいはD&D共通の神格の名なども出てくるが、特にWG(フラネス地方)などのワールドではない。





ブルガリア語版ホビット


 城砦都市カーレの道端に座ってそうだよ! うえーんリーブラ様ぁー!


 毎度パタリロか何かを思い出すのは、この妙に豪奢な服装のせいかもしれない。


 スランドゥイルの城にとらわれるドワーフらの図。この『ソーサリー』風を貫いている造形世界にあって、エルフの門番(左端)が唯一まともな造形なのが逆に思いっきり不気味である。





・膨大なリファラ

 「メアリースー」「MarySue」の検索でこのページにやってくる数は以前から嫌になるほど多いが、今週は特に酷く、ある日など「メアリースー」「メアリースーとは」の二種類で検索してきただけでトップページの総ヒット数の4倍の訪問者がいた。何が起こっているのかはだいたい予想がつくのだが、ともあれ、そのフォローのためにこれ以上何か述べようにも、この話題は該当のサイトを見たまんまなので何も話題にしようがない。
 とりあえず、どんな創作者にでも参照にするであろう有名作品の点数を列記してみる。本来「二次創作」の「オリジナルキャラ」のためのテストなので判定することができない(「原作キャラと恋におちる」等)項目は単純にチェックしていない。また「あなた(作者)にとって云々」も判定から外している(ある程度判明している一人除く)。なお、心理テストのごとくあまりよく考えずに判定しているので(深く考えたところでしょうがないだろう)「自分でやってみた結果と違う」といった抗議は受け付けないが別にそこまで考える人もいないだろう。


のび太(劇場版) 3
バカボンのパパ 3
ランドルフカーター 6
ゲド 6
ケイス 6
フロド 9
グレイマウザー 9
ゲイナー・サンガ 10
キンメリアのコナン(原作) 11
切れ者キューゲル 11
スティアパイク 13
ケンシロウ 13
鬼畜戦士ランス 14
ディルヴィシュ 14
DB悟空 18
水戸黄門 18
レイストリン 23
ペガサス星矢 23
アムロ・レイ(総合) 24
超人ロック 32
眠狂四郎(原作) 34
岸辺露伴 40
メルニボネのエルリック 44
コーウィン 46
エルロンド 47
正覚者サム 49
D・S(10巻代前半) 49
吸血鬼ハンターD 52
ベルガリオン 76
エルミンスター 85


 あからさまに地味だったり、ヒーローでも動機がこすいキャラはいかにも一桁である。原作コナンやケンシロウの低さは意外かもしれないが、これは彼らのヒロイズムが昨今のファンフィクをやるような創作者のキャラ特有の萌えポイントとは大きく外れているためである。そうした点を含めて、一般に20前後まではあまり当てにならない(無害とは限らない)だろう。
 注目すべきは、しばしば多世界をまたぐ「大作ヒロイック・ファンタジー」の中心になる”本物のヒーロー”が、平均的に40台にあたることである(なおエルロンドは別に主役ではないが、テストの項目を並べてみて一番多くひっかかりそうな人物をアルダから一人選んでみたものである)。主役が別にいるか、そうでなければ世界のどこにもいないような世界で、「二次創作のオリキャラ」がその位置に立つというのがどれほど凄まじい現象なのかというのは多分に筆者の想像すらも絶している。本格的にまずいとされるのは60以上であるが、まして二次創作のオリキャラで60以上になるというのはどれほどのことか?





・いまさらというところであるがダイエットモニター募集


使用前  使用後  さらに使用後  過剰摂取


使用前  使用後


使用前  使用後
(資料映像      





サルバトーレ

 「モンスターは本当に悪なのか」をさも高尚な問題提起のように思い込んだ創作に手を染めてしまうのは、ネット創作FTの若年層がしばしば麻疹のように一度かかってしまうもので、それ以前から存在はしていたものの近年の代表的な蔓延源はソードワールドリプレイ第一部(山本弘作)という説もあるが、ともあれ、それらの多くは悪の問題を追求するのではなく、むしろ逆に「悪の定義を曖昧にすること」に目的自体が集中している(悪とは人間が自分達の都合にあわないものを呼んでいるに過ぎないから本来善も悪もない云々)。そりゃもともとは中世以降宗教問題等の杓子定規の善悪二元論に対抗して出てきたのが元だってのに初期のその手のFTがとりあえず取り込んどけばなんか頭よくなったような気分でとかいう問題はこの場ではさておく。

 『ダークエルフ物語』は、悪の種族ダークエルフ出身の、善の戦士ドリッズトが主人公である。つまり、悪の種族の中にも、善のものはいるという例である(実際、背景のFR世界には、善に寝返ったダークエルフらの奉ずるイーリストレイという女神がいる。ただしドリッズトに関しては、奉ずるのはレンジャーの善神マイリーキー(ミエリッキ)である)。
 しかしながら、その種族の中に善の個体が含まれていようがいまいが、悪のものは本当に徹底的に悪である。それは人間の一方的なご都合や欲望で悪と呼ばれているだけのものでも、ただの利己主義や弱肉強食を悪とすりかえられているものでもない。ダークエルフの地下都市メンゾベランザンやその他アンダーダークの悪の種族の数々は、まさに個人も社会も、「真の悪の原理」で成立し、循環している。
 同じかそれ以上に、この作品では「善」の定義も際立つ。上記の悪の場合と同様「善の定義を曖昧にしようとする」姿勢は、上記の悪の場合以上にありふれているといってよく、若年創作にすらとどまらず、「リアル」「ハード」志向を謳った商業作品も含め現れる。それらの定番の主張のひとつが、善の方こそ、人間の建前や奇麗事に過ぎず、戦争や極限状態では何の意味も持たないとする主張である。しかしながらこの物語では、極限状態、真の悪に晒され続ける過酷な状況に対してこそ、善というものは「光明」であるという描き方である。

 別に疑問や麻疹をすべてなんとかしてくれる(*)わけではないだろうが、とりあえず山本弘のリプレイもどきをうっかり書いてしまいそうな若年層はその前に一読する価値はあるだろう。


(*) ならBoVDを読めとか勧めるわけにもゆくまいし





・サイト訪問者の検索ワードその4(前回の続きというか逆)

 訪問者数自体は別に増えていないのだが、しかしどういうわけか検索語は明らかに日々混沌化を深めてゆく。

ガンガル
 あまりにも多すぎる。しかも関連用語の占める割合も日々どんどん増えていく。

Marysue
メアリースー
 多すぎる。その話だったら少しは詳しいサイトはないのか。

御影さくら
 ぐぐるとこのサイトが一時、原画氏の下どころか全体で3番目になっていた。しかも最初と2番目も、文章の内容自体は大昔に筆者が書いたもののように見える - more

瓶詰妖精 NetHack
 このサイトにやってくる人は、X,Y座標軸でいえば、どちらか片方の軸はこのサイトの「焦点」とほとんど完全に一致しているが、もう片方の軸は果てしなく離れているという人が大半であろうと思われる。そのため、こうしたX軸とY軸が各1グリッドずつずれたようなヒットは非常に珍しい。

フィンゴルフィン 鎧
 このときgoogleが用語集を拾っていなかったため、この語句で検索者がたどり着いたのは「雑記ページ」だった。はたして検索者はそこから「ベレゲンノン」の項目にたどり着けただろうか? 十中八九だめだろう。これだからgoogleのクロールは信用ならないのだ。

リハビリ 意味
 これで957000件中の最初にうちのサイトを表示していたYahooもどこかgoogle以上に信用ならない。

マエズロス 女
 何を求めてきたかは二通りの解釈ができる。とりあえず「google以外のエンジンで、けっこう後の方の候補から、エルダールの名を検索してくる」とこんなんばかりである。

ラヴェルナ エロ画像
 エルミンスターのエロ画像を送りつけてやるとか桂正和あたりがこんなような返答をしていた気がする - more

ビオライン リード
 わざわざ分けても無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄

魔法少女アイ ゲーム シナリオ 抽出 ツール
 いや確かにそれらの単語が全部入ったテキストはあることにはあるが。

小林カツ代エクスプローラー 直し方
 直し方ならこのサイトには存在しない。

萌系
 それもこのサイトには存在しない。

ジャン・ジュネ 女中たち
 そんな語はこのサイトには存在しない。結局、なぜかこのサイトに存在しない検索語は、どうも忍者サーバの特性で直接のリファラ以外をときどき検出するようだ。リンクされていないはずのサイトがリンク元として表示されることもよくあり、例えば毎週のように「萌駅」から飛んでくる人がいたりもする。

ヌノメール人 王
 いいですね。アラルゴンっぽい感じがします。が、そんな語はこのサイトには存在しない。

カミュの乳であそぼ
 そんな語はこのサイトには存在しない。それ以前にはやめれっちゅうに。

さくら+小狼+地獄
 ?('A`;)

ぬぞぷり
 それはもういいから(涙目)





全人類の神経系バンク検索(その2)



大自然のおしおきだべ〜 1件
ツンデレラボーイ 1件
モナリザ波紋疾走 0件
傾奇山の魔法使い 0件
抱枕獏 0件
ロスショタエン 0件
第五ドール 真紅 稲妻 ライデン 0件
私は マ (塩沢兼人) を狩る者だから 0件
スカッとゴルフ パニャラ 0件


 いいのかこんなことで。ケンタウロス系の方のが明日にも接触してきたらどうする。





・にちじょう


>Q.北欧神話などをベースにする(ラノベ)作家は、マンネリとかカブッてるといった言葉を知らないのでしょうか?
>A.彼らにとって北欧神話は、既に日常の一部なのです。いくら日常世界をベースにしても、マンネリとかカブッてるって言いませんよね?

>(詠み人知らず、2ch強引解釈スレの一より)


 これ洒落にならんよねあらゆる意味で。別にネトゲって意味じゃないよ。





ベルガラスシリーズ

 ベルガリアードの復刊が好評だったから出るのかというのがまず尋常な発想であるが、ハヤカワは良きも悪きもそんな出版社ではない。マロリオンの方の復刊(2006年予定という)の前に出てくるという復刊ファン置いてけぼりの事態は、元々ベルガリアードの復刊の方も、コレの訳出(と、次のポルガラシリーズが年末予定)が決まっていたので鳴り物をそろえるために復刊したということが今となってはよくわかる。
 しかし我々の誰ひとりとして忘れようか、エレニア記とタムール記の和訳の辿った悲惨きわまりない運命を。だからマロリオンとか全部出てひと段落つくまで安心できない。というか全部出てもすぐに絶版だの捕獲だのという話になる以上べつに安心できるわけではないのだが。





・MAZOKU

 少し前に聞かれたので触れてみる。日本のゲームやアニメが輸出される際にはしばしば、頻出する「魔族」という語は、demon等とは訳されず、元の’MAZOKU’という単語のままで英語の中で使われている。つまり、NINJAとかHARAKIRIとかHENTAIとか、そういうモノの感覚である。(google.'com'でMAZOKUでぐぐってみるとごっそり出てくるのがわかるだろう。もっとも、そのうち2割ほどが、横文字を日本語ローマ字表記にしか直せない(KURAUDOとSEFIROSUだとかSUREIPUNIRUとか)絶望的な言語センスの日本人の仕業であったりもするが。)
 翻訳者が日本それらの作品での「魔族」の意味や、その「魔族」に作品によっては「デーモン」というルビが振ってあること等を知らずにこうしているかといえば、話を聞いてみると、そういうわけでもないらしい。意味を知ってさえ、demon, devil, fiendといった語にはとても訳す(近い概念としてすら)ことができない、’MAZOKU’という独立したモノとして捉えられている、といえる。
 日本人が「”西洋風ファンタジー世界”における”悪の極致”」を描いているつもりになっているこのMAZOKUは、結局は西洋人から見れば異質、それどころか日本文化に特有で外語では翻訳も表現もできない独特の概念、下手をするとゲーシャフジヤマオッペケペーのような「日本文化の名物モノ」と見なされているかもしれないのだ。





漫画


>ここらへんにバトンをおいておきますね.(ご自由におとりください)
>↓
>(_____()

>[コメントを書く]
># みんなのプロフィール 『ブログ開設おめでとうございます!
>アクセス数を上げるために当コミュニティサイトに登録しませんか?
 (略)


 なんか業者がバトン持ち去っちゃったよ。
 なお、ここの用語集中でやたらと男塾やらジョジョ(三部以前)が目立つと言われるが、それはこのサイトに対して「80年代」が期待されているという声があるため、意識して行っているもので、それしか読んでいないというわけではない……





・ロスゴベル

 茶色の賢者ラダガストについては「断片的」な情報が妙に多く、言おうと思えば言えることは多くとも、「具体的」な姿を描写しようと思うと、できないことが非常に多い。例えば、彼は第三紀に「ロスゴベル」という地に住んでいたとされるが、これは何だったのか、何処にあったのか、どういった地だったのか、ファンにも中々断言できるものではない。

 『中つ国歴史地図』を見ると、なんとロスゴベルは位置さえも統一されておらず、古森街道の入り口と、それよりも遥かに南の二種類になっている地図がある。前者は、UTの注釈にある(クリストファー教授が「父の覚書の中にある」と記している)の「カーロックと古森街道の間」という記述のものである。後者であるが、『ホビットの冒険』では、ラダガストが住んでいたのは闇の森の「南さかいの近く(near the Southern borders of Mirkwood)」とされている。またHoME7にある最初期構想の地図では、ロスゴベルの位置はあやめ野よりも南になっている。恐らく、トールキンの『ホビットの冒険』の中の記述はこの当時の構想を念頭においてのものに違いない。
 無論のこと、トールキンの最終的な構想は古森街道の入口の方で、ファンの間でもこちらが一般的である。『ホビットの冒険』の当時はドル=グルドゥアの構想が明確でなかったのかもしれないが、南のはずれの方は、どう見てもこの暗黒城砦に危険なほど近すぎるのである。
 しかし、UTにせよHoMEにせよ構想集に過ぎないのに対して、『ホビットの冒険』はすでに完成された物語であるから、トールキンの意思云々とは別問題として、「南さかい」に住んでいたという記述を無造作に捨てるのは疑問が残る。『指輪物語』エルロンドの会議のガンダルフの言では、ラダガストは闇の森のはずれのロスゴベルに「いちじ」住んでいたとある。この「いちじ」を55年前(ホビット時代)とするか、それ以外の時期とするか否かで、ホビットの冒険の「南のはずれ」と指輪物語の「ロスゴベル」を別々と見なす考え方も可能である。

 ロスゴベルとは具体的には、古都であったのか都市であったのか館であったのか、記述らしきものはない。ちなみにMERPの設定では、一応「囲い」のようなものがあって、中には本当に掘っ立て小屋があるきりである。





労働武挫鱗愚

 この辞典でこれだけ妙に浮いているように見える項目。「孔子の弟子らによって抹消された」はこの手の陰謀説のお約束である点を含め、わりとよくできている。が、それだけに逆に民明書房らしさが足りない気がする。もう少し、「強引解釈スレ類のすべったネタ」のような、やや垢抜けない強引さが含まれていてこその男塾テイストであろう。





攻殻機動戦隊絵コンテ集

 「戦」という単独ではハードなはずの文字がただひとつ挿入されただけで、すべてのハードボイルド性が最後の一厘すら残さず根こそぎ抜け落ちた気がする - more





ファファード&グレイマウザー(4)

 この巻に描かれる光景にこそ、前版・前々版まではあった「柳柊ニ」の挿絵が欲しかったと切に感じる。いや、これは単なる懐古主義でしかないだろう。シリーズ自体に最初に出会った時と同じ妖異・怪異の光景を、そのシリーズの初読の話に感じとりたいという、懐古者の一方的な都合でしかない──






予感@JGeekLogとか

 残念ながら筆者は>418の単なる相槌役で、>417とか>425とかの役に立つ情報を書いてるのは全部別の人である。Z会の底力おそるべし。

 関係ないが、少し前のとあるスレより


292 :名無しは無慈悲な夜の女王 :04/10/21 09:56:07
ダメ人間しか出てこないハードなファンタジーをお願いします 
間違ってもまともな勇者とか英雄とか姫とか巫女とか出てこない奴 


299 :名無しは無慈悲な夜の女王 :04/10/24 02:43:45
>>292 
ゼラズニィ「アンバーの九王子」 

再生能力と口の減らなさが売りのダメ王子が、ハードボイルドな雰囲気を醸し出しつつ 
王位を狙ったり女に騙されたりというストーリーのハードファンタジー。 

剣は持ってますが、なぜかしょっちゅう取っ組み合いになった挙句絞め殺したりします。 
煙草が好きで女も好き。いつも末っ子を引き連れている。出来のいい兄貴には頭が上がらない。 
それなりに活躍はするんだけど、いつも気付いたら閉じ込められてたり不意打ちで怪我してたり女に騙されたりでいいところなし。 
主人公がこんなでもファンタジーはハード。 

絶版なので図書館で。 

 ひっでえ。その要請によりによってコーウィン派遣ってひっでえ。
 だがまったくその通りである。というよりこの>299の発言者と筆者の感覚が同じようだ。
 ともあれ、おそらくアンバーは>292の求めているようなものとはだいぶ違うだろう。しかし、英雄にしろ勇者にしろ姫にしろ巫女にしろ、その資格や立場を持つ者はいくらでも登場するが、間違っても一人として典型的なその役割を完遂するような者が出てこない、という点は確かに言える。





・ゼラズニイ『光の王』復刊

 すでに関係者によるレビューがあるので、こちらは記念に用語集にも関係あるようなないような用語を入れておくにとどめるが、しかし、なんでまた
例によってこう美形タイプなんだ。
 カルキン将軍は「褐色の肌に美髯」という描写のためもあって、筆者は最初の頃かのインド最高のイケメンがなかなか頭から離れないままで読み進んでいた。後半に入る頃にはすでに薄れていたはずが、去年突如として「このキャストで映画化」が夢に出てきてしまい、うなされたというのは他でもない筆者の話である。





小林カツ代エクスプローラー

 前回に引き続きだが、なんと、このコピペの文章を「輝いていたレスMVP」といったスレッドに貼ったり、「大変、趣深い文章です」等と自サイトや日記で紹介している人々が少なくない。それらを貼っている人々の様子を見るに、この「小林カツ代エクスプローラー」の存在自体がネタで、面白い2ch用コピペを作る目的の作り話と完全に信じ込んでいるらしき節である。あやまれ! ニィヤーにあやまれ!

 が、それと正反対にこれも厄介なことに、「凶悪なウィルス」「海外のサイトのトラップを踏んだ時に疾患すると推測される」などと大真面目に解説してしまっているサイトや日記もある(それも、いくつかはPCのソフト・ハードを主題として扱っているようなサイトが、である。なお、直す方法そのものは容易に見つかる)。
 しかし恐ろしいのは、いま現在調査してみると、小林カツ代エクスプローラーというものが実は何だったのかという「真実」「実体」は、少なくともぐぐって一発二発程度にはそうそう簡単には判明しないということだ。こんな噂だけが今でも拡大し続けている所以となった、今からちょうど3年ほど前にネットに与えたショックは事実少なからぬものだったと記憶しているが、その当時の情報集積掲示板ログや詳しい解説・解決策を載せていたサイトは、偶然も手伝ってどれもが嘘のように綺麗さっぱりと消えている。
 無論、「実害」が出たでもなく、本当の意味のウィルスなどではまったくないことからも、ここまでこともなげに消失したのであろうが、昨日までの事件がこれほどあっさりと「調査不能」と化してしまうあたり、従来のメディアに比しても現在のネットワークの奇妙な流動性を感じずにはおられない。もっとも、このカツ代話程度が今でも拡大し成長し続けるという自体が何かおかしいという考え方もあるのだが。





・検索ワード(その3)

ぬぞぷり
 
行動が筒抜けだよ……。


 ところでこのレスを「今日輝いていたレスMVP」スレに書く等、この言葉の発祥が2chだと思い込んでいる不届き者が少なからずいるというではないか。あやまれ! ぬぞぷりにあやまれ!





wikipedia - さくら

 「架空の人名さくら」を重要な順に並べた場合、普通それは12番以内には入らんだろとか思ってみるテスト。オタ項目に限らなくてさえも、綺堂やら間桐やらといった5指に余る名前の方が有名なものとして挙げられると思われる……。

 なおはてなも似たような状況であるが、何の因果なのか、この「名称の由来」の引用部分の原文はかつて筆者が執筆したものである。何年前の話だったか……。





MarySueテスト

 割と有名な「厨キャラ度」を判定するテスト。(メアリースーとは海外のスタートレックfanficに出ていた、カーク船長の親戚だか何だかの16歳の美少女だか何だかだったらしい。)オリキャラだけでなく、二次創作だが設定はオリジナルですとか、ぶっちゃけ「名前は相沢祐一だが実質は以下略」といったものも充分に判定することができるだろう。
 海外発のテストであるにも関わらず、日本のオタ業界において、ネット創作のキャラはもちろんMMORPGの自キャラ設定とかツクールやCardwirthやSRCのオリキャラとか、というか、商業含めて目につくかなりのモノに適用できそうなのが恐ろしい。また、特に「作者の感情移入度」で高得点をマークするようになっているのだが、それを除外して(作者の考えていることなどわからないとして)判定してすらも、商業作品(ラノベ、ゲーム)はおしなべて十二分な高得点を弾き出す。
 個人的にはFAQにあるこれがヒットである。

>>Q.最初のうちは誰もがあまりうまく書けないので、あんな風になってしまうのは当たり前だと思うよ。
>>A.私もそう思う。ただ、いつかはそれを卒業しなければならない。問題は、そういう小説しか読まないせいで小説とはそういうものだと思ってしまうことだ。

 このテストの作者や研究者は「読んでいてイタい作品」と定義しているが、イタがられるのではなくこういうのが「求められている」という側面が存在し、故に商業レベルで頻出する。なので上ではイタいキャラではなく「厨キャラ度」と表現している。





・ベルガリアード物語復刊

 *bandにはいろいろ細かい部分で関わっているのだが元ネタという意識まで持って読む必要はないというか、興味がある人はこれほどの大作とっくに読んでいるだろうと思われるエディングスであるがちょっとまて、
なんだこの表紙は。
 まあ前の表紙も女性漫画系とかいえばそれ系なのだが、なにげに一番目立っているバックのじじいが実質作品の第一印象からイメージを支えていたことを考えるとかなりの格差がある。

 金髪801お兄様&ショタ化したファファード&グレイマウザーなんぞは、このご時世とっくに覚悟ができていたので驚きもしなかったが、こちらの方はこれ以上そうそうイメージが変わる予想をしていなかったからこそ意表をつかれた。反面、仮に最初からこの表紙だったら別に違和感も感じることもなかったとも思われるのだが、だからこそ、変更する必然性があったのかという疑問も残る。





・ホブゴブリン



 >>ホブゴブリンがゴブリンの強化版だと思ってる奴は逝ってよし。

 >>ところが…手もとの資料には、
 >>「背丈数インチの悪戯好きの妖精、ロビングッドフェローやパックと同列」
 >>何て書いてあるんだよね。
                    (詠み人知らず、2ch過去ログより)


 ゴブリン:オークの口語
 ホブゴブリン:ウルク=ハイの口語

 故にホブゴブリンはゴブリンの強化版ですが伺か?

 さて、妖精説話では小人ゴブリンよりさらに「神秘的小妖精」であるはず(これは種族の違いというより単なる地方の違いである)のホブゴブリンが、RPGの慣例ではなぜか「大型のゴブリン」となっている直接の由来は、あまりにも身近すぎて滅多に思い出されることがないのだがトールキンの『ホビットの冒険』(原書)冒頭のルーン文字に関する序文である。ドワーフの複数形綴りをとちったことへの有名なこじつけ・言い訳や、ルーン文字云々の説明に混ざって、「(orcs) usually translated goblin (or hobgoblin for the larger kinds) 大型種はホブゴブリンと訳される」とある。

 トールキンが何故わざわざ一般の妖精説話とは逆の、ホブゴブリンを大型種とする定義をとったのか、数多くの推測が可能であるが、無難なものをひとつ挙げれば、トールキンの方法論では、エルフ(キリスト教によって小妖精へと堕とされる前はケルトの長身神であった存在)の例を見るように、神秘的で近代文明に毒されていなければいないほど大型で強大な存在である。故に、より神秘的・文明から遠いホブゴブリンの方が、神話時代の生物の面影を残す、肉体的にも屈強な種族、となるわけである。

 初のRPGであるD&Dシリーズが、ゴブリンを(オークとは別に)モンスター化した際、ホブゴブリンを大型のゴブリンと定義したのは疑いなくこのトールキンの記述を意識したもので、このD&Dのものが現在の「RPGにおける」ホブゴブリン像の発祥である。
 一番上の発言引用のように、日本のRPGではホブゴブリンを単にゴブリンの数値が大きいだけの低知能の怪物としている場合も多いが、D&D系と海外のホブゴブリンは、きわめて武装度も組織力も高い戦闘種族である;これはトールキンのファン間の説に漏れず、ウルク=ハイを意識したものだろう(トールキン自身はホブゴブリンをウルク=ハイだと明言したわけではないが、大型ゴブリンであるとすれば妥当な定義である)。

 何にせよ、「実在伝承」と「RPGでの慣例」との間にギャップがある云々、と巷で論じられるものはしばしば、とりあえず「トールキン」と「D&D」を順番にはめこんだらたやすく埋まるという、恐ろしく典型的な例である。





「...エクセリオンと相討ちとなったアングバンドの総大将ゴスモグの表情からは...」

 映画RotK公開以後、トールキン関連では抜群に増えたのが「ゴスモグ」という検索ワードでやってくるサイト訪問者である。さて上記の広告であるが、情報的にぽっかり開いた穴であるゴスモグ(第三紀)に対して、ウェブのトールキン用語辞典のたぐいで「ゴスモグ」という語をどうにかなんとかしてできるだけ調べてから書いたものと思われ、知らない分野というものを可能な限りこうした場所で調査するというその姿勢は実に殊勝なものと評価できる。
 が、よりによって「トールキン著作の知識」に限っては、それを付け焼刃でなんとかなるものなどと見くびった愚かさはそれを存分に帳消しにしてなお余りあるものといえる。

 しかし、この行為を笑えるものだろうか? ことに、新紀元社の本を鵜呑みにして得たような知識で神話伝承を語っているような人々は、ほぼ同然のことを日常的に行っている自覚はあるだろうか?





・検索ワード(その2)

イージス スキュラ
 何を探していたかは明白である。このサイトはガンダムの情報価値などあらゆる意味で皆無だが、にも関わらず、明らかにガンダムの情報を求めてきたとわかるキーワードでの検索は、他の全部をあわせたよりもわずかに多い。
 これは、ガンダムのファンの絶対数が多いというだけでなく、「ガンダムファン」らがネットの検索を”よく”利用しているという側面にも思われる。「映画指輪ファン」の、どこか不器用に辿ってくる検索とは対照的である;世間一般には「一過性ブーム」に終わるか、根強くしかも膨大なファンを持つ大シリーズになるかの分かれ目が、そのあたりにもある。

害虫 使役 呪術
 ((((゚д゚;))))





ここを「終わらざりし物語」で検索

 UTに関する一部での誤った風説(第三紀を魔法使の視点から見た「小説」)の、おそらくここが元凶というわけではないだろうが、元凶の尻尾が掴めるあたり。しかも素で(ネタ以外で)「がんだのれふ」だし。





・あなたの周りにもRGM-79Qは「GMクウェル」でなく「GMクゥエル」だとやけに主張する人がいるはずだ

 このサイトの表記がなぜ「クウェンヤ」でなく「クゥエンヤ」なのかと聞かれることがある。原作はじめ正式な書類の表記ではどれも「クウェンヤ」の方になっている。quenyaを英語読みしても、そして実のところトールキン指定のエルフ語発音を仮名に表記すると「クウェンヤ」の方に近い。
 しかし、quenya語にはk-のほかに、kw-までで「子音」という音がある(シンダリンには原則的にない)。つまりこの単語はk-WEN-jaではなく、kw-EN-jaという発音構成の語なのである。ネット上には当サイト以外にもいくつか、原作に反してまでこの表記をしているサイト(グワイヒア氏の言語サイトなど)があり、いずれもこの点を念頭に置いてのことと推測される。当サイトで採っている理由はその他に強いて言えば、完全に日本語発音しか想定していないあからさまに和製英語的な横文字とは「異質」の発音の印象を強めるためだが、しかし非常に気分的なもので、聞かれればこう答えるといった程度に固執のないものでしかない。
 ただし繰り返すが、これは決して正式な(原作に準じた)表記ではないと筆者は考えている。引用する場合指輪の偉い人に問い詰められる危険を鑑みた自己責任とするようむしろ注意を呼びかけておく。





・ヒロイックとエピック

 ヒロイック・ファンタジーとエピック・ファンタジーという言葉の分類そのものを現在ではほとんど使わなくなったわけだが、一時は、その定義には諸説あれどもことに声高に叫ばれていたのが(日本のRPG主導の某グループなどが特にそうであるが)「主人公の活躍」が中心であるか、「背景」が中心であるかの差とするものだった。コナンやエルリックは人物を描くことに目的が集中しているためヒロイック・ファンタジーであり、指輪物語は人物がその活躍を描いていても常に背景のピースの一片であるからエピック・ファンタジーである、というのである。
 この定義の是非はともあれとして、よくできたファンタジーというのは常に強烈な「作品世界」をアピールする力を持っている。コナンやファファード&グレイマウザーにしろ、描画の中心となるのはヒーローであっても、読者が否応なくそのエッセンスを感じ取るのは泥臭く血生臭い雰囲気、作品世界が持つ匂いであり(むしろ、コナンなどは本来書かれた目的である内容的な出来に粗さが目立つからこそ、雰囲気にひかれてしまうわけだ)エルリックにしろ多元宇宙に翻弄されるという図式そのものが魅力である。背景世界の設定を押し出さない場合は、それに相当する「作品の内的世界」自体で背景世界設定類以上のウェイトが必要とされるわけであって、それは、ある意味では背景世界以上に作者の「センス」というものを露にする。世界が単に「主人公の燃え萌え最強の都合を中心にすべてが回る」ものでしかなく、登場人物を取っ払うとその作品世界に何のエッセンスの残滓も感じられない(たとえ作者は中身がある設定だと信じていても)ものは、ファンタジーですらない。





・明記されないこと

 無論のこと異常に細かく明記されていることもある。パランティアはそれ自体は悪の物品ではなく、触れた者が悪影響を受けたのはサウロンに映像を見せられたためにすぎず、またサウロンも悪の虚像や真実を歪めて見せたわけではなくただ真実の映像を「巧みに」見せたにすぎない。Sil.やUTの記述には、あまりにも端折りすぎたためにきわめて唐突に「魔法でどうこうした」などと記されていることがある。

 だが、明記されていないことの方が遥かに多い。例えば「デネソールやファラミアは西方人の血筋に因する周囲や人心を読み取る視力を持ち、ボロミアにはその血は流れていなかった」とある。これは前二人が(アラゴルンがエルロンドの運命を予知した予言能力ような)完全な「超常能力としての読心や透視能力」を持ち、文字通りボロミアは「その異能者の血を持って生まれなかった」という意味なのだろうか? それとも、前二人が、周囲の環境や人々の振舞、言動に普段から気をつけ巧みに洞察する気質であったのに対して、ボロミアはそうした西方人的な気質ではなかった、というだけの意味だろうか?

 (なお、ゲームではMERPにしろd20にしろ、こうした能力は身も蓋もなく「魔法」「超常能力」としてルール化されている。逆説的な話だが、ゲームでは「能力(アビリティ)」という記号に押し込める他ないので、どちらであっても大差がない。Roguelikeの掲示板には「指輪物語のレンジャーは魔法なんて使わないから、RPGのレンジャーのモデルになっていない」といった主張が頻繁に書き込まれるが、これはアラゴルンやファラミアの持つ治癒・探知・動物共感・読心・予言といった能力が、見方によっては「魔法」「超常能力」かもしれないという側面に気付いていない発言に過ぎない。)

 魔法の話ばかりではない。「蛇の舌がセオデン王に毒を与え、サルマンの言葉を吹き込み操っていた」というのは、本当に物理的に「薬品」を飲ませ、映画版のようにサルマンが蛇の舌を「霊媒」として操心の魔法で操っていたという意味だろうか? それとも、蛇の舌が巧みな偽り、油断と堕落をもたらす言葉の毒であやつり、サルマンの受け売りの言葉を発していた、というだけの意味だろうか?

 トールキン作品でもことに『指輪物語』の特記すべき点に、こうした問題に作内では触れることなく、「問題提起」すら行われたこともなく、読んでいる最中はこうした曖昧な点に特にひっかかることもなく、曖昧であること自体に気付かないことも(上記のレンジャーの例のように、深い考えも想起されずにあっさりとどちらかだと信じこんでしまう場合すら)多い。
 曖昧なものを曖昧なままに浮かばせておき、それに気付かせもしないというのは、よほど世界のそれ以外の点が確固として地に足がついていない限り、すでに周囲に緻密で厳然とした世界が築かれていない限りは、できることではない。ぐだぐだと語りたがる以前に「設定を語る必要が最初からない」ほど、すでにそれを取り巻くものが堅牢なのである;そんな事柄、世界を描くのが一体どれほどのことか? 『指輪物語』という小説(繰り返すが、トールキン宇宙が、ではなく)のどこが卓越しているかは今まで無数の機会に語られており、いまさら筆者が付け加えることなど何もないとはいえ、具体例を挙げる段になれば改めて言及できるひとつである。





・サイト訪問者の検索ワード(前回の続きというか逆)

ガンガル
 なにゆえ皆それほどまでにガンガルが好きか。

御影さくら
 上に次いで単独の語としては他とは段違いに多い。それはおそらく現在googleではこのキーワードで原画師本人のサイトの真下に出てくる為と思われる。なぜそんなに上位かという理由は単に「御影さくら」という名は検索者が求めている人物の名としては微妙に誤 - more

マエズロス
 用語集本来の目的に即しているが、エルダールの人名での検索が多い。そしてそのほとんどがgoogle以外の検索エンジンで、しかもかなり後の結果に表示されるのに丹念に探し出して来る。何となく、どのあたりの指輪ファン層からの来訪者なのかが想像がつくような気がする。

レーヴァティン
 普通に剣などの名前も多い。いずれも、おそらく別の意味で失望させる(これが極め付けだが)記述が待っているだろう。

だめニャルラ
 そんな語はこのサイトには存在しない。リンクされていないサイトやスレッドからの、謎の「直リンク」類が時々ある。

週間 わたしの 兄者
 そんな語も存在しない。

ソーサリ 魔法使いの岡
 体力ポイカトを5へらす。そんな語は存在しない。googleへ戻って検索語を選びなおすこと。

ナノカ ぱんつ
 そんなものは存在しない。

フェアノールxマエズロス
 キタ─────(´・ω・`)─────!!!!

指輪を捨てろ
 い や だ

アルルゥであそぼ
 だからはやめれっちゅうに。





「電脳空間(サイバースペース)。伸び広がった人類の神経系...人間の全バンクから引き出したデータの視覚的再現...」

 誰の神経系バンクにでもありそうなことをぐぐってみる。


魔城サノバビッチ 2件
焼酎 ピックマン 1件
知っているのかライデン ジョニー 1件
蜘蛛のマシンで今日も飛ぶのさ 0件
へぶしコーラ 0件
殺意の波動砲 0件
ラダ蛾スト 0件
お兄ちゃんどいて!そいつ殺せない!殺せたりする。 0件

 電脳空間が人類のあらゆる精神活動の集合だなどと……ウソをつくなァーッ





創元文庫のと重なってない分だけのために復刊版を奨めるのも何である


 「...ところでどうして私の名前を知っているんだ? 私は小さい頃“名探偵ポワロとマープル”が好きだったせいか、細かいことが気になると夜も眠れない……」
 「な……なにを疑ってるんですかァ宿帳ですよぉ〜〜〜っ 宿帳にさっき名前を書いてあったじゃありませぬか タイタス・クロウってねえええ〜〜〜っ」
 「ほう 宿帳ってもしかすると これのことか」
 「あっ」

 大十字 九太郎

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

 (『さくらと最後の九郎カード』より)


 当初はそんな奴らホントに現れるかよとか思っていたものであるが、ここ最近になって本当に、『某ゲームとその関連商品から詰め込んだ知識だけでクトゥルフ神話を語る者が出始めた』なる被害の声を、随所で聞くようになってきた。
 が、とりあえず、北欧神話とかへブル神話とか(ここしばらくアーサー伝承が仲間入り)が継続的になおもこうむり続けている甚大な被害に比べればまだまだ等と思ってしまうものである。そして、クトゥルフの場合は(これほど曖昧模糊な世界観にも関わらず)無理やりにでも口を出して軌道修正を促すうるさ方のマニアに事欠かない点が、つくづく恵まれて見える。これら既存神話では、オタ共同体内ではどうにも修正不能といった状態にいとも簡単に陥るからだ。



 2005年7月追記──上のたった一言に対して、なにやら定期的に参照されてくるリンクがある。

>カードキャプターさくらのクロウリードの元ネタはクトゥルフ神話のタイタス・クロウだと疑っていらっしゃるようだが、私は黄金の曙団のアレイスター・クロウリーだと思う。

 筆者もクロウリーだと思う、というかクロウ・リードの原型が疑う余地なくアレイスター・クロウリーであることは、クロウリーの『トートのタロー』などから、オカルトにさして詳しくないCCさくらファン(およびただのアニメ雑学)の間にさえ、とうに広く認識され、知れ渡っている話である。
 そういう状況を踏まえた上での単なる「ベタ一発ネタ」を、そこまで生真面目一辺倒に読み取られるとこちらとしては成すすべがないのだが、まあ「どれもよくは知りませんが」と言うし、当方のサイトは全面わかる人だけわかっとけの投げっぱなしサイトである一方こういうこともたまに起こるんだろうというか、まあそんなサイトなんだろうとか思ったりする一コマであった。





スシを作ったはずなのに刺身ができた

 それが間違いなくスシである。海外サイバーパンクにおいて、「スシ」とは日本の寿司のことではなく、「あらゆる日本食を指す総称」というのが不文律なのである。『ブレードランナー』において、デッカードにうどんを出す店主の名が「スシ・マスター」なのが端的な例といえる。これは海外文化を学ぶにあたって「軍用機=日本の保存食の総称」等と同様に理屈抜きで丸暗記する他にない。

 それはともかくとして、『ブレードランナー』劇中ではデッカードは妻と別れた(ディックの原作と異なり、離婚している)さいに、妻に「スシ=冷たい魚呼ばわりされた」と言っている。
 つまり、(後のサイバーパンクではともあれ)この映画ではスシ=冷たい魚、すなわち刺身なども含めた「冷肉料理」の総称である。(だとしても、日本人の目から見ると離婚の別れ台詞に「あなたってスシ」ではちと滑稽だが、英語圏から見ればエキゾチックな言語を日常会話の比喩に使うような世界観の描写ということである。)うどん屋がスシマスターなのは「板前」を「スシ作りの技術者」の意へと訳したあたりであろうが、なぜ寿司でなく生魚がスシなのか? これは海外で日本文化を勉強する人々がしばしば江戸時代や中世について調査するため、初期の寿司の原型である酢漬けの魚の身のものを参照した可能性などが考えられる。





魔の都の二剣士(まんなかあたり)

 まず目を奪われるひとつ下の『万物理論』は板倉氏らに全面的に任せてじっと我慢したとしても、人によってはさらにその下のキャプテンフューチャー3巻に目を奪われるかもしれないが、しかしこのサイトの役割上どれを紹介しようかという選択の余地はない。

 コナン直系の乱立していたヒロイックファンタジーのひとつの「到達点」といえるのが、このライバーの『魔の都の二剣士』にはじまる、”ファファード&グレイマウザー”シリーズである。その完成度以上に、RPGというものの直接間接のモチーフとなっているという重要性こそ、何よりも特記すべきである。
 日本のファンタジー関連の文章には、「RPGの元となる海外ファンタジー」として指輪、コナン、ECの名前は必ずといっていいほど出てくるが、このシリーズについては名前すら聞いたこともないというファンが非常に多いという事実こそが、日本のRPGファン一般のファンタジー認識が致命的に低いことを、残念ながら決定づける証拠である。故に、少しでも知名度を高めるため(ヴァンスの著作ともども)当サイトでも独立した紹介ページを設けようと考えていたのだが、復刊の方が先になるとはとても予想していなかった。

 特記すべきは「全5巻」(順調にいけばの話であろうが)の記で、以前の版(絶版)は3巻までなので、文字の大きさが1.66倍になるというのでもなければ、あとの2巻は初訳と思われる。この点に関してはファンタジーブーム効果を素直に甘受しておくべしである。

 気が早いが、読むにあたってコメントしておくと、これは指輪やECのような巨大な世界観に読者を強制的に引っ張り込むような話ではない(それなりにスケールは大きい話にもなるが、基本的に一攫千金冒険者「ローグたち」視点の話である)。故に、古典的ヒロイックファンタジーの雰囲気、世界観に既に入り込んでいない人は、戸惑う面もあるかもしれない。
 ライバーの魅力は私見では都会的センスと諧謔にあるが、それを感じ取れる暇もなく読み通すだけで精一杯になる可能性もある。かつての創元・教養文庫等海外ヒロイックファンタジー群でなくとも、昔の海外ゲームブックなどに触れたことがあった人ならばすんなりと受け入れるかもしれないが、そうでなく海外ファンタジーに馴染みがない場合、アンソロ『不死鳥の剣』などで古いヒロイックファンタジーの雰囲気に触れてから、こちらを読み始めるのが良いかもしれない。





「チカレタビー。」
 と いって みんなを わらわせる ひとも いました。(『小学国語』より)


 死語辞典。真っ先に「ナンタルチア」を探してしまうのが指輪ファンの性だが、いきなり無かったりする。つまり、これにすら漏れるような語だということである。
 並んでいるのを見ているだけでむずがゆくなる索引は、流行というものが過ぎればいかに寒いものであるかを端的に表している。Y本語の文体模写をするのに格好の資料を掴んだといったところだが、するかどうかは未定である。予想以上に苦痛を伴うことも、同時に見えてきたからである。





そんな話題が出るたびに思い出す話

 何度かSF板の指輪スレで出る話題に、「SFファンから指輪ファンへの質問」で、「《一つの指輪》を力ずくで壊すには、”核兵器は除外するとして”どんな手段があると思うか」というものがある。

 筆者にとって、なんで核兵器なら壊せるなどと思い込んでいるのかの方が遥かに疑問である。





・『シルマリルの物語』和訳

 指輪ファンに非常に多い疑問で、先日筆者も聞かれたのだが、「なぜギル=ガラドらは、サウロンがヌメノールに囚われていた時に、モルドールにまで攻め上って一つの指輪を破壊しなかったのか」というものがある。
 『シルマリルの物語』和訳(82年)には、ヌメノールの水没後に中つ国に舞い戻ったサウロンが「バラド=ドゥアに置いてあった指輪を再びはめて」冥王の体を作ったというくだりがあり、つまり、それまではモルドールに指輪だけが放置されていたことになる。少なくとも、最後の同盟の際よりも指輪を破壊する好機のはずである。
 
指輪世界の相当にコアなファンの間ですら、この疑念が述べられており、これはファンの間で大きな疑問どころか「聞いてはならない質問(トールキンのミスだという主張)」と見なされてしまっている面さえある。

 が、実はトールキンは書簡において、サウロンはバラド=ドゥアに指輪を放置したりはせず「ヌメノールに指輪を持っていった」と言っている。
 この『シルマリルの物語』日本語版での「バラド=ドゥアに置いてあったかれの大いなる指輪を再び手にはめ」というくだりの、原書での該当文は、

 There he took up again his great Ring in Barad-dur.

 であり、おそらく「彼の指輪を再びバラド=ドゥアにおいて働かせはじめた」といった意味に近いものだろう。「置いてあった」というのはtook up againを再び取り上げたと解釈したために意訳で付け加えられた語で、上記の議論はそのために生じた混乱といえる。(なお、03年の新版ではちょうど「置いてあった」が削除されている。)

 『シルマリルの物語』は神話伝承という性質上、非常に曖昧で抽象的な表現も多く、したがってかなりの意訳や推測による補足が必要にもなる。結果、うまく表現しにくい部分や、(上の指輪の例のように)推測が最悪に出れば原意から大きくすべった内容すら出るのは避けられないであろう。
 緻密なトールキン作品といえど、『指輪物語』本編とは異なり、一字一語一句をすべてふるいにかけて緻密な検討を行う原本としては(指輪本編はそれが可能である)実は『シルマリル』はあまり向いていないとも言える。





なんかアンバーおもんない

 ゼラズニイは非常に「当たり外れ」の激しい作家だとよく言われる。これは作品の出来の良し悪しという意味ではなく、人によってどれが面白い(ヒットする)かが、千差万別だというのである。

 無論、ゼラズニイなら何でも好きだという人もいる。しかし、しばしばよく聞かれるのが、短編は非常に面白いが中長編はそうでもない、という人である。SF史上指折りの傑作とされる『光の王』などを酷評した後で、「短編を読んで目が覚めた思いだ。段違いに凄い」といった評もしばしば見かける。逆に、長編はよいが短編が面白くないという人は、これよりは明らかに少ないが、やはり確実に存在する。
 さらに色々な基準で、合う合わないが分かれることも多い。筆者はといえば、「語りすぎず、さらっとして格好いい」とか言われる話(イッキーとか)は受け付けず、話造りやテーマがあからさますぎておそらく格好悪い話(十二月の鍵とか)にひかれる傾向がある。

 さてアンバーであるが、コーウィンに感情移入できないというのは実に有り得る感想に思える。ハワードやライバーのような古典的ヒロイックファンタジーは無論のこと、ゼラズニイの「リアリティと荒唐無稽なヒロイズムとを共存させた」ヒーローの描き方であっても、それは日本の作品、ことにアニメやゲーム、ひいては80−90年代ロボットアニメの流れの作品などにおける所謂「リアルな人間性を持つヒーロー」の描き方とは、根本的に文法が異なっている。(ムアコックに限っては奇妙に似通っているが、それは井辻朱美の言うような日本文化との根本的な類似というよりは、単にこれら時代の日本の作り手がムアコックをかなり積極的に輸入していたからに過ぎない。)
 故に翻訳FTに慣れ親しんだ素養やその潜在的素養があった方が楽しめる可能性は高い──と締められればいかにもそれらしいが、ゼラズニイは他にかえがたいタイプの作家であり、上の偶然の「当たり外れ」の方が大きい要素というのが、実際のところだろう。
 (なお、読んでる最中にそれが娯楽としてどれだけ面白いかの問題は、一度は触れておく価値がある作品かどうかとはまた別問題で、アンバーはFTとして必読である、一応念のため)





青のイスタリ

 イスタリ(魔法使)と呼ばれる5人のマイアールのうち、サルマン、ガンダルフ、ラダガストの3人が『指輪物語』までに登場する。残り二人はトールキンも非常に僅かな記述しか残していないが、その数少ないひとつ、残り二人はともに青をまとう「アラタールとパルランド」という名で、物語と無関係な土地へ姿を消した、という設定はUnfinished Tales(UT)の邦訳(『終わらざりし物語』)によって日本でも広く知られることになった。
 が、The History of Middle Earth(HoME)の最終12巻には別の設定、すなわち、彼らは「モリネフタールとローメスターモ」という名で、他の3人とは異なり第二紀から派遣されてきていた旨があり、最近この設定を見つけたファンが随所で話題にしているようである。そして、こちらの方がトールキン晩年の「後に作られた設定」であることから、主流と見なそうとするファンすら出てきつつある空気である。

 実のところこの「トールキン晩年の設定」というのが曲者で、HoMEにはそれまで出版されたものとすら矛盾が生じるような新案(なにせ晩年には「二本の木の後に太陽と月が生じた」といった基本的創生説話すらも破棄しようとしていたのだ)も多く収録されている。アルダ世界として一応首尾一貫した「公式設定」を考える場合、UTやHoMEはあくまで未決定原稿であって、『シルマリルの物語』および『指輪物語』と矛盾する場合は、これら物語稿らの方を採るのが慣例である。そして、『指輪物語』追補編には「5人が『同時に』やってきた」旨があり、これと矛盾しないのは、今まで知られてきたUTに書かれている方の説である。従って、これまでと同じ説の方が依然として設定としては「優勢」であろう。
 なおICEの設定ではもっぱらUTの説(アラタールとパルランド)であるが、しかもパルランドがオロメでなく、マンドスに属すると思われる生死の精霊である点など、UTとしてもトールキンの最終案でない方を採っているのは注目に値する。





ケレブリンボールの報告:指輪生成反応の触媒に関する仮説

 この一方で興味深いことに、アマンに生息するある種のクモ(ウンゴリアントの眷属)の消火腺から、ノルドールの宝石(珪素酸化物、金属とフェアノール一族の血)に対する触媒作用を示す消化酵素が単離同定、クローニングされたという報告がある[*]。この酵素の立体構造が得られ触媒機構が明らかになれば、指輪生成反応の触媒に関しても興味深い知見が得られるであろう。

[*] Aule, Curumo, Alatar, Aiwendil, Orome & Yavanna, Proc. Natl. Aman. Sci. VALINOR 4798(224), 876880-876896 (2-t. A. 19884).





・神影流

 吉川英治のもとにヌハの子孫が名乗り出た(本位伝又八は架空の人物だが、「本位伝」家という名自体は新免一族から取られているので不思議はない)と言う話によく似たものとして、『子連れ狼』の水鴎流の逸話がある。作者は荒唐無稽な技の数々を出すために「まず実在しないような架空の流派」の名を考え出そうとして「水鴎流」とつけた。しかし、連載が始まってまもなく、実は存在していた水鴎流(林崎流の流れをくむ戦国抜刀術・総合武術)の宗家が現れ、これほどまでにマイナーな流派なのによくぞ広めてくれたと、なし崩し的に武芸考証になってしまったという話である。

 ライト系やウェブ創作などの架空サムライ設定に、禿げ上がるほどに頻出する「神影流」は、いずれもおそらく「新陰流」をもじって「架空の流派名を作った」つもりのもので、さらに、いかにもライト物の架空設定肌の雰囲気の字面を選んでいる結果と推測される。
 しかし、実は新陰流の開祖である上泉武蔵守藤原信綱(伊勢守秀綱)は、「しんかげりゅう」と平仮名で書いており、正しい漢字表記自体がない。従って「新陰流」(柳生流)や「新影流」(九州・西国の柳生流)以外にも、伝えた弟子によってありとあらゆる流派名としてばらばらに残っている。ゆえに、
 「神影流」(奥山流)も
 「神陰流」(神宮流)も
 「真影流」(鹿嶋流)も
 「真陰流」(源信流)も
 「心影流」(伝心流)も
 「心陰流」(庄田流)も
 実在する。まだまだあるが、子連れ狼の頃とは違ってかなり調査しやすいはずの現在において、まかりなりにも武芸流派を描こうというライト設定肌がこれらの実在を認識している例があまりに少ないのは、様々な理由が考えられるが、ひとつに、例えばgoogle検索などしてもしばしば誤字と区別がつかない、と言う理由が挙げられる。あるいはネットの簡便性の限界のひとつの表れか。





没入(ジャック・イン)端子

 アタマにがっつりと穴を開けなくてはならないものが主だが、帽子型も開発中とのことである。
 サイバーパンクでは、サイバースペースにじかに潜るネットランナーは改造手術を受けて接続したり接続端子をつけているのは当たり前だが、意外なことに本元のギブスン作品のサイバースペースデッキは、おでこに塩類ペーストで端子を「貼り付ける」という形の、意外に大人しいギミックのものである(この世界はさらに数年後には頭ネットや冠状のものになる)。もっとも、ギブスンでもそれ以外のサイバネティクス技術には、こうした神経手術は多出する。以後のサイバーパンクでは、「アタマに穴あけた奴がジャックイン」が当然となっているのは、そっちの方がパンクした感じなので混ぜたのだろう。

 なお、最近この手の話題ごとに「映画マトリックスのようだ」という語がつきまとい、翻訳物読みにはそこはギブスンだろうと言いたくなる向きも多いだろうが(例えばmatrixという語にこめられた数々の語源、語義に驚愕し、映画設定を称揚する発言が多出するが、これは元々ギブスンの語で、その語選択センス・手法の最も代表的なものである)、『指輪物語』となるとLotR映画の話になるのと似たようなものとでも思っておくのが無難であろう。どの道、実際にギブスンが関わっていた映画もあるがいずれもろくな話題にはできない。





・終わらざりし物語(その2)

 『終わらざりし物語』に対して、「第三紀の歴史をイスタリの視点から描いた長編小説」なる説が一部で流れたらしく、追補編もシルマリルも未読の映画版ファンがこれに手を出しかけた、ということがあったらしい。
 一体そんな風説がどこからどうやって出たのか、どうやら、下巻の「エレボールの遠征」(30ページたらず)に関する概要が、巡りめぐってそんなものになったようである。

 話は変わるが、これまで*bandの解説文を製作するにあたって、既訳作品が典拠の場合はそれを明記していないことも(することもあったが)多々あった。例えば、これまでアルダの「神話時代や第一紀」の事柄については、『シルマリルの物語』に書かれているのが「普通」なので、シルマリル由来の場合は特にそう断らずに記していることも多かった。概して言えば、必ず由来を記すよう注意していたのは「未訳作品」が典拠である場合のみである。
 しかし映画版以降、指輪本編とシルマリルは読んでいるが追補編は読んでいない(これは文庫で出ていなかったためであるが)といったファンも増え、また『終わらざりし物語』は和訳が出版されたとはいえ研究書の側面も強く、日本のファンなら必ず読むと言えるほど率が高いとも限らない。指輪物語は映画以降、ファン層にせよ書物にせよ、裾野が広がり、様々な読書傾向の人々を含むようになってきている。混乱を避けるために、(既知者にはうっとうしくとも)できるだけ典拠は詳しく書くようになるかもしれない。これまでに作成した分の解説にまでおっつくのがいつになるかは、不明であるが。





・そわそわするんじゃない

 エルロンドよりこちらが本題なのだが、混沌の王子マーリンの、混沌とアンバーの血のバランスである。まずは系図である。



C 混沌の王族
A アンバーの血


シムニア・ヘンドレイク(C)          サワール(C)───マンドール
    |                       |    
    |      リントラ(C)          |──────デスピル
    |           |─ダラI──?──ダラII   |─ジャート
    |──────ベネディクト           |
    |                       |──────マーリン
オベロン(A)                     |
    |─────────────────────コーウィン
ファイエラ


 遡るとややこしいのだが一応、オベロンを第一世代の(完全な)アンバライトとする。ダラの2代前は不明だが一応、カオスの血が2回入ったとする。ファイエラはかなり後妻なのでカオサイトやアンバライトではなく”影”の人物と予想する。(これらは、筆者に読み落としがあるかもしれず、今後の本国展開などでも変わってくるかもしれないが)。


        アンバー カオス その他
ベネディクト  1/2       1/2
ダラ      1/16      15/16
コーウィン   1/2               1/2
マーリン    9/32      15/32   8/32
ジャート    1/32      31/32


 アンバーの血は(ドワーキンの言によると)第三世代まで=1/4より血が薄くなると遺伝子が発現する可能性が極端に低下する。
 心憎いことに、マーリンの血はカオスが半分よりほんのわずかに少なく(優勢ではあっても、支配的になりきらない、ということではないだろうか?)アンバーの血は1/4よりほんのわずかに濃い。ログルスが優勢でもパターンの力も持つ、また、実に”宮廷”が用意した混血ハイブリッドに相応な成分である。





・デコ事情

 ハーフエルフの項目でも触れたが「エルロンドの複雑な血筋」に関する興味というのはよく話題にのぼる。具体的にどうなっているかいっぺんくらいは聞いてみたいという要望を貰ったので、いっぺんくらい検討してみる。まずは系図である。


V ヴァンヤール
N ノルドール
T テレリ


インディス(V)          エレンウェ(V)
 |      アナイレ(N)     |────イドリル
 |           |────トゥアゴン   |
 |──────フィンゴルフィン          |
フィンウェ(N)                  |─────エアレンディル
                         トゥオル(人) |
                                 |───────エルロンド
シンゴル(T)           二ムロス(T)        |     |─エルロス
 |────────ルシアン      |───────────エルウィング
メリアン(神)      |────ディオル
          ベレン(人)


 例えばアナイレやエレンウェはさらに遡った血筋は明らかではないが、便宜上単に出身であるノルドールやヴァンヤールとする。テレリとシンダールは血筋上同じとする。また、ベレンとトゥオルの人間のベオル王家・ハドール王家の関連などもあるが、今度こそ収拾がつかなくなるので省く。


         V    N    T   人   神
トゥアゴン    1/4       3/4
イドリル     5/8       3/8
エアレンディル  5/16      3/16              8/16
ルシアン               1/2             1/2
ディオル               1/4     2/4     1/4
エルウィング             5/8     2/8     1/8
エルロンド    5/32      3/32      10/32   12/32   2/32


 RPGに頻出する「人間の父とエルフの母」完全に半々の血筋を持つのは、実はアルダの全史の中でもエアレンディルだけである。(他は主要人物でなく、史上明確でないか物語稿に残ってはいない。)
 エルロンドはエルフ3王家の血をひっくるめればエルフの血が最も濃い(18/32)が、3王家の中では最も濃いのはテレリの血である。しかしテレリだけとってみれば人間の血より薄い。にも関わらず彼の肩書きは人間やテレリではなく、上級王とミーアダインなきあとの「ノルドールの指導者」である。
 ならどうせならガラドリエルあたりがノルドールの代表になっては、と思うかもしれないが、ガラドリエルも実はV:N:T比は1:1:2にすぎず特にノルドールの血が濃いわけではない。上のエルフ(ハイエルフ)がひときわ特殊に見られる理由のひとつに、ヴァンヤールやノルドールの血は下手をすると普通に闊歩している純血の神より珍しいということがわかるだろう。





終わらざりし物語

 つまるところJ. R. R. TolkienのUnfinished Talesの邦訳である。濃い指輪ファンの間では長年の間待ちに待たれてきた、トールキン原典の新たなる訳である。
 さほど濃くもないかもしれない*bandプレイヤーに、これがどんな本なのかを(あくまで筆者の手元の原書をもとにだが)説明すれば、指輪物語の「追補編」を知っている人にはわかる表現であるが、あれと似たような感じで、また『シルマリルの物語』のエピソードに対するものも含む、「さらなる追補編」である。
 具体的には、サルマンのガンダルフの指輪への羨望、東夷カムル、ガラドリエルがフェアノールに髪を与えるのを拒否云々といった、「すでに映画のみのファンにさえ広く知れ渡っている有名エピソードなのに、指輪にもシルマリルにも見当たらないもの」の数々は、その多くがこのUTに書かれているものである。
 未整理原稿集History of Middle Earthよりはかなりまとまった形になっているものだが、後継者で子息のChristpher教授による補足説明、注釈も大量に含み、読み物でなく研究書である側面にわずかながらも確実に足を突っ込んでいる。

 これが訳されることで、指輪ファンの間では、アルダ世界の「基礎知識」の「ボーダーライン」が一気に跳ね上がることが予測される。(原書の既読者にとっても、周囲の様相が激変することによる良し悪しの影響と無関係ではない。)日本の指輪ファンにとっては世界を一変せしめる大事件であるが、それ以外の世間一般には完膚なきまでに何の関係もない。





【大発見】"九王子"と"八王子"は似ている【ノーベル賞】(031022)

 残念ながら「アンバーの八王子」は栗本薫によってガイシュツである。また、吉岡平が素で間違えて全SFファンより見下されたのもそれに次いでガイシュツである。ということを書こうとした10月末、Koka氏の日記がRDLから消えており、心配していたがつい先日復活したので安心したというのが本日のお話である。






トップページに戻る