惑星トーリル地理誌



○セルーネイの涙


 PnP-RPGのルールによく載っている、ゲームマスターのワールド作成の手引きにはしばしば、見かけのファンタジックさを追求するあまり逸脱しすぎた世界を作ってはならない、例えば月や太陽はそれぞれ1個でいい、と書いてある。清松みゆきの『T&Tがよくわかる本』には、ワールドデザインの失敗談として、月の動きを凝りまくった世界を設定して、しばらくして突然、ライカンスロープの仕掛けがまともに機能しなくなることに気づいたという、毎度いかにも「高い知性がスパーク君のごとく直情的に突っ走って知性の暴走によってしくじる」みゆきちゃんらしい体験が語られている。ファンタジックなのは良いが、あまり不要なところで地球の感覚が通用しなくなると困ったことになる、ということである。やるならば、ルナルやクリンのように月にそれぞれ魔法と関連する特性があるなどゲーム機能と深く関連する設定を念入りにしなくてはならないだろう。

 それはともかく、実際のところD&Dシリーズの世界設定でも複数の月がある世界はあり、例えばGreyhawkの惑星オアースの衛星は2つ、Dragonlanceの惑星クリンの衛星は3つである。が、Forgotten Realmsの惑星トーリルには衛星は一つ、セルーネイの月しかない(女神セルーネイの対である女神シャー(シャア、シャール)を、「ダークムーン」と呼ぶ言い方を除いての話)。

 セルーネイが(地球の衛星の)月と異なる点として、周囲にきらめく光点、「セルーネイの涙」を伴っている、という点が挙げられる。5版のワールドガイド(『ソード・コースト冒険者ガイド』)の信仰に関する説明などでも、これは月の女神セルーネイの喜びや悲しみのような感情に伴って生じる、とされている。
 これだけだと一見、単に「ファンタジックな見かけ」に過ぎないように見えるが、その詳細は「晴れた夜にはセルーネイの通り道の前後に光の帯のような無数の点が見える」というもので、その軌道は「光点が集まってできた平たい楕円に見え、黄道上セルーネイから60度前後の距離を置いた点を中心に回っている」「セルーネイの通り道の跡を中心にして、ぐるぐる回りながら月の前後を共に動いている」というものである。

 この設定を目にした瞬間、変な声が出る人がいるであろう。それは天文や宇宙好きのわずかな人々にすぎない、といいたいところで、FRの本国におけるこの設定も、わかる人にしかわからない、というその微妙な位置を狙ったもの、と考えられる。しかし、よりによってこの日本という国では、そのわかる人々はD&Dシリーズのプレイヤー可能性母数を数桁上回る、数千万人にも及ぶと思われる。
 つまり、数千万の『ガノタ』であれば即座に、この光点の正体が「サイド1・4とサイド2・6」であることがわかるはずである。地球(トーリル)-月(セルーネイ)間のラグランジュ点、L5とL4ポイントを周回している多数の物体の軌道であることは明らかである。しかも、月軌道上などという遠位置で、晴れた日に目視できるほどなので、相応に巨大かつ多数の天体が周回していることは疑いもない。
 宇宙世紀でサイド1のコロニー群がL5に最初に建設された理由でもあるが、ラグランジュL4/5の位置は非常に安定した軌道であり(これに対して、例えば宇宙世紀作品の作中で何度も繰り返し言及されているように、L2、L3のサイド3やサイド7の位置は不安定であり、建設候補域が狭く、常に軌道修正が必要だったりする)だいたい月軌道前後のこの付近に放り込まれた物体は、自動的にサイド1、2、4、6の軌道を描いて回転する。そのため、自然に天体がここに集積するにせよあえて人工的にここに配置するにせよ適した位置である。ちなみに宇宙世紀で月を追いかけるL5の方にサイド「1」が建設されているのは、実在のスペースコロニー構想でもL5の方にまず建設する案があるためと思われるのだが、L5の方がL4より安定という事実は特になく(例えば太陽-木星間のトロヤ群小惑星は、L5よりL4の方が数が多い)『ガンダムセンチュリー』ではL5の方が宣伝広告時の「語呂」がいいというだけではないか、という説が述べられている。なお、安定なL4、L5だが、現実の現代の地球には、セルーネイの涙やサイド1、2の位置に存在する天体は(塵の集まりが存在する説があるが)明確に観測できてはいないらしい。

 惑星トーリルのそれに話を戻し、FRの世界設定上、実際のところはこの天体は何なのかというと、これらのセルーネイの涙の位置には岩くれ(小衛星)に建設されたドワーフやネオジ(Spelljammerの定番種族のひとつで、ハインラインじみた昆虫異星人)の要塞が含まれている。岩くれや要塞がどうやって生じたかだが、これらの天体はその神話時代よりもさらに始原時代、星系の形成時やセルーネイとシャーの抗争でブッ壊れた別の惑星や衛星の欠片、という可能性が高いだろう。あるいは、黒歴史に埋葬された一年戦争史のごとく、DR前30000年よりさらに前に存在した滅亡した前科学文明の、星系内戦争の残骸、というのも大いに考えられることである。
 一方、フェイルーンに住む人々はそんな「事実」などは滅多に知らず、冒頭に挙げたようにセルーネイ女神信仰では女神自身の感情で生じる涙と教えられているが、容易に目視できるこの「セルーネイの涙」については、地上での言い伝えがある。そのひとつは、女神セルーネイが地球の人間の男性(ウィル・ゲイム(仮名))と恋に落ち、別れた際の涙、と言い伝えている。もうひとつは、フェイルーンには、このセルーネイの涙には「海賊」が住んでおり、空飛ぶ海賊船に乗って地上に侵攻に降りて来る、という言い伝えである。確かに宇宙海賊クロスボーン・バンガードの発祥地である私設ブッホ・コロニーはサイド1にあるが、それはどうでもいい話として、特筆すべき点は、後者の説話について、フェイルーンの地上の人々にとって、この「セルーネイの涙」は、はっきり「人が住める土地」と認識されている、という事実である。「地球」の神話伝承の類では、夜空に見える雲状などの曖昧な姿の天体は、欠片とか宝石とか河とかに擬せられていることも多いが、フェイルーンでは、一方では涙といいつつも他方では「土地」として伝えられ、おそらくは実際に住人(ドワーフやネオジ、その他岩くれの住人)の干渉があったか、あるいはそれ以前の由来をほのめかす説話が地上にも伝わっていたことを強く推測させる。
 FRのこの設定は、見かけは一見非常にファンタジックながら、その実、地球の方の天体の原理に沿っており、現実世界の常識を逸脱するものではないという、まことに微妙な仕掛けといえる。ただ上述のように、日本ではこれがファンタジックな見かけと感じるD&D人口よりも、すぐに後者の真実に気づく人口の方が遥かに多いというおかしな状態になっている。






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