ファンタジー世界の傾向(5版DMGより)


 昔むかしその昔、1960年代にムアコックなどによってFT小説が再注目されたあたりで、自分らの書いている(ヒーローが活躍するたぐいの娯楽性の)FTのジャンル名の呼び名として、ディ・キャンプが提案したのは「ヒロイック・ファンタジー」(1963年のアンソロジーの題名)という名であった。
 一方、マイクル・ムアコックは、「エピック・ファンタジー」という名を提案した。
 しかし、結局、ジャンル名として使われるようになったのは、フリッツ・ライバーによる「剣と魔法(ソーズ・アンド・ソーサリー)」であったという。(『不死鳥の剣』巻末の中村融の紹介等で大雑把に紹介されているこのような経緯に対して、実際の細かい略史などについて説明するときりがないのでひとまず省く。)
 こういった経緯の説明は、今見ると意外に見えるかもしれない。現在は、「エピック・ファンタジー」は「ヒロイック・ファンタジー」とは別の、もっと叙事詩的な(LotRなどの)FTの呼び名として(少なくとも日本では)通用され、一方、「剣と魔法」はそれら全部の総称、というより、しばしば作品群の性質ではなく、これらで用いられるFT自体の世界設定の性質を漠然と総称するように使用されている。しかし当初は、これらの用語はすべて同じものの呼称として提唱された、ということである。

 さて、遥かに時代が下り、D&D5版のDMG(2014.12)では、展開するキャンペーン(ストーリー)の種類として、これらの用語を用いてFT作品が分類されているくだりがある。5版では、4版以前にはPHB等から読み取れた「D&Dキャンペーンはヒロイックファンタジー、プレイヤーキャラは英雄」と、必ずしも決まっているわけではない。が、この5版のDMGでは「エピック・ファンタジー」はもちろん、「ヒロイック・ファンタジー」と「剣と魔法」の相互すら、別々のジャンルになっている。
 「エピック・ファンタジー」と「ヒロイック・ファンタジー」を区別するという分類は、前記したように、日本でしか使われていない、という主張がされていることもあるが(上記『不死鳥の剣』解説など)この5版の記述を読む限り、そうとも言えないようである。少なくとも4版以前のDMGにこのような分類の記述はないが、ただ、5版のDMGよりも以前に、ある程度は認識されていた用法だと推測でき、また少なくとも、それまでの版に比べても非常に人口の多い5版のDMGに書かれた以後はさらに、一般のFTジャンルに対して相当に大きな影響があると考えていいだろう。


 5版のDMGの『ファンタジーの傾向いろいろ』(HJ和訳ではp38以降)には、いずれもD&D内の手前味噌で、「エピック・ファンタジー」はドラゴンランス、「ヒロイック・ファンタジー」はフォーゴトン・レルム、さらに「剣と魔法」としてダークサンが挙げられている。(これ以外の「傾向」も挙げられ、前記と重複する世界設定の特定作品・地方なども多数挙げられている。)
 DMGの別箇所『物質界に存在する既知の世界』(HJ和訳でp68)のD&D各世界設定の説明には、前記以外にも、「ヒロイック・ファンタジー」としてさらにバースライト、エベロン、ミスタラが挙げられている。ところが、ここで3.Xeで主世界だったグレイホークは、ヒロイックファンタジーではなく、「剣と魔法」に分類されている。
 これらの分類は、理解できるゲーマーもいるだろうし、多少の疑念、もしくはかなり不可解にすら感じるゲーマーもいるだろう。5版のこれらの「傾向」の個々の定義や詳細の考察については後日に続く。
 また、当サイトから無秩序に引用され他ゲームの話題で吹聴されている場合に非常によくあることだが、以下の説明はD&D5版のDMGの語義について触れているに過ぎず、他所(日本のサイトや書籍等)でこれらの用語が執筆者ごとの独自の定義として使用されているものとは、例によってほぼ一致しないものと考えた方がよい。また、当然のことだが、D&D5版のDMGにおける分類であることから、「RPGの舞台となるような」FT作品を分類したにすぎず、あらゆるFT作品がこれらの分類のいずれかに入るわけではない。


〇エピック・ファンタジー

 5版DMGの記述によると、「エピック・ファンタジー」とは、叙事詩的ファンタジー、大規模な光と闇の対立と歴史的事件を描くものとされている。DMGではD&Dシリーズの手前味噌としては、AD&Dの『ドラゴンランス』シリーズが挙げられている。

 ここで、D&D系以外の有名海外FTでは、既存作品のどれにあたるか推測すると、もちろんLotRや、古く遡るとE.R.エディスン『ウロボロス』、LotR以後の影響・主要作として5版PHB付録Eのうち『時の車輪』、『東の帝国』、『ベルガリアード』/『マロリオン』や、無論『シャナラ』(剽窃説があるほどのLotR模倣作品)などがそれにあたると思われる。
 私見でははっきり言えないが、『光の王』も、(かつて再販時にハヤカワが付けた帯によると)終盤の大戦が山場なので、どうもそれにあたるらしい。DMGには「神話ファンタジー」というカテゴリもあるが、これらは神の血を引く英雄が一人で旅する古代の英雄叙事詩のようなものを指し、『光の王』は群像が入り乱れる性質が強いので、エピック・ファンタジーの方に近いように思われる。また、これが「叙事詩的勢力の衝突」ではなく、もっと歴史風の戦争模様だと、後述する「戦記ファンタジー」となると思われる。(ゼラズニイの他作品、『アンバー』シリーズなどは、別に述べるかもしれない様々な要素がさらに複合しており一概には言えない。)
 ムアコックが用語定義自体をエピック・ファンタジーにしようとしたように、エルリックなどのECシリーズでも、少なくとも終盤には叙事詩的勢力の衝突の状況が見られることがあるが、DMGなどでの記述にこれらのムアコック作品が必ずしも合致するわけではない。


 DMGによると、エピックファンタジーではプレイヤーキャラ(=主要登場人物)一人ひとりが「英雄」であるとされている。以後の記述もそうだが、ここでの「英雄」は力の規模や、物語的な活躍ではなく、民衆から英雄と呼ばれたり語り継がれるような偉業の担い手を指すと思われる。
 例えばLotRでは、サムやピピンのような(主要人物内では)小粒キャラまで、最終的には歴史に欠かせない役割を果たし、英雄となっている。ドラゴンランスでは、例えばタッスルホッフは自分(好奇心)と周りの友人のためが半々、レイストリンは自分のため(知識欲・魔法欲)以外には考えておらず、この二人などは、世界とその人々を守るためなどという英雄的動機は(少なくとも強くは)持っていない。しかし、作中の活躍の結果自体、果たした役割、また、おそらく作中の民衆の目からは、この二人も英雄的に見られている。
 DQ1,2,4やFF1のようなJRPGの多く、当初から世界の存亡のようなテーマが示され、主要登場人物らがそのテーマに邁進しているようなRPGの多くも含まれる。これは「大作CRPG」が、自然エピックが多い「大作FT」の影響のもとにある例であるが、海外や日本の初期PCのCRPG黎明期(ストーリー自体が無いことも多い)からそうした類型が確立していたわけではない。



〇戦記もの

 DMGの戦記ものというカテゴリは、戦争状態のような大規模な激突を主眼とした作品のうちでも、おそらく上記のエピック・ファンタジーのような光と闇の激突といった要素が薄い、人間同士やその他の善悪の区切りなどではない勢力闘争といったものを指すと思われるが、DMGの記載が短いので、確証があるわけではない。
 DMGに載っているD&Dシリーズの手前味噌でも、ドラゴンランスやレルムのうちの一部小説作品などが挙げられており、世界設定が挙げられているわけではない。

 D&D外の既存作品では当然ながら、『氷と炎の歌』などが入ってくると思われる。終盤が未完であり、ドラマ版(GoT)の終盤のように原作小説も最後は「闇の勢力との激突」になる可能性も高いが、現状では大半は人間同士の戦記である(わずかな怪物や魔法要素があっても、そもそもこの作品を「FTに分類しない」人もいる)。
 日本のよく知られたゲームではオウガバトルサーガやFFT(後者はエピック要素も大きい)などが連想されるところと思われる。
 封神演義はおそらく大半の人々は歴史的というよりは上記光の王と同傾向のエピック・ファンタジーに分類すると思われるが、FFTが戦記であれば、こちらも戦記でもいいのかもしれない。



〇剣と魔法

 残りの二つが「剣と魔法」と「ヒロイックファンタジー」だが、従来しばしば同じものを指す(またはいずれかが、もういずれかを含む複数ジャンルを包含する)かのように用いられてきたこれらは、5版ではいったいどのように分類されているか。

 まず「剣と魔法」は、富を求める戦士や盗賊、怪奇的な古代文明の遺跡や寺院、少数の悪役の魔法使や邪僧、といった要素が挙げられている。
 しかし、D&D小説の手前味噌としては「ダークサンの小説」が挙げられているが、かなり馴染みがないと思われる(DS世界設定自体が未訳である)。

 一方で、既存作品の具体例としては「古いFT作品」としか書いていないが、上記要素からは、いかにも『キンメリアのコナン』(特にコナンが若い頃を描いた邦訳初期巻)や、『二剣士(ランクマー)』、無論のこと『終末期の赤い地球』/『切れ者キューゲル』といった、かつてRPG風FTとして挙げられた(ガイギャックスが、トールキン以上にD&Dの原型とする)代表作品が挙げられると思われ、これらの空気を想像するのは容易である。

 これらの主人公は私欲でしか動かず、英雄ではない、というが、コナンが(多くは結果的にだが)美女を救ったり、ニ剣士の特にファファードがわりとお人よしだったりするように、読者が感情移入できる程度には、善性は持っていることが多い。無論、キューゲルのように、まるっきり善性のかけらさえもない者も当然に存在する。
 また、主人公云々の性質でないが、空気で言えばクラーク・アシュトン・スミス(CAS)などの怪奇的なファンタジーも、これらに似た「剣と魔法」的な要素として挙げられる。

 きわめて注目に値することだが、『グレイホーク』(WG)の世界は、少なくともAD&D2ndまでは、PCゲームや5版の主要世界である『フォーゴトン・レルム』(FR)と、細部の空気の差はあっても相当に類似した世界であったはずである(現にFRには、WGからの流用設定が多々ある)。しかし、前述したように、5版のDMGでは一変し、FRが「ヒロイック・ファンタジー」に分類されているのに対して、WGの方は別の「剣と魔法」に分類されている(3.5eまではデフォルト世界はFRでなくWGの方であったにも関わらず、である)。
 が、確かにレルムに比べて、特にガイギャックスやクーンツらのグレイホークのトラップや流血だらけのシナリオ等は、CASやヴァンス等の初期FTの怪奇的な雰囲気のみならず、強欲なならず者がダンジョンを荒そうとして自業自得をこえたしっぺ返しにあう、といったような光景がよく似合う。
 ただし、WGの要素のうちでも、あくまでこういった凶悪シナリオ、悪辣な帝国のせめぎ合いや、(Planescapeの方の)外方次元界の醜悪な面々の化かしあいといった様相を指しているのであって、これまで「3.Xeのごく当たり前のデフォルト」としてWG世界を背景に普通に行われてきた英雄譚の類まで、無理に無慈悲な剣と魔法の雰囲気として見直さなくてはならない、今までプレイしてきた世界を作り直さなくてはならない、といった意味ではないだろう。



〇ヒロイック・ファンタジー

 一方「ヒロイック・ファンタジー」とは英雄的冒険者の活躍を描いたもので、「個々人の動機は英雄的でない場合もあるが、キャンペーンにおける英雄」であるという。冒険者らの出自自体はごくありふれたもの(貴族などではあっても、社会自体にありえるもので、神話がかり・日本の勇者等ではないと思われる)とされる。これもD&D作品中の手前味噌として、フォーゴトンレルム物の小説、PHBの付録Eの多くの小説がそれである、として挙げられている。

 このDMGの記述だが、「エピックファンタジー」や「剣と魔法」とはどう区別するのか。全員が英雄的で目的も叙事詩的なヒロイックファンタジーならば、エピックファンタジーとの区別は曖昧であるし、動機が英雄的でない主人公たちが集まれば、剣と魔法との区別はさらに曖昧である(上記「キャンペーンにおける英雄」というのが単に「主人公」の意であれば、剣と魔法とは特に変わらない)。
 このあたりは「舞台は主にダンジョンとなり、その目的は財宝である場合も討伐である場合もある」などといった記述とあわせて、単に「D&Dでよくある様相」を記述しているのみに見え、他の世界設定との区別という意味では、DMGの説明はかなり要領を得ない。
 上述のように、ヒロイック・ファンタジーは「(5版PHB巻末の)付録Eの多くをなぞったもの」と説明されているが、この付録Eはどう見ても前記「エピック・ファンタジー」「剣と魔法」がかなりの部分を占め、また、RPG風ストーリーとは言い難いような作品がかなり多く含まれる(『ゴーメンガースト』『ゲド戦記』『エルフランドの王女』などは、D&Dゲーマーには必読書ではあっても、DMGのこれらのキャンペーンカテゴリに無理に分類すべきものではないだろう)。

 定義論ではなく、実質的に(D&Dなどのゲーム設定を考えるにあたって)ヒロイック・ファンタジーをこれまでに上記した他ジャンルとどう区別・特徴づけるかを考えると、「個々人は英雄的でない場合もあるが目的は英雄的」の読み取り方が難しいが、例えばパーティーには英雄的な信念のパラディンと、それに利害のみで協力する盗賊や中立魔術師がおり、後二者の目的は報酬や知識などかもしれないが、ストーリーの目的は一定の英雄的・成功譚的なものが考えられる。
 きわめてメタ的に言えば、「キャラクター」個々の本人は英雄的な動機や直接の役割は持っていなくても、物語の目的が達成されたときに、「読者」や「プレイヤー」には何らかの達成感やカタルシスを与える、ということかもしれない。そう考えると、PnP/CRPG問わず「ゲーム」的な都合に合致する、ひいてはゲーム的都合に応じて作られている類型とも考えられる。

 このような、大規模な勢力の激突ではなく個人的冒険の面が大きいが、最終的な目的が英雄的(またはそれに収束する)といった類型としては、FT以前の英雄叙事詩などにも見られるが、例えば「RPG風FT」の草分けにして真打中の真打、ダンセイニ卿の『サクノスを除いては破るあたわざる堅砦』がまず挙げられる。
 ムアコックの多数のFT作品中では『ホークムーン』シリーズ(ルーンの杖・ブラス城)などが入ると思われる。エルリックなどの他のEC作品については、5版DMGでは「神話的ファンタジー」「ダークファンタジー」の項目があるが、DMGはこれらに入ることを想定している可能性もある。
 『ホビットの冒険』は、書評などでしばしば「北欧の叙事詩を思わせる」と表現されるように、背景設定や終盤の展開はエピック・ファンタジーの性質を色濃く有するが、全体の流れとしてはヒロイック・ファンタジーに近いように見える。
 DMGのp68の「物質界に存在する既知の世界」によると、エベロンもヒロイック・ファンタジーの世界とのことだが、付録Eのうちスチームパンクの《バス=ラグ》シリーズは実はかなり上記の様相が強い。作者ミエヴィルはPnP-RPGにも関わっている。

 (途中)









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