イェンダーの徴: 緑の女神とモーロックの聖域








 5

 王城の広場を取り囲んでいる市街の裏道に、リオンは戦士団の生き残りを集結させた。かつてはイグドラスの教会が所有し、礼拝に使用していた広場だったが、今は他の土地同様、『女神の教団』が思うままにしている。
 定期的な礼拝は、法王や高司祭が白日に姿を現し集まる機会だった。警備などは、教団員自身の他はほとんどない。教団の敵となるイグドラスの教会も、戦士団のほとんどもすでに壊滅しているためだが、それ以前に、ルーチェや高司祭らが、自分たちを力で倒せる者などいないと信じているからだろう。
 広場は石壁で囲まれており、頑丈な石の門の前は信徒が固めている。突破するのは容易ではなさそうだった。しかし、それでも集められる限りの戦力を集めて、打倒を試みるしかなかった。加えて一体、リゼやニムエ、リオン自身の剣に与えられたマールの呪文の力がどの程度助けになるのか。あの信徒らの、女神の力に本当に抗うことができるのか。
 「緑の女神の正体は、悪魔、魔神とやらだと」リオンが呟いた。「ルーチェたち信者らに与えられているのは、その魔神の力だということか。やつらは、教団は、それで正しいと本当に信じているのか。そんなものを光の女神だと、その女神の認めることなら、善だと……」
 「そりゃ、『自分が信じたいと思うこと』しか信じないやつはいくらでもいるからな」
 ”虎の鉤爪のリゼ”が、裏道の石垣の上に腰掛け、Dレーションの新しい袋を開けながら言った。
 「信じたいかとは別に、『正しい』こととか『正しくない』ことは現にあるよ。現に、リオンはそいつらが正しくないとか自然でないとか、早い話が、そんなことをするやつは『悪』だってわかってるんだろう」リゼはDレーションの黒い直方体を頬張りながら、もぐもぐと言った。「たいていの神による信仰の教えと、『善悪』とは、特に関係ないってだけの話だよ。──あるいは、実際は教えていても、聞いている方が理解していないか、それか自分の都合や信じたいことの関係で、『あえて理解しないふりをしているか』、かな。あんたの言う、ものごとが『自然』かどうかってのは、善悪とかよりも、つまりは義か不義理かに近いんだろうが、それも分析したってあまり意味はなさそうだ」
 ──やがて、集まってきた戦士団と、副官の報告を聞いて、リオンはその人数の少なさを痛感して言った。
 「集められたのはこれだけか──」
 「手勢はいくらか増やす方法はあるよ」リゼが手からDレーションの粉を払い、石垣からひょいと飛び降りて言った。「ニムエは『魔法使いの弟子』だからさ」
 「この世界の力をかりていいですか」ニムエが平坦に言った。
 ニムエは民家の近くに転がっていた古びた木の箒を(リオンらはもちろん、民家の誰の承諾を確認した風もなく)拾い上げた。リオンや戦士団が見守る前で、ニムエがそれを地に立てると、箒は束の間、そこに立ったままぶるぶると震えた。そして、藁でできた箒毛部分が脚のように二股に分かれ、木箒はそのまま直立した。節くれだった部分から見る間に枝が伸び、両腕になった。
 リゼが短刀(ダーク)を抜いて、その箒の化け物を、無造作にまるで薪でも割るように縦に真っ二つに割いた。それぞれの木片はめきめきと幹を震わせると、足がさらに二股に分かれ、腕が一本ずつ増えた。
 リゼがそれを繰り返すと、箒の化け物は4つ、8つと増えていった。
 リオンと戦士団は、その驚愕の光景を声もなく見つめた。いかなる魔術でも、いや『魔族』の仕業でも、見たことも聞いたこともなかった。一言、『怪物を召喚』したり『木製ゴーレムを作成』したりなどという言葉の上面だけで表現すれば、このイグドラスの世界で行われる黒魔術や精霊魔術でも、ごくありふれた術にすぎず、難易度の高い魔術ですらない。……しかし、ニムエの使う魔法(かろうじてリオンや戦士団はそう認識した)は、その勃発する光景、『現実に対する変容現象』の細部、形状の変容の過程や、細部の陰影の変化の仕方まで含めて、激しい違和感と異様な感覚を呼び起こすものだった。
 結局のところ、マールやその弟子であるニムエの能力というのも、このイグドラスとは全く異なる世界の法則であるということだが──ニムエ自身のさきの『この世界の力をかりる』という言葉に反して、それらはとても『この世のもの』とは思えない光景だった。女神と名乗るものの正体が光の神なのか魔神なのか、といった疑念とは別問題の、いや、それすら些細な問題に過ぎないほどの、恐ろしいものの深淵が漏れ出しているという気がした。
 「なんだこれは……」リオンが無数に増えた箒の化け物たちを前にしてうめいた。
 「いや、マールやニムエが使う呪文、多元宇宙を記述する”徴”は、どんなものも無限のかけら(フラクタル)まで細分可能になってる、という宇宙の構造を示してるって」リゼが薪割りの手を止めて言った。「マールかニムエのどっちかが、さっき説明してなかったかな」
 「聞いていない」リオンが再びうめいた。
 「あと、これ」リゼが、短銃のうち3つをそれぞれリオンと戦士団の副官らに手渡した。もともとはリオンらが持っていた戦士団の制式の銃だったはずのものだが、あのグラストンベリの地の近くで珍妙な『すい発銃ピストル』とやらに形状が変わったきり、戻ってもいなかった。
 「やつら、ルーチェや高位の神官たちには銃も魔法も効かないぞ」リオンがその銃、教団には効かなかった元の銃よりも、見るからに原始的で、さらに遥かに性能が低下しているとしか思えないその代物を見て言った。
 「ああ、たいがいの銃や魔法は、グラストンベリ、あのマールの洞窟の近くの世界では効かない。けど、この『妖精郷の粉』をこめた銃は、さっき見た通り、マールの洞窟でさえ爆発が起こるって代物だ。で、これをここの『イグドラスの世界』で使うと、どうなると思う……」
 リオンが何か言う前に、リゼは広場の石門の、守っている信徒らの足元から数歩離れたあたりに、その『すい発銃ピストル』の狙いをつけた。
 天地を揺るがすかのようなもの凄まじい轟音と灼熱の閃光と共に、石の壁が巨大な鉄球の槌に叩きのめされたかのごとく粉微塵に爆砕した。不完全な反応の硝煙と粉塵が蒼天を曇らせるほどに巻き起こった。信者らの金切声の悲鳴と、離れた所にいる王城の民衆らの騒然とした声が上がったが、それすらも爆発と崩壊の轟音にかき消された。
 「おおおぅ」リゼがうめいた。「クロムの名にかけて、いや、これほどだとはさ──」



 騒ぎになってしまった以上、後戻りができないのを何か諦めた表情と共に、リオンが駆け出した。後に続く戦士団が、石壁の離れた箇所めがけてそれぞれ発射し(ただし、どれも1発で銃は壊れて使えなくなった)爆発と爆音を起こすと、信徒らは抗うでもなく逃げ出した。
 そこにリオンと戦士団(とリゼとニムエと箒の化け物ども)が突入した。ルーチェらと共に祭儀を行っていた教団、数人の信徒や、高位の司祭らは道を阻もうとしたが、大量に群がった箒の化け物どもが、まるで家の中の片づけのように、信徒や司祭らをそこらじゅうに投げ飛ばした。
 神官戦士のひとりが無我夢中で、戦斧で箒の化け物を両断したが、それは(リゼの短刀を食らったときと同様)2体の化け物に増えた。司祭の数人は、衝撃(フォース)だの火の球だの電撃だのワルキューレの槍だのの術を箒の化け物どもに放った。『緑の女神』の加護を受けたそれらの呪文は、何者も抵抗できないはずで、確かにそれらを食らった箒どもは爆散した。が、箒どもの破片が起き上がり、それぞれが少なくとも2体以上に増えた。めきめきという音とおぞましくねじれた動きと共に、箒の破片に手足が生え人型をなし、立ち上がった。そこかしこで、増殖した箒の化け物が容赦なく司祭や神官戦士に襲い掛かり、なぎ倒し続けた。
 「ルーチェ様、そいつは! この間、ルーチェ様の魔法を弾いた侵入者です!」司祭のひとりが、ニムエを指さして法王に言った。「こんなの、人間の技じゃない! 『魔族』の能力です! あいつが『魔族の力』をかりて邪法を行っていることを王城の民衆に訴えれば味方につけ……」
 「うるさい!」ルーチェは拳でその司祭を殴り倒した。「魔族だろうが何だろうが、あたしより能力が上のやつがいるわけないのよ!」
 ルーチェは戦士団の先頭のリオンめがけて、片手を高々と上げ、「リオン、本気を出したあたしの力を──」
 リオンは無言でリゼに渡された『すい発銃ピストル』を上げ、そのルーチェのがらあきのどてっ腹めがけて轟音を伴う銃弾を叩き込んだ。
 ルーチェは片手を半分上げた姿勢で硬直したまま、巨大な鉄槌に殴りつけられたかのように真後ろにまっすぐ吹っ飛び、広場の石畳の上に叩きのめされた。リオンは無言のまま、壊れた銃を放り投げると、剣を抜いた。
 「飲み込みが早いなあ」リゼがもったいなさそうに、捨てられたすい発銃ピストルの残骸を見下ろしてから、剣を手にリオンの後について突進した。
 これまで圧倒的な力を見せつけねじ伏せることで王城の民衆の間に君臨してきた教団、高司祭ら、神官戦士ら、ひいては法王ルーチェが叩きのめされたことで、信徒や王都の民衆らは大混乱に陥った。が、その混乱は、教団を制圧しようとする戦士団にとっても利益ばかりではなかった。行く手を阻む高司祭らをかろうじて戦士団は捕縛したが、混乱する平信徒や民衆にも阻まれた。
 ルーチェの姿は、骨が数本まとめて折れたのか、体がぐにゃぐにゃで自力で立てなくなっていたようだったが、その食らった威力からは驚くべきことだが人型の原型は保っており、息もあるように見えた。しかし、戦士団らがそのルーチェの捕縛にたどりつくよりも前に、当初から周りを囲んでいた数人の司祭に担がれて、姿が見えなくなった。
 「とどめが刺せなかったのは、さすがに法王には女神とやらの加護が強かったのかもしれない」リオンがかなり憔悴した表情で言った。「今すぐにルーチェと、運んで行った司祭らを追わなくてはならない」
 「逃げた先はわかるのか?」リゼが言った。
 「やつらの本拠地だ。『古代神の神殿』だろう」リオンが低く言った。「やつらの残りの戦力や『女神の御使い』もそこにいる」
 「そんな気はしてた」リゼが渋面で言った。「”トロール神”の名にかけて、ぞっとしないが、他にしようもないな」





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