イェンダーの徴:廃神の骸







 3

 「なあ、……全てを超える神になるには、どうすればいいんだ」やがてキリヒトは、神の頭部を構成する岩山にとりつくようにして言った。「俺も神の力を持つことができるのか……ゲームを頂点まで極めれば、神になれるのか……?」
 そんなキリヒトを、シルヴァナが怪訝げに、紅葉が無表情で見つめた。
 『なれる』足場から轟いてくる声は答えた。『イェンダーの魔除けを手に入れ、古代神のいずれかに捧げればよい。クロムかミトラかセトか。その古代神から権能を譲られれば、たとえ古代神にとってはコイン一枚分の権能でも、特定の世界の中に限れば、全能に等しく君臨できる』
 「しかし、そうすれば、権能を分け与えられた古代神の手駒に使われることは避けられぬ」デュラックが口を挟んだ。「実存性の低い”影の薄い”世界のひとつを与えられて、好き放題に力をふるっても、あるいは自分では全能者のつもりでも、全てはかれらの盤の上の出来事でしかないだろう。まして、この半神がクロムによって他の半神にぶつけられたように、古代神らには、”神としての新参者”を欺き、いいように操る手段はいくらでも存在するのであろうな」
 「他に、その”権能”を手に入れる方法はないのか! 自分の自由にできる”権能”は手にできないのか!」キリヒトはその場の誰に対してともなく叫んだ。
 デュラックもシルヴァナと同様に、当初ここに来た、肉親を探すという話とは違う目的をまくしたてるキリヒトを、怪訝げに見つめた。目の前にいる岩山のような死んだ神の姿は、確かに『肉親』とはかけ離れてはいるが、だからといって目的が急にこうも変わるとも思えない。
 『できる』死んだ神の震動は答えた。『自分の力で権能を手に入れ、かれら古代神らよりも多くの権能を所有すれば、確実にかれら以上の存在となれる』
 「それは単なる机上の空論にすぎません」シルヴァナが口を挟んだ。
 『そうだ』轟く声は同意した。
 「黙ってろ!」キリヒトはシルヴァナに罵声同然に乱暴に浴びせてから、ふたたび岩山に向かい、「どうやればそれができる!? 自分の力で権能が手に入る!?」
 『他の権能を持つ者から奪取すれば手に入る』死んだ神は答えた。『私は40億年をかけても、それができなかった。自分と同等の半神の、わずかな権能を奪うことすらできなかった。自分より小さな者たち、おびただしい信者やその他の被造物や定命の者ら、すべての生命と人生を利用し尽くし、使い捨てにして、全力を傾けてもできなかった。相手の半神も、同じことができるのだから』
 「なんとかならないのか! なんとか手に入れる方法があるはずだろ!」キリヒトは岩山に向かってわめき立てた。
 しかし、死んだ神の土塊はそれ以上、反応を返さなかった。アストラル中継界の銀色の空の下の虚空に、沈黙が流れた。
 「……どうしても絶対の力が必要なんだ」キリヒトが岩山にとりついたまま、その岩に向かってとも、独り言とも判別しがたい声で続けた。「地球じゃ……リアルの”現実世界”じゃ、強くもないやつ、金だの地位だのだけがあるやつらに何でも強制され、いいように利用されるんだ。……ゲームの中では違う。本当に力があるやつだけが絶対の存在なんだ。だから99レベルまで上げたんだ。……神になれば、ゲームの外だって、リアル世界のあんなやつらだって、同じことをしてやれる。誰にも屈するのはもう嫌なんだ。自分の運命、人生を、他人に邪魔されたり動かされるなんてもう嫌なんだよ。だったら、自分の方が他人の運命を思い通りに動かす側になるしかないんだ」
 デュラックとシルヴァナは怪訝げに、岩山によりかかるキリヒトを見つめた。紅葉は興味もなさそうに振り返った。
 「……俺は絶対にそっちの側になってやる。何者も超えるくらい強くなれば、神になれば、どんな他人の運命だろうが、他人の生き死にだろうが自分の好きなようにできるんだ。絶対にそうなる方法があるはずなんだよ」
 「なぜそんな者の立場が、方法があると信じる」デュラックが口を挟んだ。「あったとしても、自分がそちらの側とやらに立てる、と信じる根拠は何なのだ」
 「ゲームを頂点まで極めれば、神になれるって父さんも言ってるぞ。俺は99レベルだぞ」
 「その君が頂点の遊戯とやらは、父と同等の『困難を極めた』と言い切れるのか? 単純操作で力など得られぬ。遊戯の売り手らに優遇され過剰に保護され、何の困難も危険もない中で、自分よりも遥かに”下のもの”ばかり機械的に潰して、ただ伸ばした数値など、何の実質もないではないか」老騎士はなぜか、そうした現代の遊戯や遊戯者を、あたかも現代の地球を歩いて様々な趣味人らを目撃してきた経験があるかのように言った。「そして、その死んだ神も言ったように、自分と同等の者、まして自分よりも”上のもの”を相手にするのは容易なことではないのだ。下ばかり見ているだけで頂点まで上がれるというのであれば、下の立場のままに甘んじる者など誰も残りはしないではないか」
 「うるさい!」キリヒトはデュラックを振り返った。「たかが人間のレベルのまま、老いぼれた騎士なんかに何がわかるってんだよ!」
 「まさしくその通りだ」老騎士は肩をすくめた。「人間としての生と老いが、わたしにとっては、ようやく手に入れられる限りのものにすぎぬ。たとえどれほど多元宇宙を長く彷徨おうとも。人間の域をこえる力など、わたしには想像もつかぬ、何もわからぬ。なればこそだ。その理解の埒外、人間の域をこえる力が、何の困難もなしに『自分ならば手に入って当たり前のもの』などという想像は決してできぬ。対して、他人が権力や財力をたやすく手にしているように見えるのは、『誰でも何かを持つには当然に困難を必要とする』という事実について、単に『想像力』が欠如しているにすぎぬな」
 「何が誰でもだ! 俺を他のやつらと一緒にするな! 俺は神の子だぞ!」キリヒトが叫んだ。「特別なんだ! 選ばれた者なんだよ!」
 しかし、そう言ったきり、キリヒトは荒い息のまま、岩山によりかかっていた。
 「私からも聞きたいことがあります」
 キリヒトの一連の叫び声にまったく興味のなさそうに《アストラル中継界》の灰色の虚空を見上げていた紅葉が、突如、巨大な顔の方を振り向いた。



 山伏の姿の白髪の剣士の少女、紅葉は、高下駄を鳴らせて巨大な神の頭部に歩み寄った。
 「クロムの神は、今どこにいますか」紅葉は神の傍のキリヒトなど、最初から最後まで居もしないかのように、神の頭部の岩塊に向かって言った。
 『わからぬ』鳴動する神の声は答えた。
 「あなたの前にはどのように出現したのですか。まず最初には、『イェンダーの魔除け』をあなたから受け取った際には」
 『知らぬ。その時ですらクロムの姿は認識できぬ。そこにいるともわからぬ。姿を現したのは、権能を持ち去る時、我が身体をこの墓場の虚空に放り出すときのみだ。その際の姿は、黒服に銀の剣、銀の薔薇、緑の目と──』
 「その姿は私も会って知っています」紅葉は佩刀の下げ緒を直して言った。
 『クロムと会っているのか』岩くれを激しい振動、まさに動揺を感じさせる鳴動がおそった。『頼む、手がかりを──奴から再び権能を得られれば──』
 「質問しているのはこちらです。クロムについて私の知っていることをあなたに教えたところで、この状態のあなたにはどうせ何のなすすべもありません」
 紅葉のおおよそ人間らしい情感を欠いた、あまりにも冷酷な理屈に、シルヴァナが戸惑うように紅葉の横顔を凝視した。この少女は、佩刀の『クロムの魔剣』と一体化し、自分の本質を乗っ取られるに従って、日々急速に人間性を失いつつある。多元宇宙の並行世界相互の複雑度を記述する”イェンダーの徴”そのものであるクロムの銀の剣は、人間その他の霊性のあり方とは無縁である。
 「クロムがあなたから権能を奪って去った後、どこに行ったか、行こうとしていたか、何か気付いたことはないのですか」紅葉が続けた。
 『わからぬ──私は倒れて死んでいたのだ──』
 「死んでいても今も喋れるじゃないですか。何も感じる能力が無かったとは言わせません。思い出して下さい」紅葉が無情に続けた。「その前後に、何かの術を使おうとしていたとか、誰かと話していたとか、気付いたことはないのですか」
 「クロムが移動か交信に何かのカード、『トランプ』を使っていたなどは?」デュラックが口を挟んだ。
 『わからぬ』
 「思い出して下さい」紅葉が繰り返した。
 しかし、鳴動も静まったきり、神はまさしく死んだように沈黙を続けた。
 「──聞き続けてもいいが、あまり望みはないかもしれぬな」デュラックが肩をすくめて言った。「神の認識力、たとえ今では死んだ神でもだが、かつて権能を持つ半神であったものの膨大な認識力、意識の範囲内に残っていないのであれば、本当にそれらの情報は存在しないのだろう。それが、この神が死んでいたためなのか、クロムが他者に感知できないように振舞っていたためかは定かではないがな」
 かれらはしばらく待ったが、やはり死んだ神はその後は沈黙したままだった。



 「無駄足でしたか」紅葉は素っ気なく呟いた。
 「そう簡単に、クロムの手下からその足取りは掴めはしない、とは思っていたが、その手下の中でも、やつが半神の地位に上げた者からすらも、手がかりがないとはな」デュラックが嘆息した。「ここに長居は無用だろう」
 「キリヒトさんも連れ帰りましょう」シルヴァナが少年を振り向いて言った。
 「……いやだ。神になれる方法がわかるまで帰らないぞ」キリヒトはうずくまるように、岩塊に両腕をもたれかけたまま言った。「なんとか自分の権能を手に入れるんだ。神になるために……」
 その姿勢はともかくも、言葉は、見つけた『肉親』や『その消息』から離れたくないというったものではなく、キリヒトの餓えたようなその表情も、死者や肉親を思う、悼むといったものではなかった。
 「──そろそろ良いでしょうか?」と、突然、一行の背後から別の声がした。「話は終わりましたか?」
 四人は振り向いた。新たに現れた人物、神の死体の広大な岩の足場の上を歩み寄ってくるのは、遠くから一見すると全身が黒く見える小柄な人影だった。
 「あの……女学生だ」振り向いたキリヒトが、その人物を凝視して言った。「地球で会った……父さんがアストラルの世界にいるとか、行き方を教えてくれた……」
 それは黒い制服のようなもの(紅葉やキリヒトに言わせると、女子中学生用のセーラー服)の姿で、金色の目をしていた。長い黒髪はまっすぐだが、何故かその髪の端は、布のリボンのような質感で、アストラル中継界の虚空にわずかに流れている。紅葉よりも明らかに数歳は若く、遥かに小柄で、声も幼い。通学用の鞄のようにも見える、何か大きな黒い荷物を背負っている。
 「もう充分に聞きましたか? あなたの父と、クロムの神について、聞き残したことはありませんか?」制服の少女は一行から数歩を離れたあたりに立ち止まって言った。幼い声質にある意味ではそぐわない、生真面目な声色だった。
 「我らの話が終われば、君の方が何か用がある、とでもいうようだが」デュラックが応えた。「我らに対してか。あるいはこの神に対してか」
 「その両方ですが、先に用があるのはあなたがたです」少女は実直な声で淡々と応えた。「私の主、大公爵からの任務で、あなたがたを殲滅します」
 少女は言ってから、背負っていた荷物の中から何かを引き出したが、そもそも、その服や背の荷物の中に収納できるような長さの物ではないように見えたので、その仕組みはよくわからなかった。それは身長ほどもある、石突の補強以外には何の飾りもない、まっすぐな鋼鉄の黒い杖だった。ついで、少女は背中に背負っていた巨大な荷をおろした。当初はベルトにまとめられた鞄か荷のように見えたそれは、縁が別の金属で補強された巨大な多角形の平板のようなものだった。制服の女学生はすでに片手にしていた杖の片端を、その角状の鉄塊にはめこんだ。形作られたそれは、柄と頭部をあわせた長さ、面積ともに、女学生の身体の優に2倍以上の規模に見える、巨大な戦槌鉾(ウォーメイス)だった。
 「『ユーヤタス』だ」デュラックが呟いた。
 「何だ? あいつの名前か!?」キリヒトが老騎士を振り向いた。
 「あの杖の名だ」デュラックが応えた。「杖の持ち主の方の名は、悪魔バルバトスだ。唯一の悪魔(ユニークデヴィル)の一体、《九層地獄界(ナイン・ヘル)》第七階層の、支配者の直属の大元帥だ。並行世界(ワールド)によっては、バルバトス自身が第一階層の支配者として知られていることもある」
 キリヒトはひき剥かんばかりに目を見張って、その黒い制服の小柄な女学生、大悪魔バルバトスの姿を凝視した。





 next

 back

 back to index