イェンダーの徴: かみ殺しのチェーンソー







 4

 デュラックとシルヴァナの背後に、紅葉が再び立っていた。両腕はやはり無かった。斬り飛ばされたまま、肘上から先が途切れていたが、その先は、のたうつ光の線の束のようなものが両腕の箇所にともに伸びていた。金属光を放つのたうつ太い触手のようなもので、根本から幾度も枝分かれし、曲線でできているにも関わらず、柔軟性や有機性、生命めいたものが感じられない。
 紅葉がその両腕を挙げると、それらの先、握るような位置に、よく似たパターンで構成された別の物体があった。同様の鋸の刃のような枝を持ち、その刃もひとつひとつの縁が棘のようにさらに覆われ、その刃が腕の部分よりもさらに高速で動き回転していた。その紅葉の姿にシルヴァナは目を見張り、ついで、まぶしい光を見たかのように目をそらした。
 紅葉は斬られた時の衝撃に虚脱した際の表情のまま、激しく刃が回転するその”銀の剣”と共に歩み寄っていった。
 その紅葉の姿に、戦神はぜいぜいと喉を鳴らしながら甲高い悲鳴を繰り返した。
 「やめろ。やはり封印でも追放でもよい」戦神は荒い息の中から、とぎれとぎれにようやく言った。「頼む。お願いだ。もう襲わない。約定する」
 戦神がそう言ったとしても、実際に約定したとしても、その意思に反して何度でも襲ってくるだろう。紅葉の剣が、神を引き寄せて襲わせる。この剣もこの周辺の世界も、クロム神の仕組んだままに従わされるのみだ。この戦神に、クロムの仕掛けに抗う力があるわけがない。である以上、紅葉の剣を一度追って来た神は、もとい、紅葉の目に入った神は全員、皆殺しにするほかにない。
 紅葉は躊躇なく、鋸のように激しく動き回転する刀身を戦神の喉元に当てた。戦神が激しい喘ぎ声と最後の懇願の視線を送ったが、それは絶叫に変わった。苛まれる神の果てしない断末魔が、断崖に長く尾を引いてこだましていった。デュラックとシルヴァナは、クロムの剣が”かみをバラバラに”していく様を無言で見つめるしかなかった。


 戦神が細切れの肉片と霊液となって山道に散らばってからも、紅葉はしばらく輝く”徴”の塊をさげて立ち尽くしていたが、やがて、何の前触れもなく、腕と剣の姿が変わり始めた。枝分かれした鋼の線の塊の腕は、さらに実体を増していき、骨肉を備えた、元通りの人間の腕の姿になった。
 右手の先の剣の部分は、いまだに鋸刃のような棘のうごめく姿を顕し続けてはいたが、元の大太刀の形状になった。さきの広刃よりも遥かに大きくなり、長大な『首切りソード』ともいえるものになっていたが、形状はほぼ同じだった。
 戦神に襲われる前の紅葉と、ほぼ変わらない姿に戻っていたように見えたが、奥まった渓谷の薄暗い中では気付きにくかったものの、色彩が明らかに変わっていた。灰色だった髪は、完全に真っ白になっていた。肌も血の色が透けるほどに薄く、瞳は色素が完全に無くなり、真紅に変わっていた。
 「剣をなくしたのに、殺されるほどに斬られたのに」やがて、紅葉は立ち尽くしたまま言った。「死にませんでした。剣も手放せませんでした」
 「いや、死ななかったのではない」デュラックは、その紅葉の姿を見て首を振った。「人間は、斬られれば必ず死ぬ。あの戦神に、君の『人間の部分』が殺されたのだ」
 紅葉は老騎士を振り返ったが、無言で立ち尽くしていた。
 「君は天狗から剣を授かった、と言ったが。物として受けとったのではなく、剣も、剣技も、自分の一部として授かったのだ」デュラックは言った。「おそらく、すでに神殺しの剣が君の一部になり、剣と人間が一体化している上に、殺されるたびに……そのうちの『人間の部分』が、死んで失われてゆくのだ」
 文字通り、人間のときの名から、『紅葉』という剣技の名に入れ替わっていたように。神を殺すという行為の中、あるいは、単に剣と一体で生きているというだけでも、人間としての記憶や名、人間性が次第に失われていた。しかも今、人間としての生命を殺された時点で、残っていた人間性のうち、大量の部分が抜け落ちたのだった。
 剣を切り落とされても手放すことができず、再び現れたのは、すでに剣が自分の一部、もとい、剣の方が自分の中に占める本体の方になりつつあるためだった。
 「このまま殺し続けるか、殺されるかして」紅葉が呟くように言った。「人間性をすべて無くすと、どうなるのでしょう」
 「剣の部分しか残らぬだろう」老騎士は応じた。「それが、人の形をしているだけの、クロム神の殺戮道具となるのか。それとも、人の形すら最後には残らぬのか、それはわからぬ」
 「クロム神のもとにたどりつけば、人間の部分を取り戻せるのでしょうか」
 紅葉がデュラックを振り返って言った。
 「それもわからぬ。追ったところで、はたしてクロム神に辿り着くのが先か、人間性の全てを失うのが先か」
 「わたくし達と同行したことで──戦神に、この世界に出くわしたことで、貴女は人間性をさらに急速に失ってしまいました」シルヴァナが紅葉の方に歩み寄って言った。「これ以上、緻密度の高い世界へ進んでクロムやマーリンを追えば、もっと危険になります。急速に人間性を失う危険に、あえて進んでいく必要はありませんよ」
 「……でも、どのみち何もしなくても、神は襲ってくるし、人間の頃の記憶は少しずつ忘れていっているんです」
 紅葉はしばらく俯き、無言だったが、
 「人間の部分を取り戻したい、そう思えるだけの記憶が、まだ残っているうちに──」
 しかし、そう言ってからも、紅葉は輝き続ける長大な剣を提げたまま、立ち尽くし続けた。
 「ランス様──」シルヴァナがデュラックに囁いた。
 老騎士は首を振った。「連れてゆくのは打算だと言ったが、もはやそれもわからぬな。味方にならなければ殺すと言ったが、もはやわたしの剣では、少なくとも彼女の”剣”の部分を殺すことはできぬだろう。彼女を連れてゆくつもりか殺すつもりか、わたしの判断には、もはや何も意味がないわけだ。つまりは、すべては彼女の判断か──」
 デュラックは断崖を前に立ち尽くす紅葉を振り返り、
 「彼女自身の判断に意味があるのか。あるいは、我らも彼女も、クロム神の手のうちで踊らされるに過ぎないのか。どの結果に出るかは、辿り着いてみなければ、わからぬのであろうな」





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