イェンダーの徴: かみ殺しのチェーンソー







 1

 かみはバラバラになった、と、村人は二人連れにそう説明した。
 老騎士と貴婦人の二人連れは、その現場に赴いた。村人のうち何人かが、その現場の周囲に集まり、遠巻きにしていたが、二人連れがそこに近づくのをとがめる者もいなかった。その老騎士と貴婦人のような姿は、決してこのような辺境の村では見慣れたものではないにも関わらず。
 村の中心付近のそこには、確かにバラバラになった神が転がっていた。長身の人間、古代ローマ風のトーガをまとっていた姿と思われ、細部の造形から考えても、もとの形をなしていた頃は、いかにも神々しい姿であったと思われた。しかし、全身が文字通りばらばらにされて、その場に放り出されていた。老騎士は物怖じもせず、その人体(のような骨肉を備えたものに、少なくとも一見すると見える)の切断面を、ひとつひとつの部品についてあらためた。すっぱりと、容赦なく(すなわち躊躇された様子がなく)、まっすぐに切断されているが、切り口の切断のしかたそのものは、何かぎざぎざの刃を用いて挽き切ったかのようだ。神の血にあたる霊液(イコール)は若干残っていたが、何日も経っているのか、おおかた大地に流れ出ていた。一方、腐食や劣化を経ているようには見えない。
 落ち着き払って死体を検分しているように見える老騎士を、頼りにできると思ってか、村人の一人、おそらくは村でもそれなりの地位かもしれない、年配の男が声をかけた。
 「”それ”を……これから、どうすればよいのでしょうか」
 「わからぬ」老騎士は転がった断片の傍に膝をついたまま答えた。「この死体は、そのうち消えるのかもしれぬが、神は不滅である、とすれば、永遠にこのままかもしれぬな。どこかに埋葬したいのならば──人間が神を”埋葬”することに意味があるとは思えないが──そうしたいのであれば、止める理由もあるまいな」
 老騎士はそう言って立ち上がり、その声をかけた村人を振り向いたものの、この村人らがそうすることはあるまい、と思えた。自分達の神が死んだこと、いや、”何かの生命が失われたこと”にすらも、無気力、無関心のような空気が漂っており、たまにこの周りに集まっている人々も、この年配の村人も、せいぜいが死体の扱いに困っている、といった風でしかない。人々は生死というものに対する意識、信仰心、ないし、儀式や習慣なども忘れているようだった。神が死んでいるのを目の当たりにしたことが、そういった影響を与えたのか、いや、それとも、実際に”神が死んだこと”そのものによってそれらが信者の心から消滅してしまったのか。
 ──失われたのはそれだけではない。たとえどんな矮小な”神”であろうが、神が果たしていた役割を失ったこの世界は、もうすぐ滅びるだろう。正確には、世界自体は消滅しないにせよ、人間がまともに生きられる世界ではなくなる。なぜ老騎士がそれを確信するかといえば、二人連れがここしばらく見て来た幾つかの、神が殺された世界が全てそうなっていたからだ。
 「村人が、あのまま困っているのであれば」村の広場を離れ、林の中の小道を歩きながら、貴婦人の方が老騎士に言った。「あの死体を、<アストラル中継界>に廃棄するという方法もあったかもしれません」
 それは、魔術師らの間で、しばしば神々の死体が浮かんでいるとされる虚空の名だった。
 「それも悪くはなかったかもしれぬが」老騎士が歩きながら答えた。「それであの村が何か変わったとは思えぬな」
 そして、しばらく押し黙って歩いてから、再び口を開いた。
 「”徴”だ。──あの切り口は、やはり”徴”を持った、あるいは持たされた者の仕業だ」
 老騎士は長身で非常に逞しく、挙措にも声色にも老衰を感じさせるところは全くなかったが、白髪といい刻まれた皺といい、初老どころか、老境に踏み入って久しい齢なのは確実だった。軍馬の姿は見えず、二人ともが徒歩だった。老人の装具は無数の傷や凹みがついた、何世紀と使い続けたのではないかと見える鎧だった。鎧の下の胴着も色あせているが、かつては緑色だったのではないかと思える。背には盾、腰には禍々しい形状、斧か翼のように広がった鍔を持つ拵えの長大なカオス・ブレードを佩いていたが、老人はそれらの装備が重荷と見えるでもなく、堅実な足取りで徒歩の行を続けていた。
 「追いますか」貴婦人が尋ねた。揩スけた、と表現するのが実に相応しい妙齢の婦人で、繊細な造形に、くすんだような赤毛と、淡い碧眼を持ち、銀糸で織ったケープを羽織っていた。「すでに近くには来ています」
 「見つけ出さなければならぬ。”徴”の使い手を味方につけなければならぬ」老騎士は答えた。「つけられないのであれば、必ず殺さねばならぬ」
 やがて、二人連れは村からかなり離れた、静かな林の中で歩みを止めた。
 貴婦人が香を焚き、そして、木々の間の地面に粉でなんらかの紋章をえがくと、紋章に沿って”光の柱”のように見えるもの、<門(ポータル)>が現われた。老騎士と貴婦人がためらわずその中に歩み入ると、その姿はにわかにかき消えた。あとには婦人の祭儀の跡も、それどころか騎士の鉄靴の重い足跡すらも、かれらの痕跡といえるものはこの世界には何一つ残っていなかった。


 老騎士と貴婦人が足を踏み入れたのは、やはり林の中ではあったが、さきまでの光景と似ているのはそこまでだった。やや高度が高いのか肌寒く、傾斜が強く岩がちな地に、針葉樹が目立つ。湿気はかなりあるが、日差しは強くない。
 「南欧ではない。東洋だな」老騎士が言った。「それも東端か。わたしも滅多に訪れたことはないが、目にしたことがないわけでもない」
 老騎士は足を止め、再度見回してから、
 「先までとはかけ離れた場所に出たようだな。……よく似た世界に移動するのではないのか」
 「わかりません。わたくしの呪文では、<門(ポータル)>は隣接する並行世界にしか届かないはずです」貴婦人が答えた。「より優先する原理が働いているようです。その”徴”を持つ者に近づいているためかもしれません」
 まもなく、木々の間に古びて半分朽ちた建物が見えてきた。いわゆる仏教寺の廃墟だった。廃寺は一見、何の生き物の気配もないように見えた。が、老騎士はそのどこかに、自然の風や動物の動き以外を感じたのか、ためらいもなくある一角に近づいていった。
 軒下に、膝を抱えて、そして大太刀も一緒に抱えた少女の姿があった。老騎士と貴婦人が近づいても、そちらに目をやることもなかった。
 身なりは白い修験者の装束に似ていた。これも一見すると東洋、極東の島国の民のような造形だったが、艶の無い髪は色素も薄く、黒よりも灰色に近い。短く切られた後に半端に伸ばされているといったようでざんばらに近い。目は赤みがかった茶色だった。その瞳は半分開かれているが虚ろだった。うずくまったまま、寒さというよりは、何か瘧のような身の裡からくるような震えを全身で続けていた。
 抱えている大太刀は鞘に入っており、拵えとしては陣太刀だが、かなり反りが浅く、身幅が広く長大さから考えて相当な重さに見えた。貴婦人はその剣を見て、何か強い光でも目に入ったように反射的に瞼を伏せた。
 老騎士は突然に尋ねた。「このあたりの世界で、神を殺し続けているのは君か」
 少女は目を上げず、しばらくは震え続けていたが、やがてうなずいた。またしばらくしてから、「そうです」とも答えた。応答を躊躇していたというよりは、動いたり口を聞くことが、相当な努力を要するとでもいうような様子だった。
 「わたしはデュラックという。ランスロ・デュ・ラだ」老騎士の後の方の名乗りは全く違う言語らしく、あるいは老人の生国の本当の名がそちらかもしれなかったが、聞き取ることは非常に困難だった。ついで、老騎士は貴婦人の方を示し、「こちらは、”銀糸のシルヴァナ”だ。……見ての通り、我らは、ただの老いた放浪騎士とその連れだ」
 老騎士デュラックはそのまま、軒下で震える少女の姿をしばらく見下ろしていたが、
 「そこから出て、火にあたろう」
 「火にあたっても、暖まりはしません──」またしばらくして、少女がかすれた声で応じた。
 「それでも、多数聞くことがある。わたし自身は老骨を冷やしたままで長話とはゆかぬのでな」
 貴婦人、シルヴァナが、湿って樹液の多い針葉樹の枝に、簡単なまじないで火をおこし(それは世界によってはかなり行使が制限される行為か、少なくとも、非常に大義ではあるのだが、シルヴァナは粛々とやってのけたように見えた)二人連れと少女は焚火の傍らに掛けた。
 「名を聞いてもよいか」老騎士は鎧姿のまま、カオス・ブレードを傍らに置いて言った。
 焚火側でも膝を抱えたままの少女は、火の方だけを向いて、かなりの間、目をしばたいただけだった。が、
 「紅葉、と呼んで下さい」呟くように答えた。「……名を知らずに、どうやって私を探し出したのですか」
 「こちらから聞くことが多数ある、と言ったはずだが、まあよい。長くなるが、こちらの知っていることから先に話そう」
 老騎士は、さきほどからの少女とのやりとりに頻繁に入る『間』をものともしないところからは、相当に辛抱強いようだった。
 「”徴”をもとにして、その痕跡を辿ってだ。君のその剣は、”徴”だな。強大な魔力の”徴”に操られて、君は殺戮を繰り返している。そういうことだ」
 少女、紅葉は薄目だけを、自分の抱えている大太刀に向けた。





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