イェンダーの徴: デルファイの隅の人馬像







 3

 「のう、そもそも犯人はあいつ、あの北方筋肉女じゃろうが!」オラクルが両腕を意味不明に振り回しながら(リゼには、どうやら何かを強く訴える助けの仕草なのではないかと思えた)背伸びしてアルテウスを見上げ、必死でわめきたてた。「迷宮探検家の連中に請求するのが、このさいの筋であろうが!」
 「やつらに請求しても支払能力なんてないと思うぞ」リゼが口を挟んだ。
 「さきも言ったが、あの者らのやること、迷宮探検家の馬鹿げた振舞で発生する諸々の災害は、大半はあの者らの単なる無知による事故だ。怪物が暴れて壊したのと同じだ。それを含めて、信託のための寄付をあてる、元々そのために神託とひきかえに寄付を募ることが認められている」アルテウスも重々しく答えた。「それが、デルファイの神託所を設置したときからの取り決めなのだ」
 「なるほど」リゼはアルテウスの説明に得心したように神託所を見回した。
 一方、オラクルはがっくりと肩を落とした。
 「わしの蓄え……寄付金……のう、せめて……その……できるだけ安く像が手に入るところはないものかのう……」
 「そりゃ『ケンタウロス像』なんてわざわざ作るやつも少ないだろうからな。少なくとも、人間や妖精や神々の形の像と比べると圧倒的に」リゼが考え込んで言った。「その、ケンタウロスを大事にするアスクレピオスの徒弟らは除いてさ。かといって、その連中にだけは知られたくないんだろう」
 オラクルは頭を抱えたままだった。アルテウスもそれ以上答えない。
 「──人間が人型の像を大量に作るのは自分が人型だからだよ。人間は人型をしてるから、像も人型だ」リゼが考えこみながら言った。
 「何を言っとるんじゃ」オラクルが頭を抱えたまま、ぶつくさと言った。
 「てことはケンタウロスはその形の像を作るだろう。ケンタウロスばかり住んでいる土地に行けば、人や妖精の住んでる土地よりは、そういう像が落ちてるかもしれない」
 「ケンタウロスばかり住んどる土地じゃと」オラクルが頭を抱えたまま言った。「あるわけないじゃろそんな土地が」
 「《祭界山(オリュンポス)》のケンタウロスの集落、あるいは《猟野界(ハンティング・グラウンド)》にあるのかもしれないけど──」
 「なるほど理屈ではある」アルテウスが言った。「実際のところ、《祭界山》にはかれらの種族の住む山野が幾つかある。アスクレピオスの徒弟らに特に関係のない人馬部族というものも住んでいる」
 「知っておるのか!?」オラクルがアルテウスを見上げた。
 「《対峙の中枢(コンコルダント・オポジション)》の次元界よりは先に、《祭界山》に一度戻って、そのケンタウロス郷を訪れる価値はあるかもしれぬ」アルテウスは頷いて言った。「ただし、そのケンタウロス郷でも、ある程度旅をすることにはなるだろうし、おそらく購入の資金は要るだろう。ある程度は資金や物資は持ってゆけ」
 「無料でその日帰りで持ち帰れるのを期待したいのじゃがのう……」オラクルがうめいた。
 が、結局のところ、アルテウスのその用心は効を奏した。というよりも、実情は彼の予想をも遥かに上回る苦境に放り込まれる結果となった。



 三者は《祭界山(オリュンポス・プレイン)》の片隅にある”ケンタウロス郷”に、『アリアドネの糸』を発動して転移した。
 『アリアドネの糸』は、アルテウスが首に下げている宝石で、アルテウスとリゼがさきに《祭界山》と”運命の大迷宮”を行き来した時にも使用した転移の魔遺物だった。少なくとも、それを用いてデルファイとオリュンポスの間のポータルは開くことができた。『アリアドネの糸』は、糸という名ではあるが宝石である。透明度の高い、不規則な断面の、指先ほどの小さな破片(宝飾品のようにカットされていない)の中に、もつれたような模様が封じ込められている。模様はそれ自体がわずかに光を反射する。これが糸とか糸巻とか言われる所以であるとは思われるが、リゼには、要は”イェンダーの徴”が埋め込まれているのがわかった。それが、この宝石に次元界を──《祭界山》から”運命の大迷宮”まで転移することができる機能を与えているようだ。
 リゼは、何となくその宝石を、かつて『審判の宝石(ジュエル・オブ・ジャッジメント)』について聞いた話に似ていると思った。”徴”の刻まれた物品の中でも、多元宇宙の配列を形成したというその品については、リゼは直接見たことはないものの、魔法使マールの弟子のひとりコーデリアが持っていた書物の図面に示されていたのを見たことがあり、その記憶の範囲の中だけでも、よく似ていると感じる。
 かれらはケンタウロス郷を訪れ、半日ほどを見て回り、早い話が、像が手に入りそうな箇所を探して回ろうとした。
 が、詳細は省略する。結論から言ってしまうと、暴れ者のケンタウロスらの中では、芸術作品やら作者など、探すどころの騒ぎではなかった。



 さきのオラクルの言葉通り、《祭界山》の住人は人間(セレスチャル・ヒューマン)ですら常に酔っぱらっているようなものだが、ケンタウロス族というのはその人間とすら比較にならないほど刹那的かつ獰猛な気性であった。無論、《祭界山》の原住人はすべて<混沌にして善>であり強い善性を持つが、善性悪性と気の荒さは、必ずしも同じ問題ではない。その意味は、おそらく《祭界山》の住人やひいては支配者らをじかにその眼で見なければ本当の意味では理解できないだろう。そして、リゼはそれを嫌というほど理解させられることになった。
 ケンタウロスどもの大半は荒くれ者で、しかも、半分は常に発情していた。……リゼら三者は探しながら間断なく争いごとに巻き込まれた。襲ってくるケンタウロスは、アルテウスがあるときは交渉、あるときは威圧、あるときは腕力でことごとく撃退し、アルテウス自身も無事とはゆかずとも、少なくともオラクルには指一本触れさせなかった。
 その一方で、リゼは自分で身を守らざるを得なかった。不可能ではなかったが、惨憺たる有様となった。
 かといって、リゼだけは他の二人と違って《祭界山》出身ではないので、この土地で二人と離れ離れになれば、右も左もさっぱりわからない。《祭界山》は上方次元界とはいえ、このケンタウロスの丘以外にも、とうてい安全とはいえない過酷な自然の次元界である。となれば、なんとしてもアルテウスとオラクルからは離れないように必死で同行するしかない。
 ともあれ、半日ほどの探索、というよりほとんど逃亡行の後、一行は《祭界山》の中腹の一か所、洞窟に逃げ込んで難を逃れていた。
 「像も作り手も見つからぬのぅ……」オラクルは洞窟の石に膝を抱えて座り込み、旅装備を入れた『保存の鞄』からオレンジの残りを取り出しながら、ため息をついた。「日帰りで持って帰れればいいと思っておったのにのう……丸一日かけないとだめかのぅ……」
 「なにが丸一日だ。これ以上続けられるもんか」リゼが咎めた。
 リゼの革鎧はあちこちがちぎれて包帯で補修してあったり、かなり肝心な所が破り取られて、包帯でかわりに覆ってあった。包帯のさらに隙間から見える肌も、擦り傷や打ち傷だらけだった。といっても、別に暴力をふるわれたわけではない。”発情”している四足の屈強な集団の手から逃れ出てくる、その過程でこうなっただけである。
 「それほど容易に見つかるとは思わなかったが、これほどの難儀は予想外だった」並んで洞窟に座り込んでいるアルテウスも、打ち傷擦り傷だらけだったが、リゼよりはかなり軽い。理由は能力差の他に、威圧力、土地勘による立ち回り、性別(じかに人馬らが発情する対象か否か)などのさまざまな要因があると思えた。
 「《祭界山》のケンタウロスは生来の気性は荒いものだとかは、話には聞いておったのじゃが」オラクルは、リゼの姿を見ても平然と言った。「わしが普段会うケンタウロスの一族は、どれも”大迷宮”の礼儀正しい薬師の徒弟らだからのぅ……ここまで差があるとは予想外じゃったわ」
 アスクレピオスの叡智に触れた徒弟らは聡明だが、かれらはケンタウロスとしてはむしろ例外的な種族であり、ケンタウロス自体は非常に気性の荒い種族だという。
 「予想外で済むか! 騎馬部隊の数と速力のやつらが『馬並のやつをぶちこんでやる』とか叫びながら突進してくるんだぞ。生きた心地もしない」
 「それは単なる”戦のおたけび(バトルクライ)”のお決まりの台詞であって、言葉通りの意味でも、まして意味深なものとかは特にないものじゃと思うがの」オラクルは幼い声で平然と言った。
 「人間が挑発で叫ぶのと、間違いなく本当に馬並のやつを持ってるやつらが言うのとは迫力が違うんだよ」リゼが反駁した。
 と、洞窟の奥から近づいてくる気配があったので、リゼはきまり悪そうに眼をそらし、口を閉じた。
 「やれやれ、えらい災難でしたのう」奥から替えの包帯や食品を抱えて、ゆるやかな蹄の音と共に現れたのは人影、ではなく、人馬影である。この洞窟の本来の住人である、老ケンタウロスだった。一行を招き入れてある程度介抱、もてなしてくれたこの人物(人馬物)は、その高齢のためなのかそれとも他の要因なのか、オラクルやアルテウスによると、どちらかというと馴染んだ薬師の徒弟らの方の理知的なケンタウロスの物腰に近いという。リゼは薬師の徒弟のケンタウロスなどというものもよく知らないが、少なくともこの老人馬は、オラクルはもちろん、いまやかなりの服が破り取られてあちこちの肌と体の線がかなりいいところまでむき出しのリゼに対しても、”発情”しているようには見えない(少なくとも、現状では)。
 「我らの種族の若者どもは日夜時節を問わず、あのような気性でしてな。……しかし、差し出がましいようじゃが、怪我をしたくなければ、他の種族の方々が無闇にこの土地に近づくべきではないかと。馬よりも早い脚か翼を持つのであれば別としてじゃが……」
 「もてなしのみならず、忠告かたじけない」アルテウスが老人馬に頭を下げた。「が、我らがこの地を訪れた目的を、達するか、或いは達せない目途が明らかになるまでは戻れぬ」
 「のう、ご老体、このあたりにケンタウロスの彫刻家はおらぬかの」オラクルが老人馬にたずねた。
 「さてのう、彫刻。そういう風習はございませぬわい。ここの人馬の郷、さらに、《祭界山(オリュンポス)》の隣の《猟野界(ハンティング・グラウンド)》にも、ケンタウロスの守護神らの済む本国がありますのじゃが。どちらに、彫刻など作る者も、そのようなものが据えられていた場所も、覚えがございませぬ」
 老人馬は特に考え込みもせずに、当然のことのように答えた。
 「我らの種族には、あの若者らを見ての通り、さような落ち着いた気性の者はおらぬし。ごくまれに考え深い者が、薬師の徒弟になるために皆立ち去るのと同様。何かを作る、などという気を起こす者は、アポロンの神殿の芸堂に誘われて移り住んでゆきますの。このようなやかましい土地に残ることはございますまい」
 「なるほど……」リゼがうめいた。もっともな仕組みである。ますますアポロン神殿以外には、ケンタウロスの彫刻家もおそらく彫刻も、ほぼ存在しないことがわかったが、かといって、彫像を破損したオラクルの不始末をわざわざ知らしめる羽目になるアポロン神殿に行くわけにはいかない。
 「人馬の彫刻といえば」と、老人馬が突如思い出したように、オラクルを見下ろして言った。「ひょっとして、貴女様、デルファイの賢者様、預言の巫女様ではございませぬか」





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