煉獄の行進








 13

 カイトがやがて我に返り、なんとか樹エルフらの野営地にたどりついた時、かれらは騒然としていた。樹エルフの馬車の近くに、ルーミルら、各隊商から来たとおぼしき各種族の人々、アスタや、さらにパラニアや双子らも集まっていた。何か重大な支障が生じ──それは、自分の知っている原因に関係があるのではないかと思えた。やがて、すぐにその通りだとわかった。
 「この野営地は捨てなくてはならん」パラニアが、カイトが戻ってくるのを見て言った。「冥王軍に見つかった。オークやオーガが襲ってくる」
 カイトはうなだれながら、自分たちと冒険者パーティーらの間に何があったか、すべてを話すしかなかった。どのように魔法戦士や神術士たちと会話し、自分が誘われた話に乗って同行し、どんな経緯であろうとかれらがオークやオーガ群の前衛隊に突撃し、それがどのような結果になったか、何もかも話すしかなかった。
 今の野営地の状況は、カイトが予想していたような、あのオークやオーガの一隊が、そのまますぐ襲ってくるというのではなかった。それよりも、なお悪い話だった。あの一隊は改めて準備を整えて、この近くの冥王軍のオーク、オーガ、さらにこの曇り空を利用して、もっと光に弱いトロルまでもが大挙して襲ってくるというのだ。樹エルフの一群のような、かれらにとって見逃せない戦力までもが存在すると知り、また、モリバントと他の勢力の通商の中継地にあたっていることも気付かれたのだろう。
 「このあたりに、オークの軍勢は無いって言わなかったか……」カイトは言った。
 「もっと北の旧魔国が、軍勢ごとモリバント側に移動してはいない、と言ったのだ。まとまった軍勢以外にも、この”鉄獄”の次元世界じゅう、そこらじゅうに常に冥王軍の手勢、協力したり動く勢力はいる。だから常に隠れ潜まなくてはならなかったのだ。言ったはずだぞ」パラニアが言った。「が、このあたりの軍は、旧魔国の丘オークではないが、その『オーガの首領』が旧魔国の戦将だった、というのは重要だな。それは気になる」
 「オレが……あの場所からここに逃げてきたのが、あとをつけられたのか!?」カイトはかすれた声で言った。
 「これからそうなるかもしれないけど、今はまだ早すぎるでしょう」アリスが肩をすくめた。「あんたのお仲間の、冒険者集団とやら、ここから出かける時に、野営地から敵の位置までさんざん足元を踏み荒らして、ごていねいに敵の所からここまでわかりやすい道を作ってくれたわ。……もっとも、それが無かったとしても、冥王軍の斥候や呪術師の腕なら、あんたたちの襲撃だけで、近くに野営地があるって見当さえつけば、こんな規模の隊商を見つけるくらい、いとも簡単だけど」
 「オークを倒せないのか!?」カイトはパラニアに言った。「あんたや、あと、ルーミルとかは、オークとかとは戦える力があるんだろ。あんたは前に……『辺境の地』で、オークを斬ってたじゃないか」
 「数の差がありすぎる」愚問でしかないそのカイトの問いにも、パラニアは答えた。「軍など止められん。抵抗して、一部が逃げる手助けをするのがせいぜいだ」
 「逃げられるのか……皆は……」
 「それを話しているところだが」パラニアは言った。「すでに立ち退く準備は始めているが、荷馬車や馬、荷物の大半は捨てていかなくてはならないだろう。そして、散り散りに逃げるしかない。ただでさえ個々の抵抗が弱くなる分散などしたくはないが、散ってあちこちに向かえば、『全員が確実に全滅する』という結果だけは何とか免れるかもしれない、という段階の話だ」
 カイトは頭をがんと殴られたような気がした。
 「遂にやってくれたな」今までカイトの語り、パラニアとのやりとりを我慢して聞いていたとおぼしきアスタが、立ち上がって言った。「いつか必ずやらかすと思っていた。お前達、高レベル冒険者とやらが、自分達が破滅に突っ込んでいくだけじゃなく、他人まで必ず犠牲にするってことをな。──それでも一向に構わないってわけか? 一般人なんて、いくら死のうが自分には関係ないか?」
 「それはオレが……オレが言ったわけじゃない……」自分が語った、だが死んだ魔法剣士の言葉を引き合いに出されたことについて、カイトは言った。
 「本当にそうか? 現にお前がやったことは、それを言ったやつと同じじゃないと言えるのか?」アスタは言った。「お前達のやることで一般人に危険が及ぶのかどうか、その結果がどういうことになるのか、お前はそれを充分にわかった上で、あいつらと一緒になって敵に突撃しようとしたのか?」
 アスタは言葉を切り、しばらく包帯の下の目でカイトを凝視したが、
 「……戦闘力のない一般人が存在する価値がないだと。弱いやつはこの世に何の役目も果たしていないだと」アスタは絞りだすような低い声で言った。「カイト、お前が日々、そうやって、生きていられるのは何故だ。毎日、ものを食ったり、そうやって息をしていられるのは何故だ」
 「高レベル冒険者だからだ……自分で生きていられる能力があるからだ……」カイトは必死に言った。「強いからだ!」
 「ふざけるな!」アスタの声は火傷でしわがれていたが、魂の底から響き出すかのようにカイトの耳を打った。「そのお強い高レベル冒険者様は、何も食わず何も飲まず何も着ずに日々生きられるのか。雨や外敵を遠ざけて安心して眠れる宿りに、一日も休んだことがないとでもいうのか。誰かが作った橋も、誰かが作って動かす船もなしに、水の上を何か月も歩いて旅ができるとでもいうのか。毎日、お前が生きていられるのは、この世界にどんな人々が存在しているおかげだ!」
 「冒険者なら……一般人になんか頼らなくったって、モンスターを倒して奪ったって、金でも道具でも何でも手に入れられるだろ!」カイトはかすれた声で叫ぼうとした。
 「その金や道具は元々は誰のものだったんだ。モンスターとやらが人々から略奪する前は誰が持っていた、誰が作った! 金を使って手に入る物や労力、それを提供しているのは誰だ! 通商で運ばれてきた物を手にすることができるのは、一体誰のおかげだ!」アスタは隊商を指さして叫んだ。「一般人が誰ひとりいなくなっても、それらが自分の所に勝手に転がり込んでくるとでもいうのか! 人々に、この世の他の存在に何も頼らずに、お前の手に入るものなんて何ひとつとして無い!」
 カイトは歯を食いしばり、「……他人の役に立ってない、奪うだけのゴロツキどもとかの一般人だっているだろ……」
 「えり好みか? 『戦闘能力のない一般人』全員に値打ちがないとかひとまとめにしておきながらか? いいだろう。他の人々の役に立っている者も、立とうと努力している者も、立とうとしてできない者も、それらの他の者に頼り切って最初から他人の役に立つ気もない者もいる」アスタは言い、「そして、冒険者もだ。ルーミルみたいに、ひとりでも人々を助けようとして、その役に立っている戦士たちもいる。悪漢を自称する王族どもみたいに、最初から奪うだけ、世界に寄生するだけを自覚している者もいる。……そしてお前達みたいに、自分中心のすぐ見える所だけが全世界だ、だから世界を動かしてやってるのが自分達だけだと自惚れて、本当に世界を支えている一般人に犠牲を出すような冒険者もな! お前達こそこの世界で、何の役割も果たしていない。それどころか、明らかに人々のためになっている隊商の一般人を、今から死に追いやろうとしているんだ!」アスタは野営地の方に手をふりかざし、「お前達にこそ、この世で何の価値もない。お前達の方こそ、この世に存在しない方がましだったんだよ!」
 しばらくの沈黙が流れた。隊商の人々、ルーミルやパラニアも話し合いを中断し、アスタを見ていた。
 「それなら……だったら……」カイトはようやく再び口を開き、低く言った。「あの魔法剣士たち、冒険者パーティーたちが自滅したのは……当たり前だとでも、仕方がないことだとでもいうのかよ!?」
 「自滅だと。仕方ないだと」アスタは低く言った。「この午に及んでまだ、自分以外のせいだとか信じ込んでるようだな。いいや、あいつらの自滅なんかじゃない。あいつらが死んだのも、野営地の人々に犠牲が出るのも、カイト、全部お前のせいだ!」
 カイトは絶句した。目を見張って、アスタの醜悪な傷だらけの面相を凝視した。


 「お前は知っていたんだろう? 自分がオークにも、オーガにも勝てないことを。だったら、自分と同じ世界から来た、高レベル冒険者とやらの能力じゃ、この次元世界のオークやオーガには一切歯が立たないこともな。なのに、お前はあいつらを止めなかった!」
 「そんな……オレも、あいつらと同じで……あの敵がそんなに強いなんて……知らな……」カイトはかすれた声で言った。そのはずだった。簡単に倒せると思ったからこそ同行したのだ。
 「あいつらと同じか? だったら何故、お前一人だけは同じ結果になっていない? 本当は勝てないと知っていたからこそ、自分は敵に直接向かって行かずに、今、オーガの首領からも、そうやって一目散に逃げて来たんだろう? ……いいや、お前は知っていたはずだ。現にオークやオーガを倒せなかったのを、前から自分で体験してきたんだからな」
 アスタは言葉を切り、
 「なのに、カイト、お前はあいつらがオークやオーガを討伐に、下手に刺激に行こうとする時には、それを本気で止めようともしなかった。それどころか、喜々として同行して、隣で同じことをしようとしていた。──あいつらを死に追いやったのはお前だ! そしてこれから間もなく、この野営地の全員もな!」
 「それは言いすぎでしょう」アリスが遮って、アスタに言った。「止めなかったり同じことをした一人ではあっても、カイト一人だけが全部の原因じゃないわ。あの冒険者らの先輩だか何だからって、カイトに止める責任まであったわけじゃない。──それくらいにしておきなさいよ。誰かを責めたところで、今のこの事態は何も好転しないわよ」
 「そうか、今までもそうやって、この男の失態をその時ごとに止めもせずに放置してきたわけだな」アスタがアリスを見下ろして言った。「それがこの結果、『今のこの事態』とやらだ!」
 やはり、野営地に着いた頃に、カイトのこれまでの有様をすっかりアスタに話し、そして厄介を呼ぶかもしれないと警告したのは、アリスのようだった。
 「私達が止めたり、あえて失態を思い知らせるまでもなく、カイト本人が、その行動のせいでさんざんな目にあってきたわ。なのに、自分は高レベル冒険者だとやらの根拠以外は、あらゆる見ることも聞くことも一切信じやしなかった。『毛むくじゃらモルド』さえ、見た通りや自分で毒を食らった通りのことを何も信じようとしなかったのよ。自分じゃオークを倒せないってことは、間違いなく『知って』はいるけど、受け入れてもいない、『理解』なんてできちゃいない」アリスは低く言った。「そんな目に自分であってきたカイトでさえ、最初はそうだったんだから──今は違うのかは疑わしいけど──まして、あの冒険者達とやらが、もしカイトが本気で止めたとしても、信じたり聞き入れたとはとても思えないわよ。それに、もしカイトがここにいなくたって、あの冒険者集団だかがやったことは、間違いなく同じだったわけでしょう」
 「それは言い訳だ!」アスタはアリスに言った。「知っていたけど理解できなかったから黙っていた。どうせ止めても聞かなかった、だから知っていても止めなかった。しかも、一緒になって同じことをした。それで、死んでいく人々が許してくれるとでも思うのか。……オークは弱いとだけ信じ込まされて、冥王軍に皆殺しにされた世界の人々が、そんなやつを許してくれるとでも思うのか」
 アスタは言ってから、アリスにもカイトにも向かってでもなく呟いた。「……他の誰が許したとしても、俺は決して許さない……」
 しばらくの沈黙が流れた。野営地に小雨だけが振り続けた。
 カイトは呆然とアスタの横顔を眺めていた。その風貌と、その上に加えられた凄惨な傷跡の数々を眺めていた。……手っ取り早い言い方をすれば、カイトの方の世界、元いた世界のそのすべての要素は、単純な、柔和な線だけでできていた。一方、ここの”鉄獄”の世界に来てからは、目に入る世界の要素は、何もかもが荒々しい乱雑かつ粗雑な線でできている。そして一方、アスタのこの風貌の造形から感じられるのは──おそらく、アスタの方の世界、その元いた世界はむしろ、カイトの方の元いた世界よりも、さらに柔和な丸い線ばかりでできていた。その線、アスタの風貌に与えられた傷は、まるでこの”鉄獄”かそれに近い世界の要素が、無理矢理に乱雑な線を描き加えたようだった。その齟齬のあまりのいびつさ、無残さが、カイトには想像もつかないほどの、アスタの傷の深さ、心身に加わった歪みの大きさを感じさせた。


 パラニアが、ルーミルと何言か(カイトの知らない例の言葉で)話してから、立ち尽くすアスタとカイトらの方に戻ってきた。
 「このカイトを野営地に連れて来たのは、わしの責任だ」パラニアは、アスタに言った。「皆を逃がす間、わしはできる限り、ここに残って食い止めよう。もちろん、エルフの戦士一人分をこえるような働きなどはできはしないがな。……だが、連れ達はいくらなんでもその防戦には耐えられん。隊商と同様に、先に逃がすことは赦して欲しい」
 「それはやむを得ないだろう」アスタは答えた。
 「聞いた通りだ」パラニアが双子を振り返って言った。「おまえ達は先に逃げろ。わしはしばらくここで食い止めてから、後を追う」
 背後で話合いをまとめたらしい隊商の人々は、すでに去り始め、逃亡や防戦のために動き始めていた。あの銀灰の巨人、ルーミルは、弓を背負って立ち去る前にカイトやパラニア、アスタらを見下ろしたが、カイトを見る目にも蔑みや憎しみはなく、その石を繊細に削ったような眉目が、何か悲しげに見えただけだった。
 「オレも……オレも残って戦わせてくれ!」
 カイトはようやくのことで、必死に声を上げた。





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