理力の剣






 「ふーむ」都の”武器匠”の水庵が煙管を口から離してまで嘆息したのは、
彩が性能を計ってもらおうと出した新しい剣ではなく、それまでに持っていた
剣の方を、その目の前に置いた時だった。「こりゃ面白いねえ……」
 今までの方の剣は、拵えは陣太刀だが、刀身は異様に腰反りが高く、身幅が
不均一に見える不自然な曲線をおびており、その反りの流れに沿ってつねに動
いているような奇妙な錯覚を与える不気味な銀色を反射する、様式・由緒の皆
目わからない剣だった。
 水庵は着流しの袂から伸びる枝のような、骨ばった手を出し、古い銀の剣の
方を手にとった。剣を立ててかざし、しばらく刃をあらためてから、不意に、
手を一振りすると、その銀の流れが水抜きに吸い込まれるように、剣そのもの
が虚空に消えた。彩が息を呑む間もなく、水庵はその手を横にかざし、──何
かを引っ張り出すようなその仕草と共に、ふたたび銀の刃が虚空からゆっくり
と現れていった。それでも刃はゆらゆらと流れのように揺らいでいるように見
えたが、水庵が剣を立てると、少なくとも元通りの反りをおびた刀身に戻った。
 彩は黙ってその剣と、ついで水庵を見比べた。それは以前から自分が、その
剣に対してできることだったが、他者、ことにその剣をはじめて握った者に、
可能なこととは思っていなかった。
 「しかるべき"習熟"ってやつがあれば、誰でもできることなんだがね」水庵
は痩せた頬の輪郭をなぞりながら、彩のその心中を透かし見たように言った。
「これがどういう得物か、……おおまかな力や、その種類の銘(ブランド)は知
ってても、それが正確にどういう原理や効果か、知ってるかね?」
 「いえ」彩は答えたが、水庵がさきの彩の反応を見れば答えるまでもないこ
とではあった。ずっと使っていた剣ではあったが、詳しいことは──というよ
りも、その剣について自分以上に”何か詳しいこと”を知っている者がいるこ
と自体を、予測もしていなかった。
 「これは、虚空(アストラル間隙界)に浮かぶ街を作ってる、とある少数部族
の作る武器と同じもんだ」水庵は銀の剣を机の上、彩に近い方に戻してから言
った。「連中がそのすみか、"想像力"だけが働く虚空で使うためなんだがね、
想像力をじかに刃の形にすることも、”魂の緒”をじかに切断することもでき
る。まあ難しいことを抜きにすると──」水庵はそこで言葉を捜し、「『理力
の武器』てことだ。理力を力にするだの、精神を撃つだの、そんな与太は"王
族"軍とかに呼び出された”自称勇者”どもの所にいくらでも転がってるが、
実際に言葉どおりにそれができるって得物は、ある意味じゃこの部族の技で作
られた"想いを切る刀"だけかも判らん」
 水庵は、並んでいる新しい方の剣、”殺戮”の銘(ブランド)が刻まれた巨大
な両手持ちの大剣を煙管で叩きながら、「こっちの剣なんかは、ものの数じゃ
あないな。虚空の剣の"理力"がきいた時の威力に比べりゃ……あと、その今の
弓と、その──『破邪の矢』かい?」水庵は彩の腰の矢筒から出ている矢羽の
いくつかを指差し、「それを使ったとしても、それよりもずっと強力だね」
 彩はただ矢筒を見下ろしただけだったが、内心面食らって銀の剣と矢とを目
線で見比べた。
 「……よくあるものなのですか?」しばらくして彩は、水庵がその剣に詳し
いことへの疑問から、問うた。「ある部族の剣だとして、その外にも、よく持
ち出されているものなのですか?」
 「ああ。ないわけじゃない。だが、"冥王"と、次元世界を渡る"王族"らの抗
争が始まる前はもちろん、街同士の道のりが短かかった頃には、まだなかった
代物だ。……話によると、"王族"のお偉いさんの誰ぞが、虚空から"冥王"を攻
めるために、この武器と、作る技をその虚空の部族から盗んだんだな。その時
は盗まれた武器を取り返すために、その部族もここに勢力を送り込んできたっ
て話だが……それも以前の話だな。今残ってる『理力の武器』はほとんど、元
のその部族が作った武器じゃなく、"王族"らの魔法の技で、似せて作られたも
んだろう」
 「もし──元の武器だったら?」彩が聞いたのは、単純に興味のためだった。
 「殺してでも奪い取る、てな話だな。ただ文化を盗んだ者にだけは、ひたす
ら報復する、その部族の凶悪さの話が残ってる」水庵は平然と煙管を咥え直し
て言った。「が、いまどきこの土地で、その部族の元の武器が残ってたって話
も、そいつらに襲われたって話も聞いたためしがないね。……ところで、そっ
ちの”殺戮”の剣はどうする。あんたの力じゃ二回と振れやしないが、一応威
力を調べるなら有料だよ」


 彩は[自然の秘術]の手帖の鉛筆の書付に二重線を引いて消し、別の頁からの
日取と方位とを書き加え、算じた書付を一度小声でそらんじた。手帖を閉じ、
目の前の石畳に勢いよく踵を二度続けて叩き付けてから、奏じた。「よよのみ
おやたちあしはらのとよなかつくにのみたまのみまえをおろがみまつりてつつ
しみいやまひもまをさくひろきあつきみめぐみかたじけなみまつり……」
 掌を下に向けて腕を前に回していく仕草は、気を集める際の癖になっている
だけで、巫術の術式としては何の意味もなかった。その彩の周囲の気脈が目覚
めるように波うち、それが地下迷宮へと広がっていくと共に、周囲の霊気を通
じて彩のもとにその脈と流れの交錯のさまが伝わる感覚をおぼえた。自然の覚
醒(ネイチャーズ・アウェアネス)の巫術で掴んだ周囲の地形と、霊気の凝固状
態──存在(クリーチャー)の動きを、彩は術の名残の深呼吸と共に脳裏で整理
した。
 そして彩は、なにもない虚空に手を伸ばすような仕草をした。しかし、何か
を引き出すような所作と共に、虚空からは陣太刀づくりの奇妙に湾曲した銀の
剣の刀身がゆっくりと出現してきた。それを両手でとり、下段霞に回しつつ、
やや沈めぎみの身の位をとって、彩はいましがた探知した迷宮の区画へと、自
身は霊気の乱れもほとんど発することもなく、しのびやかに進んでいった。
 ……水庵からこの剣の有用性を聞かされてからしばらくの間、彩はこの剣を
抜いて”鉄獄”の地下城砦を進むようになっていた。それまでは、彩の巫士と
しての能力なら、排除する必要のある相手はほとんど術か弓矢のいずれかで狙
えば事足りたし、実際に、相手に気づかれぬうちか、あるいは遠くから、そう
して仕留められればそれに越したことはなかった。
 彩の香取申刀流は決して洗練されたものではない。彩にとって刀法は多分に
犠牲者への一方的な留めのためで、おそらく基礎の面でも資質の面でも、今後、
勘や経験で伸びることがあっても、ある程度の境地と呼べるものに達すること
はできない類のものだった。故に剣技も、この理力の剣も、最初から持ってい
ながら、この地では有用さにおいて劣るものだと割り切っていた。
 しかしながら、ひとたび剣のみで切り進みはじめると、薄気味悪いといえる
ほど探索が進行していた。それはあまり使っていなかったその間に、この剣に
理力を与える彩の霊力が増大していたというためもあった。この剣が知覚や感
性を研ぎ澄ますことは知っていたが、あたかも霊気をじかに注ぎ込まれる巫術
より以上に、この剣は思念を周囲に及ぼす切先になるかのようだった。この剣
は精神を撃つ、同じ理力を持つ敵に有効なのだと彩はそれまで漠然と信じてい
たが、いざ揮い続けるとその実あらゆる相手に、相手の出がしらに対して中段
から正中に打ち出すという単純な喝当(かっとう)の技だけで、自然に膨れ上が
る彩の気組があらゆる敵のそれを抜き、剣の勢いとなって貫いた。
 ……彩は一帯の探索を終え、出口を塞ぎかけていた石ゴーレムを排除しよう
としていた。弓や巫術や呪禁(いずれも、こうした存在にはあまり有効なもの
はない)で戦うことしか念頭になかった頃は、探索を放棄して、敵の足の遅さ
に任せて逃走を選択していた相手だった。通常は刃どころか、槌と鏨も容易く
は通すものではない岩の塊だが、理力の剣の刃には彩の破壊の意図が文字通り
に岩をも徹さんとばかりに増幅されているかのようだった。ゴーレムの構造を
切り崩すための定まった箇所への彩の切り返しに、石の塊は気に弾けるように
次第に砕けていた。
 しかし仮に歯の立つものだとしても、丈9フィートに及ぶ巨大な石塊をとど
めるには時間と労力がかかった。……最初は気力が散漫としてきたのも、疲労
の避けられないせいだと彩は思った。しかし、切り返すうちにも、単なる疲労
のみではないことがわかってきた。銀の刃は彩の霊力を引き出し増幅し、破壊
の理力へと純粋に具現化させ、──すなわち、破壊力として「発散、飛散」さ
せているのだ。集中力が低下し、明らかにある程度より気が集まらなくなると、
突如として刃の手ごたえが堅く、重くなったのがわかった。理力となるに充分
な霊気が剣に足りなくなったのだ。
 だがゴーレムの豪腕を前にしている今、止めるわけにもゆかない。剣の形状
が思念に依存するならば、刀身が痛むことはないので、彩は気力の集まらない
状態のまま、理力のこもらない剣を石塊に叩き付け続けた。さらに倍するほど
の時間をかけて、ようやく石ゴーレムを停止させるほど、その構造を切り崩す
ことができた。
 彩はつとめて緩やかに息をつきながら、痺れる手に剣を下げて立ち尽くした。
膝をつきたかったが堪える。今まで術で霊気を消耗しつくしたことはあっても、
剣ではない。この剣ならばこうなり得ることは予想していないでもなかったが、
本当にそうなるまで使い切ったことはなかった。新たな危険を警戒し、彩はそ
の場でしばらく回復を待とうとした。
 ──が、彩の目の端、地下迷宮の通路の向こうに、灰色のしおれたような
ローブの姿が映った。彩がそれに対して何らかの判断をするよりも以前に、不
意に<次元の扉(ディメンジョンドア)>が開き、その姿は一瞬にして彩の目の
前に飛び込んできた。その転移は術式のような霊脈の動きを伴わなかった。サ
イオニック能力──”超能力者(マインドクラフタ)”である。ローブの中から、
これも灰色のざらついた肌の手と、禍々しい湾曲を描く剣とが出現した。彩を
驚愕させたことに、その剣は表面に銀色の奇妙な流れこそ放っていなかったが、
剣の描く奇妙な曲線は、抜き合わせるように上げられた彩の剣と酷似した──
明らかに同じ文化の様式によって作られたものだった。


 その術による、空間そのものに割り込むような勢いと共に敵は切り込んでき
た。咄嗟に受け流そうとしたが、『理力』のこもらない彩の剣は撓るように震
え、刀身自体に食い込まれるかのようだった。勢いを殺しきれず横鬢を削られ、
裡から頭を殴られるような疼痛が襲った。両者がふたたび身をひらくと共に次
の斬り込みが襲ってきたとき、彩は敵の剣を跳ね上げようとしたが、その彩の
剣からも、勢いも圧力も嘘のようにまるで失せていた。彩の剣は鎬の曲線に沿
って横に跳ね飛ばされ、相手の剣は彩の左の肩口から胸骨にかけて突き刺さり、
衝撃が肋の一本を確実に砕いた。
 肉体がねじ切れる痛みと衝撃は右半身まで既に突き抜けていたが、彩は右手
の先で巻物筒(スクロールケース)の中から霊符を引き出し、記された訣の出だ
しの部分を発すると共に投じた。位相の転送(ショートテレポート)の巻物が発
動し、彩とその周囲が非物質エーテルへと相(フェイズ)を転じて薄穹(エーテ
ル間隙界)に潜りこみ、瞬時に再び浮かび上がり実体化したときにはもとの主
物質界では元の足場から十数歩を離れていた。
 間髪いれず彩は神酒の小壷を取り出し、中身を一気にあおった。海狸香と黒
蓬で配合された”致命傷治癒の薬”の激しい異臭が襲い、しかし一瞬を置いて
その刺激が全身に染み渡るような感触と共に、わだかまる痛みと引きつりを数
千の剃刀のように千切り飛ばし霧散させ、痛覚が麻痺しているでもないのにそ
れらが消失する、毎回の不気味な感覚に彩はおののいた。
 ──虚空の部族の刺客だ。
 不快感に堪える一方で、彩の知覚がそう告げた。その”超能力者”の持つ剣
の形状がそうであり、虚空(アストラル間隙界)を経由する<次元の扉>のサイ
オニック能力、そして、今まで探知ではまるで近づいてくる気配がなかったの
が、明らかに気力が消耗し剣の『理力』が失せた今を狙ってきた──理力の剣
の弱点を知っているのだ。
 では、やはりこの彩の理力の剣は、虚空の部族からじかに奪われたそのもの
だったのだ。彩がこの剣で戦いはじめてから、刺客が差し向けられたに違いな
い、……
 いまやローブの刺客の姿は十数歩先に見えた。しかし刺客は踏み込むことも、
<次元の扉>で接近もせず、剣をおろした。刹那、彩の巫術士としての霊視力
には、無形の霊気の波動が周囲の気脈を湾曲させ弾き飛ばしつつ直進してくる
のが見えた。サイオニック攻撃、精神打撃を正面から目にするなど滅多にない
経験だが、彩にはなすすべもない。
 彩の精神そのものが、長槍で頭蓋を撃ち貫かれたようだった。血が噴出し肉
が弾け飛ぶかのように、気力・活力が飛び散り流失した。しかし肉体にもじか
に影響があった。神経系が異常をきたし、臓腑がきりきりとねじくれた。筋が
非随意に引きつり、頭皮と顔面の血管の一部が瞬時に破裂し、彩の髪と半面が
真紅に染まった。が、彩は剣をその場に落とし、矢筒から『破邪の矢』をすべ
て引き抜き、既にそれを番えた弓を引き絞っていた。「あまつみひかりはこび
のみことあらぶるまがつたまとくなぎはらいませ」
 低い唸りと共に矢が刺客の上臂に突き立った。矢はあたかも肌を焼くような
煙と弾ける音を上げてさらに食い込んでゆき、次の集中に入っていた”超能力
者”の術を、はからずも途絶えさせた。それでも刺客は残る腕の剣をふるい、
二の矢三の矢を弾き、急所から逸らしたが、その喉にあやまたず最後の矢が突
き立った。ざらついた革のような喉の皮膚がおぞましく泡立つように焼けて弾
け散り、破れた喉笛が鳴る音と共に中の空気が抜けていくかのように、刺客の
灰色のローブはその場にひしゃげるように崩れた。
 彩はその場で、全身に残る痺れと出血にうつぶせに倒れかけてから、その自
分の状態に気付き、小壷の残りの”致命傷治癒の薬”をすべて飲み下した。弓
を放り出し、両掌を汚れた石畳につき、肺と胃から穢れの大気を追い出そうと
するかのように深く粗い息を吐き出しながら、その嚥下による強烈な不快感に
しばらく耐えた。
 ……生き延びられたのは何ら僥倖のためではない。物資の準備や使用を今よ
り少しでも怠り惜しんでいれば、仮にもっと有利であっても確実に死んでいた
のだ。──しかし、決定的ではないにせよ、確実に僥倖といえたものがふたつ
あった。恐らく、それまで彩が理力の剣でばかり戦っていたのを見て、この刺
客が彩の弓矢の技を重視せず、再び踏み込まずに遠距離から神経攻撃で仕留め
ようとしてきたこと。もうひとつはこの超能力者が、『破邪の矢』に身を焼か
れ得る出身次元界ないし霊性の持ち主だった、ということだった。そこまで見
越してではなく、彩は単に他の矢よりも上質だというだけの理由で、虎の子の
『破邪の矢』をすべてこの相手に使い切ってしまった。だが安上がりだと言わ
ざるを得ない。自分はいま、次元界をまたにかけた王家・種族同士の遠大な抗
争の動機に巻き込まれ、その猛悪な種族の刺客から生き残ったのだから……


 が、ややあって、……彩は息をとどめるように、荒い息を継ぐのをやめた。
やや回復していたせいもあったが、ローブの死体に歩み寄り、見下ろした。
 いまひとつ、はたして本当に、──その部族の、その剣を取り戻すための刺
客だったのだろうか。
 その疑問は、自分程度が次元界をまたいだ刺客の標的になるなどと、水庵か
ら聞いたその部族の説話が信じられなかった、というよりも、──冷静さを取
り戻すに従って、実感がわかなくなってきたためだが、──
 確かに、この超能力者は同じ様式の剣を持っており、彩の『理力の武器』の
弱点をついて襲ってきた。確かとはいえないにしろ、その部族の戦闘者である
と判断する根拠はあるとしてみよう。が、仮にそうだとして──襲われたのは、
本当に彩の剣が部族から奪われた「元の剣」であるためだろうか? この鉄獄
において、それが理由として必要だろうか?
 仮にこの”超能力者”が、その部族の者ではなく、彩が持っているのが元の
部族のものではない剣、それどころか、理力の武器ではない何の関係もない剣
であったとしても、相手の持ち物を奪い合い、殺し合いになるのではないの
か? この”鉄獄”の地下城砦、次元世界では、どんな勢力に属するものでさ
えも、自分の生存の可能性をわずかなりとも上げるためには、あらゆる存在か
ら奪えるものは何であれ奪わざるを得ない。その虚空の部族から過去に送り込
まれたものであれ(無論そうでなかれ)例外なくそれに従うに過ぎない。
 力には代償がいる。通常は理力の剣を手に入れた者に、危険という代償がふ
りかかるのだろう。だがこの地下世界では、ただ存在する、というだけで、す
でに代償が必要なのだ。支払えなければ命を、ときには、その後の安息ですら
も、差し出さなくてはならない──
 彩は<帰還の詔>の霊符を取り出した。物資も余力も尽きた以上、探索を続
けることはできないので他に選択肢はないのだが、つかのまなりとも地上の光
を欲する感の方が強かった。逃避したところで、この地下世界の性質を避けて
進むことなどできないが、正気を保ちつつ探索するには、しばしばそれが必要
だった。ひとたび判断力を失えば、他のすべても失う他にないのだから。



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