A Befallen of Limbo IV
煉獄の落墜者






 4

 ──語り部の老人は、深くため息のような長い息をつきながら、おどけたよ
うに肩をすくめてみせた。
 「今だからこそ、そんなものに構っていられる余裕というものがあるのかも
しれんのだ。しかし、今後、ああいった手合いが、どれだけ出てくるのかはわ
からんのだぞ。……原初の"王族"どもは、"冥王"との戦いや同族の互いの利害
のために、はるか遠くの土地から戦力を大量に呼び込んでいるが、その中に混
ざって、ああいう最低限の世の理も見えず、知る気もない手合いさえもが、今
後、いくらでもこの土地にやってくるのだ」
 老人は何か飄々とした様子のまま、鬚を撫でた。
 「これはわしの考えだが──信じなくとも構わんぞ──"王族"の中には、味
方すらも煙にまくため、故意に、大量にああいう者を狙って呼び込んでいる者
がいるのではないかと思えるのだな。戦力でなく、単に目くらましのためだけ、
藪蚊でもばらまくようにな。……どっしりと腰を落ち着けずに、そういうくだ
らん手合いにいいように撹乱され、翻弄されるのが、古(ハイラー)ドワーフら
しいとは、わしにはとても思えんのだ」
 「しかし、そういう手合いに対し、名誉を捨て置くわけにはゆきますまい」
『呪の司』は応えた。
 「捨てろとはいわんよ。だが後でも──まさしく、そんなことは、いつでも
できるようなことだ。いっとき留め置いたところで、他のまっとうな自由の民
は、ドワーフら──まして、"東の山脈"の古ドワーフの氏族が、名誉を捨てて
それきり忘れ去っている、などとは、誰ひとりとして思わんよ」
 『呪の司』はそこに立ったままであり、青年剣士や姉には、法衣ごしにその
様子を伺うことはできない。
 「よりによって今の今、躍起になってそういう連中に対処したところで、そ
ちらの氏族らはもちろん、どの自由の民の勢力にとっても、損害にしかならん。
どんな些細な損害でも、"冥王"の軍に対抗する上では致命的になりかねん。割
に合う代償ではなかろう。……ただ、それだけのことだがな」
 しばらく沈黙がおりた。さきに『呪の司』の右手に感じられた、何かが重く
響くような音や、不吉な気配のようなものはないようだった。動かずに深くた
ちこめたままの霧が、不動の場にあって、あまりにも冷たい。
 「一理ありますね」やがて、『呪の司』が相変わらずの柔和な口調のままで
言った。「私情にまかせて大局を見失えば、この煉獄のような戦の地でついえ
堕ちてしまうのは、わたしどもということになりそうですね」


 それきり、簡単な挨拶をあとに老人と『呪の司』のやりとりは終わった。あ
とを戻る道、また二言三言、別の頭巾をすっぽりかぶったドワーフと老人の会
話があったが、相変わらず青年剣士には聞き取れず、また老人の様子からは、
さきほどの会話に比べて何か重要な状況の変化があるものではないようだった。
 ……かなり霧が薄くなり、古ドワーフの陣営らしき岩場の一帯を離れてから、
不安げにしていた妹が、ずっと訊くのを我慢していたことのように、老人に追
いつくように歩み寄って、尋ねた。
 「おじいさん」妹はしかし、その訊く内容そのものを恐れるようにおずおず
と、「あの人の右手は──」
 「バルログの悪霊と戦い、たとえ打ち倒したとしても、何らかの代償を受け
ないで済む者はおらん」老人は言った。「どんな代償かは──定命のものは知
らないでおく方がよかろう」
 青年剣士はさきの『呪の司』の右手から感じた感覚を思い出し、身震いした。
 「あの者が引き下がったのは、憎悪や執念に駆り立てられること、さらには
勝利にすらも、必ず少なからぬ”代償があること”が、よくわかっていたため
だな」老人は鬚を撫でながら言った。「さきの話がまとまったのは、話の相手
がそういう者であった、たまたま偶然に過ぎんというわけだ」
 ……ふたたび一行は歩き出し、先を歩く老人の背中を目に、青年剣士は呟い
た。「もし、あのドワーフが、偶然、そういう相手でなかったら、──どうな
ってたんだろう?」
 「私達みんな、ひとたまりもないわよ。古ドワーフの名誉に口を挟むなんて
ことをしたんだから、あの場ですぐさま」姉が仏頂面で言った。「偶然、女魔
道士を追いかけているドワーフらの氏族に、あの『呪の司』がいたこと。偶然、
その『呪の司』がこの土地の陣営にまで来ていたこと。偶然、今が皆で"冥王"
の軍勢とぶつかっている時代だったこと。偶然、『呪の司』が耳を傾ける価値
を認める程度には、こっちについて知っていたこと。それに偶然、『呪の司』
がバルログとの”戦いの代償”を負っていたこと。どれかひとつでも欠けてい
るか、知らなければ、おしまいよ。昨夜、どれだけ難しいか言ったでしょう」
 「そんなに危ない賭けに出たってことなのか……」青年は終始あまりにも無
造作だった老人の口調を思い起こした。
 「勿論、傍からはそう見えるわよ。さっきまでは私にだって」姉は何か機嫌
が、または、何故かどこかばつが悪そうにも見えた。「でも、そんなわけない
でしょう。並べてみれば、ひとつひとつは最初から手札にあったもの」
 確かに、青年剣士にも思い当たることもあった。おそらく、全て偶然に散ら
ばっている無数の要素のうち、利用できるものと組み合わせを見出し、その上
で可能と思ったからこそ、実行に移したのではないだろうか。傍からは”偶然
の力”を操っているようにも見えるそれは、老人や姉妹の”魔法”ということ
なのか? それとも、単にこの土地で生きる当然の方法に過ぎないのか?
 ……それはともかく、今のやりとりの結果、事の成り行きを考えた。少なく
とも、半月かひと月かそこらの猶予が──件の女魔道士にも、また、今後ド
ワーフらに同じことをするかもしれない、今後やってくるかもしれない女魔道
士の同類にも、与えられたのだ。すぐに解決するわけではないが、かつて青年
剣士が与えられたのと同じくらいには、まっさかさまの落墜からは助けられる
機会が与えられたのだ。


 一行は帰り道を歩き、もう宿に近い林の中の道まで来た。
 と、狭い小道の半ばで、不意に姉妹のうち妹が立ち止まった。一行の中でも
ことに感覚の鋭さがとび抜けている妹は、何かを探るようにわずかに首を巡ら
せたかと思うと、青年剣士がその様子を充分に認識するよりもさらに先に、突
如、道をそれて、まばらな林の中に、脇目もふらずに駆け出した。
 「だから、一人で飛び出すなって前から言ってるのに──」姉は叫んで、そ
のあとを追って林に飛び込んでいった。
 この姉妹は、体躯からは信じられないものすごい速度で、歩くのも辛いほど
の不整地を滑るように疾走することができるが、その後を老人は大股に早足に
歩いて追い、すぐに、先行する妹の方に追いついてしまったようだった。青年
剣士は、末尾の姉からはだいぶ遅れ、その背中を追った。
 息を切らせて追いついたとき、姉はその場で無言で立ったまま、目の前の光
景を見つめていた。青年剣士がその傍らに出ると、そこは林の中から木々がな
くなり、開けた場所になっていた。その開けた端で、妹はただ立ち尽くして途
方にくれたようにしており、老人はすでにその一帯を歩き回ったり、あたりの
物を杖でかき分けたりしている。
 実際のところ、この場は林の中で最初から開けていたというわけではなさそ
うだった。青年剣士にとっては、この場に止まってはじめて気づいたことだが、
森林の空気の匂いではなく、不自然に巻き起こった土埃や、焦げたような匂い
が立ち込めている。この一帯で、青年剣士の知るところの「最強レベル攻撃呪
文」が乱発されたのは明らかで、かなり広い一帯の地面がえぐられ焦げた跡が
大量に重なり合う形で残っている。
 が、こんな破壊の跡など、青年剣士にとっては、出身地でも珍しくもなんと
もない光景だった。そして、それらの破壊の影響は、なぜか、そこに残された
別の”傷跡”に比べれば、まるで取るに足らないものに思えた。
 その別のものは、開けた土地のほぼ真ん中に、破壊されずに残っている辺り
にあった。その辺りの中央に、昨日の女魔道士がいた。片目が、顔の半分以上
ではないかと思えるほど激しく引き剥かれ、もう片方の目は極限までしかめら
れ、何かの戯画の表現でもあるかのようだが、その容貌のあまりの歪み方はと
ても戯画では片付かなかった。今も何かを両掌から放とうとでもするように、
両腕を前に突き出していた。
 仰向けに倒れているので、その両腕は上空に差し上げられたような形で硬直
しているが、非常に鋭利な切り口が斜めに走り、右手の指が4本、左手の指が
3本なくなっている。
 その下顎が、丸ごと斬り飛ばされ、裂けた舌のかけらがむきだしの口蓋にへ
ばりついていた。
 青年剣士は姉のとなりでうずくまり、胸のむかつきを必死で抑えた。かつて
の出身地で無数に見てきた、「必殺技」や「攻撃呪文」がとびかう、文字通り
ゲームじみた「戦闘シーン」の結果としての死ではなく、真の意味で”死”を
与えられたもの、無理矢理に生命を引き剥がされもぎ取られたものを、この土
地に来てからは、かなり見るようになった。しかし、青年剣士はそれらの光景
に一向に馴れることはなく、それどころか、眼に入るたびに、死の凄惨さや無
慈悲さはどんどんひどい光景になってゆくように思えてくる。それは、本当に
徐々にひどいものに遭遇するようになっているのか、それとも、自分がそれら
をより真に"実感"できるような感覚を身につけつつあるためなのか?
 ……青年剣士は胃がやや落ち着いたと思えてからも、その光景に目を戻した
くはなかったが、老人は青年の様子が落ち着いたのを見計らってか構わずか、
うずくまる青年に声をかけた。「この土地の技術を知りたいのだろう。よく見
ておくがいい。まだ足跡も傷跡も新しいからな」
 老人は平然と、女魔道士の死体の足元から数歩あたりを歩き回り、杖の先で
草をかきわけた。
 「流れの”ノームざむらい”の仕業だな」それは青年には相当に意味不明な
単語だった。老人はまずは、ドワーフよりさらに小さな足跡を指し示し、その
大きさから足跡の主の体躯、周りの土の固さと沈み方から装具、踏み方から技、
ついで足捌きの連続を推測するように指した。
 「ノームの身長と得物の短さを抜きにしても、術師に対峙するには相当に不
利な間合いからなのを、承知の上だったのだな。一気に間合いを詰められない
ので、完全に踏み込みきらずに、突き出した両手にぎりぎりに届くところまで
踏み込み」老人はひときわ深い足跡を杖の先で指し、「ひとえ身に、まず向か
って左──つまり右手を斬り下げ、返して左手を斬り上げ、それから踏み入っ
て、身長の差から斜め上に向かって薙いだわけだ」
 老人は死体の手と口の、それぞれの斜めの切り口を示して言った。青年剣士
には、女魔道士が攻撃呪文を「放つ」そのとき手を突き出した際に一気に、と
いう状況が見えた。
 「みごとな切り口だが、太刀遣いは優雅にはほど遠い。まさに死に物狂い
だ」老人は死体から目を上げ、周囲の焦げ跡を一瞥し、「”ノームざむらい”
らは、ドワーフ以上に滅多なことでは他者とは争うことはない。さらに、殺さ
ねば殺される状況と確信しなければ、一太刀で殺せないような相手と状況に対
して、斬りかかるようなことは決してない。……おそらく、この死体の主は
ノームをよほど侮辱し、挑発し、暴力を見せびらかしたのだろうな」
 平然と検証の説明を続ける老人とその周囲の光景を前に、他の3人は無言だ
った。青年は気分が落ち着いてからも、半ば俯くようにひどく浮かない表情を
続けている。姉妹の妹の方は悲しげに、光景よりも、むしろ青年剣士を同情す
るような目で見つめており、姉の方も眉をひそめて立ち尽くしていた。
 「何だ、どうしたのだ、おまえまで」老人は振り向いた拍子に、その姉の方
の表情に気づいて言った。
 「だって……ドワーフに追われる理由がなくなったのに」姉は死体を見下ろ
して、呟くように言った。「こんな、何も関係ない相手に、何も関係ないこと
で……別の理由で死んでるなんて」
 老人は、まず青年剣士を見、ついで、姉の表情がそれとほぼ同じなのを、何
か不思議なものでも見るように、「何だ、古ドワーフが居ようが居るまいが、
この者がすぐにでも死んでもおかしくないことは、既にわかっていたことでは
ないのか? こんな『自分には力がある、だから力ずくでやってもいい』など
という姿勢でこの土地を歩くような者は、早晩必ず死ぬことは、少なくともお
まえには、最初からわかりきっていたことではないのか?」
 「自分が助けたんじゃない」姉は老人に、もはや憤慨して言った。「こんな
奴になおさら──せっかくあそこまで交渉して、古ドワーフの主義を曲げさせ
るほどのことをして助けたのに──それを、ここまで無駄にされたのよ」
 「なんだ? さきの古ドワーフとの話は、"こんな奴"を助けるためなどでは
ないぞ」
 老人はさらに平然と言った。
 「理由は、あの場で話した通りのそのまま、それ以外は何もないぞ。まさか、
何か言外の理由があるなどと思ったのか。ドワーフが今後も、主義の貫き方を
山脈にいた頃の通りに続ければ、"冥王"への抵抗上、どの勢力からも損にしか
ならん、本当にそれを告げにいったにすぎんよ」
 青年剣士も姉も、呆気にとられて老人を見上げ続けた。
 「……どのみち、こんな姿勢を続けようとする者を、その場限りで外からど
うにかしても、助けることなど最初からできんよ」老人は杖を地につき、ふた
たび女魔道士の死体を見下ろし、やや落ち着けた声で言った。「わしは、他人
を死から助ける、”救済する”ことなどできんよ。この土地では、自分を救済
できるのは、あくまで自分しかおらん。──あの古ドワーフの『呪の司』とて、
わしが状況を教えただけでは、何の助けにもならなかったのだ。自分で進退を
見極め、引き下がることを決断していなければ、氏族にも他の勢力にも破滅を
招いていたのだ。──誰の何であろうと、この土地では、自分で落堕からとど
まる途を見つけ、自力で這い上がるほかにないのだ」
 青年剣士はようやく立ち上がったが、その後も、えぐられた地と傷跡の光景
を見つめ続けた。
 自分はどうなのだろう。老人や姉妹と共に歩きつつ、かれらの言葉もこの土
地の周囲も、いまだ充分に認識できない自分は、──すでに、自分を助けるに
充分なほど、自力で這い上がっているのだろうか?





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